高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 198… 高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 1985年3月23日)は、日本の薬学者、薬害問題の運動家。 山形県生まれ。大連、東京で育つ。東京都立小石川高等学校卒、1959年京都大学医学部薬学科卒、64年同大学院薬学研究科博士課程満期退学。1981年「戦後薬害問題の研究」で北海道大学薬学博士。関西医科大学助手、立命館大学、京都府立医科大学講師を務めた。スモン、サリドマイドなど薬害問題にとりくむが、子供の頃のカリエスが33歳で再発し、病と戦いつつ50歳で死去した。反戦平和運動にも挺身。妻は高野恵美子(1938年京都府生まれ、旧姓森本。1962年神戸薬科大学卒業。会社勤務を経て1964年国立京都病院検査技師。
米倉 明(よねくら あきら、1934年10月1日 - )は、… 米倉 明(よねくら あきら、1934年10月1日 - )は、日本の法学者。東京大学法学部名誉教授。専門は民法。加藤一郎門下。弟子に道垣内弘人、角紀代恵、沖野眞已など。 研究対象は財産法から家族法に至るまで全分野に及んでおり、それぞれで高い評価を受けているが、とりわけ担保法の権威として知られる。また、特別養子制度の創設においては、人道的見地から積極的にこれを支持し、法理論における指導的立場に立った。 また2005年には、穂積八束の有名な論文の題名「民法出デテ忠孝亡ブ」をもじった「法科大学院出デテ研究亡ブ」という言葉で法学教育のあり方に疑義を呈するなど、活発に活動を続けている。 愛知県名古屋市出身。
伊奈 努(いな つとむ、1934年10月1日 - 1984年… 伊奈 努(いな つとむ、1934年10月1日 - 1984年9月1日)は、愛知県宝飯郡御津町(現:豊川市)出身のプロ野球選手。1953年から1956年の登録名は伊奈 勉(読み同じ)。
御巫 清泰(みかなぎ きよやす、1934年(昭和9年)10月… 御巫 清泰(みかなぎ きよやす、1934年(昭和9年)10月1日 - 2012年(平成24年)7月7日)は、昭和から平成時代の土木技術者、実業家。運輸省港湾局長、関西国際空港会社社長を歴任。 1958年(昭和33年)東京大学土木工学科卒業。運輸省に入省し、港湾局環境整備課長、港湾局計画課長、港湾局技術参事官、港湾局長などを歴任。1998年(平成10年)関西国際空港代表取締役社長に転じ、2003年(平成15年)日本港湾協会会長となった。ほか、土木学会理事、関西支部長などを務めた。2005年(平成17年)土木学会功績賞受賞。2012年(平成24年)7月7日、急性硬膜下血腫により死去した。
高橋 正康(たかはし まさやす、1934年10月1日 - … 高橋 正康(たかはし まさやす、1934年10月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1957年に新潟大学人文学部経済学科を卒業し、同年4月に北越銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1999年4月から2003年4月までに頭取を務めた。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森口 親司(もりぐち ちかし、1933年10月1日 - )は… 森口 親司(もりぐち ちかし、1933年10月1日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、大阪大学名誉教授。専門は数量経済政策、世界経済論。Ph.D(ミシガン大学)(1963年)。福岡県出身。Fellow of the Econometric Society。
大井 浩二(おおい こうじ、1933年10月1日 - )は、… 大井 浩二(おおい こうじ、1933年10月1日 - )は、日本のアメリカ文学者。関西学院大学名誉教授。 高知県生まれ。1956年大阪外国語大学英語学科卒業、1958年旧東京都立大学大学院英文科修士課程修了。大阪外国語大学助教授、神戸女学院大学助教授、関西学院大学教授、2002年定年退任、名誉教授、神戸女子大学教授。2007年退職。
本間 千枝子(ほんま ちえこ、1933年10月1日 - )は… 本間 千枝子(ほんま ちえこ、1933年10月1日 - )は、日本のノンフィクション作家、随筆家。 東京生まれ。早稲田大学文学部仏文科中退。早稲田大学4年の時にニューヨーク市立大学クイーンズ校に留学し、本間長世と知り合い結婚。その後4回、通算7年間の滞米生活を送る。 1982年、『アメリカの食卓』でサントリー学芸賞受賞。この時の肩書は主婦であった。その後次々と食を中心としたエッセイを書く。 画家・石垣栄太郎の記念美術館を建てる運動にも参加した。 三鷹市教育委員・委員長 (1994年〜2002年) のときに務めた三鷹の森ジブリ美術館理事、日本人のこころを考える会100人委員会委員を歴任。 またNPO法人「海のくに・日本」副理事長として魚食を中心とした食育にかかわり、日本酒と日本文化の普及や発展に尽くしたとして名誉唎酒師酒匠に任命された (第7回平成18・2006年)。
大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )… 大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )は、日本の作家、ノンフィクション作家。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。本名・小山玲子。妹に女優の大森暁美、弟に数学者の大森英樹がいる。1955年東北大学法学部卒業。NHKに入り、教育局テレビディレクター。62年結婚して退社。1972年「黎まやこ」名義「五月にー」で文學界新人賞受賞、1981年「大河の一滴」で読売「女性ヒューマンドキュメンタリー」大賞を受賞した。受賞作は夫の連れ子だった脳性まひの義理の息子を描いたもの。
黒田 眞(黒田真、くろだ まこと、1932年10月1日 - … 黒田 眞(黒田真、くろだ まこと、1932年10月1日 - 2026年4月5日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官などを歴任。 東京都出身。東京都立小山台高等学校を経て、1955年に東京大学法学部卒業、同年、通商産業省入省。ジュネーブ代表部一等書記官、通商政策局国際経済課長、通商政策局長など通商畑を歩む。 1980年代半ばから半導体をめぐり激化した日米貿易摩擦における日本側当事者の一人。当時の交渉過程で米国側から「タフ・ネゴシエーター」の異名を付けられたことで知られている。 通産審議官在任中の1987年4月17日、日米半導体協定交渉の最終段階における「対日措置」発動の際の、日本側責任者の一人であった。
米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月… 米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月1日 - 2011年(平成23年)9月16日)は、日本の航空自衛官。第19代航空幕僚長。 神奈川県横浜市出身。横浜第一中学、希望ヶ丘高校を経て、青山学院大学へ進み、学生時代はラグビーに熱中した。入隊の動機は、1955年(昭和30年)頃は不況で入社を予定していた会社は皆、採用中止となり、自衛隊に入隊した親戚やラグビー部の同輩に相談し、入隊を勧められた。陸上自衛隊の採用試験を受験し、第15期一般幹部候補生として採用されたが、採用となってから航空自衛隊のパイロット要員が足りないため、空自に行かないかとの話があり、興味もあったことから航空自衛隊に入隊した。
宮尾 嶽雄(みやお たけお、1932年10月1日 - 201… 宮尾 嶽雄(みやお たけお、1932年10月1日 - 2016年)は、日本の哺乳類学者。元愛知学院大学教授。 東京生まれ、長野県出身。信州大学教育学部松本分校卒業。在学中、昆虫学者清水三雄の指導を受けるが、医学部解剖学教室に入局するにあたり、哺乳類の解剖を研究テーマとする。信州大学医学部第二解剖学教室助手、教授を経て、愛知学院大学教授。1968年、信州大学医学博士。論文の題は 「食性の身体諸器官発育および構造におよぼす影響 : 長野県産ネズミ類の種的特徴とその評価」。 日本各地における小型哺乳類の分布や生態に関する基礎研究を固めた。また、日本哺乳類学会の前身である日本哺乳動物学会の評議員や大会長を務めるなど、日本の哺乳類学の確立に貢献した。
斯波 重治(しば しげはる、1932年10月1日 - )は、… 斯波 重治(しば しげはる、1932年10月1日 - )は、日本の音響監督である。東京都下北沢出身。元オムニバスプロモーション代表取締役社長、相談役。 東京教育大学卒業。劇団自由劇場を創立し、舞台を中心に活躍。 1960年にNHKで放送された海外ドラマ『陽気なネルソン』で声優デビュー。だが一言ですぐに終わる役などが多かったため、裏側に入って見学をした際に「ああそうか、こうやって録音してやっていくんだな。、」と音声製作の手順を覚えたという。その後小山源喜の紹介で音響監督の仕事を始める。 1963年に設立されたオムニバスプロモーションのメンバーに加わり、テレビ洋画の吹き替えの演出を手掛けた後、1972年に放映開始された『科学忍者隊ガッチャマン』でテレビアニメの音響監督(録音ディレクター)を初めて務めた。
大里 晴信(おおさと はるのぶ、1931年10月1日 - 2… 大里 晴信(おおさと はるのぶ、1931年10月1日 - 2019年4月21日)は、茨城県常総市出身の元プロ野球審判員。審判員袖番号は5。 茨城県立水海道第一高等学校(のちに同校野球部監督も務めた)を経て法政大学を卒業後、1959年にセ・リーグ審判部入局。1981年からインサイドプロテクターを使用し、長らく中堅審判員として活躍したが、1973年6月12日の巨人対阪神タイガース戦で江夏豊が王貞治に対して投じた内角球をボールと判定したところ不服に思った江夏に突き飛ばされて、江夏を退場処分とした。また1990年の巨人対ヤクルト開幕戦で、巨人の打者・篠塚和典がヤクルトの内藤尚行から放ったライトポール際の打球を、一塁塁審の大里がホームランと判定した。
野村 靖(のむら やすし、1931年(昭和6年)10月1日 … 野村 靖(のむら やすし、1931年(昭和6年)10月1日 - 2017年(平成29年)5月22日)は、日本の政治家。阿南市長。徳島県阿南市出身。徳島県立新野高等学校卒業。位階は正五位。旭日小綬章。 1950年、徳島県立新野高等学校卒業。1952年、旧福井村役場奉職に就任。1955年、旧橘町事務吏、1958年、阿南市事務吏に就任。その後、同市の建設部長・総務部長・企業局長を経て1986年に同市助役に就任。 1987年、阿南市長選に当選し2003年まで4期を務める。また、徳島県市町村職員共済組合理事長・徳島県河川協会会長などを歴任。2006年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2017年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
野村 靖(のむら やすし、1931年(昭和6年)10月1日 … 野村 靖(のむら やすし、1931年(昭和6年)10月1日 - )は、日本の政治家。元阿南市長。徳島県阿南市出身。徳島県立新野高等学校卒業。
高木 公男(たかぎ きみお、1930年10月1日 - )は、… 高木 公男(たかぎ きみお、1930年10月1日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
本禄 哲英(もとろく てつえい、1930年(昭和5年)10月… 本禄 哲英(もとろく てつえい、1930年(昭和5年)10月1日 - 2017年(平成29年)12月29日)は、日本の政治家。北海道北広島市長。 北海道天塩郡天塩町に生まれる。1956年(昭和31年)中央大学法学部を卒業し、北海道宗谷支庁に奉職する。次いで北海道庁に転じ、北海道民生部次長、札幌医科大学事務局長、北海道総務部知事室長、北海道議会事務局長を経て、1987年(昭和62年)10月、退職する。その後、北海道熱供給公社常務取締役を経て、1993年(平成5年)7月、広島町長に当選。1996年(平成8年)9月、市制施行により北広島市長となった。 2008年(平成18年)春の叙勲で旭日小綬章受章。
村瀬 敏夫(むらせ としお、1930年10月1日- )は、日… 村瀬 敏夫(むらせ としお、1930年10月1日- )は、日本の国文学者。東海大学名誉教授。 横浜市生まれ。1959年早稲田大学大学院国文学博士課程満期退学、79年「紀貫之伝の研究」で早稲田大学文学博士。東海大学講師、助教授、教授、96年定年退任、名誉教授。『古今和歌集』などが専門。
小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 201… 小見山 輝(こみやま てる、1930年10月1日 - 2018年7月1日) は、日本の歌人。本名・輝(あきら)。龍短歌会代表(1995 - 2018)。 1930年、岡山県笠岡市神島に生れる。1945年14歳で満蒙開拓青少年義勇軍に参加し満州に渡り、1946年に引き揚げ帰郷。1950年「林間」に入会。1951年「龍」入会。服部忠志に師事。1953年加藤克巳の「近代」に参加。1995年「龍」代表。万葉集や釈迢空の歌に親しみ、人間存在の根源的な虚ろを見つめ、生の華やぎや、かそけさをすくいとる作風に特徴がある。岡山県歌人会会長、日本歌人クラブ中国地区代表幹事などを歴任。万葉歌碑建立にも尽力した。2012年岡山地域文化賞受賞。
澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 201… 澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 2018年5月21日)は、日本の実業家。丸栄代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部百貨店協会会長などを務めた。 愛知県出身。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1949年名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)卒業、東海銀行入行。東海銀行専務などを経て、1986年丸栄副社長。1989年丸栄社長。1996年キタン会会長。1998年丸栄会長。2001年退任。中部百貨店協会会長なども務めた。2018年肺炎のため死去。享年89。
松田 修(まつだ おさむ、1927年10月1日 - 2004… 松田 修(まつだ おさむ、1927年10月1日 - 2004年2月6日)は、日本の国文学者、文芸評論家。国文学研究資料館名誉教授。近世文学専攻。 京都大学卒業、同大学院に学ぶ。福岡女子大学助教授を経て、国文学研究資料館教授、法政大学教授を務めた。井原西鶴の研究から始まり、芸能史、民俗学の知見を踏まえ、近世文化における闇の部分を評論家的な筆致で論じ、広末保とともに影響を与えた。映画論も書いた。著作集全8巻がある。 2004年2月6日、午後0時20分、死去。
北島 春信(きたじま はるのぶ、1927年10月1日 - )… 北島 春信(きたじま はるのぶ、1927年10月1日 - )は、日本の児童文学作家。熊本県生まれ。法政大学法学部法律学科卒。「草っぱらの子どもたち」で日本児童演劇協会賞受賞。成城学園初等学校教諭。児童読物、児童劇などを書いた。
原田 奈翁雄(はらだ なおお、1927年10月1日 - 20… 原田 奈翁雄(はらだ なおお、1927年10月1日 - 2024年7月6日)は、日本の編集者、出版者。 東京府生まれ。皇国少年として戦時下を送る。1952年明治大学を卒業、筑摩書房入社。『展望』『人間として』『終末から』編集長などを務める。べ平連の活動にも積極的に参加する。1978年の同社倒産の責任をとって退社。当時の役職は取締役編集局次長。原田の薫陶を受けた編集者に柏原成光、松田哲夫がいる。 1980年に山代巴、林竹二、上野英信らの後押しを受けて径書房を創業。発刊1冊目は筑摩書房創業者・古田晃の回想文集『そのひと ある出版者の肖像』(臼井吉見編)。山代巴『囚われの女たち』(全10巻)『山代巴文庫』(全8巻)、上野英信『上野英信集』(全5巻)、林竹二『問いつづけて』『教育の根底にあるもの』、桑原史成『水俣 終わりなき30年 原点から転生へ』、『長崎市長への7300通の手紙』(径書房編集部編。
宮本 忠長(みやもと ただなが、1927年10月1日 - 2… 宮本 忠長(みやもと ただなが、1927年10月1日 - 2016年2月25日)は、日本の建築家。 長野県須坂市生まれ。1951年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、佐藤武夫建築事務所に勤務した。1964年に郷里に戻り、1966年に宮本忠長建築設計事務所を設立した。その後、長野県建築士会会長、日本建築士会連合会会長、国土交通省中央建築士審査会委員、長野市都市景観賞審査委員等を歴任した。2016年2月25日に胆管腫瘍のため死去。
和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日… 和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員(3期)、元衆議院議員(1期)。 石川県金沢市生まれ。金沢一中、専修大学法学部を経て、1957年(昭和32年)同大大学院法学研究科私法学専攻を修了。東京都庁に入り新宿区役所に勤務。全日本自治団体労働組合組織部長などを経て、1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で日本社会党から全国区に立候補し初当選(以後10回・12回と連続3選)。以降3期目の任期終了直前まで務めた。1970年(昭和45年)11月には参議院決算委員会で、自民党と産経新聞の癒着について質している。 1986年(昭和61年)7月6日執行の衆参同日選挙となった第38回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補。
森塚 敏(もりつか びん、1926年〈大正15年〉10月1日… 森塚 敏(もりつか びん、1926年〈大正15年〉10月1日 - 2006年〈平成18年〉6月19日)は、日本の俳優。本名と漢字は同じだが、もりつか としと読む。 東京市下谷区(現・東京都台東区)出身。慶應義塾大学専門部国文科卒業。劇団青年座に所属していた。 1947年に劇団俳優座に入団。 1954年、山岡久乃、東恵美子、初井言榮、成瀬昌彦ら若手メンバーと劇団青年座を結成。劇団の座長として、西田敏行、津嘉山正種、高畑淳子などを育てる。 穏やかな性格と人望から、日本劇団協議会会長や芸術家会議副会長、日本俳優連合の常任顧問などの要職も務めた。 私生活では1956年に同じく青年座の創立メンバーだった山岡久乃と結婚したが、1971年に離婚。
内田 英治(うちだ えいじ、1926年10月1日 - 199… 内田 英治(うちだ えいじ、1926年10月1日 - 1993年10月11日)は、日本の気象学者。 東京市(現荒川区)出身。1949年東京大学理学部地球物理学科卒、1968年「雲核の物理的化学的研究」で東北大学理学博士。1951年気象研究所に入り、物理気象研究部第二研究室長、1971年下関地方気象台長、1973年札幌管区気象台技術部長、1974年気象庁長期予報課長、1976年予報課長、1978年気象研究所予報研究部長、1981年気象庁観測部参事官、1983年大阪管区気象台長、1984年気象庁予報部長、1985年気象庁長官。1987年退官。プロテスタント信徒。
柴田 三千雄(しばた みちお、1926年(大正15年)10月… 柴田 三千雄(しばた みちお、1926年(大正15年)10月1日 - 2011年(平成23年)5月5日)は、日本の西洋史学者。専門はフランス革命史。東京大学名誉教授。 1926年10月1日、京都市で生まれた。東京大学文学部西洋史学科で学び、1948年に卒業。 1957年に東京大学文学部西洋史助教授に就いた。1968年に教授昇格。在任中は同大学文学部学部長も務めた。1987年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後はフェリス女学院大学教授を務めた。学界では史学会理事長を務めた。2011年5月5日、肺炎のため死去。84歳没。 専門は西洋史で、フランス革命の研究を中心とする社会史、政治史。高校教科書『世界の歴史』『新世界史』『現代の世界史』の編集執筆者でもあった。
小倉 襄二(おぐら じょうじ、1926年(大正15年)10月… 小倉 襄二(おぐら じょうじ、1926年(大正15年)10月1日 ‐ 2014年(平成26年)12月7日)は、日本の社会政策学者。同志社大学名誉教授。社会問題・社会保障論・社会福祉体系・公的扶助論専攻。元日本社会福祉学会理事。 京都府京都市生まれ。同志社大学卒業。同志社大学文学部社会学科助教授、教授、文学部長、1997年定年退職、名誉教授、新島学園女子短期大学学長、2001年大阪人間科学大学特任教授。 2014年12月7日、慢性腎不全のため死去。
和久本 貞雄(わくもと さだお、1925年10月1日 - 2… 和久本 貞雄(わくもと さだお、1925年10月1日 - 2011年5月17日 )は、日本の歯学者・歯科医師。昭和大学名誉教授。元昭和大学歯学部長。正五位瑞宝中綬章。 1943年京北実業学校卒業、1948年東京医学歯学専門学校卒業、東京医科歯科大学講師、助教授を経て1969年より東北大学教授、1979年より昭和大学歯学部教授、1985年より同歯学部長、1991年より名誉教授。 1959年 東京医科歯科大学より医学博士の学位を得る。学位論文は「模型ごとに埋没する鋳造方式について 」。
坂井 健一(さかい けんいち、1925年10月1日 - 20… 坂井 健一(さかい けんいち、1925年10月1日 - 2020年11月12日)は、日本の中国語・日本語学者。 新潟市生まれ。1950年東京文理科大学漢文学科卒。1952年同研究科退学。1952年東京都立小松川高等学校教諭、1962年日本大学文理学部講師、1965年助教授、1971年教授。1995年定年、名誉教授。1979年「魏晋南北朝字音研究 経典釈文所引音義攷」で日本大学文学博士。2006年瑞宝中綬章受勲。
稲川 誠一(いながわ せいいち、1925年(大正14年)10… 稲川 誠一(いながわ せいいち、1925年(大正14年)10月1日 - 2016年(平成28年)6月28日)は、日本の自動車技術者。第3代スズキ株式会社取締役会長を務めた。藍綬褒章受章。科学技術庁長官賞受賞。 1945年浜松工業専門学校(のちの静岡大学工学部)精密機械科卒業、鈴木式織機(のちのスズキ)入社。自動車技術者として、スズキ・スズライト、スズキ・キャリイ、スズキ・フロンテ360、1979年5月にモノグレード47万円の全国希望小売価格で発売し大ヒットした初代アルト(SS30型)などを開発。1964年技術部長。1970年技術サービス部長。1973年取締役技術管理部長に昇格。1979年常務取締役。
伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月… 伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月1日 - 2020年(令和2年)2月24日)は、日本の指揮者。音楽教育者。ピアニスト。東京学芸大学名誉教授、創価大学名誉教授、東京芸術大学講師。一部に名前の表記を榮一としているものがある。 東京市出身。1950年(昭和25年)東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)本科器楽科卒。 指揮法を渡辺暁雄、金子登、クルト・ヴェス、ピアノを水谷達夫、作曲を高田三郎に師事。 1951年(昭和26年)、金子登主催の東京オペラ協会によるプッチーニ『トゥランドット』、続くヨハン・シュトラウス2世『こうもり』(共に本邦初演)の公演の際に副指揮を担当。1952年(昭和27年)二期会設立と共に二期会合唱団初代常任指揮者としてモーツァルト『フィガロの結婚』、『魔笛』、ビゼー『カルメン』、ヴェルディ『椿姫』等数多くの演奏会やオペラを指揮。
伊勢 辰雄(いせ たつお、1925年(大正14年)10月1日… 伊勢 辰雄(いせ たつお、1925年(大正14年)10月1日 - 2006年(平成18年)11月26日)は、昭和から平成時代の政治家。山形県東根市長。勲五等瑞宝章。 東根市出身。日本大学専門部卒業。 東根町職員、山形県建築士会副会長、建築設計事務所会長、東根市振興審議会委員を経て、1990年(平成2年)東根市長に当選。2期務め、1998年(平成10年)引退した。2002年春の叙勲で勲五等瑞宝章を受章。2006年(平成18年)11月26日死去、81歳。死没日をもって正六位に叙される。
坂村 貞雄(さかむら さだお、1925年(大正14年)10月… 坂村 貞雄(さかむら さだお、1925年(大正14年)10月1日- 2020年(令和2年)3月6日)は、日本の農学者・化学者。位階は従三位。専門は、農芸化学・農産物利用学・天然物有機化学。学位は、農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元帯広畜産大学学長。 群馬県館林市生まれ。1948年(昭和23年)北海道大学農学部卒。同農学部助手。1959年(昭和34年)マサチューセッツ大学に留学。1960年(昭和35年)北海道大学農学部助教授。1968年(昭和43年)同農学部教授。1987年(昭和62年)同農学部長。1989年(平成元年)北海道大学停年退官。同名誉教授。酪農学園大学酪農学部教授。1990年(平成2年)帯広畜産大学8代学長に就任。
乙羽 信子(おとわ のぶこ、1924年10月1日 - 199… 乙羽 信子(おとわ のぶこ、1924年10月1日 - 1994年12月22日)は、日本の女優。本名:新藤信子(旧姓:加治)、愛称は「オカジ」(旧姓より)。 鳥取県西伯郡米子町(現:米子市)西倉吉町に生まれる。父の家に引き取られ、大阪で育つ。間もなく、饅頭屋の養女となり、神戸市に移る。 小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになる。 1937年(昭和12年)、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学。宝塚歌劇団27期生。同期生に越路吹雪、浦島千歌子、瑠璃豊美、東郷晴子、月丘夢路、大路三千緒らがいる。この芸名は養母が信仰する新興宗教の教師が命名した。
南 悠子(みなみ ゆうこ、1923年10月1日 - 2013… 南 悠子(みなみ ゆうこ、1923年10月1日 - 2013年3月2日)は、女優、元宝塚歌劇団団員(月組・星組主演男役)。本名は上野悠子(うえのゆうこ)。東京府出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は161cm。宝塚歌劇団時代の愛称はユーコさん(本名の悠子から)。 宝塚歌劇団29期生。宝塚歌劇団では淡島千景、久慈あさみと共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。頌栄高等女学校(現・頌栄女子学院中学校・高等学校)出身。 1939年、宝塚音楽舞踊学校(現・宝塚音楽学校)に入学。 1941年、宝塚歌劇団に入団。初舞台公演演目は『正行出陣』である。宝塚入団時の成績は17人中7位。 また、宝塚在籍時においても南は映画やテレビドラマに数多く出演していた。
萩原 幸雄(はぎはら ゆきお、1923年10月1日 - 19… 萩原 幸雄(はぎはら ゆきお、1923年10月1日 - 1978年11月29日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(2期)。 広島県出身。1945年東京帝国大学法学部卒。1948年二級事務官吏銓衡に合格、内務省地方局に配属される。その後、静岡県調査、税務各課長、総理府事務官、広島県税務、財政各課長、同総務部長、同副知事などを経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙において広島1区から自由民主党公認で立候補し初当選、次の1976年の第34回衆議院議員総選挙でも再選した。党内では地方行政、交通の各副部会長、商工局次長などを務めた。 1978年2月以降、持病の糖尿病が悪化しており入退院を繰り返していたが、議員在職中の同年11月29日午後に大量に吐血して県立広島病院に搬送され、肝硬変と糖尿病からの食道静脈瘤破裂のため、同日20時5分、死去した。
前ヶ汐 英太郎(まえがしお えいたろう、1923年10月1日… 前ヶ汐 英太郎(まえがしお えいたろう、1923年10月1日 - 没年不明)は、高砂部屋に所属した元力士。本名は徳野 剛(とくの ごう)。愛媛県西宇和郡伊方町出身。173cm、92kg。最高位は西十両11枚目。得意技は小股掬い。 同郷の前田山英五郎(のちの第39代横綱)が所属する高砂部屋に入門、1938年1月場所に初土俵を踏んだ。1944年11月場所、前田山に倣い前ヶ汐英太郎と四股名を改めた場所に幕下優勝を果たし、1945年6月場所に十両に昇進する。新十両の場所は3勝4敗と負け越し、1場所で幕下陥落。翌1946年11月場所に再十両を果たすも5勝8敗と負け越したところで23歳で廃業。俊敏さを活かしたバリエーションが豊富な激しい取り口であり、特に小股救いを得意とした。
長與 繁(ながよ しげる、1923年10月1日 - 2012… 長與 繁(ながよ しげる、1923年10月1日 - 2012年7月18日)は日本の元競艇選手。長崎県出身で女子プロレスラー長与千種の父。 1952年に大村競艇場で競艇が初開催された際の選手1期生にあたる(登録番号56番)。 生涯成績は通算出走回数:119走、通算勝利:20勝。 引退後は飲食店を経営。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Mats… 松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Matsushita、1922年10月1日 - 1990年12月25日)は、日本の現代音楽の作曲家・数学者・物理学者・宗教学者・哲学者。 大阪府茨木市生まれ。大阪府立旧制茨木中学校を経て、旧制第三高等学校(現・京都大学)に入学する。この間に、父・松下久一より作曲を、中村良治にピアノと和声、永井巴に作曲と和声、朝比奈隆に指揮を師事した。 幼少の頃より、音楽、文学、科学や天文学に関心を抱く。中学時代より、ミヨー、ドビュッシー、オネゲル、ストラヴィンスキー、バッハ等の楽曲に親しむとともに、十二音技法の始祖ヨーゼフ・マティアス・ハウアーの思想に傾倒し、13歳で最初の交響曲を作曲していた。
末次 一郎(すえつぐ いちろう、1922年(大正11年)10… 末次 一郎(すえつぐ いちろう、1922年(大正11年)10月1日 - 2001年(平成13年)7月11日)は、日本の政治活動家。安全保障問題研究会代表。沖縄返還の功労者として知られ、晩年は日ソ専門家会議を主催して北方領土返還運動にも取り組み、「ミスター北方領土」の異名をとった。中曽根康弘首相ら歴代政府首相・首脳のアドバイザーとしても知られる。 佐賀県出身。佐賀商業学校・豊橋第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。 戦後は、国家的に重要な課題に取り組み、終生その活動を継続した。 1999年(平成11年)9月に肺癌の告知を受ける。2000年(平成12年)11月に胃癌を、2001年(平成13年)6月に肝臓転移を告知された。
別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1… 別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
大前 朔郎(おおまえ さくろう 1922年10月1日 - 2… 大前 朔郎(おおまえ さくろう 1922年10月1日 - 2005年6月13日)は、日本の教育者、関西学院大学名誉教授、[経済学者] 京都府出身。1945年(昭和20年)関西学院大学経済学部卒業。後に関西学院大学経済学部教授となり、1952年(昭和27年)には撓競技同好会(翌年剣道部に改名)の部長も務めた。イギリスの社会政策学などに関連する翻訳、著作等を多数執筆した。 2005年(平成17年)6月13日、兵庫県西宮市の病院で死去。享年82歳。
山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10… 山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10月1日 - 1986年(昭和61年)3月22日)は日本の実業家。TBS社長を歴任した。 長崎県平戸市出身。東亜同文書院在学中に兵役に就き、1947年(昭和22年)九州大学法文学部を卒業後、改造社に入社。雑誌「改造」の編集に携わるが、1955年(昭和30年)の廃刊とともにTBSの前身であるラジオ東京に転じ、テレビ編成局長、テレビ本部長、取締役、常務、1975年(昭和50年)5月専務を歴任。 1977年(昭和52年)6月29日、諏訪博の後任として社長に昇格し、東京データビジョン、テレビユー福島などの設立に尽くした。1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)まで日本民間放送連盟会長。
許 国雄(きょ こくゆう 中: 许国雄 Xu Guoxion… 許 国雄(きょ こくゆう 中: 许国雄 Xu Guoxiong 1922年10月1日–2002年5月20日)は台湾(中華民国)の政治家で教育家、医学博士、歯学博士。 元国民大会代表。東方工商専科学校の創設者・学長。元台湾省教育会理事長。中華民国全国教育会監事長。陳水扁政権では僑務委員会顧問を務めた。中国国民党評議委員。 許は、2.28事件で市参議員(市会議員)であった父親を国民党軍に殺されたが、その後、蔣経国(後の中華民国総統)と談判し、台湾の「政治改革」を訴えた。蔣から国民党への入党をすすめられ、入党している。 許は、国民党の中から台湾の政治改革を推進し、自称「李登輝派」として活動した。現在[いつ?]の日本では、国外に亡命して台湾の改革運動に取り組んだ台湾人にばかりスポットが当てられているが、実際は許のように国民党の中からこれを推進した人も数多く存在した[独自研究?]。
秋月 龍珉(あきづき りょうみん、1921年10月1日 - … 秋月 龍珉(あきづき りょうみん、1921年10月1日 - 1999年9月13日)は、日本の仏教学者、倫理学者。埼玉医科大学名誉教授。成城大学講師。 宮崎県宮崎市出身。東京帝国大学文学部哲学科卒。居士身(在家)で禅の修行を行い、50歳を過ぎた1972年に臨済宗妙心寺派の僧籍に入る。臨済正宗『真人会』師家、埼玉医科大学教授、花園大学教授、雑誌『大乗禅』主幹を務めた。
松島静雄(まつしま しずお、1921年10月1日-2007年… 松島静雄(まつしま しずお、1921年10月1日-2007年1月15日)は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。労働社会学、産業社会学専攻。門下に石川晃弘。 東京生まれ。1943年東京帝国大学文学部社会学科卒。東京大学教養学部助教授、1963年教授、1981年定年退官、名誉教授、日本大学文理学部教授、1992年東京都立労働研究所所長。
古岡 勝(ふるおか まさる、1919年(大正8年)10月1日… 古岡 勝(ふるおか まさる、1919年(大正8年)10月1日 - 2005年(平成17年)9月30日)は、福岡県出身の武道家(無双流居合斬道創始者、無双直伝英信流居合道範士十段、柔道六段)、会社役員(学習研究社最高顧問)。武号は二刀斎。 居合は初め夢想神伝流を学び、次いで無双直伝英信流第21代・平井阿字斎より無双直伝英信流を学んだ。 1937年(昭和12年)福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)を卒業後、陸軍予備士官学校に入学。日中戦争に陸軍将校として従軍し、白兵戦で日本刀を使った経験が何度もあるという。最終階級は大尉。 戦後、学習研究社の創業者で叔父の古岡秀人に誘われ、東京に移住して同社に入社した。