木暮 治一(こぐれ じいち、1931年(昭和6年)10月26… 木暮 治一(こぐれ じいち、1931年(昭和6年)10月26日 - 2009年(平成21年)7月28日)は、日本の政治家。群馬県渋川市長。 群馬県渋川市出身。農業の傍ら、推されて渋川市議会議員選挙に出馬し当選。6期務め、渋川市議会議長などを歴任。 2001年(平成13年)、渋川市長選挙に登坂秀の後継候補として出馬。自民党・公明党・社民党の推薦を得て、石北怜らを破って初当選を果たした。 2006年(平成18年)2月20日、渋川市長として渋川市、伊香保町、小野上村、子持村、赤城村、北橘村の6市町村を巻き込んだ新設合併を成功させた。それに伴って同年4月9日に執行された新・渋川市長選挙に無所属で出馬。星名建市ら2人の候補者を破って当選した。
矢内 一雄(やない いちお、1931年〈昭和6年〉1月14日… 矢内 一雄(やない いちお、1931年〈昭和6年〉1月14日 ‐ )は、群馬県出身の政治家。元伊勢崎市長、群馬県議会議員、伊勢崎市議会議員。 1931年、群馬県伊勢崎市の農家の長男として生まれる。 旧制佐波農業学校(後の群馬県立佐波農業高等学校、現在の群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を1948年に卒業、しばらく農業に従事したが、父義雄の友人の薦めで米穀検査官となる。 検査官は2年ほどで辞め、農業に戻る。その後、前橋市立工業短期大学(現:前橋工科大学)建築工学科の聴講生となる。同短大には当時勤労学生を対象とした夜間コースしかおかれていなかった。 聴講を開始して半年ほどで二級建築士の試験に合格したため退学、地元の協働建設に建築士として入社。
猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9… 猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9日 - 2007年〈平成19年〉1月28日)は、日本の政治家、弁護士。中央大学卒業。公明党参議院議員(2期)。 娘は東京都副知事の猪熊純子。 1931年、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1953年中央大学法学部を卒業。小学校教諭、弁護士を務める。東京都港区西新橋に猪熊重二法律事務所を設立。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として立候補したが落選する。1986年7月6日、第14回参議院議員通常選挙に、比例区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。
小渕 光平(おぶち みつへい、1930年〈昭和5年〉6月8日… 小渕 光平(おぶち みつへい、1930年〈昭和5年〉6月8日 - 2008年〈平成20年〉5月26日)は、日本の実業家・政治家。光山社社長、群馬県中之条町長。旧名は小渕 庚午(おぶち こうご)。 父は衆議院議員を務めた初代・小渕光平。第84代内閣総理大臣の小渕恵三は実弟。デザイナーの小渕暁子と衆議院議員の小渕優子は姪。全国社会保険協会連合会副会長。 群馬県吾妻郡中之条町出身。1954年(昭和29年)明治大学商学部卒業。1958年(昭和33年)東京農工大学繊維学科修了。 同年小渕光平を襲名し光山社小渕製糸所代表に就任する。1959年(昭和34年)光山木材代表に就任。1960年(昭和35年)光山商事を設立し社長に就任。
松浦 幸雄(まつうら ゆきお、1930年1月27日 - )は… 松浦 幸雄(まつうら ゆきお、1930年1月27日 - )は、日本の政治家、実業家。1987年から2011年まで群馬県高崎市長を6期に渡って務めた。
広木 康二(ひろき やすじ、1929年〈昭和4年〉5月27日… 広木 康二(ひろき やすじ、1929年〈昭和4年〉5月27日 - 2015年〈平成27年〉10月4日)は、日本の政治家。群馬県富岡市長を3期12年務めた。富岡市文化協会名誉会長、群馬県猟友会理事、全国市長会評議員、全国市議会議長会理事などにも着任した。 群馬県富岡市出身。1946年(昭和21年)富岡中学校(現群馬県立富岡高等学校)を卒業した。 1970年(昭和45年)富岡市議会議員に当選し、1975年(昭和50年)から同議長を務める。1983年(昭和58年)現職の市長を破って富岡市長に当選。2期目となる1987年の市長選でも2位に大差をつけて当選した。富岡まつり実行委員会の会長も兼務し、1988年(昭和63年)の天皇の体調不良に際しては同年10月15-16日開催予定だった第14回富岡まつりの中止を決定している。
山本 富雄(やまもと とみお、1928年〈昭和3年〉11月5… 山本 富雄(やまもと とみお、1928年〈昭和3年〉11月5日 - 1995年〈平成7年〉3月16日)は、日本の政治家、実業家。 参議院議員(3期)、農林水産大臣(第15代)。父は群馬県草津町長の山本泰太郎。長男は元参議院議員で群馬県知事の山本一太。 群馬県吾妻郡草津町出身。山本泰太郎(元群馬県草津町長)の二男として生まれる。旧制高崎中学(現群馬県立高崎高等学校)を経て、陸軍士官学校在学中に終戦を迎えた(60期)。祖父から続く旅館を経営しながら、山田屋(現在は廃業)を創業し、群馬県内屈指の優良企業に育て上げた[要出典]。草津温泉旅館組合長、同観光協会長を務めた。 1955年に26歳で草津町議会議員に当選(以後3期)。
山口 鶴男(やまぐち つるお、1925年〈大正14年〉10月… 山口 鶴男(やまぐち つるお、1925年〈大正14年〉10月4日 - 2015年〈平成27年〉8月3日)は、日本の政治家。総務庁長官(第15代)、衆議院議員(11期)、日本社会党書記長(第11代)、日本社会党国会対策委員長(第14代)、衆議院予算委員長、群馬県議会議員(2期)などを歴任した。位階は正三位。勲章は勲一等旭日大綬章。通称「ヤマツル」。 群馬県吾妻郡草津町生まれ。旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、桐生高等工業学校(現群馬大学工学部)卒業。1946年前橋商業学校の教員となり、その後草津中学校に勤務する。教職員組合活動に取り組み、群馬県教組書記長となる。 1955年に群馬県議会議員選挙に立候補し当選。
金子 満広(かねこ みつひろ 1924年〈大正13年〉11月… 金子 満広(かねこ みつひろ 1924年〈大正13年〉11月17日 - 2016年〈平成28年〉4月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算6期)。日本共産党書記局長、副委員長を歴任した。 1924年(大正13年)、群馬県利根郡利根村大楊(現・沼田市利根町大楊)に生まれる。尋常高等小学校卒業後、1941年(昭和16年)国鉄信越線横川機関区に就職。1944年(昭和19年)に運輸通信省鉄道教習所を卒業し、国鉄の東京鉄道局水上機関区に配属される。 1946年(昭和21年)日本共産党に入党。同年国鉄労働組合(国労)結成。7万5000人首切り反対闘争に参加。1949年(昭和24年)に国労高崎支部長となる。
堀江 文夫(ほりえ ふみお、1924年〈大正13年〉4月2日… 堀江 文夫(ほりえ ふみお、1924年〈大正13年〉4月2日 - 2016年〈平成28年〉4月22日)は、日本の政治家。群馬県沼田市長(4期)。 群馬県利根郡薄根村(現・沼田市町田町)出身。旧制沼田中学を卒業後、1945年(昭和20年)、桐生工業専門学校(現・群馬大学工学部)機械科卒。1951年(昭和26年)、薄根村議会議員となる。1954年(昭和29年)、薄根村は合併により沼田市となったため、沼田市議会議員となる。沼田市議を5期務めた後、1970年(昭和45年)、沼田市長に当選する。沼田市長を連続4期務め、1986年(昭和61年)に退任した。 1980年(昭和55年)4月藍綬褒章、1994年(平成6年)4月勲三等瑞宝章(地方自治功労)を受章。
高島 照治(たかしま てるじ、1924年〈大正13年〉1月1… 高島 照治(たかしま てるじ、1924年〈大正13年〉1月18日 - 2006年〈平成18年〉3月17日)は、日本の農業家、政治家。主な役職に群馬県議会議員、同議長、嬬恋村議会議員、日本ホルスタイン登録協会会長など。 大正13年(1924年)、群馬県吾妻郡草津町に生まれる。長野県立小諸商業学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業。 太平洋戦争終結後復員すると、1946年(昭和21年)に嬬恋村(群馬県吾妻郡)に入植し、仙之入開拓農協(全国開拓農業協同組合連合会参照)を設立して組合長に就任した。 群馬県の畜産に関する様々な団体の要職を歴任したほか、1984年(昭和59年)からは日本ホルスタイン登録協会の会長を務め、牛の個体識別システムの導入に携わった。
藤嶋 清多(ふじしま きよた、1923年〈大正12年〉9月2… 藤嶋 清多(ふじしま きよた、1923年〈大正12年〉9月21日 - 2011年〈平成23年〉6月16日)は、日本の政治家。群馬県前橋市長(2期)。 群馬県前橋市出身。1941年(昭和16年)旧制前橋中学卒。終戦後の1946年(昭和21年)前橋市役所に入る。建設、都市計画の各部長などを歴任し、1982年(昭和57年)に収入役、1986年(昭和61年)に助役に就任した。1988年(昭和63年)前橋市長選挙に立候補して初当選、2期務めた。1996年(平成8年)引退。2011年(平成23年)死去。
登坂 秀(とさか しげる、1923年〈大正12年〉7月15日… 登坂 秀(とさか しげる、1923年〈大正12年〉7月15日 - )は、日本の政治家。渋川市長を務めた。 群馬県群馬郡豊秋村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1943年に東京高等農林学校(現・東京農工大学)農学科を卒業。同年農林省に入省。兵役を終えて復員後は一時群馬県農業会に勤務。農林省に復職し1971年には農林経済局課長補佐となる。統計情報部企画情報課在職中に渋川市長・石北正司の招きにより1973年に渋川市収入役に就任。 1981年、渋川市長選挙に立候補し初当選を果たす。1985年、渋川市長選挙に出馬し2回目の当選。1989年、渋川市長選挙に出馬し3回目の当選。
大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11… 大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11年〉5月26日 - 2017年〈平成29年〉3月5日)は、日本の農林水産官僚、政治家。群馬県出身。 参議院議員(3期)、農林水産大臣(村山内閣)、参議院予算委員長、農林水産事務次官などを歴任した。 群馬県碓氷郡松井田町新堀(現・安中市松井田町新堀)生まれ。松井田小学校、旧制高崎中学、旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部に進学する。1943年(昭和18年)学徒出陣により経理軍人として樺太に赴任。1947年(昭和22年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等文官試験に合格して1947年農林省に入省。農政局に配属。農業協同組合課長、農地課長、大臣官房予算課長、企業流通部長、畜産局長等を経て大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官を歴任。
小川 省吾(おがわ しょうご 1922年〈大正11年〉3月2… 小川 省吾(おがわ しょうご 1922年〈大正11年〉3月29日 - 1993年〈平成5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、日本社会党)、群馬県議会議員(2期)。 群馬県新田郡生品村(現・太田市)に生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業後、外務省の留学生として北京へ留学する。1943年(昭和18年)に北京大学法学院を卒業。外務省北京日本大使館文化局に勤務し、中国で終戦を迎えた後は復員事務に従事する。 帰国後は進駐軍の通訳などとして勤務したのち、1948年(昭和23年)から群馬県庁職員として勤務する。1958年(昭和33年)県労農会議理事、1961年(昭和36年)県衛生民生部世話課援護係長。
田邊 誠(田辺 誠、たなべ まこと、1922年〈大正11年〉… 田邊 誠(田辺 誠、たなべ まこと、1922年〈大正11年〉2月25日 - 2015年〈平成27年〉7月2日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 衆議院議員(11期)、日本社会党委員長(第11代)、裁判官弾劾裁判所裁判長(第61代)を歴任。 1922年(大正11年)、群馬県前橋市芳町(現・三河町)に生まれる。父・熊蔵は老人ホーム院長を勤めていた。熱心なクリスチャンであった父の影響を受け、自身もキリスト教徒となった。中川小学校、城東小学校、群馬男子師範学校附属小学校へと転校。1939年(昭和14年)旧制前橋中学(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業した。旧制高校への進学を希望していたが、父が経営する養老院の運営がおもわしくなく、やむなく学費無料の逓信官吏練習所に進学した。
板橋 明治(いたばし めいじ、1921年〈大正10年〉6月2… 板橋 明治(いたばし めいじ、1921年〈大正10年〉6月25日 - 2014年〈平成26年〉12月24日)は、日本の農民運動家、政治家。毛里田村議会議員、太田市議会議員。毛里田村鉱毒根絶期成同盟会長として、足尾鉱毒問題の解決に奔走した。百年公害と言われた足尾鉱毒問題を解決に導き、幾多の指標的な成果を全国に提供したとされる。 1921年(大正10年)、群馬県山田郡毛里田村大字只上(現・太田市只上町)に、農業を営む板橋家の長男として生まれた。毛里田村の北側に、銅山と製錬所を擁する足尾山地を源流域とする渡良瀬川が、西から東へと流れている。その川は乳白色ににごり、毛里田の子供は川の水は、その色がもともとの川の水の色だと思って遊んだ。
都丸 哲也(とまる てつや、1921年〈大正10年〉4月18… 都丸 哲也(とまる てつや、1921年〈大正10年〉4月18日 - 2023年〈令和5年〉8月13日)は日本の政治家。東京都保谷市(現:西東京市)長を1977年から1993年まで務めた。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会世話人などを歴任した。 群馬県勢多郡横野村(赤城村を経て、現在の渋川市)で生まれる。東京都立大森高等学校を経て、学習院大学文学部でフランス文学を専攻。1959年保谷町議を経て1967年の市制後は市議。1969年に保谷町長→市長を務めていた原田彰俊が収賄で逮捕されて辞職したことに伴う出直し市長選で、社会党公認で立候補。この時は共産党や民主社会党(後の民社党)が独自候補を擁立したことに加えて、同じ社会党籍を持っていた市助役まで立候補したことから保守系の内藤利紀に敗北。
清水 一郎(しみず いちろう、1918年〈大正7年〉9月4日… 清水 一郎(しみず いちろう、1918年〈大正7年〉9月4日 - 1991年〈平成3年〉6月12日)は、日本の政治家。 群馬県知事(公選第9・10・11・12代)、群馬県議会議員(4期)、第47代群馬県議会議長、群馬県議会副議長、前橋市議会議員(1期)を歴任した。 群馬県前橋市出身。1936年、群馬県立前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)卒業。1939年、福島高等商業学校(現福島大学経済経営学類)卒業。同年、日立製作所東京本社勤務となる。1943年、青森県立商業学校(現青森県立青森商業高等学校)教諭となる。1944年、群馬県立前橋工業学校(現群馬県立前橋工業高等学校)教諭となる。1948年、群馬県立前橋商業高等学校講師となる。
中曽根 康弘(旧字体: 中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1… 中曽根 康弘(旧字体: 中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1918年〈大正7年〉5月27日 - 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は大勲位菊花章頸飾。 衆議院議員連続20回当選(1947年 - 2003年)。科学技術庁長官(第7・25代)、運輸大臣(第38代)、防衛庁長官(第25代)、通商産業大臣(第32・33代)、行政管理庁長官(第45代)、内閣総理大臣(第71・72・73代)、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第11代)、公益財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学第12代総長・理事長、名誉総長、東アジア共同体評議会会長、新憲法制定議員同盟会長などを歴任。
木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・欽一(きんいち)、19… 木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・欽一(きんいち)、1918年〈大正7年〉3月21日 - 1988年〈昭和63年〉5月1日)は、日本の政治家、実業家。伊香保町議会議長、株式会社木暮旅館(現・ホテル木暮)代表取締役社長、伊香保ガス株式会社代表取締役社長、上毛新聞社取締役。日本観光協会理事、群馬県観光協会長、群馬県スケート連盟会長、26代目武太夫。位階は従五位。 1918年(大正7年)、先代木暮武太夫(元運輸大臣、国会議員、旧名:正一)の長男として群馬県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)に生まれる。木暮家は、天正10年(1582年)長尾輝景から伊香保温泉の安堵状を与えられた木暮下総守を先祖とする旧家で、木暮旅館(現在のホテル木暮)を営み、代々「武太夫」の名を世襲する家柄である。
吉野 益(よしの ます、1918年〈大正7年〉1月15日 -… 吉野 益(よしの ます、1918年〈大正7年〉1月15日 - 2015年〈平成27年〉2月1日)は、日本の政治家。群馬県藤岡市長(4期)。旧姓・塚越。 群馬県藤岡市出身。群馬県立藤岡中学校(現在の群馬県立藤岡高等学校)卒業。東京中央郵便局に2年間勤務した後、1939年(昭和14年)宇都宮野砲兵第20連隊に入営し、中国大陸に派遣され帰国。1943年(昭和18年)吉野家に婿入りする。群馬県経済連に入り、多野支所長、経済連資材、肥料、畜産の各課長、畜産部長、参事を歴任する。その後、全国食肉学校理事、同副校長となる。 1978年(昭和53年)藤岡市長選挙に当選。市長就任後は、畜産の振興など産業育成策を進め、また、小中学校の新校舎の建設や都市計画事業、環境衛生施設の整備など長期的な発展力のある街づくりを目指した。
丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年〈大正5年〉5月29… 丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年〈大正5年〉5月29日 - 1982年〈昭和57年〉7月23日)は、日本の医師、政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期)。環境庁長官(第7代)を歴任した。所属派閥は福田派。青嵐会の結成にも参加した。陸軍軍医大尉。 1916年(大正5年)、群馬県吾妻郡坂上村(現・東吾妻町)の出身。出生地は坂上村とも長野県とも。高崎市に移り住み、1934年(昭和9年)旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を卒業、1940年(昭和15年)東京医学専門学校卒業。医師免許取得後日本鋼管病院に勤務するが、同年10月軍医として応召。最終階級は陸軍軍医大尉。 1946年(昭和21年)7月に復員、群馬県群馬郡滝川村で内科医として開業。
藤井 精一(ふじい せいいち、1914年〈大正3年〉4月28… 藤井 精一(ふじい せいいち、1914年〈大正3年〉4月28日 - 1988年〈昭和63年〉1月11日)は、日本の政治家。前橋市長を務めた。 1914年(大正3年)、群馬県前橋市神明町(現・千代田町)に生まれる。旧制前橋中学校から新潟県立小千谷中学校に転校し、1932年(昭和7年)同校を卒業。 その後は前橋市役所に勤務し、税務課長、庶務課長、商工部長、総務部長を歴任。石井繁丸市長のもとで1971年(昭和46年)より前橋市助役を務める。 1978年(昭和53年)前橋市長選挙に立候補し初当選。1982年(昭和57年)と1986年(昭和61年)にも当選を重ねる。 市長在職中には市民体育館、文化会館、総合運動場、市庁舎の建設を実現した。
福田 宏一(ふくだ ひろいち、1914年〈大正3年〉1月23… 福田 宏一(ふくだ ひろいち、1914年〈大正3年〉1月23日 - 1999年〈平成11年〉3月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。親子2代で内閣総理大臣を務めた福田赳夫の実弟、福田康夫の叔父。小倉クラッチ監査役[要出典]。アントニオ猪木の格闘技の後援会会長を務めた[要出典]。 上州戦争下では、清和政策研究会候補として、群馬県選挙区で中曽根派の最上進や中曽根弘文らと激しい代理戦争を繰り広げた。 1914年(大正3年)群馬県群馬郡金古町足門(群馬町足門を経て現・高崎市足門町)に、金古町長を務めた福田善治の三男として生まれる。1932年(昭和7年)旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を卒業。
黒沢 丈夫(くろさわ たけお、旧字体: 黑澤 丈夫、1913… 黒沢 丈夫(くろさわ たけお、旧字体: 黑澤 丈夫、1913年(大正2年)12月23日 - 2011年(平成23年)12月22日)は、大日本帝国海軍少佐、戦闘機操縦士、政治家。 群馬県上野村村長を10期連続40年務めた。日本航空123便墜落事故の事故処理に尽力したことで知られる。また「御巣鷹の尾根」の命名者でもある。称号は上野村名誉村民。正五位、旭日重光章。 1913年(大正2年)12月23日、群馬県多野郡上野村の酒造業を営む家に生まれた。父は後に上野村村長となっている。群馬県立富岡中学校を卒業。 1932年(昭和7年)4月に海軍兵学校に第63期生として入隊した。1936年(昭和11年)、兵学校を卒業し、アメリカ合衆国のニューヨークまでの遠洋航海に出た。
坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
近藤 英一郎(こんどう えいいちろう、1913年(大正2年)… 近藤 英一郎(こんどう えいいちろう、1913年(大正2年)2月4日 - 2014年(平成26年)4月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。元群馬県議会議員(5期)。元大間々町長。
湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年〈明治44年〉1月4… 湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年〈明治44年〉1月4日 - 1999年〈平成11年〉1月7日)は、日本の実業家・政治家。新島学園中学校・高等学校、新島学園短期大学創設者。安中市長を5期20年に渡って務めた。群馬県安中市出身。位階は正五位。 1911年(明治44年)、群馬県碓氷郡安中町(現・安中市安中)に、湯浅三郎の四男として生まれる。実家湯浅家は天保3年(1832年)創業の醸造業有田屋を営んでおり、祖父治郎は衆議院議員・県会議員、父三郎は25年間にわたり安中町長を、さらに県会議員を務めた。 旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を中退後、1947年(昭和22年)に有田屋代表取締役社長に就任して家業を継いだ。
羽生田 進(はにゅうだ/はにうだ すすむ、1910年〈明治4… 羽生田 進(はにゅうだ/はにうだ すすむ、1910年〈明治43年〉10月19日 - 1999年〈平成11年〉7月27日)は日本の政治家(衆議院議員、科学技術庁政務次官)、眼科医(医学博士、羽生田眼科医院院長、群馬県医師会名誉会長、日本眼科医会会長)。勲二等瑞宝章、藍綬褒章受章。陸軍軍医少尉。元参議院議員・羽生田俊の父。 羽生田家の先祖は長野県上高井郡豊丘村(現・須坂市大字豊丘)の旧家で、祖父・仁作が分家して群馬県勢多郡富士見村箕輪(現・前橋市富士見町赤城山)で牧場を経営した。進の父・俊次は長野県北安曇郡美麻村(現・大町市)の農家・田中常太郎・みす夫婦の次男として生まれ、医術開業試験に合格して眼科医となった。
浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月1… 浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月16日 - 1986年〈昭和61年〉12月2日)は、元二松學舍大学理事長・学長、日本遺族会副会長、全国社会福祉協議会評議員・理事。故郷・群馬県では「上毛かるた」の生みの親として知られている。 群馬県吾妻郡長野原町林に、浦野安・倶子の六男として生まれる。浦野家の先祖は、大戸城主・浦野真楽斎の次男・浦野左衛門尉村信であるという。浦野家は代々大乗院住職・王城山(みこしろやま)神社別当を世襲し、その墓所には初代村信の墓という「御塚」(長野原町指定文化財)が所在する。 父・安は地元の小学校校長を務めたのち東京法学院(現・中央大学)を卒業して大蔵省主計局に勤務し、帰郷後は長野原町長などの公職に就任、神職としても群馬県皇典講究所理事、全国神職会群馬県代表などを務めた。
高橋 邦雄(たかはし くにお、1910年〈明治43年〉7月2… 高橋 邦雄(たかはし くにお、1910年〈明治43年〉7月25日 - 1988年〈昭和63年〉8月26日)は、昭和期の地方公務員、政治家。参議院議員(1期)、群馬県副知事。 群馬県群馬郡車郷村富岡(箕郷町を経て現高崎市)で生まれる。旧制高崎中学、旧制松本高校を経て、1936年(昭和11年)京都帝国大学法学部を卒業した。 1936年、群馬県庁に入庁し総務部地方課に配属された。1937年(昭和12年)10月、充員召集令により歩兵第15連隊に入隊し1940年(昭和15年)1月に召集解除となったが、1941年(昭和16年)8月に再度充員召集を受けて東部38部隊に入隊し、1945年(昭和20年)4月に解除された。
柴谷 要(しばや かなめ、1910年〈明治43年〉2月27日… 柴谷 要(しばや かなめ、1910年〈明治43年〉2月27日 - 1995年〈平成7年〉4月26日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 群馬県碓氷郡秋間村(現・安中市)で生まれた。秋間尋常小学校(現・安中市立秋間小学校)卒業。1925年(大正14年)鉄道省に入省。1932年(昭和7年)鉄道教習所専門部を卒業した。 鉄道現業員組合に加入し、1946年(昭和21年)国鉄労働組合の結成に加わり、同上野支部副委員長、同東京本部委員長、同中央執行委員長、全官公庁労働組合協議会議長、全日本交通運輸労働組合協議会議長などを務めた。 1956年(昭和31年)7月、第4回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選(任期3年)。
小峰 柳多(小峯 柳多、こみね りゅうた、1908年〈明治4… 小峰 柳多(小峯 柳多、こみね りゅうた、1908年〈明治41年〉6月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。 群馬県碓氷郡松井田町松井田(現・安中市松井田町松井田)に、食料品店を営む勝重郎・たせ夫婦の長男として生まれる。誕生日は戸籍上9月3日となっているが、実際の生まれは6月5日で、役場の吏員が手続を忘れていたため父母が催促した日が届出上の日付になっているのだとされる。地元の松井田尋常高等小学校を経て、高崎商業学校(現・群馬県立高崎商業高等学校)に進学。高崎商業学校の同期には後に高崎市長を務める反町(沼賀)健次がいる。1926年(大正15年)に東京商科大学専門部(現・一橋大学)に入学し、1929年(昭和4年)卒業。
沼賀 健次(ぬまが けんじ、1908年〈明治41年〉3月30… 沼賀 健次(ぬまが けんじ、1908年〈明治41年〉3月30日 - 1988年〈昭和63年〉5月5日)は、日本の教育者、政治家。元高崎市長(4期)、群馬県立高崎商業高等学校校長、上武大学副学長。旧姓は反町。位階は従五位。 群馬県群馬郡京ヶ島村大字京目(現・高崎市京目町)に、反町延太郎・チウ夫妻の三男として生まれる。生家の反町家は庄屋の家柄で、父・延太郎は京ケ島村長・群馬県会議員などを務める傍ら実業補習学校を設置するなど教育面に熱心だった。祖父・反町覚哉は群馬県会議員、長兄・反町久弥も群馬県議会議員・京ヶ島村長・群南村長を務めた。 地元の京ヶ島小学校を経て、1926年(大正15年)旧制高崎商業学校を卒業。
恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月… 恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月25日 - 1989年〈平成元年〉8月20日)は日本の政治家、社会運動家。群馬県議会議員、渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会長。 1907年(明治40年)、群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)に生まれる。父は政七、母は寿世(スセ)。母方の祖父は群馬県会議員・武藤幸逸。1926年(大正15年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業し、慶應義塾大学英文学部予科へ進学するが中退。法政大学法学部を卒業する。 大学卒業後は家業の農業に従事。酪農も始めて東毛酪農協同組合を創立、初代会長に推された。群馬県毛里田村農業協同組合長、群馬県養蚕農協連合会会長を歴任。
福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年〈明治38年〉1月14… 福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年〈明治38年〉1月14日 - 1995年〈平成7年〉7月5日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正二位。勲等は大勲位。 大蔵省主計局長、衆議院議員(14期)、農林大臣(第2次岸改造内閣)、大蔵大臣(第1次佐藤第1次改造内閣・第1次佐藤第2次内閣・第2次佐藤第2次改造内閣・第3次佐藤内閣・第2次田中角栄第1次改造内閣)、外務大臣(第3次佐藤改造内閣)、行政管理庁長官(第2次田中角栄内閣)、経済企画庁長官(三木内閣)、自由民主党総裁(第8代)、内閣総理大臣(福田赳夫内閣)を歴任した。 東京帝国大学法学部から大蔵省入り。1947年主計局長となるが、翌年昭電疑獄に連座して退官。
長谷川 四郎(はせがわ しろう、1905年〈明治38年〉1月… 長谷川 四郎(はせがわ しろう、1905年〈明治38年〉1月7日 - 1986年〈昭和61年〉8月7日)は、日本の政治家。位階は正三位。衆議院議員(自由民主党所属、14期)、建設大臣、農林大臣。魚屋から衆議院副議長にまで上り詰めた立志伝中の人物として知られる。群馬県名誉県民第1号。 群馬県山田郡大間々町大字桐原(現・みどり市大間々町桐原)に、父・辰之助、母・テルの三男として生まれる。父は養蚕指導員だったが、幼少期に死去。大正7年(1918年)大間々尋常高等小学校を卒業し、地元の「いも寅」商店に奉公。1931年(昭和6年)に魚店「魚丈」を開業し、1936年(昭和11年)に株式会社長谷川商店に改組。
小渕 光平(小淵 光平、おぶち みつへい、1904年〈明治3… 小渕 光平(小淵 光平、おぶち みつへい、1904年〈明治37年〉2月26日 - 1958年〈昭和33年〉8月26日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。長男は群馬県中之条町長の二代目小渕光平、次男は第84代内閣総理大臣の小渕恵三。 1904年(明治37年)、群馬県吾妻郡伊参村(現・中之条町)に農業兼糸繭商を営む小渕新平・きち夫婦の長男として生まれる。父が病弱であったことから少年時代から家計を助けた。1921年(大正10年)中之条実業補習学校卒。 1923年(大正12年)に父が死去。1925年(大正14年)に東村に所在した碓氷社の工場を手に入れ、製糸工場の経営を始める。1928年(昭和3年)に中之条町伊勢町に工場を移転、光山社小渕製糸所を設立した。
大竹 平八郎(おおたけ へいはちろう、1904年〈明治37年… 大竹 平八郎(おおたけ へいはちろう、1904年〈明治37年〉2月8日 - 1985年〈昭和60年〉5月17日) は、大正から昭和期のジャーナリスト、政治家。参議院議員。 群馬県群馬郡渋川町(北群馬郡渋川町を経て現渋川市下之町)で、呉服商・大竹直四郎(なおしろう)、タミ夫妻の四男として生まれた。1918年(大正7年)渋川尋常高等小学校高等科(8年制)を卒業し、上京して 独学。 1926年(大正15年)帝国通信社に入社し無産政党、労働問題の担当記者となる。その後、同社政治部長、大阪帝国通信社東京支社長などを歴任。1934年(昭和9年)文部省嘱託に転じた。長江産業貿易開発協会(のち日華経済協会)を成立し常任理事に就任し、1945年(昭和20年)理事長となる。
石井 繁丸(いしい しげまる、1904年〈明治37年〉1月1… 石井 繁丸(いしい しげまる、1904年〈明治37年〉1月1日 - 1983年〈昭和58年〉10月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)、前橋市長(5期)。前橋市立工業短期大学学長。大日本帝国陸軍軍人(陸軍曹長)[要出典]。 群馬県勢多郡木瀬村大字野中(現・前橋市野中町)出身。永明尋常高等小学校を経て、1922年(大正11年)県立前橋中学校卒業。警視庁麻布警察署書記として勤務の後、日本大学に学ぶ。1926年(大正15年)司法試験合格。1927年(昭和2年)に日本大学法科を卒業し、同年法律評論社の編集記者として勤める。1928年(昭和3年)弁護士となる。須永好による強戸村農民運動に協力した。
久保田 円次(くぼた えんじ、1903年〈明治36年〉8月2… 久保田 円次(くぼた えんじ、1903年〈明治36年〉8月23日 - 1998年〈平成10年〉2月1日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(8期)、防衛庁長官、群馬県議会議員、伊勢崎市議会議員・同議長を務めた。群馬県出身。伊勢崎市名誉市民。 1903年(明治36年)、群馬県新田郡笠懸村大字阿左美(現・みどり市笠懸町阿左美)に、和三郎・ひでの三男として生まれる。生家は果樹の栽培などを行う農家だった。兄・茂一郎は後に伊勢崎商工会議所会頭を務めた。 笠懸村尋常高等小学校を経て、1923年(大正12年)栃木県立足利工業学校(現・栃木県立足利工業高等学校)を卒業。同年兄・茂一郎とともに久保田兄弟鉄工所を設立し、副社長に就任。
佐田 一郎(さた いちろう、1902年〈明治35年〉6月9日… 佐田 一郎(さた いちろう、1902年〈明治35年〉6月9日 - 1991年〈平成3年〉9月1日)は、日本の実業家、政治家。佐田建設社長、参議院議員(2期)。元衆議院議員・佐田玄一郎は孫。 1902年(明治35年)6月9日、群馬県勢多郡桂萱村(現・前橋市三俣町)に小作農の父徳蔵・母はつの長男として生まれる。勢多郡桂萱尋常小学校(現・前橋市立桂萱小学校)から高等科に進むが1年で退学。 1920年(大正9年)徳蔵が土木請負業「佐田組」を創業。同年一郎は藤岡の私立高山社蚕業学校別科を卒業して養蚕教師となるが、1926年(大正15年)養蚕教師を辞め佐田組に入社。 1930年(昭和5年)桂萱村村会議員となり、3期13年務める。
五十嵐 吉蔵(吉藏、いがらし きちぞう、1901年〈明治34… 五十嵐 吉蔵(吉藏、いがらし きちぞう、1901年〈明治34年〉10月1日 - 1959年〈昭和34年〉6月24日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(5期)。蚕糸の第一人者。 群馬県佐波郡豊受村大字上蓮沼(現・伊勢崎市上蓮町)で、農業・五十嵐栄三郎の長男として生まれる。1918年(大正7年)群馬県立安中蚕糸学校(現・群馬県立安中総合学園高等学校)を卒業し、明治大学に進んだが中退。 組合製糸群馬社副社長、同代表理事、全国共栄蚕糸組合副理事長、日本蚕糸業会理事、刀洋織物社長、群馬県蚕種協同組合長などを務め、蚕糸行政に尽くした。 政界では、1933年(昭和8年)群馬県会議員に当選し3期在任。
金子 与重郎(旧字体: 金子 與重郞、かねこ よじゅうろう、… 金子 与重郎(旧字体: 金子 與重郞、かねこ よじゅうろう、1901年(明治34年)1月27日 - 1954年(昭和29年)10月9日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員(3期)。 群馬県勢多郡粕川村大字室沢(現・前橋市粕川町室沢)で、金子新作の長男として生まれる。群馬県立勢多農林学校(現・群馬県立勢多農林高等学校)を経て、1919年(大正8年)盛岡高等農林学校農学科別科を卒業した。 帰郷して農業を営む。また、県下の産業組合の組織化に尽力し、組合厚生病院を設けて農村の保健衛生の向上に尽くした。群馬蚕糸会社の設立に参画し、蚕糸業の振興を図った。その他、粕川村会議員、粕川信用販売利用組合長、群馬県購買販売利用組合専務理事、同購買販売利用組合連合会総務部長、群馬蚕糸製造監査役などを務めた。
飯島 祐之(いいじま すけゆき、1900年〈明治33年〉10… 飯島 祐之(いいじま すけゆき、1900年〈明治33年〉10月25日 - 1970年〈昭和45年〉8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県邑楽郡多々良村長。 群馬県邑楽郡多々良村大字木戸(現・館林市)で、飯島忠四郎の二男として生まれる。1920年(大正9年)旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業。 その後は農業に従事して1933年(昭和8年)多々良村助役、1939年(昭和14年)同村長に就任した。群馬県町村会副会長、邑楽郡農会議員、多々良村産業組合長、同農業会長、群馬県購買販売利用組合連合会理事、同製粉精米加工組合理事長、同食糧営団理事、邑楽郡煙草耕作連合組合長となる。
伊藤 顕道(伊藤 顯道、いとう あきみち / けんどう、19… 伊藤 顕道(伊藤 顯道、いとう あきみち / けんどう、1900年〈明治33年〉6月20日 - 1982年〈昭和57年〉4月26日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。柔道八段。 群馬県前橋市向町(現住吉町)で、食品製造業・伊藤勝次郎、かめの三男として生まれる。1915年(大正4年)前橋久留万高等小学校を卒業、同年関口孝五郎の弘道館に入門し柔道を習う。1920年(大正9年)群馬師範学校本科一部を卒業し、久留万高等小学校訓導に就任。その後、東京高等師範学校に入学し、1924年(大正13年)同校本科を卒業した。 1924年、神奈川県立湘南中学校(現神奈川県立湘南高等学校)教諭に就任し、横浜高等商業学校嘱託を務めた。
境野 清雄(さかいの きよお、1900年〈明治33年〉1月9… 境野 清雄(さかいの きよお、1900年〈明治33年〉1月9日 - 1968年〈昭和43年〉7月2日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 群馬県山田郡桐生町(現・桐生市)で、境野源八郎の二男として生まれる。群馬県立太田中学校(現群馬県立太田高等学校)を経て、早稲田大学商学部を卒業した。 家業の輸出織物商を営む。桐生絹人絹織物配給常務取締役、群馬織物代表取締役、桐生布帛製品代表取締役、群馬県輸出織物社長、三山物産社長、桐生商工会議所会頭、群馬県地方労働委員会委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で群馬県地方区から民主党公認で出馬して落選。竹腰徳蔵の公職追放に伴い同年8月に実施された第1回通常選挙・群馬県地方区補欠選挙に出馬して当選し、その後、民主クラブに所属し参議院議員に1期在任した。
梅津 錦一(うめづ きんいち、1898年〈明治31年〉12月… 梅津 錦一(うめづ きんいち、1898年〈明治31年〉12月22日 - 1984年〈昭和59年〉2月18日)は、日本の政治家、教員、実業家。位階は正五位。参議院議員(1期、日本社会党)。 1898年(明治31年)、元前橋藩士[要出典]・梅津幸次郎、とう(元前橋藩目付・明石家長女)[要出典]の長男として群馬県前橋市高田町(現・文京町1丁目)に生まれる。中川小学校を経て、1913年(大正2年)、教員養成所に入所し、翌年桂萱小学校補助教員となる。1920年(大正9年)、群馬師範学校本科卒業とともに桐生北尋常小学校に赴任した。のち高崎南小学校に転勤。高崎北小学校、片岡小学校に転任し、1946年(昭和21年)高崎市第一国民学校教頭となった。
山田 悟六(やまだ ごろく、1898年〈明治31年〉8月21… 山田 悟六(やまだ ごろく、1898年〈明治31年〉8月21日/31日 - 1964年〈昭和39年〉5月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県佐波郡采女村長。 群馬県佐波郡采女村(現・伊勢崎市)に、群馬県会議員・長沼宗雄の六男として生まれる。13歳の時叔父・山田沢吉の養子となる。群馬県立勢多農林学校卒。 1929年(昭和4年)采女村長に就任。経済安定本部事務嘱託、言語文化研究所嘱託、采女剛志、大正用水各耕地整理組合長、采女農業協同組合長、伊勢崎鉄工代表社員、伊勢崎重工業、伊勢鉄航空工業、日本樽材工業、山田不動産各社長などを務める。 1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙において群馬県から日本進歩党公認で立候補して当選する。