板谷利雄(いたや としお、1935年7月11日 - 2012… 板谷利雄(いたや としお、1935年7月11日 - 2012年1月22日)は、日本の政治家、元地方公務員。北海道長沼町長(1988年 - 2008年)。旭日小綬章受章。位階は従五位。 北海道夕張郡長沼町出身。札幌文科専門学院(現札幌学院大学)法科を経て、1952年札幌短期大学商業科卒。 1952年北海道長沼町役場に入庁。同町議会事務局長、同総務課長などを歴任。1979年同収入役。その後、自由民主党の北修二秘書。1988年長沼町長選挙に出馬し初当選。以後、連続5期当選。2008年勇退した。 この他、長沼町グリーン・ツーリズム推進協議会会長も務めた。 2012年1月22日に急性肺炎のため76歳で死去。
堀内 日出男(ほりうち ひでお、1935年(昭和10年)2月… 堀内 日出男(ほりうち ひでお、1935年(昭和10年)2月19日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道歌志内市長。 北海道空知郡歌志内村(歌志内町を経て現歌志内市)に生まれる。北海道砂川北高等学校卒業。通算21年以上にわたり歌志内市議会議員を務めたのち、1988年(昭和63年)歌志内市長に当選し、1期務めた。
上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、… 上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、日本の政治家。元北海道登別市長(5期)。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校を経て、1957年北海道大学農学部卒業。1957年北海道庁に入庁。根室支庁産業課に勤務。1980年同庁後志支庁経済部長。1983年同庁農務部農政課長。その後、同庁胆振支庁長。 1988年7月21日、登別市長の中浜元三郎が、市役所で発生した汚職事件の責任をとるとして辞職。これに伴って8月28日に行われた登別市長選挙に選に立候補し初当選した。以後連続5期。 北海道市長会副会長や北海道市長会会長を歴任。2008年市の医療費助成事業で、市が委任払いした高額療養費約4500万円が回収困難となっている問題について、責任を取ること等を理由に引退した。
升田 重蔵(ますだ じゅうぞう、1934年11月6日-200… 升田 重蔵(ますだ じゅうぞう、1934年11月6日-2001年10月5日)は、日本の政治家・教育者。北海道島牧郡島牧村出身。北海道寿都町町長(1996年-2001年、2期)。位階は正六位。勲五等瑞宝章受章。 漁師の家に生まれる。北海道小樽水産高等学校卒業。1952年、島牧村の小学校助教諭に就く。日本大学文理学部通信教育課程卒業。日本大学で教員免許を取得し、歌棄中学校や寿都中学校などで教諭を務めた。寿都中学校長を経て、1992年寿都町教育委員会勤務。1994年寿都町教育長。1996年寿都町町長選挙に出馬し、同じ新人の岡部武を破って初当選。2000年も無投票で再選したが、2001年10月 在職中に逝去。
中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9… 中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9年)9月15日 - 2019年(令和元年)12月11日)は、日本の政治家。位階は従四位。衆議院議員を4期務めた。 北海道夕張市に生まれる。夕張市立若葉小学校、夕張市立千代田中学校を経て、1953年、北海道夕張北高等学校卒業。夕張市職員労働組合書記長より全日本自治団体労働組合道本部書記長、同副委員長を経て、1986年の第38回衆議院議員総選挙に岡田春夫の後継として日本社会党公認で旧北海道第4区から立候補し初当選(同じ区の社会党現職池端清一や田中派新人鳩山由紀夫も当選)。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で再選(同じ区の民社党新人小平忠正も当選)。
佐野 力三(さの りきぞう、1934年8月21日 - 202… 佐野 力三(さの りきぞう、1934年8月21日 - 2023年10月18日)は、日本の政治家。元北海道別海町長、別海町名誉町民。 国後島の泊村東沸出身。1950年に別海村役場に入り、公務員の傍ら北海道西別高等学校を卒業。その後農林課長、経済部長、議会事務局長を歴任。 1987年に当時の町長の推薦を受けて別海町長に当選し2007年まで連続5期20年務め、酪農・漁業など産業基盤の強化や矢臼別演習場へのアメリカ海兵隊実弾演習移転の受け入れなどといった施策を行った。2005年から2年間根室管内町村会長を担当。 町長退任後は2008年に旭日小綬章受章、2023年10月18日、老衰のため、別海町内の病院で死去した。
佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は… 佐々木 秀典(ささき ひでのり、1934年8月2日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:9171)。元衆議院議員(5期)。 北海道旭川市出身。父・佐々木秀世は自由民主党・宏池会所属の衆議院議員であり、第1次田中角栄内閣の運輸大臣を務めた。 旭川市立日章国民学校、旭川市立常盤中学校卒。旭川西高校3年時にサッカー部の主将を務め、旭川市・上川支庁地区大会で優勝し全道大会出場。1957年早稲田大学法学部を卒業。1961年に26歳で司法試験に合格し、翌1962年に早稲田大学大学院を修了する。司法修習16期(同期に日野市朗)経て1964年、弁護士登録。1969年、青年法律家協会(青法協)議長となり、社会派弁護士として活躍する傍ら、石田和外最高裁判所長官による青法協会員裁判官の排除に抵抗する。
東川 孝(ひがしかわ たかし、1934年(昭和9年)5月8日… 東川 孝(ひがしかわ たかし、1934年(昭和9年)5月8日 - 2015年(平成27年)8月18日)は、日本の政治家。北海道千歳市市長(1991年-2003年)。位階は従五位。旭日小綬章。 北海道苫小牧市出身。北海道千歳高等学校卒。1950年(昭和25年)に千歳町役場(現在の千歳市役所)に、事業生として入り、1954年(昭和29年)には千歳町役場を退職し、北海道自治講習所に入所し、1年間通い、翌1955年(昭和30年)の4月1日に再び千歳町役場に入り、税務課町民税係へ配属される。その後、企画調整課企画係長や環境部環境課長、経済部長等を経て、1987年(昭和62年)の12月6日に千歳市収入役となる。
能勢 邦之(のせ くにゆき、1934年 - )は、日本の政治… 能勢 邦之(のせ くにゆき、1934年 - )は、日本の政治家・元官僚。北海道岩見沢市出身。北海道岩見沢西高等学校卒。北海道大学法学部卒。1959年同大学院法学研究科修士課程修了。北海道岩見沢市市長(1990年-2002年)。
岩城 成治(いわき せいじ、1933年(昭和8年)6月24日… 岩城 成治(いわき せいじ、1933年(昭和8年)6月24日 ~2011年10月4日)は、日本の政治家。北海道岩内高等学校卒業。自治大学校2部卒業。北海道岩内町生まれ。北海道岩内町町長(1983年 - 2003年)。 茅沼炭鉱軌道に2年間勤務後、1954年岩内町役場に入所。同町同町福祉課長、総務部長や同町助役を経て、1983年に岩内町役場を辞職して、岩内町長選挙に出馬し初当選。以後連続5期当選。2003年に新人候補者上岡雄司に1,000票以上の差をつけられ落選し、引退した。 家族として父に北海道ユネスコ副会長だった岩城幸治がおり、子息に富士電気商会代表取締役社長岩城直人がいる。また、親族に言語学者で札幌医科大学名誉教授の岩城禮三がいる。
笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、… 笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、日本の政治家、法学者。元参議院議員(2期)、京都創政塾理事長。 北海道函館市出身。北海道釧路江南高等学校、同志社大学法学部卒業。1962年、同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。その後、堺女子短期大学教授などを務め、憲法学を教えた。 1978年から毎日放送『スタジオ2時』に出演。1980年、京都府明るい選挙推進協議会長に就任。 1989年、第15回参議院議員通常選挙に向けて、日本労働組合総連合会を支持母体とする「連合の会」(日本社会党・公明党・民社党・社会民主連合推薦)が結成され、全国で多数候補者が擁立される。笹野は連合の会公認で立候補し、長年、「自共指定席」と呼ばれた京都府選挙区で自民党新人西田吉宏や日本共産党現職佐藤昭夫を凌ぎトップで初当選した。
梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月3… 梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月31日 - 2025年(令和7年)1月6日)は、日本の政治家。元北海道千歳市長(1期)、元日本会議千歳支部長。 北海道小樽市出身。札幌商業高等学校卒、自治大学校卒。1949年、千歳町役場に入る。同町商工係長を経て、監査事務局長、千歳市総務課長、市民部長、環境部長、1983年に総務部長。 1987年無所属で千歳市長選挙に立候補、当選したが、1991年に落選。 2013年(平成25年)4月29日付(春の叙勲)で旭日双光章を受章。 2025年1月6日、肺炎のため死去。91歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26… 久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26日 - 2005年(平成17年)2月26日)は、日本の政治家・地方公務員だった人物。 北海道北見市長(1987年-1995年、2期)。北見工業大学教授を歴任した。 北海道常呂郡訓子府町出身。北見市で育つ。 1956年(昭和31年)に日本大学旧工学部建築学科卒業。卒業後、市の職員として技師に就く。その後、北見市商工部長、同建設部長、同企画部長、同総務部長を歴任し、1983年(昭和58年)に同助役に就く。1987年(昭和42年)に寺前武雄の勇退を受けて、北見市市長選挙に出馬し初当選する。2期8年を務め、1995年(平成7年)に新人の小山健一に敗れ落選した。
斉藤 英二(齊藤、さいとう えいじ、1932年(昭和7年)1… 斉藤 英二(齊藤、さいとう えいじ、1932年(昭和7年)11月14日 - 2000年(平成12年)6月8日)は、日本の政治家・元地方公務員。北海道岩内郡岩内町出身。北海道大学法学部卒業。北海道石狩町町長(1994年-1996年)・北海道石狩市市長(1996年-1999年)。位階は正五位。勲四等瑞宝章。 北海道大学卒業後に、北海道庁に入庁。同庁住宅都市部長。北海道住宅管理公社理事長。恵庭リサーチ・ビジネス・パーク社長。1994年寺内靖治逮捕に伴い石狩町長選挙に出馬し、初当選。1996年市制に移行。1999年風邪で入院中転倒し背骨を骨折、悪化。任期半ばで市長辞任し、翌年、逝去。死没日付をもって正五位に叙され、勲四等瑞宝章を追贈された。
柴田 彰(しばた あきら、1932年(昭和7年)11月13日… 柴田 彰(しばた あきら、1932年(昭和7年)11月13日 - 2014年(平成26年)1月26日)は、日本の政治家。北海道函館市長(1期)。 北海道函館市出身。1951年、北海道函館中部高等学校卒。卒業後は函館市役所に入る。1953年には市役所内の富士銀行出張所に勤めていた銀行員と結婚、後に2児をもうける。市役所では民生課、総務課、秘書室に勤務し、その後、秘書係長、秘書課長補佐、秘書課長、市長公室次長、市長公室長、企画室長を歴任した。 1983年、矢野康函館市長の勇退に伴い、函館市長選挙に立候補して当選した。しかし、健康問題を理由に1986年に市長を辞職した。 高校時代からハンドボールを始め、全日本代表選手にも選ばれた。
林 芳男(はやし よしお、1932年〈昭和7年〉6月15日 … 林 芳男(はやし よしお、1932年〈昭和7年〉6月15日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道滝川市長(3期)。 砂川市出身。北海道大学農学部卒業。北海道日高支庁(現・日高振興局)長、林務部次長、林務部長を歴任した。1991年(平成3年)自民、社会、公明、民社の各党の推薦を受けて滝川市長選挙に立候補し、無投票で当選した。1995年(平成7年)にも当選した。 1999年(平成11年)の市長選は共産党推薦の新人との争いになったが、自民、民主、公明、自由の各党の推薦を受け立候補し、3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 2003年(平成15年)4月26日に引退。
河原 敬(かわはら たかし、1931年(昭和6年)4月11日… 河原 敬(かわはら たかし、1931年(昭和6年)4月11日 - 2011年(平成23年)4月13日)は、日本の政治家。北海道歌志内市長(3期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 北海道芦別市出身。北海道歌志内高等学校卒。歌志内市役所に入り、企画開発、財政、総務の各課長、土地開発公社理事、助役などを歴任し、1992年、歌志内市長選挙に立候補し、現職の堀内日出男を破って当選した。1996年に無投票で再選。2000年も無投票で三選した。歌志内市長は2004年まで務めた。 死没日付をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された。
能登 和夫(のと かずお、1931年(昭和6年)3月24日 … 能登 和夫(のと かずお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1994年(平成6年)8月28日)は、日本の政治家。北海道三笠市長。位階は従六位。勲五等双光旭日章。 北海道三笠市出身。1948年(昭和23年)空知農業高等学校卒、北海道三笠高等学校定時制卒。 1948年(昭和23年)三笠町役場に入り、1954年(昭和29年)三笠高等学校の定時制に入学、勤労学生となる。三笠市教育長を経て、1983年(昭和58年)三笠市長に初当選。以後、連続2期務め、1991年(平成3年)に勇退。1994年死去。死没日付をもって従六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。
越森 幸夫(こしもり ゆきお 1930年12月10日 - 2… 越森 幸夫(こしもり ゆきお 1930年12月10日 - 2005年2月28日)は、日本の政治家。奥尻町の町長。 北海道の奥尻町で生まれる。北海道函館工業高等学校を中退。その後、1959年4月に、奥尻町議会議員となり、4期を務めた。1967年から1975年まで町議会の副議長を務め、1975年に奥尻町長になり、2001年まで7期、22年間務めた。在職中の1993年に北海道南西沖地震に遭遇し、復興に尽力した。 2001年に発注工事において収賄および競売入札妨害をした容疑のため逮捕された。これを受け、2001年3月18日に、鴈原徹が町長になった。2004年に札幌高等裁判所で執行猶予付きの有罪判決を受けた。
阿部 政康(あべ まさやす、1930年(昭和5年)11月15… 阿部 政康(あべ まさやす、1930年(昭和5年)11月15日 - 2021年(令和3年)4月2日)は、日本の政治家。北海道伊達市長。 北海道静内郡静内町(現新ひだか町)出身。北海道庁立苫小牧工業学校卒業。 1948年(昭和23年)伊達町役場に奉職し、税務課長、農政課長、水道課長、総務課長、総務部長を経て、1983年(昭和58年)伊達市議会事務局長に就任。1987年(昭和62年)伊達市長に当選した。3期務めた。 2002年(平成14年)勲五等双光旭日章受章。 2021年(令和3年)4月2日、老衰のため死去、90歳。
桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] … 桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] - 2020年11月16日)は、日本の政治家。元札幌市長(在任1991年 - 2003年、3期)。 1931年(昭和6年)、北海道札幌市に生まれる。札幌市立山鼻小学校、北海道立札幌第二高等学校(現:北海道札幌西高等学校)卒業。北海道大学法経学部を卒業後、札幌市役所に就職。札幌市役所では、施設局市街地開発部長、総務局財政部長、北区長、企画調整局長、教育長を歴任。1983年6月、札幌市助役に着任。 1991年、自民党・社会党・公明党・民社党の推薦を得て、札幌市長選挙に立候補。共産党推薦候補などに大差をつけて当選。初の札幌生まれの市長となる。
石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月… 石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月22日 - 2006年〈平成18年〉9月18日)は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、公明党委員長(第5代)、総務庁長官(第13・14代)、公明新党代表(初代)、新進党副党首、公明党最高顧問を歴任した。実兄は参議院議員を務めた石田次男。 北海道札幌市生まれ。旧制明治中学、明治大学商学部を卒業後、聖教新聞広告部に務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から立候補し、初当選(通算10期)。公明党臨時党大会で公明党副書記長に就任し、19年に渡り務める。 1986年12月、衆参同日選挙後に行われた公明党大会で公明党筆頭副委員長に就任する。
渡辺 省一(わたなべ しょういち、渡邊 省一、1930年4月… 渡辺 省一(わたなべ しょういち、渡邊 省一、1930年4月21日 - 2000年9月29日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党に所属し、衆議院議員(6期)、科学技術庁長官(49代)、総理府原子力委員会委員長(49代)、北海道議会議員(4期)などを歴任した。前岩見沢市長で自由民主党所属の衆議院議員の渡辺孝一は長男。 北海道美唄市で生まれる。美唄市立美唄国民学校、岩見沢中学校(現:岩見沢東高校)、中央大学経済学部卒。衆議院議員・篠田弘作の秘書を経て、1963年から北海道議会議員(美唄市選出)を4期務めた。 1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧北海道4区から自民党公認で立候補し初当選(同じ区で自由革新同友会新人高橋辰夫も当選)。
佐々木 義照(ささき よしてる、1930年 - )は、日本の… 佐々木 義照(ささき よしてる、1930年 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道紋別郡興部村出身。北海道立旭川第二工業学校卒。1971年自治大学校卒。北海道上湧別町町長(1981年-1993年)。 1967年上湧別町役場に入る。役場に勤めながら自治大学校に通い、1971年に卒業。その後、同町税務課長、総務課長、教育委員会委員長などを経て、1981年上湧別町長選に出馬し、初当選。以後、連続3期務めた。1993年に引退。 アメリカ合衆国のケンタッキー州を視察して地元のトウモロコシでバーボン・ウイスキーを作るなど行動派の首長として有名。また、畑作・酪農・流氷観光のみで過疎に悩む上湧別町を1987年に漫画による「まちおこし」構想を企画し、1990年に日本漫画家協会の協賛を得て「オホーツク国際漫画大賞」を創設し、開催地を上湧別町とする事で町の活性化を図った。
青木 銀一(あおき ぎんいち、1929年(昭和4年)11月1… 青木 銀一(あおき ぎんいち、1929年(昭和4年)11月19日 - 2019年(令和元年)5月5日)は、平成時代の政治家。北海道三笠市長。三笠市名誉市民。位階は従五位。旭日小綬章。 北海道夕張郡夕張町(現夕張市)出身。札幌鉄道教習所を卒業し、三笠市役所に入り、経済振興課長などを経て、1979年(昭和54年)より助役を1期務めた。ほか、商工会副会長を歴任した。 1991年(平成3年)三笠市長に当選し、2003年(平成15年)まで連続3期12年務めた。2004年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2019年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
藤原 房雄(ふじわら ふさお、1929年(昭和4年)9月6日… 藤原 房雄(ふじわら ふさお、1929年(昭和4年)9月6日 - 2015年(平成27年)12月28日)は、日本の政治家。北海道小樽市出身。室蘭工業大学電気工学科卒業。参議院議員(3期)、衆議院議員(2期)。 小樽市に生まれる。室蘭工業大学電気工学科を卒業する。通商産業省に勤める。その後、同札幌通産局(現北海道経済産業局)勤務を経て、聖教新聞社北海道支局長を務める。この頃、創価学会北海道事務局長も兼任していた。 1968年(昭和43年)7月7日、第8回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として全国区から立候補し、初当選する(以降3期)。参議院科学技術振興対策特別委員長などを務める。 3期目の任期満了目前となった1986年(昭和61年)、同年7月6日執行第38回衆議院議員総選挙に公明党公認で北海道1区から立候補(公示日となる同年6月21日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職))、衆議院議員に鞍替え当選する。
池端 清一(いけはた せいいち、1929年〈昭和4年〉8月2… 池端 清一(いけはた せいいち、1929年〈昭和4年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉2月28日)は、日本の政治家。 国土庁長官(第27代)兼研究・学園都市担当大臣兼土地対策担当大臣兼阪神・淡路復興対策担当大臣(村山改造内閣)、衆議院懲罰委員長、同災害対策特別委員長、衆議院議員(7期)、社会民主党国会対策委員長(初代)などを歴任。 北海道室蘭市生まれ、釧路市出身。旧制釧路中学校、旧制弘前高校を経て、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後は北海道日高支庁管内の学校教員に奉職し、北海道教職員組合の書記長も務めた。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧北海道4区から立候補し、初当選。
高秀 秀信(たかひで ひでのぶ、1929年(昭和4年)8月1… 高秀 秀信(たかひで ひでのぶ、1929年(昭和4年)8月18日 - 2002年(平成14年)8月29日)は、日本の政治家、官僚。従三位勲一等瑞宝章。 横浜市長(第25・26・27代)、全国市長会会長(第24代)、水資源開発公団総裁、建設事務次官を歴任。 北海道夕張郡夕張町(現:夕張市)出身。北海道立夕張中学校から北海道大学工学部土木工学科を卒業後、1952年に建設省に入省。建設事務次官を経て、1986年には水資源開発公団の総裁に就任した。 1990年2月15日、横浜市長の細郷道一が任期中に病死。細郷の死去に伴い4月8日に行われた市長選に、自民党幹事長在任中の小沢一郎や自民党の派閥で当時最大最強の経世会会長金丸信の後押しを受けて立候補。
高木繁光(たかぎ しげみつ、1929年(昭和4年)7月23日… 高木繁光(たかぎ しげみつ、1929年(昭和4年)7月23日 - 2013年(平成25年)9月10日)は、日本の政治家。北海道議会議員(8期)、財団法人日本消防協会会長を務めた。 北海道豊平町(現・札幌市豊平区)出身。実家はリンゴ園。戦時中は陸軍少年飛行兵として父島におり、全機特攻命令を受けるが、終戦を迎え帰還した。 1947年(昭和22年)札幌商業学校卒業。家業に携わりながら北海短期大学に通い、1955年(昭和30年)北海学園大学経済学部卒業。大学時代は弁論部及び柔道部に所属。札幌市消防署に入署。その後、家庭裁判所調停委員などを経て、1975年自由民主党公認によって北海道議会議員に初当選。以後連続8期当選。
高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 20… 高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 2006年1月4日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道札幌市出身。中央大学法学部中退。中川一郎秘書、北海道議会議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から自民党公認で出馬し、宏池会新人岩本政光と共に初当選。 1983年1月の中川一郎自殺事件では、検案書作りに絡んで「急性心筋こうそくの疑い」という嘘の検案書を病院に作らせた虚偽診断書作成教唆罪に問われ、虚偽診断書作成罪に問われた病院長と共に同年11月上旬に略式命令を受けて罰金刑が言い渡された。 1998年まで3期18年務めた(1998年も公認決定していたが出馬断念し、道議会の後輩で中川一郎の実弟であった中川義雄が出馬)。
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月1… 岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。 1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。
新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日… 新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日 - 2017年(平成29年)7月17日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道副知事、小樽市長。 北海道小樽市に生まれる。小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学経済学部を卒業。国家公務員試験に通ったものの結核を患い、5年間の浪人の末、1955年(昭和30年)北海道庁に奉職する。上川支庁税務課から出納局を経て、1962年(昭和37年)より商工観光部勤務となる。鉱政課長時代にオイルショックを経験したのを機にエネルギー問題を学び、道庁きってのエキスパートとなる。
五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月… 五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月30日 - 2000年(平成12年)1月3日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道留萌市長。留萌市名誉市民。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 留萌市出身。旧制留萌中学校を経て、明治大学商学部を卒業。 1951年(昭和26年)北海道庁に入り、留萌支庁総務課勤務を経て、1969年(昭和44年)留萌市役所に転じた。企画室長、産業港湾部長、総務部長を経て、1983年(昭和58年)助役に就任。1984年(昭和59年)7月、退任。 留萌商工会議所専務理事を経て、1986年(昭和61年)の留萌市長選に市民党として出馬し、当選。1994年(平成6年)まで2期8年間市長を務めた。
中島 武敏(なかじま たけとし、1928年9月20日 - 2… 中島 武敏(なかじま たけとし、1928年9月20日 - 2013年3月21日)は、日本の政治家で、日本共産党所属の衆議院議員(通算7期)。党東京都委員会委員長、党中央委員会中央委員を歴任した。 北海道雨竜郡沼田町生まれ。北海道帝国大学予科卒業後、東京大学文学部に入学。在学中に東京大学学生自治会中央委員会議長となった事を理由に学内処分を受けた。まもなく中退する。その後、日本共産党に入党し東京都委員会職員となる。1972年の第33回衆議院議員総選挙に東京都第9区 (中選挙区)より出馬し初当選。衆議院建設委員なども務め、談合の暴露・追及などを行なった。 第34回衆議院議員総選挙では落選したが、次の第35回衆議院議員総選挙で返り咲きを果たし、以降連続4回当選した。
板谷 実(いたや みのる、1928年〈昭和3年〉8月23日 … 板谷 実(いたや みのる、1928年〈昭和3年〉8月23日 - 2011年〈平成23年〉11月30日)は、日本の政治家、実業家。北海道苫小牧市長を経て、北海道議会議員(5期)。 北海道苫小牧市出身。実家は「千鳥屋商店」(現・千鳥屋板谷商店)を営み、北海道苫小牧中学校(現北海道苫小牧東高等学校)、海軍兵学校(77期)を経て、1949年(昭和24年)北海道大学農学部農芸化学科を卒業。理学博士。 北大卒業後富士紡績に入社し東京本社科学研究所などに勤務、在京時の1959年(昭和34年)に結婚し3児をもうける。その後新富士エンジンや北海道炭礦汽船に出向の後1972年(昭和47年)に苫小牧へ戻り、岩倉組土建取締役常務を経て、1983年(昭和58年)苫小牧市長選挙で苫小牧市長に初当選するも、次の1987年(昭和62年)市長選挙で鳥越忠行に敗れた。
菅野 久光(すがの ひさみつ、1928年(昭和3年)3月27… 菅野 久光(すがの ひさみつ、1928年(昭和3年)3月27日 - 2006年(平成18年)5月14日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。 参議院議員(3期)、参議院副議長、北海道・沖縄開発政務次官(細川内閣)、旭川市議会議員などを務めた。 北海道釧路市出身。北海道第三師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 小学校教諭、旭川市議会議員などを経て、1979年北海道教職員組合中央執行委員長。1983年の参院選に北海道選挙区から日本社会党公認で出馬し初当選。2001年に引退するまで3期18年務めた。 1993年、細川内閣にて、北海道・沖縄開発政務次官を務める。 1996年、民主党結党に参加。
佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1… 佐藤 孝行(さとう こうこう、本名読み:さとう たかゆき、1928年〈昭和3年〉2月1日 - 2011年〈平成23年〉5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、運輸政務次官、国務大臣総務庁長官(第20代)、自民党総務会長(第34代)、自由民主党行政改革推進本部長などを歴任した。 北海道瀬棚郡北檜山町(現久遠郡せたな町)出身。旧制函館中学定時制、明治大学政治経済学部政治学科卒業。 自民党の実力者・河野一郎の秘書を経て、1963年の衆院選で旧北海道3区から初当選し以後11期当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 201… 松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 2012年2月21日)は、日本の官僚、政治家。第18代~23代千葉市長(在任期間 1977年 - 2001年(六期))。北海道旭川市生まれ、広島県広島市育ち。
中川 徳男(なかがわ とくお、1927年10月30日 - 2… 中川 徳男(なかがわ とくお、1927年10月30日 - 2022年8月10日)は、日本の政治家。元北海道砂川市長(4期)。 北海道空知郡砂川町出身。1942年、砂川町役場に入る。役場内では庶務、企画の各係長、総務、企画の各課長、総務、建設の各部長を務めた。この間、砂川町は1958年に砂川市となり、中川は自治大学校を卒業した。1982年に砂川市役所を退職、翌1983年、砂川市長選挙に立候補して初当選、4期連続で務めた。1999年に市長を退任した。
浜垣 実(はまがき みのる、戸籍上は「濱垣實」。1926年(… 浜垣 実(はまがき みのる、戸籍上は「濱垣實」。1926年(大正15年)12月14日 - 2016年(平成28年)2月3日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道恵庭市長。 北海道厚田郡厚田村(現石狩市)出身。1955年(昭和30年)自治大学校を卒業する。1943年(昭和18年)厚田村役場に奉職し、1955年(昭和30年)恵庭町役場に転じ、財政課長、庶務課長を経て、1971年(昭和46年)恵庭市助役となる。 1977年(昭和52年)恵庭市長に当選し、4期務めた。「浜垣天皇」と呼ばれるほどの権勢を奮ったが、1993年(平成5年)には多選批判を浴びて、元陸上自衛官で恵庭市議だった合原由作に敗れる。 落選後の翌年2月、在任中に砂利採取業者から受け取っていた現金が賄賂にあたるとして、収賄容疑で逮捕された。
島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 20… 島田 琢郎(しまだ たくろう、1926年8月28日 - 2006年10月9日)は、日本の政治家(元日本社会党衆議院議員)。北海道出身。 1944年美幌農林学校(現・北海道美幌高等学校)林業科卒業。北海道湧別町議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から社会党公認で立候補し初当選。連続当選5回。酪農業を営んだ経験から農政に明るく、党の農林政策委員長などを務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退。 1998年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。 2006年10月9日、急性心筋梗塞のため北海道遠軽町の病院で死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006… 萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者、政治家。アイヌ文化、アイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。アイヌ初の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。 息子の萱野志朗は、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、世界先住民族ネットワーク・AINU代表、FMピパウシ運営者、世界先住民族サミット2008の実行委員会最高責任者。 1926年、 北海道沙流郡平取町二風谷に生まれた。当時、アイヌ語を自在に操れる話者は少なくなっていたが、アイヌ語を母語とする祖母テカッテに育てられたため、2つの言語を母語として身につけた。青年期はアイヌであることから逃避するために出稼ぎに出て、炭焼きや測量士などで生計を立てる。
奥野 一雄(おくの かずお、1926年5月26日 - 199… 奥野 一雄(おくの かずお、1926年5月26日 - 1992年2月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期、日本社会党)。 北海道函館市出身。1944年札幌逓信講習所卒。のち、北海道函館商業高等学校で学ぶ。函館郵便局や電電公社函館通信部に勤務し、全電通函館支部を結成して、委員長となる。その後、函館市議や北海道議となる。1979年と1983年の函館市長選挙に立候補したが落選した。1983年の第37回衆議院議員総選挙で北海道3区から日本社会党公認で立候補して当選。以来連続2期務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選した。1992年2月17日死去、65歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される。
中田 鉄治(なかだ てつじ、1926年(大正15年)4月1日… 中田 鉄治(なかだ てつじ、1926年(大正15年)4月1日 - 2003年(平成15年)9月10日)は、日本の政治家。 夕張市長を1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年にわたり務めた。 秋田県に生まれ、生後すぐに夕張町へ移住する。 高等小学校卒業後、北海道殖産銀行(後の旧北海道拓殖銀行)、北海道炭礦汽船の事務職員を経て、1945年(昭和20年)秋に夕張市役所へ入庁した。 夕張市の企画室長だった1970年(昭和45年)に「石炭産業に未来はない」との観点から新産業誘致を打ち出すなど早くから炭鉱の斜陽化・衰退への危機感を持ち、夕張市助役を務めていた1977年(昭和52年)には「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして「石炭の歴史村」事業の計画の端緒を付けた。
五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - … 五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - 2013年5月7日)は、日本の実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 企業組合ほっかい民芸舎理事長、北海道民芸品株式会社代表取締役社長、北海道旭川市長、衆議院議員(5期)、建設大臣(第59代)、内閣官房長官(第58代)、株式会社ほくみん代表取締役会長などを歴任。 1926年生まれ。1943年に北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)を卒業後、愛別村立愛山国民学校の助教として勤務した。その後、陸軍第7師団に入営し訓練を受けていたが、1945年に太平洋戦争が終結した。その後、1953年に民芸品販売店を開き、ほっかい民芸舎の理事長、北海道民芸品の社長などを歴任した。
岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2… 岡 英雄(おか ひでお、1926年3月5日 - 2009年2月22日)は、日本の政治家。江別市長(1983年 - 1995年)。北海道江別市出身。 北海中学校卒業後、1943年志願兵として海軍土佐航空隊で飛行兵となり、復員後江別町役場に入庁。1952年に結婚し3児をもうける。同市の総務課長、財政課長、経済建設部長を経て、1970年から1982年まで助役の後1983年に江別市市長選にて江別市長に初当選。以後連続3期を務める。1995年に4期目を目指すも新人候補者小川公人に敗れ、落選。1996年には江別市から市政功労者に選ばれた。2009年2月22日、急性呼吸不全のため死去、82歳。死没日をもって従五位に叙される。
寺前 巌(てらまえ いわお、1926年2月20日 - 202… 寺前 巌(てらまえ いわお、1926年2月20日 - 2020年6月6日)は、日本の政治家。日本共産党名誉役員。 北海道夕張市出身。京都青年師範学校(現、京都教育大学)卒。国鉄機関士、京都府議会議員を経て第32回衆議院議員総選挙に京都府第2区より立候補し初当選。以降、党中央委員、幹部会委員、国対委員長、常任幹部会委員、両院議員総会会長を歴任。国会では衆議院運輸委員会などに属した。 革新が強い京都において選挙では毎回安定した戦いを続けていたが、第37回衆議院議員総選挙において共産党が寺前と新人の有田光雄の2名を擁立したところ、絵に描いたような共倒れとなり落選した(両者の得票を足せば、1位当選者の得票をはるかに上回っていた)。
小柄 義信(こづか よしのぶ、1926年 - )は、日本の政… 小柄 義信(こづか よしのぶ、1926年 - )は、日本の政治家。北海道余市郡余市町出身。北海中学校卒。北海道余市町町長(1971年-1986年)。 1946年余市町役場に入る。同町財務課長補佐を経て、1971年無所属で余市町長選挙に立候補、初当選。以後連続4期16年を町政を担い、北海道町村会副会長や後志町村会会長も務めた。1987年に落選。間もなく、町内の病院の入院患者などの票を現金買収した容疑(公職選挙法違反)で同年8月19日に逮捕された。 なお、町政では、1982年に余市町総合計画を掲げ、テーマは『豊かなる海と緑、経済と生活が調和した活力にあふれる北後志の拠点都市』とする計画を打ち立てた。
石井 亨(いしい とおる、1925年(大正14年)11月11… 石井 亨(いしい とおる、1925年(大正14年)11月11日 - )は、日本の自治官僚、政治家。仙台市長(第26、27期)。 仙台市の政令指定都市昇格や市営地下鉄の開業などの実績があるが、ゼネコンに絡む贈収賄事件で失職した。 北海道空知郡赤平村(現:赤平市)出身。札幌二中、旧制一高を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部政治学科を卒業した。地方自治庁(当時)に入庁し、千葉県開発部管理課長などを務めたが、1963年(昭和38年)、当時の宮城県知事・山本壮一郎に同県職員として招かれた。 その後、総務部次長、商工労働部長、総務部長を務め、1974年(昭和49年)に宮城県副知事に就任した。山本の後継者候補の一番手と見られていたが、1984年(昭和59年)11月に当時の仙台市長・島野武が急逝し、急遽、革新系とされた島野に代わる保守系の市長候補として担ぎ出されることとなった。
北村 義和(きたむら よしかず、1925年8月19日 - 1… 北村 義和(きたむら よしかず、1925年8月19日 - 1986年5月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 北海道阿寒郡鶴居村出身。1945年北海道帝国大学農林専門部農学科卒。 大学卒業後、鶴居村農業会技術員、ホクレン農業協同組合連合会理事を経て、1975年から北海道議会議員(釧路支庁選出)を2期務めた。 その後、1980年の第36回衆議院議員総選挙に本名武の後継者として自由民主党公認で旧北海道5区から立候補し当選(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・太田誠一・川崎二郎・久間章生・森田一・高村正彦・柿澤弘治など)。1983年の第37回衆議院議員総選挙では自民党公認の北村と中川昭一に加え、保守系無所属で鈴木宗男(中川一郎の元秘書)と武部勤(元北海道議)が立候補する保守乱立選挙となり、そのまま落選し政界から引退した。