杉江 和男(すぎえ かずお、1945年10月5日 - )は、… 杉江 和男(すぎえ かずお、1945年10月5日 - )は、日本の実業家。DIC代表取締役社長や、同社取締役会長、日本化学工業協会副会長、合成樹脂工業協会会長、化成品工業協会会長、サッポロホールディングス取締役などを歴任した。 北海道生まれ。1970年北海道大学大学院工学研究科 修士課程修了、大日本インキ化学工業入社。2001年DIC取締役。2002年DIC常務取締役。2004年DIC専務取締役。 2006年DIC代表取締役副社長。2008年DIC代表取締役副社長執行役員。2009年DIC代表取締役社長執行役員。2010年経済同友会学校と経営者の交流活動推進委員会委員長、日本化学工業協会副会長。
円 つぶら(えん つぶら、本名:清水 規子、女性、1945年… 円 つぶら(えん つぶら、本名:清水 規子、女性、1945年10月5日 - )は、日本の作家。 大阪府生まれ、武庫川女子大学卒。1975年「ノーモア・家族」で小説新潮新人賞受賞。1985年初の著書を刊行、以後作家活動に入る。日本文芸家クラブ理事。 『週刊女性』1991年9月3日号掲載の「事件の中の女性 遊び代欲しさに"逆ナンパ男"を カー狂い女のオトシマエ色模様」が原因で部落解放同盟から糾弾を受けた。この記事は、1991年7月下旬に起きた奈良県の同和地区住民によるモーテル強盗事件を素材にしたもので、いわゆる差別用語は一切使われていなかったが、記事中の「行政の庇護もゆきとどいた規格住宅」「皮革業のクマさん」「ポンコツ屋の安さん」「"ルール無視"は日常茶飯のこと」「柄のわるい所」「タクシーもいやがり、尻ごみする地域」などの表現が被差別部落を暗示するものとされ、糾弾に至ったものである。
進藤 久美子(しんどう くみこ、1945年〈昭和20年〉10… 進藤 久美子(しんどう くみこ、1945年〈昭和20年〉10月5日 - )は、日本のアメリカ史学者、東洋英和女学院大学名誉教授。専攻は、アメリカ史、ジェンダー・スタディーズ。 高知県生まれ。1969年立教大学文学部史学科卒業。1971年ペンシルヴァニア州立大学大学院歴史学研究科修士課程修了。1980年立教大学大学院文学研究科博士課程満期退学。常磐大学講師、東洋英和女学院大学助教授、1996年同国際社会学部教授。1999年「ジェンダー・ポリティックス 変革期アメリカの政治と女性」で九州大学博士(法学)。日本ジェンダー学会第2代副会長。 政治学者の進藤榮一は、久美子の夫にあたる(旧姓不詳)。
松浦 四郎若(まつうら しろわか、1945年(昭和20年)1… 松浦 四郎若(まつうら しろわか、1945年(昭和20年)10月5日 - )は、愛媛県出身の浪曲師。本名は寺坂東。 1945年(昭和20年)10月5日、愛媛県伊方町に生まれる。 1970年(昭和45年)12月24日に25歳で関西の実力派、松浦四郎に入門。松平国十郎とは芸の上で、伯父甥の関係。明治期の三巨頭、新談読みの京山若丸は三代上の大師匠にあたる。 1971年(昭和46年)1月4日に泉佐野市民会館にて演目『秋田蕗』で初舞台を踏む。 1975年(昭和50年)8月23日、テレビ初出演の『NHK新人浪曲コンクール』で最優秀新人賞を受賞。関西を中心に、浪曲の伝統を伝える正統派として活躍している。 2009年(平成21年)度の公演(一心寺門前浪曲寄席における演技)で文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞を受賞した。
栗生澤 猛夫(くりうざわ たけお、1944年10月5日 - … 栗生澤 猛夫(くりうざわ たけお、1944年10月5日 - )は、日本の歴史学者。主専攻はロシア中世・近世史。北海道大学名誉教授。北海道大学文学部長・大学院文学研究科長を歴任。 1944年、岩手県盛岡市で生まれた。1963年3月に岩手県立盛岡第一高等学校卒業し、一橋大学経済学部に進学。1967年に卒業して一橋大学大学院社会学研究科に進み、1971年に修士課程を修了。大学での指導教官は金子幸彦であった。北海道大学大学院文学研究科博士課程に移り、1974年に単位取得退学。 1974年4月、日本学術振興会奨励研究員となった。同1974年10月よりベルリン自由大学東欧研究所に研究留学(ドイツ学術交流会奨学生として)。
岩崎 邦宏(いわさき くにひろ、1944年10月5日 - )… 岩崎 邦宏(いわさき くにひろ、1944年10月5日 - )は、大分県出身の元競泳選手。1964年東京オリンピック競泳男子800mフリーリレー銅メダリスト。大分県立佐伯鶴城高等学校、早稲田大学教育学部卒業。東京・メキシコの2大会に出場。 早稲田大学2年時に出場した1964年東京オリンピックでは400mリレーで4位入賞、800mリレーでこの大会競泳チーム唯一となる銅メダルを獲得する。 1966年アジア競技大会では100m自由形で優勝・日本新、200m自由形で優勝、800mリレーで優勝、400mメドレーリレーで優勝する 1968年メキシコシティーオリンピックでは100m自由形で準決勝敗退、200m自由形予選敗退、400mリレーでは8位、400mメドレーリレーでは5位、800mリレーでは予選敗退。
丹羽 隆昭(にわ たかあき、1944年10月5日 - )は、… 丹羽 隆昭(にわ たかあき、1944年10月5日 - )は、日本のアメリカ文学者。文学博士(京都大学・2001年)。京都大学名誉教授。関西外国語大学教授。 名古屋市生まれ。1967年南山大学文学部英文科卒、1972年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1977年インディアナ大学大学院修士課程修了。南山大学助教授、京都大学総合人間学部助教授、人間・環境学研究科教授。2001年「恐怖の自画像 ホーソーンと「許されざる罪」」で京都大学より博士(文学)の学位を取得。2008年定年退任、名誉教授、関西外国語大学教授。
今野 雄二(こんの ゆうじ、1943年10月5日 - 201… 今野 雄二(こんの ゆうじ、1943年10月5日 - 2010年7月27日)は、日本の映画・音楽評論家、翻訳家、小説家。 北海道室蘭市生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒業後、平凡出版(後のマガジンハウス)に入社。『平凡パンチ』『an・an』編集部を経て、評論家として独立。音楽評論家としては、ミッシェル・ポルナレフ、ロキシーミュージック、10ccなど、多数のレコードのライナーノーツを担当した。 日本テレビの深夜番組『11PM』に出演して映画紹介や流行のサブカルを紹介するコーナーを受け持ち、司会の愛川欽也から「コンちゃん」と呼ばれ、そのニックネームで知られるようになった。 1970年代にはその他に当時の若者向け番組『リブ・ヤング!』や『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン』などに司会者として出演した。
青山 佾(あおやま やすし、1943年10月5日 - )は、… 青山 佾(あおやま やすし、1943年10月5日 - )は、日本の地方公務員、政治学者。東京都出身。東京都人事委員会委員長。元東京都副知事、元東京都住宅供給公社理事長。博士(政治学)、明治大学名誉教授。ペンネームは郷 仙太郎(ごう せんたろう)。
杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月… 杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月5日 - )は、日本の演出家、映画監督。フジテレビ役員待遇エグゼクティブディレクター、日本映画放送社長を務めた。 『北の国から』シリーズなどの演出家として知られる。日本映画テレビプロデューサー協会会長(2003年 - 2015年)。 「すぎた せいどう」と呼ぶ者もある。 愛知県豊橋市新本町 で3人兄弟の末っ子として出生。生家は江戸時代から300年続く老舗の酒問屋。成道という名は、父と親交のあった陸軍大将の宇垣一成から1字をとって名付けられた。兄はピアニストの杉田谷道。 1962年(昭和37年)愛知県立時習館高等学校を卒業し、慶應義塾大学文学部へ進学。
岡本 芳郎(おかもと よしろう、1943年10月5日 - )… 岡本 芳郎(おかもと よしろう、1943年10月5日 - )は、日本の農水官僚、政治家。学位は博士(農学)(東京大学・1997年)。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。 徳島県徳島市出身。徳島県立城南高等学校を経て、東京大学農学部農業工学科にて農学を修め農業工学科、1967年に卒業した。 大学卒業後、農林省に入省。徳島県庁耕地課長などを歴任し、1996年より農林水産省構造改善局次長を務めた。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に徳島1区から出馬するも、仙谷由人に敗れた。2003年、第43回衆議院議員総選挙に比例四国ブロックより立候補し初当選。自由民主党内では平成研究会に所属した。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙に出馬し、徳島1区で再び仙谷に敗れるも、比例四国ブロックで復活当選。
藤本 蓮風(ふじもと れんぷう、 1943年10月5日 - … 藤本 蓮風(ふじもと れんぷう、 1943年10月5日 - )は、日本の鍼灸師。一般社団法人北辰会会長・日本伝統鍼灸学会の顧問・株式会社 藤本漢祥院 院長。 1965年 関西鍼灸柔整専門学校を卒業。鍼灸資格を取得。大阪府堺市にて独立。藤本漢祥院 開業。 1968年 大阪市立大学、医学部解剖学教室助教授藤原知博士に学問的薫陶を受けるとともに、東洋医学の研究会「大阪経絡学説研究会」の代表幹事となる。 1976年 「われわれの診断法」(東方会の「鍼灸医学」)の論文を掲載。 1978年~1986年開業するかたわら母校関西鍼灸柔整専門学校の講師となる 新中国の中医学を理論的基礎とし、そこに日本古来の鍼灸法の優れた点を融合させた治療を実践する。
箕浦 輝幸(みのうら てるゆき、1943年10月5日 - )… 箕浦 輝幸(みのうら てるゆき、1943年10月5日 - )は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。 兵庫県出身。六甲高等学校を経て、1967年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 2003年に専務に就任し、2004年にダイハツ工業副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。2010年にはトヨタ紡織会長に就任。 2012年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
弓場 季彦(ゆば すえひこ、1943年10月5日 - )は奈… 弓場 季彦(ゆば すえひこ、1943年10月5日 - )は奈良テレビ放送(TVN)の前社長、奈良県吉野郡十津川村にある玉置神社の元宮司。 単行本(すべて2007年、奈良テレビ放送発行)
伊藤 典夫(いとう のりお、1942年10月5日 - )は、… 伊藤 典夫(いとう のりお、1942年10月5日 - )は、日本の翻訳家、SF研究家、アンソロジスト。日本SF作家クラブ名誉会員。 十代で商業誌に翻訳を載せた早熟の翻訳家である。1960年代に『SFマガジン』誌に連載した「SFスキャナー」などを通じて海外SFを精力的に日本に紹介するとともに、今日にいたるまで多数の名作を翻訳して、戦後の日本におけるSFの発展に尽力した。 また、同業者の浅倉久志と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品も、浅倉と分担して翻訳・紹介した。 静岡県浜松市出身。
門田 洋子(かどた ようこ、1942年(昭和17年)10月5… 門田 洋子(かどた ようこ、1942年(昭和17年)10月5日 - )は、日本のアナウンサー。元徳島文理大学音楽学部教授。 愛媛県松山市。高知女子大学文学部英文学科卒業。 愛媛県北条市(現:松山市)で生まれ、学生時代から高知放送劇団員として活動、これを続けていくうちにアナウンサーに憧れて目指すようになる。 高知女子大学(現・高知県立大学)文学部英文学科を卒業し、大学卒業後の1965年(昭和40年)に南海放送に入社。 南海放送でテレビやラジオのアナウンサーを務め、1974年(昭和49年)に退社。その後、BS21ブライダルサービス取締役に就任し、南海放送ではラジオプレゼンターを務めた。また2013年(平成25年)からはエンディングカウンセラーとして活動を行う。
浜田 卓二郎(濱田 卓二郎、はまだ たくじろう 1941年〈… 浜田 卓二郎(濱田 卓二郎、はまだ たくじろう 1941年〈昭和16年〉10月5日 - 2022年〈令和4年〉5月16日)は、日本の弁護士、実業家、元政治家。 妻は実業家、エッセイストの浜田マキ子、長男の妻はコカ・コーラ ボトラーズジャパンホールディングス社外取締役などを務める浜田奈巳。位階勲等は正四位旭日重光章。 鹿児島県姶良郡加治木町(姶良市)生まれ。祖父は故浜田精蔵衆議院議員。父は警察官。神奈川県横須賀市に転居し、栄光学園中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。東大在学中の1964年、国家公務員採用上級職甲種試験、司法試験に合格。1965年に東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省した。同年、結婚。
谷口長治(たにぐちちょうじ、1941年(昭和16年)10月5… 谷口長治(たにぐちちょうじ、1941年(昭和16年)10月5日生 – )は、日本の元政治家。元愛媛県南宇和郡愛南町長(2004年-2008年)。
木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 20… 木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 2021年6月27日 )は日本の作曲家、ピアニスト。 中国河北省石門市(現、石家荘市)で生まれ、種子島に育つ。東京芸術大学・大学院で学び1970年に修了。作曲は長谷川良夫と小倉朗に師事。1972年、札幌大谷短期大学専任講師に就任。同短期大学の助教授・教授、札幌大谷大学音楽学部教授を歴任。1964年、第33回日本音楽コンクール第3位、1973年に第2回モスクワ国際バレエコンクール最優秀伴奏ピアニスト賞、2006年に札幌芸術賞。などの受賞歴がある。国内、中国、ロシア、ヨーロッパ、オーストラリアなどで作品が演奏されており、札幌現代音楽展(歴代の同人に座光寺公明、保木誠、泉史夫、蛯子元、小林隆一、出路茂子、吉田均、兵井秀和、小森俊明らが名を連ねる)を主宰していた。
平塚 明(ひらつか あきら、1940年(昭和15年)10月5… 平塚 明(ひらつか あきら、1940年(昭和15年)10月5日 - )は、日本の政治家。元茨城県結城市長(3期)。結城市議会議員(9期)。 茨城県立結城第一高等学校卒。1979年結城市議会議員に初当選する。その後、市議会副議長となる。その傍ら結城市内でコンビニエンスストアを経営する。 1991年と1995年の結城市長選挙に立候補するが、いずれも落選。落選後に行われた市議選に立候補し、2回とも当選した。1997年結城市長の荒井秀吉が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、6人による激戦を制し、初当選した。2001年の市長選挙は無投票で再選。 2003年7月市が発注した公共工事に関し、業者から100万円を受け取った収賄の容疑で逮捕され、市長を辞職。
西舘 代志子(にしだて よしこ、1940年(昭和15年)10… 西舘 代志子(にしだて よしこ、1940年(昭和15年)10月5日 - )は日本の評論家、緑化運動家。旧名は西舘好子、井上好子。近年は再び西舘 好子名義で活動している。NPO法人「日本ららばい協会」理事長。 旧姓名内山好子として、東京市浅草区鳥越のかもじ職人の次女に生まれ、文学に親しんで育つ。 大妻中学校・高等学校卒業後は電通に勤めていたが、1961年12月、井上ひさしと結婚。1963年に長女、1965年に次女、1967年に三女を出産。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は株式会社こまつ座社長の石川麻矢。 1983年1月、こまつ座の発足に伴い、その運営に参加。1984年4月、こまつ座旗揚げ公演『頭痛肩こり樋口一葉』の台本が遅れたことから井上と不和になり、こまつ座舞台監督の西舘督夫と親しくなる。
稲沢 潤子(いなざわ じゅんこ、1940年10月5日 - )… 稲沢 潤子(いなざわ じゅんこ、1940年10月5日 - )は、日本の小説家。本名・岩田淳子。 静岡県出身。静岡県立沼津東高等学校からお茶の水女子大学を経て名古屋大学卒業後、出版社に勤務しながら小説を書き始める。1969年2月号の『民主文学』に「二足めの靴」が掲載され、作家としてのキャリアがはじまる。1972年には「紀子の場合」を発表。その後、『群像』『民主文学』を中心に多くの作品を発表する。 ルポルタージュの著作も多く、1981年の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故を契機に夕張を取材し、『夕張のこころ』(大月書店)を刊行する。また、障碍者問題や千葉県立小金高等学校の卒業式問題に取材した著作もある。 1987年、夕張を舞台にした小説『地熱』で多喜二・百合子賞を受賞する。
島倉 二千六(しまくら ふちむ、1940年〈昭和15年〉10… 島倉 二千六(しまくら ふちむ、1940年〈昭和15年〉10月5日 - )は、日本の特撮映画の背景専門の絵描き。雲の表現に定評があり、雲の神様と称される。立花隆の住居「猫ビル」に黒猫を描いた人物としても知られる。別名・島倉仁。新潟県水原町出身。 幼少期より絵が得意で、中学のときに新潟県の展覧会に入選、以後、文部大臣賞、郵政大臣賞受賞。中学校卒業後に看板屋で務めた後、兄の誘いで1957年に上京し独立プロへ入社。1958年の映画『怒りの孤島』から背景美術に携わる。1959年に映画『日本誕生』の現場を見学した際に特撮技術課長の末安昌美から誘いを受け、1960年に東宝の契約社員となった。当初は合成作画を担当し、『宇宙大戦争』(1959年)より鈴木福太郎の助手として背景美術を手掛ける。
佐藤 薫郷(さとう しげさと、1939年10月5日- )は、… 佐藤 薫郷(さとう しげさと、1939年10月5日- )は、日本の実業家。日本軽金属株式会社(現 日本軽金属ホールディングス)の社長や日本アルミニウム協会会長を務めた。2004年藍綬褒章綬章、2013年旭日中綬章受章。現軽金属クラブ会長。 静岡県出身。静岡県立静岡高等学校を経て、1962年東京大学法学部第2類(公法コース)卒業、日本軽金属入社。 1962年4月 日本軽金属株式会社(現 日本軽金属ホールディングス)入社 1968年7月 ジュネーブ工業経営研修所留学(1年間) 1984年7月 渉外室長 1987年3月 製錬事業部営業部長 1988年6月 メタル事業部長 1991年6月 取締役 兼 メタルセンター長 1993年2月 取締役兼アルコム社社長 (アルコム=アルミニウム・カンパニー・オブ・マレーシア) 1993年6月 常務取締役兼アルコム社社長 1996年6月 専務取締役軽圧本部長 1999年6月 取締役副社長軽圧本部長、東南アジア担当 2000年6月 取締役兼副社長執行役員、軽圧本部長、東南アジア担当 2001年4月 代表取締役社長 2007年6月 代表取締役会長 2009年6月 相談役 2010年6月 顧問
萩野 貞樹(はぎの さだき、1939年10月5日 - 200… 萩野 貞樹(はぎの さだき、1939年10月5日 - 2008年2月24日)は、日本の国語学者、元産業能率大学教授。国語問題協議会常任理事。 秋田県に生まれる。一橋大学法学部卒業後、鶴見女子高等学校教諭を経て産業能率大学教授となる。 1970年、「辻村敏樹氏の敬語説への疑問」で「月刊文法賞」を受賞。1971年、「「人間教育」論をめぐって」で「自由新人賞」を受賞。 雑誌『自由』『日本及日本人』などを中心に、国語学、日本語系統論、日本神話などに関する論考を多数発表した。ペンネーム「萩野棟省」を用いた文章も多い。 2008年2月24日午前3時59分、前立腺癌のため東京都墨田区の病院で死去。68歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
吉野 泰生(よしの やすお、 1939年10月5日 - 20… 吉野 泰生(よしの やすお、 1939年10月5日 - 2013年11月17日)は日本の実業家。元住友生命保険会長。 福岡県出身。1965年一橋大学商学部卒業、住友生命保険入社。営業畑を歩み、北九州支社長、岐阜支社長、東京開発部長、福岡支社長兼福岡法人営業部長、1988年取締役、1992年常務取締役、1995年専務取締役、1997年副社長等を歴任。企画部門を統括し、実力者として知られた。 2001年住友生命保険会長就任。同年社長に就任した横山進一とともに、外資系生命保険会社に対抗し、営業職員の評価基準を変え、中高年向け保険や、医療・介護分野の保険の営業を拡大させるなど、同社の経営にあたった。 2007年住友生命保険名誉顧問。
遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2… 遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2019年12月27日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第44代)、山形県議会議員、置賜農業共済組合組合長理事、山形県農業共済組合連合会会長理事、社団法人全国農業共済協会理事などを歴任した。愛称はエンタケ。 山形県米沢市出身。父は米沢市議会議長、山形県議をつとめ、山形農政に強い影響力を持っていた遠藤清海。現在の山形県立米沢興譲館高等学校を卒業後、1961年に中央大学文学部を卒業し、帰郷。県指導主事、米沢市農業協同組合理事などを務めた後、山形県議会議員(3期)を経て、1986年、第38回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月5日 - )は、日本の政治家。元群馬県安中市長(2期)、群馬県議会議員(3期)、安中市議会議員(5期)。 1938年、安中市野殿の名主の家柄に、7人兄弟の末子として生まれる。1956年に群馬県立高崎高等学校通信制を中退し、家業の農業に従事する。 1975年に安中市議会議員に初当選し、以後連続5期務める。市議として東邦亜鉛の安中公害問題に取り組む。この間市議会議長、県市議会議長会会長、関東市議会議長会副会長、全国市議会議長会理事や、安中市社会福祉協議会会長を務める。 1995年の群馬県議会議員選挙に安中市選挙区から出馬し初当選、3期務める。
御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 19… 御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 1995年8月31日)は、元キヤノン社長。 東京都出身。マサチューセッツ工科大学大学院電子工学科、スタンフォード大学修了。キヤノン創業者御手洗毅の子。 1974年にキヤノンに入社。中央研究所所長などを務めた後、1993年に山路敬三の突然の退任を受け第五代社長に就任。社長として辣腕を振るったが、1995年に間質性肺炎のため、在職のまま死去。後任社長には従兄の御手洗冨士夫が就任した。
生田 義和 (いくた よしかず 1938年10月5日 - 2… 生田 義和 (いくた よしかず 1938年10月5日 - 2023年1月27日)は、日本の医学者。元広島大学病院病院長、広島大学名誉教授、元日本手外科学会理事長。専門は、手の外科を中心としたマイクロサージャリー(英語版、ドイツ語版、ベラルーシ語版、ギリシア語版)(顕微鏡を使用する手術)、手や指の怪我の治療、切断された指や腕の再接着など。
春田 整秀(はるた よしひで、1938年(昭和13年)10月… 春田 整秀(はるた よしひで、1938年(昭和13年)10月5日 - )は、日本の政治家。元福岡県前原市(現・糸島市)長(2期)。 福岡県糸島郡前原町(のち前原市、現・糸島市)出身。1957年、福岡県立糸島高等学校卒。保育所を運営し、所長となる。前原市議会議員を経て、1995年、前原市長に当選。2期務める。2003年、落選。現在、社会福祉法人春陽会の理事長を務める。
湯浅慎一(湯浅愼一、ゆあさ しんいち、1938年10月5日-… 湯浅慎一(湯浅愼一、ゆあさ しんいち、1938年10月5日- 2022年2月28日)は、日本の哲学者、京都府立医科大学名誉教授。 北海道生まれ。上智大学法学部卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。ドイツ・ケルン大学法学部卒業(1969年法学博士)。ドイツ・ケルン大学哲学部卒業(1976年哲学博士)。信州大学教育学部助教授、京都府立医大学教授、2002年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授を務めた。
金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5… 金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本の政治家。国民民主党三重県連代表。衆議院議員(1期)、三重県議会議員(4期)、四日市市議会議員(4期)、民主党・旧国民民主党三重県連代表などを務めた。 勲章は藍綬褒章2000年(平成12年)、旭日小綬章2007年(平成19年)。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市工業高等学校卒業後、富士電機(現富士電機リテイルシステムズ)に入社。四日市市最大の労働組合である富士電機労組に加入し、組合活動に従事する。 1975年に四日市市議会議員選挙に立候補して初当選した。以後当選4回。1990年に四日市市議を辞職して、三重県議会議員選挙の補欠選挙に立候補して当選。
山﨑 鍈一(やまさき えいいち、1937年(昭和12年)10… 山﨑 鍈一(やまさき えいいち、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本の政治家。元高知県安芸市長(2期)。 高知県出身。高知県立高知農業高等学校卒。農業に従事し、安芸市議会議員となり、議長などを務める。1989年安芸市長和食富雄が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、元市長の岡村喜郎を破り、当選する。1993年に再選。1997年に三選を目指したが、元安芸市職員の井津哲彦に敗れた。
八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - )は徳島… 八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - )は徳島県出身のプロ野球選手。当時は珍しい右投左打の内野手で、二塁手、遊撃手として活躍した。引退後はスカウトとして新人発掘に尽力した。
関 登美雄(せき とみお、1935年〈昭和10年〉10月5日… 関 登美雄(せき とみお、1935年〈昭和10年〉10月5日 - )は、日本の男性俳優、声優。 青森県弘前市生まれ。青森県立弘前工業高等学校、舞台芸術学院卒業。劇団文化座をへて、祖父江文宏や五月女道子が旗揚げした劇団群像座に参加した。
笹川 堯(ささがわ たかし、新字体:笹川 尭、1935年〈昭… 笹川 堯(ささがわ たかし、新字体:笹川 尭、1935年〈昭和10年〉10月5日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、国務大臣(総合科学技術会議担当)、科学技術政策担当大臣、衆議院議院運営委員長(第68代)、自由民主党総務会長(第47代)、自由民主党群馬県連会長などを歴任した。現在は、求人代行、アウトソーシング会社の株式会社Hitotechnologyの名誉会長に就任。 父は元衆議院議員で日本船舶振興会創設者の笹川良一。弟は日本財団会長の笹川陽平。三男に衆議院議員の笹川博義。 東京都文京区生まれ。明治大学付属中野高等学校卒業。明治大学法学部に進学するも1956年に中退。1954年より全国モーターボート競走会に勤務。
江角 英明(えすみ えいめい、1935年10月5日 - 20… 江角 英明(えすみ えいめい、1935年10月5日 - 2004年8月22日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。本名:江角 英明(えすみ ひであき)。別名義:江角 英。 島根県木次町(現・雲南市)出身。島根県立三刀屋高等学校、多摩美術大学附属芸術学園演劇科卒業。 劇団青年座、劇団俳優小劇場、グループ鬼宴同人、現代制作舎、ぱらーた企画、九プロダクションに所属していた。アマチュア劇団区民とつくる地場演劇の会代表。 劇団青年座の旗揚げ公演『第三の証言』を鑑賞したことから俳優を志し、多摩芸術学園卒業後の1957年に青年座に研究生として入団。1958年、『怪しき村の旅人』の村の青年役が初舞台。1959年の『第五福竜丸』が映画デビュー作となる。
堀内 庄(ほりうち あつし、1935年10月5日 - 201… 堀内 庄(ほりうち あつし、1935年10月5日 - 2010年10月27日)は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。
村瀬 継蔵(むらせ けいぞう、1935年〈昭和10年〉10月… 村瀬 継蔵(むらせ けいぞう、1935年〈昭和10年〉10月5日 - 2024年〈令和6年〉10月14日)は、怪獣などのぬいぐるみ(着ぐるみ)、造形物製作者。造形美術会社「有限会社ツエニー」会長。北海道池田町出身。瑞穂町を拠点に活動している。 23歳で上京して1957年(昭和32年)にアルバイトとして東宝の特殊美術に参加し、1958年(昭和33年)に東宝へ正式に入社すると、同年の『大怪獣バラン』や、1963年(昭和38年)の『マタンゴ』などの着ぐるみ造形を助手として手がける。 1965年(昭和40年)には、知人の劇団へ移籍するという形で五社協定を乗り越え、大映初の怪獣映画となる『大怪獣ガメラ』も手がけた。
竹田 篤司(たけだ あつし、1934年10月5日 - 200… 竹田 篤司(たけだ あつし、1934年10月5日 - 2005年6月3日)は、日本の哲学者。元明治大学教授。 愛知県生まれ。東京教育大学文学部哲学科、同大学院仏文学専攻博士課程中退。明治大学教養部教授を務め、2005年定年退任後、膵臓癌のため死去した。 デカルト、パスカルなどフランスモラリスト哲学者を研究し、『怪傑デカルト』の型破りな翻訳も話題になった。 西田幾多郎の弟子下村寅太郎に師事し、京都学派についても研究を進め、野上弥生子と晩年の田辺元との「往復書簡集」を編み、恋愛関係などを明らかにした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
前田 滋(まえだ しげる、1934年10月5日 - )は、日… 前田 滋(まえだ しげる、1934年10月5日 - )は、日本の経営者。荏原製作所社長、会長を務めた。山形県出身。 1949年に東北大学工学部機械工学科を卒業し、同年に荏原製作所に入社。1988年6月に取締役に就任し、1994年6月に専務を経て、1996年6月には社長に就任。2000年6月に副会長に就任。
富山 和子(とみやま かずこ、1933年〈昭和8年〉10月5… 富山 和子(とみやま かずこ、1933年〈昭和8年〉10月5日 - )は、日本の環境問題評論家、立正大学名誉教授。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋女子高等学校卒業後、1957年に早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。講談社に入社し、『幼年クラブ』や『日本』の編集を担当する。1967年に退社。 立正大学短期大学部教授を経て、立正大学社会福祉学部教授。2004年に定年退任し、名誉教授。日本福祉大学教授。 国土利用における農業や林業の重要性を主張している。 富山は「水と緑と土は同義語」という標語に自身の思想を象徴させている。すなわち、森林が水を御し、植物すなわち食物を育む土壌をつくる。この三者は互いに密接に関係しあっており個々に取り出して議論することはできない。
福島 吉治(ふくしま よしじ、1933年10月5日 - )は… 福島 吉治(ふくしま よしじ、1933年10月5日 - )は、日本の実業家。元CSK会長、元セガ会長、元野村證券投資信託委託(現野村アセットマネジメント)会長、元野村證券副社長。岡山県津山市出身。 1933年岡山県津山市に生まれる。1956年に滋賀大学経済学部を卒業後、野村證券へ入社。同社取締役、常務取締役、代表取締役専務、代表取締役副社長、野村證券投資信託委託代表取締役社長を経て、1995年代表取締役会長。翌1996年にCSK代表取締役社長就任し、2000年代表取締役会長。2001年セガ取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡田 宏明(おかだ ひろあき、1932年10月5日 - 20… 岡田 宏明(おかだ ひろあき、1932年10月5日 - 2004年2月13日)は、文化人類学者。 東京出身。東京大学教養学部文化人類学卒。1955年同大学院生物系研究科人類学博士課程退学。北海道大学北方文化研究所助教授、教授、文学部教授、96年定年退官、名誉教授、北海学園大学人文学部教授。2001年退任。妻も文化人類学者の岡田淳子(あつこ)。
野間 友一(のま ともいち、1932年10月5日 - 201… 野間 友一(のま ともいち、1932年10月5日 - 2012年5月17日)は日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算5期)。日本共産党和歌山県副委員長。 兵庫県多紀郡篠山町(現・丹波篠山市)出身。早稲田大学法学部を卒業後、総評弁護団及び自由法曹団に参加。1972年の衆院選に和歌山1区から出馬し初当選、和歌山県初の共産党国会議員となった。以後衆議院議員を5期務めるが、1990年の衆院選で落選する。 2002年10月28日、「古希団員」として表彰を受ける。議員引退後は、和歌山県和歌山市の「きのくに法律事務所」に勤務していた。
山田 良定(やまだ りょうじょう、1931年(昭和6年)10… 山田 良定(やまだ りょうじょう、1931年(昭和6年)10月5日 - 2002年(平成14年)1月30日)は、日本の彫刻家。日展理事。浄土宗専念寺住職・滋賀大学名誉教授。滋賀県出身。 昭和6年(1931年)10月5日、滋賀県神崎郡五個荘町奥(現東近江市)に生まれる。滋賀大学卒業後富永直樹に師事し、昭和50年(1975年)・51年(1976年)日展で連続特選を受賞した。平成2年(1990年)には文部大臣賞、平成11年(1999年)「開幕の刻」で芸術院賞を受賞した。この間県立石山高校教諭や母校滋賀大の教授(退官後名誉教授)を務め、大津市公民館児童美術教室で子供達への指導を行った。平成14年(2002年)1月30日、栗東市の病院で肺炎により死去。
竹腰 美代子(たけこし みよこ、1930年10月5日 - 2… 竹腰 美代子(たけこし みよこ、1930年10月5日 - 2001年3月1日)は、日本の美容体操研究家。日本のテレビ体操の草分けとして広く知られている。香淳皇后の体操の先生としても著名。 神奈川県逗子市出身。神奈川県立第一高等女学校(現在の神奈川県立横浜平沼高等学校)卒業。岸恵子と草笛光子は高校の同窓生である。その後お茶の水女子大学体育学科に進み、卒業後、高校の体育教師となる。 1954年4月16日から日本放送協会で放映された『美容体操』の専属講師に就任。1958年から香淳皇后に美容体操を教えた。 著書に「いつもお陽さま家族」などがある。 1966年、クレイジーキャッツの安田伸と結婚した。 1967年4月に行われた東京都知事選挙では、美濃部亮吉の推薦人に名を連ねた。
鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月… 鷹羽 狩行(たかは しゅぎょう、1930年(昭和5年)10月5日 - 2024年(令和6年)5月27日)は、日本の俳人、日本芸術院会員。本名・髙橋行雄(たかはし ゆきお)。 山形県出身。山口誓子と秋元不死男に師事。「狩」を創刊・主宰。知的な構成でウィットに富む句風で現代社会を描く。第一句集『誕生』(1965年)のほか、『月歩抄』(1977年)、『十五峯』(2007年)など。 山形県新庄市生まれ。父は土木技師。父の仕事の関係で、少年期を旧豊田郡瀬戸田町(尾道市)で育ち、1943年、旧制尾道商業高校に入学。1946年、同校の教師新開千晩の教えを受け、校内俳句雑誌「銀河」で俳句を始める。1947年より佐野まもる「青潮」に投句。
豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )… 豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )は、日本の医学者。東京大学名誉教授。大阪大学名誉教授。専攻はウイルス学・腫瘍学。1969年に世界で初めてトリ肉腫ウイルスからガン遺伝子を発見。この分野の先駆けとしてその後のガン研究に大きな貢献をした。84~94年には「対ガン10カ年総合戦略」の研究総括。また、DNAのガイドライン策定に参加。ヒトクローン倫理問題でも総合科学技術会議文部科学省専門委員会の委員や科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会 特定胚及びヒトES細胞研究専門委員会の主査などを務めた。1998(平成10)年文化功労者。2001(平成13)年文化勲章受章。医学博士(大阪大学、1959年)。大阪府出身。