かこ さとし(加古 里子、1926年3月31日 - 2018… かこ さとし(加古 里子、1926年3月31日 - 2018年5月2日)は、日本の絵本作家、児童文学者、工学博士、技術士(化学)。本名は中島 哲(なかじま さとし)。ペンネームの「里子」は俳号。 福井県今立郡国高村(後の武生市、現在の越前市)に生まれ、8歳より東京府東京市(現在の東京都)板橋区に育った。東京府立第九中学校(現在の東京都立北園高等学校)、旧制成蹊高等学校から、東京大学工学部応用化学科に学ぶ。成蹊高校時代の教師に中村草田男がいた。1945年、疎開先の三重県で終戦。この年の9月より大学の授業が再開された。1946年、演劇研究会に入り、舞台装置デザイン・作製子供向けの演劇脚本を書き始める。
加古 里子(かこ さとし、1926年3月31日 - )は、日… 加古 里子(かこ さとし、1926年3月31日 - )は、日本の絵本作家、児童文学者。工学博士、技術士(化学)。本名は、中島 哲(なかじま さとし)。ペンネームの「里子」は俳号。かこさとし名義でも活動している。
安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 20… 安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - 2020年12月24日)は、日本の画家・装幀家・絵本作家。元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。東京都小金井市在住。文化功労者。 40年以上にわたって描かれた代表作の1つ『旅の絵本』シリーズ全10冊のうち9冊までの累計発行部数は、152万部を記録している(2022年1月末時点)。 子供の頃より画家になる夢を抱いていた。美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表した。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く[要出典]。
日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 197… 日下 実男(くさか じつお、1926年3月20日 - 1979年9月11日)は、日本の科学評論家、科学読物作家、翻訳家。 愛知県安城市出身。1947年、東京大学理学部物理学科卒業。朝日新聞社に入り、科学記者、欧米特派員を経て、1969年退社。 日本宇宙飛行協会(副会長)、日本海洋学会などに所属し、科学評論家として活躍。 1961年、『ロケットよ土星をめざせ』で小学館児童文化賞佳作賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
天野 哲夫(あまの てつお、1926年3月19日 - 200… 天野 哲夫(あまの てつお、1926年3月19日 - 2008年11月30日)は、日本の小説家。 覆面作家沼正三の著作として出版された奇書『家畜人ヤプー』について、作者であると告白したことで知られる。 福岡市出身。市立福岡商業(現・福岡市立福翔高等学校)卒。戦前は満州を放浪、戦後は種々の職業を経て1967年から校正者として新潮社に勤務。その傍ら小説を執筆し、沼正三の代理人を名乗っていたが、1982年、自身が『家畜人ヤプー』の作者のひとりであると公表。その真偽や関与の程度をめぐってはなお論争があるが、沼正三の著作のうち『家畜人ヤプー』の後半部分や『マゾヒストMの遺言』の著者は天野であることが確かとされる。
生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日… 生出 寿(おいで ひさし、1926年(大正15年)3月13日 - 2006年(平成18年))は、日本の小説家・作家、実業家。大日本帝国海軍軍人(海兵74期、最終階級は海軍少尉)。(株)ことば社 社長。 栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮中学校(現:栃木県立宇都宮高等学校)5年生で、1942年12月に海軍兵学校74期に進み、1945年3月に卒業。海軍潜水学校普通科学生(波二百一型潜水艦に乗組予定であった)として、海軍少尉で終戦を迎えた。終戦後東京大学に入学して仏文学科を卒業するが、この間に公職追放を受けた。大学卒業後、アサヒ芸能新聞社(現:徳間書店)に入社し、同社常務取締役を経て、(株)ことば社 社長となった。
塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 … 塚田 茂(つかだ しげる、1926年(大正15年)3月9日 - 2008年(平成20年)5月13日)は、日本の演出家、放送作家、構成作家、作詞家、タレント。東京府東京市(現・東京都特別区)豊島区池袋出身。血液型はB型。 東京府立商工学校(現・東京都立北豊島工科高等学校)卒。 太平洋戦争中の1945年2月に徴兵検査で第一種乙種合格、それを受けて翌3月に召集令状が来た。しかし、工科系学校に在籍する特権で2年の入営延期を認められ、日本無線に動員されるという形で勤務。その間に戦争は終結した。塚田は工科系の学生になったのは、特権が狙いだったとも話している。終戦後はしばらくの間、親類の時計店の居候となった。
萩原 延壽(はぎはら のぶとし、1926年(大正15年)3月… 萩原 延壽(はぎはら のぶとし、1926年(大正15年)3月7日 - 2001年(平成13年)10月24日)は、日本の歴史家・作家。1976年から1990年まで、休載を挟みつつ1,947回にわたり朝日新聞に連載した『遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄』(全14巻)の著者で知られる。姓の萩原は「はぎはら」と読むのが正しいが、間違って「はぎわら」と読まれることがある。名の「延壽」は「延寿」と表記されることがある。 東京・台東区浅草(現在の隅田公園周辺)出身。父宮治、母タケヨ(旧姓茂木)は共に群馬県群馬郡の人、父は8年間の兵役を退き、母は小学校教員の勤務を終え、1925年に結婚。1927年に東京府豊多摩郡淀橋町柏木(現在の新宿区西新宿成子坂周辺)に転居。
松谷 みよ子(まつたに みよこ、本名:松谷 美代子、1926… 松谷 みよ子(まつたに みよこ、本名:松谷 美代子、1926年2月15日 - 2015年2月28日)は、日本の児童文学作家。 父は社会派の弁護士で、無産政党代議士となった松谷與二郎。元夫は児童文学関係者で人形劇団座長の瀬川拓男。自伝に『小説・捨てていく話』(1992年)、『自伝 じょうちゃん』(2007年)がある。瀬川康男との共著『いないいないばあ』は2020年11月24日付で339刷700万部出版されており、絵本の歴代発行部数1位となっている。 1926年(大正15年)、東京市神田区元岩井町(現・東京都千代田区岩本町)に4人きょうだいの末っ子として生まれる。西巣鴨第五尋常小学校から東洋高等女学校に進み、1943年に卒業。
稲垣 真美(いながき まさみ、1926年2月8日- )は、日… 稲垣 真美(いながき まさみ、1926年2月8日- )は、日本のノンフィクション作家、評論家。美学、プラトンを専攻。2012年、筆名を稲垣太瑚に変更した。 日本文芸家協会、日本ペンクラブ各会員、全日本国際酒類振興会会長。 京都府八幡町(現八幡市)生まれ。浄土宗の仏教学者を父にもち、幼時から少年時まで京都・鴨川沿いで育つ。 当時の木内重四郎京都府知事の構想で、大正7年実験的に特殊な英才教育を実施した京都府立師範学校附属小第二教室で学んだ。 第一高等学校 (旧制)を経て東京大学文学部美学美術史学科卒。1955年、同大学院修士課程修了。 1965年「苦を紡ぐ女」で直木賞候補。「花粉になった女」で岸田戯曲賞候補。
長尾 宇迦(ながお うか、1926年2月3日 - 2018年… 長尾 宇迦(ながお うか、1926年2月3日 - 2018年1月2日)は、日本の作家。 大連市生まれ。本籍山口県。本名・豊。國學院大學卒。盛岡市で高校教師を務めるかたわら、同人誌『東北文脈』を発刊。 1958年「白い寒波」で岩手日報新聞小説賞、1964年「山風記」で小説現代新人賞受賞。1971年初の著書を刊行、1987年「幽霊記―小説・佐々木喜善」で直木賞候補。 歴史に埋もれた人物を描くことが多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
榊 莫山(さかき ばくざん、本名:榊 齊(さかき はじむ)、… 榊 莫山(さかき ばくざん、本名:榊 齊(さかき はじむ)、1926年2月1日 - 2010年10月3日)は、日本の書家・作家・元教諭。
三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年〈大正15年〉1月1… 三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年〈大正15年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の作家。 日本大学芸術学部教授、文化庁長官(第7代)、社団法人日本文藝家協会理事長(第7代)、日本芸術院院長(第4代)などを歴任した。 東京府豊多摩郡(現:東京都中野区)東中野生まれ。父はイタリア文学者の三浦逸雄。野方第五尋常小学校(現:中野区立啓明小学校)、東京府立第二中学校(現:東京都立立川高等学校)から旧制高知高等学校を経る。同校在学中には禁じられている煙草を吸い、さらに厭戦的態度を示して無期停学になった。旧制高知高等学校3年生の時に勤労動員され、1945年7月21日、陸軍二等兵として千葉県我孫子で入隊、千葉県の仮兵舎で敗戦を迎える。
いいだ もも(本名:飯田 桃〈読み同じ〉、男性、1926年〈… いいだ もも(本名:飯田 桃〈読み同じ〉、男性、1926年〈大正15年〉1月10日 - 2011年〈平成23年〉3月31日)は、東京府東京市出身の作家、社会批評・文化批評家。 多元主義的共産主義者。『21世紀への構想』研究会主宰。『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員。別名の宮本 治は「宮本百合子と太宰治をアウフヘーベンする」との意図によるという。 現在の東京都港区出身。東京府立第一中学校から第一高等学校を経て、1944年(昭和19年)に東京帝国大学法学部入学。同期に三島由紀夫がいたが、互いに面識はなかった(後に対談を行っており、1969年の『文化防衛論』に収録されている)。戦後まもなく、一高生を中心に全国の大学や高校をつなぐ同人誌『世代』の創刊に参加。
立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤… 立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤규、1926年1月6日 - 1980年8月12日)は、朝鮮半島出身の日本の小説家・随筆家・詩人・編集者。 1926年(大正15年)1月6日、朝鮮の慶尚北道安東郡で生れた。自著などでは大邱市生れとされていたが、武田勝彦や高井有一の調査によると、安東郡である。早稲田大学専門部国文科中退(入学時は法律学科)。 小林秀雄を導き手として世阿弥の芸術論や謡曲をはじめとする中世の日本文学に深く沈潜し、「中世」をみずからの創作活動の原点とした。 父の死後、母が再婚して渡日したため、叔父(母の弟)の家などに引き取られて育ち、その後、1937年(昭和12年)の11歳のときに内地(日本)に渡り、母たちと同居し横須賀で育った。
浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003… 浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003年8月10日)は、日本の児童文学作家、評論家、教育者。専攻は近代文学。中学、高校での教師を務めたのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事を歴任した。日本児童文学者協会理事、日本児童文芸家協会理事、日本文芸家協会会員。 静岡県御殿場市出身。早稲田大学第一文学部国文科を卒業後、都内の中学、高校教師を務め、立教大学大学院を修了(近代文学専攻)。 上野高等学校教頭を最後に高校教師を退職したのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事などを歴任。
岡田 喜秋(おかだ きしゅう、1926年1月2日 - )は、… 岡田 喜秋(おかだ きしゅう、1926年1月2日 - )は、日本の紀行作家。本名は「よしあき」。 東京府出身。旧制芝中学校卒業後、旧制松本高等学校文科乙類、1947年東北大学経済学部卒業。大学時代より紀行文を発表していた。 1947年に日本交通公社へ入社。月刊誌『旅』編集記者を務め、日本各地を取材して数多くの紀行文や記事を執筆した。執筆した記事が河上徹太郎らに認められ、風土・人物観察を取り入れた紀行文を多く残した。1959年から1971年までの12年間は『旅』編集長を務めた。日本交通公社退職後、1983年から1999年まで、横浜商科大学教授を務めた。 2024年10月まで、『交通新聞』の「反射板」というコラム欄に隔月で寄稿していた。
山本 真理子(やまもと まりこ、1926年 - )は、日本の… 山本 真理子(やまもと まりこ、1926年 - )は、日本の児童文学作家。広島原爆の被爆者で、その経験を題材にも取り入れた作品を発表している。 軍人の父の下に生まれる。そのため日本各地で転居を重ねて成長し、1944年に和歌山県立和歌山高等女学校を卒業後、同年春に広島県広島市打越町(現・西区)に家族とともに移り住んだ。山本は同年夏から広島城近くにあった陸軍司令部に職員として勤務した。眼病に罹患して在宅療養していた1945年8月6日に自宅で被爆。瓦礫に首から下が埋まったが、同居の姉に救出される。終戦後の8月18日に司令部に出向いた際に同僚はほぼ全員死亡したと聞かされ「自分が生き残ったのは何のため?」という深い悩みを抱いたという。
東野 利夫(とうの としお、1926年 - 2021年4月1… 東野 利夫(とうの としお、1926年 - 2021年4月13日)は、日本の医師(産婦人科)、小説家、医学史研究家。 医学史の研究家として数々の作品を残す。日本ペンクラブに所属し、医学生時代に九州大学生体解剖事件(九大生体解剖事件)の目撃者として貴重な体験談を後身に示した。この事件が本人に医者への不信感となり、医師となることに迷った末に、命を助けられる産婦人科医を志す動機となったという。開業後7年経った頃に精神的に不調を来し、心療内科に2か月入院。同様に九州大学生体解剖事件に関わった恩師平光吾一は釈放後、業務に復帰していたが病床に着き、1965年、東野が訪ねると、平光は「九大」「B29」とうわごとの様に言葉の端々に述べたことを語っている。
雲輪 瑞法(うんりん ずいほう 1926年 -2019年12… 雲輪 瑞法(うんりん ずいほう 1926年 -2019年12月23日)は、日本の曹洞宗の尼僧、作家。愛知県南知多町大宝寺7代目住職。 愛知県大宝寺6代目住職の子として生まれる。愛知専門尼僧堂で修行。1950年、駒澤大学卒業。東京都三鷹市の観音寺尼僧専門道場で修行。愛知県知多郡南知多町の大宝寺住職を務める。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
佃 實夫(つくだ じつお、1925年(大正14年)12月27… 佃 實夫(つくだ じつお、1925年(大正14年)12月27日 - 1979年3月9日)は、日本の小説家、文献学者。 徳島県阿南市出身。徳島青年師範学校中退。郵便局員、教員、徳島県立図書館司書、横浜市立図書館司書。 1959年「ある異邦人の死」で芥川賞候補。晩年徳島に在住したモラエスを描いたもので、1966年には大部の『わがモラエス伝』を上梓した。幕末・明治期を舞台として、『阿波自由党始末記』などの小説を書いた。1969年にポルトガル文化勲章受章。また文献学にも通じ、日外アソシエーツの『現代日本執筆者大事典』の編纂に携わった。 ポルトガル文化勲章(1969年) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 19… 宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 1991年4月22日)は、日本の小説家、医師。 千葉県野田市生まれ。本名・真(しん)。慶應義塾大学医学部卒業。学生時代から『文芸首都』同人となり小説を書く。のち第三次『批評』に参加し、1963年「鼠浄土」で中央公論新人賞、「なっこぶし」で農民文学賞 を受賞し、郷里で小児科医として開業しながら作家活動をおこなう。リアリズムの系列と幻想文学の系列とがあり、関心はアンコール・ワットおよびアジアの多神教、浮世絵、民俗学など多方面にわたった。
碇 義朗(いかり よしろう、1925年〈大正14年〉12月2… 碇 義朗(いかり よしろう、1925年〈大正14年〉12月21日 - 2012年〈平成24年〉10月16日[要出典])は、日本の航空・自動車研究家、著作家である。 奄美大島生まれ。鹿児島県名瀬町(現:奄美市)出身。東京都立航空工業学校(現:東京都立産業技術高等専門学校)卒業後、1942年(昭和17年)12月より陸軍航空技術研究所に勤務。1949年、横浜工業専門学校(現:横浜国立大学)卒業。 航空機・自動車研究家として各誌に執筆。著書に 『最後の撃墜王』『紫電改の六機』『陸軍「隼」戦闘機』『戦闘機入門』『最後の二式大艇』『夢の超特急走る』『ハイブリッドカーの時代』『ペルシャ湾の軍艦機』『飛龍天に在り』など多数。
安川 茂雄(やすかわ しげお、1925年12月13日 - 1… 安川 茂雄(やすかわ しげお、1925年12月13日 - 1977年10月23日)は、日本の登山家、ノンフィクション作家、登山史研究家。 本名は長越成雄。東京出身。早稲田大学文学部仏文科卒。 中学時代から登山を好み、登山家、編集者として働きながら、「霧の山」などの山岳小説を発表。 1966年RCCヒンズークシ登山隊長。三笠書房編集長、朋文堂、あかね書房などの顧問を経て、1974年四季書館を設立、社長を務めた。
大石 真(おおいし まこと、1925年12月8日 - 199… 大石 真(おおいし まこと、1925年12月8日 - 1990年9月4日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県北足立郡白子村(後に和光市へ合併)出身。父は医師で、「大石医院」を営んでいた。白子尋常小学校に入学後、豊島区の西巣鴨第五尋常小学校に転校。同級生に童話作家の松谷みよ子がいる。 戦争を嫌い、兵役を逃れるために科学の道を志し、早稲田大学の理系学部に1945年入学。1947年、第一文学部英文学科に編入。早大童話会に入会し、坪田譲治のコネにより小峰書店で編集のアルバイトをしつつ大学生活を送り、1950年に大学を卒業すると小峰書店の正社員となった。1951年7月、早大童話会から派生した「びわの実会」の旗揚げに参加し、創作活動に専念。
佐伯 千秋(さえき ちあき、1925年12月6日 - 200… 佐伯 千秋(さえき ちあき、1925年12月6日 - 2009年1月3日)は、日本の少女小説家。児童文学作家。少女小説やジュニア小説で知られる。 広島市出身。本名、薦田千賀子(こもだ・ちかこ)。佐伯は旧姓である。 広島県立広島第一高等女学校から日本女子大学校に進学したが、広島市への原子爆弾投下で両親を失ったのち退学。 作家となってからは西東京市 (旧保谷市)に住んだという。原爆ドーム永久保存を決定した当時の広島市長・浜井信三は義兄に当たる。1955年当時から日本児童文芸家協会会員。 1954年ごろから小学館の雑誌『女学生の友』や『小学〇年生』などの学習雑誌に読み切りの短編小説や小学生向けの読み物を執筆し、1959年「燃えよ黄の花」(『女学生の友』1958年9月号掲載)で第8回小学館児童文化賞を受賞。
椿 實(つばき みのる、1925年10月31日 - 2002… 椿 實(つばき みのる、1925年10月31日 - 2002年3月28日)は東京府出身の小説家。椿 実とも表記。 東京市神田区山本町(現:東京都千代田区外神田)に生まれ、下谷区池之端七軒町(現:台東区池之端)に育つ。生家は医療器械や注射針を製造。 東京府女子師範学校(現:東京学芸大学)付属幼稚園から同校付属小学校に学ぶ。同級に荻昌弘や岡田孝男がいた。東京府立第五中学校(現:東京都立小石川中等教育学校)を経て旧制都立高等学校(現:首都大学東京)文科一組に入学。在学中、1946年に吉行淳之介たちと同人誌『葦』を創刊。1947年、東京大学文学部哲学科入学、同年、吉行たちと第14次『新思潮』を創刊し、同誌第2号に発表した「メーゾン・ベルビウ地帯」で柴田錬三郎や三島由紀夫たちに高く評価される。
鈴木 重生(すずき しげお、1925年10月29日 - )は… 鈴木 重生(すずき しげお、1925年10月29日 - )は、日本のフランス文学者、作家、中央大学名誉教授。
鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 200… 鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 2003年7月22日)は、日本のノンフィクション作家・フリージャーナリスト。本名は今井 明夫。
森田 誠吾(もりた せいご、本名:堀野 誠吾、1925年10… 森田 誠吾(もりた せいご、本名:堀野 誠吾、1925年10月25日 - 2008年10月16日)は、日本の小説家。 東京出身。東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)卒業後旧制東京商科大学(一橋大学の前身)中退。久保栄・滝沢修・薄田研二が結成した東京芸術劇場の研究生となり、特に劇作家久保栄に師事する。久保との関係は久保の死(1958年3月15日)まで続く。森田の『曲亭馬琴遺稿』には、久保の戯曲『火山灰地』(1938年)や長編小説『のぼり窯』(1951年)の影響が見受けられる。 東京芸術劇場解体後、実家の広告制作会社精美堂社長を務めていた。 1981年に『曲亭馬琴遺稿』で作家デビュー。
阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 20… 阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 2005年3月22日)は、日本の詩人、小説家、児童文学作家として、小説・詩・作詞など幅広く執筆した。 大阪府大阪市に生まれた。阪田家は、代々紺屋の屋号であり安芸国忠海(現:広島県竹原市忠海)で海運業を営んでいた。寛夫の祖父・阪田恒四郎が38歳の時、広島から大阪に出て興したのが阪田インキ製造所(後のサカタインクス)。寛夫の父・素夫は同社の二代目社長であった。600坪の屋敷で3人兄弟の末弟として育つ。 熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、母・京は同志社女子専門学校英文科の卒業生で、アメリカから来た教師に西洋料理をたくさん学んだハイカラな女性だった。
金 石範(きん せきはん、キム・ソクポム、김 석범、1925… 金 石範(きん せきはん、キム・ソクポム、김 석범、1925年10月2日 - )は、在日朝鮮人の作家。「慎洋根」を本名としており、本貫は居昌慎氏。朝鮮語では「金石範」と同じく「キム・ソクポム」と読む「金錫範」という名前も使っている。妻は久利定子(久益定子とも)。 済州島出身の両親の元で大阪市猪飼野で生まれた。戦時中に済州島で暮らし、朝鮮独立を目指す人々と知り合う。1945年、大阪で終戦を迎えた。直後にソウルに渡るも、1946年に日本に戻り、その後日本で暮らすようになる。関西大学専門部経済学科、京都大学文学部美学科卒業。 日本に戻った直後の1948年4月3日、故郷の済州島で、南側単独選挙に反対する左派島民の武装蜂起が起こる。
辻 邦生(つじ くにお、1925年(大正14年)9月24日 … 辻 邦生(つじ くにお、1925年(大正14年)9月24日 - 1999年(平成11年)7月29日)は、日本の小説家・フランス文学者。学習院大学教授も務めた。位階は正五位。 東京市・駒込に生まれた。信州・長野の信州旧制松本高校で敗戦の前後を過ごしたことが、精神上大きな糧となる。 東京大学仏文科卒業後、渡仏。その時の日記『パリの手記』(1973年 - 1974年)は、辻文学の素材と風土を語る貴重な資料である。滞仏中にギリシア旅行をし、パルテノンの神殿に永遠の人間のあり方を見、『見知らぬ町にて』(1967年)を執筆した。1961年、帰国の途中で書きはじめた『廻廊にて』(1963年)で近代文学賞を受賞。
大城 立裕(おおしろ たつひろ、1925年〈大正14年〉9月… 大城 立裕(おおしろ たつひろ、1925年〈大正14年〉9月19日 - 2020年〈令和2年〉10月27日)は、日本の小説家。 沖縄県中城村出身。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)を経て、1943年上海の東亜同文書院大学に入学し、1946年、敗戦により中退。高校教師を経て琉球政府、引き続き沖縄県庁の職員となり、主に経済・歴史編集畑を歩む。1967年、『カクテル・パーティー』で芥川賞を受賞し、沖縄初の芥川賞作家となる。「沖縄」の矛盾と苦しみと誇りをみつめた小説、戯曲やエッセーなど多くの作品を発表した。県の文化行政にも積極的に関わり、1983年から1986年まで沖縄県立博物館長を務めた。
津田 信 (つだ しん、 1925年9月1日 - 1983年… 津田 信 (つだ しん、 1925年9月1日 - 1983年11月22日) は、日本の小説家。東京府出身。本名は、山田 勝雄 (やまだ かつお)。 東京府立第三商業学校卒業。満州の予備士官学校に在学中の1944年に応召し、第59師団に配属される。翌1945年の敗戦によりソ連軍の捕虜となるが、発疹チフスに罹患したためシベリア抑留は免れた。 1947年に帰国後、小島政二郎に師事し、徳田秋声の作品を研究。日本経済新聞社勤務中から小説を発表。1966年に同社を退社し、筆一本となる。受賞には至らなかったが、『日本工作人』などで芥川賞や直木賞の候補に合計8回上っている。 著書『幻想の英雄』で、フィリピンのルバング島から30年ぶりに帰国して注目されていた元陸軍少尉、小野田寛郎のベストセラー『わがルバング島の30年戦争』(1974)およびその元になった週刊誌連載の「手記」のゴーストライターであると名乗りを挙げ、「手記」に書けなかった部分や執筆にまつわる出来事を明らかにして話題になった。
丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月2… 丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 - 2012年(平成24年)10月13日)は、日本の小説家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 主な小説作品に『笹まくら』『年の残り』『たった一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』『女ざかり』など。文字遣いは、1966年から74年までを除いて、独自の歴史的仮名遣いを使用。日本文学の暗い私小説的な風土を批判し、軽快で知的な作品を書くことを目指した。評論・随筆も『忠臣藏とは何か』『後鳥羽院』『文章読本』など長年にわたり多く刊行し、また英文学者としてジョイスの『ユリシーズ』の翻訳などにも携わった。座談や講演も多く行い「文壇三大音声」の一人と自負していた。
山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 19… 山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 1999年6月12日)は、日本の政治活動家、アナキスト、作家。日本社会党と日本共産党に双方に入党し、共産党では志田派として中核自衛隊にも参加したが、後に両党から除名された。 1925年横浜市に生まれる。横浜第二中学校卒業後、1942年東京美術学校油画科入学、1943年第一高等学校文科入学、1944年旅順高等学校入学。旅順高等学校での学生生活が関東軍指揮下であることに反発し、朝鮮人の友人三人とともに脱走し、満州、朝鮮半島を南下し、日本本土に戻る。戦時下には太宰治に私淑し、1942、3年頃太宰の自宅を訪問し面会。 長野県で終戦を迎え、第一次日本アナキスト連盟に参加。
佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日… 佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日本の俳優・童話作家・実業家。神奈川県横浜市、現在の保土ケ谷区出身。アクターズ・セブン所属。身長168cm。神奈川県立横浜第三中学校卒業。
神津 友好(こうづ ともよし、1925年8月8日 - 201… 神津 友好(こうづ ともよし、1925年8月8日 - 2019年12月28日)は、日本の放送演芸作家。 長野県小県郡中塩田村(現上田市)生まれ。旧制丸子農商学校(長野県丸子修学館高等学校)を経て、上智大学文学部新聞学科在学中に学徒出陣で兵役に就くが、訓練中に終戦を迎えたために復員する。 戦後に上智大学に復学し卒業した後に「より文学上の知識を得たい」として法政大学文学部英文科に入学し、4年間学ぶ。法政大学卒業後は雑誌や業界紙記者をへて、1953年から演芸台本作家となる。 手掛けた主な放送番組に『やじうま寄席』(日本テレビ放送網)、『お好み演芸会』、『演芸風土記』(共に日本放送協会)などがある。 1970年からはNHK演芸担当者と協力して漫才師を志す新人向けの勉強会を定期的に行うなど、新人発掘やサポートも手掛けた。
須山 静夫(すやま しずお、1925年7月22日 - 201… 須山 静夫(すやま しずお、1925年7月22日 - 2011年7月10日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家、小説家。 静岡市出身。1943年、静岡県立静岡中学校卒業。横浜工業専門学校造船科卒業後、1947年、農林省水産局漁船課に入省。1952年より、ガリオア資金による留学生としてアメリカに渡り、ミシガン大学で1年間学ぶ。ここで妻となる越川さち(後、共立女子大学教授)と知り合う。その後、明治大学文学部夜間三年に編入学し、青沼一郎の教えを受け、1954年、ハーマン・メルヴィル「モービー・デイック」論により卒論提出。明治大学大大学院に進学。越川さちと結婚、農林省水産庁退職。1956年、明治大学文学部助手。
村野民子(むらの たみこ、1925年7月19日ー2017年6… 村野民子(むらの たみこ、1925年7月19日ー2017年6月12日)は、日本の作家。 東京生まれ。東京都立第五高等女子学校(現富士高校)卒。1951年から四年間、平林たい子の秘書を務める。97年『対馬 こころの島』(筆名・村野温)でやまなし文学賞を受賞した。
能見 正比古(のみ まさひこ、1925年7月18日 - 19… 能見 正比古(のみ まさひこ、1925年7月18日 - 1981年10月30日)は、日本の作家、編集者、放送作家。血液型と気質・性格を関連づける「血液型人間学」に関する著作で知られ、1970年代以降の日本における血液型性格分類の普及に影響を与えた。相撲、落語、スポーツなどに関する著作もある。 東京大学工学部電気工学科を卒業し、同大学法学部政治学科を中退した。三木鶏郎文芸部に入り、放送作家としてラジオの脚本やコントを執筆した。その後、学習研究社に勤務し、百科事典編集長などを務めた。相撲にも関心を持ち、『相撲部屋物語』『横綱物語』などを刊行した。1981年10月30日に死去した。 1971年に『血液型でわかる相性』を刊行した。
井上 太郎(いのうえ たろう、1925年7月14日 − 20… 井上 太郎(いのうえ たろう、1925年7月14日 − 2022年3月18日[要出典])は、日本の作曲家、クラシック音楽評論家、作家である。湘南モーツァルト愛好会名誉会長。日本音楽療法学会元理事。 江戸時代から日本橋本石町に続く薬種問屋の江戸っ子7代目。生まれたのは1925年7月、東京都渋谷区桜丘。女中がいつも4人はいる環境で育つ。姉に妹2人の真ん中の男で、特別大事にされた。祖父と父は薬よりも化粧品の製造に力を入れ、その結果生まれたオシドリ銘柄のポマード、香水、椿香油は、大正、昭和前半の花形となった。 近所の大和田小学校に入学した頃、近くに住む高という英語の通訳に英会話の基礎を習った。この通訳の息子はチェリストの高勇吉で、娘はヴァイオリニストの高珠枝である。
吉村 証子(よしむら あかしこ、1925年(大正14年)7月… 吉村 証子(よしむら あかしこ、1925年(大正14年)7月3日 - 1979年(昭和54年)4月23日)は、日本の科学史家、児童科学読物作家、科学読物研究家。 農政学者・小出満二(こいで まんじ)の双子の次女として福岡に生まれ、その後、東京に移った。1947年に津田塾専門学校(現:津田塾大学)理科1期生として物理化学科を卒業、1951年に東京大学理学部地球物理学科を卒業。普連土学園、神田女学園で講師をしながら平凡社の『理科事典』『科学技術史年表』の編集・執筆に当たる。1955年弁護士・吉村節也と結婚。1956年津田塾大学講師となり亡くなるまで科学史を教える。1967年日本子どもの本研究会を設立、副会長。
杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 20… 杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 2017年5月31日)は、日本の小説家、歴史小説家、文化勲章受章者。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。旧制千代田女子専門学校(現 武蔵野大学)、文化学院卒業。 1952年、「燐の譜」で『サンデー毎日』の懸賞小説に入選、選考委員である吉川英治に師事する。吉川死去の翌年、『孤愁の岸』で第48回(1962年下半期)直木賞を受賞。以後、歴史小説家として活躍する。また、一般向けの歴史書も記している。 1985年に、『マダム貞奴』および『冥府回廊』を原作とするNHK大河ドラマ『春の波濤』が放映される。作品が舞台演劇として上演された数も多い。
濱尾 実(はまお みのる、1925年6月20日 - 2006… 濱尾 実(はまお みのる、1925年6月20日 - 2006年10月25日)は、日本の侍従、皇室解説者、作家、教育者。子爵。東宮侍従や東宮傅育官を務めた。作家としては浜尾 実(読み同じ、新字体)の名義で著書を多く残した。 東京大学工学部応用化学科卒業。熱心なカトリック信者で、1946年(昭和21年)12月21日に東京の世田谷教会で受洗した。洗礼名はセバスチアノ。 1945年(昭和20年)に兄・誠が戦死すると、爵位を継いで子爵となった。1951年(昭和26年)に東宮傅育官として皇太子明仁親王に仕え、その後東宮侍従となってからは浩宮徳仁親王・礼宮文仁親王兄弟の幼少時の教育に当たった。多忙な皇太子夫妻に代わって、親王の学校行事・面談に出席することもあった。
古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018… 古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。 山口県下関市出身、18歳で航空機製造会社に入社し、1945年に召集され、兵庫県・丹波篠山の航空通信連隊で教育期間中、終戦を迎えた。 復員し宇部市立高等学校(現:山口県立宇部中央高等学校)定時制に編入学、1953年に山口大学教育学部を卒業。中学教師を経て山口新聞社に入り、記者や編集局長を務める。1970年に退社し作家専業となった。 郷土作家として、作品の大多数は、戦国期の毛利家、幕末期の長州藩、明治維新後の山口県(周防国・長門国)の関連人物を取り挙げた歴史小説・随筆であった。 古川は、芥川賞受賞作家の火野葦平の講演を2度聴いている。
朽木 寒三(くちき かんぞう、1925年5月20日 - 20… 朽木 寒三(くちき かんぞう、1925年5月20日 - 2019年5月22日)は、日本の作家。 北海道生まれ。本名・水口安典。東京農林専門学校(現:東京農工大学)卒。在学中に召集され、中国戦線に従軍。「馬」を扱う兵士の苦しみを体験したことが、馬賊物の傑作「馬賊戦記」を生む下地になった。
菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆう… 菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆうじろう)、1925年5月15日 - 1999年4月3日)は、日本の作家・小説家。神奈川県平塚市出身。 旧制湘南中学を経て、1944年に仙台陸軍予備士官学校へ入学。翌年卒業し秋田へ見習士官として赴任したが、そこで終戦を迎える。復員直後から早稲田大学文学部英文学科へ通い、この頃から執筆活動を始める。 1948年、大学卒業と共に読売新聞社へ入社。社会部の記者として活動する傍らで執筆活動を行うようになり、同年6月に『川の上』1949年10月に『死臭』を発表し作家としてデビュー。1954年には『受胎告知』が第32回芥川賞候補となる。 この頃までは本名で活動していたが、やがて記者活動との兼ね合いから、1955年の結婚を境に「菊村到」のペンネームで執筆を行うようになる(後述)。
井口 朝生(いぐち あさお、1925年(大正14年)5月6日… 井口 朝生(いぐち あさお、1925年(大正14年)5月6日 - 1999年(平成11年)4月9日)は、日本の歴史小説作家、時代小説作家。日本文芸家協会会員。 東京生まれ。日本大学文学部(歴史専攻)卒業。父は時代小説作家の山手樹一郎。弟は国文学者の井口樹生。姪は詩人の井坂洋子。 少年時代は堀辰雄や立原道造の作品を愛読した。小説の道に進むべく、棟田博主宰の小説勉強会「風らい会」に参加。父には内緒で講談倶楽部賞に応募、佳作を受賞するが、同じ住所であったために父にばれてしまい、一騒動あったと言う。童門冬二、永井路子、平岩弓枝ら、講談倶楽部賞関係の新人が集まった『小説会議』に参加、父が同人誌のスポンサーとなる。