河口 静雄(かわぐち しずお、1898年11月14日 - 1… 河口 静雄(かわぐち しずお、1898年11月14日 - 1991年12月19日)は、日本の実業家。三共副社長、東京12チャンネルテレビ事業本部長を務めた。 福岡県柳川市出身。河口時次、トリの三男。1928年に慶應義塾大学法学部を卒業し三共に入社。資材部長、1944年7月に取締役、1950年5月に常務、1955年11月専務を経て、1962年11月には副社長に就任し、1964年5月から相談役を務めた。1969年11月には当時経営不振に陥っていた東京12チャンネルテレビ事業本部長に就任し、同社の再建に当たった。全日本広告連盟理事長、日本広告審査機構理事長なども歴任し、広告界の重鎮として活躍した。1967年には日本宣伝大賞を授賞、1969年4月には勲三等瑞宝章を受章した。
桜井 督三(さくらい とくぞう、別表記 : 櫻井 督三、18… 桜井 督三(さくらい とくぞう、別表記 : 櫻井 督三、1898年 〈明治31年〉11月14日 - 1978年〈昭和53年〉5月15日)は、日本の経営者。北越製紙、新潟総合テレビ社長などを務めた。位階は従四位。 新潟県広神村(現・魚沼市)の庄屋に生まれる。 長岡中学(現・新潟県立長岡高等学校)を経て慶應義塾理財科を卒業。1922年に九州水力電気に入社。1942年に九州配電理事に就任。理事になるまで、経理、営業、企画、技術を担当。九州の主なところでは大牟田、大分、福岡に移り住んだ。 1944年に日本発送電理事に転じ、1949年7月から1950年9月までに副総裁を歴任。1954年9月から1956年9月までに電源開発理事を務めた。
藤野 岩友(ふじの いわとも、1898年11月14日 - 1… 藤野 岩友(ふじの いわとも、1898年11月14日 - 1984年5月28日)は、古典中国文学者。國學院大學名誉教授。文学博士。折口信夫の五博士のうちの一人である。 楚辞の研究で知られ、主著は『巫系文学論』、『中国の文学と礼俗』など。漢文学者として『角川漢和中辞典』など漢和辞典や漢文教科書の編さんを担当した。 息子は幻想画家の藤野一友(別名義で中川彩子)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉村 茂樹(よしむら しげき、1897年(明治30年)11月… 吉村 茂樹(よしむら しげき、1897年(明治30年)11月14日 - 1985年(昭和60年)4月16日)は、日本史学者。 広島県出身。東京帝国大学卒。1936年(昭和11年)に東京帝大史料編纂所編纂官。1952年(昭和27年)、東京大学史料編纂所第一研究部長として、朱雀天皇千年式年祭に先立ち御事績を昭和天皇に進講した。1954年(昭和29年)に東京大学史料編纂所教授。1958年(昭和33年)に定年退官、上智大学教授。1967年(昭和42年)に退職。専門は平安・鎌倉時代の政治・法制、古文書学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1… 杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1987年1月2日)は日本の政治家。衆議院議員、福岡県知事などを務めた。 福岡県福岡市出身。1914年、中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1921年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 九州帝国大学、福岡高校、福岡女子専門学校の各講師、西南学院専門学校(現・西南学院大学)校長を経て、1946年4月、戦後初の衆議院議員総選挙に福岡1区から社会党所属で出馬し当選、1期務める。1947年4月から2期、福岡県知事を務めて石炭政策を推進した。福岡県知事の任期満了後に両派社会党の推薦で福岡市長選に出馬するが保守系現職の小西春雄に敗れて落選、翌1956年3月から久留米市長となる。
中鉢 常正(なかばち つねまさ、1895年〈明治28年〉11… 中鉢 常正(なかばち つねまさ、1895年〈明治28年〉11月14日 - 1978年〈昭和53年〉11月19日)は、日本の経営者。東京都出身。位階は正五位。 1919年に慶應義塾大学法科を卒業。古河鉱業での勤務を経て、1934年に古河電気工業に転じ、1949年に取締役に就任し、1955年3月に常務を経て、1957年2月に日本ゼオン副社長に就任し、1960年5月には社長に昇格。1962年11月には相談役に就任。 1971年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1978年11月19日心不全のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
千葉 あやの(ちば あやの、1889年〈明治22年〉11月1… 千葉 あやの(ちば あやの、1889年〈明治22年〉11月14日 - 1980年〈昭和55年〉3月29日 )は、日本の染色家。宮城県文字村(現栗原市)出身。 日本最古の染色技術といわれる「正藍染(正藍冷染)」の技法の保持者として、人間国宝に認定された。 1889年11月14日、文字村の佐藤善五郎・きよのの三女として生まれる。幼少より機織りに優れたといわれる。1909年6月22日、千葉彦右衛門の養子由之助に嫁ぐ。 中国大陸から日本に伝わった藍染の技術は、日本各地で行われていた。あやのの生まれた栗駒山麓の農村でも、栽培した麻を布に織り、藍で染めて衣料の自給を行っていた。明治から大正期にかけて、昔ながらの藍染めを行う家が文字村には20軒ほどあったが、近代化により、昭和20年代には千葉家を含めて2軒を残すのみとなっていた。
蘆谷蘆村(あしや ろそん、1886年11月14日 - 194… 蘆谷蘆村(あしや ろそん、1886年11月14日 - 1946年10月15日)は日本の口演童話の研究家、児童文学の作家である。キリスト教精神と欧米の童話を基盤に、伝承童話の研究の基礎を築いた。また近代詩の詩人として、北原白秋、三木露風の同時代に活躍した詩人でもある。 蘆谷ろそんとも表記される。本名は重常 1886年(明治19年)島根県松江市に生まれ、栃木県で育つ。国民英学会で中等教育を受ける。 1904年頃、17歳頃栃木県宇都宮市の栃木県立宇都宮農学校(現、栃木県立宇都宮白楊高等学校)の学生時代に、東洋宣教会の宣教師アーネスト・キルボルンの宇都宮の福音伝道館で求道を始める。同級生の森五郎を福音伝道館に誘う。
衛藤 利夫(えとう としお、1883年11月14日 - 19… 衛藤 利夫(えとう としお、1883年11月14日 - 1953年7月7日)は、日本の満州文化史研究者、図書館員。 熊本県上益城郡飯野村(現益城町)出身。五男は衛藤瀋吉。1908年第五高等学校文科退学、東京帝国大学文学部選科に入る、1912年選科修了(大塚保治に師事)。1915年東京帝大司書。1919年満鉄大連図書館司書、1920年奉天簡易図書館主事。1922年満鉄奉天図書館長、1932年大同学院顧問。1941年奉天図書館長を辞任、日本図書館協会理事。1946年同理事長。
田子 一民(たご いちみん、1881年〈明治14年〉11月1… 田子 一民(たご いちみん、1881年〈明治14年〉11月14日 - 1963年〈昭和38年〉8月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議長(第34代)、衆議院副議長(第27代)、官選三重県知事、農林大臣(第4次吉田内閣)、衆議院議員(通算9期)などを務めた。岩手県盛岡市出身。東京帝国大学法科大学卒業。 岩手県士族の田子勘治の次男として生まれる。現在の盛岡市立城南小学校、盛岡中学、旧制二高を経て、1908年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、内務省に入省。山口県警部、山口県都濃郡長、山口県警察部長、内務省社会局第一課長兼第二課長、社会局長、官選三重県知事などを歴任し、その後政界に転じる。
渋谷 伊之彦(しぶや いのひこ、1881年11月14日 - … 渋谷 伊之彦(しぶや いのひこ、1881年11月14日 - 1935年12月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
小沢 碧童(おざわ へきどう、1881年(明治14年)11月… 小沢 碧童(おざわ へきどう、1881年(明治14年)11月14日 - 1941年(昭和16年)11月17日)は、日本の俳人。本名は清太郎、のちに西徳。忠兵衛とも。東京都出身。 1881年(明治14年)に日本橋区(現在の中央区)本船町で生まれる。生家は魚問屋を営んでいたが、8歳で祖父の元に養子に出された。祖父は「西徳めぐすり」という目薬を作って生計を立てていた。当初は正岡子規門下の松下紫人から定形俳句を学んでいたが、やがて河東碧梧桐の新傾向俳句に傾倒し、前述の目薬を碧梧桐が買いに来た縁で、碧梧桐の主宰する『海紅』に参加、自由律俳句を詠むようになる。明治37年、上根岸町(現在の台東区根岸)の自宅を骨立舎と命名して俳道場も開いた。
野口 淳吉(のぐち じゅんきち、1880年(明治13年)11… 野口 淳吉(のぐち じゅんきち、1880年(明治13年)11月14日 - 1919年(大正8年)9月5日)は、明治から大正にかけての内務官僚。 従兄は実業家の野口遵。義妹(弟の妻)は女性運動家の堀田くに。甥は作家の堀田善衛。大甥は経済学者の堀田一善。 富山県士族野口忠五郎の次男として生まれる。旧制第四高等学校を経て、1906年に東京帝国大学法科大学を卒業し、翌年11月高等文官試験に合格。12月16日栃木県警視に任じられ、1908年2月に福井県事務官に転じたのち、1910年7月14日秋田県事務官・秋田県警察部長、北海道庁事務官・北海道庁拓殖部長、1913年6月13日新潟県警察部長、1914年6月9日山口県内務部長に任じられた。
後藤 房之助(ごとう ふさのすけ、1879年〈明治12年〉1… 後藤 房之助(ごとう ふさのすけ、1879年〈明治12年〉11月14日 - 1924年〈大正13年〉7月31日)は、宮城県栗原郡姫松村(現・栗原市)出身の政治家。 八甲田雪中行軍遭難事件での生存者の一人で、帰郷後に村会議員を務めた。 後藤房之助は小作の五男(三男とも言われる)として生まれた。 1899年(明治32年)12月に陸軍に徴集される。1902年(明治35年)1月、歩兵第5連隊の伍長として八甲田山の雪中行軍に加わる。1月23日に雪中行軍隊が出発したが、遭難した結果数日のうちに大半の兵士が凍死するという惨事となった。 ほとんどの兵士は倒れるか道を誤り、総指揮官の神成文吉歩兵大尉と2人だけの行軍となった。
菊池 契月(きくち けいげつ、1879年11月14日 - 1… 菊池 契月(きくち けいげつ、1879年11月14日 - 1955年9月9日)は、明治後期から昭和中期にかけての日本画家。本名菊池(旧姓細野)完爾。 1879年(明治12年)11月14日、長野県下高井郡中野町(現在の中野市)で素封家の細野勝太郎・はつ夫妻の次男として生まれる。少年時代から絵を描くことを好み、1892年(明治25年)、13歳で山ノ内町の渋温泉在住の南画家・児玉果亭に入門、「契月」の画号を与えられる。小学校高等科卒業後は呉服屋、製糸工場、町役場で勤務し、そのかたわら中野町に滞在中であった高島雪松に私淑。やがて画家として立つことへの思いが止み難いものとなり、1896年(明治29年)、妹の結婚式のどさくさに紛れて同郷の友人・町田曲江とともに 故郷を出奔、京都に出て南画家・内海吉堂に入門。
宇都野 研(うつの けん/きわむ、1877年(明治10年)1… 宇都野 研(うつの けん/きわむ、1877年(明治10年)11月14日 - 1938年(昭和13年)4月3日)は、日本の小児科医、歌人である。 愛知県額田郡本宿村に医家の子として生まれる。後に上京し東京帝国大学(現在の東京大学)卒業後、1912年(明治45年)には文京本郷にて小児科病院を開設して、乳幼児の診療にあたった。後に竹柏会に参加し、佐佐木信綱や窪田空穂、若山牧水に師事し和歌を学び、鋭い現実との結んだ作風を取り入れた。没後は多磨霊園に葬られた。門人に杉田つるらがいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
永井 潜(ながい ひそむ、1876年11月14日 - 195… 永井 潜(ながい ひそむ、1876年11月14日 - 1957年5月17日)は、日本の医学者、生理学者、優生学者。 広島県賀茂郡下市村(現・竹原市)出身。終戦直後に外務次官を務めた河相達夫は実弟。 1902年、東京帝国大学医科大学を卒業後、1903年よりドイツに留学。ゲッティンゲン大学で生理学者マックス・フェルヴォルン(Max Verworn)の薫陶を受け、冬眠動物の代謝生理の研究を行う。1906年に帰国、1915年には大沢謙二の後を継ぎ東京帝大医科大学生理学教室第2代教授となる。その前後から一般雑誌や婦人雑誌などに盛んに優生学や生命論をはじめとした論稿を多数発表している。1930年に日本民族衛生学会を設立、理事長として優生学研究の推進と国民優生法(1940年)の前身である民族優生保護法案の提出に大きな役割を果たした。
梅村 大(うめむら だい、1875年(明治8年)11月14日… 梅村 大(うめむら だい、1875年(明治8年)11月14日 - 1951年(昭和26年)1月20日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 秋田県秋田郡扇田村(北秋田郡扇田村、扇田町、比内町を経て現大館市比内町扇田)出身。 1901年(明治34年)東京法学院(現在の中央大学)を卒業。青森市で弁護士を開業し、青森弁護士会長に選ばれた。青森市会議員、青森県会議員、同参事会員に選出された。 1932年(昭和7年)第18回衆議院議員総選挙に青森県第1区から出馬し、当選を果たした。
坂野 鉄次郎(さかの てつじろう、1873年(明治6年)11… 坂野 鉄次郎(さかの てつじろう、1873年(明治6年)11月14日 - 1952年(昭和27年)6月5日)は、日本の逓信官僚、政治家・貴族院議員(多額納税)、実業家。 岡山県津高郡菅野村(後の御津郡野谷村菅野、現在の岡山市北区菅野)出身。岡山県士族・坂野半四郎の長男。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した。 逓信省通信局に入る。1899年(明治32年)、逓信事務官に任ぜられた。大阪郵便局に転じ、監理課長を務めた。北清事変の際には野戦郵便事務視察官を務めた。1901年(明治34年)、長野郵便局長に任ぜられ、1902年(明治35年)、本省書記官となり、日露戦争の際には大本営野戦高等郵便局長を務めた。
橋本 喜造(はしもと きぞう、1872年11月14日(明治5… 橋本 喜造(はしもと きぞう、1872年11月14日(明治5年10月14日)- 1947年(昭和22年)2月7日)は、明治末から昭和前期の実業家、政治家、長崎県多額納税者。衆議院議員。長崎県会議員。佐世保市会議員。族籍は長崎県平民。 小倉県下毛郡、のちの大分県下毛郡三保村(現中津市)で、橋本半平の二男として生まれる。1896年(明治29年)1月、長崎県平民の橋本雄造の養子となり、1898年(明治31年)1月に分家した。 長崎商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)、長崎外国語学校(長崎英語学校)を卒業。その後上京して慶應義塾で学んだが中途でアメリカへ渡り4年間遊学し政治経済学を学んだ。 1891年(明治24年)から海運事業を経営し、1918年(大正7年)2月に佐世保市で橋本汽船を設立し、その後、拠点を西宮市、神戸市と転じた。
斎藤 常三郎(旧字体:齋藤 常三郎、さいとう つねさぶろう、… 斎藤 常三郎(旧字体:齋藤 常三郎、さいとう つねさぶろう、1871年〈明治4年〉11月14日 - 1921年〈大正10年〉10月7日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。栄典は従四位勲二等功三級。 愛知県碧海郡土井村辻(現・岡崎市土井町)出身。斎藤兵三郎の四男。赤渋小学校卒業後、同校助教を務め、宮地小学校への合併後も同職。1891年(明治24年)に小学校教員免許を正式に取得。成城中学校を経て翌年桑子小学校訓導となるも、同年士官候補生として近衛歩兵第2連隊に入営。1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業。日清戦争では台湾に派遣され、三角湧や龍潭城、新竹を転戦するもマラリアに罹患し新竹兵站病院に入院。
塩澤 昌貞(しおざわ まささだ、1870年11月14日(明治… 塩澤 昌貞(しおざわ まささだ、1870年11月14日(明治3年10月20日) - 1945年(昭和20年)7月7日)は、茨城県水戸出身の経済学者、法学博士、早稲田大学第4代学長、第2代総長。 早稲田大学時代にボート競技に取り組んだことが縁で、晩年、日本漕艇協会会長に就任した。1940年(昭和15年)戸田漕艇場オープン時のデモンストレーションでは、会長として70歳台艇に乗り込み舵手を務めた。
水越 理庸(みずこし りよう、1869年11月14日(明治2… 水越 理庸(みずこし りよう、1869年11月14日(明治2年10月11日) - 1925年 (大正14年)6月22日)は、愛知県出身の官僚、実業家。位階および勲等は従四位・勲五等。
清水 市太郎(しみず いちたろう、1865年11月14日〈慶… 清水 市太郎(しみず いちたろう、1865年11月14日〈慶応元年9月26日〉- 1934年〈昭和9年〉12月19日)は日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)、弁護士。 尾張国知多郡鬼崎村(後の愛知県常滑市)出身。1889年(明治22年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、イギリスのミドル・テンプルに留学した。帰国後に判事試補、海軍大学校教官、東京帝国大学法科大学講師を歴任し、日清戦争の際には捕獲審検所評定官を務めた。その後は法制局参事官を兼ね、退官後は弁護士を開業。 1899年(明治32年)には小栗富治郎の欧米視察に随伴した。1908年の第10回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以後合わせて6期の当選を数えた。
田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日〈元治… 田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日〈元治元年10月15日〉- 1940年〈昭和15年〉12月6日)は、明治から昭和初期の農商務官僚・政治家である。衆議院議員。文部大臣。族籍は秋田県士族。 出羽国楢山(のち秋田県秋田市)出身。田中隆世の長男。秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、大学予備門、1889年(明治22年)7月に帝国大学法科大学卒業。農商務省鉱山局長・農商務次官を経て、その後実業界に入り秋田鉱山専門学校(現:秋田大学工学資源学部)の設立に尽力した。ついで政界に転じ、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙で当選した。濱口内閣・第2次若槻内閣で文部大臣を務め、議員を7期務めて1932年(昭和7年)に引退した。
宮下 一清(みやした いっせい、文久3年10月4日〈1863… 宮下 一清(みやした いっせい、文久3年10月4日〈1863年11月14日〉 - 1945年〈昭和20年〉2月18日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の弁護士、政治家である。政界では長野県会議員・長野市会議員や衆議院議員(当選1回)を歴任し、他に実業界で長野新聞初代社長を務めた。 文久3年10月4日(新暦:1863年11月14日)、信濃国更級郡今里村(現在の長野県長野市)に生まれる。村の小学校を卒業したのち高井鴻山の高矣義塾で漢学を修める。1881年(明治14年)には長野県師範学校に入学するも年内に退学し、翌年より明治法律学校(明治大学の前身)法律学科に入学、1884年(明治17年)に卒業した。
久芳 直介(くば なおすけ、1862年11月14日(文久2年… 久芳 直介(くば なおすけ、1862年11月14日(文久2年9月23日) - 没年不詳)は、明治時代の日本の官吏、官僚。台湾総督府税務官、台湾土地調査局事務官兼監督官、朝鮮総督府事務官・総務局人事課長、埼玉県司税官を務めた。 長門国厚狭郡二俣瀬村(現在の山口県宇部市)で生まれる。 大阪・英和学舎(現在の立教大学)を卒業した。 1886年、大蔵省御用掛に任命され、埼玉県収税属、埼玉県大蔵属を経て、1898年、埼玉県司税官に任命される。 1902年、台湾土地調査局事務官兼監督官に就任したのち、台湾総督府税務官を務める。 1904年、日韓協約が成立するとすぐに目賀田種太郎財政顧問補佐として韓国政府に招聘される。
渡辺 嘉重(旧字体: 渡邊 嘉重、わたなべ かじゅう、安政5… 渡辺 嘉重(旧字体: 渡邊 嘉重、わたなべ かじゅう、安政5年10月9日 (1858年11月14日) - 昭和12年 (1937年) 2月4日)は、日本の教育者。 下総国岡田郡花島村(後の茨城県結城郡大花羽村花島→水海道市花島町、現在は常総市花島町)出身。 1883年(明治16年)、茨城県猿島郡小山村(後の同郡中川村小山→同郡岩井町小山→岩井市小山、現在の坂東市小山)に、日本で初めての子守学校を開設した。家族の人手不足から、幼い弟妹の世話をしなければならないため学校に行けない子供たちのための学校で、渡辺は、そうした子供たちが子守をしている幼い子供たちも一緒に連れてこさせ、その幼児たちも保育の観点から一緒に教育した。
大久保 不二(おおくぼ ふじ、1852年11月14日(嘉永5… 大久保 不二(おおくぼ ふじ、1852年11月14日(嘉永5年10月3日)- 1924年(大正13年)10月9日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。号・瑟菅村。 常陸国筑波郡高道祖村(新治県筑波郡高道祖村、茨城県筑波郡高道祖村を経て現下妻市高道祖)で生まれた。鈴木竹湾に師事し漢学を修めた。のち上京して益盛舎を設立して、史学、地理検田、測地、製図の学科を設け教育に当たった。 戸長、区長、郡書記を歴任。1878年(明治11年)下妻に政治結社・絹水社(のち同舟社に改称)を設けて自由民権運動を推進した。1882年(明治15年)茨城県会議員に選出され1890年(明治23年)まで在任。1898年(明治31年)県会議員に再選され1903年(明治36年)まで務めた。
西潟 為蔵(にしかた ためぞう、1845年11月14日(弘化… 西潟 為蔵(にしかた ためぞう、1845年11月14日(弘化2年10月15日)- 1924年(大正13年)9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員。 越後国蒲原郡下田郷福岡新田(現:新潟県三条市)で、地主・西潟浅五郎の長男として生まれる。目黒市左衛門、村松藩士・山上謙之助から漢籍を学ぶ。慶応2年(1866年)1月から3月にかけて東山・東海・南海・山陽・畿内・北陸を旅行して見聞を広めた。慶応4年8月29日(1868年10月14日)鹿峠・長沢組一揆の際に、百姓惣代として請願十ヶ条を纏め村松藩と交渉を行った。 明治5年9月(1872年10月)地主惣代として壬申地券交付取調、1874年、地租改正掛、1876年、第十八大区小八区村位等級調査委員となり地租改正事業で実績を残した。
井上 省三(いのうえ せいぞう、弘化2年10月15日〈184… 井上 省三(いのうえ せいぞう、弘化2年10月15日〈1845年11月14日〉 - 1886年〈明治19年〉12月14日)は、日本の実業家、技術者。明治時代初期の官吏。「日本の毛織物工業の父」と呼ばれた。 1845年11月14日(弘化2年10月15日)に厚狭郡宇津井村(現下関市)の庄屋である伯野家に次男として生まれ、同郡厚狭村(現山陽小野田市)の厚狭毛利家の家臣である井上家の養子となる。山口兵学校で蘭学を学び、奇兵隊隊長として倒幕に参加、1869年(明治2年)に木戸孝允と出会う。翌年に上京し、半年後に北白川宮能久親王に随行しドイツのベルリンへ留学。 当初は兵学を目的としていたが、殖産興業に変更し織物工場にて製絨技術を学ぶ。
今井 信郎(いまい のぶお、天保12年10月2日(1841年… 今井 信郎(いまい のぶお、天保12年10月2日(1841年11月14日) - 大正7年(1918年)6月25日)は、江戸時代末期(幕末)から明治初期の武士(幕臣)、佐幕活動家、警察官、教育者、農事指導者、キリスト教活動家、政治家。 今井は江戸に育ち、安政5年(1858年)、18歳で直心影流剣術の榊原健吉道場に入門、免許取得後講武所の師範代の任に就いた。慶応3年(1867年)5月、京都見廻組への入隊を拝命、同年11月15日に発生した近江屋事件に関わった。戊辰戦争では衝鋒隊副隊長として各地を転戦し、箱館戦争まで戦った。明治3年(1870年)2月、近江屋事件の件で嫌疑をかけられ、身柄を刑部省の伝馬町牢舎へ移され取り調べを受けた。
笹部 佳子(ささべ・よしこ、197x年11月14日 - )は… 笹部 佳子(ささべ・よしこ、197x年11月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、フリーライター。 韓国在住で、同国に関連した活動が多い。愛称は「ささ姫」。 福岡県北九州市出身。1995年神戸学院大学法学部卒業。 大学卒業後は、NHK富山放送局に契約社員として勤務し、地域情報番組でのキャスターを務めた。契約期間満了後には、地元・福岡県におけるフリーアナウンサーとして活動していた。 2000年(平成12年)10月、「韓国の熱気を体感しよう」と思い立って同国に移住した。初めは韓国語を全く話せず、西江大学校語学堂において語学学習から開始した。同校において1年半のあいだ韓国語を学んだ後、本格的に韓国に拠点を移しての活動を開始した。
陣名 まい(じんな まい、11月14日 - )は、日本の漫画… 陣名 まい(じんな まい、11月14日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。血液型はB型。武蔵野美術大学出身。(本人ブログより) 1997年、『ちゃおDX』夏の号に発表した「恋のホーカス・ポーカス」でデビュー。デビュー作から3作目の「清き一票お願いします!!」で『ちゃお』に初登場。同作品は陣名の初連載作となった。その後、「魔法少女隊アルス」のコミカライズ版を最後に『ChuChu』に移籍した。 2009年、小学館とセガ(後のセガ・インタラクティブ)との共同タイアップ企画、トレーディングカードアーケードゲーム機『リルぷりっ』のキャラクターデザインを担当。稼働に先駆けて同名の漫画を『小学一年生』『ぷっちぐみ』で連載。
森田 絵美(もりた えみ、11月14日 - )は、日本の気象… 森田 絵美(もりた えみ、11月14日 - )は、日本の気象予報士、気象キャスター、フリーアナウンサー。ウェザーマップ所属。元NHK岡山放送局のキャスター・元山梨放送のアナウンサー。 奈良県田原本町出身。帝塚山中学校・高等学校、早稲田大学商学部卒業。フジテレビアナウンサースクール出身。 2017年、大学卒業後にNHK岡山放送局に入局し、2019年3月まで同局に勤務。2019年4月、山梨放送に入社。 気象予報士試験に合格したことを出演番組内及びSNSで2025年3月14日に公表した。 2026年3月31日に山梨放送を退社。 2026年4月1日から気象キャスターとしてウェザーマップに所属している。