高須賀 夫至子(たかすが ふじこ、1940年3月31日 - … 高須賀 夫至子(たかすが ふじこ、1940年3月31日 - )は、日本の女優。東京府出身。一時期、高須賀 不二子名義でも活動した。 トキワ松学園高等学校卒業。俳優座養成所11期生。俳優座研究生時代に映画『胎動期 私たちは天使じゃない』に主演。 劇団新人会、六芸社に所属していた。舞台の他、映画・テレビドラマにも数多く出演した。
職業が女優:4,431人
高須賀 夫至子(たかすが ふじこ、1940年3月31日 - … 高須賀 夫至子(たかすが ふじこ、1940年3月31日 - )は、日本の女優。東京府出身。一時期、高須賀 不二子名義でも活動した。 トキワ松学園高等学校卒業。俳優座養成所11期生。俳優座研究生時代に映画『胎動期 私たちは天使じゃない』に主演。 劇団新人会、六芸社に所属していた。舞台の他、映画・テレビドラマにも数多く出演した。
牧 紀子(まき のりこ、1940年3月28日 - 没年不詳)… 牧 紀子(まき のりこ、1940年3月28日 - 没年不詳)は、満洲国新京(現在の長春市)出身の女優。本名は牧野紀子。東京女学館高校卒業。 生まれは満洲国。戦後、東京に引き揚げ。1957年、駒澤野球場で行われた映画人野球大会を観戦中、松竹の宣伝マンにスカウトされる。その後、松竹音楽舞踊学校付属演劇者養成所に入る。 1959年、高校を卒業し、松竹に入社して本格的に女優活動を始め、皇太子御成婚慶祝映画『花嫁雲にのる』の端役でデビューする。2作目は津川雅彦共演の青春喜劇映画『どんと行こうぜ』で主演する。戦後、松竹で第2作目での主演は岸惠子以来で、松竹では非常に期待された女優だった。 その後も多くの松竹映画で主演もしくは準主演で出演し、1963年よりNHKの連続ドラマ『東京の人』に主演し、テレビへ本格的に出演するが、1964年、実業家の今井勇輔と結婚するため松竹を退社した。
清水 まゆみ(しみず まゆみ、1940年3月19日 - )は… 清水 まゆみ(しみず まゆみ、1940年3月19日 - )は、日本の女優。旧芸名は清水 マリ子、本名は小高 鞠子(おだかまりこ)。 北海道室蘭市出身。室蘭文化学園(現・北斗文化学園)中退。 1950年代後半から1960年代半ばまで日活全盛期に人気となり活躍、芦川いづみ、吉永小百合、浅丘ルリ子らと共に日活を代表する女優の名称である「日活パールライン」と呼ばれた女優の一人。 1957年、日活映画『月下の若武者』製作にあたり津川雅彦の共演者を探すオーディションに受かり、同作でデビュー。高校を2年で中退して上京、清水マリ子の芸名でデビューする。 1958年、石原裕次郎主演『紅の翼』で、清水まゆみに改名。
大空 眞弓(おおぞら まゆみ、本名;中田 佐智子、1940年… 大空 眞弓(おおぞら まゆみ、本名;中田 佐智子、1940年3月10日 - )は、日本の女優。オフィスのいり所属。 東京市赤坂区(現在の東京都港区)生まれ。父親は沖縄県宮古島、母親は広島県の出身。目黒、深川に転居後、1歳半の時、父親が貿易会社に就職したため中国北京に一家で渡る。終戦間際に帰国し母親の郷里・広島に住む。1945年、5歳の夏、同県佐伯郡五日市町(現在の広島市佐伯区)で原爆に遭遇。爆心地が遠かったため、その時は誰も症状は出なかったが、姉は20代後半に胃ガンで亡くなっている。終戦後、父親が大分県別府市で家具の製造会社を始めたため転居、その後父親が北京時代の人脈を活かし東京で貿易会社を興したため小学校2年の時、一家で東京に戻り九段に落ち着く。
岩本 多代(いわもと ますよ、1940年〈昭和15年〉3月5… 岩本 多代(いわもと ますよ、1940年〈昭和15年〉3月5日 - 2020年〈令和2年〉8月17日)は、日本の女優。血液型はA型。 和歌山県田辺市出身。大阪府立市岡高等学校卒業。最終所属はオフィスPSC。 高校卒業後、俳優座養成所に11期生として入所。勝呂誉、工藤堅太郎らが第11期同期にあたる。 1962年、養成所を卒業して劇団新人会に所属。『おっぺけぺ』『さすらい』などの舞台に出演して注目される。 1961年のテレビドラマ『絶唱』(フジテレビ)でデビュー。1963年の紹介記事では、これからの抱負として「おとなしい娘役ばかりではなく、明るく活動的な役にも取り組みたい」と述べている。この頃、松竹と本数契約して『無宿人別帳』(1963年)などの映画に出演。
北 あけみ(、1940年〈昭和15年〉3月3日 - )は、日… 北 あけみ(、1940年〈昭和15年〉3月3日 - )は、日本の元女優、モデル。東京市入谷町出身。本名は北原 明美。 上野学園高等学校卒業。高校卒業後、老舗のモデルクラブ「エフ・エム・ジー」に所属し、ファッション・モデルとして活動していたが、フランスの女優・パスカル・プティに似ていたことから、映画界からスカウトされ、1959年、東宝に入社する。同年『青春を賭けろ』で夏木陽介の相手役としてデビュー。 主に東宝のアクション映画や、コメディ作品(クレイジー作品や若大将シリーズ)に出演。東宝の女優としては珍しく、色っぽい顔つきとセクシーなボディから、お色気担当としてギャングの情婦や主人公を誘惑するような役柄が多く、1963年の映画『海底軍艦』では水着モデルを演じていた。
磯村 みどり(いそむら みどり、本名:磯村 登美恵、1940… 磯村 みどり(いそむら みどり、本名:磯村 登美恵、1940年(昭和15年)2月14日 - )は、日本の女優。金城学院高等学校卒業、文化学院中退。 愛知県名古屋市朝日町(現在の中区錦三丁目)出身。 1955年、中学生の時に大映映画『蛍の光』公開を記念して募集された「ミス・蛍の光」に選ばれる。 高校在学中に丸山誠治監督に勧められ、『美しき母』にて映画初出演。その後も高校の休み期間中を使って清純な娘役として映画に出演。 1958年、高校卒業後に上京。NHK俳優養成所の聴講生となり、1959年にNHK放送劇団入団。NHK『花咲く港』『虹が呼んでいる』などに出演してNHK専属となる。青春スターとして人気を集め、小林千登勢・馬渕晴子・冨士真奈美の初代「NHK三人娘」を引き継ぐ形で、小林・日野麻子と二代目「NHK三人娘」と呼ばれた。
北川 恭子(きたがわ やすこ、1940年2月5日 - )は、… 北川 恭子(きたがわ やすこ、1940年2月5日 - )は、日本の元女優。石川県出身。お茶の水女子大学卒。趣味は日本舞踊。 劇団俳優座養成所第12期生として女優デビュー(同期には東野英心、橋本功、山本圭らがいる)。また、東京演劇アンサンブルにも所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山吹 まゆみ(やまぶき まゆみ、1940年1月29日 - 2… 山吹 まゆみ(やまぶき まゆみ、1940年1月29日 - 2000年6月30日)は、日本の女優。本名は大川 光代。愛称はカラメちゃん。 大阪府出身。大阪女学院高等部、宝塚音楽学校卒業。宝塚歌劇団出身。ジャパンプロに所属していた。 東京市で誕生、4歳のとき家族と北京へ移住。戦後に中国本土から引揚げて、大阪府に移り、高校卒業後に宝塚音楽学校に入学。 1960年、宝塚歌劇団に46期生として入団後に娘役で活動する。1960年に『春の踊り/ビバ・ピノキオ』で初舞台。宝塚入団時の成績は59人中34位。1961年5月1日、花組に配属され、その後、月組に異動し、また、花組に戻ってくる。1964年12月30日まで宝塚に所属。
樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本… 樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本の元女優。東京都世田谷区出身。 八雲学園高在学中の1957年、『隠し砦の三悪人』のオーディションに応募し、百姓娘役を射止める。 1959年俳優座養成所に十一期生として入る。1962年卒業と同時に俳優座に入る。おもな出演作に『大学のお姐ちゃん』(1959年 杉江敏男)、『椿三十郎』(1962年 黒澤明)など。 工藤堅太郎の回想記『役者ひとすじ 我が人生&交遊録』(風詠社・2014年11月)では、実名こそ明かしていないが、樋口が病のため39歳で亡くなったと記されている。
水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭… 水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭和14年〉12月23日 - )は、日本のイラストレーター、歌手、女優、画家、作家。「劇団未来劇場」所属。愛称は「あどちゃん」「あどタン」。夫は「劇団未来劇場」の主宰者である里吉しげみ。旧姓:森。 東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区日本橋)出身。父は建築家。母親は日本画家の森美子。幼い頃に絵やバレエ、ピアノを習う。 中央区立常盤小学校、桜蔭中学校・高等学校卒業。ハワイのモロカイハイスクールに遊学し、英語とジャズに触れる。 日劇ミュージックホールで歌手デビュー。英会話雑誌でイラストも描き始める。1964年、のちの夫・里吉しげみ(1965年に結婚)の主宰する劇団未来劇場公演「彼も仲間も悪い奴」で初舞台。
若林 映子(、1939年〈昭和14年〉12月13日 - )は… 若林 映子(、1939年〈昭和14年〉12月13日 - )は、日本の元女優。東宝映画を中心に活躍した。 名前の映子は 「えいこ」と誤読されることがあるが本名は「あきこ」で、夕映えの増すころに生まれたことにちなんで名づけられた。 東京市大森区北千束出身。父親はエンジニアだった。10代のころは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを愛好する読書家で、画家を志望したこともあった。 東京都立青山高等学校の3年生だった1957年(昭和32年)8月、ほんの軽い気持ちで東宝の『海鳴り』(制作中止)と『隠し砦の三悪人』の雪姫役に友人と一緒に応募する。結果は落選だったが、その後東宝から誘いを受け、高校卒業後に東宝へ入る。
小川 眞由美(おがわ まゆみ、1939年〈昭和14年〉12月… 小川 眞由美(おがわ まゆみ、1939年〈昭和14年〉12月11日 - )は、日本の女優。旧芸名および本名は小川 真由美。 東京府東京市足立区(現在の東京都足立区)出身。和洋女子短大国文科卒業。父親・丹真は戦前、田村秋子らが創立した劇団新東京に属した俳優。5歳よりバレエ、日本舞踊を習う。学生時代は永井荷風を愛読し、荷風の日記のとおり一日を過ごしてみたこともあったと語っている。また高校時代は足繁く歌舞伎に通い、三代目市川壽海の大ファンだった。[要出典] 1961年(昭和36年)、田村の推薦で文学座付属研究所を受験し合格、第一期研究生として入所する。同期に草野大悟、岸田森、寺田農、樹木希林らがいる。
朝比奈 愛子(あさひな あいこ、1939年11月22日 - … 朝比奈 愛子(あさひな あいこ、1939年11月22日 - )は日本の歌手、女優、作家、芸能企画プロデューサー。 1939年11月22日、東京府東京市目黒区大岡山に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の次女として生まれる。東京都立三田高等学校を中退。 1958年5月、姉の雪村いづみとのデュエット曲「シュガー・キャンデー」でデビュー。同年9月、「続々サラリーマン出世太閤記」で映画デビュー。 1988年、短編小説「赤土の庭」で中央公論社の第31回「女流新人賞」を受賞。 1993年、ミュージカル「クッキングガール」の原作を執筆。
真木 沙織(まき さおり、1939年11月16日 - 200… 真木 沙織(まき さおり、1939年11月16日 - 2001年6月6日)は、日本の女優。兵庫県氷上郡氷上町(現・丹波市)出身。本名は地井佐和子(旧姓:稲次) 。夫は俳優の地井武男。 立教大学文学部日本文学科卒業。 劇団四季研究生を経て、1969年にテレビドラマ『さすらい』(TBS)でデビュー。 1974年、俳優の地井武男と結婚。 2001年6月6日、乳癌のため死去。61歳没。
加藤 みどり(かとう みどり、1939年〈昭和14年〉11月… 加藤 みどり(かとう みどり、1939年〈昭和14年〉11月15日 - )は、日本の声優、女優、ナレーター。東京府(現:東京都)出身。本名:伊藤 みどり(いとう みどり)。旧姓:加藤。 テレビアニメ『サザエさん』の主人公・サザエ役や、ドキュメンタリー・バラエティ番組『大改造!!劇的ビフォーアフター』におけるナレーションなどの仕事で知られる。 1939年、東京府(現在の東京都)に生まれる。 東京都立豊多摩高等学校卒業後、松竹歌劇団(SKD)の団員養成所・松竹音楽舞踊学校に13期生として入学。本来は水谷八重子に憧れ新派の女優を志しており、そのために必要な芸事が「いっぺんに安く教われる」と見込んでのことだった。
筑波 久子(つくば ひさこ、1939年〈昭和14年〉11月6… 筑波 久子(つくば ひさこ、1939年〈昭和14年〉11月6日 - )は、日本の元女優で、アメリカ合衆国の映画プロデューサーである。筑波プロ、チャコフィルム代表。 アメリカ合衆国での別名はチャコ・ヴァン・リューウェン (Chako van Leeuwen)。 茨城県多賀郡大津町(現・北茨城市大津町)五浦出身。父・弥一郎、母・ハツの間に4人兄妹の末っ子として生まれる。 兄が2人、姉が1人いる。父は地元大手の旅館「五浦観光ホテル」と映画館を経営していた。旅館の女将であった母親に溺愛され、母を憧れにして育つ。小・中学校は地元の大津小学校、常北中学校に通った。中学時代は生徒会長を務め、トップ成績で慶應義塾女子高等学校に進学。
五月 みどり(さつき みどり、1939年10月21日 - )… 五月 みどり(さつき みどり、1939年10月21日 - )は、日本の女性歌手、タレント、女優である。東京都江戸川区出身、東京都立深川高等学校卒業。愛称は「(伊東家の)お母さん」「かまきり夫人」。本名面高 フサ子(おもだか ふさこ)、出生名大野 フサ子(おおの ふさこ)。湯河原在住。
松井 康子(まつい やすこ、1939年10月3日 - )は、… 松井 康子(まつい やすこ、1939年10月3日 - )は、日本の元女優。本名同じ。牧 和子(まき かずこ)の芸名でも活動した。 父・松井久(山口県下関市長松井信助の三男)、母・宏子の娘として東京府東京市世田谷区に生まれる。母方祖父の小笠原長生は子爵であり、松井の母・宏子は華族の出である。学習院初等科・学習院女子中等科・学習院女子高等科を経て、1958年4月、学習院大学文学部に入学。 1958年の秋、通院していたかかりつけの歯科医が松竹の嘱託医であったことが縁で、松竹社長・城戸四郎にスカウトされる。大学を中退し松竹に入社。 1959年、内川清一郎監督の映画『パイナップル部隊』でデビュー。当初は大部屋女優で、デビュー作となった同作品でも端役であった。
しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、し… しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、しめぎ・しがこ。1939年8月1日 - )は、日本の女優。東京府東京市神田区(現・東京都千代田区神田)出身。跡見学園高等学校卒業。 俳優座養成所を経て文学座に所属。1960年頃から日活や大映、東映製作の映画・テレビドラマを中心に活躍した。1970年代前半に芸能界を引退している。
中村 玉緒(なかむら たまお、1939年〈昭和14年〉7月1… 中村 玉緒(なかむら たまお、1939年〈昭和14年〉7月12日 - )は、日本の女優・タレント。本名(旧姓)および旧芸名は林 玉緒(はやし たまお)、結婚後の本名は奥村 玉緒(おくむら たまお)。愛称は「玉緒さん」「お母さん」。 京都市立立誠小学校、京都女子高等学校出身。所属事務所は長良プロダクション。 京都府京都市左京区出身。父は大映映画の貴重な脇役でもあった歌舞伎俳優二代目中村鴈治郎。夫は俳優の勝新太郎、長男は俳優の鴈龍(奥村雄大)、長女は奥村真粧美。また、兄は歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎、その子供に四代目中村鴈治郎・三代目中村扇雀兄弟がいる。 1953年、本名で松竹作品『景子と雪江』にて映画初出演を果たすものの、その後、映画出演の仕事は無かった。
金田一 敦子(きんだいち あつこ、1939年4月26日 - … 金田一 敦子(きんだいち あつこ、1939年4月26日 - )は、日本の元女優。 実業家・金田一国士の孫。従叔祖父に言語学者・民族学者の金田一京助がいる。父は東横百貨店渋谷店長。日本女子大学附属中学校を経て、日本女子大学附属高等学校に入学。1956年、女優をしていた叔母・三宅邦子の勧めで大映ニューフェイス10期生に応募し合格。同高校を2年で中退した。なお、同期には田宮二郎、叶順子、市田ひろみ、毛利郁子らがいた。叶順子、仁木多鶴子とともに大映若手三人娘として売り出された。 1957年4月3日公開の映画『忘れじの午後8時13分』で女優デビュー。1958年11月22日公開の『恋と花火と消火弾』では宇佐ひろ子役で主演した。
2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年… 2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年)4月16日 - )は、日本の女優、歌手、演出家、エッセイスト。本名、松野 好重(まつの よしえ)。
阿部 光子(あべ みつこ、1939年3月31日 - )は、日… 阿部 光子(あべ みつこ、1939年3月31日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。東京俳優生活協同組合所属。夫は俳優・声優の安田隆(1988年死別)。 1958年、東京都立新宿高等学校卒業。1959年、劇団東芸附属研究所に入所し、1960年に劇団員となる。1966年より東京俳優生活協同組合に所属。 趣味は手芸。特技は福島弁(会津弁)。ホールヘルパーの資格を持つ。
大方 斐紗子(おおかた ひさこ、1939年3月9日 - )は… 大方 斐紗子(おおかた ひさこ、1939年3月9日 - )は、日本の女優・声優である。福島県出身。現代制作舎所属。 幼少期は芝居・映画好きで、福島県立福島女子高等学校(現:福島県立橘高等学校)時代は演劇部に所属していた。 高校卒業後、上京して劇団俳優座付属養成所に合格。10期生として3年間学び、劇団青年座、東京俳優生活協同組合にも所属していた。 30歳で結婚、翌年に1男をもうける。 福島県を舞台としたドラマなどでは方言指導として名前が出ることもある。 声種はメゾソプラノ。方言は福島弁。 特技は歌(クラシック・シャンソン)、ダンス、日本舞踊、狂言、仏語。
佐久間 良子(さくま よしこ、1939年2月24日 - )は… 佐久間 良子(さくま よしこ、1939年2月24日 - )は、日本の女優。東京市(現・東京都練馬区)出身。身長158cm。東映で初めて主役を演じた女優であり、大河ドラマ史上初めて単独主演した女優でもある。元夫は平幹二朗、息子は平岳大。 1939年、東京・練馬の桜台にある裕福な家で生まれた。軍医だった父は地元でも有数の大地主の次男で、戦後製薬会社に勤務し、後に役員になった。母は理科教室などに展示する人体模型を日本で初めて開発した製作所の長女。いわば良家同士の婚姻であり、何不自由なく育った。高い塀に囲まれた実家の敷地は500坪ほどあった。子供のころ家からほとんど外に出たことがなく、文字通りの「箱入り娘」だった。
長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月… 長内 美那子(おさない みなこ、1939年〈昭和14年〉2月17日 - )は、日本の女優。本名、宗像 美那子。旧姓名は芸名と同じ。身長155 cm、体重41 kg。夫は俳優の宗方勝巳。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校、共立女子大学卒業。プロマージュ、アイティ企画所属(業務提携)。 大学進学と同時に演劇部に入部。 在学中の1959年に劇団青年座に所属し、1960年の舞台『八段』でデビュー。1971年に退団するまで『天一坊七十番』『肥前風土紀』などの舞台に出演する。 1964年、日活『生きている狼』で映画初出演。以後、『男の紋章・俺は斬る』(1965年)、『東京ナイト』(1967年)、などの映画に出演する。
町田 祥子(まちだ ようこ、1939年2月2日- )は、日本… 町田 祥子(まちだ ようこ、1939年2月2日- )は、日本の女優。本名は同じ。 東京都豊島区巣鴨出身。十文字高等学校卒業。プロモーション・プラスワンに所属していた。 1956年に「ミス松竹」に選ばれ、松竹に入社。 翌1957年に映画「土砂降り」でデビュー。 1968年に劇団欅に参加。 特技は日本舞踊、清元。
荒砂 ゆき(あれさ ゆき、1939年1月25日 - )は、日… 荒砂 ゆき(あれさ ゆき、1939年1月25日 - )は、日本の女優。出生は宮崎県、茨城県水戸市出身。本名・旧芸:田原久子。劇団俳優座第9期生(同期は二階堂有希子、富士真奈美、鎗田順吉、菅貫太郎、可知靖之など)。元劇団四季所属。 映画全盛期のころから衰退期に至るまで各映画会社の作品に出演し、情熱的なヒロイン役から個性的な脇役まで幅広くこなす女優として活躍する。芸名変更後は、各映画会社のいわゆる「お色気路線」作品に多数出演。1974年、谷崎潤一郎原作、神代辰巳監督観世栄夫主演の日活文芸ロマンポルノ『鍵』で主人公の妻「郁子」役に抜擢され、倦怠期の夫婦関係に悩む人妻を演じた。その後、活動の主場をテレビドラマに移す。
仁木 多鶴子(にき たづこ、1939年1月3日 - 1983… 仁木 多鶴子(にき たづこ、1939年1月3日 - 1983年9月12日)は、日本の女優。本名は鶴田和子。 東京府(現東京都)出身。国立音楽大学附属中学校、附属高校を経て、国立音楽大学を中退後、1957年に大映に入社した。映画『猫は知っていた』に主演したのをきっかけに、仁木多鶴子と改名した。 人気絶頂期に、通算2244奪三振を記録した球史に残るプロ野球投手の小野正一(1933年9月30日 - 2003年3月19日)と結婚した。 1983年9月12日、クモ膜下出血で倒れ44歳で他界した。
藤村 志保(ふじむら しほ、本名;静永 操〈しずなが みさお… 藤村 志保(ふじむら しほ、本名;静永 操〈しずなが みさお〉、旧姓;薄〈すすき〉、1939年〈昭和14年〉1月3日 - 2025年〈令和7年〉6月12日)は、日本の女優。神奈川県川崎市出身。所属事務所は(有)オフィス優。日本子守唄協会副会長。 4歳の時、父を戦争で失い、毛糸商を営む母に育てられた。1957年、フェリス女学院高等部卒業。フェリス女学院時代の同級生に安井かずみ。 9歳から日本舞踊の稽古に明け暮れ、19歳で花柳流の名取「麗(うらら)」として日本舞踊を教えるなど、踊りにも精通。 1961年、大映京都撮影所演技研究所に入所。 1962年、市川崑の監督映画『破戒』でデビュー。芸名は、デビュー作の役名「志保」と原作者の島崎藤村に由来する。
眞理 ヨシコ(まり ヨシコ、1938年〈昭和13年〉12月4… 眞理 ヨシコ(まり ヨシコ、1938年〈昭和13年〉12月4日 - )は、日本の童謡歌手、声優、女優、東洋英和女学院大学名誉教授。本名、佐藤 美子(さとう よしこ)。旧芸名は真理ヨシコ。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 岐阜県で生まれ、間もなく親の転勤で東京都へ転居。東京都立駒場高等学校芸術科(後に東京都立芸術高等学校として分離独立するも閉校)在学中より、東京芸術大学の講師だった酒井弘に師事。その後、深緑夏代にシャンソンの指導を受ける。東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。1961年、東京芸大2年の時NHKのオーディションに合格し、NHK『歌の広場』のニュー・ボイスとなる。 その後、『おかあさんといっしょ』(当時はうたのえほん)の初代うたのおねえさんに就任。
香取 環(かとり たまき、1938年10月21日 - 201… 香取 環(かとり たまき、1938年10月21日 - 2015年10月12日)は日本の女優。本名・久木登紀子。別名・佐久間しのぶ。熊本県出身。1960年代から1970年代初頭にかけて、ピンク映画で活躍した。日本初のピンク映画『肉体の市場』に主演した事から、「ピンク女優・第一号」とも呼ばれた。以降、1960年代のピンク映画界においてトップ女優として君臨した。元夫は俳優の船戸順、ピンク映画監督の奥脇敏夫。 香取環は1938年に、熊本県の中流家庭に生まれた。父親は熊本で家族経営の製薬会社を営んでいた。ミスユニバースの熊本代表、全国大会で準ミスに選ばれた後、日活第四期ニューフェイスに採用。同期に赤木圭一郎がいる。
野口 ふみえ(のぐち ふみえ、1938年10月13日 - )… 野口 ふみえ(のぐち ふみえ、1938年10月13日 - )は、日本の女優。東京都出身。調布高校卒[要出典]。本名は宇野ふみえ。夫は東宝のプロデューサー宇野博之[要出典]。
栗 葉子(くり ようこ、1938年9月21日 - )は、日本… 栗 葉子(くり ようこ、1938年9月21日 - )は、日本の声優、女優。東京都出身。本名及び旧芸名は村田 豊子(むらた とよこ)。 代表作に『ど根性ガエル』の吉沢京子役、『みなしごハッチ』のハッチ役、『小さなバイキングビッケ』のビッケ役などがある。 子供の頃から芸能が好きだったという。 1958年に東京都立富士高等学校を卒業後、NHK俳優養成所へ入所。1960年、同養成所卒業生により立ち上げられた劇団三十人会のメンバーの一人に加わり、後に河の会(劇団河)に移籍。 1960年、NHK総合テレビで放送されたアメリカドラマ『走れチェス』の主人公、ベルベット役で声優デビュー。 声種はソプラノ。NHKの学校放送や幼児番組、テレビアニメに多く出演し活動。
久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日… 久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日本の歌手、女優。本名は山崎 慈子(旧姓 - 栗原)。東京都墨田区出身。所属事務所はイーグル・ベイ。実弟は「トリオ・ザ・パンチ」で活躍した久里みのる。 共立女子高等学校卒業。ピーギャンヴォイスと称される独特な声で知られた。 元々オペラ歌手を目指しており、藤原義江が主宰する藤原歌劇団の研究科に入団。高校卒業後は劇団青春座、新作座を経て、1958年に20歳で女優としてデビュー。デビュー作は日本テレビのCMガール。以降、映画『渡り鳥シリーズ』『男はつらいよ』やテレビドラマ『あばれはっちゃく』シリーズのほか、毎日放送・東京12チャンネル(現在のテレビ東京)共同制作のワイドショー『ファミリースタジオ230』や中部日本放送の長寿番組『天才クイズ』の初代司会者も務めた。
村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月3… 村松 英子(むらまつ えいこ、1938年(昭和13年)3月31日 - )は、日本の女優・詩人。身長162cm、体重50kg。 東京都出身。本名は南日英子。父は精神医学者の村松常雄、母方の祖父は田部隆次。実兄は文芸評論家の村松剛。兄の友人三島由紀夫の弟子で演劇活動を引き継いでいる。再従兄弟に当たる夫の南日恒夫(日本テレビ勤務の技師)は南日恒太郎(英語教育者)の孫。娘に女優の村松えり。 東京市淀橋区西大久保(現・東京都新宿区大久保)で誕生。学者一家の家庭に生れ、父・村松常雄の書斎で『マザーグース』『ペロー童話集』などを読み聞かされて育つ。芝居好きの祖母は英子を歌舞伎に連れていくこともあった。 日本女子大学附属豊明小学校の10歳の頃、兄・村松剛の影響で詩に親しみ、毎年夏に避暑に行く信濃追分で兄から『立原道造詩集』を買ってもらったのをきっかけに、自身も詩を書いたりするようになる。
曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006… 曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日)は、日本の女優、声優、歌手。東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。 東京府八王子市明神町でタバコ屋の娘として生まれる。一男三女の三女である。八王子市立第四小学校、八王子市立第五中学校、東京都立南多摩高等学校を経て、1955年に東京声専音楽学校を卒業。 あがり症を克服するため、日本ジャズ学校に通い、1956年に桑の実劇団に入団。同年にNHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後、1959年に伊藤道郎TV俳優養成所、1960年に東京アナウンスアカデミーアナウンス科及びCM科を卒業。
應 蘭芳(おう らんふぁん、1938年(昭和13年)3月9日… 應 蘭芳(おう らんふぁん、1938年(昭和13年)3月9日 - )は、日本の女優、歌手。旧芸名は応 蘭芳。本名は応 仲奇。日本名は三瀬 滋子(さんのせ しげこ)だったが、1981年に結婚し近藤 滋子になった。身長160cm、B90cm、W60cm、H90cm(1969年1月時点)。第一協団( - 1968年)、伴プロダクション(1969年 - ) を経て、現在はファミリーアーツに所属。 イギリス・イングランド・ロンドン生まれ。父親は英国籍の中国人で、母親は日本人。アンジェラ浅丘はいとこ(応の母がアンジェラの父の妹)。 生後すぐに満州国に移住し、満州国籍となる。11歳の時に母親と二人で舞鶴へと引き揚げた。
稲垣 美穂子(いながき みほこ、本名・丹野 美穂子(たんの … 稲垣 美穂子(いながき みほこ、本名・丹野 美穂子(たんの みほこ)、1938年2月20日 - 2024年8月6日)は、日本の女優・実業家。 東京都町田市出身。玉川学園小学部、玉川学園中学部、日本女子大学附属高等学校卒業、日本女子大学文学部国文科中退。 医師の父と看護師の母の間に、4人きょうだいの長女として原宿で生まれた。その後、父が開業することになり、町田市へ引っ越した。 夫は、『ハレンチ学園』等を撮った監督の丹野雄二。稲垣 光穂子の名義で活動した時期もある。甥の稲垣康治は2026年から町田市長を務める。
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15… 冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の女優、随筆家、俳人。血液型はA型。本名、岩崎 真奈美。アンテーヌ所属。俳号は衾去(きんきょ)。 6人きょうだいの三女(上から女、女、本人、男と続き、5人目と6人目の性別は不明)として育った。静岡県三島市で生まれた後、1歳の頃に一家で東京都滝野川区(現・北区)で暮らし、小学校に上がる前、三島で暮らす祖父の急死により、ひとり娘の母とともに一家で三島へ戻った。県立三島北高校卒業。 1956年にNHKのテレビドラマ『この瞳』の主役に抜擢されてデビューし、これを機に上京して芸能活動を始めた。1957年、NHK専属女優の第一号となり、『輪唱』の三姉妹役で共演した馬渕晴子・小林千登勢とNHK三人娘と呼ばれて人気を博した。
瞳 麗子(ひとみ れいこ、1938年1月10日 - )は、日… 瞳 麗子(ひとみ れいこ、1938年1月10日 - )は、日本の女優。福井県出身。白百合学園高等学校出身。本名は額賀 直美、旧芸名は瞳 麗香。長男はプロゴルファーの額賀靖生。長女は歌手の弘妃由美。 松竹歌劇団の戦後の第10期生。同期に女優の青江奈美がいる。卒業後は、本格的な女優として活躍する様になり、夫である俳優の倉多爽平とは、映画『あんみつ姫』での共演をきっかけに結婚。 しかし当時、瞳の父は病床にあり、式への列席が望めないことを考慮し、「テレビで姿を見て欲しい」として、当時「番組内で結婚式を挙げる」との内容で放送されていたテレビ番組『ここに幸あれ』(フジテレビ)への出演を希望。 1963年(昭和38年)3月12日に放送された同番組には佐田啓二や久我美子も出席して祝辞を述べた。
松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )… 松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )は、日本における昭和期に活躍した女優。本名・田中 曠子(旧姓・出井)。旧芸名は松山 清子。愛媛県松山市出身。 1968年の「ボンカレー」(大塚食品)発売以来、長らくパッケージモデルを務め、CM、ホーロー看板でも知られる。 愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれる。愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社する。 1957年6月4日公開の『勢揃い桃色御殿』に新人女優・松山清子として、端役デビューする。11月19日公開の『侍ニッポン』で本格デビューを飾る。
泉 京子(いずみ きょうこ、1937年10月17日 - )は… 泉 京子(いずみ きょうこ、1937年10月17日 - )は松竹映画を中心に活動した日本の元女優。本名は竹中久代。東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。
伊藤 友乃(いとう ともの、1937年9月11日 - )は、… 伊藤 友乃(いとう ともの、1937年9月11日 - )は、巣山プロダクション所属の日本の女優。愛知県豊橋市出身。身長158 cm。趣味はピアノ、旅行、音楽。特技はピアノ、三味線、歌。愛知県立豊橋東高等学校卒業。かつては中部日本放送放送劇団、実プロに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
加茂 さくら(かも さくら、1937年7月16日 - 202… 加茂 さくら(かも さくら、1937年7月16日 - 2024年12月21日)は、日本の女優。東京市(現:東京都港区)出身、京都府育ち。本名・大谷 照子(おおたに てるこ)、公称身長160cm。血液型A型。宝塚時代の愛称は本名の照子よりテル(ちゃん)。 東京市麻布区飯倉町(現:東京都港区飯倉)生まれ。小学2年生から疎開先の静岡県熱海市で、中学からは父親の転勤先の京都府京都市で育つ。京都府立鴨沂高等学校中退。 1955年に宝塚歌劇団に花組公演『春の踊り』で入団。宝塚入団時の成績は36人中20位。42期生。1956年、花組配属。1961年から1968年まで主に主演娘役として(主に雪組の明石照子や眞帆志ぶきの相手役)、声楽専科組替えを経て1971年に退団するまで活躍した。
真城 千都世(まき ちとせ、1937年7月12日 - )は、… 真城 千都世(まき ちとせ、1937年7月12日 - )は、日本の女優。松竹歌劇団(SKD)出身。劇団内のユニット「スリーキャナリーズ」の元メンバー。一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
桜町 弘子(さくらまち ひろこ、1937年6月16日 - )… 桜町 弘子(さくらまち ひろこ、1937年6月16日 - )は、日本の女優。本名は臼井 真琴。静岡県賀茂郡出身。静岡県立下田南高等学校卒業。 高校2年生の時に「ミス丹後ちりめん」のコンテストに応募して入選。そしてたまたま、地元の伊豆にロケに来ていた映画監督の松田定次がタクシーの運転手からこの話を聞き付けたことで桜町本人と会い、1956年に東映ニューフェイスの第3期生として迎える形で東映入りした。同期には里見浩太朗・大川恵子・大村文武らがいた。1957年、大友柳太朗・美空ひばり・大川橋蔵主演『大江戸喧嘩纏』に、松原 千浪の名で映画デビュー。 同年の『ふたり大名』から桜町 弘子に改名、以後丘さとみ・大川恵子らと東映三人娘として活躍。
阪口 美奈子(さかぐち みなこ、1937年6月1日 - 20… 阪口 美奈子(さかぐち みなこ、1937年6月1日 - 2016年5月30日)は、日本の女優、声優。坂口 美奈子(読み同じ)名義での活動もある。劇団民藝に所属していた。東京都牛込区出身。 夫は俳優、声優の前田昌明。娘は舞踏家・振付師の前田新奈。 学校法人雙葉学園在学時、劇場公開されていた『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンを見たことで女優を志し、卒業後に劇団民藝へ入団。1950年代後半から舞台に立ち、同劇団の看板女優として活動。テレビドラマにも出演し、吹き替えでは声優としても活動した。 出産後の舞台で腰を痛めたことで、30代後半から活動は控えめになったという。2016年5月30日に死去。78歳没。
美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月2… 美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月29日 - 1989年〈平成元年〉6月24日)は、日本の歌手・女優・実業家。神奈川県横浜市磯子区出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・高等学校(現:東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。 9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で天才少女歌手と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで目覚ましい活躍を見せ、自他共に歌謡界の女王と認める存在となった。昭和の歌謡界を代表する歌手であり、没後の1989年7月2日に国民栄誉賞を受賞した。本名:加藤 和枝(かとう かずえ)。愛称は「お嬢(おじょう)」。身長は155cm(推定、番組内にて和也談)。 神奈川県横浜市磯子区の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉(1912年 - 1963年)、母・喜美枝の長女・和枝(かずえ)として生まれた。