コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10… コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10月26日)は、日本の漫才師、漫談家。落語芸術協会所属。社団法人あゆみの箱常務理事。本名、鳥屋 二郎(とりや じろう)。
3月30日生まれ:393人
コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10… コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10月26日)は、日本の漫才師、漫談家。落語芸術協会所属。社団法人あゆみの箱常務理事。本名、鳥屋 二郎(とりや じろう)。
蔭木 英雄(かげき ひでお、1927年3月30日 - 201… 蔭木 英雄(かげき ひでお、1927年3月30日 - 2017年9月 )は、日本の漢文学者、相愛大学名誉教授。 兵庫県神戸市湊東区荒田町生まれ。陸軍士官学校在学中肺結核に罹り陸軍病院で療養中に禅に触れる。1947年国立兵庫療養所で所内の参禅会に入り、青原寺和尚より英種居士の法名を受ける。1948年兵庫県揖保郡太市小学校助教諭、小・中・高校(全日制・定時制)に勤務しつつ1959年関西大学二部文学部東洋文学科卒、1970年同大学院博士課程満期退学、1975年「五山詩史の研究」で文学博士。相愛女子大学助教授、相愛大学教授、1995年定年退職、名誉教授。
中村 裕(なかむら ゆたか、1927年3月30日 - 198… 中村 裕(なかむら ゆたか、1927年3月30日 - 1984年7月23日)は、日本の医師・整形外科医。身体障害者のスポーツ振興をはかった。日本パラリンピックの父と呼ばれる。 大分県別府市出身。九州大学医学部卒業後、九州大学病院整形外科に医師として勤務。 1958年から大分県の国立別府病院整形外科医長。1966年、大分中村病院を設立。1979年-1983年国際パラプレジア医学会副会長、1979年-1980年日本パラプレジア医学会会長。 1965年に障害者の自立のための施設「太陽の家」を創設。また、障害者スポーツ振興に情熱を傾け、1964年の東京パラリンピックで選手団長を務め、第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)開催に尽力。
尚樹 啓太郎(しょうじゅ けいたろう、1927年〈昭和2年〉… 尚樹 啓太郎(しょうじゅ けいたろう、1927年〈昭和2年〉3月30日 - 2010年〈平成22年〉7月13日)は、日本の歴史学者。専門は、東ローマ帝国史(ビザンツ帝国史)。東海大学名誉教授。 1927年生まれ。東京大学文学部西洋史学科で学び、卒業。同大学大学院に進み、1957年に博士課程を満期退学。 1958年、東海大学文学部講師に就いた。1961年に同助教授となり、1968年に教授昇格。後に文学部長も務めた。1982年、東海大学副学長となった。1996年に東海大学を定年退任し名誉教授。 専門は西洋史で、東ローマ帝国史。渡辺金一(一橋大学名誉教授)とともに日本における東ローマ帝国研究を第一世代として開拓した。
伊藤 虎丸(いとう とらまる、1927年3月30日 - 20… 伊藤 虎丸(いとう とらまる、1927年3月30日 - 2003年1月31日)は、日本の中国文学者。専門は中国近現代文学、魯迅と日本の比較、郁達夫と創造社など。 東京都生まれ。1944年、旅順工科大学に入学するも、日本が敗戦して帰国。帰国後は肺結核を発病して5年間病床に就き、この間にキリスト教を信仰するようになる。1953年、東京教育大学文学部に入学し、中国文学を専攻する。同大学院を経て東京大学大学院中退。明治学院高等学校教諭、1963年広島大学教授、1973年和光大学教授、1980年東京女子大学教授。1995年明海大学教授、2000年退任、平和学園理事長。 2003年1月31日、肺炎のため死去。
岩上 瑛(いわがみ えい、 1927年3月30日 - は、東… 岩上 瑛(いわがみ えい、 1927年3月30日 - は、東京都出身 の俳優。本名は岩楯 守。日本大学卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
杉本 つとむ(すぎもと つとむ、1927年(昭和2年)3月3… 杉本 つとむ(すぎもと つとむ、1927年(昭和2年)3月30日 - 2022年3月1日(令和4年))は、日本の言語史研究者。学位は文学博士(東北大学・論文博士・1969年)(学位論文「近代日本語の研究」)。早稲田大学名誉教授。本名・杉本孜。 1927年、横浜市生まれ。1951年に旧制早稲田大学文学部国文科を卒業。 1962年に早稲田大学文学部専任講師となる。武蔵野女子短期大学および武蔵野大学文学部講師。1966年に早稲田大学文学部助教授。1969年に「近代日本語の研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。同年にオーストラリア国立大学東洋学部客員教授。1971年に早稲田大学文学部教授に昇進。1975年に国際基督教大学語学科及び大学院言語研究科非常勤講師。
富田 正一(とみた しょういち、1927年3月30日 - 2… 富田 正一(とみた しょういち、1927年3月30日 - 2021年4月7日)は、日本の詩人。日本国有鉄道(国鉄)に勤務する傍ら、19歳から91歳までの72年間、北海道を代表する詩誌『青芽』(せいが)の発行を続けた。 小熊秀雄賞選考委員、旭川市民文芸選者、日本現代詩歌文学館振興会評議員、旭川文学資料館館長を歴任。日本現代詩人会、北海道詩人協会、北海道文学館、旭川文学資料友の会等多くの会や詩誌に参加交流。日本鉄道OB会連合会認証文学(詩)インストラクターを務め、旭川ポエムの会等で指導した。発表した詩は約1200篇、随筆約800篇。 現在の北海道名寄市に生まれる。 1944年、陸軍航空通信学校を卒業し、特別幹部候補生の陸軍兵長として従軍した。
大日山 廣司(おおひやま ひろし、1927年3月30日 - … 大日山 廣司(おおひやま ひろし、1927年3月30日 - 没年不明 )は、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元力士。本名は石岡 廣司(いしおか ひろし)。兵庫県姫路市出身。173cm、113kg。最高位は西十両11枚目。得意技は右四つ、吊り。 1942年1月場所初土俵、1951年9月場所十両昇進。1954年1月場所限りで廃業した。
野別 隆俊(のべつ たかとし、1927年3月30日 - 20… 野別 隆俊(のべつ たかとし、1927年3月30日 - 2014年9月16日)は、日本の政治家、日本社会党参議院議員(1期)。 宮崎県日向市出身。1948年京都長岡園芸専門学校卒。宮崎県経済連を経て、宮崎市役所に入り、農政係長、市職員労働組合委員長などを務める。1966年宮崎市議会議員に当選、5期務め、市議会副議長になる。1982年宮崎県議会議員に当選。3期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で宮崎選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選した。 1997年4月の春の叙勲で勲三等に叙され旭日中綬章を受章する。 2014年9月16日12時31分、呼吸困難のため宮崎市の病院で死去。
舟知 恵(ふなち めぐみ、1926年3月30日 - )は、日… 舟知 恵(ふなち めぐみ、1926年3月30日 - )は、日本の詩人、インドネシア文学翻訳家。 奈良県出身。本姓・五百沢。1943年長生高等女学校(現・千葉県立茂原高等学校)卒、1970年アテネ・フランセ卒。72-76年ジャカルタ滞在。1977年「現代インドネシア詩集・恋人は遠い島に」で日本翻訳文化賞受賞。
中条 静夫(ちゅうじょう しずお、1926年〈大正15年〉3… 中条 静夫(ちゅうじょう しずお、1926年〈大正15年〉3月30日 ‐ 1994年〈平成6年〉10月5日)は、日本の俳優。本名、中條 靜雄(読み同じ)。 東京府八王子市出身。東京府立第二商業学校(後の東京都立第二商業高等学校)卒業。田上事務所に所属していた。 新聞記者の父がもうけた二男二女の長男として静岡で生まれる。名の静雄は生誕の地名・静岡の一字からとられたものだという。小学生の時、父の仕事の都合で上京(新宿から八王子へと移る)。1943年12月、東京府立第二商業学校を繰り上げ卒業して兵役につき、1945年9月に復員。従軍当時の上官から「学生のくせに名前がチュウジョウ(中将)とは何事か、お前がチュウジョウなわけがない、お前はナカジョウだ」と理不尽な説教をされてたびたび殴られたと後年テレビインタビューで述懐している[要出典]。
飯坂 良明(いいざか よしあき、1926年3月30日 - 2… 飯坂 良明(いいざか よしあき、1926年3月30日 - 2003年10月3日)は、日本の政治学者、思想評論家。学習院大学名誉教授。 富山県出身。1948年東京帝国大学法学部卒業。1951年同大学大学院特別研究生終了。 学習院大学講師、助教授、1958年教授。図書館長、法学部長、東洋文化研究所所長。1995年定年前に退職し、同大学名誉教授、聖学院大学学長就任。在職中に死去。 世界宗教者平和会議日本委員会評議員、WCRP平和研究所所長、アジア宗教者平和会議事務総長を務めた。
鈴木 和夫(すずき かずお、1926年(大正15年)3月30… 鈴木 和夫(すずき かずお、1926年(大正15年)3月30日 - 2008年(平成20年)3月28日)は、昭和から平成時代の政治家。宮城県多賀城市長。多賀城市名誉市民。 宮城県宮城郡多賀城村(多賀城町を経て多賀城市)に生まれる。仙台工業専門学校卒業。1963年(昭和38年)5月、多賀城町議会議員に初当選し、以来連続8期、31年3ヵ月の長きにわたり町議会議員、市議会議員を歴任した。1979年(昭和54年)5月から1989年(平成元年)6月までは市議会議長を務めた。 1994年(平成6年)8月、多賀城市長に就任し、2006年(平成18年)8月まで3期12年在職した。水害対策のためのポンプ場の整備や中心市街地の整備、JR仙石線連続立体交差事業の促進などに尽力した。
小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - … 小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - 2010年5月21日)は、古筆学者、美術史学者。 1925年、山口県岩国市で生まれた。1938年、広島の旧制崇徳中学校(現崇徳高等学校)に進学し、1942年、旧制山口県立柳井中学校(現山口県立柳井高等学校)を卒業。国鉄マンであった父に従い広島鉄道局に勤務。1945年8月6日、爆心地から1.7キロ、広島駅近くの庁舎内にて被爆。戦後も国鉄、次いで広島陸運局で働きながら、「平家納経」の美に魅せられ、その研究に邁進。26歳の時に、学術書としても優れた厳島観光案内書『いつくしま』を出版した。 1951年、運輸省自動車局への転勤にともない上京。私淑していた源氏学者池田亀鑑のもとで、学問への姿勢と研究方法を身に付けた。
市村 真一(いちむら しんいち、1925年3月30日 - )… 市村 真一(いちむら しんいち、1925年3月30日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、国際東アジア研究センター名誉顧問。Ph.D.(マサチューセッツ工科大学、1953年)、経済学博士(大阪大学、1961年)。論文の題は「日本経済の構造 」[5]。専門は経済発展論(低開発国問題)、アジア経済学、計量経済学。京都市出身。妻の父は近藤伝八・陸軍大佐[6]。息子は計量経済学者の市村英彦東京大学教授[7]。
長野 重一(ながの しげいち、1925年 <大正14年> 3… 長野 重一(ながの しげいち、1925年 <大正14年> 3月30日 - 2019年 <平成31年> 1月30日)は、日本の写真家。 1925年 (大正14年) 3月30日、大分県魚町で歯科医の生野廿一、母・もと子の次男として生まれた。まもなく、子供のなかった叔父で実業家の長野善五郎・千佐夫妻の養子に出された。長野夫妻は東京在住だったが、重一は実の父母と大分で暮らしていた。 重一が大分を離れて東京に移り住むのは、1932年 (昭和7年) 以降のことである。この年、東京・高輪にあった養父母の家へ移った。ただ、前年に養父の善五郎は亡くなっている。東京に移住してからは、高輪小学校に転入したが、1935年 (昭和10年) には慶應義塾幼稚舎へ転入、その後、1938年 (昭和13年) に慶應義塾普通部へ進学、1942年 (昭和17年) に慶應義塾経済学部大学予科入学、1947年 (昭和22年) 9月に慶應義塾大学経済学部を卒業した。
高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月3… 高田 好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は、法相宗の僧。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開いて金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげた。 大阪市出身。俗名は高田好一。裕福な家庭に生まれたが、11歳のとき証券会社勤務の父を肺結核で失い困窮した。母方の実家は東大寺龍蔵院で、知人だった薬師寺の管主橋本凝胤が弟子として好胤を引き取った。凝胤の教育は厳しかった。幼少期、友人宅に呼ばれて遊びに行ったとき、レコードで浪曲の「清水港は鬼より怖い、大政・小政の声がする」というくだりを耳にして、薬師寺にはもっと怖い鬼(橋本凝胤)がいると思ったという。
徳網 茂(とくあみ しげる、1924年3月30日 - 197… 徳網 茂(とくあみ しげる、1924年3月30日 - 1976年5月23日)は京都府出身のプロ野球選手、野球指導者。
小林 丈児(こばやし じょうじ、1924年3月30日-198… 小林 丈児(こばやし じょうじ、1924年3月30日-1985年8月6日)は、日本の政治学者。専門は、政治学・比較政治学。元中央大学教授。北海道釧路市出身。 1952年中央大学法学部(旧制)卒業。1952年中央大学法学部助手。1957年中央大学法学部助教授。1964年中央大学法学部教授。1985年在職中に心不全で逝去。 この他に、日本比較法研究所副所長、日本政治学会理事、東京外国語大学外国語学部・明治大学法学部・早稲田大学法学部・立教大学法学部の非常勤講師を務めた。 専門は、政治学・比較政治学。特に、政治原論、平和学、地方自治論、アメリカ政治史、イギリス政治史などを研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 201… 薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 2017年12月24日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者、舞踊評論家、舞踊史研究家。 蘆原英了、東勇作に師事してバレエを学び、第2次世界大戦後の日本バレエ界で活躍した。1930年代から収集を続けているバレエ関連の文献資料は、個人が収集したものとしては世界有数といわれる。 モスクワ国際バレエコンクールやヴァルナ国際バレエコンクールなど内外のバレエコンクールの審査員を歴任し、2006年に第4代日本バレエ協会会長に就任した。 東京で生まれた。母や姉とともに歌舞伎や宝塚歌劇団などの舞台を観に行くことが多く、幼少時から踊りを見るのは好きだった。
高橋 悦二郎(たかはし えつじろう、1924年3月30日 -… 高橋 悦二郎(たかはし えつじろう、1924年3月30日 - 2015年8月14日)は、日本の小児科医。 東京府(現中野区)出身。1952年東京大学医学部卒。1960年医学博士。東大病院小児科勤務、1955年東京・愛育病院勤務、小児科部長。1980年愛育会総合母子保健センター保健指導部長。院長代行、愛育研究所副所長を歴任。1989年定年退職。女子栄養大学教授。東京都小児保健協会会長。
中濃 教篤(なかの きょうとく、1924年3月30日-200… 中濃 教篤(なかの きょうとく、1924年3月30日-2003年4月30日)は、日蓮宗の僧侶、政治・社会運動家。 神奈川県出身。1945年立正大学仏教学部卒。インドシナ解放闘争に共鳴、アジア仏教徒会議などに参加。1971年日蓮宗現代宗教研究所長、79年顧問。東京都台東区領玄寺住職。
幾代 通(いくよ とおる、1923年(大正12年)3月30日… 幾代 通(いくよ とおる、1923年(大正12年)3月30日 - 1991年(平成3年)1月31日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東北大学名誉教授。従三位勲二等。我妻榮門下。弟子に徳本伸一など。 1923年(大正12年)3月30日、福井県福井市に生まれる。1939年(昭和14年)3月、東京府立第一中学校四年修了。1942年(昭和17年)3月、第一高等学校文科甲類卒業、同年4月東京帝国大学法学部法律学科入学。1944年(昭和19年)9月、東京帝国大学法学部法律学科卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。
末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )… 末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )は、日本の音楽評論家・会社経営者。駅弁業者である博多鉄道構内営業有限会社(屋号:寿軒)社長。
田村 義也(たむら よしや、1923年3月30日 - 200… 田村 義也(たむら よしや、1923年3月30日 - 2003年2月23日)は、日本の編集者、装幀家。 東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。1948年3月、初の公募社員として岩波書店に入社。当時の岩波では大卒社員が珍しかったため、かなりの反感と嫉妬を社内で受けたという。1985年に退社するまで、岩波新書編集部や『世界』、『文学』などの編集長をつとめた。 数多い書籍の装幀(ブックデザイン)を行い、その装幀は独特の書体と風合いを持つ特徴的なもので、多くのファンがいた。第13回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。2003年に、骨髄異形成症候群により、79歳で死去したが、人となりを偲び『田村義也—編集現場115人の回想』が刊行された。
今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月… 今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月30日 - 2010年(平成12年)3月9日)は、日本史学者、禅仏教研究者、曹洞宗僧侶。 静岡県生まれ。1947年東京帝国大学文学部国史学科卒業。1951年東京大学史料編纂所に入る。1962年助手、1969年助教授、1972年教授、1981年所長。1983年定年退官、名誉教授。1971年「中世禅林成立史の研究」で東大文学博士。興隆寺住持。2010年3月9日、肺炎のため死去。86歳没。没後正五位受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野原 一夫(のはら かずお、1922年(大正11年)3月30… 野原 一夫(のはら かずお、1922年(大正11年)3月30日 - 1999年(平成11年)7月31日)は東京府出身の編集者、作家。 東京府立第五中学校(現都立小石川高等学校)から浦和高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部独逸文学科卒業。1943年(昭和18年)12月、学徒出陣、二等水兵として横須賀市の武山海兵団に入隊。その後、海軍の第四期兵科予備学生となる。1944年(昭和19年)12月に海軍少尉任官、埼玉県大和田通信隊勤務。1945年(昭和20年)4月、南九州・鹿屋基地に第五航空艦隊司令部付として赴任。終戦を大分で迎える。 1946年(昭和21年)8月26日、700名中2名の被採用者のひとりとして新潮社に入社(もうひとりの被採用者は野平健一)。
井上 太一(いのうえ たいち、1922年3月30日 - 19… 井上 太一(いのうえ たいち、1922年3月30日 - 1997年7月8日)は、日本の経営者、銀行家。京都銀行頭取を務めた。京都府京都市出身。 1946年に大阪商科大学を卒業し、同年に京都銀行に入行。1968年11月に取締役に就任し、1972年3月に常務、1974年11月に専務を経て、1978年12月に副頭取に就任し、1979年4月に頭取に昇格。1994年5月に会長に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章。 1997年7月8日肝不全のために死去。75歳没。
護 雅夫(もり まさお、1921年〈大正10年〉3月30日 … 護 雅夫(もり まさお、1921年〈大正10年〉3月30日 - 1996年〈平成8年〉12月23日)は、日本の東洋学者・歴史学者。専攻はトルコ民族史・内陸アジア史・トルコ学。東京大学名誉教授。勲二等瑞宝章受章。日本学士院会員。 滋賀県長浜町(現長浜市)真宗大谷派一心寺 11世住職 釋雅亮・春枝の長男として生誕 。旧制 県立虎姫中学校(現:滋賀県立虎姫高等学校)から1938年第三高等学校文科甲類へ入学、「自由寮」での寮生活を始める。 1941年東京帝国大学文学部東洋史学科入学、1943年9月卒業と同時に同大大学院入学即日休学、10月に三期兵科予備学生として広島県江田島の海軍兵学校に入校、同年末まで教育・訓練をうけ、1944年より海兵教官として国史を担当する。
力武 常次(りきたけ つねじ、1921年3月30日 - 20… 力武 常次(りきたけ つねじ、1921年3月30日 - 2004年8月22日)は、日本の地球物理学者。東京大学名誉教授、東京工業大学名誉教授。理学博士。
櫻井 良文(さくらい よしふみ、1921年3月30日 - 2… 櫻井 良文(さくらい よしふみ、1921年3月30日 - 2012年6月21日)は、大阪府生まれの日本の電気工学者・システム/制御工学者。大阪大学名誉教授。大阪工業大学・摂南大学元学長・名誉教授。工学博士(大阪大学)。澪電会(大阪大学工学部電気系同窓会)元会長。元京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所, KURNS)教授。第41期システム制御情報学会(ISCIE)会長。日本応用磁気学会会長。第11-13期日本学術会議会員。勲二等瑞宝章受章。 専門は、応用磁気学(特に磁気メモリ)、システム制御工学・計測工学(特に原子炉制御・放射線計測)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
石井 歓(いしい かん、1921年〈大正10年〉3月30日 … 石井 歓(いしい かん、1921年〈大正10年〉3月30日 - 2009年〈平成21年〉11月24日)は、日本の作曲家。東京市下谷区(現:東京都台東区)出身。 同じく作曲家である石井眞木は弟、石井五郎は叔父に当たる。父は舞踊家の石井漠。 成城学園小学部から旧制の成城高等学校尋常科に進むが、成城事件で父の友人の小原國芳が排斥されたため、玉川学園中等部に転じる。作曲を呉泰次郎について約3年間学んだ。武蔵野音楽大学本科ピアノ科を卒業後、池内友次郎に師事。太平洋戦争中は海軍予備学生として海軍入隊後、約2年間勤務。1947年(昭和22年)から尾高尚忠に指揮法を師事。1952年(昭和27年)、西ドイツに留学し、ミュンヘン国立音楽大学作曲科・指揮科を修了。
芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - … 芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - 1981年10月28日)は、日本の俳優、演出家。 東京府東京市滝野川区(現・東京都北区)田端出身。作家・芥川龍之介の長男。母は海軍少佐の塚本善五郎の娘・文。妻は、龍之介の次姉・ヒサの長女で、従姉にあたる芥川瑠璃子。 3人兄弟で、長弟・多加志は第二次世界大戦中、22歳でビルマにて戦死、末弟・也寸志は作曲家。名の由来は龍之介の親友・菊池寛(表記同じで筆名ではカン、本名ではヒロシと読む)の名の読みを万葉仮名に当てたもの。ちなみに、多加志は小穴隆一の「隆」から、也寸志は恒藤恭の「恭」から取られている。 1926年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学。
安藤 信和(あんどう のぶかず、1920年〈大正9年〉3月3… 安藤 信和(あんどう のぶかず、1920年〈大正9年〉3月30日 - 2014年〈平成26年〉12月29日)は、昭和・平成期のアメリカンフットボール功労者。旧磐城平藩主安藤家16代当主。 1920年(大正9年)3月30日、子爵安藤信昭(旧磐城平藩主安藤家15代当主)の次男(第3子)として、東京都に生まれる。母は、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第1女子・恭子女王(ゆきこじょおう)である。 東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)を経て、1937年(昭和12年)に立教大学予科へ入学。入学後すぐアメリカンフットボール部に入り、ラインとして活躍した。1942年(昭和17年)に立教大学を卒業。 1952年(昭和27年)、関東大学連盟理事に就任。
伊東 甚吉(いとう じんきち、1920年3月30日 - 没年… 伊東 甚吉(いとう じんきち、1920年3月30日 - 没年不明)は、プロ野球選手(二塁手)。
杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30… 杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30日 - 2009年(平成21年)7月24日)は、日本の経済学者・思想史家。専攻は経済学史・社会思想史・経済思想史。甲南大学・関西大学名誉教授。 京都市で生まれる。1929年第三高等学校を卒業し、京都帝国大学経済学部に進学。柴田敬のゼミナールで学んだ。1941年に学士試験に合格し、翌年卒業。 1942年から京都帝国大学経済学部助手を務めた。1950年に退官し、関西大学経済学部教授に転じた。在任中は同学部長も務めた。1956年、学位論文『ミルとマルクス:現代経済思想の二大源流に関する比較研究』を関西大学に提出して経済学博士号を取得。1970年に関西大学を退職し、名誉教授となった。
井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 20… 井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 2001年7月1日)は、日本の農業経済学者、マルクス主義者、日本共産党員。 東京府豊多摩郡生まれ。父は井野碩哉。1942年東京帝国大学経済学部卒、農林省に入り応召。1946年日本農業研究所勤務、日本共産党に入る。1958年東京経済大学専任講師、1961年助教授、1965年教授。1973年退職、日本農業研究所に戻る。農民運動全国連合会顧問。野呂栄太郎賞を二度受賞した。墓所は多磨霊園。
霜田 美樹雄(しもだ みきお、1920年3月30日 - 20… 霜田 美樹雄(しもだ みきお、1920年3月30日 - 2016年2月5日)は、日本の政治学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。1947年早稲田大学政治経済学部卒。名城大学助教授、早稲田大学政経学部教授。1989年退職、名誉教授、聖学院大学政治経済学部教授。1980年『キリスト教は如何にしてローマに広まったか』でマルコ・ポーロ賞受賞。1995年、勲三等瑞宝章受章。墓所は多磨霊園。
大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月3… 大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉12月15日)は、日本の政治家、官僚。衆議院議員(8期、自由民主党)、防衛庁長官(第39代)。父も防衛庁長官を務めた大村清一。 東京府出身。旧制東京高等学校卒業。1940年10月に高等試験行政科合格。1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、内務省に入省。土木局属。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に補修学生として入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。古鷹に配属。同年11月、南西方面艦隊所属・第3設営班主計長に転じ、ダバオ、ホロ、メナド、アンボン方面で飛行場等の設営に従事。
根本 順吉(ねもと じゅんきち、1919年3月30日 - 2… 根本 順吉(ねもと じゅんきち、1919年3月30日 - 2009年9月22日)は、日本の気象研究家。雅号は迷亭翁。 東京都文京区本郷出身。1941年、中央気象台附属気象技術官養成所(現・気象大学校)卒業。戦時中は海軍軍属として航空気象業務に従事。戦後は気象庁予報課、長期予報課各種予報技術担当「気象百年史」編纂などの後、1975年退官。1963年日本付近の異常低圧に気づき、以後異常気象の解析を行う。1975年『気象百年史』を完成、退官後は啓蒙家として子供向けの著書などを多く執筆した。 1970年~1985年埼玉大学教養学部兼任講師。1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。 1970-80年に地球寒冷化を予測していたが、その後の温暖化現象について、温室効果ガスを原因とする説をとらず、予測を超えた変化であるといった立場をとった。
崔 泰奎(チェ・テギュ、朝鮮語: 최태규、1919年3月30… 崔 泰奎(チェ・テギュ、朝鮮語: 최태규、1919年3月30日または1923年 - 2009年10月16日)は、大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国の政治家、ジャーナリスト。制憲韓国国会議員、最高人民会議代議員(代不明)。 崔 泰圭(読み、ハングル表記同じ)という表記も見られる。 日本統治時代の江原道旌善郡出身。軍花洞公立国民学校を卒業後、専修大学法学部3年時に徴兵のため帰国した。戦災同胞援護会消費組合理事、大韓日報政経部、大東新聞の記者などを務めた後、1948年の初代総選挙に旌善郡選挙区より無所属で出馬し当選した。その後、国会フラクション事件に関与したとして投獄中、1950年6月ごろに北朝鮮に拉致された。
鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年3月30日 - 2… 鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年3月30日 - 2010年9月1日)は、日本の近世文学・美術の研究者。白百合女子大学教授を歴任。 東京生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒。国立国会図書館司書監、白百合女子大学教授を歴任。浮世絵研究に始まり、晩年は曲亭馬琴の中期読本を編纂していた。1989年、勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
齋藤 進六(さいとう しんろく、1919年3月30日 - 1… 齋藤 進六(さいとう しんろく、1919年3月30日 - 1994年11月21日) は、日本の材料科学者。東京工業大学名誉教授。第11代東京工業大学学長。第2代長岡技術科学大学学長。紫綬褒章受章。 栃木県宇都宮市生まれ。1943年、東北帝国大学工学部航空学科卒業。1960年、東京工業大学にて工学博士の学位を取得。 1945年久我山工業専門学校教授。1967年、東京工業大学工学部材料工学科教授。1973年東京工業大学工業材料研究所所長。 1977年東京工業大学学長。1981年東京工業大学より名誉教授の称号を授与される。1982年、紫綬褒章受章。1983年長岡技術科学大学学長。1985年、日本セラミックス協会会長。
古澤 憲吾(ふるさわ けんご、1919年〈大正8年〉3月30… 古澤 憲吾(ふるさわ けんご、1919年〈大正8年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉1月16日)は、日本の映画監督。佐賀県鳥栖市出身。 1943年(昭和18年)、日本大学専門部美学科を卒業し、東宝に入社[要出典]。同年、海軍の航空戦隊に入隊。 1944年(昭和19年)、東宝が陸軍省の至上命令で製作した『加藤隼戦闘隊』(山本嘉次郎監督)に助監督参加。 1945年(昭和20年)、復員後、日大に復学。 1947年(昭和22年)、日大を卒業。 1948年(昭和23年)、東宝の監督部に入社。東宝復帰後は、市川崑、渡辺邦男、松林宗恵、本多猪四郎、稲垣浩、鈴木英夫らの助監督を務めた。 1959年(昭和34年)、『頑張れゴキゲン娘』で監督に昇進する。
後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 20… 後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 2011年8月22日)は、兵庫県神戸市出身の実業家。はごろもフーズ元社長。シーチキンの生みの親。静岡県静岡市の名誉市民。 はごろもフーズ代表取締役会長の後藤康雄は、磯吉の次男。社長の後藤佐恵子は、康雄の長女(磯吉の孫)である。 1919年、兵庫県神戸市生まれ。山口高等商業学校経済研究科(現・山口大学経済学部)卒業。はごろもフーズの前身である後藤物産を創業者の先代から引き継ぎ、1947年後藤物産社長に就任。その後、社名を後藤物産缶詰、後藤缶詰、はごろも缶詰に改称。社長を務める。1987年にはごろもフーズに改称して同社長から同会長。2007年同社顧問に就任する。
八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 -… 八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 - 2004年6月21日)は、昭和・平成期の小説家。 北海道旭川市生まれ。本名は松尾一光。北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)、日本大学芸術学園卒。講師の伊藤整や東大生だった梅崎春生と知り合う。戦時中は召集により第7師団に入隊。戦後に再上京するが、過度の飲酒とヒロポン中毒のために深夜の路上で刑事事件を起こし、札幌刑務所で服役。そこで女性看守坂東知子と知り合う。仮出所後、上川町の義兄宅に寄宿。1954年、札幌で伝道師となっていた知子と結婚する。 名古屋の同人誌『作家』に「未決囚」を発表、1955年に直木賞候補となる。1958年、再上京し「地宴」で作家賞、1982年、『生命盡きる日』で平林たい子文学賞受賞。
平場 安治(ひらば やすはる、1917年3月30日 - 20… 平場 安治(ひらば やすはる、1917年3月30日 - 2002年6月27日)は、大阪府出身の法学者、弁護士。1993年日本学士院会員。京都大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。 新派刑法理論に立つ宮本英脩の弟子。戦後まもなくハンス・ヴェルツェルの目的的行為論・人的不法論を日本に紹介し、平野龍一、福田平と共に「三平」と呼ばれた(平野は後に目的的行為論批判に転じた。)。弟子に中森喜彦、鈴木茂嗣らがいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
中里 精(なかざと せい、1917年(大正6年)3月30日 … 中里 精(なかざと せい、1917年(大正6年)3月30日 - 2000年(平成12年)12月30日)は、日本の政治家。栃木県真岡市長(1期)。 栃木県芳賀郡山前村(のち真岡町、現・真岡市)出身。山前農業協同組合長、山前村議会議員を経て、合併後の真岡町議会議員、市政施行後の真岡市議会議員、同議長を務め、真岡市長岩崎純三の下で助役を15年務めた。1977年、岩崎の退任により、真岡市長に就任、市長を1期務めた。1981年に市長を退任した。2000年に死去した。
勝部 真長(かつべ みたけ、1916年3月30日 - 200… 勝部 真長(かつべ みたけ、1916年3月30日 - 2005年6月19日)は、日本の倫理学者。お茶の水女子大学名誉教授。 東京府牛込生まれ。旧制松江高等学校を経て、1940年東京帝国大学文学部倫理学科卒業、1948年同大学院修士課程修了。和辻哲郎に師事する。日本出版会に勤めた後、東大副手、講師を務める。1963年文部省在外研究員としてドイツ、イギリスに留学。お茶の水女子大学で教授を務めた。1979年定年退官、名誉教授、上越教育大学教授。1981年中央教育審議会委員、1985年総務庁青少年問題審議会副会長。1989年勲二等瑞宝章受章。ほかに、日本道徳教育学会会長、日本倫理学会会長、政教関係を正す会会長、海上自衛隊幹部学校講師、日本を守る国民会議(現:日本会議)代表委員を務めた[要出典]。