遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2… 遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2019年12月27日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第44代)、山形県議会議員、置賜農業共済組合組合長理事、山形県農業共済組合連合会会長理事、社団法人全国農業共済協会理事などを歴任した。愛称はエンタケ。 山形県米沢市出身。父は米沢市議会議長、山形県議をつとめ、山形農政に強い影響力を持っていた遠藤清海。現在の山形県立米沢興譲館高等学校を卒業後、1961年に中央大学文学部を卒業し、帰郷。県指導主事、米沢市農業協同組合理事などを務めた後、山形県議会議員(3期)を経て、1986年、第38回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。
川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、… 川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、日本の社会学者、慶應義塾大学名誉教授。社会学博士(慶應義塾大学・1975年)(学位論文「社会的成層の研究」)。社会調査に関する史的研究や近代日本社会学史研究を行う。山形県上山市生まれ。 1957年山形県立山形工業高等学校(建築科)卒業。1961年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1966年、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1964年慶應義塾大学法学部助手、1967年同専任講師、1970年同助教授。同年から1年間プリンストン大学に学ぶ。1975年社会学博士(慶應義塾大学)。1977年同教授。2004年定年退職、名誉教授。
佐藤 文隆(さとう ふみたか、1938年〈昭和13年〉3月2… 佐藤 文隆(さとう ふみたか、1938年〈昭和13年〉3月23日 - 2025年〈令和7年〉9月14日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)・理論物理学者。専門は、宇宙論・相対性理論。学位は、理学博士(論文博士・京都大学)(学位論文 「General relativistic instability of the supermassive stars(超大質量星の一般相対論的不安定性)」)。京都大学名誉教授。 1938年(昭和13年)3月23日、佐藤茂吉・かね夫妻の三男として山形県西置賜郡鮎貝村(現・白鷹町)に生まれる。兄弟姉妹は兄2人、姉4人、妹1人がいる。父・茂吉は製材所を経営していた。 小学校6年生の時に湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞、湯川ブームが起きたのがきっかけで湯川に憧れるようになる。
伊藤 豪(いとう ごう、1938年3月4日 - )は、日本の… 伊藤 豪(いとう ごう、1938年3月4日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。東京電機大学高等学校、早稲田大学文学部演劇専修卒業。劇団アドック所属。 父は養蚕教師として郡是製糸に在籍し、戦時中は軍属としてインドネシアに派遣され、戦後は埼玉県にある郡是製糸株式会社の原料部に配属されていた。 本人は山形の母の実家で小学低学年時代を過ごしたが三年になる頃天童市(旧天童町)久野本に移住した。その後父の会社のある埼玉県鴻巣市に移住し、鴻巣中学校を卒業後東京電機大学高等学校に進む。 高等学校は電機大学への一過程でもあったが普通科が存在しており、そこに在籍した。他の科との違いは大学への進学科として、高校時代に文科系の内容を一通り習得する目的があったように思われる。
佐藤 亮一(さとう りょういち、1937年10月18日 - … 佐藤 亮一(さとう りょういち、1937年10月18日 - 2020年11月11日)は、日本の日本語学者。専門は方言学。山形県山形市出身。 山形県立山形東高等学校を経て、1960年東北大学文学部国語学科卒業、1963年同大学院文学研究科国語学専攻課程修士課程修了(文学修士)、1966年同博士課程単位取得退学。1966年聖和学園短期大学助教授、1968年国立国語研究所第一研究部地方言語研究室に入室、1975年同室長、1989年フェリス女学院大学文学部教授、1994年東京女子大学現代文化学部教授、2006年退職。 国立国語研究所では、「日本言語地図(LAJ)」「方言文法全国地図(GAJ)」、「日本方言大辞典」などの編纂にあたった。
冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2… 冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2009年12月18日)は、日本の評論家、編集者、実業家。京城府(現・ソウル特別市)生まれ、山形県出身。 山形県立山形東高等学校を経て、早稲田大学文学部史学科卒業。角川書店の「短歌」編集長として60年代の前衛短歌運動の一端を担う。1972年、個人誌「雁-映像+定型詩」を創刊。14号まで編集・発行を続ける。小紋潤と設立した書肆「雁書館」代表。短歌及び日本映画の評論を精力的に行った。著書に「冨士田元彦短歌論集」など。2009年、敗血症のため逝去。
会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 201… 会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 2012年3月23日)は、山形県出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。 山形南高校では、1954年秋季東北大会県予選決勝に進むが米沢商に敗れる。翌1955年夏の甲子園予選東北大会に進出、しかし1回戦で福島商に敗退。卒業後は日本大学へ進学した。東都大学野球リーグでは在学中、3度優勝を果たす。1年生時の1956年秋季リーグでは、打率.351で首位打者を獲得し優勝に貢献。リーグ通算91試合出場、321打数86安打、打率.268、0本塁打、46打点。ベストナイン(三塁手)2回。大学同期に高木時夫捕手、黒木基康、笹木士朗(日本鋼管)両外野手らがいた。 1960年に中日ドラゴンズに入団。
村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる… 村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる)、旧姓:村川、1937年(昭和12年)3月22日 - )は、日本の映画監督・音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校、福島大学経済学部卒業。実父は教員・国文学研究者で『俳人一具全集』などの編集を手掛けた村川幹太郎。長兄は指揮者の村川千秋。姪はヴァイオリニストの村川千尋。 村山郡館林藩領内の里正の血筋であり、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。福島大学卒業後の1959年、日活に入社し上野日活劇場の営業部で辣腕を振るうも方向性の不一致から同年に退社し、翌年に演出部へ復職し助監督となる。社内では舛田利雄、中平康、西河克己、森永健次郎、社外では貞永方久、森谷司郎らの助監督を務め、特に日米合同スタッフによる戦争大作『トラ・トラ・トラ!』では、日本側演出部総チーフ(ノンクレジット)として現場を取り仕切った。
安達 瑛二(あだち えいじ、昭和12年(1937年)1月26… 安達 瑛二(あだち えいじ、昭和12年(1937年)1月26日 - )は、日本の工学者、工学博士、豊田工業大学名誉教授。山形県鶴岡市出身。
真島 節子(ましま せつこ、昭和12年(1937年) - )… 真島 節子(ましま せつこ、昭和12年(1937年) - )は、日本の絵本作家。山形県鶴岡市出身。 現代的な絵を、日本の伝統的な色使いで描く。
峯田 義郎(みねた よしろう、1937年 - )は日本の現代… 峯田 義郎(みねた よしろう、1937年 - )は日本の現代具象彫刻家。山形県生まれ。新座市在住。東北芸術工科大学芸術学部美術科教授。
御橋 廣眞(みはし こうしん、1937年(昭和12年) - … 御橋 廣眞(みはし こうしん、1937年(昭和12年) - 2026年(令和8年)3月7日)は、日本の生物物理学者。理学博士。名古屋大学名誉教授。日本福祉大学教授。財団法人天風会講師。大沢文夫の弟子の一人。山形県鶴岡市出身。
川崎 廣(かわさき ひろし、1937年 - )は、日本の牧師… 川崎 廣(かわさき ひろし、1937年 - )は、日本の牧師。保守バプテスト同盟所属。 1937年 山形県長井市に生まれる。高校時代にキリスト教に入信する。1956年6月24日洗礼を受ける。1956年に山形大学工学部に入学して、1960年に卒業する。1966年 聖書神学舎卒業して、1966年結婚する。聖書神学舎卒業後に、1967年より1988年まで、バプテスト聖書神学校(現在の仙台バプテスト神学校)の講師を務める。山形第一聖書バプテスト教会の牧師、水戸聖書バプテスト教会牧師、山形福音伝道隊主事を経て、1977年より、1999年まで、保守バプテスト同盟、蔵王キリスト教会の牧師を務める。1999年4月に、蔵王キリスト教会を退職して、アジアンアクセス JCGIネットワークの総主事となる。
小華和 ためお(こはなわ ためお、本名:小華和 為雄(読みは… 小華和 ためお(こはなわ ためお、本名:小華和 為雄(読みは左記と同じ)、1936年9月18日 - )は、山形県酒田市出身のアニメーター、アニメーション監督である。
設楽 博(しだら ひろし、1936年9月11日 - )は、日… 設楽 博(しだら ひろし、1936年9月11日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督である。山形県村山市出身。日本大学芸術学部卒業。 大学を卒業した1960年春、東映に入社。2年ほど京都撮影所に勤務した後、東映動画に移籍した。1965年、『宇宙パトロールホッパ』にてテレビアニメの演出家としてデビュー。その後、『魔法使いサリー(第1作)』『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)』『タイガーマスク』『デビルマン』『ミクロイドS』など数多くのテレビアニメで演出を担当した。 演出家・設楽博の名を一躍有名にしたのは、1976年、初めてチーフディレクター(=監督)の大役を任されたテレビアニメ『キャンディ・キャンディ』である。
田沢 芳夫(たざわ よしお、1936年8月28日 - 200… 田沢 芳夫(たざわ よしお、1936年8月28日 - 2008年1月25日)は、山形県出身のプロ野球選手(投手)である。 鶴岡工業高校では、エースとして1954年夏の甲子園予選東北大会で決勝に進出するが、福島商に敗退し甲子園出場を逸する。 卒業後の1955年に南海ホークスに入団。同期には広瀬叔功、一期上には野村克也、皆川睦雄がいた。2年目の1956年にはチーム最多の15勝を挙げ、翌1957年も10勝を記録するなど先発ローテーションの一角として活躍した。 1957年6月24日の対阪急ブレーブス戦(大阪スタヂアム)では9回2死まで無安打無得点に抑えたものの、ノーヒットノーラン達成まであと1人の場面で滝田政治に初安打を許し阻止されている(後1人で阻止されたのはパ・リーグ史上2人目)。
佐藤 敏直(さとう としなお、1936年7月24日 - 20… 佐藤 敏直(さとう としなお、1936年7月24日 - 2002年3月18日)は、日本の作曲家。 山形県鶴岡市生まれ。山形県立鶴岡南高等学校、慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。清瀬保二に師事。当初から師・清瀬ゆずりの民族的作風を示し、1959年、日本音楽コンクールに「ピアノのための三章」で入選した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
寺内 弘子(てらうち ひろこ、1936年〈昭和11年〉4月9… 寺内 弘子(てらうち ひろこ、1936年〈昭和11年〉4月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(1期)を歴任。 山形県山形市出身。1953年山形市立第二中学校卒。生長の家に入り、国会議員秘書や生長の家政治連合本部婦人青少年問題対策部長などを務める。1983年の第13回参議院議員通常選挙で比例区から自民党公認で立候補したが落選。1986年に藤井裕久の衆院選出馬に伴い繰り上げ当選した。1988年竹下改造内閣で沖縄開発政務次官に就任。翌1989年の宇野内閣でも留任した。同年の第15回参議院議員通常選挙で落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙で埼玉5区から無所属で出馬したが落選した。
湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月2… 湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月22日 - )は、日本の音楽評論家、作詞家、女優。 本名・湯野川和子(ゆのかわ かずこ)が田村駿禮(たむら たかのり)と結婚して田村和子になる。のちに離婚するが本名は田村和子のままにしている。吾妻麗子名義で女優として活動したこともある。山形県米沢市育ち。 東京府東京市目黒区芳窪町(現:東京都目黒区東が丘)に出生。父は海軍大佐・湯野川忠一。忠一の従妹(父・湯野川忠世の妹の娘・礼子)は山本五十六の妻。海軍大将・黒井悌次郎は大叔父(父方の祖母の弟)。米沢藩家老・千坂高房は母方の祖先。その他、父方の曾祖父の湯野川忠国は漢学者。父方の祖父の湯野川忠世は全国農事会本部幹事でラ・フランスを日本に紹介した人物。
斎藤 たま(さいとう たま、1936年- 2017年1月26… 斎藤 たま(さいとう たま、1936年- 2017年1月26日)は、日本の民俗学者。 山形県東村山郡山辺町に生まれる。山形県立山形東高等学校定時制を卒業後は東京渋谷の書店に就職した。 1970年から子供の遊びや民俗風習の聞き取り調査を日本全国で手がけ、1971年に仕事は退職した。同じ遊びが離れた地域に広く分布していることに興味を抱いたことが、収集を手がけるきっかけだった。 1972年から埼玉県秩父市浦山の過疎部落(嶽)に移り住み、自給自足で暮らしながら著作を執筆した。 嶽での生活を28年あまり続けたのち秩父市街地に移住、晩年は長く入院生活を送り、2017年に死去した。 斎藤の収集した民俗資料については「今では採録することができない貴重なものも少なくありません」「採集された民俗は現在では消滅の危機にあり、それを書き残した調査カードは民俗学的に貴重な資料である」といった評価がなされている。
阿部 孝義(あべ こうぎ、1936年 - )は、日本の政治家… 阿部 孝義(あべ こうぎ、1936年 - )は、日本の政治家。山形県大石田町教育委員会教育長、同町長(3期)を歴任。 大石田町出身。1959年。駒澤大学文学部歴史学科卒業。町職員となる。教育委員会教育長の時、文化財の保護に努める登録文化財制度を大石田町が東北北海道で初めて、全国では京都府と京都市、横浜市に次いで4番目に採用することに尽力。助役を歴任した。 2002年12月に町長に初当選。 2006年12月に再選(2期目)。2006および2007年、山形県市町村職員研修協議会副会長。かおり風景100選「大石田町そばの里」推進協議会会長などを歴任。 2010年12月に再選(3期目)。 2011年9月25日、受託収賄の疑いで逮捕された。
佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)… 佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)10月26日 - )は、日本の農家、農業問題評論家、著作家、詩人。 無着成恭の『山びこ学校』の卒業生。上山市の青年学級主事、教育委員、農業協同組合理事などを務める。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山元村立山元中学校在学時に無着成恭の教えをうけ、1951年、文集『山びこ学校』に生活記録がのる。 山形県立上山農業高等学校定時制在学中に農民詩を発表。1955年、同校を卒業してからは家業の農業のかたわら、著作活動を続けている。 木村迪夫に影響を与え、詩の道へ進ませるきっかけを作った。
木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、… 木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、日本の農民詩人、文筆家。エッセイスト。ジャーナリスト。 詩誌「山形詩人」代表。農民文学会、現代詩人会会員。 山形県上山市牧野生まれ。本名・廸男。5人兄弟の長男として生まれ、父を小学校4年の時、戦争によって失った。 山形県立上山農業高等学校(後の山形県立上山明新館高等学校)定時制課程卒業。山びこ学校出身の佐藤藤三郎は同級生。高校時代から詩を書き始め、文化祭で登壇した農民詩人の真壁仁による宮沢賢治をテーマにした講演に感銘を受け、卒業式の日、真壁を訪ねて「詩を書き続ける」と誓った。1957年には真壁が創刊した同人誌『地下水』に参加する。 卒業と同時にサクランボの自営農に従事。
中村 明(なかむら あきら、1935年9月9日 - )は、日… 中村 明(なかむら あきら、1935年9月9日 - )は、日本の日本語学者。早稲田大学名誉教授。 山形県鶴岡市生まれ。現在は東京都小金井市在住。山形県立鶴岡南高等学校(入学時は山形県立鶴岡高等学校)卒業、1959年早稲田大学国文科卒、1964年同大学院修士課程修了。国際基督教大学、成蹊大学教授、国立国語研究所員を経て、早稲田大学日本語研究センター教授を務め、2006年定年、名誉教授、山梨英和大学教授。
3代目 橘ノ 圓(たちばなの まどか、1935年8月27日 … 3代目 橘ノ 圓(たちばなの まどか、1935年8月27日 - 2014年5月29日)は、山形県南陽市出身の落語家。落語芸術協会理事。本名∶布施 重雄。 南陽市立梨郷中学校を卒業。ガラス工場などの社会人を経験した後、1954年9月、4代目三遊亭圓馬に入門。三遊亭冨太馬で初高座を踏む。1958年3月に二ツ目に昇進し三遊亭扇馬と改名。[要出典] 1969年4月、3代目桂圓枝、2代目春風亭梅橋とともに真打昇進し、3代目橘ノ圓を襲名した。 2014年5月29日午前2時40分 肺炎のため埼玉県三郷市内の病院で死去(満78歳没)。戒名は「天真院和樂圓證信士」。墓所は東京都葛飾区の南蔵院 [要出典]。 没後、同じ落語芸術協会に所属する桂夏丸が『橘ノ圓物語』という新作を演じている。
皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 200… 皆川 睦雄(みながわ むつお、1935年7月3日 - 2005年2月6日)は、山形県南置賜郡山上村大字関根(現・米沢市)出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・解説者・評論家。 現役当時は同期入団の野村克也と共に南海ホークス黄金期の主力選手であり、同じくアンダースロー投手の杉浦忠と共に南海黄金時代のエースとして活躍した。通算成績は759試合登板、221勝139敗、防御率2.42。通算221勝はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)の球団記録であり、1983年に山田久志に更新されるまでアンダースロー投手としてのNPB記録でもあった。なお、南海の大エースとして名高い杉浦(通算187勝)よりも通算勝利数は上回っており、200勝がラインとなる日本プロ野球名球会にも入会している。
渋谷 重光(しぶや しげみつ、1935年6月7日 - 199… 渋谷 重光(しぶや しげみつ、1935年6月7日 - 1992年4月16日)は、日本の社会学者、社会心理学者、広告学者。 1935年山形県山形市生まれ。1954年山形県立山形東高等学校卒業。1958年中央大学法学部法律学科卒業。1961年中央大学大学院法学研究科公法専攻修士課程修了。日本産業構造研究所研究員、神奈川大学教授。
岸 洋子(きし ようこ、1935年〈昭和10年〉5月23日 … 岸 洋子(きし ようこ、1935年〈昭和10年〉5月23日 - 1992年〈平成4年〉12月11日)は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。所属レコード会社はキングレコード。本名は小山 洋子(こやま ようこ)。山形県酒田市出身。 姉に連れられて行った宝塚歌劇団の声楽教授を務めた加藤千恵(酒田市名誉市民)が開設したボーカルスタジオで音楽と出会う。俳優成田三樹夫は中学・高校の同級生。 東京藝術大学に進学し、在学中に二期会研究生となり、オペラ歌手を目指していたが、心臓神経症のため断念する。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動して、1959年(昭和34年)、NHKのオーディションに合格。シャンソン歌手の道に進んだ。
成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月3… 成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月31日 - 1990年〈平成2年〉4月9日)は、日本の俳優。愛称はミッキー。山形県酒田市出身。 戦後日本映画史において、悪役の系列に確実に名を残した俳優であった。 父親は司法省の職員で、秋田、旭川、仙台の刑務所長を歴任した。実家は日用品を扱う雑貨店を営み、母親が切り盛りしていた。四男一女の三男として生まれ、兄弟たちは地元で評判のエリートとして知られた。 父親に手ほどきされた剣道は三段、スポーツは水泳、野球など何でもこなす万能選手だったが、野球の試合中に右眼に打球を受けて網膜剥離になり、失明寸前となって、以降も右眼はほとんど見えなかった。山形県立酒田東高等学校に進学後から演劇に興味を持ち始め、地元の演劇コンクールに参加し、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を脚色して優秀賞を受賞した。
須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 20… 須藤 美也子(すとう みやこ、1935年1月28日 - 2018年8月11日)は、日本の政治家。日本共産党参議院議員(1期)。同党山形県委員会委員長。 山形県鶴岡市出身。山形県立鶴岡南高等学校卒業後、電電公社職員となる。 1975年の第11回統一地方選挙で山形県議会議員となり、1980年第36回衆議院議員総選挙および1983年第37回衆議院議員総選挙で旧山形2区から立候補したが落選。1989年第15回参議院議員通常選挙からは参議院比例区へ鞍替えするも落選。1995年第17回参議院議員通常選挙では比例区で初当選し、1期務めた。この間、党では中央委員、農・漁民局長を歴任している。2000年から2004年まで党山形県委員会委員長。
西山 俊彦(にしやま としひこ、1935年 - )は、日本の… 西山 俊彦(にしやま としひこ、1935年 - )は、日本のカトリック司祭。 酒田市に生まれる。上智大学を中退し、ローマに留学する。1961年に司祭として叙階される。ウルバノ大学(イタリア語版、英語版)哲学修士、セントルイス大学Ph.D、京都大学教育学博士。英知大学で教鞭をとる。 1932年からの上智大生靖国神社参拝拒否事件を受けて、1936年に出された聖省訓令、「祖国に対する信者のつとめ」の取り消しを求めている。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。
森 万紀子(もり まきこ、1934年12月19日 - 199… 森 万紀子(もり まきこ、1934年12月19日 - 1992年11月17日)は、日本の小説家。本名・松浦栄子。 山形県酒田市にて、開業医の家庭に生まれる。山形県立酒田東高等学校での同級生に岸洋子がいた。 1953年に同校を卒業してからスーパーマーケットなどに勤務。神戸や東京で英語学校に通い、社外校正に従事しつつ書いた「単独者」で1965年に文學界新人賞佳作となり、同作で芥川賞候補となる。同年「距離」、1969年「密約」、1971年「黄色い娼婦」と4回候補になりながらも受賞は叶わなかったが、「内向の世代」における女性作家の代表と見なされる。1980年長篇『雪女』で泉鏡花文学賞受賞。 幻想的な作風で知られるが厭人癖が激しく、埼玉県三郷市のみさと団地に独居中、孤独死しているのを発見された。
井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈〈読み同じ〉、… 井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈〈読み同じ〉、1934年〈昭和9年〉11月16日 - 2010年〈平成22年〉4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家。文化功労者、日本芸術院会員。 1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)。遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。 日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を設立、運営した(後述)。 先妻は西舘代志子。後妻のユリは元衆議院議員米原昶の娘。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は株式会社こまつ座社長の井上麻矢。 11934年11月16日、井上靖と競った文学青年の井上修吉を父とし、井上マスを母として山形県東置賜郡小松町中小松(現・川西町)に生まれる。
宗片 邦義(むなかた くによし、1934年(昭和9年)11月… 宗片 邦義(むなかた くによし、1934年(昭和9年)11月12日 - )は、日本の学者、静岡大学名誉教授、モンゴル国際経済商科大学名誉教授、華中科技大学・広東南大専修学院名誉教授、国際融合文化学会会長。山形県鶴岡市出身。旧名・上田邦義。離婚により宗片姓にもどる。
武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] … 武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] - 2021年8月4日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。文学博士。東方学会評議員・東洋文庫研究員・朝鮮学会幹事・史学会会員。専門は朝鮮史、東アジア交渉史。山形県上山市出身。 専攻は朝鮮史(おもに朝鮮古代、高句麗史、古代日朝関係史)。末松保和の研究を継承。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集。その分析から1970年代に李進熙らの提唱した広開土王碑についての仮説(好太王碑改竄説)や解釈がすべて成り立たないことを論証した学者である。また中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘し、古田武彦らの九州王朝説を批判した。
相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月2… 相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月22日- )は、日本の劇作家、放送作家。放送作家名は山形三吉。 山形県東村山郡山辺町出身。山形県立山形南高等学校卒、早稲田大学第一文学部中退。 劇団中央芸術劇場を経て1959年、東京芸術座結成に参加。1969年に同劇団退団。以後フリーの劇作家、放送作家として活動した後、1976年に出身地の山形県に帰郷。創刊した総合芸術誌月刊『場』が廃刊となったのを機に、マスコミの集中独占の排除を訴える運動を始める。山形県下の山形新聞・山形放送(YBC)によるマスコミ独占状況に批判的な立場から、「マスコミの集中排除運動」の機関誌としての月刊『V』を創刊。 相澤が発行人をつとめた『うぃずY』は、1987年に「NTT全国タウン誌フェスティバル」(現在終了)で大賞を受賞した。
佐藤篤士(さとう とくじ、1934年3月20日-2006年5… 佐藤篤士(さとう とくじ、1934年3月20日-2006年5月31日)は、日本の法学者。 山形県鶴岡市出身。1952年、山形県立鶴岡南高等学校卒、1958年、早稲田大学第一法学部卒、1961年、同大学大学院法学研究科修士課程修了。同年、早稲田大学法学部助手、1964年、同専任講師、1966年、同助教授、1971年、同教授。1977年、法学博士。1980年法制史学会理事。2000年早稲田大学大学史資料センター所長。2004年、定年、名誉教授。専門は古代ローマ法。 恩師は、中村吉三郎 (法学者)。門下生に西村隆誉志(愛媛大学名誉教授)、原田俊彦(早稲田大学教授)、熊丸光男(帝京大学教授)、足立清人(北星学園大学教授)、藤野奈津子(千葉商科大学教授)らがいる。
山口 英世(やまぐち ひでよ、1934年3月3日 - )は、… 山口 英世(やまぐち ひでよ、1934年3月3日 - )は、日本の真菌学者、帝京大学名誉教授。 山形県東村山郡山辺町出身。1958年東京大学医学部医学科を卒業後、1963年同大学院生物系研究科第三基礎医学専門課程博士課程を修了し、医学博士の学位を取得。 1964年東京大学応用微生物研究所助手、1966年東京大学医学部講師、助教授を経て、1982年帝京大学医学部教授となり、帝京大学医真菌研究センター長を兼務、1999年帝京大学医真菌研究センター教授、2004年退職、名誉教授となる。 2014年、瑞宝中綬章を受章。
高橋 幸翁(たかはし さちお、正確には髙橋 幸翁、1934年… 高橋 幸翁(たかはし さちお、正確には髙橋 幸翁、1934年(昭和9年)2月26日 - 2015年(平成27年)3月30日)は、日本の政治家。山形県米沢市長(5期)。2004年旭日中綬章受章。 1934年(昭和9年)、米沢市内の元細工町(当時)の高橋宮蔵・マサの長男として誕生する。 1959年(昭和34年)、米沢市議会議員に当選する。以来3期連続当選し、1971年(昭和46年)まで議員を務める。次いで1975年(昭和50年)に山形県議会議員に当選(米沢市選挙区)、1979年(昭和54年)まで議員を務める。1983年(昭和58年)の米沢市長選挙に出馬し、現職候補を僅差で破って初当選し、第28代米沢市長に就任する。
ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2… ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2月25日 - 2019年〈平成31年〉4月8日)は、日本のコメディアン、タレント・俳優。本名:門脇 貞男(かどわき さだお)。主なギャグに、インターンからUターンして、セニュール、グラッチェ、よし子、などがある。 白衣姿で黒板やホワイトボードを用いる医事漫談の創始者だった。『笑点』など、テレビのお笑い/寄席番組でも人気を博した。俳優としても活躍した。シングル、アルバムもリリースしている。 山形県最上郡最上町出身。母方は先祖代々医師の家系であり、母・シヅエは生涯現役で診察を務めた産婦人科医であり、ケーシーの姉も医師、父は海外出張の多い商社マンで、レコードの収集家だった。
阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月2… 阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月20日 - 2009年6月12日)は日本の詩人。 山形県鶴岡市生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業。若いころは政治運動に身を投じた。代表的な詩集として、獄舎につながれた肉体的・精神的苦痛から幻影をみる詩集『眼の伝説』、『不覇者』(1982年第15回小熊秀雄賞受賞作)、故郷庄内地方の即身仏信仰をテーマとした『月の山』、難病に陥った中で病者の意識を追う迫力に満ちた作品『ベーゲェット氏』などがある。『べーゲェット氏』は1989年高見順賞を受賞した。 新日本文学会の日本文学学校の講師も務め、教え子に伊藤比呂美がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
東海林 周太郎(しょうじ しゅうたろう、1933年11月12… 東海林 周太郎(しょうじ しゅうたろう、1933年11月12日 - 2017年7月15日)は、山形県山形市出身のバスケットボール選手・指導者である。 山形東高校から立教大学に進み、全日本チームの一員としてメルボルン五輪に出場。 卒業後は日本鉱業に入社し、ローマ五輪に出場した。 引退後はコーチに転じ、1966年には全日本の監督を務めた。 1995年にバスケットボール日本リーグ機構が発足されると、専務理事に就任した。 2017年7月15日、心筋梗塞のため神奈川県藤沢市の病院で死去。83歳没。晩年は同県茅ヶ崎市に在住しており、葬儀も茅ヶ崎市内の葬祭場でしめやかに営まれた。
新田 嘉一(にった かいち、1933年〈昭和8年〉10月6日… 新田 嘉一(にった かいち、1933年〈昭和8年〉10月6日 - )は、日本の実業家、馬主。平田牧場会長、東北公益文科大学理事長、自由民主党酒田支部最高顧問、平田町名誉町民(現:酒田市名誉市民)。 山形県飽海郡平田町楢橋(現:酒田市)において16代にわたり続く地主に生まれる。 父である嘉助は名士で通るも、農業より政治に現を抜かすことが多かったという。 山形県立藤島農業高校を卒業後、大学進学を希望するも父から「農家に学は必要ない」と断言され、進学を断念。 戦後の高度経済成長において、和食中心から洋食へ食文化が変遷し、庄内地方においては離農し都会に出る人々が増えつつある現状を鑑みた新田は、田畑を処分した上で就労の途につく方が暮らしも楽になるのではないかと父に進言するも聞き入れられなかった。
佐藤 幸次郎(さとう こうじろう、1933年(昭和8年)8月… 佐藤 幸次郎(さとう こうじろう、1933年(昭和8年)8月16日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト。元山形市長(第15代)。元山形新聞社論説委員。 山形県山形市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、山形新聞社に入社。金澤忠雄市政下で市政担当記者を務め仙台支社長時代、金澤との知遇を得て目をかけられた。論説委員を経て、金澤は助役として市に迎え入れる意向であったが、保守系会派の反対により、ワンクッションを置き水道事業管理者、収入役を歴任後、1991年(平成3年)、助役に選任される。 1994年(平成6年)11月には、7期28年の金澤路線の継承を旗印に、山形市長選に出馬。吉村和夫との一騎討ちを制し初当選する。
山口健治(やまぐち けんじ、1933年7月19日 - )は、… 山口健治(やまぐち けんじ、1933年7月19日 - )は、日本の大蔵官僚。国際復興開発銀行や国際金融公社日本政府代表理事などを務めた。 山形県上山市出身。東京大学経済学部在学中に国家公務員上級試験を合格。東大経済学部を卒業し、1956年 大蔵省入省(主計局法規課)。予算法規から始まり、大臣官房調査企画課調査主任などを経て、1962年4月 主税局調査課。同年6月1日 同局同課の廃止に伴い、同局総務課総務係長となる。物価調整減税の企画立案に当たった。1963年7月1日 石狩税務署長。 1964年7月 国税庁直税部法人税課長補佐。その後は自治省行政課長補佐、総理府人事局参事官などに就く。 1979年7月10日 理財局国有財産総括課長。
五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2… 五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2013年12月14日)は、日本の地理学者。山岳・氷河地形研究者であり、山岳鳥瞰図作家として知られる。 山形県山形市出身。東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業。大学時代には、九州南端の開聞岳から北海道の利尻山まで日本各地の山々に登り、日本アルプスにおける氷河地形の発達について強い関心を抱く。大学卒業後には魚沼水無川シン沢単独遡行。建設省地理調査所(のちの国土地理院)を37歳で退職するまで、空中写真撮影、写真判読、基本図測量、修正測量、地形図製作などに従事し、積雪調査の開発研究にあたる。1962年には、それまで知られていなかった槍・穂高山域で最低位の堆石堤群を発見し、その後、日本の氷河地形の再検討を続ける。
服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )… 服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )は日本の作曲家、随筆家、音楽評論家。神奈川県鎌倉市在住。 昭和8年(1933年)、山形県山形市生まれ。音楽教師であった祖母の指導で幼少時よりピアノを始める。 山形県立山形東高等学校卒業後、学習院大学文学部哲学科に入学し、久野収ゼミに所属。大学では皇太子・明仁親王と同学年。学部が違ったためいわゆる「ご学友」ではなかったが、「美術史」など一般教養科目をともに履修し、親しく言葉を交わすこともあったという。現在も宮中の茶会などに招かれる間柄である。学生時代からアマチュアの音楽家として活動し、中田喜直・山田耕筰・團伊玖磨らの知遇を得る。同大学4年の時NHKのオーディションに合格。
ばば こういち(1933年(昭和8年)3月28日 - 201… ばば こういち(1933年(昭和8年)3月28日 - 2010年(平成22年)4月9日)は、日本のジャーナリスト。本名・馬場 康一。 1977年(昭和52年)、中山千夏らと革新自由連合を結成し、参議院選に出馬するが落選した。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めた。 モデルガンが趣味で、『コンバットマガジン』などの専門誌に記事を寄稿した。 結婚歴は3回。長女は一般女性。次女はジャーナリストの堤未果、その夫は川田龍平。長男はアニメーション作家の堤大介。
細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - 20… 細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - 2024年9月16日)は、日本の写真家。勲等は旭日重光章。清里フォトアートミュージアム館長(初代)、東京工芸大学名誉教授、鎌鼬美術館名誉館長、文化功労者。本名は細江 敏廣(ほそえ としひろ)。 東京写真専門学校講師、東京写真大学短期大学部教授、社団法人日本写真家協会副会長、東京工芸大学芸術学部教授などを歴任した。 息子の細江賢治も写真家。 山形県米沢市に生れ、東京で育つ。 1951年に富士フイルム主催の「富士フォトコンテスト」学生の部で最高賞を受賞する。翌年、19歳で東京写真短期大学(現 東京工芸大学)に入学。評論家の福島辰夫は、土門拳らのリアリズム派にない彼の人間味に注目。
村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年(昭和8年)1月1日… 村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年(昭和8年)1月1日 - 2025年(令和7年)6月25日)は、山形県村山市出身の男性オーケストラ指揮者。江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたり、弟は映画監督の村川透。娘はヴァイオリニストの村川千尋。 山形県立山形南高等学校、東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業後、同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎に師事、同大学作曲科卒業。 1963年にアメリカ合衆国へ渡航し、インディアナ大学大学院で理論科助手として勤める。かたわら指揮を専攻。マスター・オブ・ミュージックを授けられる。さらにニューヨークにてレオポルド・ストコフスキーのもとで研鑽を積む。 1966年に帰国。