池田 みち子(いけだ みちこ、1914年4月10日 - 20… 池田 みち子(いけだ みちこ、1914年4月10日 - 2008年1月7日)は、日本の作家。 京都府出身。日本大学芸術科卒業後、日本写真公社に勤務する傍ら『三田文学』などで小説を書き始め、1940年(昭和15年)には「上海」で第11回芥川賞候補となった。 戦後は作家専業となり、女の性を赤裸々に描いた1950年(昭和25年)の「醜婦伝」で注目され、中間小説を多数執筆。「肉体派の風俗作家」と呼ばれる。1981年(昭和56年)、『無縁仏』で平林たい子文学賞を受賞。1982年(昭和57年)の『生きる』は翌年、NHKのドラマ人間模様でドラマ化された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
種田 孝一(おいた こういち、1914年4月9日 - 199… 種田 孝一(おいた こういち、1914年4月9日 - 1996年9月11日)は、東京府出身の実業家。また、サッカー選手としてもハーフバック、フルバックのポジションでプレーした。叔父は種田虎雄。 東京府立五中(現・小石川高校)、旧制水戸高校を経て、東京帝国大学に入学しア式蹴球部に所属。 在学中の1936年にベルリンオリンピックのサッカー日本代表に選出された。 本来のポジションはハーフバック(現在の守備的MFに相当)だが、1936年のベルリンオリンピックでは、ドイツ到着後に現地指導者から指導を受けた日本代表が従来の2-3-5システムから3-2-5システムに変更したため、長身で守備的な種田が3バックの中央のフルバック(現在のスイーパーに相当)にコンバートされた。
川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 -… 川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 - 2002年4月16日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。後に日本ラグビーフットボール協会第9代会長。 京都府立京都第一中學校(現在の京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、早稲田大学(以下、早大)に進学。1937年度シーズンには早大の主将を務め、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦の制覇に貢献。また日本代表選手として、1936年のニュージーランド学生代表 (NZU) 戦でキャップ1を獲得した。 その後、1987年〜1992年まで関西ラグビーフットボール協会会長(後に同協会名誉会長に就任)、1992年〜1994年まで日本ラグビーフットボール協会第9代会長を務めた。
戸田 弘(とだ ひろむ、1914年4月9日 - 1980年3… 戸田 弘(とだ ひろむ、1914年4月9日 - 1980年3月25日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。位階は正三位。 愛媛県出身。1938年(昭和13年)に東京帝国大学法科を卒業。同年司法官試補となり、その後に東京や広島などに勤務。広島勤務時代には原爆投下に遭うも、直接被害を被らなかった。 1949年(昭和24年)に現行刑事訴訟法のスタートと共に荒しい時代の刑事裁判に取り組み、最高裁調査官、東京地裁判事等を務め、その後、司法研修所教官、浦和地裁所長、横浜地裁所長、大阪高裁判事、高松高裁長官、東京高裁長官等を歴任した。東京地裁八王子支部の裁判長時代には10年間も裁判記録がロッカーに埋もれていた八王子職安事件について「刑事訴追の利益がない」として公訴を棄却した(控訴審では破棄された)。
山﨑 芳樹(やまさき よしき、1914年(大正3年)4月8日… 山﨑 芳樹(やまさき よしき、1914年(大正3年)4月8日 - 2014年(平成26年)3月10日)は、広島県広島市出身の実業家。 マツダ5代目社長。元広島商工会議所会頭。元サッカー選手・東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)創設者、初代監督。 広島県安芸郡仁保島村大河(現・広島市南区北大河町)生まれ。生家は広島の旧家、父も技術者。 広島高等師範学校附属小学校(現広島大学附属小学校)5年生からサッカーを始め、広島県立第一中学校(現広島県立広島国泰寺高等学校)でもサッカー部に所属する。二浪した後、広島高等工業学校機械工学科(現広島大学工学部)に入学。 1938年(昭和13年)、東洋工業へ入社、以降生産技術畑を歩む。
坪内 道典(つぼうち みちのり、1914年4月7日 - 19… 坪内 道典(つぼうち みちのり、1914年4月7日 - 1997年9月16日)は、愛媛県伊予郡郡中町(現:伊予市)出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
杉本 盛(すぎもと のぼる、1914年(大正3年)4月6日 … 杉本 盛(すぎもと のぼる、1914年(大正3年)4月6日 - 生没不明)は、昭和時代の競泳選手。 高知県に生まれる。日本大学在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場し5位に入賞した。
平野 仁啓(ひらの きみひろ/じんけい、1914年4月6日 … 平野 仁啓(ひらの きみひろ/じんけい、1914年4月6日 - 1996年11月25日)は、日本の文芸評論家。 広島県生まれ。本名・保。明治大学文学部卒、明大教授、1985年定年退職、名誉教授。20代には、同人文芸誌「批評」にも参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田村 幸久(たむら ゆきひさ、1914年4月2日 - 199… 田村 幸久(たむら ゆきひさ、1914年4月2日 - 1990年8月9日)は、日本の外交官。外務省に入省後、フランス書記生としてキャリアをスタートさせ、駐カンボジア日本国特命全権大使、在カサブランカ日本国領事などを歴任した。最後の在外公館長は駐アルジェリア大使であった。 父は外交官、国際法学者の田村幸策。 1939年(昭和14年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。前年に高等試験(外交科)に合格し、外務省に入省した。最初はフランス書記生として勤務した。 その後、在カサブランカ日本国領事館領事、在カンボジア日本国特命全権大使などを務め、カンボジアとの経済・技術協力や貿易取極に関する業務に携わった。
天野 慶之(あまの けいし、1914年4月1日 - 2002… 天野 慶之(あまの けいし、1914年4月1日 - 2002年10月31日)は、日本の水産学者。東京都町田市出身。 水産講習所(現東京海洋大学)卒。1975年より東京水産大学教授。1977年から1979年まで日本冷凍協会会長。1979年から1985年まで東京水産大学学長。 1953年に発表した『主婦の食品手帖 五色の毒』は、日本で初めて食品添加物の有害性を警告したとされている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鈴木 保男(すずき やすお、1913年4月30日 - 200… 鈴木 保男(すずき やすお、1913年4月30日 - 2000年以前)は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。日本代表としてベルリンオリンピックに出場した。後に改姓して高島保男となった。 東京府立第八中学校 (現:東京都立小山台高等学校) を卒業後、早稲田大学に入学してア式蹴球部に入部した。堀江忠男や立原元夫らが同期に当たり、大学在学中の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出され、5月15日のフィリピン代表戦で初出場した。 1936年に大学を卒業した。同年に開催されたベルリンオリンピックのサッカー日本代表メンバーに選出され、8月7日のイタリア代表戦に出場した。
中江 孝男(なかえ たかお、1913年4月30日 - 没年不… 中江 孝男(なかえ たかお、1913年4月30日 - 没年不明)は、日本の官僚・実業家。東京帝国大学在学中にバスケットボール選手として活躍し、1936年ベルリンオリンピックへの出場経験がある。のちに農林省に官僚として勤務したのち、祖父中江種造の興した中江産業に務める。志賀直哉の娘婿である。 祖父は鉱山王と呼ばれ中江産業を興した中江種造。父は種造の子・種一で、母は料理研究家として知られる中江百合(渡辺暢の娘)。 旧制成城高等学校、東京帝国大学農学部に学び、籠球部に所属。1936年ベルリンオリンピックでは、同じ東京帝大の田中秀次郎・鹿子木健日子とともにバスケットボール日本代表に選ばれた。 大学卒業後、農林省に入省し官僚となる。
原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日… 原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日 - 1999年(平成11年)9月7日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は従二位、勲等は勲一等旭日桐花大綬章。
岡本 良一(おかもと りょういち、1913年4月29日 - … 岡本 良一(おかもと りょういち、1913年4月29日 - 1988年8月2日)は、日本の歴史学者。 大阪府大阪市生まれ。1938年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。 明浄高等女学校教諭を経て、1942年から大阪市に職員採用され、大阪城天守閣に配属され、大阪城主任として1968年3月に退職するまで26年間天守閣に勤務する。 退職後に、関西大学、羽衣学園短期大学の講師となる。大阪市史料調査会・理事、堺市立博物館・初代館長などを歴任する。1969年3月から研究・著作に専念する。 1988年8月2日、大阪市内の病院で肝臓癌で死去。
武田 範芳(たけだ のりよし、1913年4月28日 - 19… 武田 範芳(たけだ のりよし、1913年4月28日 - 1989年7月29日)は、北海道旭川市出身の洋画家。色の魔術師と呼ばれた国際的な画家である。エーゲ海をはじめて描いた作家でもあり、1960年代より国際展に出品し多くの国際賞を獲得した。フランス美術家連盟会員。ル・サロンフランス政府展 金 銀 銅 受賞。長男は俳優の武田光太郎。6親等に武田真治がいる。 1913年4月28日、北海道旭川生まれ。小学校のときに応募した水彩画公募展の審査員であった上野山清貢にほめられたことを契機に画家を志す。1932年、北海道庁立永山農業学校(現北海道旭川農業高等学校)林学科を卒業して上川支庁林務課に勤務し、大雪山自然林の保護に携わる。
田島 英三(たじま えいぞう、1913年4月28日 - 19… 田島 英三(たじま えいぞう、1913年4月28日 - 1998年10月10日)は、日本の物理学者。立教大学名誉教授。原子力安全研究協会元理事長。原子力の研究と平和利用に生涯を捧げ、日本における「放射線影響」の概念の普及に貢献するとともに、日本人初の国連職員(原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)初代科学担当官)として海外においても活躍した。 1913年(大正2年)、埼玉県行田市に生まれる。1938年(昭和13年)、東京文理科大学(現・筑波大学)物理学科卒業。 理化学研究所で仁科芳雄に師事し、原子核、原爆の研究に従事する。戦後まもなく、日本学術研究会議による「原子爆弾災害調査特別委員会」の一員として広島原爆と長崎原爆の被災直後の被災地調査を行う。
高木 圭二郎(たかぎ けいじろう、1913年4月28日 - … 高木 圭二郎(たかぎ けいじろう、1913年4月28日 - 1987年8月26日)は日本の歯科医師、歯学者。元東京歯科大学学長(1983年 - 1986年)。 1935年、東京歯科医学専門学校を卒業後、同大学口腔外科学教室、厚生省、ハルピン医科大学、厚生省勤務を経て東京歯科大学教授、同大学社会歯科学初代主任教授、副学長、学長職務代行を経て1983年から1986年まで同大学学長を務める。
城 みさを(じょう みさを、1913年(大正2年)4月27日… 城 みさを(じょう みさを、1913年(大正2年)4月27日 - 2018年(平成30年)1月10日)は、『さをり織り』の創始者、センテナリアン。 1913年4月、大阪府堺市に生まれる。大阪府立堺高等女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)卒業。 機械部品の販売などを手がけた夫・英二と結婚後、57歳の時に『さをり織り』を始める。 1981年に開催された神戸ポートアイランド博覧会をきっかけに、障害者にも『さをり織り』の指導を始める。 1990年代からは、高齢者の生涯学習にも取り組む。 104歳を迎えた後も、教室に顔を出し生徒を見守っていたという。 さをり織りには織り方や織り機、素材など制約がなく、身近な素材や余った糸を使用し、作り手のイメージで織りあげるという特徴がある。
石川 三郎(いしかわ さぶろう、1913年4月27日 - 1… 石川 三郎(いしかわ さぶろう、1913年4月27日 - 1999年11月1日)は、日本の経営者。日本触媒化学工業社長を務めた。兵庫県神戸市出身。位階は正五位。 1936年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、後に日本触媒化学工業に入社。 取締役、常務、専務を経て、1979年2月に副社長に就任し、1981年2月には社長に昇格。1986年2月に会長を経て、1990年2月から相談役を務めた。 1960年に大河内記念賞を受賞し、1969年11月に紫綬褒章を受章し、1977年4月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1999年11月1日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
岩澤 正二(いわさわ まさじ、1913年4月25日 - 20… 岩澤 正二(いわさわ まさじ、1913年4月25日 - 2007年5月16日)は、日本の実業家。住友銀行副頭取や、マツダ会長を務めた。 現在の秋田県大館市出身。大館中学校(現秋田県立大館鳳鳴高等学校)、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を経て、1938年3月、東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学同期の小林政夫、坪井東、小泉明、横山宗一らと同期会を結成。4月に住友銀行(現三井住友銀行)に入社するも歩兵第17連隊に応召し満州に駐屯。甲種幹部候補生に合格後、1940年に少尉任官し、連隊旗手を拝命。1941年春の召集解除後に復職し、1944年に本店調査部勤務となるが、同年再召集され秋田鉱山専門学校の配属将校となり、勤労動員の引率で東北・北海道各地の鉱山を回った。
和知 喜八(わち きはち、1913年4月25日 - 2004… 和知 喜八(わち きはち、1913年4月25日 - 2004年10月23日)は、東京出身の俳人。東京府町田町(現町田市)生。中央大学法学部法学科卒、日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に務める。1937年、「馬酔木」に投句。当初は樹峰と号した。1940年、加藤楸邨の「寒雷」創刊に参加。1952年、「寒雷」同人。1958年、職場俳句の仲間とともに「響焔」を創刊。1963年に休刊したが、1969年に復刊。1970年、「寒雷」清山賞受賞。1975年、「響焔」主宰に就任。1998年、高齢となったため「響焔」主宰を退き名誉主宰に就任。同年、現代俳句協会名誉会員。2004年、第4回現代俳句大賞受賞。
石田 一良(いしだ いちろう、1913年4月23日 - 20… 石田 一良(いしだ いちろう、1913年4月23日 - 2006年9月17日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。杭州大学名誉教授。日本思想史学会名誉会長。文学博士。従四位勲二等瑞宝章。 1913年生まれ。京都市伏見区出身。1934年3月第三高等学校卒業。同年京都帝国大学法学部に入学。翌1935年に同文学部史学科に転じた。1939年、京都帝国大学文学部史学科国史学専攻を卒業して同大学院に入学。西田直二郎に学んだ。1945年まで在学。 1946年同志社大学文学部助教授となり、創設期の文学部文化学科の基礎確立に尽力。1948年2月に34歳の若さで教授に昇進、4月に新設の文化学科文化史学専攻で研究と教育にあたった。
大宮 隆(おおみや たかし 1913年(大正2年)4月23日… 大宮 隆(おおみや たかし 1913年(大正2年)4月23日 - 2007年(平成19年)6月4日)は、日本の実業家。寳酒造株式会社元会長・社長を務め、京都財界の顔役の一人だった。宝ホールディングス会長の大宮久は子。
大横田 勉(おおよこた つとむ、1913年4月20日 - 没… 大横田 勉(おおよこた つとむ、1913年4月20日 - 没年不明)は日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック400メートル自由形で銅メダルを獲得。明治大学出身。
高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20… 高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20日 - 2005年1月17日)は満州国の官僚、大韓民国の政治家、弁護士、法学者、陸軍軍人。第15代保健社会部(現・保健福祉部)長官、第7・8・9・10代大韓民国国会議員を歴任した。 本貫は長興高氏(朝鮮語版)で高敬命(朝鮮語版)の子孫である。号は河南(ハナム、하남)。1920〜30年代に水原学生独立運動事件(水原高等農林学校事件)を主導した1人で独立有功者の高在千は兄。 日本統治時代の全羅南道潭陽郡生まれ。1933年光州高等普通学校卒。1936年中央大学予科修了、1939年同大法学部卒。1937年に満州高等文官試験に合格し、満洲国国務院総務庁高等官試補に任命され、同年12月大同学院第1部卒業(第11期生)。
崔 貞基(チェ・ジョンギ、朝鮮語: 최정기、1913年4月2… 崔 貞基(チェ・ジョンギ、朝鮮語: 최정기、1913年4月20日 - 2000年2月1日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、実業家、大韓民国の教育者、政治家。第2代朝鮮大学校総長、第6代韓国国会議員。本貫は耽津崔氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の全羅南道光州郡(現・光州広域市)出身。京都中学校、光州農業学校(現・光州自然科学高等学校(朝鮮語版))卒。1929年に農高読書会の幹部として光州学生運動に参加したため、治安維持法違反などにより検挙され、1930年に懲役3年を、1931年に懲役1年を処されたことがある。その後は東京工業大学化学工学科、朝鮮大学校大学院を卒業した。日本光科学工業株式会社専務取締役、高麗美油株式会社社長、第2代朝鮮大学校総長(1960年6月11日〜1961年8月27日)、光州学生独立運動同志会長を歴任した。
森川 金寿(森川 金壽、もりかわ きんじゅ、1913年4月1… 森川 金寿(森川 金壽、もりかわ きんじゅ、1913年4月19日 - 2006年10月16日)は、日本の弁護士。 高知県出身。東京帝国大学法学部卒。1936年弁護士開業。海野普吉を助け、1947年自由人権協会の事務局長となり、のち代表理事。1967年ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を裁く国際法廷(ラッセル法廷)の構成員となる。1972年7月8日には、福島要一(日本学術会議会員)、平野義太郎(日本平和委員会会長)らとともに「インドシナにおけるニクソンの戦争犯罪、日本政府・財界の共犯を告発する東京集会」を神田の学士会館で開催。当時、強化されつつあったベトナム北爆に抗議した。 家永教科書裁判、横田基地騒音訴訟、横浜事件再審訴訟の弁護団長を務めた。
渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 -… 渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 - 2004年2月11日)は、日本の漢方薬・椿研究家。 京都市生まれ。1935年京都薬学専門学校(現京都薬科大学)卒業。1939年東京帝国大学医学部薬学科選科修了。在学中に湯本求真の紹介により荒木性次に師事。1941年武田薬品株式会社研究所入社。1947 - 62年厚生省日本薬局方制定委員会委員。宮内庁より正倉院薬物調査を委嘱され、1956年「正倉院薬物の研究」で京都大学薬学博士。67年武田薬品を定年退社。1976年薬局・薬店・薬剤師、薬種商の東洋医学及び漢方の食養の研鑽の場として草古堂薬室方技塾を発足、77年日中医薬研究会に改称(会長)。
荒井 松司(あらい まつじ、1913年(大正2年)4月17日… 荒井 松司(あらい まつじ、1913年(大正2年)4月17日 - 2008年(平成20年)9月27日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県上尾市長。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 埼玉県上尾市出身。1931年(昭和6年)熊谷農学校卒業。上尾町議会議員1期、上尾市助役、上尾市議会議員1期を経て、1975年(昭和50年)より埼玉県議会議員に3選し、1985年(昭和60年)同副議長を務めた。1988年(昭和63年)2月、上尾市長に当選し2期務めた。1998年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2008年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
加藤 愛子(かとう あいこ、1913年〈大正2年〉4月17日… 加藤 愛子(かとう あいこ、1913年〈大正2年〉4月17日 - 1982年〈昭和57年〉)は、日本の女性税理士の草分け。全国女性税理士連盟初代会長。 愛知県春日井郡鳥井村(現:春日井市)に生まれる。幼くして外交官の父が亡くなったため苦しい生活を余儀なくされたが、母や兄たちは末っ子の愛子を上級学校に行かせようと学資を貯め、金城女子専門学校(現:金城学院大学)に進学した。卒業後、1931年(昭和6年)に上京して明治大学専門部女子部に進学。同部では雄弁部に所属し、野球の試合で応援団長の代わりを務めたエピソードなどを持つ。 1934年(昭和9年)に女子部、1937年(昭和12年)に法学部を卒業し、明大卒業後に中武三が所長を務める中税務会計事務所に就職。
井川 省(いがわ せい、1913年(大正2年)4月14日 -… 井川 省(いがわ せい、1913年(大正2年)4月14日 - 1946年(昭和21年)6月20日<死亡認定日>)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにインドシナ戦争に参加して戦没。ベトナム語の愛称はレチゴ。 茨城県出身。小学校校長・井川省三の二男として生まれる。水戸中学校を経て、1931年(昭和6年)4月に陸軍士官学校予科に入学。1935年(昭和10年)6月、陸軍士官学校本科(47期)を230番/330名で卒業する。同年9月、騎兵少尉に任官し、騎兵第8聯隊附となる。1937年(昭和12年)8月、騎兵中尉に昇進。1938年(昭和13年)7月、騎兵第4旅団戦車隊付となり、1939年(昭和14年)8月、騎兵大尉に進級。
大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1… 大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1976年12月23日)は昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンである。本名は、恒川 登志夫。大宮デン助はあるいは単にデン助という愛称で広く知られている人物。彼が演じるキャラクター「デン助」は戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した。脚本を執筆する際の、ペンネームは言問 三平。
大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1… 大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1976年12月23日)は昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンである。本名は恒川 登志夫(つねかわ としお)。 「大宮デン助」はあるいは単に「デン助」という愛称で広く知られている人物。彼が演じるキャラクター「デン助」は、戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した。脚本を執筆する際のペンネームは「言問 三平」。 東京府東京市浅草区(現:東京都台東区浅草)生まれ。旧制第二東京市立中学校※五年制(現:東京都立上野高等学校)を3年で中退後、当時のスター歌手・田谷力三に憧れ芸能界入り。実家からは勘当され独力でタップダンスを習得、これを糧にする。1939年、26歳にて大宮登志夫の芸名で一座を結成。
増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991… 増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991年9月23日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、自由民主党)、農林官僚。 岩手県胆沢郡前沢町(現奥州市)出身。 岩手県立一関中学校、京都帝国大学法学部卒。大学在学中滝川事件に対する教授らへの対応に抗議し、無期停学処分を受ける。 1937年大学卒業後、農林省に入省。振興局長などを務めて退官。 1963年、岩手県知事選に出馬するも落選。衆議院議員選挙にも落選し、5年間浪人生活を送る。 1968年の第8回参議院議員通常選挙に当選してから、参議院議員を3期、農水・行政管理・北海道開発各政務次官を務めた。1986年の第14回参議院議員通常選挙には無所属で出馬したが落選し、政界から引退。
中村 吉三郎(なかむら きちさぶろう、1913年4月11日 … 中村 吉三郎(なかむら きちさぶろう、1913年4月11日 - 1994年8月3日)は、日本の法学者。専門は、明治法制史・民法。東京都出身。 1933年早稲田高等学院卒。早稲田大学法学部卒。同大学院(旧制)修了。1942年同専門部法律科専任講師(民法担当)。1950年同法学部教授(明治法制史担当)。1955年同大学院法学研究科教授(明治法制史担当)。1960年3月「明治法制史」にて早稲田大学で法学博士受く。その後、早稲田大学比較法研究所長、同法学会長を経て、1984年同定年退職。同名誉教授。1985年中央学院大学法学部客員教授(日本近代法制史担当)1989年同退職。 門下生に佐藤篤士らがいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
角田 文衞(つのだ ぶんえい、1913年4月9日 - 200… 角田 文衞(つのだ ぶんえい、1913年4月9日 - 2008年5月14日)は、日本の歴史学者(古代学専攻)。学位は、文学博士。従四位勲三等瑞宝章。大阪市立大学教授、平安博物館館長兼教授、古代学研究所所長兼教授、財団法人古代学協会理事長を歴任。 1913年、福島県伊達郡桑折町生まれ。成城高等学校在学中から濱田耕作の学問を慕い、京都帝国大学に進学し濱田の指導により考古学を学んだ。 濱田の在職中での病没と、梅原末治との確執がなければ、濱田の後継者となっていたとの説もあるほど将来を期待された学徒であった。 世界史的な視座に立って考古学と文献史学を統合した「古代学」を提唱。したがって、研究分野は文献史学と考古学の両分野におよんだ。
赤塚 忠(あかつか きよし、1913年〈大正2年〉4月9日 … 赤塚 忠(あかつか きよし、1913年〈大正2年〉4月9日 - 1983年〈昭和58年〉11月28日)は、日本の中国学者。東京大学名誉教授。古代中国哲学・中国文学・金石学に広く業績がある。角川書店『新字源』編者の一人。 1913年、茨城県取手市に生まれた。東京帝国大学支那哲学科で学び、学生時代は宇野哲人や塩谷温に師事した。1936年に大学を卒業。1937年から1941年まで同大学大学院で学びつつ、郁文館中学と神戸商業大学(神戸経済大学)予科に勤務。二度応召して中国大陸に赴き、陸軍大尉として敗戦を迎えた。 戦後、神戸大学と神戸経済大学に勤務。神戸時代には京都大学人文科学研究所の貝塚茂樹の研究会に参加した。
中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年)4月6… 中山 正敏(なかやま まさとし、1913年(大正2年)4月6日 - 1987年(昭和62年)4月15日)は、昭和時代の空手家。山口県出身。日本空手協会設立者、初代首席師範。松濤館流空手道の中興の祖。日本空手協会主席師範で九段。死後、十段を授与された。 1913年4月13日、 山口県で生まれたが 、先祖は信濃国(現在の長野県)出身で剣術師・ 真田家の家臣で、後の信州松代藩で先祖代々剣術指南を務めていた家柄である。 曾祖父の中山兵右衛門は神道無念流の剣術家としてしられ、中山の祖父は東京で外科医を開業し家族の中で最後に剣術を教えていた。 中山の父親は軍医で柔道家の中山直道。父親は台北に配属されたので形成期の時期はそこで過ごした。
伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日 - 2010… 伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日 - 2010年12月3日)は、日本の鉱山学者(工学博士)。 1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部鉱山及冶金学科を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に就職。 1941年(昭和16年)に東京帝国大学助教授となり、1954年(昭和29年)には東京大学教授に昇任。 1974年(昭和49年)4月に定年退官、東京大学名誉教授の称号を授与された。 石炭鉱山における安全工学が専門分野。中でも坑内温度・坑内粉塵制御用の通気管理技術の研究に携わった。 昭和30年以降の石炭産業関連の重大災害時には、政府の依頼で災害調査団長としての任務を数々遂行した。 なお、功績を称えて、「伊木賞」(功績賞と奨励賞)という賞が設立(平成9年3月14日)されている。
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。
佐橋 滋(さはし しげる、1913年〈大正2年〉4月5日 -… 佐橋 滋(さはし しげる、1913年〈大正2年〉4月5日 - 1993年〈平成5年〉5月31日)は、日本の官僚。通商産業事務次官。 高度成長期日本の官僚主導型政治システムにおける典型的トップ官僚として知られる一方で、その官僚らしからぬ大胆さでも有名であり、城山三郎の『官僚たちの夏』(ISBN 4101133115)の主人公・風越信吾は佐橋をモデルとしている。作中では風越の一派に庭野が描かれているがその庭野のモデルは三宅幸夫であり、八高、東大の後輩・同窓にあたる。娘の夫に中小企業金融公庫副総裁であった横田捷宏がいる。合気道を趣味のひとつにしていた。 岐阜県土岐市出身。東海中学、第八高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。
辻 清明(つじ きよあき、1913年4月5日 - 1991年… 辻 清明(つじ きよあき、1913年4月5日 - 1991年7月30日)は、日本の政治学者、行政学者。東京大学名誉教授。 京都生まれ。三高を経て、1937年東京帝国大学法学部政治学科卒業、同学部助手となる。1938年6月、臨時召集のため歩兵第9連隊に入隊、1940年5月、同除隊し、研究に戻る。1942年東京大学法学部助教授、1951年同教授、1967年から1968年まで法学部長を務める。1974年定年退官、名誉教授、国際基督教大学教授。1979年文化功労者。1985年日本学士院会員。1987年12月、品川区名誉区民(服部良一(作曲家)ともに授賞)。1989年春、勲二等旭日重光章受勲。
斉藤 誠(さいとう まこと、1913年〈大正2年〉4月4日 … 斉藤 誠(さいとう まこと、1913年〈大正2年〉4月4日 - 1992年〈平成4年〉12月13日)は、日本の農林官僚。食糧庁長官を務めた。島根県出身。 1938年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に農林省に入省した。1957年8月に大臣官房長に就任し、1963年9月に食糧庁長官に就任し、1965年6月から1966年7月までに農林事務次官を務めた。 1983年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1992年12月13日急性肺炎のために死去。79歳没。
登坂 重次郎(とさか じゅうじろう、1913年4月3日 – … 登坂 重次郎(とさか じゅうじろう、1913年4月3日 – 1997年3月22日)は、日本の政治家。元衆議院議員(自由民主党所属)。現在の茨城県常総市出身。 会社員・登坂長吉の三男として生まれる。生後間もなく父母と死別し、父方の伯父・豊島重太郎に育てられる。1932年茨城県立水海道中学校(現在の茨城県立水海道第一高等学校)を卒業後、母校・水海道中学校の事務職員等を経て、1940年土浦税務署に入職する。1944年大蔵省本省に出向し、東京財務局(現在の関東財務局)長・池田勇人の秘書となる。以後池田に師事し、1948年池田の総選挙出馬を期に大蔵省を退官し、個人秘書となる。 1963年の第30回衆議院議員総選挙に、旧茨城3区から無所属で立候補し当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年〈大正2年〉4… 金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年〈大正2年〉4月3日 - 2004年〈平成16年〉5月19日)は、日本の言語学者、国語学者、邦楽研究家。日本語の音韻が専門。国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究で知られる。邦楽にも造詣が深く、平曲研究の第一人者。著書に『日本語の特質』(1980年)、『日本語(新版)』(1988年)、『平曲考』(1997年)など。文学博士。栄典は勲三等旭日中綬章、紫綬褒章、瑞宝重光章。 その他の表彰歴として文化功労者、東京都名誉都民など。 父の京助も文学博士で日本学士院会員。長男の真澄も文学博士で慶應義塾大学名誉教授、次男の秀穂は言語学者で杏林大学外国語学部教授、長女の美奈子はフリーライター。
金 煥基(キム・ファンギ、朝鮮語: 김환기、1913年4月3… 金 煥基(キム・ファンギ、朝鮮語: 김환기、1913年4月3日〈太陰暦: 1913年2月27日〉 - 1974年7月25日)は、大韓民国の洋画家。全羅南道新安郡の安佐島(朝鮮語版)出身。 本貫は金海金氏。号は樹話(スファ、수화)。金 煥其(読み、ハングル同じ)という表記も見られる。卞東琳の夫であった。 日本統治時代の全羅南道新安郡に生まれた。1936年に日本大学美術学部卒業。その後吉鎮燮などと白蛮会を組織する一方、東京で個展を開いた。1946年から1949年までソウル大学校美術大学で教授を務め、新写実派展に出品した。幾度となく国展審査委員を務め、1952年に弘益大学校美術大学教授、1954年に芸術院の会員となった。
猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年… 猪野 謙二(いの けんじ、1913年4月2日 - 1997年9月11日)は、文芸評論家、近代日本文学研究者。 宮城県仙台市生まれ。東京府立第六中(現都立新宿高等学校)を経て1937年東京帝国大学文学部国文科卒。在学中に立原道造らと『未成年』を創刊。戦後日本文学協会に属し、歴史社会学派の立場から日本近代文学の研究・評論を行った。1954年神戸大学助教授、1975年学習院大学教授。1984年定年退職。
鈴木 聞多(すずき ぶんた、1913年4月1日 - 1939… 鈴木 聞多(すずき ぶんた、1913年4月1日 - 1939年7月10日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。 埼玉県比企郡三保谷村(現在の川島町)に生まれる。父は同村の村長も務めた鈴木庸三で、三人兄弟の末っ子。鈴木家は江戸時代には名主を務めた家で、生家(鈴木家住宅)は国登録有形文化財となっている。 1926年(大正15年)4月、旧制埼玉県立川越中学校(現在の埼玉県立川越高等学校)に入学し、陸上競技に取り組む。旧制中学5年次の1930年(昭和5年)、第16回全国中学校陸上競技選手権大会(インターハイの前身。神戸)に出場、100m(11秒7)と200m(22秒7)で優勝。 1931年(昭和6年)4月、旧制川越中学から慶應義塾大学予科に進学。
黒田 正巳(くろだ まさみ、大正2年(1913年)4月1日 … 黒田 正巳(くろだ まさみ、大正2年(1913年)4月1日 - 没年不詳)は日本の建築学者。熊本大学名誉教授。工学博士。 鳥取県西伯郡境町(現・境港市)栄町出身。 境尋常高等小学校(現・境港市立境小学校)、鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)、旧制松江高等学校理科甲類を経て1938年(昭和13年)、東京工業大学工学部建築学科卒業。 1943年(昭和18年)、熊本高等工業学校(現・熊本大学工学部)教授。 1960年(昭和35年)、工学博士(東京工業大学)。論文は「建築における大きさと形の恒常視に関する実験的研究」。
東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日… 東 史郎(あずま しろう、1912年(明治45年)4月27日 - 2006年(平成18年)1月3日)は、日本の軍人(召集兵)、著述家、社会活動家。 京都第16師団、福知山第20連隊上等兵として南京攻略戦に参加し、南京大虐殺(南京事件)を著書『わが南京プラトーン』で告発した。中国やアメリカ合衆国などでも謝罪活動を続けた。日記の一部記述について元上官と名誉毀損裁判となり、二審まで東日記の記述の公表に公益性は認定されたものの、事実であるかについて客観的証拠がないと判定され、最高裁で上告理由がないとして、そのまま損害賠償を命じられた。 京都府竹野郡間人村(たいざむら)出身。間人小学校を卒業後、1926年(大正15年)に京都府立第二中学校に進学した。