並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日… 並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の経営学者。 群馬県甘楽郡下仁田町本宿出身。旧制高崎中学校、旧制第二高等学校を経て、1938年東京工業大学機械工学科卒。同年立川飛行機に入社。戦後、日本能率協会に入る。東京商工指導所工業診断課長、玉川大学工学部教授を務め、84年定年。1973年黄綬褒章受章。
群馬県:193人
並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日… 並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の経営学者。 群馬県甘楽郡下仁田町本宿出身。旧制高崎中学校、旧制第二高等学校を経て、1938年東京工業大学機械工学科卒。同年立川飛行機に入社。戦後、日本能率協会に入る。東京商工指導所工業診断課長、玉川大学工学部教授を務め、84年定年。1973年黄綬褒章受章。
折茂 豊(おりも ゆたか、1912年〈明治45年〉1月2日 … 折茂 豊(おりも ゆたか、1912年〈明治45年〉1月2日 - 1994年〈平成6年〉1月8日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1957年)(学位論文「国際私法の統一性」)。東北大学名誉教授。 群馬県富岡市一ノ宮出身。旧制富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業。同助手、助教授[要出典]。1951年(昭和26年)東北大学法学部教授となり、1966年(昭和41年)法学部長。1975年(昭和50年)に定年退官、名誉教授。 国際私法を専攻し、1957年(昭和32年)「国際私法の統一性」で法学博士(東京大学)の学位を取得。
浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月1… 浦野 匡彦(うらの まさひこ、1910年〈明治43年〉9月16日 - 1986年〈昭和61年〉12月2日)は、元二松學舍大学理事長・学長、日本遺族会副会長、全国社会福祉協議会評議員・理事。故郷・群馬県では「上毛かるた」の生みの親として知られている。 群馬県吾妻郡長野原町林に、浦野安・倶子の六男として生まれる。浦野家の先祖は、大戸城主・浦野真楽斎の次男・浦野左衛門尉村信であるという。浦野家は代々大乗院住職・王城山(みこしろやま)神社別当を世襲し、その墓所には初代村信の墓という「御塚」(長野原町指定文化財)が所在する。 父・安は地元の小学校校長を務めたのち東京法学院(現・中央大学)を卒業して大蔵省主計局に勤務し、帰郷後は長野原町長などの公職に就任、神職としても群馬県皇典講究所理事、全国神職会群馬県代表などを務めた。
斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年〈明治43年〉5月… 斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年〈明治43年〉5月8日 - 1984年〈昭和59年〉11月9日)は、日本の水産学者。魚の鮮度判定指標(k値)の開発者。日本における水産科学、特に水産食品化学の権威として知られ、魚の鮮度・旨みの化学的分析に大きな功績を残した。理学博士。 1910年(明治43年)、群馬県伊香保町(現・渋川市)に生まれる。群馬県立渋川中学(現在の群馬県立渋川高等学校)、旧制成城高等学校を経て、1935年(昭和10年)北海道帝国大学理学部化学科を卒業。北大では田所哲太郎に師事。 北海道大学講師、助教授を勤めたのち、1951年(昭和26年)に北海道学芸大学教授に就任。1953年(昭和28年)に北海道大学水産学部教授となる。
今井 善一郎(いまい ぜんいちろう、1909年〈明治42年〉… 今井 善一郎(いまい ぜんいちろう、1909年〈明治42年〉10月8日 - 1976年〈昭和51年〉1月10日)は、群馬県出身の民俗学者。日本民俗学会評議員。群馬県勢多郡北橘村議会議員を務めた。 1909年(明治42年)10月8日、群馬県勢多郡北橘村下箱田(現・渋川市北橘町下箱田)の今井善平と新子の長男として生まれる。今井家は農林業のかたわら質屋を経営していた。今井家は代々「善兵衛」の名を継ぐ旧家で祖父の今井善兵衛は1905年から1909年まで北橘村村長をつとめていた。1916年(大正5年)、橘尋常高等小学校に入学する。1922年(大正11年)、前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学する。
星野 愷(ほしの やすし、1909年〈明治42年〉6月18日… 星野 愷(ほしの やすし、1909年〈明治42年〉6月18日 - 1986年〈昭和61年〉7月25日)は、日本の電気化学者。東京工業大学名誉教授。 群馬県勢多郡黒保根村(現・桐生市黒保根町)に、群馬県会議員・黒保根村長をつとめた星野元治の長男として生まれる。黒保根尋常高等小学校、旧制前橋中学校を経て、1934年(昭和9年)に東京工業大学電気化学科を卒業。 東京工業大学助手を経て、1940年(昭和15年)助教授、1953年(昭和28年)教授に就任。1945年(昭和20年)11月工学博士の学位を授与されている。 人造偏光板・磁気録音読書機の発明者。数々の特許を申請し、特許数は日本国内で58件、海外(アメリカ、イギリス、ドイツ各国)で59件。
森 喜作(もり きさく、1908年〈明治41年〉10月4日 … 森 喜作(もり きさく、1908年〈明治41年〉10月4日 - 1977年〈昭和52年〉10月23日)は、群馬県桐生市出身の農学者(農学博士)。森式純粋培養菌種駒製造法の発明者で、現在の原木シイタケ栽培技術を確立した。森産業株式会社創業者。歴史学者の羽仁五郎は叔父。 1908年(明治41年)、群馬県桐生市の素封家・森家の次男として生まれる。桐生中学校、宇都宮高等農林学校を経て1935年(昭和10年)京都帝国大学農学部を卒業。 大学在学中に大分県を訪れた際、シイタケの発茸を祈る農夫の姿を見てシイタケ栽培の研究を決意(後述)、大学卒業の翌年に森食用菌蕈研究所を設立して研究を開始した。1942年(昭和17年)森式純粋培養菌種駒製造法を開発し、翌1943年(昭和18年)に特許を取得した。
正田 満三郎(しょうだ まんさぶろう 1907年 - 没年不… 正田 満三郎(しょうだ まんさぶろう 1907年 - 没年不明)は、日本の裁判官、法学者。
川端 清策(かわばた せいさく、1906年〈明治39年〉8月… 川端 清策(かわばた せいさく、1906年〈明治39年〉8月31日 - 1985年〈昭和60年〉4月11日)は、日本の植物学者。高崎経済大学学長、同教授、北海道学芸大学教授、道都大学副学長、同教授、理学博士(北海道大学)。 群馬県伊勢崎市出身。1924年茨城県立太田中学校(現・茨城県立太田第一高等学校・附属中学校)卒。1924年群馬県佐波郡豊受尋常高等小学校代用教員、1926年北海道空知郡岩見沢町志文尋常小学校代用教員。軍隊に入隊を経て、1931年第二高等学校 (旧制)卒、1935年北海道帝国大学理学部卒業(恩師:山田幸男)。 1935年東海高等女学校(現茨城県立第二日立第二高等学校)教諭、1937年茨城県師範学校教諭。
柳沢 米吉(柳澤、やなぎさわ よねきち、1903年〈明治36… 柳沢 米吉(柳澤、やなぎさわ よねきち、1903年〈明治36年〉9月12日 - 1995年〈平成7年〉1月31日)は、昭和時代の土木工学者。内務官僚。実業家。海上保安庁長官。群馬県安中市出身。 群馬県碓氷郡安中町上野尻(現・安中市安中)に生まれる。旧制群馬県立高崎中学校、旧制第八高等学校を経て、1927年(昭和2年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省に入る。 1943年(昭和18年)運輸通信省港湾局建設課長、1946年(昭和21年)港湾局計画課長、1948年(昭和23年)中国海運局長兼広島海上保安本部長、1951年(昭和26年)海上保安庁長官に就任。同年、不正入出国に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。
金井 幸佐久(かない こうさく、1903年1月19日 - 没… 金井 幸佐久(かない こうさく、1903年1月19日 - 没年不明)は、日本の郷土史家。群馬県吾妻郡中之条町出身。民俗学・教育史・宗教史に造詣が深く、多くの著書があり、100歳を超えてなお執筆活動に取り組んでいることでも話題を呼んだ。 1936年 群馬県師範学校専攻科を卒業。坂上村坂上小学校に就職し同校教頭をへて、群馬県立吾妻高等学校教頭を勤める。中之条町誌編集委員、群馬県文書館調査委員、群馬県地域文化研究協議会評議員などを歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
西山 市三(にしやま いちぞう、1902年〈明治35年〉2月… 西山 市三(にしやま いちぞう、1902年〈明治35年〉2月19日 - 1999年〈平成11年〉7月16日)は、日本の遺伝学者。京都大学名誉教授・農学博士。専門は細胞遺伝学。位階は正四位。 群馬県利根郡沼田町(現在の沼田市)町田町に生まれる。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、京都帝国大学農学部農林生物学科に入学、木原均に就いて学び、1927年に卒業。 卒業後は同大学でカラスムギの細胞遺伝の研究に取り組む。1937年に助教授、1946年には教授となり、同大食糧科学研究所に勤務。1956年、京都大学農学部に配置替えとなる。1965年定年により退官、同大学名誉教授となる。 退官後も1965年から67年まで米国ウィスコンシン大学客員教授、1967年から68年までミズーリ大学客員教授、帰国後の1971年から84年まで財団法人木原研究所評議員、1972年から74年まで名城大学教授を務めた。
羽仁 五郎(はに ごろう、男性、1901年(明治34年)3月… 羽仁 五郎(はに ごろう、男性、1901年(明治34年)3月29日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、日本の歴史家(マルクス主義歴史学・歴史哲学・現代史)。参議院議員。日本学術会議議員。
金子 尚一(かねこ ひさかず、1900年〈明治33年〉12月… 金子 尚一(かねこ ひさかず、1900年〈明治33年〉12月12日 - 1997年〈平成9年〉)は、日本の英米文学者、教育者、立教大学名誉教授、立教大学文学部教授・予科教授・学生部長。立教大学オーケストラ部長を務めたほか、立教大学英語会(ESS)の支援も行うなど、学生らの活動にも深く携わった。 群馬県前橋市出身。1919年旧制前橋中学校卒。 1925年に立教大学文学部英文学科を卒業し、ただちに立教大学文学部助教授に就任。同年よりアメリカに留学してケニオン大学で文学修士(MA)を取得する。 1929年に立教大学予科教授に就任し、その後文学部教授も兼任し、予科では英作文と英訳を、文学部では英文学を講じた。
清水谷 恭順(しみずだに きょうじゅん、1891年〈明治24… 清水谷 恭順(しみずだに きょうじゅん、1891年〈明治24年〉3月14日 - 1979年〈昭和54年〉8月8日)は、天台宗の僧、仏教学者、浅草寺貫首。 1891年(明治24年)、群馬県新田郡笠懸村西鹿田(現・みどり市笠懸町西鹿田)の長昌寺住職・林恵順の子として生まれる。幼名・光司。笠懸尋常小学校を経て、県立太田中学校へ進学。1906年(明治39年)清水谷慶順につき得度し、清水谷姓となる。 1915年(大正4年)天台宗大学を卒業。1919年(大正8年)天台宗大学教授となり、1926年(大正15年)の大正大学創設に伴い教授に就任し、1945年(昭和20年)に退任。この間、宮内省職員養成所講師や、比叡山中学校校長も務める。
亀山 直人(かめやま なおと、1890年5月19日 - 19… 亀山 直人(かめやま なおと、1890年5月19日 - 1963年3月28日)は、日本の応用化学者。写真の色素増減や二次電池理論の研究等、日本の電気化学工業の発展に尽力した。
星野 鉄男(ほしの てつお、旧字体: 星野 鐵男、1890年… 星野 鉄男(ほしの てつお、旧字体: 星野 鐵男、1890年〈明治23年〉2月10日 - 1931年〈昭和6年〉12月20日)は、日本の医学者。専門は社会衛生学。日本初の性教育本(『性教育に就て』、1927年)を著したことで知られる。内閣書記官長や企画院総裁を務めた大蔵官僚・星野直樹は父方の従兄弟。東大総長を務めた政治学者の南原繁は義弟(妹の夫)。群馬県出身。無教会(無教会主義キリスト教)信徒。 内村鑑三に師事し、「衛生文化思想普及会」を発足、社会衛生学の知見とキリスト教信仰とを統合した独自の社会衛生政策を主張した。また、高野岩三郎らと共に日本における実証的な都市社会調査の先駆とされる労働者の生活実態調査「月島調査」を実施した。
山崎 匡輔(やまざき きょうすけ、1888年〈明治21年〉2… 山崎 匡輔(やまざき きょうすけ、1888年〈明治21年〉2月9日 - 1963年〈昭和38年〉8月8日)は、日本の官僚、土木工学者、教育行政家。鉄道院技師、東京帝国大学教授、日本学術振興会理事長、文部次官、東京都教育委員長、日本放送協会常務理事、東海大学第2代学長、成城大学学長。工学博士。土木学会名誉会員。第12回(昭和35年度)NHK放送文化賞受賞。 群馬県桐生市に、吾妻郡長をつとめた山崎金四郎の長男として生まれる。旧制前橋中学校、旧制第一高等学校理科を経て、1915年東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。鉄道院技師をつとめたのち、1920年東京帝国大学助教授を経て1939年同教授となる。 1945年文部省科学教育局長となり、1946年文部次官に就任。
二宮 丁三(にのみや ていぞう、1887年 - 1951年)… 二宮 丁三(にのみや ていぞう、1887年 - 1951年)は、日本の商学者。第3代兵庫県立神戸高等商業学校校長や、同校が大学に昇格して設立された兵庫県立神戸商科大学の学長事務取扱を経て、初代共立女子大学学長を務めた。 群馬県出身。群馬県立前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)を経て、1911年東京高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。1914年同校専攻部商工経営科卒業。1926年から2年間文部省在外研究員としてイギリスに留学し、山口高等商業学校教授兼山口市参事会員を経て、1941年兵庫県立神戸高等商業学校校長。同年叙正四位。令名高く、1948年には兵庫県立神戸商科大学学長事務取扱を兼務した。同年に退官後は、共立女子専門学校校長を経て、共立女子大学学長を務め、1951年に病気のため退任した。
原口 鶴子(はらぐち つるこ、旧姓:新井、1886年〈明治1… 原口 鶴子(はらぐち つるこ、旧姓:新井、1886年〈明治19年〉6月18日 - 1915年〈大正4年〉9月26日)は、大正時代に活躍した日本の心理学者。Ph. D. を取得した最初の日本人女性である。医学博士(M.D.)取得日本人女性は以前に岡見京子がいたが、Ph.D.は全分野を含めても初であった。 1886年、群馬県北甘楽郡一ノ宮町(現・富岡市)に、新井広三郎・たねの次女として生まれる。戸籍上の名は新井つる。新井家は「朝日屋」と号する豪農であった。父・広三郎は地元の自由民権運動家で代議士・清水永三郎とも往来があった。つるは地元の抜鉾尋常小学校、一ノ宮尋常高等小学校に学んだ。1902年に二年飛び級して群馬県立高等女学校(現・群馬県立高崎高等女子高等学校)を卒業。
高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1… 高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1928年12月23日)は、日本の社会思想家、哲学者。資本論の全訳を行い、国家社会主義を唱えた。 旧前橋藩士の子。クリスチャンとなり同志社神学校に入るも、途中キリスト教を捨て中退。高崎市で社会主義雑誌『東北評論』を発刊、1908年新聞紙条例により禁固2ヶ月の刑を受け入獄、獄中で英訳のカール・マルクス『資本論』(1867年出版)に出合う。 1911年、売文社に入り社会主義活動に身を挺す。1915年、堺利彦・山川均らと『新社会』を発行することで、マルクス主義を紹介した。特に1917年からカール・カウツキーの『資本論解説』(原題『カール・マルクスの経済学説』、1887年出版)を翻訳したことは、彼のマルクス研究者としての地位を確固のものとした。
桐淵 勘蔵(きりぶち かんぞう、1885年〈明治18年〉11… 桐淵 勘蔵(きりぶち かんぞう、1885年〈明治18年〉11月21日 - 1973年〈昭和48年〉6月30日)は、日本の経営工学者。 群馬県藤岡市出身。1914年(大正3年)東京高等工業学校教員養成所機械科卒業。福岡県立福岡工業学校教諭を経て、1916年(大正5年)東京高等工業学校助教授となる。1923年(大正12年)、東京高等工芸学校教授に就任。1926年(大正15年)から工業経営教育のためイギリス・ドイツ・アメリカへ2年間留学。その後、長岡高等工業学校教授、今宮職工学校(大阪府立今宮工科高等学校)校長、中島飛行機株式会社青年学校、千葉工業大学教授、武蔵工業大学教授、亜細亜大学教授を務めた。1964-1966年日本経営工学会会長。
斎藤 玉男(さいとう たまお、1880年〈明治13年〉4月1… 斎藤 玉男(さいとう たまお、1880年〈明治13年〉4月14日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は日本の医師、精神医学者。高村智恵子の晩年の主治医であった。 1880年(明治13年)、群馬県南勢多郡苗ヶ島村(勢多郡宮城村を経て現・前橋市苗ヶ島町)に生まれる。祖父は幕末から明治時代にかけて活躍した国学者・医師であった斎藤多須久(たすく)。群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学医科大学を卒業した。その後、ドイツやアメリカに留学。 東京府巣鴨病院医員として勤務。巣鴨病院の後輩には斎藤茂吉がおり親交を結んだ。1916年(大正5年)日本医学専門学校教授に就任し、1944年(昭和19年)まで務める。
小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1… 小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1921年〈大正10年〉6月27日)は、日本の工学者。秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)教授。 小屋右兵衛の長男として1879年(明治12年)に群馬県勢多郡笂井村(現在の前橋市笂井町)に生まれる。父小屋右兵衛は南勢多郡木瀬村の村長(1896年から1904年まで)を務めた人物であり、美学者大塚保治(旧姓・小屋)の兄である。 現在の前橋市立笂井小学校、群馬県立前橋高等学校を卒業後、第二高等学校を経て、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業する。卒業後は東京砲兵工廠火薬製造技術にて研究に従事する。 中国広東省の高等工業学堂の教授を経て、1912年(明治45年)より秋田鉱山専門学校にて、講師、教授を務める。
福田 啓作(ふくだ けいさく、1878年〈明治11年〉 - … 福田 啓作(ふくだ けいさく、1878年〈明治11年〉 - 1969年〈昭和44年〉12月27日)は、昭和期に活躍した教育者、郷土史家。邑楽館林地方の郷土史研究のため尽力した。群馬県邑楽郡富永村(現在の邑楽郡千代田町)出身。 1899年(明治32年)に群馬師範学校を卒業後、館林町、西谷田村(現板倉町)の小学校教師を歴任。1913年(大正2年)、多々良村の多々良尋常高等小学校(現館林市立第八小学校)校長となる。1916年(大正5年)には北甘楽郡視学となり、その後は佐波郡豊受村、邑楽郡小泉町、多々良村、館林町の尋常小学校長を歴任した後、1933年(昭和8年)3月に退職した。同年の12月には初代の館林町立図書館館長に就任し、1946年(昭和21年)3月まで同職を務めた。
遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年〈明治7年〉10… 遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年〈明治7年〉10月2日 - 1946年〈昭和21年〉2月5日)は、日本の思想家、社会学者、教育者。私立巣鴨学園の創設者である。 1874年(明治7年)前橋藩の下級士族・遠藤千次郎、はる夫妻の長男として現在の群馬県前橋市神明町で生まれた。父・千次郎は福澤諭吉の思想に共鳴していた。隆吉は桃井学校に学び、1892年(明治25年)群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業した。第一高等学校に進学し、1896年(明治29年)に卒業。東京帝国大学文科大学哲学科に進んで、1899年(明治32年)に卒業。同校学長の井上哲次郎、心理学教授・元良勇次郎、外国人教師・ケーベルから強く影響を受けた。
大藤 鋳三郎(だいとう ちゅうさぶろう、1874年8月 - … 大藤 鋳三郎(だいとう ちゅうさぶろう、1874年8月 - 1961年4月7日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。日本聖公会司祭、立教女学院第7代理事長、聖路加国際病院理事、学校法人聖路加看護学園(現・聖路加国際大学)理事。 1895年(明治28年)6月25日、立教学校(立教大学の前身校の一つ)を卒業。この時の卒業式は第3回生卒業式と、第4回生卒業式が併せて行われ、第3回生の卒業生には、木村重治、須藤吉之祐らがおり、同期である第4回生の卒業生には、大藤鋳三郎のほか、濱口梧洞(10代目濱口儀兵衛、ヤマサ醤油社長)、古河倍造、岩佐松太郎(島根出身)、曾根精(福井出身)、中村正路(熊本出身)、白井兵治(福井出身)、菅沼四郎(奈良出身)、鈴木一(千葉出身)らがいた。
大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日〈1869… 大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日〈1869年2月1日〉 - 1931年〈昭和6年〉3月2日)は、日本の美学者、東京帝国大学教授(文学博士)。日本における学術的な美学の創設者とされる。夏目漱石との交友でも知られる。旧姓・小屋。 明治元年(1869年)上野国勢多郡木瀬村大字笂井(現・群馬県前橋市笂井町)に、小屋宇平治(卯平治/宇兵衛)の次男として生まれる。兄・右兵衛は木瀬村長を務めた。笂井小学校を経て、1884年(明治17年)旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。旧制第一高等学校を経て、1891年(明治24年)に帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)哲学科を卒業。大学院で美学を専攻する。
矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年1… 矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年11月4日〉 - 1936年〈昭和11年〉10月2日)は、日本の農学者(醸造学)、大蔵技師。清酒酵母の発見者であり、醸造試験所(酒類総合研究所の前身)の設立に関わるなど、日本の酒造業の発展に貢献した。また、科学的に納豆を研究した先駆者としても知られている。 位階・勲等は正三位勲二等。学位は農学博士。 前橋藩士の長男として、上野国勢多郡一毛村(現在の群馬県前橋市城東町)で生まれた。 群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)卒業後、1886年(明治19年)に第一高等学校に進学。東京帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)に進み、農芸化学を専攻した。
飯塚 啓(いいづか あきら、慶応4年6月16日〈1868年8… 飯塚 啓(いいづか あきら、慶応4年6月16日〈1868年8月4日〉 - 昭和13年〈1938年〉12月10日)は、日本の動物学者(理学博士)。元学習院大学教授。環虫類の世界的権威として知られた。息子は地理学者の飯塚浩二。 1868年、上野国北群馬郡小野上村(現・群馬県渋川市)に生まれる。初名・熊吉。前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を中退。第二高等中学校を経て、1897年、東京帝国大学動物学科を卒業。 1900年8月第六高等学校教授、翌月東京帝国大学助教授。1910年、学習院大学教授に就任。 1919年、エッセイ集「伊香保みやげ」の中で、榛名湖のシジミの減少を予言した[要出典]。皇太子・裕仁親王への進講も行った。
松本 亦太郎(まつもと またたろう、1865年11月3日(慶… 松本 亦太郎(まつもと またたろう、1865年11月3日(慶応元年9月15日) - 1943年(昭和18年)12月24日)は、日本の心理学者。旧姓は飯野、1879年松本家の養子となる。
豊国 覚堂(とよくに がくどう、慶応元年6月25日〈1865… 豊国 覚堂(とよくに がくどう、慶応元年6月25日〈1865年8月16日〉 - 1954年〈昭和29年〉2月4日)は、明治期から昭和にかけての曹洞宗の僧、郷土史家。俗名、義孝(よしたか)。群馬県前橋市堀越町長善寺住職。上毛郷土史研究会を結成し『上毛及上毛人』を刊行したほか、『高崎志』『前橋風土記』などの郷土資料の出版、『征露記念高崎繁昌記』『戦捷記念前橋繁昌記』『歩兵第十五連隊日露戦役史』『高山彦九郎叢書』など地域関連書籍の刊行を行った。 慶応元年(1865年)、上野国多野郡日野村猪田(現・群馬県藤岡市)曹洞宗長湯山興春寺に父田川義水、母知加の子として生まれる。父が校長を務めていた下日野小学校に学んだ。
中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日〈1864年… 中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日〈1864年3月9日〉 - 1940年〈昭和15年〉5月31日)は、日本の倫理学者、教育者。東洋大学6代・7代学長。文部省を相手に論争した哲学館事件で知られる。号に唯我堂。 上野国佐位郡今井村(現・群馬県伊勢崎市赤堀今井町)に、中島鯛三郎(のち泰三郎)・かよの子として生まれる。地元の今井小学校を優秀な成績で卒業して授業生(代用教員)として採用され、師範学校で講習を受け三級訓導補心得となった。その後群馬県立中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学し、1885年(明治18年)に卒業した。同年4月帝国大学予備門専修科に入り、校長・杉浦重剛の薫陶を受けた。
久米 民之助(くめ たみのすけ、文久元年8月27日〈1861… 久米 民之助(くめ たみのすけ、文久元年8月27日〈1861年10月1日〉 - 昭和6年〈1931年〉5月24日)は、日本の土木技術者(工学博士)、実業家、政治家。衆議院議員を4期務めた。故郷の群馬県沼田市に沼田公園を寄付し、沼田市名誉市民として顕彰されている。 上野国沼田(現在の群馬県沼田市)に生まれた。父は沼田藩士の久米権十郎正章。幼少期に両親を喪ったため、継母に養育される。 1876年(明治9年)6月、上京して慶應義塾に学ぶ。1878年(明治11年)に工部大学校土木科に入学。 1884年(明治17年)に工部大学校土木科を優秀な成績(第一等及第)で卒業。卒業後は高島嘉右衛門の土木事業に参画したという。
湯浅 吉郎(ゆあさ きちろう、安政5年2月16日〈1858年… 湯浅 吉郎(ゆあさ きちろう、安政5年2月16日〈1858年3月30日〉 - 1943年〈昭和18年〉2月4日)は、明治から昭和戦中期にかけての聖書学者・図書館学者・詩人。雅号の半月(はんげつ)で知られる。兄は衆議院議員を務めた湯浅治郎。同志社大学、国際基督教大学の総長を務めた湯浅八郎は甥(治郎の子)に当たる。 上野国碓氷郡安中宿(現在の群馬県安中市)にて、味噌醤油醸造業者・有田屋を経営する湯浅治郎吉・茂世の四男として生まれる。明治5年(1872年)、家業を継いだ兄・治郎が作った私立図書館「便覧舎」の設置を手伝い、後に同郷の新島襄の影響を受けて兄とともにキリスト教の洗礼を受けた。1877年(明治10年)に新島が京都に創設した同志社英学校に入学し、1885年(明治18年)に同校普通科ならびに神学科を卒業する。
黒川 真頼(くろかわ まより、文政12年11月12日〈182… 黒川 真頼(くろかわ まより、文政12年11月12日〈1829年12月7日〉 - 明治39年〈1906年〉8月29日)は、江戸時代・明治時代の国学者、宮内省御歌所寄人、東京帝国大学教授。 日本の古来からの歴史、制度、有職故実、風俗、律令、格式、法制史、日本文学、音韻学、美術、工芸など幅広く研究し、考証学的な知を近代に継承して、再編成した明治の碩学である。大学校、元老院、東京帝国大学で研究した著書・論文は数多く、日本文化の集成者と言われた。 本姓は金子、幼名は嘉吉、名は寛長、号は荻斎。上野国桐生新町(現在の群馬県桐生市)にて代々機業を営む父・金子吉右衛門治則と母・るゐの子として生まれる。生まれつき右目が不自由だったが、幼少時から家の土蔵の中で本を読みあさった。
新居 守村(あらい もりむら、文化5年8月15日〈1808年… 新居 守村(あらい もりむら、文化5年8月15日〈1808年10月4日〉 - 1893年〈明治26年〉4月19日)は、江戸時代後期から明治時代に活動した国学者、神道家。通称に又左衛門・又太郎。 文化5年(1808年)、上野国甘楽郡高瀬村(現・群馬県富岡市)に生まれる。新居家は小幡信真の感状を伝える旧家で、小幡藩御用達を勤める家柄だった。父は休兵衛秋住。 父の影響もあり文政5年(1822年)15歳の時に狂歌の社中に入った。浅草庵の黒川春村に教えを受ける。春村死後はその養子・真頼が上野国桐生出身だったこともあり彼と親しく交流した。 国学に志し賀茂真淵・本居宣長の著作を精読する。文政12年(1829年)に大和へ旅行した際、本居春庭(宣長の子)に教えを受けるため伊勢松阪を訪れるが、春庭は前年に死去しており果たせなかった。
森井 裕一(もりい ゆういち)は、日本の政治学者。東京大学大… 森井 裕一(もりい ゆういち)は、日本の政治学者。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻教授。専門は、国際関係論、EU研究、ドイツ政治。
針塚 進(はりづか すすむ)は、日本の臨床心理学者。中村学園… 針塚 進(はりづか すすむ)は、日本の臨床心理学者。中村学園大学人間発達学部教授。
生方 信(うぶかた まこと )は、日本の農芸化学者。北海道大… 生方 信(うぶかた まこと )は、日本の農芸化学者。北海道大学名誉教授、農学博士(北海道大学)。専門は応用分子細胞生物学、生物有機化学など。 群馬県立沼田高等学校を経て、1975年北海道大学農学部農芸化学科卒業、1980年同大学大学院農学研究科博士課程修了(農学博士)。 1980年インディアナ大学化学科博士研究員。1982年理化学研究所特別研究生、1984年同研究所研究員、1992年同研究所副主任研究員。1995年富山県立大学工学部教授(生物工学研究センター)、1998年同大学大学院工学研究科博士課程教授。2003年北海道大学大学院農学研究科教授、2015年同大学名誉教授、2015-2017年同大学大学院農学研究院特任教授。
代田 欣二(しろた きんじ)は、日本の獣医学者。専門は獣医病… 代田 欣二(しろた きんじ)は、日本の獣医学者。専門は獣医病理学。麻布大学名誉教授。 群馬県立沼田高等学校を経て、東京大学大学院を修了した。1981年に麻布大学獣医学部助手となり、同大学助教授を経て1998年に教授に就任する。2018年 名誉教授。この間、カナダ・マギル大学留学、JICA専門家として北京実験動物センター派遣などの経歴を持つ。 2015-2017年 日本獣医病理学専門家協会JCVP理事長。 1995年 日本獣医学会賞受賞。
高橋 信雄(たかはし のぶお)は、日本の教育学者。専門は特別… 高橋 信雄(たかはし のぶお)は、日本の教育学者。専門は特別支援教育、教育工学。愛媛大学名誉教授。 主な研究テーマは、「新生児期から高齢者までの聴力検査」、「幼児期から成人までの補聴器フィッティング」 「人工内耳装用後のリハビリテーション」、「きこえとことばの発達指導」、「学校での学習支援や情報保障」である。 1967年群馬県立沼田高等学校卒業。東京学芸大学卒業、筑波大学大学院博士課程修了、筑波大学文部技官、国立特殊教育総合研究所研究員、1983年より愛媛大学教育学部教員。1996年教授。2014年定年退職、同大学名誉教授。
林 貞夫(はやし さだお)は、日本の建築学者、前橋工科大学名… 林 貞夫(はやし さだお)は、日本の建築学者、前橋工科大学名誉教授。工学博士(日本大学)。 群馬県立沼田高等学校を経て、1980年に日本大学大学院修士課程を修了した。 木村俊彦構造設計事務所、前橋市立工業短期大学教員を経て、前橋工科大学教授に就任した。2012年に退職して、同大学名誉教授となる。 建築構造についての教科書執筆にも力を入れ、中でも『建築 基礎構造』(2002年)は初学者に好適との評価もあり、実際に大阪工業大学、信州大学ほかの大学で教科書に採用されている。