長谷川 嘉一(はせがわ かいち、1952年〈昭和27年〉11… 長谷川 嘉一(はせがわ かいち、1952年〈昭和27年〉11月6日 ‐ )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(2期)、群馬県議会議員(3期)、太田市議会議員(1期)、立憲民主党群馬県連会長などを務めた。 群馬県太田市由良町生まれ。1971年3月、群馬県立太田高等学校卒業。1978年3月、日本歯科大学新潟歯学部卒業。 1983年5月、太田市に歯科医院を開設。 1991年4月、太田市議会議員選挙で初当選、1期務める。 1995年5月14日、太田市長選が告示され、立候補を届け出た。5月21日の投開票の結果、新人の清水聖義が当選し、長谷川は候補者3名中最下位で落選。 1999年4月、群馬県議会議員選挙に太田市選挙区から無所属で立候補し初当選。
内川 修治(うちかわ しゅうじ、1952年(昭和27年)5月… 内川 修治(うちかわ しゅうじ、1952年(昭和27年)5月16日 - )は、日本の政治家。佐賀県神埼市長(1期)、千代田町長(1期)、佐賀県議会議員(3期)を務めた。 佐賀県千代田町出身。佐賀県立佐賀西高等学校、中央大学商学部卒業。民間企業勤務を経て大坪健一郎衆議院議員・原口一博衆議院議員の秘書を計約10年間務める。 2002年4月の千代田町長選挙で初当選し、1期務める。3町村合併による2006年4月の神埼市市長選挙にも立候補するが、旧神埼町長だった松本茂幸に僅差で敗れ、落選。 その後2007年4月の佐賀県議会議員選挙に民主党公認で立候補・当選し、県議を3期務める。民主党では県連幹事長も務めたが、2014年3月に離党届を提出し、同年6月15日に受理された。
鬼頭 春二(きとう はるじ、1952年4月11日 - )は、… 鬼頭 春二(きとう はるじ、1952年4月11日 - )は、日本の政治家。元群馬県みなかみ町長(1期)。 群馬県みなかみ町出身。1971年(昭和46年)3月、群馬県立沼田高等学校卒業。同年4月、月夜野町役場に入庁。2010年(平成22年)5月、町役場を退職し、副町長に就任。 2017年(平成29年)10月15日に行われたみなかみ町長選挙で現職の岸良昌が元町議の前田善成に敗れ、それに伴い鬼頭も10月で副町長を退任した。退職後は農業に従事した。 2018年(平成30年)9月18日、みなかみ町長の前田善成が2度目の不信任決議を受けて失職。10月23日告示、10月28日執行の町長選挙に立候補し、無投票で初当選した。
髙木 勉(たかぎ つとむ、1952年(昭和27年)2月6日 … 髙木 勉(たかぎ つとむ、1952年(昭和27年)2月6日 - )は、日本の政治家。群馬県渋川市長(2期)、群馬県副知事を務めた。 氏名の正確な表記は「高」がはしご高であり、渋川市の公式ホームページでもこの表記が採用されている。 群馬県北群馬郡長尾村(現・渋川市横堀)生まれ。子持村立長尾小学校、子持村立長尾中学校、群馬県立渋川高等学校卒業。1974年(昭和49年)3月、専修大学法学部卒業。同年4月、群馬県庁に入庁。群馬県立心臓血管センター事務局長や群馬県総務部長などを務めた。 2005年(平成17年)、群馬県副知事に就任。 2009年(平成21年)7月28日、渋川市長の木暮治一が在職中に死去。それに伴って同年9月13日に行われた市長選挙に立候補するも落選。
亀山 豊文(かめやま とよふみ、1950年〈昭和25年〉10… 亀山 豊文(かめやま とよふみ、1950年〈昭和25年〉10月18日 - )は、日本の政治家。元群馬県桐生市長(3期)、群馬県議会議員。 栃木県足利郡菱村(1959年の越境編入により現在は群馬県桐生市)出身。祖父・孝之は菱村長・桐生市議会議員を務め、父・憲明も桐生市議会議員・群馬県議会議員を務めた。 1969年に群馬県立桐生高等学校を卒業し、1973年専修大学法学部卒業。家業の繊維会社に勤める。 1983年桐生青年会議所理事長、1987年日本青年会議所関東地区群馬ブロック副会長。父の引退に伴い1995年の群馬県議会議員選挙に桐生市選挙区から無所属で出馬し初当選。以後3期務める。県議時代は自由民主党に所属した。
須永 徹(すなが とおる、1950年〈昭和25年〉2月14日… 須永 徹(すなが とおる、1950年〈昭和25年〉2月14日 - 1991年〈平成3年〉11月23日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 群馬県太田市出身。足利大学附属高等学校を卒業。1971年群馬大学工業短期大学部卒。富士重工に入り、その後衆議院議員小川省吾の秘書を務めた。太田中小企業労務協会理事長、自治労群馬県本部特別執行委員、日本社会党太田総支部書記長、同党群馬県副委員長を経て、1990年の総選挙で旧群馬2区から立候補して初当選。その前の第38回衆議院議員総選挙では落選している。 しかし在職中の1991年11月23日、群馬県桐生市内の知人の結婚披露宴に出席し祝辞を述べた直後に倒れ、近くの大間々町の恵愛堂病院に搬送されたが、30分後に死亡した。
田島 雄一(たじま ゆういち、1949年〈昭和24年〉1月1… 田島 雄一(たじま ゆういち、1949年〈昭和24年〉1月13日 - 2014年〈平成26年〉3月19日)は日本の政治家。群馬県議(8期)、第68・69代群馬県議会副議長、第72代群馬県議会議長を歴任した。 1949年1月13日、佐波郡采女村(現伊勢崎市)に生まれる。1967年、群馬県立前橋高等学校卒業。1972年、芝浦工業大学工学部工業化学科を卒業し、大洋工業に入社した。1975年、大洋工業社長となる。同年4月13日、群馬県議会議員選挙に佐波郡選挙区から立候補して初当選を果たした。1986年6月、衆議院選挙に立候補するため県議を辞職した。同年7月6日、旧群馬1区から無所属で第38回衆議院議員総選挙に立候補したが次点で落選した。
中澤 敬(なかざわ たかし、1949年 - )は、日本の実業… 中澤 敬(なかざわ たかし、1949年 - )は、日本の実業家、政治家。株式会社中沢ヴィレッジ代表取締役会長、一般社団法人草津温泉観光協会会長、一般社団法人日本温泉協会理事、元群馬県吾妻郡草津町長。 1949年、群馬県吾妻郡草津町生まれ。1972年、立教大学社会学部観光学科(現・観光学部)卒業。 大学卒業後、スイスへ渡り、スイスホテル協会設立のローザンヌホテルスクールで学んだ後、ジュネーブでホテル業務に携わる。 1978年に帰国し、草津温泉を代表する大規模リゾートホテル・株式会社中沢ヴィレッジの専務取締役に就任。 1998年、草津温泉旅館協同組合理事長に就任。 2002年~2010年、群馬県吾妻郡草津町長(二期8年間)に就任。
中沢 丈一(なかざわ じょういち、1948年〈昭和23年〉1… 中沢 丈一(なかざわ じょういち、1948年〈昭和23年〉10月20日 - )は日本の政治家。群馬県議会議員(8期)、第81代群馬県議会議長、群馬県議会副議長、前橋市議(2期)を務めた。 1948年10月20日、群馬県勢多郡上川淵村(現前橋市)大字上佐鳥に生まれる。1961年、前橋市立上川淵小学校卒業。1964年、前橋市立第七中学校卒業。1967年、群馬県立勢多農林高等学校卒業。1971年、東京農業大学農学部農業経済学科を卒業し、群馬県経済農業協同組合連合会に勤務する。1977年、退職して農業に従事するようになる。 1985年、前橋市議会議員選挙に無所属で立候補して初当選を果たし、2期6年務めた。
羽生田 俊(はにゅうだ たかし、1948年〈昭和23年〉3月… 羽生田 俊(はにゅうだ たかし、1948年〈昭和23年〉3月28日 - )は、日本の政治家、眼科医。 参議院議員(2期)、厚生労働副大臣、参議院厚生労働委員長、日本医師会副会長、日本医師会総合政策研究機構所長、羽生田眼科医院院長などを歴任。資金管理団体は俊翔会。 父は眼科医で元衆議院議員の羽生田進。祖父は眼科医で元前橋市議会議長の羽生田俊次。 群馬県前橋市生まれ。1966年3月、群馬県立前橋高等学校卒業。1973年3月、東京医科大学医学部卒業。1973年、医師免許取得。 1973年6月、群馬大学医学部附属病院眼科学教室に入局。1985年12月、医学博士(群馬大学)となる。 1978年4月、羽生田眼科医院の院長に就任。
熊川 栄(くまがわ さかえ、1947年〈昭和22年〉12月1… 熊川 栄(くまがわ さかえ、1947年〈昭和22年〉12月15日 - )は、日本の政治家。群馬県嬬恋村長(5期)。「子育てするなら嬬恋村」を目標に、2016年(平成28年)度より学校や幼稚園の給食費・保育料を無料にした。 ※当日有権者数:8,631人 最終投票率:84.37%(前回比:pts) ※当日有権者数:8,072人 最終投票率:73.91%(前回比:-10.46pts) 2023年4月18日、無投票5選。
安楽岡 一雄(安樂岡 一雄、やすらおか かずお、1947年〈… 安楽岡 一雄(安樂岡 一雄、やすらおか かずお、1947年〈昭和22年〉5月10日 - 2017年〈平成29年〉2月12日)は、日本の政治家。位階は正五位。 館林市長(3期)。群馬県議会議員(3期)。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。群馬県立館林高等学校卒。1971年、法政大学経済学部経済学科卒業。坂村吉正衆議院議員、谷津義男衆議院議員らの秘書、有限会社安楽岡代表取締役を経て、1995年に館林選挙区から群馬県議会議員選挙に出馬し初当選。これ以降連続3期当選。この間、自由民主党群馬県議団長、自由民主党群馬県支部連合会総務会長などを歴任。 2007年、館林市長だった中島勝敬が病気のため市長を辞職したことに伴い、県議会議員を辞職して市長選に出馬。
横山 公一(よこやま こういち、1947年〈昭和22年〉4月… 横山 公一(よこやま こういち、1947年〈昭和22年〉4月2日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日双光章。元群馬県沼田市長(2期)。 群馬県沼田市中町の呉服商、横山昌弘の長男として生まれる。沼田市立沼田小学校、沼田市立沼田中学校、群馬県立沼田高等学校卒業。高校1年生の時に母を亡くし、3年生の時に父を亡くす。そのため大学進学を断念し、10代から家業の呉服店の経営にあたったという。 2010年(平成22年)、沼田商工会議所会頭に就任。 2014年(平成26年)4月27日に行われた沼田市長選挙に無所属で出馬。現職の星野已喜雄、元県議の金子浩隆ら3候補を破り初当選。5月10日、市長就任。選挙の結果は以下のとおり。
黒岩 信忠(くろいわ のぶただ、1947年 - )は、日本の… 黒岩 信忠(くろいわ のぶただ、1947年 - )は、日本の政治家。群馬県吾妻郡草津町長(4期)、草津町議会議員(7期)、草津町議会議長などを務めた。草津温泉の改革や草津白根山の噴火対応などで注目された。 1947年、群馬県吾妻郡草津町生まれ。 1963年、草津町立草津中学校卒業。卒業後は電気工を経て、燃料販売会社を起業。東京にビルを持つほどに成長させる。 1983年、草津町議会議員に当選。その後、町議会議員を7期務め、町議会議長も務める。 1995年、草津高原ゴルフ場を巡る工事費不正流用問題では百条委員会の委員長を務めた。 1997年、黒岩を誹謗する内容の質問書を町議会やマスコミに送付した建設業者らに対して提訴を行い、また2001年には自身を誹謗中傷するビラに関し、前草津町長の山本巌に対して提訴を行い、140万円の支払いが前町長に対して命じられた。
富岡 賢治(とみおか けんじ、1946年(昭和21年)8月2… 富岡 賢治(とみおか けんじ、1946年(昭和21年)8月20日 - )は、日本の政治家、文部官僚。群馬県高崎市長(3期)。国立教育研究所所長、日本国際教育協会理事長、群馬県立女子大学学長等を歴任した。 群馬県高崎市生まれ。群馬県立高崎高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1969年、大学を卒業し文部省(現文部科学省)に入省した(日本ユネスコ国内委員会事務局文化課)。1970年4月、日本ユネスコ国内委員会事務局総務課。1976年4月、初等中等教育局中学校教育課生徒指導係長。1978年4月、岐阜県教育委員会学校指導課長。1981年、外務省へ出向し、駐フランス日本大使館で一等書記官を務める。
大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月… 大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本の政治家。 群馬県知事(公選第17・18・19代)、群馬県議会議員(4期)、第80代群馬県議会議長、尾島町議会議員(2期)などを歴任した。 1946年1月21日、群馬県新田郡尾島町尾島(現在の太田市尾島町)で生まれる。父は尾島町長を務めた大澤明治。1964年、群馬県立太田高等学校卒業。1969年、慶應義塾大学工学部卒業。 1970年、海上自衛隊幹部候補生学校卒業(20期1分隊)。 1971年、大沢建設株式会社入社。1978年に株式会社三協を設立し代表取締役となる。1983年に尾島町議に当選、連続2期務め議長にもなった。
中曽根 弘文(なかそね ひろふみ、1945年(昭和20年)1… 中曽根 弘文(なかそね ひろふみ、1945年(昭和20年)11月28日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(6期)、自民党群馬県連会長。父は元内閣総理大臣の中曽根康弘。
中山 弘子(なかやま ひろこ、1945年(昭和20年)2月6… 中山 弘子(なかやま ひろこ、1945年(昭和20年)2月6日 - )は、日本の政治家。元東京都新宿区長(3期)。 日本統治下の台湾宜蘭県羅東鎮に生まれ、生後間もない1946年3月、父の故郷である群馬県沼田市に引き揚げる。群馬県立沼田女子高等学校、日本女子大学文学部社会福祉学科卒業。1967年、東京都庁に入庁。目黒区、中野区で7年間、区政に携わった。東京都人事委員会事務局長、東京都監査事務局長などを歴任。 2002年10月9日、相続税や所得税など約10億円の滞納が問題となっていた新宿区長の小野田隆が辞職。同月東京都庁を退職し、11月24日に行われた区長選挙に自由民主党・公明党・連合東京などの推薦を受けて立候補し初当選した(東京23区初の女性区長)。
桑原 功(くわばら いさお、1945年〈昭和20年〉2月4日… 桑原 功(くわばら いさお、1945年〈昭和20年〉2月4日 - 2023年〈令和5年〉7月10日)は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、群馬県議会議員(1期)、前橋市議会議員(4期)、民主党群馬県連会長などを務めた。 群馬県前橋市出身。1972年中央大学法学部通信教育課程卒業。前橋市職員労働組合職員を経て前橋市議会議員(4期)、群馬県議会議員(1期)を歴任。2009年の第45回衆議院議員総選挙に民主党から比例北関東ブロック単独34位で立候補し初当選。 2012年4月に同党の群馬県連会長に就任したが、同年10月に体調不良を理由に辞任。同年に行われる第46回衆議院議員総選挙にも立候補しないことを示唆していたが、同選挙区の支部長であった石関貴史の民主党除籍(後に日本維新の会へ入党)に伴い、群馬2区から立候補し、落選。
石井 直彦(いしい なおひこ、1943年〈昭和18年〉9月1… 石井 直彦(いしい なおひこ、1943年〈昭和18年〉9月16日 - 2026年〈令和8年〉3月1日)は、日本の政治家。勲等は旭日双光章。埼玉県行田市長(1期)、行田市議会議員(3期)を務めた。 群馬県藤岡市出身。野村證券に在籍中に明治大学商学部商学科に入学し卒業。島忠に転職し店舗開発を担当したが、経営方針で対立して30歳で退職。そろばん塾を開いた。 2003年(平成15年)、行田市議会議員選挙に立候補して初当選。市議1期目のときに明治大学大学院で学ぶ。2007年(平成19年)、行田市長選挙に立候補するも候補者4人中最下位で落選。この選挙で初当選したのは元市職員の工藤正司であった。 2011年(平成23年)、市議に返り咲く。
森田 武雄(もりた たけお、1942年〈昭和17年〉12月1… 森田 武雄(もりた たけお、1942年〈昭和17年〉12月17日 - )は、群馬県出身のフリースタイルのレスリング選手、元館林市議会議員である。階級は62kg級。 群馬県館林市羽附出身。赤羽中学校を経て群馬県立館林高等学校に入学。レスリング部に入部し3年時には関東大会優勝、国体で3位に入賞した。明治大学入学後は4年時に全日本学生選手権で優勝を果たす。 明治大学を卒業して館林高校教員になると、1965年の世界選手権フェザー級(60kg級)で3位となった。1966年の全日本選手権では2位だったが、1967年には優勝を飾った。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では62kg級に出場して高校の教員でありながら優勝を成し遂げた。
清水 聖義(しみず まさよし、1941年〈昭和16年〉12月… 清水 聖義(しみず まさよし、1941年〈昭和16年〉12月7日 - )は、日本の政治家。 群馬県太田市長(5期)、旧太田市長(3期)、群馬県議会議員(3期)、太田市議会議員(1期)などを務めた。 群馬県新田郡太田町(現・太田市)に、父孝一・母せんの長男として生まれる。1960年群馬県立太田高等学校を卒業し、1964年慶應義塾大学商学部卒業。同年シオノギ製薬に入社。学習塾の経営も行った。 1979年に太田市議会議員に初当選し1期務める。1983年群馬県議会議員選挙に太田市選挙区から無所属で立候補し当選。以降連続3期務める。同年自由民主党に入党、同党群馬県連副幹事長などを務める。 1993年に日本新党に党籍変更。
岩井 賢太郎(いわい けんたろう、1941年〈昭和16年〉1… 岩井 賢太郎(いわい けんたろう、1941年〈昭和16年〉11月6日 - )は、日本の政治家。群馬県富岡市長(通算2期)、群馬県議会議員(6期)。 群馬県北甘楽郡吉田村(現・富岡市)に生まれる。1961年(昭和36年)、群馬県立富岡高等学校卒業。岩井建設に入社し、常務取締役を勤める。 1983年(昭和58年)、群馬県議会議員選挙に富岡市選挙区から無所属で出馬し初当選。同年5月9日に自民党に入党した。以後6期連続当選。1987年(昭和62年)、群馬県監査委員に就任。1995年(平成7年)、自民党群馬県支部連合会政調会長に就任。1996年(平成8年)6月3日、群馬県議会副議長に就任。1997年(平成9年)6月3日に副議長を退任した。
大澤 善隆(おおさわ よしたか、1941年〈昭和16年〉10… 大澤 善隆(おおさわ よしたか、1941年〈昭和16年〉10月27日 - 2021年〈令和3年〉5月16日)は、日本の政治家。桐生市長(通算3期)、群馬県議会議員(3期)。 群馬県桐生市安楽土町に、父忠四郎・母やのの五男として生まれる。1959年(昭和34年)群馬県立桐生高等学校卒業、1965年(昭和40年)早稲田大学商学部卒業。衆議院議員・福田赳夫の秘書を務める。 1971年(昭和46年)群馬県議会議員に当選し3期在任。自由民主党群馬県連副幹事長を務めた。1983年(昭和58年)に県議を辞職して桐生市長選挙に無所属で立候補するも、46票差で落選。1987年(昭和62年)から1991年(平成3年)まで桐生市長を1期務め、1999年(平成11年)に返り咲く。
最上 進(もがみ すすむ、1941年〈昭和16年〉7月23日… 最上 進(もがみ すすむ、1941年〈昭和16年〉7月23日 - 2015年〈平成27年〉4月15日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、群馬県議会議員(2期)。群馬県高崎市出身。 1941年(昭和16年)、父・佐藤勇(運輸省官僚、月島倉庫株式会社副社長)と母・俊子の長男として誕生。出生地は朝鮮京城府栄町。 東京都立小山台高等学校卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科へ進学。1962年(昭和37年)、最上政三(立憲民政党所属代議士)、英子(実母・俊子の姉)夫妻の養子となった。1965年(昭和40年)に卒業。同大学院政治研究科修士課程へ進み、在学中より参議院議員の伯母・英子の第一秘書を務める。 1967年(昭和42年)群馬県議会議員選挙に立候補。
岡野 光利(おかの みつとし、1941年〈昭和16年〉1月1… 岡野 光利(おかの みつとし、1941年〈昭和16年〉1月18日 - )は、日本の政治家、元群馬県富岡市長(1期)。 群馬県出身。富岡市立吉田中学校、群馬県立富岡高等学校卒。卒業後は沖電気に入社する。1990年富岡市議会議員に初当選し、5期務める。2010年富岡市長選挙に立候補し、現職の岩井賢太郎を破って当選する。市長を1期務め、2014年に退任した。
鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 20… 鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 2016年5月7日)は、日本の政治家。元群馬県みなかみ町長(1期)、元新治村長(5期)。利根沼田地域の「水源地特区」を目指し、『みなかみ水源地構想』を提唱していた。 群馬県利根郡新治村に農家の長男として生まれ、兼業農家として生計を立て30歳で村議会議員に初当選、47歳で新治村長。「農村公園構想」を策定し、「道の駅たくみの里・遊神館・フルーツ公園・まんてん星の湯」を事業化して、都市と農村の交流インフラを整備した。また「でんでこ座・三国館」・民話と紙芝居の家を建設し、芸術と文化の香る村づくりを推進。平成の大合併に取り組み、利根西部合併協議会長として実現。
中村 紀雄(なかむら のりお、1940年〈昭和15年〉10月… 中村 紀雄(なかむら のりお、1940年〈昭和15年〉10月30日 - )は日本の政治家。群馬県議会議員(7期)、第75代群馬県議会副議長、第79代群馬県議会議長を歴任した。 1940年10月30日、群馬県前橋市曲輪町(現大手町2丁目)に生まれる。1955年、前橋市立元総社中学校卒業。その後は、実家の製菓業に従事する。1961年、群馬県立前橋高等学校定時制卒業。1969年、東京大学文学部西洋史学科卒業。卒業後、私塾修学館を設立した。 1987年に初めて群馬県議会議員選挙に立候補した際は270票及ばず落選。1988年7月10日、群馬県議会議員補欠選挙に前橋市選挙区から無所属で立候補して、初当選を果たした。
入沢 肇(入澤 肇、いりさわ はじむ、1940年〈昭和15年… 入沢 肇(入澤 肇、いりさわ はじむ、1940年〈昭和15年〉8月26日 - 2018年〈平成30年〉9月18日)は、日本の政治家、官僚。元帝京大学教授。農林水産省構造改善局長、林野庁長官、参議院議員を歴任。
加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和1… 加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和15年〉6月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、千葉市女性センター名誉館長、松下幸之助記念志財団評議員。 元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)でNHKを代表するアナウンサーの一人であった。 夫はNHKディレクターを経て中央大学教授を務めた加賀美鉄雄。 1940年(昭和15年)、群馬県北群馬郡渋川町(現・渋川市)で生まれる。母方の伯父は渋川市長を務めた石北正司。渋川北小学校入学後、東京の小学校へ転校。東京都立駒場高等学校を経て、1963年(昭和38年)に立教大学文学部英米文学科を卒業し、NHK入局。以来定年まで一貫して東京アナウンス室勤務だった。
林 紀子(はやし としこ、1940年〈昭和15年〉2月27日… 林 紀子(はやし としこ、1940年〈昭和15年〉2月27日 - 2022年〈令和4年〉1月25日)は、日本共産党所属の政治家、元アナウンサーである。参議院議員(2期)。群馬県前橋市出身。群馬大学学芸学部卒業。 1940年、職業軍人であった父の赴任先の中国東北部で生まれる。群馬大学卒業後の1962年、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)に入社。労働組合の婦人部副部長を務める。その後、退職。 1974年に広島へ移り住み、新日本婦人の会広島県本部事務局長を務めた。 1983年の第13回参議院議員通常選挙に比例代表で立候補するも落選。1986年の 第14回参議院議員通常選挙比例代表でも落選となった。
上野 公成(うえの こうせい、1939年〈昭和14年〉7月2… 上野 公成(うえの こうせい、1939年〈昭和14年〉7月23日 - )は、日本の建設官僚、政治家。都市再生研究所理事長。参議院議員(2期)、通商産業政務次官、内閣官房副長官(政務担当)などを歴任した。 群馬県高崎市出身。父は医師・上野大成。1958年に群馬県立高崎高等学校を卒業後、1966年に東京大学工学部都市工学科の第1期生として卒業[要出典]。同年、建設省に入省。 建設省では住宅関連の業務に携わることが多かった。群馬県土木部住宅課長、建設省住宅局住環境整備室長、大臣官房政策企画官、住宅生産課長、住宅建設課長などを歴任した。1991年、建設省を退官。 1992年、第16回参議院議員通常選挙において、群馬県選挙区から福田宏一後継の新人として立候補し当選した。
江原 栄昭(えばら ひであき、1939年 - )は、日本の政… 江原 栄昭(えばら ひであき、1939年 - )は、日本の政治家。新社会党本部中央執行委員。
伊藤 基隆(いとう もとたか、1938年〈昭和13年〉10月… 伊藤 基隆(いとう もとたか、1938年〈昭和13年〉10月25日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の政治家。参議院議員(比例区、2期)。会派は民主党・新緑風会。参議院民主党国対委員長を務めた。 群馬県北甘楽郡一ノ宮町(現・富岡市)に生まれる。群馬県立富岡高等学校卒業。 田邊誠の実質的な後継者である。全逓書記長在任時の1990年、郵政反マル生闘争における被処分組合員の扱いを巡って、郵政省(当時)との裏交渉で「職場復帰の道が開かれた」として、1991年に処分撤回を求めた裁判を取り下げたが、省は誰一人として被処分者を再雇用しなかった。そればかりか、再雇用されなかった被処分組合員全員を組合組織から追放という結末を演じている。
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月5日 - )は、日本の政治家。元群馬県安中市長(2期)、群馬県議会議員(3期)、安中市議会議員(5期)。 1938年、安中市野殿の名主の家柄に、7人兄弟の末子として生まれる。1956年に群馬県立高崎高等学校通信制を中退し、家業の農業に従事する。 1975年に安中市議会議員に初当選し、以後連続5期務める。市議として東邦亜鉛の安中公害問題に取り組む。この間市議会議長、県市議会議長会会長、関東市議会議長会副会長、全国市議会議長会理事や、安中市社会福祉協議会会長を務める。 1995年の群馬県議会議員選挙に安中市選挙区から出馬し初当選、3期務める。
中島 勝敬(なかじま まさよし、1938年〈昭和13年〉2月… 中島 勝敬(なかじま まさよし、1938年〈昭和13年〉2月4日 - 2023年〈令和5年〉9月24日)は、日本の政治家。群馬県館林市長(3期)、群馬県議会議員(3期)、館林市議会議員(5期)などを務めた。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡多々良村(現・館林市)に生まれる。群馬県立小泉農業高等学校(現・群馬県立大泉高等学校)卒業。青年団で活動し館林市青年団連合協議会会長、群馬県青年団連合会長、日本青年団協議会常任理事を歴任。坂村吉正衆議院議員の秘書を務める。 1966年に館林市議会議員に当選、以後5期連続で務め1978年には市議会議長にも就任。1987年に群馬県議会議員に当選し、3期県議会議員を務める(自由民主党)。
小渕 恵三(おぶち けいぞう、1937年〈昭和12年〉6月2… 小渕 恵三(おぶち けいぞう、1937年〈昭和12年〉6月25日 - 2000年〈平成12年〉5月14日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 衆議院議員(12期)、総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣官房長官(第49代)、外務大臣(第121代)、内閣総理大臣(第84代)、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁、自由民主党総裁(第18代)、自由民主党群馬県連会長などを歴任した。 総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官、自由民主党幹事長、外務大臣などを歴任。竹下登の側近として地歩を築き、敵を作らない性格から「人柄の小渕」の異名をとった。1998年に自由民主党総裁、内閣総理大臣に就任した。
角田 義一(つのだ ぎいち、1937年〈昭和12年〉6月9日… 角田 義一(つのだ ぎいち、1937年〈昭和12年〉6月9日 - 2024年〈令和6年〉2月23日)は、日本の政治家、弁護士。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 参議院議員(3期)、参議院副議長(第25代)、法務政務次官(村山内閣)、群馬県議会議員(3期)、民主党群馬県連会長、立憲民主党群馬県連最高顧問などを務めた。 群馬県勢多郡横野村(赤城村を経て現・渋川市)生まれ。弁護士・角田儀平治の長男。群馬県立前橋高等学校から京都大学法学部に進み、1962年卒業。同年司法試験合格。司法修習を経て1965年群馬弁護士会に登録し弁護士となる。 1971年、群馬県議会議員選挙に日本社会党公認で立候補し初当選。県議会では「県情報公開条例」の制定や「県央処理場設置問題」の調停などに取り組む。
永井 英慈(ながい えいじ、1937年(昭和12年)6月2日… 永井 英慈(ながい えいじ、1937年(昭和12年)6月2日 - 2021年(令和3年)3月5日)は、日本の政治家。位階は従四位。 元衆議院議員(3期)。群馬県勢多郡赤城村(現・渋川市)出身。 永井は川崎市北部を主な営業地域とするスーパーマーケットチェーン、永井商店(現・ナガイ)の経営者一族の一員で、地域住民への知名度は以前から高かった。
斉藤 直身(さいとう なおみ、1936年?月??日 - 20… 斉藤 直身(さいとう なおみ、1936年?月??日 - 2023年3月3日)は、日本の政治家。群馬県大泉町長(1期)。 群馬県立太田高等学校を卒業後,東京歯科大学卒業。群馬県歯科医師会副会長を務めた。 2009年(平成21年)4月12日に行われた大泉町長選挙に立候補し、現職の長谷川洋を破り初当選を果たした。同年5月5日、町長就任。
狩野 勝(かのう まさる、1935年〈昭和10年〉4月26日… 狩野 勝(かのう まさる、1935年〈昭和10年〉4月26日 - )は、日本の政治家。自由民主党に所属し、衆議院議員(2期)、千葉県議会議員(5期)、同議長を務めた。 群馬県勢多郡敷島村(赤城村を経て現・渋川市)に生まれる。曾祖父は敷島村長、父は赤城村会議員を務めた。先祖は源心寺の狩野新右衛門浄天であるという。群馬県立渋川高等学校を経て、1959年(昭和34年)中央大学法学部政治学科を卒業。 1959年(昭和34年)自由国民連合結成に際し青年・学生部長として参加。のち財団法人国民協会本部に勤務。 1971年(昭和46年)の千葉県議会議員選挙では落選。1974年(昭和49年)の千葉県議会議員補選で初当選し、5期にわたって務めた。
谷津 義男(やつ よしお、1934年〈昭和9年〉7月23日 … 谷津 義男(やつ よしお、1934年〈昭和9年〉7月23日 - 2021年〈令和3年〉6月3日)は、日本の政治家。位階は従三位。旭日大綬章受章。 農林水産大臣(第31代)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(7期)、群馬県議会議員(3期)等を歴任。 群馬県邑楽郡多々良村(現・館林市)に、父鶴吉・母イソの長男として生まれる。1953年に群馬県立館林高等学校を卒業し、1957年法政大学法学部政治学科を卒業。親戚筋にあたる衆議院議員・福井盛太の秘書となった。埼玉ダイハツ販売勤務を経て1969年から衆議院議員・坂村吉正の秘書となる。1975年に群馬県議会議員に初当選し、連続3期務めた。 1986年、引退する長谷川四郎の地盤を引き継ぎ、第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧群馬2区から立候補し初当選。
萩原 弥惣治(はぎわら やそうじ、1933年〈昭和8年〉9月… 萩原 弥惣治(はぎわら やそうじ、1933年〈昭和8年〉9月22日 - 2021年〈令和3年〉4月5日)は、日本の政治家。位階は従四位。 前橋市長(2期)、群馬県議会議員(5期)、第68代群馬県議会議長、前橋市議会議員(3期)などを務めた。 群馬県勢多郡荒砥村大字西大室(現・前橋市西大室町)の農家に生まれる。父・熊作は公選初代の荒砥村長を務めた。1952年群馬県立勢多農林高等学校卒業。その後上京し講道館などで柔道の稽古に没頭する。3年ほどで帰郷し青年団活動に取り組み、1959年に県青年団連合会会長、翌年に日本青年団協議会常任理事となった。 1969年、前橋市議会議員に初当選し以後連続3期務める。
戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 … 戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉6月14日)は、日本の政治家。群馬県太田市長(5期)、群馬県議会議員(1期)。 群馬県新田郡宝泉村(現・太田市下田島町)出身。群馬県立太田高等学校卒。卒業後は青年団活動に参加し、群馬県青年団連合会副会長などを務めた。1958年(昭和33年)日本社会党衆議院議員東海林稔の秘書となる。1964年(昭和39年)中央大学専攻科法学研修課程修了。1968年(昭和43年)群馬県労農会議事務局長。 1971年(昭和46年)小川省吾の後継者として群馬県議選に社会党から立候補し当選(1期)。1975年(昭和50年)太田市長に当選し、5期務める。
須藤 良太郎(すどう りょうたろう、1933年〈昭和8年〉1… 須藤 良太郎(すどう りょうたろう、1933年〈昭和8年〉1月1日 - )は、日本の農水官僚、政治家。元参議院議員(2期)。 群馬県安中市の農家の出身で、両親は教員を勤めていた。群馬県立高崎高等学校を経て、1955年(昭和30年)東京大学農学部農業工学科を卒業後、農林省に入省。新潟県農地部農地建設課長、農林省構造改善局建設部整備課長、同部設計課長、同部長を歴任し、構造改善局次長を歴任。農学博士号を取得した後、1987年(昭和62年)に農林省を退官。 1989年(平成元年)、第15回参議院議員通常選挙で自由民主党の後補として比例区から出馬し初当選。竹下派に属した。その後の竹下派分裂騒動では、小渕恵三側につき、小渕派に属した。
尾身 幸次(おみ こうじ、1932年〈昭和7年〉12月14日… 尾身 幸次(おみ こうじ、1932年〈昭和7年〉12月14日 - 2022年〈令和4年〉4月14日)は、日本の政治家、通商産業・科学技術官僚。位階勲等は正三位旭日大綬章。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第54代)、沖縄及び北方対策担当大臣(第2代)、科学技術政策担当大臣(第2代)、財務大臣(第6代)、自由民主党群馬県連会長などを歴任。 群馬県沼田市に8人兄弟の長男として生まれる。家が困窮していたため、少年期は父親の商売を手伝い、しばしば行商にも出た。群馬県立沼田高等学校在学中も家業に従事し、就職コースで簿記等を学んだ。高校2年から進学コースに変更し、1952年に一橋大学商学部入学。奨学金とアルバイトにより、1956年に同大学を卒業し、通商産業省に入省する。
菅野 義章(すがの よしあき、1932年6月6日 - 201… 菅野 義章(すがの よしあき、1932年6月6日 - 2016年8月24日)は日本の政治家、弁護士、税理士。前橋市議(1期)、群馬県議(5期)、第74代群馬県議会議長を歴任した。 1932年6月6日、前橋市萱町(現千代田町)に生まれる。1951年、群馬県立前橋高等学校卒業。1958年、京都大学法学部卒業。京都大学では猪木正道に教えを受けた。1965年、司法試験に合格する。1968年、群馬弁護士会に所属して、菅野義章法律事務所を開設した。 1969年、前橋市議会議員選挙に立候補して初当選した。1971年、群馬県議会議員選挙立候補のため、市議を辞職した。同年の群馬県議会議員選挙では落選。1975年4月13日、前橋市選挙区から立候補して初当選を果たし、2期務める。
西田 洽司(にしだ こうじ、1932年〈昭和7年〉2月23日… 西田 洽司(にしだ こうじ、1932年〈昭和7年〉2月23日 - 2019年〈令和元年〉12月31日)は、日本の政治家。元群馬県沼田市長(4期)。位階は正五位。 群馬県渋川市に生まれる。1935年に父の事業の関係により沼田に転居。1950年に群馬県立沼田高等学校を卒業。 1961年、西田建材代表取締役となる。1974年、株式会社に組織変更し、代表取締役となる。1984年、社名を西田に変更し、引き続き代表取締役となる。 1982年に周囲から沼田市長に推す声が挙がり、立候補するも惜敗。1986年の沼田市長選挙で初当選を果たす。沼田市長を4期務め、2002年に退任する。 沼田市長として1990年に森林文化都市宣言を行い、玉原高原の第三セクター方式による開発や全国植樹祭の開催を行った。
大林 喬任(おおばやし たかとう、1932年〈昭和7年〉2月… 大林 喬任(おおばやし たかとう、1932年〈昭和7年〉2月16日 - 2006年〈平成18年〉12月17日[要出典])は、日本の政治家。吉岡村長(3期)、第73代群馬県議会議長、群馬県議会議員(6期)、吉岡村議会議員(1期)、自民党群馬県連幹事長などを務めた。 1932年、群馬県群馬郡明治村(現・北群馬郡吉岡町)に生まれる。実家は養蚕農家。1950年に群馬県立渋川高等学校を卒業。家業の農業に従事し観光ぶどう園を経営し、吉岡村消防団長も務めた。 1971年、吉岡村議会議員選挙に出馬し、初当選。1973年、吉岡村長選挙に出馬し当選、以後連続3期務める。 1983年、群馬県議会議員選挙に出馬し当選、以後連続6期務める。
矢口 昇(やぐち のぼる、1931年〈昭和6年〉11月29日… 矢口 昇(やぐち のぼる、1931年〈昭和6年〉11月29日 - 2016年〈平成28年〉12月10日)は日本の実業家、政治家。群馬県議(5期)、第78代群馬県議会議長、群馬県議会副議長を歴任した。 1931年11月29日、群馬県邑楽郡伊奈良村(現板倉町)大字籾谷に生まれる。1950年、群馬県立館林高等学校を卒業し、伊奈良村役場職員となる。1956年、毛塚食糧工業に入社する。1965年、物流機器製造会社の五十矢製作所を設立して、社長となる。 1987年4月12日の群馬県議会議員選挙に邑楽郡選挙区から立候補して、初当選を果たし、以後5期務めた。県議会では自由民主党に所属した。県議会では2000年5月30日から2001年5月29日まで群馬県議会副議長を、2003年12月15日から2005年5月31日まで第78代群馬県議会議長を務めた。