松井 清人(まつい きよんど、1950年(昭和25年)11月… 松井 清人(まつい きよんど、1950年(昭和25年)11月19日 - 2021年(令和3年)8月15日)は、日本の編集者、実業家。文藝春秋社元社長。 東京都品川区生まれ。 1974年(昭和49年)、東京教育大学(現・筑波大学)文学部アメリカ文学科卒業後、文藝春秋入社。 『週刊文春』、『文藝春秋』の編集部を経て、『諸君!』、週刊文春、文藝春秋の編集長を務め、第一編集局長などを歴任した。『朝日ジャーナル』で霊感商法批判キャンペーンを展開していた有田芳生は、同誌が休刊したため、江川紹子から松井を紹介され、週刊文春で統一教会に関する取材を再開した。有田は松井を同志と呼んでいる。 2013年(平成25年)専務、14年社長に昇格し、18年6月社長から退いた。
浅見 博幸(あさみ ひろゆき、1950年11月19日 - )… 浅見 博幸(あさみ ひろゆき、1950年11月19日 - )は、フリーアナウンサー。元仙台放送アナウンサー。 東京都品川区出身。法政大学経営学部経営学科卒業。アナウンサーを目指そうとなったきっかけは、1964年の東京オリンピックで各競技の内容よりも北出清五郎、鈴木文彌の実況に感動したことだったと話している。1975年に仙台放送入社。これまで「サタデーマガジンα」や「ヨジテレビ!」といった情報番組の司会や、「春高バレー」や「JCBクラシック仙台」といったスポーツ中継などで活動。2004年4月から2005年秋までは「FNN仙台放送スーパーニュース」のキャスターを務めていた。2015年11月19日に仙台放送を退社。
岡藤 正策(おかふじ せいさく、1950年11月19日 - … 岡藤 正策(おかふじ せいさく、1950年11月19日 - )は、日本の実業家、阪急阪神エクスプレス代表取締役会長、日本通関業連合会会長。 1950年、兵庫県生まれ。1974年3月、立教大学社会学部卒業。同年4月、株式会社阪急交通社(現・株式会社阪急阪神エクスプレス)入社。2010年代表取締役社長、2018年から代表取締役会長。2012年から航空貨物運送協会(JAFA)副会長。 2015年日本通関業連合会理事、2018年同会副会長、2019年から同会会長。2020年、同会副会長及び会長として輸出入申告官署の自由化や通関業法改正に関する検討や制度導入に向けた業界調整等、長年に亘り通関業会の隆盛に寄与した功績から黄綬褒章を受章。
松崎 しげる(まつざき しげる、1949年11月19日 - … 松崎 しげる(まつざき しげる、1949年11月19日 - )は、日本の歌手、タレント、俳優。 本名:松崎 茂幸(まつざき しげゆき)。通称マツ。東京都江戸川区出身。身長167cm、血液型はAB型。オフィスウォーカー所属。 江戸川区立第三松江小学校、江戸川区立松江第三中学校から日本大学第一高等学校を経て日本大学藝術学部(文芸学科とされる)卒業。 高校時代までは野球に打ち込むも、肘と肩を負傷して野球を断念。それ以降、音楽活動を始める。大学時代、後にガロを結成する日高富明(Tommy)、堀内護(Mark)と共に「ミルク(ホットミルク)」というバンドを結成する。当時、大橋プロダクションのマネージャーをしていた宇崎竜童にスカウトされプロデビュー。
佐藤 文康(さとう ふみやす、英: Fumiyasu Sat… 佐藤 文康(さとう ふみやす、英: Fumiyasu Sato、1949年11月19日 - 1983年5月1日)は、東京都出身のレーシングドライバー。慶應義塾大学卒。 オートスポーツなどレース雑誌では富士ロングディスタンスシリーズでの活躍から「耐久王」や「耐久のフミヤス」との愛称で呼ばれた。 慶應義塾幼稚舎から中・高・大学と過ごした生粋の慶應ボーイで、水泳部選手として活動し基礎的な身体持久力を持っていた。 1967年11月3日に富士スピードウェイで行われた「富士スピードフェスティバル」のミニカーレースクラスにホンダ・N360で出場し、18歳でレースデビュー。1968年もN360で富士を走りこんだ。
園尾 隆司(そのお たかし、1949年11月19日 - )は… 園尾 隆司(そのお たかし、1949年11月19日 - )は、徳島県出身の日本の弁護士。元裁判官で、在職中は静岡地方裁判所所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任。 徳島県三好市山城町出身。徳島県立城南高等学校を経て、1972年、東京大学法学部卒業。東京地方裁判所民事第20部(破産再生担当の部)総括判事時代に破産・民事再生等を担当。 東大落語研究会出身。1年おきに落語家の独演会で客演。「話が面白く『まるで漫談をやっているみたい』」との評判がある。 破産分野のスペシャリストであり、東京地裁部総括時代に「少額管財制度」を考案・導入した。この制度は、破産手続きに多額の費用が必要な従来の破産制度を改め、わずか20万円で破産を可能にしたものであり、利用者や弁護士から高い評価を受けた。
向後 つぐお(こうご つぐお、1949年11月19日 - )… 向後 つぐお(こうご つぐお、1949年11月19日 - )は、日本の漫画家。東京都江東区亀戸出身。現在のペンネームは向後次雄。デビュー時はこうご次男というペンネームを使用していた。 16歳の時、永島慎二の元に内弟子として入る。当時のアシスタント仲間に村岡栄一や三橋乙揶らがおり、永島の作品『若者たち』のモデルとなっている。デビュー作は18歳の時、『COM』1968年5月号付録「ぐら・こん」Vol.1に掲載された『埃』。永島慎二のアメリカ旅行(1968年)の間は辻なおきのアシスタントになり、永島慎二の帰国に伴い再び1年間アシスタントを務めたのち独立した。青年誌を中心に、女性を主人公にした作品が多い。
米原 謙(よねはら けん、1948年11月19日- )は、日… 米原 謙(よねはら けん、1948年11月19日- )は、日本の政治学者・歴史学者。元大阪大学教授。専門は日本政治思想史。徳島市生まれ。
堺 憲一(さかい けんいち、1948年〈昭和23年〉11月1… 堺 憲一(さかい けんいち、1948年〈昭和23年〉11月19日 - )は、日本の経済史学者、前東京経済大学学長・経済学部名誉教授。専門は、近現代イタリア経済史であり、農業経済史で学位論文をまとめているが、自動車産業への関心も深く、その方面での著作もある。 大阪府生まれ。1971年、香川大学経済学部を卒業して、名古屋大学大学院経済学研究科に進み、1973年に経済学研究科修士課程を修了した。1976年、名古屋大学大学院経済学研究科博士課程を単位取得退学し、東京大学農学部農業経済学科助手となる。1980年、東京経済大学専任講師となり、1981年に助教授、1989年に教授へ昇任した。1989年には、「近代イタリア農業の史的展開」で名古屋大学から経済学博士を取得した。
浅古 弘(あさこ ひろし、1947年11月19日 - )は、… 浅古 弘(あさこ ひろし、1947年11月19日 - )は、日本の法学者(日本法史・日本法制史)。早稲田大学名誉教授(早稲田大学法学学術院)。 1947年東京都品川区生まれ。1966年東京都立小山台高等学校卒業。1971年早稲田大学法学部卒業。1978年早稲田大学大学院法学研究科博士課程中退。 その後、早稲田大学・明治大学・立教大学の兼任講師や国立国会図書館立法考査局調査員、1990年東京法律専門学校嘱託講師などを経て、1992年早稲田大学法学部講師、1994年早稲田大学法学部助教授、1995-1998年ハーバード・ロー・スクール(en:Harvard Law School)EALS(東アジア法研究所)客員研究員、1999年早稲田大学法学部教授、2001年早稲田大学東アジア法研究所長。
河野 純一(こうの じゅんいち、1947年11月19日 - … 河野 純一(こうの じゅんいち、1947年11月19日 - )は、日本のドイツ語・ドイツ文学者、横浜市立大学名誉教授。専門は、ヨーロッパ都市文化論、ウィーン方言論。 横浜市生まれ。聖光学院中学校・高等学校卒業。 1970年横浜市立大学文理学部文科卒業。1972年東京外国語大学大学院修士課程修了。 1972年東京外国語大学特設日本語学科非常勤講師。1973年玉川大学専任講師。1977年横浜市立大学助教授。1987年ウィーン大学客員教授。1990年横浜市立大学教授。2013年横浜市立大学定年退職。2013年横浜市立大学名誉教授。 2017年中央学院大学教授。2018年 - 2021年 中央学院大学特任教授。
水谷 実雄(みずたに じつお、1947年11月19日 - )… 水谷 実雄(みずたに じつお、1947年11月19日 - )は、宮崎県串間市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。
河野 良雄(こうの よしお、1947年11月19日 - )は… 河野 良雄(こうの よしお、1947年11月19日 - )は、日本の経営者。農林中央金庫理事長を務めた。愛媛県松山市出身。 1972年に京都大学農学部を卒業し、同年に農林中央金庫に入社した。2004年に専務理事に就任し、2007年の副理事を経て、2009年4月に理事長に就任。それまでの理事長職は農林水産省官僚や政治家が就任していたが、初めての生え抜きからのトップ人事となった。2018年4月まで務め、在任中は2008年のリーマン・ショックで生じた巨額損失を補てんするための資本増強と、2011年の東日本大震災からの復興支援などに尽力した。
幸 和範(ゆき かずのり、1947年11月19日 - )は、… 幸 和範(ゆき かずのり、1947年11月19日 - )は、日本の経営者。阪神高速道路社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1970年に京都大学工学部を経て、1972年に京都大学大学院工学研究科を修了し、同年に阪神高速道路公団(のちの阪神高速道路)に入社した。阪神淡路大震災の際には、復旧建設部工事課長に就任し、神戸線の復旧工事に当たった。2014年に専務を経て、2016年6月から2020年6月までに社長を務めた。
浅田 克己(あさだ かつみ、1947年11月19日 - )は… 浅田 克己(あさだ かつみ、1947年11月19日 - )は、日本の実業家。コープこうべ理事長や、日本生活協同組合連合会会長を務めた。 三重県出身。1970年明治学院大学法学部卒業、灘神戸生活協同組合(現コープこうべ)浜芦屋支部家庭係入所。1993年コープデイズ西宮準備委員長。1995年常任理事に昇格。2011年常務理事。2013年専務理事。2004年組合長理事。2005年兵庫県生活協同組合連合会会長理事。2007年日本生活協同組合連合会副会長。2011年日本生活協同組合連合会代表理事会長。2017年日本生活協同組合連合会顧問。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
幸田 昭一(こうだ しょういち、1946年11月19日 - … 幸田 昭一(こうだ しょういち、1946年11月19日 - 2023年12月4日 )は、日本の地方公務員。東京都福祉保健局長、東京都出納長、東京都住宅供給公社理事長、東京メトロ代表取締役副社長、大田区副区長等を歴任した。 1966年東京都庁入庁。1971年明治大学法学部卒業。1984年千代田区都市整備部副参事。1985年千代田区企画部企画課長。1988年東京都総務局副主幹(秘書事務)。1991年東京都総務局行政部指導課長(統括課長)。1994年東京都情報連絡室参事(東京メトロポリタンテレビジョン出向)。1998年東京都総務局行政改革推進担当部長。1999年東京都総務局学事部長。2000年東京都生活文化局総務部長。
橋本 昌(はしもと まさる、1945年11月19日 - )は… 橋本 昌(はしもと まさる、1945年11月19日 - )は、日本の政治家。自治官僚。茨城県知事(6期)。退任時には、現職の都道府県知事としては石川県知事の谷本正憲と並ぶ最多選者であった。 茨城県那珂郡東海村生まれ。茨城中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京大学法学部卒業。 1969年自治省に入省。山梨県総務部長や、国土庁・消防庁などの役職を歴任し、1993年、自治省公営企業第一課長を最後に退官した。 1993年、自由民主党・新生党・新党さきがけ・日本新党の推薦を得て、不祥事(汚職事件)による竹内藤男の辞職に伴う茨城県知事選に立候補し、前水戸市長の佐川一信を破って初当選。高知県の橋本大二郎に次ぐ戦後生まれの知事となった。
安田 文吉(やすだ ぶんきち、1945年11月19日 - )… 安田 文吉(やすだ ぶんきち、1945年11月19日 - )は、日本の近世文学研究者、演劇研究者。南山大学名誉教授、東海学園大学特任教授。日本歌謡学会常任理事、日本近世文学会委員、名古屋芸能文化会代表。母は、常磐津文字登和(常磐津節、三味線)。妻は、安田徳子(中世文学、芸能研究、岐阜聖徳学園大学教育学部教授)。 名古屋市熱田区に生まれる。幼少より、常磐津節や名古屋西川流などに親しむ。東海中学校・高等学校を経て、名古屋大学文学部に入学。浄瑠璃や歌舞伎などの伝統芸能を研究する。1975年、名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了、1996年、文学博士。1977年、南山大学文学部国語学国文学科専任講師に就任、1986年に同助教授、1989年、同教授。
松岡 利道(まつおか としみち、1944年11月19日- 2… 松岡 利道(まつおか としみち、1944年11月19日- 2009年12月13日)は、日本の経済学者。専門領域は現代資本主義論や経済思想史。ローザ・ルクセンブルクを研究した。 大阪府出身。大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1989年「ローザ・ルクセンブルク 方法・資本主義・戦争」で経済学博士。龍谷大学経済学部講師、助教授、教授、経済学部長。第18期日本学術会議会員。
千葉 紘子(ちば ひろこ、1944年11月19日 - )は、… 千葉 紘子(ちば ひろこ、1944年11月19日 - )は、日本の女性歌手、教育関係者。東京都荒川区出身。 1964年3月、山脇学園短期大学卒業。1970年2月に日本万国博覧会会場(現:万博記念公園)で行われた「第3回 全国カンツォーネコンクール」優勝を機に芸能界入り。 1971年に『恋する女に悔いはない』で歌手デビュー。 1972年に発売された第3弾シングル「折鶴」がオリコンチャートで最高第9位、100位以内に28週に渡ってランクインし同誌集計で27.7万枚を売り上げるロングヒットとなった。その後も「初めてのお酒」や、「宗谷岬」などヒット。 1980年からラジオパーソナリティーとして、FM東京「ステレオ歌謡バラエティ」、NHKラジオ第1放送「はつらつスタジオ505」等担当。
遠藤 泰子(えんどう やすこ、1943年〈昭和18年〉11月… 遠藤 泰子(えんどう やすこ、1943年〈昭和18年〉11月19日 - )は、日本のフリーアナウンサー(元TBSアナウンサー)、声優、ナレーター、司会者である。 神奈川県横浜市出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、1966年アナウンサー11期生としてTBSへ入社。岩崎直子、川戸惠子、堀川友子、藤田恒美らが同期。1967年11月にアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部、1969年3月にアナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部、1969年4月にラジオ局放送部兼第一制作部アナウンサー研修室付、1970年7月にラジオ本部アナウンス室、それぞれに在籍した。第16回民放CMコンクール・ラジオ第一種(20秒以内)「雪印乳業」で金賞を受賞した。
伊藤昌輝(いとう まさてる、1941年11月19日 - )は… 伊藤昌輝(いとう まさてる、1941年11月19日 - )は、日本の外交官、翻訳家。日本古典文学のスペイン語訳を手がけている。 外務省入省時は専門職(中級職)であったが、その後の活躍により上級職に昇格している。
岸田 勝彦(きしだ かつひこ、1941年11月19日 - )… 岸田 勝彦(きしだ かつひこ、1941年11月19日 - )は、日本の実業家、中小企業診断士。ヤマハ代表取締役会長や、浜松市体育協会会長などを務めた。 福岡県生まれ。1966年横浜国立大学経済学部卒業、日本楽器製造(現ヤマハ)入社。労務課長兼厚生課長、資材部長、ピアノ事業本部長を経て、1994年取締役に昇格。1998年常務取締役。2000年専務取締役。2004年代表取締役会長、ヤマハ硬式野球部顧問。2007年特別顧問、静岡富丘会会長。2008年浜松市体育協会会長。2010年鍵盤楽器公正取引協議会顧問。2011年静岡県人事委員会委員。2013年ヤマハOB連合会会長。また在職中の1996年に中小企業診断士(工鉱業部門)に合格した。
早川 邦彦(はやかわ くにひこ、1941年11月19日 - … 早川 邦彦(はやかわ くにひこ、1941年11月19日 - )は、日本の建築家。東京都生まれ。1966年早稲田大学理工学部建築学科卒業、イェール大学建築芸術学大学院修士課程修了。1978年早川邦彦建築研究室設立。 竹中工務店出身。空間構成が明快な建築を設計するのが特徴。1985年日本建築家協会新人賞受賞。1992年日本文化デザイン賞受賞。1994年日本建築学会賞(作品)受賞。2010年日本建築家協会25年賞受賞。
藤 ひさし(ふじ ひさし、1940年11月19日 - )は、… 藤 ひさし(ふじ ひさし、1940年11月19日 - )は、日本の映像作家、美術コンテンツ・プロデューサー。東京西麻布生まれ。本名は遠藤 欽久(えんどう よしひさ、一般社団法人日本美術アカデミー理事)。 中央大学フランス文学科を卒業後、会社員を経て映像制作会社を設立。ルーブル、プラド、エルミタージュ等、海外の有名美術館と直接交渉し、主要な所蔵作品をハイビジョン映像にて撮影。『世界の美術館』(ビデオ全18巻。後にレーザーディスク、DVD版も)として1991年に発売。以後、DVDやテレビ番組など美術関連の映像制作物の脚本・プロデュース、美術関連書籍の執筆など幅広く活躍。(参考資料:書籍の著者紹介、作品の制作資料)
梅津 龍太郎(うめづ りゅうたろう、1940年11月19日 … 梅津 龍太郎(うめづ りゅうたろう、1940年11月19日 - )は、徳島県徳島市出身のラジオパーソナリティ。オフィス・ユー・アイ代表取締役。愛称は龍ちゃん。 高校卒業後に、東京都の栄養専門学校に進学した。 21歳で徳島県に戻った。 関西テレビ・テレビ愛媛の記者、カメラマンを経てフリーとなる。その後、四国放送「おはようとくしま」のキャスターを昭和58年(1983年)4月から平成3年(1991年)3月の8年間にわたり務める。キャスターの退任後は朝日放送や西日本放送のラジオ番組に出演。また、特定非営利活動法人徳島フィルムコミッションの代表を務め、山田洋次監督「虹をつかむ男」、藤竜也主演「村の写真集」、渡辺謙主演「沈まぬ太陽」、マシュー・バーニー監督で世界の歌姫ビョーク主演「拘束のドローイング」の映画4本と「土曜ワイド劇場」、「女と愛とミステリー」など15本のテレビドラマを徳島に誘致し、撮影協力する他、山田洋次映画祭、脇町映画祭を企画、運営。
海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月1… 海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月19日 - 1979年(昭和54年)9月23日)は、日本の木版画家。静岡県静岡市出身。 静岡市新富町(現在の葵区新富町)4丁目で染色業を営んでいた海野家の次男として生まれる。1952年(昭和27年)、静岡市立末広中学校に入学。1年の頃、日記の中に入れた版画が教諭の目に留まり、日本教育版画協会所属の教諭・蒔田晋治を紹介され、以後版画制作に没頭するようになる。静岡商業高校卒業後は日立製作所東京本社に就職したが、20歳になった1959年(昭和34年)に退職。本格的に版画家としての道を歩むようになり、同年、静岡市内で初の個展を開く。1964年(昭和39年)に発表した「触」が日本版画協会賞奨励賞を受賞。
神戸 和麿(かんべ かずまろ、1939年11月19日 - 2… 神戸 和麿(かんべ かずまろ、1939年11月19日 - 2013年3月2日)は、浄土真宗の僧・仏教学者。 名古屋市出身。大谷大学大学院真宗学博士課程満期退学。 同朋大学助教授、大谷大学文学部助教授、教授、1998年「親鸞の仏弟子論 仏性と闡提」で大谷大学より文学博士の学位を取得。2010年定年、名誉教授。西照寺住職。
中山 眞(なかやま しん、1939年11月19日 - )は、… 中山 眞(なかやま しん、1939年11月19日 - )は、日本の経営者。安川電機社長、会長を務めた。福岡県福岡市南区出身。 1958年福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年に東京大学法学部を卒業し、同年に安川電機製作所(のちの安川電機)に入社した。1988年に取締役に就任し、常務、専務を経て、2000年に社長に就任した。2004年4月に会長に就任した。 1991年に藍綬褒章を受章。
古井 由吉(ふるい よしきち、1937年11月19日 - 2… 古井 由吉(ふるい よしきち、1937年11月19日 - 2020年2月18日)は、日本の小説家、ドイツ文学者。いわゆる「内向の世代」の代表的作家と言われている。代表作は『杳子』(1970年)、『聖』(1976年)『栖』(1979年)『親』(1980年)の三部作、『槿』(1983年)、『仮往生伝試文』(1989年)、『白髪の唄』(1996年)など。精神の深部に分け入る描写に特徴があり、特に既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みている。 東大独文科卒。1971年に男女の愛の微妙な心理の揺れをついた『杳子』で芥川賞受賞。その後『行隠れ』、『聖』『栖』『親』三部作などで、民俗学や病理学を駆使した刺激的な作風を展開している。
大桑 齊(おおくわ ひとし、1937年(昭和12年)11月1… 大桑 齊(おおくわ ひとし、1937年(昭和12年)11月19日 - 2020年(令和2年)4月14日)は、日本の仏教史学者、大谷大学名誉教授。真宗大谷派善福寺前住職。専攻、日本近世宗教思想史。 石川県生まれ。金沢大学法文学部卒業。大谷大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1992年「近世初期民衆思想史研究」で大谷大学より文学博士の学位を取得。大谷大学助教授、1984年教授、2008年定年退職、名誉教授。大谷大学在籍中には、同大学図書館長・同大学院文学研究科長・佛教史学会会長を務める。
菊池 威雄(きくち よしお、1937年11月19日 - )… 菊池 威雄(きくち よしお、1937年11月19日 - )は、日本の国文学者。文学博士(2006年、早稲田大学にて取得)。岡崎女子短期大学元教授。 長崎県長崎市生まれ。1960年山口大学教育学部第一中等学科卒業。1962年早稲田大学大学院修士課程修了。2006年「天平の歌人大伴家持」で早稲田大学にて博士(文学)。高校教師をしながら『万葉集』を中心に古代日本文学について執筆する。岡崎女子短期大学元教授、神奈川県立衛生短期大学教授。 陶芸工房「飛天窯」主宰。短歌同人誌「伶」主宰。
瀧 光夫(たき みつお、1936年11月19日 - 2016… 瀧 光夫(たき みつお、1936年11月19日 - 2016年12月8日 )は日本の建築家。広島県尾道市出身。1961年に京都大学大学院修士課程修了、1963年にコロンビア大学大学院を修了。国際万国博覧会・EXPO’70のワーキングスタッフを経て、1972年に東京にて瀧光夫建築・都市設計事務所を設立。1993年から2009年までは福山大学工学部建築学科教授を務めた。1998年に千里山第1噴水再整備計画に携わり、2005年からは阪急千里山駅周辺再開発計画に吹田市のアドバイザーとして携わった。 植物園や園芸建築など自然と人工物の造形を活かした建築設計で知られ、建築業協会賞や日本建築学会賞、公共建築賞などを受賞した。
矢野 恵一朗(やの けいいちろう、1936年11月19日 -… 矢野 恵一朗(やの けいいちろう、1936年11月19日 - 2016年7月15日)は、日本の経営者。みなと銀行頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。1959年に神戸商科大学商業経済学部経営学科を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1988年6月に太陽神戸銀行取締役に就任し、1992年6月にさくら銀行常務、1995年6月に専務を経て、1996年6月には阪神銀行頭取に就任し、1999年4月にはみなと銀行頭取に就任。2002年6月に特別顧問に就任。 2007年4月に旭日小綬章を受章。 2016年7月15日、病気のために死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 -… 櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 - )は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。 京都府立桃山高等学校、京都教育大学卒業。専攻は数学であった。在学中より福本正に作曲を学び、卒業後、本格的に作曲活動を開始する。伝統的な邦楽を基調とした日本的な作風で知られ、国内外で高い評価を得ている。 また、より広い作曲活動を求め、絵画・建築・写真・映像などの分野との一体化による、構造的芸術の創造を目指して取り組んでいる。作曲・編曲・指揮といった音楽分野を越えて、イヴェント・コーディネーターとして広く活躍している。 2000年代以降は、ジャズ楽曲を吹奏楽用に編曲した作品をウィンズスコアより発表しており、編曲家としての新たな一面を見せるなど、精力的な活動を展開している。
岡田 朝雄(おかだ あさお、1935年11月19日- )は、… 岡田 朝雄(おかだ あさお、1935年11月19日- )は、日本のドイツ文学者、東洋大学名誉教授。 東京生まれ。1959年学習院大学文学部独文科卒。1961年中央大学大学院独文科修士課程修了。東洋大学助教授、教授。2006年、定年退任、名誉教授。日本昆虫協会設立メンバーの一人。
広田 尚敬(ひろた なおたか、1935年11月19日 - )… 広田 尚敬(ひろた なおたか、1935年11月19日 - )は日本の鉄道写真家。中央大学経済学部卒業。 東京都に生まれる。幼少時より鉄道に興味を持ち、大学卒業後、会社員を経て1960年にフリーの写真家となる。日本の鉄道雑誌・書籍のほか、米国の鉄道雑誌「Trains」でも写真を発表し、鉄道撮影において高い評価を得た。特に1970年代~80年代初めは、南正時と共に日本において最も有名な鉄道写真家であった。 当初は廣田尚敬という名を使っていたが、子供たちにも解かりやすいようにと広田尚敬に変えたという。 編成写真だけでなく、革新的な撮影技法や自作の撮影機材を用い、斬新な作品を輩出した。中でも走行中の列車の側面を車両の真横から自作のスリットカメラを使い流し撮りし、車両があたかも止まって背景が流れているかのように撮る撮影手法が特に知られており、広田はこの撮影方法を動止フォトグラフと呼んでいる。
星野 恒彦(ほしの つねひこ、1935年11月19日 - )… 星野 恒彦(ほしの つねひこ、1935年11月19日 - )は、日本の俳人、英文学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立日比谷高等学校卒業。1959年早稲田大学第一文学部英文科卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。立正大学教養部助教授、早稲田大学法学部教授。2003年退任、名誉教授。 1976年「れもん」に入会、多田裕計に師事。1980年「貂の会」に入り川崎展宏に師事。 2002年『俳句とハイクの世界』で俳人協会評論賞受賞。俳人協会理事(国際部長)、国際俳句交流協会副会長、「貂」代表。
橋本 徹(はしもと とおる、1934年(昭和9年)11月19… 橋本 徹(はしもと とおる、1934年(昭和9年)11月19日 - )は、日本の銀行家。富士銀行頭取、ドイツ証券会長、日本政策投資銀行社長のほか、国際基督教大学理事長も歴任した。プロテスタント信者。 両親とも教員の子息として岡山県高梁町(現:高梁市)に生まれる。年若い頃から英語に関心を抱き、岡山県立高梁高等学校在学中は英語クラブに所属。高校の同期には、伊藤忠商事副社長の森澤寛二、大学教授の南智、岡山東商業を甲子園優勝に導いた向井正剛がいた。東京大学法学部在学中にも英語研究会に所属したほか、柔道部にも所属した。 外交官を目指し、外務公務員上級試験を受験するも不合格となったため、富士銀行(現:みずほ銀行)に入行。
寺田 陽介(てらだ ようすけ、1934年11月19日 - )… 寺田 陽介(てらだ ようすけ、1934年11月19日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。 博多工業から濃人渉が監督を務める日鉄二瀬に進む。1954年から2年連続で都市対抗野球大会に出場。1955年の大会では東洋高圧大牟田に補強され、日立製作所との1回戦で決勝本塁打を放つなど活躍。準々決勝で全鐘紡に敗退するが好打者として注目を集める。この時のチームメートに小淵泰輔がいた。 1956年に南海ホークスに入団。入団に当たっては地元の西鉄ライオンズとの間で激しい争奪戦があり、西鉄が投手の島原幸雄を獲得の見返りに日鉄に譲渡するという噂まで流れたほどであった[要出典]。当時、南海の監督であった鶴岡一人は、守備はよい一方で、「穴が多く、いい投手にかかると打てないという欠点」があり、期待ほどの実績はあげられなかったと評しているものの、南海が400フィート打線と称していた打線の担い手の一人と位置づけられていた。
長田 義明(ながた よしあき、1934年11月19日 - 2… 長田 義明(ながた よしあき、1934年11月19日 - 2013年1月14日)は、日本の政治家。元大阪府議会議員(6期)、元大阪府議会議長(第106代)。 大阪市会議員、大阪府議会警察常任委員長、大阪府議会地球環境問題調査特別委員長、大阪府議会文教常任委員長、自由民主党大阪府議会議員団副幹事長、大阪府監査委員などを歴任した。 大阪府出身。サラリーマンとして日立造船株式会社に勤務の後、大阪市会議員および府議会議員として活動した。長らく自由民主党に所属。 2013年1月14日、大阪市内の病院で心不全のため死去。78歳没。 大阪府議会議長就任中、2011年3月20日の自身の事務所開所式にて、9日前に発生した東日本大震災について「大阪にとって天の恵みというと言葉が悪いが、本当にこの地震が起こってよかった。
岡田 尚壮(おかだ なおつよ、1934年(昭和9年)11月1… 岡田 尚壮(おかだ なおつよ、1934年(昭和9年)11月19日 - 2020年(令和2年)3月23日)は、日本の実業家・新聞記者。北國新聞社代表取締役元会長。金沢学院大学元理事長。参議院議員の岡田直樹の父。北都鉄工取締役相談役の小池田康成は弟。 石川県出身。1959年(昭和34年)中央大学法学部を卒業し、同年北國新聞社に入社。1984年(昭和59年)7月常務、1986年(昭和61年)3月専務、同年12月副社長を経て、1987年(昭和62年)2月に社長に就任。1991年(平成3年)1月会長に就任。 趣味はゴルフ・ソフトテニス。
神尾 昭男(かみお あきお、1934年11月19日 - )は… 神尾 昭男(かみお あきお、1934年11月19日 - )は、日本の経営者。東洋経済新報社社長を務めた。 東京都出身。1959年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋経済新報社に入社。1982年に週刊東洋経済編集長に就任し、1986年に取締役を経て、1992年12月には社長に就任。1995年12月には会長に就任。
谷 䚮(たに あつし、1933年11月19日 - )は、日本… 谷 䚮(たに あつし、1933年11月19日 - )は、日本の元競泳選手。愛知県海部郡弥富町前ヶ須出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。100m自由形の元日本記録保持者。 愛知県立津島高等学校併設中学校、早稲田大学高等学院、早稲田大学商学部卒業。 1954年8月8日、早稲田大学対愛知の100m自由形で19年ぶりに遊佐正憲の日本記録を更新した。1955年8月23日、日米対抗戦奈良大会において日本初となる100m自由形で56秒台となる56秒8の日本記録を樹立した。決勝ではさらに記録を更新する56秒4を出した。 1956年のオリンピック選考会で100m自由形で2位に入り、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。
藤岡 重慶(ふじおか じゅうけい、1933年11月19日 -… 藤岡 重慶(ふじおか じゅうけい、1933年11月19日 - 1991年7月23日)は、日本の俳優、声優。兵庫県神戸市出身。本名は読みが「ふじおか しげよし(漢字表記同じ)」。 父親は警察官だったが、小学校しか出てなかったためエリートコースに乗れず、晩年は資格を取って弁護士になった。重慶は旧制姫路中学(現 兵庫県立姫路西高等学校)を経て、父と同様弁護士を目指し、早稲田大学法学部に進む。在学中の1955年、第七期生として、劇団俳優座の養成所に入る。同期には田中邦衛、露口茂、山本學、井川比佐志らがいた。 1958年に劇団青年座に参加。創作演劇の舞台に立ちながら、同年NHKで、放送をスタートした長寿ドラマ『事件記者』に遠藤刑事役で出演。
小泉 和子(こいずみ かずこ、1933年11月19日 - )… 小泉 和子(こいずみ かずこ、1933年11月19日 - )は、日本の民俗学者・歴史学者・生活史研究家。小泉和子生活史研究所代表。昭和のくらし博物館館長。NPO法人昭和のくらし博物館理事長。家具道具室内史学会会長。重要文化財熊谷家住宅館長。 父の小泉孝(1901 - 1982)は建築技師で、自ら設計施工した自宅が、登録有形文化財になり、昭和のくらし博物館(東京都大田区)として公開されている。日本社会党の衆議院議員を務めた野間千代三は母方の叔父である。 東京生まれ。女子美術大学で洋画をまなび、卒業後家具製作会社に入社。1970年東京大学工学部建築学科の研究生となり、日本家具・室内意匠史を研究。1971年生活史研究所を設立。
金子 尚志(かねこ ひさし、1933年11月19日 - 20… 金子 尚志(かねこ ひさし、1933年11月19日 - 2020年8月8日)は、日本の経営者、工学博士。日本電気社長を務めた。東京都出身。 1956年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に日本電気に入社。1962年にカルフォルニア大学で学士を取得し、1967年に学位を取得。1968年から1970年までにベル電話研究所で勤務。1985年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1994年6月に社長に就任。1999年3月に取締役相談役を経て、2000年6月からは相談役を務めた。 2020年8月8日老衰のために死去。86歳没。
瀬口 龍一(せぐち りゅういち、1933年11月19日 - … 瀬口 龍一(せぐち りゅういち、1933年11月19日 - 2025年11月26日)は、日本の経営者。日立建機社長、会長を務めた。 熊本県出身。1956年に東京大学法学部公法学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。 1971年に日立建機に転じ、1981年に取締役に就任し、1983年に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格。2003年4月に会長に就任し、2006年4月に取締役を経て、2006年4月から相談役を務めた。 2005年6月から2007年6月までに日立製作所取締役を務め、また日本バリュー・エンジニアリング協会会長を務めた。 2011年11月に旭日中綬章を受章。
松本 鶴雄(まつもと つるお、1932年11月19日 - 2… 松本 鶴雄(まつもと つるお、1932年11月19日 - 2016年5月11日)は、日本の文芸評論家。 埼玉県児玉郡神保原村(現・上里町)生まれ。埼玉県立本庄高等学校(定時制)、早稲田大学第一文学部独文科卒業。現代作家を中心に評論を書く。埼玉県立本庄高等学校(定時制)教諭、日本大学国際関係学部教授、群馬県立女子大学教授、日本大学大学院総合社会情報研究科兼任教授を歴任。
福田 秀一(ふくだ ひでいち、1932年11月19日 - 2… 福田 秀一(ふくだ ひでいち、1932年11月19日 - 2006年4月23日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(論文博士・1975年)(学位論文「中世和歌史の基礎的研究」)。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市出身。生理学者の福田邦三は父。言語学者の田村すず子は妹。1945年に東京都立第一中学校を卒業し、旧制武蔵高等学校に入学した。1951年に旧制武蔵高校を卒業し、東京大学教養学部理科に入学した。1955年に文学部国文科を卒業し、1960年に東京大学大学院を満期退学した。1975年に「中世和歌史の基礎的研究」で文学博士を授与された。 成城大学助教授を経て、1970年に武蔵大学人文学部助教授となった。