卯尾田 毅太郎(うおた きたろう、1894年(明治27年)4… 卯尾田 毅太郎(うおた きたろう、1894年(明治27年)4月8日 - 1945年(昭和20年)6月16日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、新湊町長。 富山県射水郡新湊町四十物町(現射水市八幡町)で、卯尾田兵次郎、やい夫妻の長男として大井清平宅で生まれる。文珠寺尋常高等小学校高等科を経て、1914年(大正3年)3月、富山県立高岡中学校を卒業。同年4月、早稲田大学商科に入学し、1918年(大正7年)7月に卒業した。 大学卒業後、神戸市の下里貿易商会に入社。1923年(大正12年)2月、新湊立憲青年党を結成し総理に就任。1927年(昭和2年)9月、富山県会議員に当選。以後、名誉職参事会員、新湊町長(6期)、新湊町職業紹介所長、都市計画富山地方委員会委員、新湊警防団長などを務めた。
大槻 喬(おおつき たかし、1893年4月8日 - 1969… 大槻 喬(おおつき たかし、1893年4月8日 - 1969年11月16日)は、日本の電気工学者。電気学会会長。 兵庫県生まれ。1914年、東京高等工業学校付設工業教員養成所電気科卒業。1919年、東京外国語学校専修科ドイツ語学科卒業。1921年からアメリカ・イギリス・ドイツに留学。熊本高等工業学校教授を経て、1929年、東京工業大学助教授。ドイツ留学を経て、1932年に東京大学工学博士号を修得、1934年に東工大電気工学科教授。1954年、定年退職し、名誉教授となると共に、明治大学教授、東洋電機製造取締役・技術研究所長に就任。1965年、東海大学工学部長。1969年、電気学会会長。 1969年11月16日、脳卒中のため東京都目黒区自由が丘の自宅にて死去。
原田 実(はらだ みのる、1890年4月8日 - 1975年… 原田 実(はらだ みのる、1890年4月8日 - 1975年1月6日)は、日本の教育学者、作家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 千葉県朝夷郡丸村に生まれる。千葉県立安房中学校(現・安房高等学校)を卒業。その後、早稲田大学高等師範部卒。 若山牧水と交流し、牧水が主宰する詩歌雑誌『創作』(1910年創刊)や太田水穂の『潮音』(1915年創刊)に短歌や歌論を精力的に発表。歌人として注目されたが、その後は学者の道で大成することとなった。 1918年、『青鞜』(1911 - 1916)や『潮音』などに「斎賀琴」あるいは「斎賀琴子」名義で短歌や小説を発表していた斎賀こと(1892 - 1973)と結婚。 雑誌『教育時論』編集長、1946年早大教授。
山下 長(やました たけし、1889年4月8日-1959年2… 山下 長(やました たけし、1889年4月8日-1959年2月9日)は、日本の実業家。オリンパス(旧・高千穂製作所)創業者、高千穂製作所社長。顕微鏡をはじめとする光学機器の製造業を経営した。 鹿児島県名瀬の金久(現・奄美市内)出身。名瀬の高等小学校で3年間学んだ後、鹿児島の本家にひきとられて中学造士館に入る。1904年に上京。東京の京北中学校 (旧制)と京都の第三高等学校 (旧制)を卒業。1915年東京帝国大学法科大学法律学科(独法科)卒業。弁護士となるが、父の勧めで実業界に転じ親戚の松方正義関連の企業に就職することとなる。川崎造船所などの大企業は断り、松方の五男・五郎が経営する常盤商会に1918年入社。
山本 熊一(やまもと くまいち、1889年(明治22年)4月… 山本 熊一(やまもと くまいち、1889年(明治22年)4月8日 - 1963年(昭和38年)1月17日)は、日本の外交官。外務次官、大東亜次官、駐タイ大使。 山口県出身。1912年(明治45年)、東亜同文書院を卒業。外交科試験以外の合格者を採用する「門戸解放」の一環として、高等文官試験に合格し、1920年(大正9年)に外務事務官となり、トルコ大使館三等書記官、外務省通商局勤務、イギリス大使館二等書記官、満州国大使館二等書記官、同一等書記官、外務省調査部第五課長、同通商局長を歴任した。1940年(昭和15年)東亜局長となり、1941年(昭和16年)10月にはアメリカ局長を兼任した。さらに1942年(昭和17年)外務次官に就任し、同年11月1日大東亜次官に転じた。
川副 隆(かわそえ たかし、1889年(明治22年)4月8日… 川副 隆(かわそえ たかし、1889年(明治22年)4月8日 - 1962年(昭和37年)8月2日)は、大正から昭和期の実業家・政治家。衆議院議員。 長崎県西松浦郡伊万里町(現伊万里市)で、政治家川副綱隆の長男として生まれる。1915年(大正4年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 三菱商事に入社。漢口出張所長、船舶部長代理、漢口日本居留民団行政委員などを歴任。その後、海運業に従事し、神戸会陽汽船取締役、大阪静鉱業取締役、佐世保親和銀行取締役、佐世保運輸取締役、西肥菱油取締役、川副商会社長、日東燃料社長、九北運輸社長、丸三肥料社長、佐世保魚市場社長、佐世保製氷冷蔵社長などを務めた。 1937年(昭和12年)4月、第20回衆議院議員総選挙(長崎県第2区、立憲民政党公認)で初当選し、1942年(昭和17年)4月の第21回総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して再選された。
早川 三郎(はやかわ さぶろう、1888年 <明治21年> … 早川 三郎(はやかわ さぶろう、1888年 <明治21年> 4月8日 - 1973年 <昭和48年> 4月19日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、警視総監。位階は正四位。 神奈川県出身。地主・早川耕造の三男として生まれる。東京府立三中、第六高等学校を経て、1915年5月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年8月、内務省に入り宮崎県属となる。 1916年9月、宮崎県警視を兼務。以後、宮崎県東諸県郡長、同県理事官、埼玉県理事官、同県地方課長、同県視学官、香川県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長などを歴任。
高橋 隆篤(たかはし たかあつ、1888年(明治21年)4月… 高橋 隆篤(たかはし たかあつ、1888年(明治21年)4月8日 - 1951年(昭和26年)9月24日)は、日本の陸軍軍人、獣医師。最終階級は陸軍獣医中将。 秋田県出身。小学校教員・高橋隆忠の長男として生まれる。郁文館中学校(現郁文館中学校・高等学校)、第一高等学校を経て、1914年(大正3年)7月、東京帝国大学農科大学獣医学科を卒業。1915年(大正4年)2月、獣医少尉に任官し野砲兵第16連隊付となる。1916年(大正5年)12月、陸軍獣医学校に乙種学生として入校した。 1918年(大正7年)9月、伝染病研究所勤務となり、1919年(大正8年)4月、獣医中尉に昇進。1920年(大正9年)9月、獣医学校教官に就任し、臨時検疫所員、獣医学校副官兼教官、イギリス駐在、獣医学校教官を務め、1925年(大正14年)8月、三等獣医正に進級し獣医学校付となる。
若松 平治(わかまつ へいじ、1888年(明治21年)4月8… 若松 平治(わかまつ へいじ、1888年(明治21年)4月8日 - 1973年(昭和48年)4月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 鹿児島県薩摩郡、のちの下東郷村(川内市を経て現薩摩川内市)で生まれた。陸軍士官学校第21期卒業。1936年(昭和11年)8月に陸軍歩兵大佐に進級し、福知山連隊区司令官に就任し、1938年(昭和13年)に歩兵第45連隊長に転じた。 1939年(昭和14年)8に陸軍少将に進級し、歩兵第30旅団長に就任した。1941年(昭和16年)3月に独立混成第16旅団長に転じ、日中戦争に出動、汾陽に駐屯し、治安警備に当たった。1942年(昭和17年)2月3日に予備役に編入された。
小船井 敬吉(おぶない けいきち、1887年〈明治20年〉4… 小船井 敬吉(おぶない けいきち、1887年〈明治20年〉4月8日 - 1971年〈昭和46年〉9月17日)は、日本の逓信官僚、通信技術者、通信工学者。電気通信工学校初代校長、東海大学短期大学部初代学長。 新潟県北魚沼郡小千谷町(現 小千谷市)の測量師・小船井理吉の次男として出生。 1905年(明治38年)3月に新潟中学校を卒業、1908年(明治41年)7月に第一高等学校を卒業、1911年(明治44年)7月に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。 1911年(明治44年)7月に逓信省に技手として入省、通信局工務課に勤務、逓信官吏練習所教官を兼任、1913年(大正2年)7月に技師に任官、引き続いて通信局工務課に勤務、逓信官吏練習所教官を兼任、1914年(大正3年)9月から西部逓信局に勤務、名古屋郵便局電話課長に就任、1918年(大正7年)1月に北部逓信局工務部線路課長および電力課長に就任、1919年(大正8年)5月に仙台逓信局電気課長に就任、1920年(大正9年)5月から大阪逓信局に勤務、大阪中央電話局交換課長に就任、10月に大阪中央電話局監査課長に就任、1921年(大正10年)9月から臨時電信電話建設局大阪出張所に勤務、1922年(大正11年)8月に臨時電信電話建設局大阪出張所機械課長に就任、1923年(大正12年)7月に京都帝国大学工学部講師に就任、1924年(大正13年)11月に熊本逓信局工務課長および臨時電信電話建設局熊本出張所技術長に就任、1926年(大正15年)5月からアメリカおよびイギリスに出張、1927年(昭和2年)3月に名古屋逓信局工務課長に就任、1930年(昭和5年)5月に大阪逓信局工務課長に就任、1933年(昭和8年)9月に逓信省工務局電話課長に就任、1934年(昭和9年)6月に逓信省工務局線路課長に就任、1936年(昭和11年)2月に逓信省を依願退官。
小原 國芳(おばら くによし、1887年〈明治20年〉4月8… 小原 國芳(おばら くによし、1887年〈明治20年〉4月8日 - 1977年〈昭和52年〉12月13日)は、日本の教育学者。学校法人玉川学園の創立者。永野修身海軍大臣直属海軍教育顧問なども務めた。日本基督教団のクリスチャン。また、小原は日本だけでなく、朝鮮半島や満洲、中国大陸、そして台湾などのアジアの各地を広範に歩き回って「新教育」の重要性を説き、伝える役割を果たした。一時期「鯵坂」姓を名乗った。 1887年、鹿児島県川辺郡南方郷久志村(現:南さつま市坊津町久志)に生まれる。早くに母を亡くす。祖父は寺子屋の師匠だったが、家が没落したため進学ならず、13歳で通信技術養成所に入所し、鹿児島大浜海底電信所(現在の鹿児島県肝属郡南大隅町に所在)の技手となった。
渡辺 七郎(渡邊 七郎、わたなべ しちろう、1885年(明治… 渡辺 七郎(渡邊 七郎、わたなべ しちろう、1885年(明治18年)4月8日 - 1933年(昭和8年)4月26日)は、大正・昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 会計検査院長・渡邊昇の長男として生まれる。父の死去に伴い、1913年(大正2年)12月10日、子爵を襲爵した。 1915年(大正4年)慶應義塾大学部法律科を卒業。1921年(大正10年)大日本武徳会商議員に就任した。 1924年(大正13年)3月8日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し死去するまで3期在任した。 1933年(昭和8年)に七郎が没した後は、長男の武宣が襲爵。さらに1938年(昭和13年)に武宣が没すると、弟の武治が襲爵した。
喜多 源逸(きた げんいつ、1883年(明治16年)4月8日… 喜多 源逸(きた げんいつ、1883年(明治16年)4月8日 - 1952年(昭和27年)5月21日)は、日本の工業化学者である。京都帝国大学名誉教授。 奈良県生まれ。郡山中学を経て、京都市の第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)卒業後、上京し東京帝国大学工科大学(現在の東京大学大学院工学系研究科・工学部)応用化学科に入学する。1906年(明治39年)に同大学を卒業後は、翌1907年(明治40年)に同大学の講師を経て1908年(明治41年)には同大学の助教授に昇格した。1916年(大正5年)に京都帝国大学(現在の京都大学)に転勤し、同大学の工科大学(現在の京都大学大学院工学研究科・工学部)の助教授として活動し後に研究のため欧米に留学する。
中田 騄郎(なかだ ろくろう、1882年(明治15年)4月8… 中田 騄郎(なかだ ろくろう、1882年(明治15年)4月8日 - 1957年(昭和32年)8月12日)は、日本の衆議院議員(国民同志会)、弁護士。 静岡県榛原郡勝間田村(現在の牧之原市)出身。1901年(明治34年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業した。弁護士を開業し、静岡県弁護士会長に選出された。また静岡市会議員となり、議長も務めた。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、社団法人救護会理事長、静岡県社会事業協会副会長、藤相鉄道株式会社監査役などを務めた。
綿貫 六助(わたぬき ろくすけ、1880年〈明治13年〉4月… 綿貫 六助(わたぬき ろくすけ、1880年〈明治13年〉4月8日 - 1946年〈昭和21年〉12月19日)は、日本の陸軍軍人・小説家。 1880年(明治13年)、群馬県北勢多郡森下村(現・利根郡昭和村)の中層の農家に生まれた。1896年(明治29年)、17歳の時に陸軍教導団に合格した。1903年(明治36年)11月、陸軍士官学校(15期)を卒業した後、歩兵第29連隊に入隊した。1904年(明治37年)2月に陸軍歩兵少尉に任官して日露戦争に参戦し、1906年(明治36年)に帰国し、勲五等双光旭日章を授与された。同年3月に福島県出身の女性と結婚し、4男1女をもうけた。 1912年(明治45年)5月、歩兵大尉に昇進し、歩兵第65連隊中隊長を務めていたが、1914年(大正3年)に軍旗祭で不適切な行為を起こしたため除隊された。
三国谷 三四郎(みくにや さんしろう、1879年(明治12年… 三国谷 三四郎(みくにや さんしろう、1879年(明治12年)4月8日 - 1947年(昭和22年)12月24日)は、日本の教育者。 青森県出身。青森県師範学校を経て、東京高等師範学校本科地歴部を卒業。静岡県師範学校教諭、韓国官立漢城師範学校教授、京城高等普通学校教諭、平壌高等普通学校教諭、朝鮮総督府編修官などを務めた。帰国後、京都帝国大学文学部哲学科に入り、1923年(大正12年)に卒業した。その後、奈良県師範学校校長、地方視学官・兵庫県学務課長を歴任し、1932年(昭和7年)に京都府師範学校校長に就任した。1938年(昭和13年)に東京府青山師範学校校長に転じ、1943年(昭和18年)に退官した。
内ヶ崎 作三郎(うちがさき さくさぶろう、1877年(明治1… 内ヶ崎 作三郎(うちがさき さくさぶろう、1877年(明治10年)4月8日 - 1947年(昭和22年)2月4日)は、日本の政治家。衆議院議員を通算7期務めた。 1877年(明治10年)、宮城県黒川郡富谷村(現・富谷市)に生まれた。第二高等学校を経て、東京帝国大学文科大学英文科を卒業。オックスフォード大学へ留学。帰国後、早稲田大学教授。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に宮城4区から立候補して初当選。1928年(昭和3年)、第16回総選挙に宮城1区から立候補して当選。1929年(昭和4年)、濱口内閣内務参与官に就任。1930年(昭和5年)、第17回総選挙に宮城1区から立候補するも次点で落選。
傍士 定治(ほうじ さだはる、1875年(明治8年)4月8日… 傍士 定治(ほうじ さだはる、1875年(明治8年)4月8日 - 1924年(大正13年)8月30日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員。 傍士次、勘の長男として、高知県香美郡片地村(土佐山田町を経て、現在の香美市)に生まれる。東京帝国大学法科大学に学ぶ。1904年(明治37年)高知県会議員に当選。のち大阪市秘書課長、同東区長を歴任する。1921年(大正10年)夏、欧米を視察後、財界にも進出し、鶏林鉱業、日本ゼラチン各取締役、東大阪土地建物、日本ゼラチン、ライト商会各監査役などを歴任した。 1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では高知県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選するが、任期中に大阪市で死去した。
中沼 信一郎(なかぬま しんいちろう、1873年(明治6年)… 中沼 信一郎(なかぬま しんいちろう、1873年(明治6年)4月8日 – 1919年(大正8年)7月10日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。 京都府に中沼清蔵の長男として生まれ、祖父で学習院講師を務めた中沼了三の跡を継いだ。1903年(明治36年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補、神戸地方裁判所検事代理となった。翌年、辞して京都に弁護士を開業。1907年(明治40年)、横浜市助役に就任した。翌年に辞した後は横浜で弁護士の業務に従事した。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に祖父の出身地である隠岐選挙区から出馬し、当選を果たした。
八束 可海(やつか かかい、明治5年3月1日(1872年4月… 八束 可海(やつか かかい、明治5年3月1日(1872年4月8日) - 大正5年(1916年)1月13日)は、日本の衆議院議員(中央倶楽部)、弁護士。家紋は丸に杏葉紋。 愛媛県伊予郡北伊予村(現在の松前町)出身。1893年(明治26年)、日本法律学校(現在の日本大学)を卒業し、弁護士試験に合格した。翌年、静岡県浜松市に事務所を開き、1900年(明治33年)に東京市に移した。その後、東京市会議員に選出された。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙で当選を果たした。 その他、藤枝競馬倶楽部理事を務めた。 大正5年1月13日没。戒名は泰雲院通義可海大居士。墓所は本所(墨田区)立川の新義真言宗・弥勒寺旧子院墓地。
寺崎 乙治郎(てらさき おとじろう、1872年4月8日〈旧暦… 寺崎 乙治郎(てらさき おとじろう、1872年4月8日〈旧暦明治5年3月1日〉 - 1937年〈昭和12年〉1月22日)は、日本のジャーナリスト、政治家。雅号は斗南(となん)。 合資会社静岡新報社での勤務を経て、株式合資会社静岡新報社主筆、静岡市会議員、静岡県会議員、静岡県会議長(第24代)などを歴任した。 静岡県出身のジャーナリストである。静岡新報社で主筆を務めるなど、地域の論壇で重きをなしていた。その傍らで、静岡市会議員や静岡県会議員など政治家としても活動した。 1872年(旧暦明治5年3月1日)、浜松県城東郡、のちの静岡県小笠郡佐束村に該当する地域で生まれた。 1901年(明治34年)2月1日に静岡新報社に入社した。
塩川 幸太(しおかわ こうた、1864年4月8日〈元治元年3… 塩川 幸太(しおかわ こうた、1864年4月8日〈元治元年3月3日〉 - 1936年〈昭和11年〉1月21日)は、日本の実業家、政治家、長野県の大地主。佐久銀行頭取。衆議院議員(長野県郡部選出、当選1回)。勲四等。族籍は長野県平民。 信濃国佐久郡森山村(現・長野県小諸市)生まれ。塩川仁助の長男。郡会議員、県会議員に選ばれる。1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙に出馬し当選する。立憲政友会に所属。実業界では佐久銀行頭取、長野農工銀行取締役、長野貯蓄銀行監査役などをつとめる。 1883年、家督を相続する。住所は長野県北佐久郡三岡村。 塩川家は代々農業を営む。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
高橋 捨六(たかはし すてろく、1862年4月8日(文久2年… 高橋 捨六(たかはし すてろく、1862年4月8日(文久2年3月10日)- 1918年(大正7年)8月14日)は、明治時代から大正時代の弁護士、法律家。 越前国福井藩士の木内盛潔の次男として生まれ、1876年11月に高橋左十郎の養子となる。福井県より選ばれて駒場農学校に入学し、予科、大学予備門を経て東京帝国大学法科に入学する。1885年に同校を首席で卒業し、大蔵省主計局に入って数年後、弁護士に転身。1895年には東京弁護士会の会長となる。日本銀行顧問や横浜正金銀行の監査役などを務めた。また、中央大学の前身である英吉利法律学校の創立に尽力した。後の学長である林頼三郎は弁護士事務所の書生であった。 1918年の春、肺炎に罹ったため、二宮町の別荘で静養していたが、帝大病院に入院後、渋谷町下渋谷氷川裏の邸宅に戻り、同地にて没した。
青木 恒太郎(あおき つねたろう、1862年4月8日(文久2… 青木 恒太郎(あおき つねたろう、1862年4月8日(文久2年3月10日)- 1925年(大正14年)7月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 越後国魚沼郡、のちの新潟県南魚沼郡藪神村(大和村、大和町を経て現南魚沼市)出身。村会議員、南魚沼郡会議員。新潟県会議員、芹田耕地整理組合長、薮神信用販売購買組合理事となる。 1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙において新潟10区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務めた。1924年(大正13年)第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1925年死去。
藤岡 市助(ふじおか いちすけ、安政4年3月14日〈1857… 藤岡 市助(ふじおか いちすけ、安政4年3月14日〈1857年4月8日〉 - 大正7年〈1918年〉3月5日)は、日本の工学者・実業家。東京電気株式会社(後の東芝)創業者。日本に電気および電球灯を普及させた功績があり、「日本のエジソン」、「電力の父」と評される。 安政4年3月14日(1857年4月8日)、周防国岩国(現在の山口県岩国市)に生まれた。父は岩国藩士の藤岡喜介、母はウメであり、市助は長男だった。慶応元年(1865年)には岩国藩藩校の養老館に入った。 14歳だった1871年(明治4年)には新設された岩国兵学校に入学し、1872年(明治5年)には岩国英国語学所に移った。1873年(明治6年)には英語教師がいなくなったことで、しばらく藤岡が英語の授業を担当したという逸話もある。
道重 信教(みちしげ しんきょう、1856年4月8日(安政3… 道重 信教(みちしげ しんきょう、1856年4月8日(安政3年3月4日) - 1934年(昭和9年)1月29日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶。浄土宗学本校(佛教大学の前身)教授や大本山増上寺法主などを歴任した。 安政3年(1856年)3月4日、長門国厚狭郡宇部村(現在の山口県宇部市)の農家、道重十次郎の五男として生まれる。 1879年に京都知恩院内の浄土宗大教校に入学。1885年に宇部松月庵の住職となる。 1896年に上京して浄土宗学本校教授となる傍ら、曹洞宗大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東京女子高等師範学校などで仏教学を講じた。 1900年、増上寺山内に仏学院を創設して仏教を講じ、徳富蘇峰・寺内正毅らもその門を叩いた。
小藤 文次郎(ことう ぶんじろう、安政3年3月4日〔1856… 小藤 文次郎(ことう ぶんじろう、安政3年3月4日〔1856年4月8日〕 - 昭和10年〔1935年〕3月8日)は、日本の地球科学者。地質学、岩石学、鉱物学、火山学、地震学など、幅広く活躍した。ドイツ地理学を日本に導入し日本の地質学や地形学の揺籃期に活躍・貢献をした。また、多くの学生を育てた。 石見国(現在の島根県)津和野生まれ。藩校の養老館で漢学や蘭学を学ぶ。1870年、15歳の時、藩から大学南校(のちの開成学校、東京大学)に貢進生として上京し、英語、理学を修め卒業する。1877年(明治10年)、創立されたばかりの東京大学理学部地質学および採鉱学科に進学し、1879年(明治12年)東京帝国大学理学部地質学および採鉱学科の最初の卒業生。
川村 景明(かわむら かげあき、1850年4月8日〈嘉永3年… 川村 景明(かわむら かげあき、1850年4月8日〈嘉永3年2月26日〉- 1926年〈大正15年〉4月28日)は、日本の陸軍軍人、華族。東京衛戍総督、鴨緑江軍司令官等を歴任した。官位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級子爵。 薩摩藩士・野崎吉兵衛の三男として薩摩に生まれ、後に川村新左衛門景尚の養子となり川村家を継ぎ、川村源十郎と名乗る。薩英戦争・戊辰戦争に従軍、1869年(明治2年)4月、薩摩藩歩兵第1大隊第1小隊小頭に就任。 1871年(明治4年)4月に上京し同7月から御親兵付・陸軍軍曹として明治新政府に仕える。1872年(明治5年)7月、陸軍少尉・近衛歩兵第2大隊付となり、翌年、陸軍中尉に進む。
古川 正雄(ふるかわ まさお、1837年4月8日(天保8年3… 古川 正雄(ふるかわ まさお、1837年4月8日(天保8年3月4日) - 1877年(明治10年)4月2日)は明治時代の日本の教育者。福澤諭吉の弟子として、日本の近代教育の礎を築いた教育者の一人。慶應義塾初代塾長。また幕末には軍艦頭並として95名を引き連れ榎本軍に加わり戊辰戦争を戦った。旧名を古川節蔵、岡本節蔵、岡本周吉といい、岡本博卿の筆名でも知られる。 広島県西中国山地に奥深い山県郡川小田村生まれ。庄屋の三男に生まれ青年期に医学を志し、広島に出て広島城下で漢学を学ぶ。 1856年(安政3年)、19歳の時、大阪に出て、当時日本中の秀才が集うといわれた緒方洪庵の適塾に入門、蘭学、兵学を修めた。この頃は岡本周吉と称した。
タルタ エリ(4月8日 - )は日本の女性声優。 旧名は森谷… タルタ エリ(4月8日 - )は日本の女性声優。 旧名は森谷 恵利。長野県出身、長野清泉女学院高等学校卒業。 ぷろだくしょんバオバブに所属していたが、2011年9月に退所。フリーを経て、2011年11月からアクセントに所属していた。
石田 あきら(いしだ あきら、4月8日 - )は、日本の漫画… 石田 あきら(いしだ あきら、4月8日 - )は、日本の漫画家。男性。広島県出身。武蔵工業大学(現:東京都市大学)卒業。埼玉県所沢市在住。「コミックSEED」で連載した『私立彩陵高校超能力部』が商業デビュー作。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。