橋本 榮治(はしもと えいじ、1947年7月8日 - )は、… 橋本 榮治(はしもと えいじ、1947年7月8日 - )は、日本の俳人。 神奈川県横浜市出身。千葉大学法学部卒。1976年、「馬酔木」に投句、水原秋桜子、福永耕二に師事。1986年、馬酔木新人賞受賞。1987年、「馬酔木」同人。1997年、「馬酔木」編集長に就任、2007年まで務める。1995年、『麦生』で第19回俳人協会新人賞受賞。2024年、『瑜伽』で第63回俳人協会賞受賞。句集に『麦生』『激旅』『放神』『瑜伽』、俳書に『水原秋櫻子の一〇〇句を読む』がある。「馬酔木」同人、「枻」代表、「件」編集人。
牧 憲二郎(まき けんじろう、1947年7月8日 - )は、… 牧 憲二郎(まき けんじろう、1947年7月8日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 高鍋高校ではエースとして活躍。1965年には甲子園に春夏連続出場を果たす。春の選抜では、1回戦で野崎恒男投手を擁する向陽高に敗退。同年夏の選手権は、2回戦(初戦)で保原高の岡正光、準々決勝で東邦高の北角富士雄と投げ合うが、いずれも完封で降し勝ち上がる。準決勝では銚子商と対戦。銚子商のエース木樽正明から1点を先制するが、8回に追いつかれ9回裏サヨナラ負けを喫する。同年の岐阜国体にも出場し準々決勝に進むが、岩崎忠義のいた津久見高に延長10回裏サヨナラ負け。 1965年ドラフト会議で南海ホークスに1位指名で入団。
村田 健司(むらた けんじ、1946年7月8日 - )は、日… 村田 健司(むらた けんじ、1946年7月8日 - )は、日本のバリトン歌手、翻訳家。 1966年、東京都立駒場高等学校音楽科を卒業。1969年、東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。声楽を中山悌一、古沢淑子、疋田生次郎、ジャック・ジャンセン、カミーユ・モラーヌに師事。1972年、二期会研究生修了。同年、フランス政府給費留学生としてパリ音楽院へ入学、1975年に帰国する。 1984年、「プーランクの歌曲」に対し文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 オペラは1974年にフランス・リヨン・オペラ座のアペルギス「運命論者ジャック」でデビュー。 帰国後は西武劇場、三谷礼二プロデュースのモーツァルト「フィガロの結婚」の伯爵、日本オペラ協会、池辺晋一郎「死神」の早川、東京オペラプロデュース、ミヨー「オルフェの不幸」のオルフェ、藤原歌劇団、ヴァイル「マハゴニー」のビル、東京室内歌劇団、プーランク「ティレジアスの乳房」の亭主、青島広志「火の鳥」のヤマト・タケル等に出演。
北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は… 北村 晃一(きたむら こういち、1946年7月8日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 京都府京都市出身。身長172cm。京都府立桃山高等学校、多摩芸術学園(現・多摩美術大学)卒業。 1969年、新国劇に入り俳優となる。 1970年『新網走番外地 大森林の決斗』で準主役に抜擢されて以降、東映の映画やテレビドラマに出演し、テレビでは『特別機動捜査隊』(NET)や『イナズマン』(同)にレギュラー出演した。『イナズマン』では主人公の相棒・丸目豪作を演じ、共演した伴大介は「自分の存在意義をわきまえて、譲るべきところは譲るということがきちんとできる役者だった」と評している。また、当時すでに既婚者であった。 その後は、時代劇などの悪役に転じ、映像作品を中心に活躍。
津曲 義光(つまがり よしみつ、1946年(昭和21年)7月… 津曲 義光(つまがり よしみつ、1946年(昭和21年)7月8日 - 2011年(平成23年)11月27日)は、日本の元航空自衛官である。福岡県出身。第27代航空幕僚長。位階は従三位。戦後生まれ最初の航空幕僚長であった。
水野 誠一(みずの せいいち、1946年7月8日 - )は日… 水野 誠一(みずの せいいち、1946年7月8日 - )は日本の実業家、政治家。株式会社インスティテュート・オブ・マーケティング・アーキテクチュア代表取締役。株式会社西武百貨店社長、参議院議員(1期)、新党さきがけ政策調査会長(第4代)等を務めた。
大谷 和彦(おおたに かずひこ、1946年7月8日 - 20… 大谷 和彦(おおたに かずひこ、1946年7月8日 - 2025年1月7日)は、日本の経営者。ニューオータニ社長を務めていた。大谷米一の長男。 東京都出身。1969年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年にトーメンに入社。 1981年6月にニューオータニ取締役に就任し、1983年6月に常務、1984年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1993年6月には社長に昇格。 2025年1月7日正午、食道がんのため自宅で死去。78歳没。 1995年、以前より馬主であった父の米一の死去に伴い、所有馬を相続する形で日本中央競馬会(JRA)の馬主となっている。勝負服の柄は黒、赤一文字、冠名には「ワラク」を用いた。
大谷 昭宏(おおたに あきひろ、1945年〈昭和20年〉7月… 大谷 昭宏(おおたに あきひろ、1945年〈昭和20年〉7月8日 - )は、日本のジャーナリスト、元新聞記者、漫画原作者。実弟は元最高裁判所判事の大谷剛彦。 東京都目黒区出身。目黒区立第十中学校、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学卒業後の1968年4月、読売新聞社に入社、徳島支局勤務。1970年、大阪読売社会部(警察担当)へ異動。上司である黒田清と共に「黒田軍団」の一員として、数多くのスクープ記事を取材。1980年より、朝刊社会面コラム『窓』を7年間にわたって担当。 1987年、黒田が当時:取締役論説委員長で現在主筆である渡邉恒雄との社内政治対立から大阪読売を退社した際、行動を共にし、黒田と共に黒田ジャーナルを設立。
大木 凡人(おおき ぼんど、本名:後藤 清登(ごとう きよと… 大木 凡人(おおき ぼんど、本名:後藤 清登(ごとう きよと)、1945年7月8日 - )は、日本の司会者・タレント・レポーター。愛称は凡ちゃん。凡人はジェームズ・ボンドから拝借した。 愛媛県八幡浜市出身。身長180cm。アミー・パーク所属。日本司会芸能協会名誉会長(7代目)。坂本龍馬龍悠会会長。 司会者になる前は、ヤマハ心斎橋店の販売予約課でピアノとエレクトーンの販売営業マンをしていた。その後キャバレーのバイトをしていた時、ショーの司会者が倒れて代役を務めると、才能が開花。上京し、昼は東宝の芸能学校と東映の演技研修所で芝居や歌やダンスを学ぶ傍ら、夜は銀座や赤坂のクラブで司会をこなす。店の客だったTBSのスタッフから声をかけられ、ラジオやテレビのレギュラーに抜擢される。
足立 盛二郎(あだち せいじろう、1944年(昭和19年)7… 足立 盛二郎(あだち せいじろう、1944年(昭和19年)7月8日 - )は日本の郵政官僚、実業家。郵政事業庁長官(初代)、NTTドコモ代表取締役副社長、日本郵政取締役兼代表執行役副社長、ゆうちょ銀行代表執行役会長を歴任。公益財団法人日本棋院理事。東京大学法学部卒業。
葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家… 葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家、脚本家、作家、作詞家。 日本アカデミー賞協会、日本音楽著作権協会、日本シナリオ作家協会、日本放送作家協会に所属する。東京都在住。別名、「はがたたん」。 京都市出身。大将軍(白梅町)で生まれる。父は西陣の職人。京都府立山城高等学校卒業後、日本大学芸術学部在学中から映像関係の仕事に携わる。後に大学中退。 アルバイトで日本劇場で働いていた時に叡南覚照と知り合い、「ごぜんさま」と呼ぶようになり、世話になる。ある時、叡南に将棋で勝ち、叡南に「おまえには歯が立たない。おまえ、はがたたん、にせえ」と言われる。また、叡南に「八百屋で行け」と言われ、「来るもの拒まず」で種々の仕事をするようになった。
玉置 一弥(たまき かずや、1944年(昭和19年)7月8日… 玉置 一弥(たまき かずや、1944年(昭和19年)7月8日 ‐ )は、日本の政治家。民主党所属。 参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)を歴任した。 衆議院議員や民社党国会対策委員長を務めた玉置一徳は父。 京都府相楽郡加茂町(現・木津川市)生まれ。奈良県立奈良高等学校、同志社大学法学部卒業。大学卒業後、日産自動車に入社。 1979年、当時民社党国会対策委員長を務めていた父・玉置一徳衆議院議員が議員在職のまま死去したために実施された衆議院旧京都2区補欠選挙に出馬し、初当選した。その後5期連続で当選するが、1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙でも再び落選した。
竹﨑 博允(たけさき ひろのぶ、1944年〈昭和19年〉7月… 竹﨑 博允(たけさき ひろのぶ、1944年〈昭和19年〉7月8日 - )は、日本の裁判官。2008年から2014年にかけて、最高裁判所長官(第17代)を務めた。 岡山県岡山市北区出身。岡山市立弘西小学校(現・岡山市立岡山中央小学校)、岡山市立旭中学校(現・岡山市立岡山中央中学校)、岡山県立岡山朝日高等学校とも江田五月(科学技術庁長官、参議院議長、法務大臣、環境大臣を歴任)と同窓で江田より3学年下である。東京大学入学も江田の3年後であるが、江田が一年留年・退学処分・復学という経緯を辿ったため、法学部卒業は江田の1年後となった。 主に刑事裁判畑を歩む。最高裁判所事務総局勤務も長く、司法行政経験が豊富である。
北村 英一(きたむら ひでかず、1944年7月8日 - 20… 北村 英一(きたむら ひでかず、1944年7月8日 - 2022年6月25日)は、日本のテレビプロデューサー。クリエイティブハウストップキャット代表取締役。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、青山学院大学卒業。 少年時代は画家に憧れ、中学・高校と美術部に所属。しかし、大学時代に自身の画家としての力量不足を感じ断念。 その後、絵画では難しいが映像なら自分の世界を表現できるのではと思い、映像業界を志望し、1968年に日本教育テレビ(1977年よりテレビ朝日)に入社。以降、バラエティ番組・情報番組を中心に様々な番組の制作を手掛けた。 また同社の事業局統括役員を2000年2月から2009年6月まで務め、その間、常務取締役まで昇進した。
竹﨑 博允(たけさき ひろのぶ、1944年(昭和19年)7月… 竹﨑 博允(たけさき ひろのぶ、1944年(昭和19年)7月8日 - )は、日本の裁判官。最高裁判所長官(第17代)を務めた。
佐々木 涼子(ささき りょうこ、1944年7月8日 - )は… 佐々木 涼子(ささき りょうこ、1944年7月8日 - )は、日本の文学研究者、フランス文学者、舞踊評論家。 東京女子大学名誉教授。専門はマルセル・プルースト、舞踊論。 石川県金沢市生まれ。作家・杉森久英の長女。子ども時代にバレエを習い始め、のち日本舞踊を修める。1967年東京大学仏文科卒、1970年同大学院修士課程修了、博士課程中退。77年には東京女子大学助教授、のち教授。 2007年まで数年間、NHK経営委員を務めた(任期満了で退任)。 2024年4月、瑞宝小綬章を受章
山下 賢章(、1944年〈昭和19年〉7月8日 - 2016… 山下 賢章(、1944年〈昭和19年〉7月8日 - 2016年〈平成28年〉8月16日)は、日本の映画監督。東宝所属。鹿児島県出身。長男は政治運動家の山下万葉。[要出典] 鹿児島県肝属郡串良町(2006年合併により鹿屋市)出身、早稲田大学第一文学部哲学科卒業。1969年に東宝に入社。岡本喜八を筆頭に師事。1975年、本多猪四郎が監督を務めた『メカゴジラの逆襲』でチーフ助監督に就任。同作品への参加には、岡本からの後押しもあったという。 1979年に映画『トラブルマン 笑うと殺すゾ』で監督デビュー。東宝映画では監督を3本務めたらフリー契約をするという暗黙のルールがあったため、監督作を3本は撮りたいと考えていたが、邦画斜陽の時代では実現が難しく、その後も東宝社員のまま助監督時代が長く続いた。
嶋津 昭(しまづ あきら、1943年7月8日 - )は、日本… 嶋津 昭(しまづ あきら、1943年7月8日 - )は、日本の自治官僚。
朝嵐 大三郎(あさあらし だいざぶろう、1943年7月8日 … 朝嵐 大三郎(あさあらし だいざぶろう、1943年7月8日 - 2023年4月2日)は、大阪府大阪市東淀川区出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は笹木 淳二(ささき じゅんじ)。現役時代の体格は183cm、117kg。最高位は東前頭12枚目(1969年5月場所)。得意手は右四つ、突っ張り、吊り、寄り、血液型はB型。
三枝 成彰(さえぐさ しげあき、1942年7月8日 - )は… 三枝 成彰(さえぐさ しげあき、1942年7月8日 - )は、日本の作曲家、編曲家、コラムニスト。株式会社メイ・コーポレーション代表取締役、東京音楽大学客員教授、日本作編曲家協会副会長、日本交響楽振興財団理事、日本現代音楽協会理事、渡辺音楽文化フォーラム理事、全日本ピアノ指導者協会(PTNA)相談役、サイバー大学客員教授、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員。1989年までは本名の三枝 成章(読みは同じ)名義で活動していた。 疎開先の兵庫県西宮市に生まれ、生後40日で東京都に移り、千葉県や神奈川県を転々として育つ。1946年頃からピアノを習い始め、1951年、桐朋学園の子供のための音楽教室に入り、入野義朗に作曲を師事。
堀川 和洋(ほりかわ かずひろ、1942年(昭和17年)7月… 堀川 和洋(ほりかわ かずひろ、1942年(昭和17年)7月8日 - 2004年(平成16年)8月4日)は、日本の警察官僚、政治家。内閣総理大臣秘書官。中国管区警察局長。姫路市長。正四位旭日中綬章。松本市名誉市民。 姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て京都大学法学部卒業。1965年(昭和40年)警察庁に入庁し各地で勤務。 1995年(平成7年)の姫路市長選挙で当選し、以後2期務める。姫路市長在任中は、全国初の中核市への移行や、警察関係を歴任した経験から暴走行為やそれを煽る行動を取り締まる期待族防止条例を制定している。また、JR山陽本線の高架化、レンタサイクルやループバスの開業、キャスティ21計画など駅周辺の整備にも力を入れた。
小川 甲子(おがわ かつこ、旧姓:井戸、1942年7月8日 … 小川 甲子(おがわ かつこ、旧姓:井戸、1942年7月8日 - )は、元宝塚歌劇団花組主演男役・元女優。 兵庫県神戸市出身。公称身長は162センチ。出身校は親和学園。宝塚歌劇団時代の芸名は甲 にしき(こう にしき)、愛称はコウちゃん。 中学時代、腎炎にかかり長期の療養生活を強いられる。状態が落ち着いた時、気分転換にと宝塚コドモアテネを利用し始めたことが、歌劇団志望のきっかけになる。 1960年、宝塚歌劇団入団。宝塚歌劇団46期生。宝塚入団時の成績は首席。初舞台の公演演目は星組公演『春の踊り(日本の恋の物語)/ビバ・ピノキオ』。同期に山吹まゆみ(女優)、上月晃(女優)、古城都(本郷功次郎夫人)、振付師司このみらがいる。
加藤 久雄(かとう ひさお、1942年7月8日 - )は日本… 加藤 久雄(かとう ひさお、1942年7月8日 - )は日本の法学者。元慶應義塾大学教授。法学博士(慶應義塾大学、1983年)。専門は刑法、刑事政策。生命倫理や組織犯罪を中心とした刑事政策研究を行う。
山﨑 舜平(やまざき しゅんぺい、1942年7月8日 - )… 山﨑 舜平(やまざき しゅんぺい、1942年7月8日 - )は、日本の工学者、発明家。工学博士(同志社大学)。半導体エネルギー研究所設立者。シリコンテクノロジーの研究開発に従事。IEEE Life Fellow。同志社社友。 1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。同志社大学工学部卒業。1967年、同志社大学大学院工学研究科修士課程修了。大学時代より加藤与五郎の薫陶をうける。フラッシュメモリとして知られる不揮発性メモリのトランジスタ構造を博士課程在学中の1970年に発明。1971年、同志社大学大学院電気研究科博士課程修了(工学博士)。同年、東京電気化学工業入社、不揮発性メモリの研究に従事。1973年、TDKフェアチャイルド入社、品質管理課長。
南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000… 南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000年4月7日)は、日本の元バレーボール選手(元全日本代表)・指導者。元バレーボール全日本男子代表監督。 福岡県福岡市出身。福岡市立当仁小学校出身。福岡大大濠高校卒業後、1960年旭化成に入社、バレーボール部に入部。196cmの大型スパイカーとして活躍した。1961年全日本代表初選出。オリンピックでは1964年東京五輪で銅メダル、1968年メキシコ五輪で銀メダルを獲得。 そして1972年ミュンヘン五輪では念願の金メダルを獲得。特に準決勝のブルガリア戦では、相手チームのエース・ズラタノフの活躍で先に2セットを奪われて、絶体絶命の状況で第3セット途中から出場し、ミュンヘンの奇跡として語り継がれる逆転勝利の立役者となった。
石原 高文(いしはら たかふみ、1941年〈昭和16年〉7月… 石原 高文(いしはら たかふみ、1941年〈昭和16年〉7月8日 - )は、日本の薬理学者、医学博士。 熊本県熊本市東区小山出身。 実家である小山諏訪神社がある熊本県熊本市東区小山学区の熊本市立託麻東小学校を経て熊本市立東部中学校を卒業、県立高等学校を卒業後に熊本大学薬学部と熊本大学大学院の医学研究科博士課程と薬学研究科博士課程を卒業。 熊本大学大学院の医学研究科と薬学研究科に在籍のち大塚製薬など製薬会社で勤務、勲二等瑞宝章を受章し日本薬理学会名誉会員や日本薬学会有功会員である熊本大学薬学部名誉教授の加瀬佳年(1917年3月26日-2003年1月25日)から声が掛かり、1982年から教授と共に大阪山崎のサントリー生物医学研究所にて研究に携わる。
金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、… 金子 正明(かねこ まさあき、1940年7月8日 - )は、栃木県足利市出身の元レスリング選手、元陸上自衛官1968年メキシコシティーオリンピックレスリング競技男子63kg級金メダリスト。 足利工業大学附属高等学校でレスリングを始める。専修大学卒業後、自衛隊に入隊、陸上自衛官として自衛隊体育学校に在籍。バンタム級で第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)を目指すが、代表選考会の最終予選で上武洋次郎に敗れて出場を逃す。 東京大会の後に階級をフェザー級に上げ、1968年第19回夏季オリンピックメキシコシティ大会に挑むことを決意、その当時には普及されていなかったウェイトトレーニングで体を作る。またその当時の日本レスリングの主流だった八田一朗(日本アマチュアレスリング協会会長)が提唱した攻撃重視スタイルにあえて背を向け、防御と巧みな試合運びで後半に勝負するという自己流カウンター型スタイルを確立、世界選手権を2連覇し、メキシコシティ大会では男子フリースタイルフェザー級において金メダルを獲得した。
森 清範(もり せいはん、1940年〈昭和15年〉7月8日 … 森 清範(もり せいはん、1940年〈昭和15年〉7月8日 - )は、清水寺の貫主(住職)。また、1995年(平成7年)より始まった公益財団法人日本漢字能力検定協会が主催する「今年の漢字」において、公募で選ばれたその年を表す一文字の漢字を清水寺の舞台で揮毫していることでも知られている。
吉行 理恵(よしゆき りえ、本名:吉行→辻→吉行理恵子、19… 吉行 理恵(よしゆき りえ、本名:吉行→辻→吉行理恵子、1939年〈昭和14年〉7月8日 - 2006年〈平成18年〉5月4日)は、日本の小説家・詩人。 東京府生まれ。母は吉行あぐり、父は吉行エイスケ。兄は吉行淳之介、姉は吉行和子。女子学院中学校・高等学校、早稲田大学第二文学部日本文学専修卒業。 父や兄の影響を受け、早くから文筆活動に目覚める。1964年から1967年まで、工藤直子・吉原幸子ら女性詩人8人による同人「ゔぇが」に参加。詩集『夢のなかで』で1968年第8回田村俊子賞を受賞。 詩人としての評価の方が高かったが、小説『小さな貴婦人』で1981年上期芥川賞を受賞。兄妹で芥川賞を受賞した最初の事例として話題を呼んだ(選考委員の1人には兄がいた)。
橋本 淳(はしもと じゅん、1939年〈昭和14年〉7月8日… 橋本 淳(はしもと じゅん、1939年〈昭和14年〉7月8日 - 2026年〈令和8年〉5月21日)は、日本の作詞家である。本名は与田凖介(よだ じゅんすけ)で、詩人・児童文学者の与田凖一(1905年 - 1997年)は実父である。すぎやまこういちに師事し、弟子に中村容子がいる。作曲家の筒美京平とのコンビでヒット曲を多数手がける。 2,000曲を超える楽曲を発表し、代表作として知られるいしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』のほか、ジャッキー吉川とブルーコメッツ『ブルー・シャトウ』、ヴィレッジ・シンガーズ『亜麻色の髪の乙女』などグループ・サウンズ(GS)の作詞を多く手がけ、オリコンチャート解析で「GS関連で最も売れた作詞家」とされた。
栃内 香次(とちない こうじ、1939年7月8日 - )は、… 栃内 香次(とちない こうじ、1939年7月8日 - )は、日本の工学者。学位は、工学博士(北海道大学)。北海道における自然言語処理研究の第一人者。多くの門下生を輩出した。北海道大学教授・栃内吉彦の長男。祖父に栃内曽次郎がいる。 1962年に北海道大学工学部電気工学科卒業。1964年北海道大学大学院工学研究科電気工学専攻修了。1964年に北海道大学工学部専任講師に就く。以後、1965年に北海道大学工学部助教授。1986年9月工学博士を受く。1987年に北海道大学工学部教授。1994年に北海道大学大型計算機センター長(1998年まで)。1995年に北海道大学大学院工学研究科教授。2002年に定年退任。
今津 光男(いまづ みつお、1938年7月8日 - 2005… 今津 光男(いまづ みつお、1938年7月8日 - 2005年11月7日)は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、… 小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、日本の児童文学作家、小説家。本名・聰。箕輪町の資料館「美空ひばり歌の里」館長。 長野県上伊那郡箕輪町出身。立教大学文学部卒。 1983年、『黒潮物語』で第6回塚原健二郎文学賞受賞。「絵本伊那谷ものがたり」シリーズを刊行している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
永島 慎二(ながしま しんじ、1937年7月8日 - 200… 永島 慎二(ながしま しんじ、1937年7月8日 - 2005年6月10日)は、日本の漫画家。本名:永島 眞一(または真一、ながしま しんいち)。東京市出身。愛称はダンさん。長男はギタリストの永島志基。 東京市滝野川区生まれ。生家は雑貨商であった。父を戦争で失い、空襲で家を焼かれる。小学生の頃から漫画家に憧れるが、教師に諭され一旦諦める。鬱積した感情を抱え不良少年となる。いくつかの決闘に勝ち、目黒区立第一中学校の総番長の座に就く。高校生と殴り合いの喧嘩をして負傷したこともあった。 同校を2年で中退後、家出して酒屋や洗濯屋、豆腐売り、自転車修理工など十を超える仕事を転々としながら漫画を描いていたがどれも長くは続かず、半年後に行き詰った。
佐久間 賢司(さくま けんじ、1936年(昭和11年)7月8… 佐久間 賢司(さくま けんじ、1936年(昭和11年)7月8日 - 1984年(昭和59年)7月17日)とは、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 濱田庄司の同志として「民芸品としての益子焼」の発展普及に貢献した陶芸家・佐久間藤太郎の4男であり、藤太郎亡き後の「佐久間窯」を継ぎ3代目となり、窯元の名称を「佐久間藤太郎窯」と改称した人物である。 1936年(昭和11年)7月8日、益子焼の陶芸家である佐久間藤太郎の4男として益子町に生まれる。 藤太郎の窯元である「佐久間窯」の生まれのため、生まれた時から陶土に囲まれていた。賢司の生まれた頃の佐久間窯は、藤太郎を中心として16人もの陶工とその家族が陶器作りに働いていた。
田中史(たなか ふびと、1936年7月8日 - 2001年7… 田中史(たなか ふびと、1936年7月8日 - 2001年7月11日)は日本の大蔵官僚。 大阪府出身。京都大学法学部卒業。1960年 大蔵省に入省(大臣官房文書課)。1967年7月 豊橋税務署長。1982年6月 東京国税局総務部長。1984年9月7日 仙台国税局長。1986年6月 総務庁人事局次長。1988年6月21日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。同年8月20日 退官。同年9月 石油公団理事。1992年6月 池田銀行顧問、同行常務取締役。1993年7月 同行専務取締役。
大塚 弘介(おおつか ひろすけ、1936年7月8日 - )と… 大塚 弘介(おおつか ひろすけ、1936年7月8日 - )とは日本の歯学者、歯学博士、教育者、東京歯科大学出身(昭和36年卒)、歯科医師。 日本政府派遣(旧厚生省)で、当時 米国施政権下の琉球政府の要請による沖縄地区第二回(昭和38年)無医村巡回診療班に従事。 大塚歯科医院開設開業(昭和48年 現住所・東京都品川区西五反田1丁目27-1 ニュー大塚ビル2001)。 日本歯科保存学会認定医(平成4年3月1日登録263号)、同指導医(平成14年7月1日登録158号)。 医療法人社団豊仁会理事長。東京歯科技工専門学校開校(昭和47年4月10日) 校長・代表者(昭和47年4月~平成22年3月)。 東京歯科大学非常勤講師 37年間(昭和47年4月~平成21年3月)。
大城 美佐子(おおしろ みさこ、1936年7月8日 - 20… 大城 美佐子(おおしろ みさこ、1936年7月8日 - 2021年1月17日)は、沖縄民謡の歌手、女優。 「沖縄民謡の重鎮」、「沖縄民謡の偉大なる唄い手」、「民謡界のベテラン」、「沖縄民謡のレジェンド」などと称された。 大阪市大正区に生まれ、沖縄県名護市辺野古で育つ 。10代半ばから料亭で働き、当時人気があった沖縄民謡の唄者、嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)と小浜守栄(こはま・しゅえい)の熱烈なファンになる。当時は女性が三線を弾くことが良しとされなかった時代だったが、自らの耳で唄と三線を覚える。 知名定繁(知名定男の父)に弟子入りして民謡の道に進む。1962年にシングル『片思い』でデビュー。その後、三線を抱えて東京、神奈川、大阪など長らく彷徨し、沖縄に戻ってくる。
吉原 忠男(よしはら ただお、1935年7月8日 -)は、日… 吉原 忠男(よしはら ただお、1935年7月8日 -)は、日本の医師(外科学)、推理作家。医学博士。埼玉県医師会元会長。日本ペンクラブ会員。 青森県三戸郡三戸町出身。1960年、東京慈恵会医科大学医学部卒業。1962年に医師国家試験合格(医籍174945号)。同大学第一外科学教室助手を経て、1968年に埼玉県浦和市(現・さいたま市)で吉原医院を開設。1970年、医学博士(東京慈恵会医科大学)。 埼玉県医師会常任理事を経て、2004年4月から2010年まで埼玉県医師会長。2006年に医療功労賞(読売新聞社主催)を受賞。2011年4月、旭日小綬章を受章。 現役の開業医として地域の保険・医療活動に力を入れながら、合間を縫って海庭 良和(かいば よしかず)のペンネームで豊富な医学知識を生かしたミステリー作品の執筆活動に取り組む。
國井 康夫(くにい やすお、1934年7月8日 - 2019… 國井 康夫(くにい やすお、1934年7月8日 - 2019年2月2日)は、日本の経営者。日本水産社長、会長を務めた。東京都出身。 1957年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、同年に日本水産に入社した。1987年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、1995年6月には社長に就任した。1999年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 2004年11月に旭日中綬章を受章。 2019年2月2日に病気のために死去。84歳没。
小野寺 克男(おのでら かつお、1933年7月8日 - )は… 小野寺 克男(おのでら かつお、1933年7月8日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(捕手)。 宮城農学校から、社会人野球の電電東北を経て、1954年に東映フライヤーズに入団。しかし、前半は土井垣武・後半は山本八郎の陰に隠れ、控えでの出場が主だった。野村克也と同期であり、対戦したこともある。1958年に東映を退団した。 プロ退団後は社会人野球に復帰し、常磐炭礦(現・常磐興産。スパリゾートハワイアンズの経営会社として有名)、岩崎電気でプレーした。岩崎電気在籍中は、1963年に第13回日本産業対抗野球大会(通称:サンベツ)にも出場した。 現役引退後は、ヨークベニマル硬式野球部監督を務めた。 その後、2020年現在は福島県いわき市の中学硬式野球チーム「いわきリトルシニア」の会長を務めている。
奥井 一満(おくい かずみつ、1933年(昭和8年)7月8日… 奥井 一満(おくい かずみつ、1933年(昭和8年)7月8日 - 2004年(平成16年)2月11日)は、日本の評論家。学位は、農学博士。北里大学名誉教授。専門は、動物行動学・昆虫学・博物学。群馬県太田市出生、神奈川県鎌倉市出身。
中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1933年7月8日 - … 中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1933年7月8日 - )は、日本の文部官僚、侍従。 新潟県佐渡島生まれ。1958年東京大学文学部哲学科卒業、文部省入省。1977年より同省内各課長、京都国立博物館次長、文化庁文化財保護部長。1986年宮内庁侍従。1989年皇太后宮職参事兼侍従。1991年国立茨城工業高等専門学校長。1997年別府大学学長・教授。2003年杉野服飾大学・同短期大学部学長・教授。2004年学校法人杉野学園理事長。 2004年4月瑞宝中綬章受章。
服部 勉(はっとり つとむ、1932年7月8日 - )は、日… 服部 勉(はっとり つとむ、1932年7月8日 - )は、日本の微生物学者、農学者、東北大学名誉教授。妻は渋沢敬三の次女・服部黎子。渋沢家当主の渋沢雅英は義兄。 岐阜県大垣市生まれ。名古屋大学理学部卒業、1960年東北大学大学院学農学研究科農芸化学専攻博士課程修了、「界面に吸着せる細菌の研究」で農学博士。土壌微生物の研究を始める。東北大学農学研究所助教授、遺伝生態研究センター教授を務め、1996年定年退官、名誉教授、東京農業大学教授を務めた。水田、畑、草地、山林など、身近な環境にすむ土壌微生物の生態が研究テーマ。日本微生物生態学会会長を務めた。
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 -… 松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 福岡県久留米市出身、福岡県立明善高等学校から東京芸術大学に進学、卒業時に大橋賞を受ける。独立展を拠点に活動する。東京都立駒場高等学校で教鞭をとり、その後多摩美術大学に転じ、教授職をつとめ、後進の指導に力を注いだ。 風景画を中心に描き、〈平均的肥満体 1965~1970〉〈退屈な風景 1971~1986〉〈さくら・うし 1987~1996〉〈花と雲と牛 1997~2001〉の連作をのこす。 義父は教育学者の石川謙、義兄に石川松太郎がいる。 青森県立美術館、栃木県立美術館、東京都現代美術館、府中市美術館、多摩美術大学美術館、八王子市夢美術館、青梅市立美術館、佐久市立近代美術館、池田20世紀美術館、愛知県美術館、京都国立近代美術館、広島市現代美術館、高松市美術館、北九州市立美術館、福岡県立美術館、福岡市美術館、久留米市美術館、熊本県立美術館、宇城市不知火美術館、都城市立美術館
佐藤 誠三郎(さとう せいざぶろう、1932年7月8日 ‐ … 佐藤 誠三郎(さとう せいざぶろう、1932年7月8日 ‐ 1999年11月28日)は、日本の政治学者、東京大学名誉教授。正四位勲二等瑞宝章。大平正芳、中曽根康弘両政権時のブレーンを務め、保守派の論客として知られた。
坂口 昂吉(さかぐち こうきち、1931年7月8日 - 20… 坂口 昂吉(さかぐち こうきち、1931年7月8日 - 2021年4月6日)は、日本の西洋史学者。学位は博士(史学)(慶應義塾大学・2000年)。慶應義塾大学名誉教授。
秋元 律郎(あきもと りつお、1931年〈昭和6年〉7月8日… 秋元 律郎(あきもと りつお、1931年〈昭和6年〉7月8日 - 2004年〈平成16年〉6月28日 )は、日本の社会学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。旧制成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻単位取得退学、79年「日本社会学史 形成過程と思想構造」で文学博士の学位を取得。早稲田大学文学部助教授、教授、2002年定年退任、名誉教授、大妻女子大学人間関係学部教授、放送大学客員教授。早大時代の教え子には、犬飼裕一(社会学者)田中伯知(社会学者)などがいる。2004年6月28日午後10時25分、肺がんのため埼玉県入間市の病院で死去した。
木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年… 木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年2月21日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。名前の読みを「げん」とする資料もある。 長沼健、樽谷恵三は広島大学附属小学校からの幼馴染み。1945年被爆。広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)では、長沼・樽谷との超強力スリートップの高速右ウイングとして全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。翌年国体も制覇。
森上 史朗(もりうえ しろう、1931年7月8日 - 201… 森上 史朗(もりうえ しろう、1931年7月8日 - 2019年8月4日)は、日本の幼児教育学者。 岡山県真庭郡久世町(現・真庭市)生まれ。1955年東京教育大学教育学部心理学科卒業、北海道教育研究所勤務、東京成徳短期大学助教授、1970年大妻女子大学家政学部助教授、1975年文部省初等中等教育局幼稚園課教科調査官、1980年日本女子大学家政学部助教授、教授、附属児童研究所主事、1997年青山学院大学教授、2001年同大定年退職、子どもと保育総合研究所代表。