山内 絵美子(やまうち えみこ、1953年12月17日 - … 山内 絵美子(やまうち えみこ、1953年12月17日 - )は、日本の女優・歌手。北海道函館市出身。身長164 cm、B88 cm、W59 cm、H88 cm(1975年3月) 遺愛女子高等学校卒業。1972年に上京後、スカウトされモデルとしてデビュー、1973年、東映に所属となり、山内えみ子の芸名でデビュー。 映画デビュー作『ネオンくらげ』でグラマラスなヌードと体当たり演技を披露し注目され、以後セクシーかつ不良の香りのする役で『番格ロック』、『ネオンくらげ 新宿花電車』に主演。 1974年、映画『聖獣学園』に助演後、歌手としてもデビュー。ロングヘアーの黒髪が印象的な女優だったが、歌手活動後の70年代後半にはショーカットのスタイルにしている。
坂田 おさむ(さかた おさむ、1952年〈昭和27年〉12月… 坂田 おさむ(さかた おさむ、1952年〈昭和27年〉12月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、歌手、声優、タレント、俳優。第7代うたのおにいさん。 本名・坂田 榮一(さかた えいいち)。愛称はおさむお兄さん。北海道旭川市出身。明治大学政治経済学部卒業。 作詞・作曲活動では「坂田修」や「坂田修一」(いずれも読みは芸名と同じ)名義を用いることもある。白鳳女子短期大学の客員教授を務める。 娘はタレントの坂田めぐみ。 旭川市立東町小学校、北海道札幌北高等学校、明治大学政治経済学部卒業。 1975年(昭和50年)、フォークロックバンド「宿屋の飯盛」のメンバーとしてデビュー。本名の「坂田栄一」名義でギターを担当。
細坪 基佳(ほそつぼ もとよし、1952年10月26日 - … 細坪 基佳(ほそつぼ もとよし、1952年10月26日 - )は北海道雨竜郡沼田町出身のフォークシンガー。フォークデュオ「ふきのとう」の元メンバー。イラストレーター楢喜八は、父の従兄弟。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 1.「白い冬」 - 2.「南風の頃」 - 3.「初夏」 - 4.「街はひたすら」 - 5.「風の船(海よりも深く…)」 - 6.「雨ふり道玄坂」 - 7.「美しく燃えて」 - 8.「風来坊」 - 9.「流星ワルツ」 - 10.「影法師」 - 11.「ここは沖縄」 - 12.「思い出通り雨」 - 13.「春雷」 - 14.「柿の実色した水曜日/青空」 - 15.「やさしさとして想い出として/Simple Song」 - 16.「冬銀河」 - 17.「メロディー」 - 18.「涙のらぶれたあ」 - 19.「ひとりの冬なら来るな」 - 20.「雨に濡れて」 - 21.「12月の雨」 - 22.「YABO」 - 23.「銀色の世界」 - 24.「季節の夕暮れ」 - 25.「星空のページェント」 - 26.「ココナッツ・ムーン」 - 27.「何故 愛は…/緑輝く日々」 - 28.「輝く朝に 〜ABRAXAS〜」 1.『ふきのとう』 - 2.『ふたり乗りの電車』 - 3.『風待茶房』 - 4.『水車』 - 5.『風来坊』 - 6.『思い出通り雨』 - 7.『人生・春・横断』 - 8.『D.S.ダルセーニョ』 - 9.『Sketch』 - 10.『011』 - 11.『北極星』 - 12.『星空のページェント』 - 13.『金色の森・銀色の風』 - 14.『Heartstrings』 1.『歳時記』 - 2.『THE BEST ふきのとう ベスト Vol.1』 - 3.『THE BEST ふきのとう ベスト Vol.2』 - 4.『THE BEST ふきのとう ベスト Vol.3』 - 5.『THE BEST ふきのとう ベスト Vol.4』 - 6.『緑の風を… Ever Green Breeze』 - 7.『GOLDEN J-POP/THE BEST ふきのとう』 - 8.『2000 BEST ふきのとう』 - 9.『GOLDEN☆BEST ふきのとう SINGLES I』 - 10.『GOLDEN☆BEST ふきのとう SINGLES II』 - 11.『GOLDEN☆BEST ふきのとう ALL SINGLE SIDE-A COLLECTIONS』
加納 秀人 (かのう ひでと、1952年6月22日 - )は… 加納 秀人 (かのう ひでと、1952年6月22日 - )は、日本のギタリスト、シンガーソングライター。ロックバンド「外道」の中心メンバー。北海道美唄市出身。 小学3年の時に北海道から一家で横浜に引っ越す。もとは音楽よりも運動が好きな子供だったが、小学5年の時に友人宅で初めてエレクトリック・ギターを見たのがきっかけでミュージシャンになると直感したという。中学時代に安いギターを手に入れ練習を重ね、高校1年で中退してミュージシャンの道へ。過去のインタビューでは奏法について「日がな1日、テレビから溢れる音楽に合わせて弾く自己流の練習で身につけた」と語っている。セッション・ミュージシャンを経て、“世界の誰にも負けないオリジナルなバンド”を作るべく、1973年に「外道」としてデビュー。
三貴 哲成(みよし てっせい、1951年11月30日 - )… 三貴 哲成(みよし てっせい、1951年11月30日 - )は、日本の歌手、俳優。北海道赤平市出身。本名は三好 鐡夫。旧芸名は 三好 鉄生(読みは同じ)。 炭鉱夫一家の4人兄弟の末子として育つ。中学卒業後に上京。北海道へ戻って赤平炭鉱で炭鉱夫として働いた後、神奈川県相模原市へ移住。仕事の合間にバンド活動を行い、1979年のオーディションで強い個性と歌唱力が認められ、プロ歌手となる。1982年3月、アルファレコードより自作の「アイ・ラヴ・ユーこの街」でデビューした。同年8月発売の2ndシングル「涙をふいて」が中外製薬のドリンク剤『新グロモント』のCMソングに採用されヒットした。1987年にサントリー生ビールのCMソング「すごい男の唄」(CMに使用されていたのは柳ジョージによる歌唱)がスマッシュヒットした。
北炭 生(きたずみ せい、本名非公表。1951年10月13日… 北炭 生(きたずみ せい、本名非公表。1951年10月13日 - )は、日本のフォークシンガー、ラジオパーソナリティ。 北海道美唄市出身。名前の由来は「北海道の炭鉱町で生まれ育った」から。 炭鉱夫であった父のもとで育ち、北海道美唄尚栄高等学校卒業後上京。大学の資金を貯める目的でレンズ工場で働くが退職し、キャンプ道具を背負い返還前の沖縄へと向かった。そこで『沖縄フォーク村』に参加し、1972年7月25日に、コンピレーション・アルバム『唄の市 沖縄フォーク村』を発表後再び上京し、3年のブランクを経て1975年にエレックレコードから1stアルバム『ひびわれた鏡』をリリース。デビュー当初は"第二の陽水・たくろう"と騒がれた。
佳山 明生(かやま あきお、1951年9月19日 - )は、… 佳山 明生(かやま あきお、1951年9月19日 - )は、日本の演歌歌手。1983年のヒット曲「氷雨」で知られている。函館観光大使。既婚。 北海道函館市出身。1970年に作曲家の古賀政男最後の門下生として師事する。1973年3月に那須高原でセミプロとして歌うときに、美輪明宏から佳山 明生の芸名をもらう。この芸名は、当時の美輪の活動名「丸山明宏」の「山明」を採って、那須高原を表現するべく字を足したものということで、本人は「加山雄三さんのファンだったし、名前の響きもいいので、すごく嬉しかった」という。1977年12月1日に「氷雨」でデビューを果たす。デビュー時のキャッチフレーズは「キャンペーンの星」。
中村 耕一(なかむら こういち、1951年2月15日 - )… 中村 耕一(なかむら こういち、1951年2月15日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。北海道江差町出身、元JAYWALKのメンバー(ボーカル、ギター担当)。 北海道江差町出身。1969年、函館有斗高校を卒業。中学生時代にビートルズの音楽と出会い、高校1年生の時にアマチュア・バンドを結成。学校を卒業後もボーカリストとして地元でバンド活動を続ける。1980年、J-WALK(現・THE JAYWALK)結成とともに参加。1981年にデビュー。1993年、当時のヒット曲『何も言えなくて…夏』で第44回NHK紅白歌合戦に出場した。 2010年3月9日、覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕。
すずき 一平(すずき いっぺい、1951年1月6日 - )は… すずき 一平(すずき いっぺい、1951年1月6日 - )は、日本のシンガーソングライター。旧芸名は鈴木 一平(読みは同じ)。 1974年フォークデュオ・ラビを結成。シングル「青春碑」でデビュー。 1979年、第17回ヤマハポピュラーソングコンテストに「時流」で出場し、優秀曲賞受賞。同年、世界歌謡祭出場。 1980年、シングル「時流」をリリース。同年、リリースした「水鏡」が、ヒットする。 現在は、ライブ中心に活動する傍ら、ラジオパーソナリティとしても活躍する。 2008年、「水鏡」がジェロのミニアルバム『COVERS』に収録された。 2019年に「北海道音楽年鑑1994-2019」を開催した。
工藤 忠幸(くどう ただゆき、1950年12月12日 - )… 工藤 忠幸(くどう ただゆき、1950年12月12日 - )は、日本のシンガーソングライター。北海道北見市出身。 現在、ススキノでライブバー『BOSTON CLUB』を経営している。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
山木 康世(やまき やすよ、1950年10月22日 - )は… 山木 康世(やまき やすよ、1950年10月22日 - )は、北海道札幌市出身のフォークシンガー。元、フォークデュオ「ふきのとう」のメンバー。北海道ダリアの父と呼ばれた名育種家、山木正五の息子。ギタリストの山木将平は甥(兄の子)。日本音楽著作権協会正会員。北海道ミュージシャンネットワーク理事。 1950年10月22日、北海道札幌市に生まれる。1953年 、農林省技官である父の仕事の都合で北海道虻田郡真狩村美原に一時在住。札幌市立曙小学校、札幌市立平岸中学校、北海道札幌月寒高等学校卒業。1974年、北海学園大学工学部土木工学科卒業。同年、細坪基佳とふきのとうのメンバーとして「白い冬」でデビュー。 1981年、シングル「旅鴉の唄」とアルバム『野良犬HOBOの唄』でソロデビュー。
伊藤 多喜雄(いとう たきお、1950年10月6日 - )は… 伊藤 多喜雄(いとう たきお、1950年10月6日 - )は、日本の民謡歌手、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。2005年(平成17年)から洗足学園大学客員教授、2014年(平成26年)から札幌市手稲区ふるさと大使を務める。ロック調の民謡、特に「TAKIOのソーラン節(南中ソーラン節)」で知られている。 長女は歌手のめぐ留(旧芸名:安曇野めぐ留)。孫は東京藝術大学音楽学科日舞専攻 花柳美伯、フラッシュアップ付属児童部タレントの加藤大果(めぐ留の娘)。 1950年、北海道苫小牧市に漁師を営む両親の12人兄弟の末っ子として生まれる。11番目の兄と一卵性双生児。 幼少期から父親が歌う追分節と津軽出身の母親が歌う津軽民謡に親しみ、その声は地元でも評判となる。
大橋 純子(おおはし じゅんこ、1950年〈昭和25年〉4月… 大橋 純子(おおはし じゅんこ、1950年〈昭和25年〉4月26日 - 2023年〈令和5年〉11月9日)は、日本の歌手。身長153cm。 所属事務所はオフィスウォーカー。所属レコード会社はフィリップス・レコード/日本フォノグラム、EPIC/SONY RECORDSを経て、最終所属はVap。 ソウルミュージック的な歌唱法を身に着けたシンガーで、圧倒的な歌唱力で知られていた。自作曲はほとんど歌わない。1970年代当時の女性シティ・ポップ歌手にとって欠かせない存在や歌姫という評価がなされていた一方で、1970年代はニューミュージックとカテゴライズされていたという文献もある。2020年代の今日では、シティポップとして紹介されることも多い。
いなむら 一志(いなむら かずし、本名:稲村 一志、1949… いなむら 一志(いなむら かずし、本名:稲村 一志、1949年〈昭和24年〉2月12日 - 2014年〈平成26年〉1月4日)は、日本のフォーク歌手、シンガーソングライター。北海道夕張市生まれ。札幌市在住。血液型AB型。大学在学中から歌手・ローカルラジオ局のラジオパーソナリティとして北海道を中心に活躍し続けた。
加奈崎 芳太郎(かなざき よしたろう、1949年2月9日 -… 加奈崎 芳太郎(かなざき よしたろう、1949年2月9日 - )は、北海道札幌市出身のシンガーソングライター。本名は金崎芳樹。現在は長野県諏訪市在住。フォークグループ・古井戸の元メンバーで、現在はソロで活動。ブルースを基調にした骨太な音楽性と、声量豊かなボーカルが特色。
沢田 亜矢子(さわだ あやこ、本名:澤田 元美〈さわだ もと… 沢田 亜矢子(さわだ あやこ、本名:澤田 元美〈さわだ もとみ〉、1949年〈昭和24年〉1月1日 - )は、日本の女優、歌手、タレント。所属芸能事務所はオフィスのいり。北海道北見市生まれ。北海道北見北斗高等学校卒業、国立音楽大学声楽科中退(一年で中退)。 娘はシンガーソングライターの澤田かおりで、娘のライブのゲストとして親子共演している。 東京都の高輪プリンスホテル内『ナイトスポット』でピアノの弾き語りのアルバイトをしていたところをスカウトされ、1973年、岡田嘉子が作詞を手掛けたシングルレコード 『アザミの花』で歌手デビューした。同年この曲を含むアルバム(LP)『アザミの花/特別なともだち〜沢田亜矢子ファーストアルバム』発売(詳細はディスコグラフィを参照)。
安倍 理津子(あべ りつこ、本名:熊木 律子、1948年10… 安倍 理津子(あべ りつこ、本名:熊木 律子、1948年10月7日 - )は、日本の歌手。旧芸名は安倍律子。一時期、あべりつこ、安倍理葎子名義、その後、安倍里葎子で活動。2020年3月11日、再び安倍理津子に改名。所属事務所はオフィス里葎子。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント。 あべりつこ、の時に結婚した。 北海道札幌市出身。札幌香蘭女子学園高等学校卒業。血液型:A。
あがた 森魚(あがた もりお、1948年9月12日 - )は… あがた 森魚(あがた もりお、1948年9月12日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、映画監督、俳優、エッセイスト。北海道留萌市出身。埼玉県川口市在住。本名は山縣 森雄(やまがた もりお)。函館ラ・サール高等学校卒業、明治大学中退。所属はDargelos。 父は運輸省海運局に勤務し、父の転勤で北海道留萌市で生まれ、生後間もなく小樽に移り、小学3年から青森で、中学からは函館で育った。 小樽の入船小学校に通っていたころ、担任だった教諭の佐藤敬子に薦められて観たディズニー映画『海底二万哩』(1955年日本公開)主人公のネモ船長が人生初のヒーローとなる。 1965年、函館ラ・サール高校2年の夏、ラジオで聴いたボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に衝撃を受け、作詞作曲を始める。
木下 あきら(きのした あきら、1948年9月8日 - 20… 木下 あきら(きのした あきら、1948年9月8日 - 2026年3月3日)は、日本の歌手、ムード歌謡コーラスグループ秋庭豊とアローナイツのボーカル。秋庭豊の死去後、アローナイツのメンバーが次々去った後も音楽活動を続けており、「アローナイツ(木下あきら)」としてグループの名義を継承している。本名は木下雅彰であり、活動初期の芸名は木下彰と表記された。 北海道赤平市生まれ。 高校生の時から、地元のナイトクラブで歌っていたが、高校卒業後は地元で炭鉱作業員となった。 24歳のとき、同じく炭鉱員だった秋庭豊に誘われ、一緒に札幌市に移って音楽活動を始め、「秋庭豊とシャネル・フォー」という名義で活動した。 秋庭豊とシャネル・フォーは、札幌市すすきののクラブに出演していた際に作曲家・吉田佐に出会い、「中の島ブルース」を提供され、1973年に自主制作盤を作ったところローカルにヒットし、これをきっかけにメジャー・デビューに至った。
及川 恒平(おいかわ こうへい、1948年8月14日 - )… 及川 恒平(おいかわ こうへい、1948年8月14日 - )は、日本のフォークシンガー。 北海道美唄市生まれ、釧路市出身。北海道釧路湖陵高等学校卒業、青山学院大学文学部中退。1970年ごろ、所属していた大学演劇部の関係から小室等率いる六文銭に加入。 代表曲「面影橋から」「夢のまた夢」「夏・二人で」「キングサーモンのいる島」「サーカスゲーム」などを作曲。 作詞・作曲のきっかけは、及川恒平に才能があることを見抜いた小室等が、まずは作詞をさせることから始め、「出発の歌」がヒットしたことから、作曲も勧めたという。 六文銭の解散後、1972年ソロとしてのファーストアルバム『忘れたお話』(ベルウッド)を発表。
金田 たつえ(かねだ たつえ、本名:梶原 たつえ、1948年… 金田 たつえ(かねだ たつえ、本名:梶原 たつえ、1948年(昭和23年)4月12日 - )は、日本の演歌歌手。北海道砂川市出身。 1961年、日本民謡協会全国大会で「江差追分」を歌い優勝。1965年(昭和40年)上京、同年17歳で所属事務所の社長と結婚。1969年、「江州音頭」「河内音頭」を発売し、民謡歌手としてデビュー。 1973年に「花街の母」で演歌に転向。発売当初は大阪地区限定の自主発売という厳しい条件付だったにもかかわらず、歌詞が自身の人生と似ているところがあるということから「何年かかっても、この曲は必ず世に出したい」と決心する。そして、地道な努力が実を結び、発売から6年目に全国的な大ヒット曲となり、15年間で250万枚以上を売り上げた。
薩 めぐみ(さつめぐみ、1948年2月14日-2010年10… 薩 めぐみ(さつめぐみ、1948年2月14日-2010年10月18日)は、日本のシャンソン歌手。北海道札幌市出身。40年来パリに住み、フランスで活動していた。
西 明美(にし あけみ、1947年(昭和22年)9月25日 … 西 明美(にし あけみ、1947年(昭和22年)9月25日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノ)・オペラ歌手・音楽教育者。本名:清水 明美。 北海道札幌市生まれ。1970年(昭和45年)国立音楽大学卒業。1973年(昭和48年)東京藝術大学大学院修了。1974年(昭和49年) - 1975年(昭和50年)文化庁派遣芸術家在外研修員として渡欧し、ミュンヘンとミラノで研鑽を積む。田中伸枝、渡辺高之助、中山悌一、ヘルタ・テッパー、マリア・カルボーネに師事。 玉川学園講師、尚美学園短期大学講師、愛知県立芸術大学講師を経て、2013年(平成25年)まで神戸女学院大学教授。同年3月には神戸女学院大学勇退を記念して門下生たちによる演奏会が開催された。
幸斉 たけし(こうさい たけし、1947年8月8日 公称 -… 幸斉 たけし(こうさい たけし、1947年8月8日 公称 - )は、日本の歌手、ソングライターである。本名は平田 満(ひらた みつる)、歌手としての芸名は平田 満(ひらた みつる)(「エリートメン」「シャネル・ファイブ」時代の旧芸名は原 みつる(はら みつる))である。1976年(昭和51年)、東北弁ラップの先駆『愛の狩人』のみのヒットを持つ、いわゆる「一発屋」として知られているが、のちに平田がセルフカヴァーした木立じゅんの1968年(昭和43年)のヒット曲『484のブルース』の作詞・作曲者である。 1947年(昭和22年)8月8日(公称)、北海道に生まれる。 1968年(昭和43年)、テイチクレコード(現テイチクエンタテインメント)から木立じゅんがリリースしたシングル『484のブルース』に作詞・作曲した表題曲を提供したことが、現在、歌謡史に現れる平田の最初の記録である。
布谷 文夫(ぬのや・ふみお、1947年1月25日 - 201… 布谷 文夫(ぬのや・ふみお、1947年1月25日 - 2012年1月15日)は、日本のロックシンガー。ブルース・クリエイションやDEWといったバンドを経てソロとなった。 1947年1月25日、北海道函館市出身。専修大学経営学部在学中の1966年に友人と東京R&B5を結成し、音楽活動を始める。東京R&B5は翌年の1967年に解散するが、その後、大瀧詠一らと共に『タブー』というバンドを結成。 1968年にザ・ジャガーズの弟分バンドだったビッキーズに参加、『東京R&B天国』(東京12チャンネル)の「R&B天国アマチュアバンドコーナー」に出演して5週連続勝ち抜きを果たす。この番組の賞品がサーフボードであったが、本人はサーフィンをやらなかった為、人に譲渡したという。
伊東 きよ子(いとう きよこ、1947年1月24日 - )は… 伊東 きよ子(いとう きよこ、1947年1月24日 - )は、日本の歌手。北海道札幌市出身。1967年の『花と小父さん』(はなとおじさん)のヒットで知られる。 1964年、青山学院高等部を卒業後、宝塚音楽学校へ入学。 東宝のインターナショナル・ダンシング・チームのオーディションに合格し、6月にはミュージカル『ノー・ストリングス』にダンサーとして出演するがアキレス腱炎のため踊りを断念。宝塚音楽学校を退学する。 当時日本の若者の間で流行していたフォーク・ソングに注目、歌手への転身を決め、1965年12月19日に日本劇場で開催された『第一回フォークソングフェスティバル』で歌手としての初舞台を踏んだ。 翌1966年5月に来日したアメリカの人気グループ、ニュー・クリスティー・ミンストレルズ(英語版)のオーディションに合格、正式メンバーとなる。
高田 文之(たかだ ふみゆき、1946年(昭和21年)10月… 高田 文之(たかだ ふみゆき、1946年(昭和21年)10月6日 - 2013年(平成25年)1月24日)は、北海道を中心に活動していたローカルタレント・歌手。本名での活動も一部行っていたが、一般的には愛称「Mr.デーブマン(ミスターデーブマン)」で知られている。 東洋大学社会学部応用社会学科社会心理学専攻卒業。身長168cm、体重80kg。元々は札幌の有線放送会社の社員だったが、番組への出演をきっかけに地元放送局HBC(北海道放送) へ出向。その後、会社を辞してタレントに転向した。 愛称のデーブマンとは、その体型から来たものとも、デビルマン(小悪魔)に由来する意味も含まれているとも言われている。
新谷 のり子 (しんたに のりこ、本名: 新谷則子、1946… 新谷 のり子 (しんたに のりこ、本名: 新谷則子、1946年10月3日 - )は、日本の歌手。学生運動の闘士でもあった。北海道北斗市(旧上磯町)出身。カトリック信徒。 本名は「あらやのりこ」と読むが、淡谷のり子と読みが一字違いで畏れ多いと、デビュー時にレコード会社の指示で「しんたに」と読むことになった。後年、淡谷のり子は気骨ある反戦歌歌手の大先輩として尊敬する対象になる。 幼い頃から歌が好きで、NHKの『朝の童謡』のオーディションに合格、NHK児童合唱団にも属していた。歌手になろうと高校を中退して北海道より上京、銀座のクラブで歌うようになる。1968年から音楽クラブ「しんくら」に移った。1969年より三里塚闘争に参加、ここで出会った戸村一作を恩師とあおぐようになった。
成田 賢(なりた けん、1945年10月22日 - 2018… 成田 賢(なりた けん、1945年10月22日 - 2018年11月13日)は、日本の音楽家、歌手。本名は成田 慶一。 2歳の時に満洲から博多(福岡県前原市)へ引き揚げし、5歳の時に父が他界し母方の実家がある北海道札幌市に移る。 北海道札幌北高等学校に入学し、バンド活動を始める。ある時、ジャズ喫茶で歌っていたところを大阪のバンドから加入の誘いを受けたことがきっかけで、歌手になる道を選ぶ。その後単身関西へと移り、「成田賢一」の芸名でバンド「ケーパーズ」に所属。ライブハウスでの音楽活動に加え吉本新喜劇の舞台で芝居も経験する。 その後、東京のバンド「ダークホース」での活動を経て、札幌で石間秀樹と共に「ザ・ジャローズ」を結成し活動。
姿 美千子(すがた みちこ、1945年5月28日 - )は、… 姿 美千子(すがた みちこ、1945年5月28日 - )は、日本の元女優、歌手。本名:橘 郁子(旧姓)。夫は元プロ野球選手の倉田誠。妹の橘和子も日活で女優を務めた。 染物業を営む家庭の5人兄妹の3番目(次女)として北海道札幌市南8条西3丁目で生まれた。生家は中島公園近くの紺屋『橘屋』。曽祖父は石川県の人で19世紀後半に渡道、当地で代々染物業を営んでいた。ちなみに、遠祖は四国地方で忍者をしていたという。札幌静修高等学校1年生の1961年、大映『すっとび仁義』の主演・橋幸夫の相手役募集に応じて当選。同年10月、大映に入社し同作品でデビュー、同時に日本大学第二高等学校に転校した。その後同校を卒業している。
宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和… 宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和20年〉3月27日 - )は、日本の女優、歌手。所属事務所は東宝芸能(1990年から)。 北海道小樽市生まれ、愛知県名古屋市育ち。愛知淑徳高等学校卒業。夫は伊丹十三。長男は池内万作。義理の娘(池内万作の妻)は、音楽家である本田みちよ。俳優の佐々木勝彦は再従兄。 1963年、高校卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。 1964年、劇団青俳に入団後にフリーとなる。 NHKドラマ「あしたの家族」(1965年 - 1967年)で共演した俳優・伊丹十三と交際に発展、1969年1月に結婚。子どもが3歳頃よりおおよそ2年間、毎日自作の物語を作って聞かせていた。
木村 俊光(きむら としみつ、1944年(昭和19年)6月2… 木村 俊光(きむら としみつ、1944年(昭和19年)6月28日 - 2026年4月17日)は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者。桐朋学園大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。 1967年(昭和42年)桐朋学園大学卒業。声楽を伊藤武雄に、指揮法を齋藤秀雄に師事。 1968年(昭和43年)に渡欧。ウィーン国立音楽大学に入学。在学中に国際コンクールで連続優勝(後述の受賞歴の項を参照)。1970年(昭和45年)ウィーン国立音楽大学を首席で卒業。 1970年(昭和45年)からライン・ドイツ・オペラ(西ドイツ・デュッセルドルフ/デュースブルク)と契約し、16年にわたり専属歌手として、プッチーニ『ラ・ボエーム』マルチェロ役などで活躍。
安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 200… 安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 2000年代初頭?/2008年頃?/2009年?/2018年12月25日?)は、日本の女性ジャズシンガー。 北海道札幌市生まれ。12歳まで札幌で過ごし、中学の時、東京都目黒区の目黒第十中学校に転入する。同級生に佐藤信(劇作家・演出家)がいた。一人で演劇部を創設するなど、活動的な生徒であった。東京都立広尾高等学校では授業をさぼってジャズ喫茶に入り浸り、サラ・ヴォーンやアート・ブレイキーに夢中になる。同校卒業後の1961年、18歳でテレビ番組「勝ち抜きジャズ」ボーカル部門に出演し優勝、世界一周をした実力派。20歳のとき俳優座養成所に16期生として入所するが2年で中退(養成所同期に古谷一行、鶴田忍、峰岸徹、大林丈史、大出俊、太地喜和子などがいる)。
高石 ともや(たかいし ともや、高石 友也とも、本名・尻石 … 高石 ともや(たかいし ともや、高石 友也とも、本名・尻石 友也〈しりいし ともや〉、1941年〈昭和16年〉12月9日 - 2024年〈令和6年〉8月17日)は、日本のフォークシンガー。代表作は「受験生ブルース」。 1960年代後半の日本のフォークソングの創世期以来、2020年代まで現役フォークシンガーとして活動し、また、マラソンランナーとしても活躍した。 幼少期は政略結婚で不幸と愚痴を言っていた母親に虐待を受けご飯も家族1人だけ食べさせてもらえなかった。60歳になって友人に打ち明けて初めて楽になった。大阪の蕎麦屋に働いている時、アメリカのフォークソングに日本語の歌詞をつけて歌ったら周りが応援してくれてギター一本で歌い始めた所反戦ブームにのって人気が出た。
森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月2… 森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月25日 - )は、日本の作曲家、歌手。北海道留萌市出身。1970年代には作曲家として、作詞家の阿久悠、編曲家の馬飼野俊一と組むことが多かった。 北海道留萌高校を卒業後、会社勤めをするが1年で退社。日本大学芸術学部に入学、作曲を学んだ。1965年、コーラスグループ原トシハルとB&B7に参加。ピアノおよび作・編曲を担当。68年には森山良子に「愛する人に歌わせないで」を提供した。1969年、森田公一とトップギャランを結成。71年にデビュー曲「恋のグアム島」を発売。 1971年 日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』の審査員を務めた。
畠山 みどり(はたけやま みどり、1939年4月5日 - )… 畠山 みどり(はたけやま みどり、1939年4月5日 - )は日本の演歌歌手。本名は千秋 みどり(せんしゅう みどり)。北海道士別高等学校卒業。 北海道稚内市出身。北海道士別高校卒業後、デザイナーを志し上京し文化服装学院に入学するも、幼少時からの歌手の夢が棄て難く退学。古賀政男ギター学院へ入学し、レッスンに励む。一時は練習生として大橋節夫とハニー・アイランダースでハワイアンを歌っていた。 1960年、素人のど自慢番組『トップライトショウ』(ニッポン放送)で優勝したことでレコード会社の関係者の目に入り、日本コロムビアに入社。入社後1年4ヶ月間、船村徹のもとでレッスンに通うかたわら、島倉千代子らコロムビアの看板歌手の前座を務めたのち、1962年に「恋は神代の昔から」でデビュー。
灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月… 灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月17日 - )は、日本の競技麻雀のプロ雀士、エッセイスト、漫画原作者、歌手。日本プロ麻雀連盟名誉会長(第2代会長)。同団体内での段位は九段。 北海道札幌市生まれ。国鉄勤務の父に従って幼少期は道内各地を転々とした後に室蘭市に移る。小学5年生の頃に大人が打つ麻雀を後ろで見てルールを覚える。 北海道室蘭栄高等学校を経て、北海学園大学経済学部に入学。大学在学中よりすすきののキャバレーで支配人らと麻雀を打ちステージで歌を歌うという生活を送り、麻雀で生計を立てることを誓う。卒業後7年間は各地を転々としいわゆる麻雀放浪をする。 1976年、第1期最高位戦で優勝(順位率部門)。
北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年〈昭和11年〉10… 北島 三郎(きたじま さぶろう、1936年〈昭和11年〉10月4日 - )は、日本の演歌歌手、俳優、ミュージシャン、馬主。東京都八王子市在住。 『函館の女』にはじまる「女」シリーズ、『兄弟仁義』などの「任侠」シリーズといった数々のヒット曲があり、サブちゃんの愛称で知られる。日本を代表する演歌歌手の一人。 原 譲二(はら じょうじ)のペンネームで作詞・作曲活動を行っており、自身の楽曲の制作以外にも舞台のシナリオ・演出や、北島ファミリーはじめ他の演歌歌手への楽曲提供など、マルチな活動を行っている。 作曲家・船村徹門下出身で、門下生で作る「船村徹同門会」(会長・鳥羽一郎)では名誉相談役を務める。 北島ファミリーからは親しみを込めてオヤジと呼ばれている。
城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月2… 城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月28日 - 1989年〈平成元年〉5月9日)は、日本の歌手、作曲家である。本名・作曲家名は菊地 正規(きくち まさき)、1966年の改名前の芸名は菊地 正夫(きくち まさお)。ヨーデルを得意とし、鼻から抜ける独特のハスキー・ボイスとこぶし回しが特徴で魅力的な声の持ち主であった。『骨まで愛して』のヒット後の一時期、映画俳優としても活動した。 1935年(昭和10年)11月28日、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家・北原じゅん(文れいじ)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げて室蘭市で育つ。
三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也、1930年… 三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也、1930年〈昭和5年〉11月10日 - 1996年〈平成8年〉1月8日)は、北海道上磯郡上磯町峩朗(現在の北斗市)生まれ、函館市育ちの流行歌手。愛称は「みっちゃん」「ミッチー」。 民謡で鍛えた伸びやかな高音と絶妙のこぶし回しを持ち味に、昭和30年代の日本の歌謡界黄金期をリードし、数多くのミリオンセラーを連発。販売枚数は日本人で唯一、1億枚に達したとされている、昭和歌謡界を代表する男性歌手の一人。特に全盛期の昭和30年代前半は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの絶大な人気を誇った。 セメント会社の作業員だった父は三橋が3歳の誕生日前日に落盤事故で亡くなる。
安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2… 安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2日 - )は、日本の歌手。所属事務所はミュージックオフィス合田。 北海道北見市出身。1945年(昭和20年)、終戦の年に上京し、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)卒業。 卒業と同時に日本コロムビアの専属となり、1949年(昭和24年)に藤山一郎と一緒に吹き込んだデビュー曲『花の素顔』(同名松竹映画の主題歌)がヒット。 1953年(昭和28年)には前年、コロムビアが行った全国歌謡コンクールの課題曲歌詞募集の入選作であった『毬藻の唄』が爆発的ヒットするも、歌手の若山彰と結婚(のち離婚、後年再婚)のため、引退。 その後は江戸千家茶道師範などで生計を立てていたが、1982年(昭和57年)に二葉あき子・並木路子・池真理子・胡美芳らに誘われ、コロムビア五人会の1人として歌謡界復帰し、五人会結成コンサート「あなたのために唄います」を開催。
佐々木 基晴(ささき もとはる、1926年(大正15年) -… 佐々木 基晴(ささき もとはる、1926年(大正15年) - )は、日本の民謡歌手。日本民謡佐々木基晴流家元で、江差追分等の日本民謡の大御所。財団法人日本民謡協会理事、北海道民謡連盟最高師範、道南口説節実行委員会代表などの肩書きを持つ。 北海道渡島支庁亀田郡湯川町(現・函館市)生まれ。 5歳より民謡を唄い初め、1949年、『この声百万ドル第1回全国大会』に優勝。翌年には27曲の北海道の発掘民謡を発表した。 基声会を発足させ指導者として全国民謡と江差追分の保存・普及、少年民謡の育成と指導に努めた。1976年には内閣総理大臣より昭和50年度『芸術文化に活躍された人々』の招待を受けた。1982年に芸術祭優秀賞受賞。
柴田つる子(しばた つるこ、1921年7月27日 - 199… 柴田つる子(しばた つるこ、1921年7月27日 - 1997年11月28日)は、日本の歌手。北海道函館市出身。本名、西谷ツル子。 函館実習高等女学校を卒業後、歌手の小林千代子に師事。その後、ムーランルージュ新宿座や日劇ダンシングチームで歌っていた。戦時中になると、活躍の場を奪われ退団。1946年(昭和21年)、戦後初めて行われた「コロムビア新人歌手募集」に合格。同期での合格者に岡本敦郎、津村謙がいた。同年5月、「港に灯りのともる頃」(藤浦洸作詞、平川英夫作曲)でデビュー、ヒットする。同時期に活躍していた、奈良光枝、池真理子と共に、コロムビア新人歌手の三羽烏と評された。 1954年(昭和29年)、結婚し引退。
松前 ピリカ(まつまえ ピリカ、1913年 - 1976年)… 松前 ピリカ(まつまえ ピリカ、1913年 - 1976年)は、北海道平取町出身の民謡歌手。本名、平村花子。 ピリカ(pirka)はアイヌ語で「美しい」「良い」という意味。 平取小学校を卒業後、17歳で芸能の道を志し、旅芸人の一座に参加し、ピリカ花子と名乗った。20歳から松前ピリカを名乗った。家族については詳しい記録が限られるが、民謡歌手の初代浜田喜一に関する伝記的記述では、浜田が二代目玉子と結婚する際に「松前ピリカ夫妻」が仲人を務めたとされる。この記述からは配偶者の存在がうかがえる。美声で知られ、「松前ピリカ一座」を主宰し数十名の団員を引き連れ、各地を巡業し、一世を風靡した。また、津山洋子・高樹一郎らの後輩を養成した。
小林 千代子(こばやし ちよこ、1910年7月30日 - 1… 小林 千代子(こばやし ちよこ、1910年7月30日 - 1976年11月25日)は、日本の戦前期に活動した流行歌歌手・声楽家である。北海道小樽市出身。別名、金色仮面・小林伸江。 東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)卒業後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に入学。卒業後、新宿ムウランルウジュで初舞台を踏む。 その後、松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団)に入団、水の江滝子やオリエ津阪の相手役を務め、1936年に退団するまで、「タンゴローザ」「ウィンナワルツ」「蝶々夫人の幻想」等、多くの歌劇に出演する。 松竹楽劇部入部と同時に日本ビクター蓄音器株式会社に入社し「金色仮面」(ゴールデン・マスク)という芸名で音盤界デビューを果たした。
佐々木 章(ささき あきら、1906年(明治39年)2月16… 佐々木 章(ささき あきら、1906年(明治39年)2月16日 - 1963年(昭和38年))は昭和期の歌手、作曲家。 北海道函館市出身。函館商業学校中退。1936年(昭和11年)末より大村能章に声楽を師事した。1937年(昭和12年)9月に発売された「露営の歌」の吹き込みに参加。 戦後は作曲家として活動。デビュー前の三波春夫などを指導した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
奥田 良三(おくだ りょうぞう、1903年6月12日 - 1… 奥田 良三(おくだ りょうぞう、1903年6月12日 - 1993年1月27日)は、日本のテノール歌手。 1903年(明治36年)6月12日に北海道札幌区(現・札幌市)で生まれる。後に陸上選手となる南部忠平は幼稚園からの幼なじみ。北海道庁立札幌第一中学校3年修了時に上京。同郷の先輩である梁田貞の世話により、成城中学校と東京音楽学校分教場夜間部に入り、また村井満寿から個人レッスンを受ける。1922年(大正11年)に東京音楽学校に入学するが、翌1923年の関東大震災により国内での勉学を断念し、同校を中退。その後渡欧して、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミア、ベルリン音楽大学で声楽を学ぶ。帰国後、1934年(昭和9年)ポリドールレコードから映画『狂乱のモンテカルロ(ドイツ語版)』主題歌「モンテ・カルロの一夜」「これぞマドロスの恋」や、映画『会議は踊る』主題歌「命かけて只一度」を吹き込む。
村井 満寿(むらい ます、1899年〈明治32年〉10月13… 村井 満寿(むらい ます、1899年〈明治32年〉10月13日 - 1988年〈昭和63年〉9月7日)は、日本のアルト歌手。北海道札幌市の札幌市時計台を題材とした楽曲「時計台の鐘」の歌い手として知られる。同曲の作曲者である高階哲夫は1人目の夫。2人目の夫はバリトン歌手にして日本初の腹話術師でもある澄川久(本名:村井武雄)であり、後夫との子にクラリネット奏者の村井祐児がいる。納豆の研究で知られる農学者の半澤洵は母方の叔父にあたる。 北海道札幌区(後の札幌市)で誕生した。旧姓は相沢。幼少時に、教会の宣教師の賛美歌に感銘を受けて、音楽の道を志した。また自宅の窓からは時計台が針まではっきりと見え、時計台に馴染んで少女期を送った。
秋山 羊子(あきやま ようこ、12月25日 - )は、日本の… 秋山 羊子(あきやま ようこ、12月25日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。北海道小樽市生まれ。 活動の場所を東京へ移す。 1stアルバムを自主制作。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
宇佐美 由美子(うさみ ゆみこ、9月16日- )は、日本の演… 宇佐美 由美子(うさみ ゆみこ、9月16日- )は、日本の演歌歌手。 北海道厚岸町出身。おとめ座。