池田 正己(いけだ まさき、1952年7月17日 - )は、… 池田 正己(いけだ まさき、1952年7月17日 - )は、日本の実業家。ホテルオークラ東京代表取締役会長兼社長総支配人を経て、同社代表取締役会長、日韓経済協会副会長、日本ホテル協会副会長。 東京都出身。1975年東京農工大学工学部工業経営管理専攻卒業、同年、大成観光(現ホテルオークラ)入社。社長室経営企画課長、事業部情報システム課長を経て、2005年ホテルオークラ東京ベイ管理部長に出向。2006年ホテルオークラ東京ベイ取締役管理部長。2008年ホテルオークラ東京ベイ常務取締役副総支配人兼管理統括部長、ホテルオークラ執行役員。2010年ホテルオークラ東京ベイ代表取締役専務総支配人。2011年ホテルオークラ上席執行役員。
大住 良之(おおすみ よしゆき、1951年7月17日 - )… 大住 良之(おおすみ よしゆき、1951年7月17日 - )は、日本のサッカージャーナリスト、サッカー指導者。サッカーマガジン編集長、FC PAF監督、日本スポーツプレス協会副会長、日本サッカー協会審判委員等を歴任。アジアサッカー連盟フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー受賞。 神奈川県横須賀市久里浜出身。日本のサッカージャーナリストの先駆者的な存在で知られる。 栄光学園中学校・高等学校、一橋大学法学部卒業後、大学時代にアルバイトをしていたベースボール・マガジン社に1974年に入社、サッカーマガジン編集部に在籍。1978年以降は編集長を務めた。 1982年にベースボール・マガジン社退社。 その後はアンサーを経て1988年からはフリーとなる。
三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - … 三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - )は、日本の女優、落語家、声優・ナレーター。本名、宮永 佳代子。 大阪市住吉区(現・住之江区)粉浜出身。米朝事務所所属。文化審議会委員と大阪府教育委員、大阪芸術大学短期大学部専任教授などを歴任した。 実父は文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎。弟は同じく人形遣いの三世桐竹勘十郎(前名・吉田簑太郎)。同二世吉田簑太郎は甥に当たる。 文楽の人間国宝の家に生まれ育ったが、子供時代にNHK大阪放送児童劇団に入団。大谷中学校在学中の1965年より、東宝所属の大物女優・山田五十鈴に師事した。 1970年に大谷高等学校を卒業後、東宝演劇部と契約。
新井 良夫(あらい よしお、1950年7月17日 - )は、… 新井 良夫(あらい よしお、1950年7月17日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。旧名は良雄、打撃投手になってからは、新井 統雄(あらい つねお)に改名している。 大宮高校(埼玉)では2年生時の1967年、右翼手として金子勝美・吉田誠・鈴木治彦らと共に第49回全国高等学校野球選手権大会に出場する。初戦で報徳学園高校と対決。豪快な本塁打を放ち9回裏2死までリードするが、ここから反撃を許し、大会史上初の本盗による逆転サヨナラ負けを喫した。しかし秋の埼玉国体では勝ち進み、決勝で大分商を降し優勝。翌1968年夏はエース、四番打者としてチームを牽引。埼玉大会準決勝では飯能高を相手にノーヒットノーランを記録。
吉川 和夫(よしかわ かずお、1950年7月17日 - )は… 吉川 和夫(よしかわ かずお、1950年7月17日 - )は、日本の地方公務員。東京都環境局長や、東京都知事本局長、東京都副知事、東京都公園協会理事長、東京交通会館副館長などを歴任した。 1973年中央大学法学部卒業、東京都入庁。足立区教育委員会事務局学校教育部副主幹、東京都総務局副参事、全国知事会出向、東京都福祉局高齢福祉部計画課長、東京都福祉局参事等を経て、2002年東京都福祉局総務部長。2005年東京都福祉保健局次長。2007年東京都環境局長。2008年東京都知事本局長。2010年には副知事が3人体制から4人体制に戻り村山寛司とともに東京都副知事に選任された。退任後、東京都公園協会理事長、東京交通会館副館長、東京社会福祉士会理事等を歴任し、2020年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章した。
玉置 泰(たまおき やすし、1949年7月17日 - )は、… 玉置 泰(たまおき やすし、1949年7月17日 - )は、日本の実業家(株式会社一六本舗代表取締役社長)、映画プロデューサー。 愛媛県松山市出身。父親は一六本舗の前社長・玉置一郎。1972年、慶應義塾大学卒業。電通入社。1977年、電通を退社。松山に戻り、家業の一六本舗に入社、宣伝担当となる。主力商品一六タルトのCMに出演する俳優を考えていたところ、リストにたまたま松山市と縁の深い伊丹十三の名があったため、伊丹を起用。これが機縁となり、2人の親交が始まる。伊丹の初監督作品となった『お葬式』製作の際、一六本舗として製作費を出資。映画は大ヒットし、玉置は自ら伊丹プロダクションの社長を兼任することになった。
兼子 眞(かねこ まこと、1948年〈昭和23年〉7月17日… 兼子 眞(かねこ まこと、1948年〈昭和23年〉7月17日 - )は、日本の実業家。1971年(昭和46年)輸入自動車販売のチェッカーモータース株式会社を創業。2004年(平成16年)シー・エム・プランニング株式会社を設立し、白金・原宿・桜新町に時計宝飾店ガレリアを、神宮前に化粧品什器販売アレーゼを構える。かつてレーシングチームFLATOUTのオーナー兼監督を務めており、自身もレーシングドライバーとしての顔を持つ。さらに、人材派遣会社の顧問や雑誌の創刊、編集、執筆も手がけるなど、幅広い分野で活躍している。 1948年7月17日、東京都世田谷区の名家に生まれる。父は社会心理学者の兼子宙、母は国連婦人部日本代表の一員を務めた兼子英子、伯父は日本の民事訴訟法学の独自性の基礎を築いた法学者の兼子一。
舩橋 晴俊(ふなばし はるとし、1948年7月17日 - 2… 舩橋 晴俊(ふなばし はるとし、1948年7月17日 - 2014年8月15日)は、日本の社会学者。法政大学社会学部元教授。専門は、社会学理論、環境社会学。原子力市民委員会座長。環境社会学会の設立メンバー。妻は舩橋惠子。 神奈川県中郡大磯町生まれ。大磯町立大磯小学校、大磯町立大磯中学校、神奈川県立平塚江南高等学校を経て、東京大学理科一類に入学。1971年に東京大学工学部宇宙航空学科、1973年に東京大学経済学部経済学科をそれぞれ卒業。1975年に東京大学大学院社会学研究科修士課程を修了、1976年に同博士課程を中退。東京大学文学部助手、法政大学社会学部専任講師、同助教授を経て、同教授。 2014年8月15日、クモ膜下出血のため神奈川県大磯町の病院で死去。
篠田 昭(しのだ あきら、1948年(昭和23年)7月17日… 篠田 昭(しのだ あきら、1948年(昭和23年)7月17日 - )は、日本の政治家。前新潟市長(第31 - 34代)。2022年(令和4年)1月、学校法人新潟青陵学園理事長に就任。 新潟市(現在の中央区)生まれ。実家は旅館を営んでいた。新潟大学教育学部附属新潟小学校→新潟大学教育学部附属新潟中学校→新潟県立新潟高等学校→上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。上智大卒業後の1972年4月、新潟日報社に入社し、同社編集委員や編集局学芸部長・報道部長、長岡支社報道部長、論説委員等を務めた。 2002年9月、新潟日報社を退社。同年11月の新潟市長選挙に無所属で立候補し、初当選を果たした。2006年・2010年の新潟市長選挙でも再選。
馬場 昭徳(ばば あきのり、1948年〈昭和23年〉7月17… 馬場 昭徳(ばば あきのり、1948年〈昭和23年〉7月17日 - )は、短歌結社竹柏会「心の花」の歌人。長崎市出身で、同人誌「場」を主宰。 馬場は米屋の次男として長崎市内で生まれた。九州大学法学部を卒業後、サラリーマンとして働いていたが、30歳で家業の米屋を継ぐ。38歳の頃から短歌を作り始め、40歳の時に長崎県時津町に住む歌人竹山広を訪ね、師事することを決める。それと同時に師と同じ竹柏会「心の花」に入会した。歌人としてのスタートは決して早いものではなかったが、2015年現在までに4冊の歌集を上梓している。その作品は自分自身などをユーモラスに描いたものも多いが、家族や人間一般に対する優しさ・愛情に満ちており、読む者を飽きさせない。
篠原 孝(しのはら たかし、1948年7月17日 - )は、… 篠原 孝(しのはら たかし、1948年7月17日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(5期)。
たかお 鷹(たかお たか、1948年7月17日 - )は、日… たかお 鷹(たかお たか、1948年7月17日 - )は、日本の男性俳優、声優。福岡県出身。文学座所属。 法政大学卒業。1974年に文学座研究所入所、1979年に文学座の座員となる。 2000年の舞台「缶詰」で第55回文化庁芸術祭演劇部門で優秀賞を受賞し、2006年には第41回紀伊國屋演劇賞で個人賞を受賞。その翌年の舞台「殿様と私」において第62回文化庁芸術祭演劇部門で大賞と第15回読売演劇大賞優秀男優賞の2つの賞を得ている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山本 信治(やまもと しんじ、1947年(昭和22年)7月1… 山本 信治(やまもと しんじ、1947年(昭和22年)7月17日 - )は、日本の政治家。元山形県天童市長(4期)。 山形県立山形南高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、日本大学経済学部経済学科卒業。同年4月、株式会社ダスキンに入社。1972年(昭和47年)4月、株式会社山本製作所に入社。1979年(昭和54年)4月、株式会社山本産業に入社。 2008年(平成20年)11月、遠藤登天童市長が健康上の理由により12月25日付で辞職することを発表。12月21日に行われた天童市長選挙に無所属(自民党・公明党推薦)で出馬。海鋒孝志県議との一騎討ちを制し初当選(山本:17,544票、海鋒:16,323票)。
木村 由利子(きむら ゆりこ、1947年7月17日 - )は… 木村 由利子(きむら ゆりこ、1947年7月17日 - )は、日本の児童文学の翻訳家。 大阪府大阪市出身。1970年、大阪外国語大学デンマーク語学科卒業。公務員を三ヶ月務めたのちデンマーク文部省の奨学金をえて1971年にかけてコペンハーゲン大学に留学。帰国後、大阪外国語大学非常勤講師を務め、北欧三国及び英米の児童書、小説の翻訳家となる。宝塚ファミリーランド主催の「宝塚ファミリーランド・デンマークチボリガーデン提携記念童話コンクール」の選考委員を務めた。近年はモンゴメリなどの新訳、北欧の推理小説の翻訳も手がける。
真木 大樹(まき おおき、旧字体: 眞木 大樹、1947年〈… 真木 大樹(まき おおき、旧字体: 眞木 大樹、1947年〈昭和22年〉7月17日 - 2024年〈令和6年〉11月5日)は、日本の神職。久留米市に鎮座する水天宮の第28代宮司。 水天宮保育園園長、全国神社保育団体連合会副会長、筑後神職会会長、久留米北ロータリークラブ第21代会長などを歴任した。 1947年(昭和22年)7月17日、真木保孝の子として福岡県に生まれる。 1970年(昭和45年)3月、國學院大學文学部神道学科を卒業し、同年太宰府天満宮主典に就任、翌年権禰宜に昇任した。 1978年(昭和53年)、水天宮に復し宮司に就任した。 神社庁では、宮司就任と同年の1978年(昭和53年)福岡県神社庁協議員、1983年(昭和58年)には福岡県神社庁久留米副支部長に就任。
小野 昌朗(おの まさお、1947年7月17日 - )は、レ… 小野 昌朗(おの まさお、1947年7月17日 - )は、レーシングカーデザイナーで(株)ピューズ代表、東京アールアンドデー名誉会長。1969年の大学在学中からレーシングカーの設計を始め、以降1981年東京アールアンドデーの創立に参加するまで数多くのレーシングカーを制作。エバ2A、シグマ、VEMAC、コジマ・KE007、マキ・F101、サード・MC86X/トヨタなどをデザイン。童夢-零RLなどにもかかわる。 1947年、兵庫県で生まれる。 1966年、東京工業大学工学部機械工学科に入学し、自動車部に入部。文化祭に出品するレーシングカーを製作。 大学3年生だった1968年暮れにエバカーズ(コンストラクター)に参加。
天児 慧(あまこ さとし、1947年7月17日 - )は、日… 天児 慧(あまこ さとし、1947年7月17日 - )は、日本の政治学者。早稲田大学名誉教授、第16代アジア政経学会理事長。日本国際フォーラム政策委員も務める。1999年から2001年までアジア政経学会理事長を務めた。 1947年、岡山県で生まれた。早稲田大学教育学部で学び、1971年に卒業。東京都立大学大学院法学研究科に進み、1974年に修士課程を修了。一橋大学大学院社会学研究科博士課程に進学し、指導教官は西順蔵。1981年に博士課程を満期退学。 1982年、琉球大学助教授に就いた。1986年、学位論文『中国革命と基層幹部:内戦期の政治動態』を一橋大学に提出し、社会学博士号を取得。1986年から1988年まで外務省嘱託専門調査員を兼任。
岡本 武(おかもと たけし、1945年7月17日 - 198… 岡本 武(おかもと たけし、1945年7月17日 - 1988年?)は、よど号グループのメンバー。北朝鮮発表によると、1988年に死亡したとされている。テルアビブ空港乱射事件を起こした岡本公三は弟。 熊本県出身。父親は小学校校長。熊本県立熊本高等学校卒業。京都大学農学部中退。1968年に東大安田講堂事件に参加。1970年に仲間8人とともによど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。平壌郊外の日本人村で他のよど号犯とともに暮らす。 1976年に結婚。当初、結婚相手は現地の朝鮮人女性と発表されていたが、後に高知県出身の福留貴美子であることが確認された。よど号メンバーの妻のほとんどが北朝鮮の思想に共感を持っていたことが考えられる中、福留のみ親北朝鮮思想が確認されておらず、一部には北朝鮮に拉致されたとする見方もある。
稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17… 稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17日 - )は、日本の政治家。オール沖縄共同代表、元沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県国頭郡久志村(現:名護市字三原)生まれ。久志村立三原小学校、琉球政府立宜野座高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、琉球大学法文学部卒業。1972年(昭和47年)1月、名護市役所に就職し、厚生課に配属される。その後、名護市総務部長や収入役を経て、2005年(平成17年)に名護市教育長に就任。以後4年間同市教育長を務める。2010年(平成22年)1月24日執行の名護市長選挙に「普天間飛行場県内移設反対」を掲げて出馬し、初当選した。同年2月8日、市長に就任。
高橋 恭平(たかはし きょうへい、1944年7月17日 - … 高橋 恭平(たかはし きょうへい、1944年7月17日 - )は、日本の経営者。昭和電工元代表取締役社長。神奈川県横浜市出身。2007年1月より前任の大橋光夫より社長職を引き継ぐ。座右の銘は臨済義玄の『随処作主』。 日本ポリオレフィン企画部長以前は、昭和電工軽金属管理部、ベナルム社(ベネズエラ)出向、昭和軽金属出向、総合企画部(昭和電工復職)など。
二宮 正夫(にのみや まさお、1944年7月17日 - )は… 二宮 正夫(にのみや まさお、1944年7月17日 - )は、日本の物理学者。専門は素粒子物理学。京都大学名誉教授。第64期日本物理学会会長。理学博士。 1979年に京都大学理学部物理学科を卒業後、名古屋大学大学院物理研究科素粒子理論専攻の博士課程を修了した。ニールス・ボーア研究所、ラザフォード研究所、ブラウン大学で研究に従事した後、1987年に東京大学原子核研究所の助教授に着任した。1991年に京都大学基礎物理学研究所の教授に転任し、2008年に同大学を定年退官した。同年に岡山光量子科学研究所の所長に着任し、2016年度末に廃止されるまで所長を務めた。また、2008年9月から1年間、第64期日本物理学会会長を兼務した。
峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 200… 峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 2008年10月11日)は、日本の俳優。本名は、峰岸 知夫()。東京都出身。元妻は藍とも子、血液型はO型。最後の所属事務所はアクトレインクラブ。 東京都出生、中央区立泰明小学校3年生時に日本橋浜町へ引っ越す。戦後、銀座で料亭「竹水」を営む母に育てられ、虚弱体質の少年だったが、ジェームズ・ディーンと石原裕次郎に憧れて俳優を志す。 幼少期より落語にも魅せられ、よく母に人形町末広亭などの方々の寄席へ連れて行ってもらっていた。 1962年に峰 健二の芸名で東宝映画『高校生と女教師・非情の青春』でデビュー。当時、六本木野獣会(渡辺プロダクションの渡辺晋社長が当時話題を呼んだ六本木族にならって若手スターの話題作りのためにプロデュースした集団)に属し、日本橋浜町の自宅には頻繁にメンバーの面々が集うほど慕われた存在であった。
藤田 恒美(ふじた つねみ、1943年7月17日 - )は、… 藤田 恒美(ふじた つねみ、1943年7月17日 - )は、日本の女性アナウンサー、ナレーター。 東京都出身。法政大学社会学部卒業。 1966年4月、TBS(現・TBSHD。以下同)にアナウンサー11期生として入社(同期には岩崎直子・遠藤泰子・川戸惠子・堀川友子)。 1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務に。。1969年3月、アナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部。1969年4月、ラジオ局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室付に。1970年7月25日、ラジオ本部アナウンス室(アナウンサー研修室から改称)。1991年5月、アナウンスセンター。
福田 克彦(ふくだ かつひこ、1943年7月17日 - 19… 福田 克彦(ふくだ かつひこ、1943年7月17日 - 1998年1月12日)は、日本のドキュメンタリー映画監督。小川プロダクション出身であり、成田空港問題に係る作品を多く手掛けた。 1943年7月17日に慶応義塾大学病院で新聞社に勤める福田清の子として生まれる。5歳の時、缶蹴りの缶で頬を傷つけてしまう。その傷跡は生涯残った。 世田谷区立松沢中学校では、天文学部に入部し、レンズやその他材料を購入して天体望遠鏡を自作していた。 東京都立青山高等学校では、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』や『魅せられたる魂』を愛読し、仲間とともに安保闘争に参加したほか、教師のあだ名の由来などを書いた冊子を学内で配布して、学校から停学処分を受ける。
山中 高光(やまなか たかみつ、1942年7月17日 - )… 山中 高光(やまなか たかみつ、1942年7月17日 - )は、日本の固体地球科学者。専門は、鉱物科学・結晶学。神奈川県横浜市生まれ。 長年にわたり、物質の構造研究に取り組んできた。多面的学際領域(固体地球科学・惑星科学・材料科学・固体物理学・生体物質学・環境科学)にとって、物質の構造研究は極めて重要な研究対象である。大学院時代から、地殻・マントル内の地球構成物質の、さらに地球圏外物質の、組成・成因・相平衡・物性などの基本的な研究を通して固体地球科学に寄与してきた。また一方では、物質科学としての半導体・伝導電物質・誘電体・磁性体の物性の基礎である電子状態やスピン・原子の熱振動・電荷・配位結合などの研究を通して、固体物理学を研究対象としてきた。
桑野 みゆき(くわの みゆき、1942年7月17日 - )は… 桑野 みゆき(くわの みゆき、1942年7月17日 - )は、日本の元女優。本名は斎藤みゆき。横浜市鶴見区出身。母は戦前の人気女優桑野通子。 1954年『緑はるかに』(井上梅次監督)の子役募集に応募して13歳で映画デビュー。1956年に松竹に入社。清純派女優として売り出すが、1960年に『青春残酷物語』(大島渚監督)で破滅へと疾走していく女性を演じて注目を浴びる。他に『赤ひげ』(1965年・黒澤明監督)、『大根と人参』(1965年・渋谷実監督)など、松竹を中心に100作を越える映画作品に出演する。 映画『春一番』において、後輩の松竹の看板女優の岩下志麻、倍賞千恵子と共演するが、撮影時から「長く松竹にいるが、松竹とハダが合わないんじゃないか」と悩み始める。
本陣 靖司(ほんじん やすもり、1942年7月17日 - )… 本陣 靖司(ほんじん やすもり、1942年7月17日 - )は、日本の経営者。北國銀行頭取を務めた。石川県出身。父は北國銀行第3代頭取の本陣甚一。 1965年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年4月に住友銀行に入行。1978年4月に北國銀行に転じ、1980年12月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1989年8月に専務を経て、1990年6月には頭取に就任。1997年10月に北國銀行背任事件で逮捕されたことにより、頭取を解任されたが、2005年10月に無罪判決を受けた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
杉山 尚志(すぎやま なおし、1942年7月17日 - )は… 杉山 尚志(すぎやま なおし、1942年7月17日 - )は、日本の実業家、半導体技術者。株式会社RVH創業者。元一般社団法人日本半導体ベンチャー協会副会長。 横浜市鶴見区生まれ。1967年東京工業大学理工学部応用物理学科卒業、日本電気入社、集積回路設計本部配属。日本電気回路技術部長を経て、1977年から超LSI技術研究組合共同研究所に参画。1980年日本電気に復帰。同年東京大学工学博士。1991年イノテック常務取締役。同年イノテックの子会社としてエクセレント・デザインを設立し取締役に就任。1992年北京大学指導教官。1993年イノテック代表取締役常務。1996年図研の出資を得て、リアルビジョン(のちのRVH)を設立し、同社代表取締役社長に就任。
髙木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は… 髙木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は、プロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市育ち。
黒崎 武(くろさき たけし、1940年7月17日 - )は、… 黒崎 武(くろさき たけし、1940年7月17日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 桐生高校では投手として活躍。エースとして1957年秋季関東大会県予選決勝に進出するが前橋高に惜敗。翌1958年夏の甲子園県予選決勝に進み富岡高を降すが、肩を故障する。夏の甲子園には背番号10ではあるが左翼手として出場。3回戦に進むが魚津高の村椿輝雄に完封を喫する。 1959年に東映フライヤーズへ入団。1962年に一軍に定着し、阪神との日本シリーズでは第3戦に代走として出場。翌1963年には毒島章一の故障欠場もあり、7月から主に右翼手として17試合に先発出場を果たす。しかしレギュラーには届かず1967年限りで退団。
加納 実紀代(かのう みきよ、1940年7月17日 - 20… 加納 実紀代(かのう みきよ、1940年7月17日 - 2019年2月22日)は、日本の女性史研究家。女性史研究のパイオニアの一人とされる。娘は「沈没家族」の創始者である加納穂子。 日本統治下の京城府(現:ソウル特別市)の陸軍官舎で生まれる。陸軍軍人の父の転勤で国内へ戻り、1944年に広島市に移住する。1945年8月6日に原子爆弾に被爆し、父は遺骨も残らず亡くなる。母の実家近くの香川県善通寺市で育つ。 1963年京都大学文学部史学科卒。中央公論社勤務、1968年退社、研究者となる。 1976年、戦時女性史の研究会「女たちの現在(いま)を問う会」を立ち上げ、11月3日にミニコミ『銃後史ノート』を創刊する。
菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日… 菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日本の思想家、評論家、劇作家。 反天皇制運動連絡会(反天連)の結成等で新左翼系知識人を代表する人物として知られる。者元『変革のアソシエ』運営委員・編集長、公益財団法人利賀文化会議評議員、ルネサンス研究所運営委員、河合文化教育研究所研究員、。元桐朋学園短期大学演劇専攻科非常勤講師(2004年まで)、元財団法人静岡県舞台芸術センター文芸部(2010年まで)、元河合塾小論文科講師(2016年まで)、元梅光学院大学特任教授(2017年まで)。父は陸軍中将を務めた菅晴次。 東京府東京市牛込区市谷に生まれる。 学習院初、中、高等科に進学。学習院での同級生は坂口芳貞、松井康子、山中祥子、太田省吾、本田義勝、植村泰久、亀井久興ら。
内藤 武宣(ないとう たけのぶ、1938年7月17日 - )… 内藤 武宣(ないとう たけのぶ、1938年7月17日 - )は、日本の政治家秘書、新聞記者。福岡県出身。
井原 まなみ(いはら まなみ、1938年7月17日 -)は日… 井原 まなみ(いはら まなみ、1938年7月17日 -)は日本の推理作家。夫は同じく推理作家の石井竜生。 満洲国新京出身。中学1年で終戦を迎え、引き揚げ後、広島県などで育った[要出典]。中央大学法学部卒業後、文部省事務官として東京大学に勤務。7年間の結婚生活と離婚の後、1971年8月に裁判所事務官上級職の試験場で石井竜生と出会い、1972年に再婚。主婦のかたわら文筆活動を行う。宅地建物取引士(当時は宅地建物取引主任者)として不動産会社に勤務したこともある。[要出典] 1976年、石井竜生との夫婦合作「アルハンブラの想い出」で第15回オール讀物推理小説新人賞。1985年、同じく石井との合作「見返り美人を消せ」で第5回横溝正史賞受賞。
柘植 光彦(つげ てるひこ、1938年7月17日 - 201… 柘植 光彦(つげ てるひこ、1938年7月17日 - 2011年11月15日)は、日本の文芸評論家。専修大学名誉教授。 東京府出身。東京大学仏文科在学中の1960年、小説『大きな赤い太陽』を『文學界』に発表。1961年第16次『新思潮』創刊。1964年第17次『新思潮』創刊(第17次『新思潮』同人郷正文小説集『愛の家族』(審美社刊)の<あとがき>に「郷正文作品の現代的意味 ― 解説に代えて」を書く)。 東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専攻修士課程修了。専修大学助教授、1981年教授、2009年定年退職、名誉教授。 大学院博士課程在学中に東大闘争に遭遇し、ノンセクトの思想に共鳴した。以後、学問論や研究者論を展開するとともに、現代日本文学研究者として活動。
二瓶 剛男(にへい たけお、1938年7月17日 - 200… 二瓶 剛男(にへい たけお、1938年7月17日 - 2009年9月10日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授・元北海学園大学教授。専門は理論経済学、経済政策。東京都出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田主 智彦(たぬし としひこ、1938年〈昭和13年〉7月1… 田主 智彦(たぬし としひこ、1938年〈昭和13年〉7月17日 - 2019年〈令和元年〉10月29日)は、日本の政治家、元岡山県浅口市長(1期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 岡山県出身。早稲田大学教育学部卒業、同大学院商学研究科中退。1994年鴨方町長に初当選、4期務める。2006年、鴨方町・金光町・寄島町が合併し、浅口市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、元岡山県議会議員の栗山康彦を破って当選した。浅口市長を1期務め、2010年に市長を退任した。2017年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2019年10月29日死去。死没日付をもって従五位に叙された。
寺谷 弘壬(てらたに ひろみ、1937年7月17日 - )は… 寺谷 弘壬(てらたに ひろみ、1937年7月17日 - )は、日本の社会学者、ソ連研究者。青山学院大学名誉教授。 神戸市生まれ。1960年神戸市外国語大学ロシア語科卒業、1968年プリンストン大学社会学大学院博士課程中退。 1974年法政大学講師、1976年青山学院大学経営学部助教授、教授。2008年定年、名誉教授。 公明党に対しては肯定的な価値観を持っており、支持を表明している。
坂本 泰造(さかもと たいぞう、1937年7月17日 - )… 坂本 泰造(さかもと たいぞう、1937年7月17日 - )は、日本の教育者、評論家。 埼玉県秩父市山田生まれ。埼玉大学教育学部卒業。国語専攻。埼玉県春日部市立備後小学校教諭など小学校教師を務め、教育関係の著書を書いた。全国生活指導研究協議会(全生研)会員。
栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月1… 栗谷川 虹(くりやがわ こう、1937年(昭和12年)7月17日 - 2021年(令和3年)10月28日[要出典])は、日本の文芸評論家。本名は宇江 誠(うえ まこと)。 主として評伝、史伝を執筆。
矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年〈昭和10年〉7月… 矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年〈昭和10年〉7月17日 - )は、日本のディレクター、テレビタレント、実業家、UFO・超常現象研究家。1970年代から1990年代までに制作を指揮したオカルト関連のテレビ番組で特に有名となったが、1995年からは宇宙塾を主宰するなど、実業家としてテレビ番組制作以外での活動に比重を置いている。 1935年、満洲国新京生まれ。元々裕福な家庭であったが、名古屋帝国大学を首席級の成績で卒業したエリートであった父親を亡くした上に、日本が太平洋戦争の敗戦国となった途端、大連で敵国民としての扱いを受けて極貧生活に転落。当時病弱だった純一の体の健康を気にした母親は自宅学習を禁止し、自宅では運動をして遊ばせるとともに、授業だけで好成績を取るように厳命する。
中曽根 雅夫(なかそね まさお、1935年7月17日 - 1… 中曽根 雅夫(なかそね まさお、1935年7月17日 - 1993年9月2日)は、日本の男性俳優、声優。長野県出身。 長野県上田千曲高等学校、東京アナウンスアカデミー卒業。 1958年よりTBS放送劇団に6期生として入団。同期には天田俊明や田中信夫がいる。劇団と並行して青年工房、土の会に所属。1969年にTBS劇団が解散した後は河の会に所属。 特撮テレビ番組『ウルトラマン』の主人公(M78星雲から来た巨大な宇宙人=ウルトラマン)の声、掛け声(効果音)を担当した。しかしタイトルバックに中曽根の名前がクレジットされなかったこともあり、「シュワッチ!」という広く知られた掛け声に対し、中曽根の名はほとんど知られていない。
丸 磐根(まる いわね、1935年〈昭和10年〉7月17日 … 丸 磐根(まる いわね、1935年〈昭和10年〉7月17日 - )は、日本の実業家。日本銀行発券局長を経て、山陰合同銀行代表取締役頭取、同会長、島根経済同友会代表幹事、島根県商工会議所連合会会頭などを務めた。 島根県邑智郡川本町出身。1958年一橋大学法学部を卒業し日本銀行に入行。1984年6月日本銀行外国局次長、1985年1月日本銀行政策委員会室秘書役、1986年11月日本銀行発券局長。 1988年6月株式会社山陰合同銀行代表取締役副頭取、1992年6月同行代表取締役頭取、2002年6月同行代表取締役会長、2007年6月同行特別顧問。2013年6月退任。 1990年から2010年まで松江商工会議所会頭、島根県商工会議所連合会会頭、中国経済連合会副会長、1995年から2002年まで島根経済同友会代表幹事。
本間 義人(ほんま よしひと、1935年7月17日 - 20… 本間 義人(ほんま よしひと、1935年7月17日 - 2022年1月12日)は、日本のジャーナリスト、都市政策学者、法政大学名誉教授。 東京出身。1958年早稲田大学文学部卒。1989年「内務省住宅政策の教訓 公共住宅論序説」で北海道大学法学博士。1967年毎日新聞社入社、社会部編集委員、編集局編集委員、特別報道編集委員、1982年編集委員となる。1994年九州大学大学院比較社会文化研究科教授、1999年4月法政大学現代福祉学部教授に転じ、2006年定年、名誉教授となる。2022年1月12日、虚血性心不全のため死去、86歳。 1984年東京市政調査会藤田賞特別賞受賞。
田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 -… 田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
東 実(あずま みのる、1934年7月17日 - )は、和歌… 東 実(あずま みのる、1934年7月17日 - )は、和歌山県海南市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
淡路 恵子(あわじ けいこ、本名:井田 綾子(いだ あやこ)… 淡路 恵子(あわじ けいこ、本名:井田 綾子(いだ あやこ)、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)1月11日)は、日本の女優。 1933年(昭和8年)、東京・品川に生まれる。家は二階建ての借家だった。父は大日本帝国海軍の軍人だったが、胸を患って海軍省を辞め自宅療養していた。母は助産婦。 集団疎開先の富山県から一時荏原に戻った時、激しい空襲に遭った。そのため茨城県の母の親戚の所へ疎開に行き、田舎暮らしを体験。 府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)を受験、合格する。13歳の時、終戦の翌夏父親が他界。「女医にしたい」という母の願いをよそに、淡路はSKD(松竹歌劇団)に合格、卒業まであと数か月だったが第八高女を退学した。
山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )… 山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事。日本で初めてプライバシー権を認めた「宴のあと」事件第一審判決などに関わった。また、司法研修所教官として司法修習生や裁判官の教育に取り組んだ。退官後、目黒公証役場公証人、第二東京弁護士会所属の弁護士となったほか、大東文化大学法科大学院教授を務めた。
松野 幸信(まつの ゆきのぶ、1933年〈昭和8年〉7月17… 松野 幸信(まつの ゆきのぶ、1933年〈昭和8年〉7月17日 - 2019年〈平成31年〉3月23日)は、日本の政治家。岐阜県穂積町長(3期)および瑞穂市長(1期)。 岐阜県本巣郡穂積村(後の穂積町、現在の瑞穂市)で、後に岐阜県知事や衆議院議員を務める松野幸泰と後に穂積町長を務める松野友の長男として生まれた。慶應義塾大学経済学部卒業。 旭化成工業、砂利採取などを行う穂積町の昭和工業の社長を経て、1994年(平成6年)7月の穂積町長選挙に立候補した。穂積町では、母の松野友が1990年まで合併前も含めた11期43年に亘って町長を務めており、再び親族による町政が行われるか注目された。 前町長の後継者として指名された候補を破って初当選し、穂積町長に就任した。
長野 羊奈子(ながの よなこ、本名:若杉 羊奈子、1933年… 長野 羊奈子(ながの よなこ、本名:若杉 羊奈子、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)10月20日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、音楽教育者。夫は指揮者の若杉弘。夫の父は外交官の若杉要。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1958年(昭和33年)西ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。 4年後、卒業と同時にベルリン・ドイツ・オペラ研究生。1963年(昭和38年)日本人として初めてベルリン・ドイツ・オペラの正団員となり、モーツァルト『フィガロの結婚』ケルビーノ、プッチーニ『蝶々夫人』スズキ、ビゼー『カルメン』、モーツァルト『魔笛』、リヒャルト・シュトラウス『サロメ』など多くのオペラに出演。