壽福 眞美(じゅふく まさみ、1947年1月20日 - )は… 壽福 眞美(じゅふく まさみ、1947年1月20日 - )は、日本の社会学者。法政大学社会学部名誉教授。専門はドイツ社会思想、環境倫理、エコロジー、フェミニズム、社会哲学。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鶴丸高等学校卒、1971年一橋大学法学部卒、1976年一橋大学大学院社会学研究科ドイツ社会思想史博士後期課程単位取得満期退学、法政大学社会学部助手、1977年専任講師、1979年助教授、86年教授、2015年法政大学サスティナブル研究所副所長。2017年名誉教授。 1980-1981年西ドイツ・エアランゲン大学、1983年ベルリン大学、ハンガリー歴史研究所留学。
西見 有二(にしみ ゆうじ、1947年(昭和22年)1月20… 西見 有二(にしみ ゆうじ、1947年(昭和22年)1月20日 - )は、日本の実業家。 旭硝子(現・AGC)株式会社代表取締役兼副社長執行役員を2011年3月から2015年3月まで務めた。 1970年 - 九州大学経済学部経済学科卒業。同年 - 旭硝子(現・AGC)株式会社に入社。 入社以降、電子事業に長く携わる。 子会社社長、電子事業部門長を経験した後、代表取締役 兼 副社長執行役員に就任。就任後、主に全社内の改善や事業開発など、社長補佐を取り組みながら、社内運営を指揮した。
今村 葦子(いまむら あしこ、1947年1月20日 - )は… 今村 葦子(いまむら あしこ、1947年1月20日 - )は、日本の児童文学作家、翻訳家。 熊本県球磨村生まれ。武蔵野美術短期大学卒。 1986年『ふたつの家のちえ子』で野間児童文芸推奨作品賞受賞、作家デビュー。同作で坪田譲治文学賞受賞、芸術選奨新人賞、1988年同作と『良夫とかな子』『あほうどり』で路傍の石幼少年文学賞、1991年『かがりちゃん』で野間児童文芸賞、『ぶな森のキッキ』で絵本にっぽん大賞、1993年『まつぼっくり公園のふるいブランコ』でひろすけ童話賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
溝口 善兵衛(みぞぐち ぜんべえ、1946年(昭和21年)1… 溝口 善兵衛(みぞぐち ぜんべえ、1946年(昭和21年)1月20日 - 2024年(令和6年)8月20日)は、日本の大蔵・財務官僚、政治家。島根県知事(3期)。血液型はB型。 島根県益田市生まれ。島根県立益田高等学校、東京大学経済学部卒業。1968年4月、大蔵省に入省し、理財局総務課に配属された。鳥取税務署長などを務めた後、1977年より在ドイツ連邦共和国(西ドイツ)日本大使館に勤務(当初は二等書記官、のち一等書記官)。斎藤次郎は大使館時代の上司。1980年7月に大蔵省へ戻り、主計局主計官補佐(地方財政、補助金係主査)となる。溝口の主計官補佐(主査)への就任は斎藤の口添えがあったものだとされている。
村田 好夫(むらた よしお、1946年1月20日 - )は、… 村田 好夫(むらた よしお、1946年1月20日 - )は、朝日放送の元アナウンサーでフリーアナウンサー。 鹿児島県名瀬町(現:奄美市)出身。鹿児島県立加治木高等学校を経て、明治大学法学部卒業後、1969年に朝日放送アナウンサーとして入社。同期に乾龍介、嶋田崇彦、戸倉信吉がいる。1985年から夕方のローカルニュース番組『たいむ6』のキャスターを務めた他、『おはようコールABC』の司会、『おはよう朝日です』のニュースキャスターを長く務めた。その他にもテレビ朝日『ステーションEYE』の週末全国版のキャスターも務めた。また、朝日放送が制作に関係した鉄道ビデオでは、ナレーションを担当している。 その他には報道情報局専任局長も歴任し、2005年12月30日、ABCラジオのニュース(ABC朝日ニュース)をもってアナウンサーを勇退した。
山川 烈(やまかわ たけし、1946年〈昭和21年〉1月20… 山川 烈(やまかわ たけし、1946年〈昭和21年〉1月20日 - )は、日本の工学博士、九州工業大学名誉教授。一般財団法人ファジィシステム研究所所長、21世紀COEプログラム「生物とロボットが織りなす脳情報工学の世界」拠点リーダー。
板倉 徹(いたくら とおる、1946年1月20日 - 201… 板倉 徹(いたくら とおる、1946年1月20日 - 2016年2月25日)は、日本の脳神経外科医。医学博士(和歌山県立医科大学・1983年)。和歌山県立医科大学名誉教授。 京都府出身。1970年に和歌山県立医科大学卒業。1983年に同医学博士。同附属病院診療医、講師、助教授、カリフォルニア工科大学生物学部門留学、1994年に和歌山県立医科大学脳神経外科教授。2006年に和歌山県立医科大学理事、和歌山県立医科大学附属病院院長。2008年に和歌山県立医科大学医学部長。2010年から2014年まで理事長・学長。名誉教授。日本高次脳機能障害学会会長。日本脳神経外科学会専門医。アルテリーヴォ和歌山を運営するNPO法人和歌山からJリーグを作る会の理事長を務めていた。
小野塚 勝(おのづか まさる、1945年1月20日 - )は… 小野塚 勝(おのづか まさる、1945年1月20日 - )は、日本の企業経営者。北海道テレビ放送(HTB)の元アナウンサー・報道局長・解説委員。
齋藤 富雄(さいとう とみお、1945年1月20日 - )は… 齋藤 富雄(さいとう とみお、1945年1月20日 - )は、日本の元地方公務員。西播磨県民局長や、兵庫県副知事、兵庫県顧問等を経て、神戸山手大学学長兼関西国際大学副学長を歴任した。兵庫県立大学特任教授。 兵庫県出石郡出石町(現豊岡市)出身。1963年兵庫県立出石高等学校卒業、兵庫県入庁。1969年関西大学法学部法律学科卒業、1990年兵庫県知事公室秘書課長。1993年兵庫県知事公室次長兼秘書課長。1995年兵庫県西播磨県民局長。1996年初代兵庫県防災監。2001年兵庫県出納長。2001年兵庫県副知事。 2005年兵庫県国際交流協会理事長。2009年兵庫県顧問。2010年神戸学院大学客員教授。
中川 八洋(なかがわ やつひろ、1945年1月20日 - )… 中川 八洋(なかがわ やつひろ、1945年1月20日 - )は、日本の政治学者、保守主義者。筑波大学名誉教授。外交史・戦史を含む国際政治学、英米系政治哲学および憲法思想、“皇位継承学”など。
岡野 功(おかの いさお、1944年(昭和19年)1月20日… 岡野 功(おかの いさお、1944年(昭和19年)1月20日 - )は、日本の柔道家、流通経済大学名誉教授。1964年(昭和39年)東京オリンピック柔道男子80kg級金メダリスト。身長170cm。体重80kg。 茨城県龍ケ崎市出身。福井英一の漫画『イガグリくん』に影響を受け中学から柔道を始める。茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。中央大学法学部に在学中の1964年(昭和39年)、東京オリンピックに中量級の日本代表として出場し、金メダルを獲得した。1965年(昭和40年)の世界選手権でもオール一本勝ちで優勝し、21歳で柔道中量級における世界のトップ選手となる。1972年の(昭和47年)全日本柔道選手権覇者でミュンヘンオリンピック中量級で金メダルを獲得した関根忍とは同学年のライバルであった。
上野 美記夫(うえの みきお、1943年1月20日 ‐ )は… 上野 美記夫(うえの みきお、1943年1月20日 ‐ )は、北海道函館市出身の元アマチュア野球選手・元アマチュア野球指導者。 北海道函館市で育ち、函館有斗高等学校では1番打者で遊撃手を務めた。 卒業後、富士製鉄室蘭に入団すると1年間プレーした。 1963年4月に東洋大学に入学したのと同時に20歳で函館大学付属有斗高等学校の監督に就任し、1998年3月に定年を迎えるまで35年間指導した。就任10年目の1972年、第4回明治神宮野球大会で監督として初の明治神宮野球大会出場を果たした(通算5度の出場で1勝5敗)。就任11年目の1973年、第45回選抜高等学校野球大会で監督として初の選抜高等学校野球大会出場を果たした(通算6度の出場で4勝6敗)。
新町 敏行(しんまち としゆき、1943年1月20日 - 2… 新町 敏行(しんまち としゆき、1943年1月20日 - 2019年12月)は元日本航空代表取締役社長。 神奈川県出身。鎌倉学園高等学校、学習院大学政経学部卒業後、1965年日本航空に入社。1997年6月取締役。2000年4月常務取締役、2001年専務取締役、2002年10月日本エアシステムの経営統合を実現し持ち株会社日本航空システムの専務取締役。2003年6月代表取締役副社長、2004年6月から代表取締役社長。統合後の経営基盤固めに努めるも運航トラブルが相次いだ責任を取り、2006年6月に会長に退く。2008年3月退任・退職。
神原 勝(かんばら まさる、 1943年1月20日 - )… 神原 勝(かんばら まさる、 1943年1月20日 - )は、日本の行政学者。北海道大学名誉教授。専門は行政学・地方行政論。特に自治基本条例、議会基本条例、自治体計画・政策に関する研究を行なっている。北海道樺戸郡浦臼町生まれ。 1967年(昭和42年)に中央大学法学部法律学科を卒業した。1969年(昭和44年)に、財団法人東京都政調会の研究員となる。1981年(昭和56年)、公益法人地方自治総合研究所の研究員となる。1988年(昭和63年)、北海道大学法学部の教授となる。(地方自治論、行政学) 2005年(平成5年)、北海道大学を退職。北海道大学名誉教授となる。北海学園大学法学部の政治学科教授・同大学院の法学研究科教授に就任。
黒須 隆一(くろす りゅういち、1942年(昭和17年)1月… 黒須 隆一(くろす りゅういち、1942年(昭和17年)1月20日 - )は、日本の政治家。東京都市長会顧問。東京都生まれ。台湾・高雄市名誉市民。 東京都八王子市長(3期)、八王子市議会議員(3期)、東京都議会議員(2期)を務めた。 東京府西多摩郡小河内村(現:奥多摩町)出身。東京都立南多摩高等学校卒業。1964年に武蔵大学経済学部経営学科を卒業後、家業である黒須建設に入社。1975年から1985年まで八王子市議会議員、1993年から2000年までは東京都議会議員。2000年1月に八王子市長選挙に初当選、2000年から2012年まで3期12年にわたり八王子市長を務める。2012年1月に70歳になったことを期に引退。
和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 199… 和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 1994年1月31日)は、上方噺家・エッセイスト・イラストレーター・タレント。芸名は笑福亭小つる(しょうふくてい こつる)。5代目笑福亭松鶴の孫(娘の子)で、6代目松鶴の甥にあたる。 大阪市に生まれ、生家は呉服屋、子供の頃から祖父・5代目松鶴に連れられ寄席通いをした。1947年7月に正式に5代目松鶴に入門し「笑福亭小つる」を名乗り、翌年1月に大阪市今里の双葉館で初舞台を踏む。小唄や寄席踊りで高座を勤め人気者になる。中学校卒業頃まで高座を勤め、大阪市立工芸高等学校を入学と同時にいったん廃業し学業に専念。 高校の美術油絵科を卒業後の1963年、そごう宣伝部に就職し、1970年まで勤める。
國重 純二(くにしげ じゅんじ、1942年1月20日 - 2… 國重 純二(くにしげ じゅんじ、1942年1月20日 - 2013年12月14日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 満洲国生まれ。香川県立高松高等学校卒業、1966年東京大学文学部英文科卒業、1972年同大学院博士課程中退、千葉大学教養部講師、1974年助教授、1975年東京都立大学助教授、1986年東大教養学部助教授、1992年教授。1998年から2年間、日本アメリカ文学会会長、1999年から2年間、日本英文学会会長。2001年定年退官、名誉教授、鶴見大学教授。2012年退職。 2013年12月14日、肝細胞癌のため死去。71歳没。 リチャード・バックの『かもめのジョナサン』の翻訳は、國重が訳したものに五木寛之が手を入れたものであることが、同書2015年の新版で明かされている。
大野 由利子(おおの ゆりこ、1942年1月20日 - )は… 大野 由利子(おおの ゆりこ、1942年1月20日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(3期)。 大阪府出身。1966年京都大学薬学部卒。薬剤師の資格を得て、大阪市立小児保健センター、創価学会系出版社である潮出版社に入り、フリーライターを経て、1990年、東京7区に公明党から出馬し、初当選。1994年、新進党に加入。1998年に新党平和に加わり、その後公明党に合流した。2000年の総選挙に落選した。
奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2… 奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2021年7月31日)は、日本の演出家、映画監督。日本映画監督協会会員。 福井県勝山市出身。実家は美容院。福井県立勝山高等学校卒、1965年、日本大学芸術学部映画学科卒業後、東京映画に入社。豊田四郎、佐伯幸三、小林正樹、増村保造らに師事。助監督を経て、1982年、花王 愛の劇場『トラック母ちゃん』で監督デビューする。 その後、東京映画を退社し、フリーランスの監督として現在まで多数のTVドラマを手がける。1999年には、初の劇場映画作品『虹の岬』を発表した。
川村 龍夫(かわむら たつお、1941年〈昭和16年〉1月2… 川村 龍夫(かわむら たつお、1941年〈昭和16年〉1月20日 - 2025年〈令和7年〉7月30日)は、日本の芸能プロモーター。ケイダッシュ代表取締役会長、田辺エージェンシー代表取締役副社長。 東京都出身。立教大学卒業。
東 美江(あずま みえ、本名:矢崎ミツエ、1941年1月20… 東 美江(あずま みえ、本名:矢崎ミツエ、1941年1月20日 - )は、日本の女優、声優。東京俳優生活協同組合所属。東京都出身。デビュー当時の芸名は青柳 明子。 東京都立北園高等学校卒業。 小学生の頃から目立ちたがりで、その頃の将来の夢も女優だったという。高校卒業後、柳家金語楼に弟子入り。「金語楼劇団」の一員としてデビュー。 東俳劇団、金星プロダクション、NHK現代邦楽8期を経て、東京俳優生活協同組合に所属。 声種はアルト。方言は甲州弁(甲府・塩山)。 特技は長唄。趣味・スポーツはテニス、登山、カラオケ、園芸。 免許・資格は中型自動車。
あすな ひろし(本名:矢野 高行(やの たかゆき)、1941… あすな ひろし(本名:矢野 高行(やの たかゆき)、1941年1月20日 - 2001年3月22日)は、日本の男性漫画家。東京都生まれ[3]、6歳から18歳まで広島県呉市育ち[4]。広島県修道高等学校卒。
高橋 宏明(たかはし ひろあき、1941年(昭和16年)1月… 高橋 宏明(たかはし ひろあき、1941年(昭和16年)1月20日 - )は、日本の実業家。東北電力相談役。東北経済連合会名誉会長。
小島 幸枝(こじま ゆきえ、1941年1月20日 - 201… 小島 幸枝(こじま ゆきえ、1941年1月20日 - 2012年4月27日)は、日本の国語学者。 福井県福井市生まれ。福井大学卒業、上智大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1985年「『スピリツアル修行』の国語学的研究 - 第一冊「ロザイロの観念」の翻訳」で上智大学より文学博士の学位を取得。東海学園女子短期大学助手、1974年助教授、獨協大学教授。2012年定年。1980年、金田一京助博士記念賞受賞。カトリック学術研究奨励賞受賞。
伊達 忠一(だて ちゅういち、1939年〈昭和14年〉1月2… 伊達 忠一(だて ちゅういち、1939年〈昭和14年〉1月20日 - )は、日本の政治家。札幌臨床検査センター代表取締役会長。 参議院議員(3期)、参議院議長(第31代)、国土交通大臣政務官(第2次小泉改造内閣)、内閣府副大臣(第2次安倍内閣)、自由民主党幹事長代理、自由民主党参議院国会対策委員長、自由民主党参議院幹事長などを務めた。 北海道生まれ。芦別市出身とも上士幌町出身とも言われる。北海道芦別高等学校卒業。北海道立衛生検査技師養成所卒業。臨床検査技師。1963年4月から札幌医科大学付属病院検査部に勤務し、1965年9月に札幌臨床検査センター株式会社を設立した。 1983年4月、芦別市から北海道議会議員に初当選。
西田 良(にしだ りょう、1939年1月20日 - )は、日… 西田 良(にしだ りょう、1939年1月20日 - )は、日本の俳優。京都府亀岡市保津町出身。本名および旧芸名は西田 良明。代表作は『燃えよ剣』の原田左之助。オフィス ユーリー所属。
太宰 俊吾(だざい しゅんご、1939年1月20日 - )は… 太宰 俊吾(だざい しゅんご、1939年1月20日 - )は、日本の経営者。日立建機社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1961年に大阪大学工学部を卒業し、同年に日立建機に入社。 1995年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2003年4月に社長に就任。2006年4月に会長に就任し、2010年6月には相談役に就任。日立製作所、日立国際電気各取締役も務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年… 響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年不明 )は、青森県八戸市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は新山 影男(しんやま かげお)。176cm、109kg。最高位は東十両10枚目。得意技は突っ張り、左四つ、寄り。 1955年3月場所に本名の「新山」で初土俵を踏む。翌場所序ノ口で「響矢」を名乗る。1960年7月場所に幕下で青錦大太郎と改名。改名の効果があったためか勝ち越しが続き、1961年1月場所に十両昇進。この場所は3勝12敗と大きく負け越し1場所で幕下へ陥落した。その後も負け越しが続いたが、1961年11月場所で四股名を「響矢」に戻し、1962年に入ってからは調子を取り戻し、1962年9月場所に十両に復帰した。
北原 亞以子(きたはら あいこ、本名:高野美枝、1938年1… 北原 亞以子(きたはら あいこ、本名:高野美枝、1938年1月20日 - 2013年3月12日)は、日本の小説家。 東京・新橋の祖父の代からの椅子専門の洋家具職人の家に生まれる。4歳で父が南方戦地で戦死し、6歳の1944年(昭和19年)11月30日に空襲で生家が焼失し、7歳で終戦を迎える。千葉県立千葉第二高等学校卒業。高校のころから小説家を志望し、石油会社でOLをしながら書き続ける。 28歳の時に同人誌「文藝首都」の同人への推薦人のつてが無く購読と批評提出のできる会員となり、処女作を提出するが出した原稿が訂正の赤入れだらけで真っ赤になるほど酷評され、ショックを受けて会員をやめる。1968年、同人誌「文学地帯」の同人となる。
安部 彪(あべ たけし、1938年〈昭和13年〉1月20日 … 安部 彪(あべ たけし、1938年〈昭和13年〉1月20日 - 2025年〈令和7年〉2月1日)は日本の会計検査官僚。位階勲等は従三位瑞宝重光章。会計検査院事務総局次長、会計検査院事務総長、国民生活金融公庫副総裁(初代)などを歴任。血液型はB型。妻がいる。 大分県出身(母も大分県)。大分大学学芸学部附属中学校、大分県立大分上野丘高等学校、東京大学法学部卒業。1960年(昭和35年) 大蔵省に入省(銀行局金融制度調査官付)。1966年(昭和41年)7月 福知山税務署長。1982年(昭和57年)7月 会計検査院事務総長官房法規課長。1983年(昭和58年)6月 会計検査院事務総長官房総務課長。1984年(昭和59年)12月 会計検査院事務総局第三局審議官。
中村 輝子(なかむら てるこ、1938年1月20日 - )は… 中村 輝子(なかむら てるこ、1938年1月20日 - )は、ジャーナリスト・翻訳家。高井有一の妻。 北海道生まれ。本名・輝。東京大学文学部社会学科卒業後、1962年共同通信社入社。文化部記者、編集委員、論説委員を経て、1998年退社。1984年、高井有一と結婚。立正大学客員教授を務めた。
川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年1月20日 - 20… 川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年1月20日 - 2019年3月11日)は、日本の演芸評論家。代表的な名跡は都家西北。 アナウンサー・ジャーナリストの川戸恵子は妻である。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学卒業。大学で落語研究会に入会し、のちに7代目立川談志となる柳家小ゑん、三遊亭全生、林家照蔵、のちに3代目古今亭志ん朝となる古今亭朝太、など同世代の若手と知り合って落語に没頭し、8代目桂文楽に目をかけられたのをきっかけに落語の録音、文献のコレクターとしても知られるようになる。3代目志ん朝の初高座を生で見た人物の一人でもある。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社し、1993年3月に退社。
出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20… 出馬 迪男(いづま みちお、1937年(昭和12年)1月20日 - 2019年(令和元年)12月15日)は、日本の実業家。フジテレビジョン副社長、関西テレビ放送社長を務めた。 大阪府大阪市出身。大阪府立高津高等学校、慶應義塾大学法学部を卒業。 共同テレビジョンを経て、1963年(昭和38年)1月フジテレビジョン入社。 1987年(昭和62年)6月取締役営業局長、88年6月常務取締役(営業担当)、91年6月専務取締役(総括担当)。 1997年(平成9年)6月代表取締役副社長営業統括本部長、99年6月代表取締役副社長営業総括・営業統括本部長特命事項担当。 2001年(平成13年)6月、関西テレビ放送代表取締役社長に就任する。
生原 昭宏(いくはら あきひろ、1937年1月20日 - 1… 生原 昭宏(いくはら あきひろ、1937年1月20日 - 1992年10月26日)は、日本の野球関係者。メジャーリーグ球団職員。 日米間の野球交流発展に尽力し、親身になって野球留学生を世話するなどして、山本昌などを初め、多くの野球人に慕われた。 福岡県田川郡香春町出身。アイク生原の愛称・通称で知られる。 福岡県立田川高校から早稲田大学へ進学し、野球部選手として活躍。1959年にはリッカーミシンに入社して社会人野球で活躍した。1961年には亜細亜大学硬式野球部監督(当時は東都大学リーグ3部)に就任し、1964年秋には同部を1部に昇格させるなど、アマチュア野球指導者として活動していた。 自身の指導法に疑問を抱き、野球を探求するため、1965年3月に当時読売ジャイアンツの顧問を務めていた鈴木惣太郎の紹介でアメリカ合衆国へ渡り、ウォルター・オマリー会長の指示を受けてロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーチームであるスポケーン・インディアンスで用具係になった。
岡倉 徹志(おかくら てつし、1937年1月20日 - )は… 岡倉 徹志(おかくら てつし、1937年1月20日 - )は、日本のジャーナリスト、中東学者。 東京生まれ。父は岡倉古志郎。岡倉天心の曾孫にあたる。早稲田大学第一文学部卒業後、毎日新聞社へ入社。カイロ支局長、外信部副部長、編集委員を経て1990年より富山国際大学教授となる。2008年退職。専攻は中東、イスラム世界の現代政治、国際関係。
西沢 利明(、1936年1月20日 - 2013年4月11日… 西沢 利明(、1936年1月20日 - 2013年4月11日)は、日本の俳優。本名西澤利明。 劇団俳優座、文学座、劇団雲、染谷事務所、劇団昴を経て、アイティ企画に所属していた。 北海道旭川市出身。北海道千歳高等学校卒業後、学習院大学経済学部中退。その後は俳優座養成所に入り、同養成所卒業後に文学座へ入団。 1963年、文学座を集団で脱退し劇団雲の結成に参加。『ロミオとジュリエット』『動物園物語』などでは主役を張り、中心俳優として活動した。 1975年の劇団分裂後はフリーとなり、染谷事務所を経て、1978年から1997年までは劇団昴に所属した。 2011年頃に膀胱ガンが判明するが、本人の希望で公表せず闘病しながら活動を継続。
紀内 隆宏(きうち たかひろ、1936年1月20日 - 20… 紀内 隆宏(きうち たかひろ、1936年1月20日 - 2017年7月29日)は日本の自治官僚。大臣官房総務審議官、行政局長、消防庁長官、全国知事会事務総長などを歴任。瑞宝重光章受章。位階は正四位。 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 自治省に入省(鹿児島県東京事務所文書課兼財政課兼地方課)。1986年10月 滋賀県副知事。1988年7月 自治省大臣官房審議官(財政担当)。1990年7月2日 自治省大臣官房総務審議官。1991年10月15日 行政局長。1993年7月1日 消防庁長官。1995年1月17日 退官。1996年8月 全国知事会事務総長。2002年 財団法人全国市町村振興協会理事長。
今中 亘(いまなか わたる、1936年1月20日 - )は、… 今中 亘(いまなか わたる、1936年1月20日 - )は、日本の経営者。中国新聞社社長を務めた。 広島県出身。1959年に広島大学文学部仏文学科を卒業し、同年に中国新聞社に入社した。1992年に取締役、1997年に常務を経て、2000年3月に社長に就任した。2006年3月に顧問に退いた。 2010年4月に旭日重光章を受章。
渥美 東洋(あつみ とうよう、1935年〈昭和10年〉1月2… 渥美 東洋(あつみ とうよう、1935年〈昭和10年〉1月20日 - 2014年〈平成26年〉1月30日)は、日本の法学者(刑事訴訟法)。法学博士(中央大学・1978年)。中央大学名誉教授、警察大学校名誉教授。京都産業大学客員教授、学校法人常磐大学理事、司法試験考査委員を務めた。 1935年、満洲国新京(現:長春市)で高官の家庭に生まれ幼少時代を過ごし、敗戦後、浜松市に戻る。静岡県立浜松北高等学校卒業後、1955年、中央大学法学部3年生の時、司法試験に首席で合格。翌年、国家公務員六級職試験(後の上級甲種試験、Ⅰ種試験)に8位で合格。中央大学法学部助手兼務で司法修習修了。 刑事訴訟法学において、英米法の影響を大きく受けた学説を主張し、その独自の展開ゆえ「渥美刑訴」と呼ばれた。
堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 20… 堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 2012年1月14日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者・評論家。 桃山学院高校では3年次の1952年、夏の大阪府大会で準決勝に進出するが、明星高に敗退。高校卒業後は1953年に立教大学へ入学するが、同期のエース東実や1年下の杉浦忠の陰に隠れ、あまり活躍の機会はなかった。専ら他校のエースを真似た練習台の投手であった。他の大学同期に矢頭高雄がおり、一年下に長嶋茂雄がいた。大学卒業後は1957年に日通浦和へ入社し、同年の都市対抗では3勝を挙げて決勝に進出。熊谷組の島津四郎と投げ合うも完封を喫するが、この大会の久慈賞を獲得。
公文 俊平(くもん しゅんぺい、1935年1月20日 - )… 公文 俊平(くもん しゅんぺい、1935年1月20日 - )は、日本の社会学者。東京大学教授、多摩大学情報社会学研究所所長、多摩大学教授、立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部客員教員、情報社会学会会長などを歴任。専門は、社会システム論、国際関係論。 高知県出身。土佐中学校・高等学校を経て、1957年に東京大学経済学部卒業。1959年に同大学院社会科学研究科理論経済学専門課程修士課程修了。1967年に東京大学教養学部助教授、カールトン大学客員助教授・客員準教授。1968年にインディアナ大学経済学大学院でPh.D.取得。1971年に経済企画庁客員研究官。1978年、東京大学教養学部教授。1988年にワシントン大学客員研究教授。
朝倉 利光(あさくら としみつ、1934年1月20日 - )… 朝倉 利光(あさくら としみつ、1934年1月20日 - )は、日本の工学者。元北海学園大学学長、北海道大学名誉教授。専門は、応用光学、量子光工学など光学分野。工学博士(東京大学、1965年)。福島県出身。
阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月2… 阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月20日 - 2009年6月12日)は日本の詩人。 山形県鶴岡市生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業。若いころは政治運動に身を投じた。代表的な詩集として、獄舎につながれた肉体的・精神的苦痛から幻影をみる詩集『眼の伝説』、『不覇者』(1982年第15回小熊秀雄賞受賞作)、故郷庄内地方の即身仏信仰をテーマとした『月の山』、難病に陥った中で病者の意識を追う迫力に満ちた作品『ベーゲェット氏』などがある。『べーゲェット氏』は1989年高見順賞を受賞した。 新日本文学会の日本文学学校の講師も務め、教え子に伊藤比呂美がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
間部 耕苹(まなべ こうへい、1934年(昭和9年)1月20… 間部 耕苹(まなべ こうへい、1934年(昭和9年)1月20日 - 2013年(平成25年)5月7日)は、日本の実業家、テレビディレクター。日本テレビ放送網代表取締役社長や、日テレ・グループ・ホールディングス代表取締役会長、日本民間放送連盟副会長、デジタル放送推進協会理事長等を歴任した。富山市出身。
金勢 さき子(かなせ さきこ、1934年(昭和9年)1月20… 金勢 さき子(かなせ さきこ、1934年(昭和9年)1月20日 - 1959年(昭和34年)10月30日)は、日本のモデル。インドネシア初代大統領スカルノの愛人であった。鉄鋼商社である木下商店によってジャカルタに送られた。 インドネシア名は、サリク・マエサロ(Saliku Maesaroh)。 本籍地は石川県金沢市、出身地は東京都世田谷区等々力町。1934年(昭和9年)1月20日、金勢大と静子の間に生まれた。1952年(昭和27年)、都立目黒高校を卒業するとモデル養成所に通った。その間、松竹映画が募集した「ミス明眸」及び「ミス・ジャズ」コンテストで共に2位入賞。その後渋谷の喫茶店ジャズ・コーナーに勤務。
吉㚖 信一(よしざわ のぶかず、1933年〈昭和8年〉1月2… 吉㚖 信一(よしざわ のぶかず、1933年〈昭和8年〉1月20日 - )は、日本の経営者。山梨中央銀行頭取を務めた。 山梨県出身。1955年に中央大学法学部を卒業し、同年に山梨中央銀行に入行した。1987年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月には頭取に就任。2001年6月に会長に就任し、2007年6月には取締役相談役に就任。 2004年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
梓 林太郎(あずさ りんたろう、1933年1月20日 - 2… 梓 林太郎(あずさ りんたろう、1933年1月20日 - 2024年1月27日)は、日本の小説家。本名は林 隆司。 長野県下伊那郡上郷村(現:飯田市)生まれ。 父の仕事の都合で静岡県清水市(現:静岡市清水区)に一家3人で転居。その後、父の出征のみならず、第二次世界大戦の戦況悪化もあって上郷村の母の実家に戻った。その翌年(1945年)、小学6年生の時に終戦を迎える。中央アルプスに連なる山村にあった母の実家では、家業の農家の手伝いなどで毎日のように山に入った。進学のため18歳で上郷を離れたが、本格的に山登りを始めたのは東京に出てからという。 貿易会社、調査会社、経営コンサルタント会社などを経て、1980年『九月の渓で』で小説宝石エンタテインメント小説大賞を受賞し、デビュー。
今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4… 今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4月14日)は、日本の医学者。弘前医療福祉大学特任教授、弘前大学名誉教授。学位は医学博士(弘前大学)。専門は一般外科・消化器外科(特に大腸外科・肛門括約筋機能温存術)高齢者・福祉医療、緩和・終末期医療。 青森県弘前市出身。1962年に弘前大学大学院医学研究科を修了後、弘前大学第二外科助手に就任。66年から2年間、人癌研究のため米国ロズウェルパーク記念研究所へ出張する。91年から第二外科学教室教授として昇任。大腸癌、特に直腸癌における低位前方切除術の先駆者として自律神経温存手術などの治療に注力。94年には青森県で初めての生体部分肝移植を指揮。
鈴木 その子(すずき そのこ、1932年(昭和7年)1月20… 鈴木 その子(すずき そのこ、1932年(昭和7年)1月20日 - 2000年(平成12年)12月5日)は、昭和50年代から平成年代にかけての美容研究家・料理研究家である。本名、鈴木 荘能子(読み同じ)。株式会社トキノ(現在の株式会社SONOKO)を創業した。
佐藤 任弘(さとう たかひろ、1932年1月20日 - 19… 佐藤 任弘(さとう たかひろ、1932年1月20日 - 1998年6月19日)は、日本の海洋地理学者。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)生まれ。1954年東京大学理学部地質学科卒、1956年同大学院修士課程修了、1964年「日本列島周縁の深海平坦面と海底谷に関する地質学的研究」で理学博士。1956年海上保安庁水路部へ入る。1975年第六管区海上保安本部水路部長、1977年水路部海図課長、1982年測量課長、1983年沿岸調査課長、1984年企画課長、1985年第一管区海上保安本部次長、1986年水路部長。1984年硫黄島付近の海徳海山の隆起を見守った。