富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 - 20… 富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 - 2016年2月20日)は、日本の労働運動家、政治家。元日本労働組合総評議会(総評)事務局長、日本社会党衆議院議員(2期)。 福島県伊達郡国見町出身。1943年、国有鉄道に就職。1955年3月、明治大学政治経済学部(二部)卒。 1966年に国労東京地方本部委員長、1973年に国労本部書記長となる。 1975年の統一ストライキ(スト権スト)においては、公労協代表幹事として取り組んだ。 1976年7月から1983年7月まで7年間総評事務局長を務めた。 1983年12月の衆議院議員総選挙に旧神奈川5区より日本社会党公認で立候補し当選。1986年の総選挙は落選したが、1990年に返り咲く。
豊田 年郎(とよだ としろう、1929年2月11日 - 20… 豊田 年郎(とよだ としろう、1929年2月11日 - 2012年9月26日)はラジオ福島代表取締役社長。福島県喜多方市出身。趣味、特技はゴルフ、書画骨董収集。 1952年に早稲田大学教育学部を卒業と同時に電通に入社。1976年に同社東京本社の第5局長、1983年に常務取締役、1989年に専務取締役、1993年に代表取締役副社長、1995年に常勤顧問に退きラジオ福島の代表取締役顧問、1997年に同社代表取締役社長。 2012年9月26日に脳幹梗塞で死去(享年83歳)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐藤 六朗(さとう ろくろう、1929年 - 2025年1月… 佐藤 六朗(さとう ろくろう、1929年 - 2025年1月5日)は、福島県郡山市出身の日本の漫画家。本名は佐藤 六郎。 福島県立安積高等学校を卒業し上京、1950年、芝浦工業専門学校(現、芝浦工業大学)卒業。 薬品会社に就職するが会社が倒産。郡山市にもどり実家のうなぎ屋の手伝いをしながら、福島民友、福島民報のマンガ欄や『アサヒグラフ』の漫画学校などに投稿する。 1955年10月に再び上京。加藤芳郎の世話で「漫画集団」に参加する。1959年、文藝春秋社の『漫画読本』に掲載した「動物記」で文藝春秋漫画賞の候補となる。同年、『漫画サンデー』にて「ゆるふん太平記」を連載する。以後、雑誌、新聞の連載漫画や挿絵や一コマ漫画で多数活躍する。
佐藤 慶(さとう けい、1928年〈昭和3年〉12月21日 … 佐藤 慶(さとう けい、1928年〈昭和3年〉12月21日 - 2010年〈平成22年〉5月2日)は、日本の俳優、ナレーター。福島県会津若松市生まれ。本名:佐藤 慶之助(さとう けいのすけ)。 佐藤家は先祖代々会津藩士で、戊辰戦争に敗れて以降は漆器材料の卸商を営んでいた。また、二・二六事件に参加し刑死した渋川善助の妻絹子は叔母。 福島県立会津工業学校(現・福島県立会津工業高等学校)染織科卒業後、会津若松市役所戸籍係に勤務するかたわら、地元で結成した新劇愛好会で演劇に打ち込んでいたが、会の発表会の日に無断欠勤をして役所を免職されたという「根っからの新劇人」。 その後1951年に上京し、俳優の小沢栄太郎の芝居を見て、「ふてぶてしいまでに人間の暗い面を表現している」と憧れた。
会田 長栄(會田 長榮、あいた ちょうえい、1928年8月5… 会田 長栄(會田 長榮、あいた ちょうえい、1928年8月5日 - 2016年2月2日)は、日本の政治家、参議院議員。 福島県出身。旧制石川中卒。福島県労協議長、福島県教組委員長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙に日本社会党から福島県選挙区に立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選し、政界から引退する。 2003年4月の春の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章した。 2016年2月2日、肺炎のため、死去した。87歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
金田 幸三(かねだ こうぞう、1928年(昭和3年)6月10… 金田 幸三(かねだ こうぞう、1928年(昭和3年)6月10日 - 2017年(平成29年)6月15日)は、日本の実業家。位階は従四位。 元ニチレイ社長・会長。後に、学校法人和洋学園理事長。現在の福島県白河市出身。
佐藤 徳雄(さとう とくお、1928年6月8日 - 2005… 佐藤 徳雄(さとう とくお、1928年6月8日 - 2005年7月31日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(3期)。 福島県郡山市出身。郡山商卒。小学校教諭、福島県教組委員長、県労連議長を経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙で旧福島1区から日本社会党公認で立候補して初当選。3期務めた。1993年に引退した。 1998年、勲三等旭日中綬章受章。 2005年7月31日、死去。77歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016… 石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016年6月22日)は、日本の合唱指揮者・合唱指導者・合唱曲の作曲家。合唱王国福島を築く。[要出典]福島県合唱連盟名誉理事長。福島県いわき市生まれ。
鈴木 光男(すずき みつお、1928年1月1日 - 2022… 鈴木 光男(すずき みつお、1928年1月1日 - 2022年11月2日)は、日本の経済学者。専門はゲーム理論、日本の第一人者として中村健二郎ら有数の研究者を育てるとともに、『ゲーム理論入門』などの著書を残した。学位は、経済学博士(東北大学)。東京工業大学名誉教授。東京工業大学教授(工学部社会工学科、理学部情報科学科)、東京理科大学教授(工学部経営工学科、経営学部)を歴任。学徒勤労動員の著書でも知られる。瑞宝中綬章受章者(2013年)。 福島県石川郡石川町出身。3人の兄がいたが長兄と三兄は鈴木光男が生まれる前に夭逝し、次兄も鈴木が5歳の時亡くなっている。1943年4月、石川町立尋常小学校に入学する。
高橋 理喜男(たかはし りきお、1928年 - )は、造園学… 高橋 理喜男(たかはし りきお、1928年 - )は、造園学者。大阪府立大学名誉教授。日本大学教授を歴任。造園学のうち、公園史と都市林を研究。大阪自然環境保全協会会長、和歌山県自然環境保全審議会委員、都市緑化基金評議員会会長などを歴任。 農学博士。福島県三春町出身。
保住 昭一(ほずみ しょういち、1928年 - 2005年)… 保住 昭一(ほずみ しょういち、1928年 - 2005年)は、日本の法学者・弁護士。商法学者。明治大学名誉教授。福島県二本松市出身。 1953年司法試験合格。1954年明治大学法学部卒業。司法修習生。 1956年明治大学法学部助手。1958年明治大学法学部講師。1961年明治大学法学部助教授。1966年明治大学法学部教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。1971年西ドイツ・ハンブルク大学に留学。1976年明治大学法学部法律学科長。1984年明治大学法学部長。1999年明治大学定年退職。同名誉教授。 この他、明治大学評議員(1976年、1980年-1984年、1988年-1992年)、藤沢市情報公開審査会(1986年-1998年)も務めた。
小山田 宗徳(おやまだ むねのり、1927年〈昭和2年〉12… 小山田 宗徳(おやまだ むねのり、1927年〈昭和2年〉12月14日 - 1986年〈昭和61年〉5月13日)は、日本の俳優、声優である。福島県石川郡石川町出身で、東京府立第六中学校を経て東京高等学校 (旧制)を1948年に卒業した。 1951年に俳優座養成所へ三期生として入所し、1954年に卒業した。同期に穂積隆信、渡辺美佐子らがいた。1960年に小沢昭一らと7人で「劇団俳優小劇場」を旗揚げ、小劇場活動で先駆的役割を務めた。1961年に、水谷八重子に招かれて「女の勲章」で新派の舞台に立った。 舞台公演の傍ら1950年代後半からテレビドラマにも活躍の場を広げ、「今日を生きる」「白い南風」などのいわゆる『よろめきドラマ』に出演すると、誠実で落ち着いた雰囲気と風貌が主婦層に高く人気を得た。
金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は… 金沢 規雄(かなざわ のりお、1927年9月15日 - )は、日本の国文学者、宮城教育大学名誉教授。 福島市生まれ。本籍・仙台市。海軍兵学校在学。1950年東北大学文学部国文科卒業。同大学院博士課程中退、宮城県第二女子高等学校教諭、宮城県仙台第一高等学校教諭、東北大学講師、宮城教育大学助教授、教授、図書館長をへて92年定年退官、名誉教授、山形女子短期大学教授。近世俳諧、特に『奥の細道』が専門。
高松 和男(たかまつ かずお、1927年3月12日 - )は… 高松 和男(たかまつ かずお、1927年3月12日 - )は、日本の経営学者。 福島経済専門学校(1947年卒業、現・福島大学)を経て、1950年に東北大学経済学部(旧制)を卒業した。卒業後は、福島大学で講師を務めた後東北大学に移り、助教授を経て、教授に就任した。1962年「現代会計の原理 : 制度論的会計理論の展開」で東北大学から経済学博士の学位を取得した。1971年に初代創価大学学長となる。1984年に日本経営分析学会(現・日本経済会計学会)の初代会長に就任した。
吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4… 吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4日 - 2013年(平成25年)7月2日)は、日本の政治家。福島市長(4期) 。位階は正五位。 福島県福島市出身。早稲田大学商学部卒業後、福島市商工会議所に入り、書記を務める。その後、1956年(昭和31年)福島市役所に入る。市役所内では商工課勤務を経て、企画商工部、財政部、総務部の各部長を歴任し、1976年(昭和51年)に退職。1985年(昭和60年)の福島市長選挙に立候補して当選、4期務めた。2001年に引退。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
岡野 裕(おかの ゆたか、1927年〈昭和2年〉2月3日 -… 岡野 裕(おかの ゆたか、1927年〈昭和2年〉2月3日 - 2004年〈平成16年〉8月23日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、労働大臣(第63代)。 福島県福島市出身。静岡県立沼津中学校 (旧制)、山形高等学校 (旧制)を経て1953年京都大学法学部卒業後、郵政省入省。九州郵政局長、人事局長などを歴任。退官後の1983年参院選に比例区から自民党公認で出馬し初当選。連続当選3回。1996年11月から翌年の9月まで第2次橋本内閣の労働大臣を務めた。2000年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。2001年政界引退。 2004年8月23日午後11時40分、心不全のため東京都内の病院で死去。
渡部 敬太郎(わたなべ けいたろう、1927年〈昭和2年〉1… 渡部 敬太郎(わたなべ けいたろう、1927年〈昭和2年〉1月15日 - 1997年〈平成9年〉11月26日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官である。陸軍予科士官学校卒業(第60期)。第18代陸上幕僚長、第15代統合幕僚会議議長。息子渡部直己は文芸評論家で、元・早稲田大学文学学術院教授。陸海空自衛隊を通じ初の昭和生まれの幕僚長。 福島県相馬中学から仙台陸軍幼年学校を経て陸軍予科士官学校を卒業、陸軍士官学校本科(第60期)に入校直後に終戦を迎える。1950年(昭和25年)、警察予備隊に2等警査(2等陸士)として入隊する。その後は在ソビエト日本大使館付防衛駐在官、第2普通科連隊長、陸幕人事部長、第10師団長と、陸上自衛隊の成長とともに歩んでいった。
高羽 哲夫(たかは てつお、1926年8月31日 - 199… 高羽 哲夫(たかは てつお、1926年8月31日 - 1995年10月31日)は、日本のカメラマン。「男はつらいよ」48作の撮影に携わったことで知られる。 福島県河沼郡湯川村出身。福島県立会津中学校(旧制、現・会津高等学校)、米沢高専(現・山形大学工学部)卒業。 1948年、松竹に入社。1965年、「霧の旗」で第9回三浦賞を受賞。 映画カメラマンとして主に山田洋次監督とコンビを組み、特に「男はつらいよ」48作の撮影に携わったことで知られる。1992年、紫綬褒章受章。 1995年に肝臓癌で死去。69歳没。
古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8… 古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8日 - 2015年(平成27年)10月14日)は、日本の思想史学者・古代史研究家。専門は親鸞等の中世思想史だが、むしろ古代史研究において著名である。
岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8… 岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年〈大正15年〉8月3日 - 2025年〈令和7年〉7月25日)は、日本の工学者。工学博士(東北大学・1959年)(学位論文「磁気録音に関する研究」)。東北大学名誉教授。東北工業大学名誉理事長。元電子情報通信学会副会長。文化勲章受章者。福島県福島市生まれ、同県郡山市出身。 専門は電気工学・磁気記録。記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。 1977年頃に、磁気記録の記録密度を飛躍的に上げる手法として垂直磁気記録方式を提唱した。同方式は基礎研究は進められたものの、いくつかの困難があり、物性的にそれに適した磁気テープなどは割と早くに実現したが、広く市販される商品となったものは光磁気ディスク等といった別方式との併用を除けば、主力機器では東芝による2005年のハードディスク商品化が初であった。
大原 光憲(おおはら みつのり、1926年5月1日 - 19… 大原 光憲(おおはら みつのり、1926年5月1日 - 1992年7月23日)は、日本の政治学者。中央大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1948年水戸高等学校 (旧制)卒業。1953年中央大学法学部卒業、1955年同大学院法学研究科政治学専攻修士課程。1956年明治大学大学院政治経済研究科政治学専攻博士課程中退。1956年中央大学法学部助手。1960年同法学部助教授。1967年同法学部教授。中央大学では「政治学原論」「政治過程論」「地域政治」の講義を担当していた。1982年中央大学学生部長。1983年中央大学にて法学博士受く。1991年東京都知事選挙に日本社会党推薦で出馬。横山桂次、篠原一、吉武輝子らの推薦を受けたが落選。
高木 博(たかぎ ひろし、1926年(大正15年)4月22日… 高木 博(たかぎ ひろし、1926年(大正15年)4月22日 - 1996年(平成8年)6月29日)は、日本の政治家。福島県須賀川市長(4期)。 福島県郡山市出身。旧制安積中学(現・福島県立安積高等学校)を経て、陸軍士官学校に入る。1945年(昭和20年)終戦により同校が閉鎖されたため中退となる。戦後、福島県庁に入り、農政課長、土木部次長、福島県立医科大学事務長などを歴任する。1981年(昭和56年)須賀川市助役に就任。1984年(昭和59年)須賀川市長に当選。4期務める。1996年(平成8年)4月に無投票で4回目の当選を果たしたが、5月に体調を崩して入院。6月29日に須賀川市内の病院で肝不全で死去した。
金子 善一郎(かねこ ぜんいちろう、1926年〈大正15年〉… 金子 善一郎(かねこ ぜんいちろう、1926年〈大正15年〉3月28日 - 1999年〈平成11年〉12月22日)は、日本の経営者。サカタのタネ社長を務めた。福島県白河市出身。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 1951年に東北大学農学部農学科を卒業し、同年に坂田種苗(現在のサカタのタネ)に入社。 1966年に取締役に就任し、1974年7月に専務を経て、1979年7月には社長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1999年12月22日肺炎のために在任中に死去。73歳没。死没日付をもって従五位に叙され、勲四等旭日小綬章を追贈された。
内海 久二(うちうみ きゅうじ、1926年2月1日 - 20… 内海 久二(うちうみ きゅうじ、1926年2月1日 - 2007年6月19日)は、歌謡曲を主体にした日本の歌謡詩人。竹久夢二の研究家。本名は内海久次。 ふるさとに生き、根付いて確かな人生を送る人びとに共感し、それぞれの郷里を応援する村おこし町おこしの歌謡詩を生涯にわたって作詩した。福島県郡山市の、音楽を中心とする青年文化活動の興隆を通じた街づくりに仲間とともに努力し、暴力団との対決を経て音楽都市・郡山の発展に貢献した。一方で、幼児の折に邂逅した竹久夢二との思い出を終生の奇貨として、夢二とそのゆかりの女性の足跡をたどって旅を重ね、その生涯を詩作に謡った。 1930年夏、父栄次郎が郡山駅前で旅館業を営んでいた時に、白い洋服を着て蝶ネクタイをした男性が駅に降り立ち、折から遊んでいた誰とも知れないオカッパ頭の内海を撫でてくれた。
植田 英一(うえた えいいち、1925年<大正14年>11月… 植田 英一(うえた えいいち、1925年<大正14年>11月8日 - 2019年<平成31年>2月11日) は、日本の政治家。自由民主党所属。福島県議会議員 (4期)、福島県議会議長 (64代)、全国都道府県議会議長会長、郡山市議会議員を歴任。 岩瀬農学校 (現・福島県立岩瀬農業高等学校) 卒業。1963年に田村町 (現・郡山市) 議会議員選挙に初当選し、田村町は1965年に郡山市と合併し、以降郡山市議含め5期務めた。その後、福島県議会議員に転身し4期務める。2001年3月から2003年5月まで櫛田一男副議長とともに64代福島県議会議長。2002年7月から2003年4月まで全国都道府県議会議長会長。
志賀 一夫(しが かずお、1925年7月28日 - 2015… 志賀 一夫(しが かずお、1925年7月28日 - 2015年4月10日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 福島県田村郡滝根町(現・田村市)出身。東京商科大(現・一橋大学)中退。滝根町議を経て、1967年に福島県議に当選、5期務めた。1986年の総選挙で旧福島2区から立候補したが落選した。1988年の参院福島補選でも落選。1990年の総選挙で初当選。1993年の総選挙で落選した。2007年に旭日小綬章を受章。 2015年4月10日、心筋梗塞のため死去。89歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
宮崎 十三八(みやざき とみはち、1925年(大正14年)7… 宮崎 十三八(みやざき とみはち、1925年(大正14年)7月8日 - 1996年(平成8年)5月11日)は、日本の郷土史家。福島県会津若松市生まれ。旧制新潟高等学校文科卒業。会津若松市商工観光部長。会津史学会会長、顧問。会津史談会相談役。 1993(平成5)年に出された「教育委員会表彰推せん調書」によれば次の通り。 福島県若松市融通寺町(現在の本町)に生れ、市立第四(城西)小学校・県立会津中学校を経て、旧制官立新潟高等学校文科卒業。県立安積高校教員の後、昭和二十六年若松市役所に奉職。三十三年間勤務。商工観光課長のとき、天守閣再建担当。社会教育課長、文化福祉センター初代所長、商工観光部長。五十九年三月定年退職。
滝沢 幸助(たきざわ こうすけ、1925年(大正14年)5月… 滝沢 幸助(たきざわ こうすけ、1925年(大正14年)5月24日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。 現在の福島県大沼郡金山町出身。1945年(昭和20年)横田青年学校を卒業。福島県立川口高等学校中退後、地元で農業を営む傍ら、民社党に入党し政治活動に携わる。党内では福島県連委員長や本部統制委員長などの要職を歴任した。また、金山町教育委員会委員長、福島県議会議員(4期)なども務めた。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙から1993年(平成5年)の第40回総選挙まで、7回連続で旧福島2区から民社党の公認を得て出馬。うち1983年(昭和58年)の第37回総選挙と1986年(昭和61年)の第38回総選挙で当選、衆議院議員を2期6年務めた。
手代木 渉 (てしろぎ わたる; 1925年(大正14… 手代木 渉 (てしろぎ わたる; 1925年(大正14年)5月6日 – 2007年(平成19年)3月7日) は、主に昭和時代の第二次世界大戦後に活躍した発生生物学者で、弘前大学理学部(現、理工学部)教授、学生部長、学部長、学長を歴任した。プラナリア(ウズムシ)の研究で理学博士(東北大学1962年)、後に斯学の国際学会(Turbellarian Biology 1990)を主催した。 1925年(大正14年)5月6日]、福島県耶麻郡豊川村沢部(現、喜多方市豊川町沢部長尾)に生まれる。父の名は藤一(とういち)母の名はマツヨ、四男だった。生家はかつて世襲の肝煎(きもいり)の家系。会津盆地北西部に位置する稲作を主とする農村で自然が豊かな地元の村立豊川小学校(現、喜多方市立豊川小学校)に通学した。
時津山 仁一(ときつやま じんいち、1925年4月13日 -… 時津山 仁一(ときつやま じんいち、1925年4月13日 - 1968年11月21日)は、福島県石城郡(現:福島県いわき市、出生地は東京府荏原郡(現:東京都品川区))出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は藁谷 純一(わらがい じゅんいち)。最高位は東関脇。 1925年4月13日、東京府荏原郡(現:東京都品川区)で生まれる。子供の時に両親が離婚、父親とは死別したために孤児として育ち、親戚に引き取られて全国を転々とした。岩手県花巻で床屋を営む家に嫁いだ叔母に引き取られた際は床屋職人として厳しく指導されたが、当時は小学生で遊びたい時期だったことから逃げ出しては強引に連れ戻され、性格が内気で暗くなっていった。
小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日… 小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日 - )は、日本のフランス文学者。 福島県福島市生まれ。1956年東京教育大学卒、58年同大学院修士課程修了、1966年同助教授、1977年筑波大学助教授、大妻女子大学短期大学部教授。
屋形 稔(やかた みのる、1925年2月21日 - 2015… 屋形 稔(やかた みのる、1925年2月21日 - 2015年11月24日)は、日本の医学者、医師。新潟大学名誉教授。専門は、検査診断学。
渡部 行雄(わたなべ ゆきお、1925年(大正14年)1月2… 渡部 行雄(わたなべ ゆきお、1925年(大正14年)1月27日 - 1997年(平成9年)9月16日)は、昭和から平成初期の司法書士、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 福島県若松市(現会津若松市)出身。福島県立会津中学校(旧制)を卒業後、942年(昭和17年)東京物理学校を中退。司法書士、福島県議会議員(4期)、全日本農民組合連合会中央常任委員、同福島県連合会会長、福島県日中友好協会顧問、同県労農会議顧問、日本司法書士会連合会顧問などを務めた。 1972年(昭和47年)第33回衆議院議員総選挙で旧福島2区から日本社会党公認で立候補したが落選。1976年(昭和51年)第34回総選挙で初当選。
宍戸 善次郎(ししど ぜんじろう、1925年1月10日 - … 宍戸 善次郎(ししど ぜんじろう、1925年1月10日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手。 旧制福島中学、全福島日東紡、法政大学を経て1950年に創設された近鉄パールスへ入団。同年9月17日に大阪球場で初めて開催されたプロ野球公式戦(対阪急戦)で球場第1号となるホームランを打っている。 1951年は開幕戦(対南海戦)に9番ショートで先発出場した。同年に退団し、日石カルテックスでプレー。その後は日本石油仙台支店で総務部長を務めていた。 現役時代はメガネがトレードマークの選手だった。
阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明… 阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手(投手、左投左打)・解説者。 小学校出のプロ野球選手。福島県熱海小学校から社会人野球の全福島日東紡へ入団。在籍時に阪急ブレーブスなど複数球団のスカウトマンだった宇高勲にスカウトされ、1949年に阪急ブレーブスへ入団。 1949年は2勝に終わる。同年オフのセ・パ両リーグ分立に伴って、セ・リーグの新球団である西日本パイレーツの選手集めのため、宇高が阪急の選手の大量引き抜きを行う。ここで、個人的に仲が良かったセ・リーグの鈴木龍二から「(引き抜きに)用心しろ」と忠告を受けた阪急監督の浜崎真二は1日中阿部に付いて離れなかったため、阿部は引き抜きを受けず阪急に留まった。
佐藤金兵衛(さとうきんべえ、1925年1月5日 - 1999… 佐藤金兵衛(さとうきんべえ、1925年1月5日 - 1999年1月21日)は日本の武術家。福島県いわき市出身。開業医(産婦人科)を営む傍ら、日本武道および中国武術各派を修め、日本兵法大和道を創始する。昭和の日本に中国武術の内家拳の普及に努めた武道家。武号は柔心斎。 幼少から祖父より大和流柔術(ただし、二代目柔心斎を襲名した佐藤の息女は大和流弓術としている)の指導を受ける。中学卒業後に満州へ渡り、国立医科大学の医学生となったが終戦後帰国。帰国後、東北大学医学部に進み、この頃より影山流剣術、柔術各派(八光流柔術、合気道、武田流合気之術、大東流合気柔術(山本角義の系統)、天神真楊流柔術、荒木新流柔術、一天柳心冑介流柔術、柳生心眼流兵術(東北伝)、浅山一伝流体術(上野貴の系統)、神道天心流拳法、卜伝流柔術、高木楊心流柔術・九鬼神流棒術、義鑑流骨法術)、神道自然流空手術 等を学ぶ。
松川 道哉(まつかわ みちや 1924年12月22日 - 2… 松川 道哉(まつかわ みちや 1924年12月22日 - 2000年11月16日)は、福島県出身の元大蔵官僚。元財務官。
飯野 陽一郎(いいの よういちろう、1924年(大正13年)… 飯野 陽一郎(いいの よういちろう、1924年(大正13年)12月8日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、昭和から平成時代の政治家。福島県喜多方市長。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 喜多方市出身。福島県立喜多方中学校卒業。 福島県議会議員を経て、1986年(昭和61年)喜多方市長に当選した。3期務め、1998年(平成10年)引退した。1999年春の叙勲で勲三等瑞宝章を受章。2013年死去。死没日付をもって従四位に叙された。
上崎 美恵子(こうざき みえこ、1924年11月15日 - … 上崎 美恵子(こうざき みえこ、1924年11月15日 - 1997年9月2日)は、日本の児童文学作家。福島県二本松市出身。本名・美枝子。 1924年11月15日、福島県二本松市に生まれる。6歳の時に一家で上京。青山学院高等女子部(現・青山学院中等部・高等部)を1940年に卒業し、青山学院女子専門部(現・青山学院女子短期大学)に進学(のち1年次修了後に休学、中退)。東京大空襲のため故郷の二本松に疎開。戦後まもなく結核に罹り、国立中野療養所に6年間入所。その間に児童文学を読み耽り、自身も1972年から自作童話を書き始める。1976年「魔法のベンチ」「ちゃぷちゃっぷんの話」で第6回赤い鳥文学賞受賞。
春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みの… 春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みのる)、1924年〈大正13年〉10月9日 - 1991年〈平成3年〉10月22日)は、福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。代表曲は「赤いランプの終列車」「お富さん」「別れの一本杉」。 父・鬼佐久は農業を母・キヨに任せて蕎麦打ちの行商をやり、キヨは小学校で週2、3度裁縫を教え、夜は賃仕事の仕立物に精出して家計を助けていた。父は尺八を、母は三味線を嗜んでいた。父は蕎麦打ちの名人で、母は当地の花嫁衣装を一手に引き受けるほどの和裁の名手でもあった。春日には妹二人のほかに「ほとんど記憶にない」異母兄姉6人、異父兄姉が4人いた。 1930年に八幡村立八幡尋常小学校へ入学するが、この時期は「歌のうの字も知らない」状態で、人からうまいといってほめてもらった記憶もなかった。
三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 201… 三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 2013年12月30日)は、日本の英文学者。 東京文理科大学卒、慶應義塾大学経済学部助教授、教授、1985年創価大学教授、2000年退任。英語教科書を多く書いたほか翻訳も行った。妻は三浦富美子。2013年(平成25年)12月30日午後3時29分、スキルス性胃がんのため鎌倉市内の病院で死去。最晩年に至るまで健康であったが、平成25年の11月になって体調不良を訴えて鎌倉市内の病院に入院し、そのまま亡くなった。無宗教を信条としたため戒名などはなく、鎌倉霊園にある墓には「三浦新市」とだけ記されている。
佐藤 安太(さとう やすた、1924年3月20日 - 201… 佐藤 安太(さとう やすた、1924年3月20日 - 2019年2月26日)は、日本の実業家。勲等は勲四等。学位は博士(工学)(山形大学・2010年)。山形大学工学部客員教授、福島工業高等専門学校客員教授、財団法人日本玩具文化財団名誉理事長、特定非営利活動法人ライフマネジメントセンター理事長。おもちゃの王様との異名を持つ。 有限会社佐藤ビニール工業所社長(初代)、株式会社宝ビニール工業所社長(初代)、株式会社タカラビニール工業所社長(初代)、株式会社タカラ社長(初・第3代)などを歴任した。 佐藤ビニール工業所を創業し、のちにタカラに改組し、一代で日本屈指の玩具メーカーにまで成長させた。タカラの社長として「ダッコちゃん」、「リカちゃん人形」、「人生ゲーム」、「チョロQ」、「トランスフォーマー」などのヒット商品を次々と開発したことから、「おもちゃの王様」と呼ばれた。
戸田 菊雄(とだ きくお、1924年3月6日 - 2013年… 戸田 菊雄(とだ きくお、1924年3月6日 - 2013年7月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。参議院議員(2期)。 福島県いわき市出身。1944年仙台鉄道教習所普通部卒業。国労仙台地本委員長、宮城県労評議長を経て、1962年の参院選で宮城地方区から日本社会党公認で立候補したが、落選。1965年の参議院宮城補欠選挙に社会党公認で立候補したが、落選。同年の参院選で社会党公認で立候補して初当選。2期務めた。1977年の参院選では自民党公認の大石武一に敗れて落選。1979年の総選挙で宮城1区から社会党公認で立候補したが、落選(同じ選挙区から立候補した西宮弘も落選)。次の1980年の総選挙で初当選し、衆議院議員を4期務める。
鈴木敏子(すずき としこ、1924年 - )は、元多磨全生園… 鈴木敏子(すずき としこ、1924年 - )は、元多磨全生園教師。 福島県生れ。1940年県立福島高等女学校卒。1942年県立福島女子師範学校二部卒。1960年-1976年国立療養所多磨全生園、全生園分教室小学校勤務。日本文学協会会員として、各部会に出席、機関誌「日本文学」に論文等を発表。1972年宮原昭夫の小説「誰かが触った」が鈴木の協力を仰いでなったことに対して「朝日新聞」が盗作を匂わせるキャンペーンを張った。
五十嵐 平達(いがらし へいたつ、男性、1924年 - 20… 五十嵐 平達(いがらし へいたつ、男性、1924年 - 2000年12月17日)は、日本の自動車デザイナー。後に自動車評論家に転身する。産業考古学の立場から自動車の歴史を論ずるという独自の視点を持っていた。 1924年、会津若松市に生まれ、旧制都立工業高校で機械工学を学んだ。1940年、16歳で運転免許を取得し、卒業後ヂーゼル工業(後のいすゞ自動車)に入社、軍用トラックなどの設計を担当する。その後、乗用車のボディ設計を学ぶために、オオタ自動車工業創立者の子息太田祐一が経営したコーチビルダーのワイドフィールド・モータースに移籍する。 その傍ら、1949年頃より自動車の写真撮影に取り組み、専門雑誌に寄稿するなど、自動車評論家の草分けとしても活動を開始する。
大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - 201… 大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - 2010年8月20日)は日本の建築家、都市計画家。福島県三春町出身。 福島県三春町に生まれる。祖父が三春藩士で河野広中をリーダーに自由民権運動の激しい戦いに身を投じ、苦難の境涯に屈することはなかったが、運動はもはやこれまでと自ら命を絶ったとされ、大高の父は、これを隠して弾圧を逃れる生活を送り、大高の生後間もなく福島市近郊に移った。 1940年旧制福島県立福島中学校(現福島県立福島高等学校)卒業。在学中器械体操部のマネージャーと美術部部長をつとめる。このころや少年時代のもっとも楽しかった想い出は、風景を水彩で写生したことだという。 41年旧制浦和高等学校理科入学。
内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )… 内藤 則邦(ないとう のりくに、1923年8月20日 - )は、日本の社会政策学者。立教大学名誉教授。 福島県田村郡三春町生まれ。実家の家業は味噌醤油の醸造業。1941年福島県立田村中学校卒業。1943年立教大学経済学部予科入学。在学中に学徒出陣で海軍に入隊するが、病気のため半年ほどで除隊。1945年立教大学経済学部本科入学。立教でも教鞭を執っていた東京大学教授の大河内一男と出会い、東大の大河内ゼミに参加。1947年に大河内に代わって隅谷三喜男が立教で社会政策を担当するようになり、隅谷ゼミに参加し、引き続き東大の大河内ゼミにも参加。1948年立教大学経済学部卒業、同研究科入学。籍は立教にあったが、実際は東大で大河内・隅谷の指導を受けた。
菅野 弘夫(かんの ひろお、1923年7月16日 - 200… 菅野 弘夫(かんの ひろお、1923年7月16日 - 2009年11月23日)は、日本の元官僚。 1923年7月16日、福島県福島市出身。東京大学法学部政治学科卒業後に臨時人事委員会事務局(現在の人事院)に入職。総理府内閣総理大臣官房参事官、佐賀県厚生部長、環境庁長官官房秘書課長、総理府恩給局次長、恩給局長、人事局長などを務める。 1979年11月、第二次大平正芳内閣で総理府総務副長官(事務担当)に就き、鈴木善幸内閣に政権交代した後の1981年1月まで務めた。 総理府総務副長官退任後は国立公文書館館長を務め、1989年の平成改元に伴い、徳仁親王が皇太子となった時に宮内庁に入り、同年5月1日付で東宮大夫に就任。
橋元 四郎平(はしもと しろうへい、1923年4月13日 -… 橋元 四郎平(はしもと しろうへい、1923年4月13日 - 2009年8月1日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。福島県田村郡三春町出身。 旧制田村中学、第二高等学校卒業後、戦時中に学徒動員で軍隊に行き、敗戦時は陸軍少尉。東京大学卒業後に故郷の福島県に戻り家業の薬品を手伝っていたが、上京して司法試験を受験し合格。司法修習を終え、1954年に弁護士登録。日弁連事務総長を務めた。 1990年1月に最高裁判事に就任。在任中、1990年衆院選の一票の格差訴訟や横田、厚木両騒音公害訴訟の判決などにかかわった。 1993年4月に定年退官。1995年春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。 1998年宮中歌会始召人。
三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005… 三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005年2月23日)は、日本の詩人。福島民報社に勤務の傍ら、生涯詩人としての生き方を貫き通し、郷里福島の地から、第1詩集『蝶の記憶』から第9詩集『河口まで』を発表した。 地方と呼ばれる都会から離れた地域に生きる人々に限りなく温かい眼差しを注ぐ。アジアの中央から日本まで国境を越えて続くそば畑で、その生育とともに人生を紡ぐ人々、山深い田舎で便りを待ちわびる人々に郵便を配達する 郵便配達夫、 生涯をかけ樹齢千年の紅枝垂桜の子孫を訪ね歩いて、 420本の子孫桜を捜し出した農夫など、名もなく人知れず、日々の生活に命を賭ける無数の人々が支える日常生活に確かな世界を見出す。