清水 一憲(しみず かずのり、1977年7月26日 - )は… 清水 一憲(しみず かずのり、1977年7月26日 - )は、群馬県藤岡市出身の文人、歌人、NPO研究者(活動家)、会社役員、政策プランナー、まちづくりコンサルタント、イベントプロデューサーである。多数のNPO法人役員を兼職しており、中央省庁や地方自治体の公職にも委嘱されている。
群馬県:29人
清水 一憲(しみず かずのり、1977年7月26日 - )は… 清水 一憲(しみず かずのり、1977年7月26日 - )は、群馬県藤岡市出身の文人、歌人、NPO研究者(活動家)、会社役員、政策プランナー、まちづくりコンサルタント、イベントプロデューサーである。多数のNPO法人役員を兼職しており、中央省庁や地方自治体の公職にも委嘱されている。
田島 國彦(たじま くにひこ、1969年5月27日 - )は… 田島 國彦(たじま くにひこ、1969年5月27日 - )は、日本の政治活動家、元国会議員公設秘書。中島政希元衆議院議員の政策担当秘書として務めた。NPO法人公共政策研究所 常務理事・主任研究員。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党群馬県衆議院選対本部事務局長を務めた。群馬県太田市出身。 群馬県立太田高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。足利銀行退職後、新党さきがけ群馬県本部事務局長、民主党群馬県総支部連合会常任理事を経て、鳩山由紀夫、石関貴史の秘書、中島政希の政策担当秘書を歴任。 大学卒業後、足利銀行に就職するが新党さきがけの群馬県本部設立の際、銀行を退職し事務局入りする。当時、さ
大河原 宗平(おおかわら そうへい、1953年 - )は、日… 大河原 宗平(おおかわら そうへい、1953年 - )は、日本の警察ジャーナリスト、政治活動家、内部告発者。元群馬県警部補、元鹿児島県阿久根市職員。裏金告発者にして、元群馬県警警部補懲戒免職処分取消請求訴訟(いわゆる群馬県警裏金裁判)・原告。剣道六段。 でっち上げ―群馬県警裏金告発者の記録 つむぎ書房/日輪出版 2021年8月10日
岸 宏一(きし こういち、筆名:麻生浩、1947年7月 - … 岸 宏一(きし こういち、筆名:麻生浩、1947年7月 - 2017年3月?)は、日本の新左翼活動家。 群馬県渋川市生まれ。 群馬県立渋川高等学校を経て、1966年慶應義塾大学経済学部に入学。 1967年に砂川闘争・第一次羽田事件に参加、同年12月マルクス主義学生同盟中核派に加盟。 1968年の米軍王子野戦病院開設阻止闘争・新宿米タン阻止闘争で逮捕・起訴された。同年12月革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に加盟する。 1969年5月全学連(中核派)書記局、8月全学連書記長代行、全国全共闘書記局員をつとめ、第二次羽田事件で総指揮者の一人となり、1970年2月に逮捕・起訴される。 1971年、破防法裁判闘争を支える会事務局に着任するが、1974年1月14日の革マル派による破防法被告・弁護団襲撃時、最高指導者本多延嘉の護衛中に負傷。
朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1944年 - )は、日本… 朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1944年 - )は、日本の新左翼活動家。フロント (社会主義同盟)共同代表。本名・山田勝。 群馬県前橋市生まれ。営林署職員であった父親の転勤に伴い那須、東京、伊豆、高萩で転勤生活を送る。茨城大学附属中学校に一学期通った後、港区立高松中学校に転校。1960年、東京都立日比谷高校に入学。統一社会主義同盟(統社同)系の社研に入部。一浪して1964年、東京大学文科Ⅰ類に入学、統社同に加入。のち東大卒業。統社同は1960年代後半に構造改革路線を捨てて急進化・新左翼化した。 統社同が1970年12月に名称変更した日本共産主義革命党の政治局員となり、労働運動路線を主張したが、統社同的体質が抜けない傾向だとして1972年3月に政治局員を解任された。
小渕 千鶴子(おぶち ちづこ、1940年(昭和15年)8月1… 小渕 千鶴子(おぶち ちづこ、1940年(昭和15年)8月16日 - )は、日本のエッセイスト、政治運動家、環境保護運動家である。
黒川 武(くろかわ たけし、1928年〈昭和3年〉4月1日 … 黒川 武(くろかわ たけし、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2021年〈令和3年〉7月28日)は、日本の労働運動家。位階は従三位。日本労働組合総評議会(総評)最後の議長。 群馬県館林市出身。1945年旧制館林中学校卒業。1946年帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)に入社。1950年中央大学専門部卒業。神田駅助役を経て、1957年帝都高速度交通営団労働組合(営団地下鉄労組)執行委員、1962年同労組委員長。1974年日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)副委員長、1980年同委員長。1983年日本労働組合総評議会(総評)議長。1987年11月の全日本民間労働組合連合会(民間連合)結成に貢献。1988年私鉄総連会長。
役山 礼子(やくやま れいこ、1927年(昭和2年)1月25… 役山 礼子(やくやま れいこ、1927年(昭和2年)1月25日 - 1987年(昭和62年)3月25日)は、日本の社会事業家である。 群馬県に生まれ、同県初の女子校であった群馬県高崎高等女学校(現在は群馬県立高崎女子高等学校に改称)に入学する。卒業から約25年後の1968年(昭和43年)に日本リウマチ友の会の理事長に就任した。 これによって日本国内におけるリウマチを持病に持つ人々のために難病手帳の交付にあたり患者の救済に尽力し、1974年(昭和49年)に理事長を辞任するまでその活動に携わった。
田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日… 田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日 - 2000年〈平成12年〉8月9日)は、日本の社会学者・社会運動家。 群馬県桐生市生まれ。本籍東京市(現港区)。武蔵高等学校卒、1948年東京帝国大学経済学部卒、商工省調査統計局勤務。1950年法政大学大原社会問題研究所勤務、1963年同社会学部助教授、1964年教授。1970-1971、1978-1981年社会学部長。1993年退職、名誉教授。1983年原水爆禁止日本協議会代表理事。 1987年に発病し、1995年パーキンソン症状を伴う進行性核上性麻痺と診断される。1993年東京都重度心身障害者手当を申請するが、判定医の診断により却下される。
藤林 伸治(ふじばやし しんじ、1922年9月26日 - 1… 藤林 伸治(ふじばやし しんじ、1922年9月26日 - 1994年5月2日)は、日本の映画監督・演出家・市民運動家。群馬県富岡市出身。
板橋 明治(いたばし めいじ、1921年〈大正10年〉6月2… 板橋 明治(いたばし めいじ、1921年〈大正10年〉6月25日 - 2014年〈平成26年〉12月24日)は、日本の農民運動家、政治家。毛里田村議会議員、太田市議会議員。毛里田村鉱毒根絶期成同盟会長として、足尾鉱毒問題の解決に奔走した。百年公害と言われた足尾鉱毒問題を解決に導き、幾多の指標的な成果を全国に提供したとされる。 1921年(大正10年)、群馬県山田郡毛里田村大字只上(現・太田市只上町)に、農業を営む板橋家の長男として生まれた。毛里田村の北側に、銅山と製錬所を擁する足尾山地を源流域とする渡良瀬川が、西から東へと流れている。その川は乳白色ににごり、毛里田の子供は川の水は、その色がもともとの川の水の色だと思って遊んだ。
植松 安太郎(うえまつ やすたろう、1916年〈大正5年〉1… 植松 安太郎(うえまつ やすたろう、1916年〈大正5年〉12月1日 - 1981年〈昭和56年〉5月6日)は、日本の詩人、実業家、部落解放運動家。百合崎 迅の筆名でも知られた。日本アジア・アフリカ作家会議会員、新日本文学会会員、ラテンアメリカ行動委員会会員。季刊『原詩人』誌主宰。元日本共産党員で、部落解放文学賞佳作入選の経歴を持つ。 群馬県邑楽郡大川村(現・大泉町)の被差別部落で貧農の三男として生まれる。長兄の植松丑五郎は関東水平社青年同盟の執行委員として活動した。 1932年に郷里の高等小学校を卒業した後、所沢市の魚屋に5年の年季奉公に出されたが、半年で前借り金70円を踏み倒したまま、兄を追って東京に逃亡する。
鈴木 セイ(すずき セイ、1912年〈明治45年〉3月30日… 鈴木 セイ(すずき セイ、1912年〈明治45年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉1月23日)は、日本の福祉活動家。群馬県桐生市境野町出身。 結核患者の介護を志し、母が娘の結婚のためにと貯蓄した資金を学費とし、1942年に看護婦免許、1948年に栄養士免許を取得した。1938年(昭和13年)、榛名山の麓に結核保養所の榛名荘(現、榛名荘病院)を開所し、常任理事に就任した。以後、終生にわたってこの榛名荘に第二の故郷として定住した。 重症心身障害児が福祉制度の対象にならず、障害児者関係制度の狭間に置かれていたことを憂慮し、1965年(昭和40年)、群馬県高崎市榛名山町で、群馬初の重症心身障害児施設である「はんなさわらび学園(現、はんな・さわらび療育園)を創設した。
柴谷 要(しばや かなめ、1910年〈明治43年〉2月27日… 柴谷 要(しばや かなめ、1910年〈明治43年〉2月27日 - 1995年〈平成7年〉4月26日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 群馬県碓氷郡秋間村(現・安中市)で生まれた。秋間尋常小学校(現・安中市立秋間小学校)卒業。1925年(大正14年)鉄道省に入省。1932年(昭和7年)鉄道教習所専門部を卒業した。 鉄道現業員組合に加入し、1946年(昭和21年)国鉄労働組合の結成に加わり、同上野支部副委員長、同東京本部委員長、同中央執行委員長、全官公庁労働組合協議会議長、全日本交通運輸労働組合協議会議長などを務めた。 1956年(昭和31年)7月、第4回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選(任期3年)。
恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月… 恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月25日 - 1989年〈平成元年〉8月20日)は日本の政治家、社会運動家。群馬県議会議員、渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会長。 1907年(明治40年)、群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)に生まれる。父は政七、母は寿世(スセ)。母方の祖父は群馬県会議員・武藤幸逸。1926年(大正15年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業し、慶應義塾大学英文学部予科へ進学するが中退。法政大学法学部を卒業する。 大学卒業後は家業の農業に従事。酪農も始めて東毛酪農協同組合を創立、初代会長に推された。群馬県毛里田村農業協同組合長、群馬県養蚕農協連合会会長を歴任。
小渕 千代(おぶち ちよ、1906年 - 1996年2月2日… 小渕 千代(おぶち ちよ、1906年 - 1996年2月2日)は、日本の実業家・政治運動家。吾妻三女傑の異名をとった。群馬県吾妻郡名久田村(現在の中之条町)出身。旧姓・関。「小渕ちよ」と称することもある。 佐藤裁縫専門学校(現在の高崎商科大学附属高等学校)卒業。鐘紡に入社、新町工場に勤務する。その後、小渕製糸所に入社する。1929年、小渕光平(のち衆議院議員)と結婚する。光山社役員として業務に従事する。1949年、夫の第24回衆議院議員総選挙出馬に伴い、運動員として奔走した。1952年の第25回衆議院議員総選挙で、公職選挙法違反により逮捕される。1958年の第28回衆議院議員総選挙でも公職選挙法違反で逮捕され、1か月間勾留された。
田口 ツギ(たぐち ツギ、1903年〈明治36年〉10月19… 田口 ツギ(たぐち ツギ、1903年〈明治36年〉10月19日 - 1934年〈昭和9年〉8月19日、女性)は、昭和初期の日本の社会運動家、治安維持法の下で非合法政党であった時期の日本共産党の党員。 群馬県群馬郡滝川村(後の高崎市の一部)に生まれる。生家は、半農半商の穀屋であったが、1920年の戦後恐慌の際に破産した。 上級学校へは進学しなかったが、養蚕や農業に従事しながら、下田歌子の実践女学校における講義録を読み、独学青年の集まる「詩と歌の会」に参加するなどしていた 1925年1月、姉である田口マチ(後の梶並マチ)とともに、前橋市で開かれた講演会で、東京合同労働組合の活動家であった丹野セツの講演に触れる。
伊藤 顕道(伊藤 顯道、いとう あきみち / けんどう、19… 伊藤 顕道(伊藤 顯道、いとう あきみち / けんどう、1900年〈明治33年〉6月20日 - 1982年〈昭和57年〉4月26日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。柔道八段。 群馬県前橋市向町(現住吉町)で、食品製造業・伊藤勝次郎、かめの三男として生まれる。1915年(大正4年)前橋久留万高等小学校を卒業、同年関口孝五郎の弘道館に入門し柔道を習う。1920年(大正9年)群馬師範学校本科一部を卒業し、久留万高等小学校訓導に就任。その後、東京高等師範学校に入学し、1924年(大正13年)同校本科を卒業した。 1924年、神奈川県立湘南中学校(現神奈川県立湘南高等学校)教諭に就任し、横浜高等商業学校嘱託を務めた。
菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年(明治30年)7月… 菊池 重作(きくち じゅうさく、1897年(明治30年)7月14日 - 1980年(昭和55年)12月9日)は、日本の社会運動家、実業家、政治家。衆議院議員。 群馬県佐波郡茂呂村(現伊勢崎市)で生まれる。織物製造業、養蚕販売業を営む。 1923年、群馬共産党事件を契機に社会運動に加わり、日本労農党に加入し小作争議の指導を行う。全国農民組合茨城県連合会書記長、同会長、日本農民組合茨城県連合会執行委員長、社会大衆党茨城県連合会書記長などを務め、1936年、水海道町会議員となるが、1938年、人民戦線事件で検挙され、懲役3年・執行猶予5年の判決を受けた。 戦後、日本社会党に入党し、1947年4月の総選挙に茨城県第三区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務める。
大島 義晴(おおしま よしはる、1894年〈明治27年〉12… 大島 義晴(おおしま よしはる、1894年〈明治27年〉12月25日 - 1953年(昭和28年)4月21日)は、大正から昭和前期の労働運動家、農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 群馬県新田郡尾島町(現・太田市)で生まれる。 18歳頃から棒頭(人足頭)として足尾線工事、利根川改修工事に従事。徴兵検査後に上京し三河島造船尻ケ崎鉄工所で働き、労働運動に加わり日本友愛会向島支部長に就任した。1919年(大正8年)ワシントンで開催の第1回国際労働会議に労働代表顧問として出席。マーガレット・サンガーに賛同して産児調節運動に取り組むが、出版法違反で投獄された。 満洲に移り、その後、盧溝橋近くで大島鉱業所を経営した。
須永 好(すなが こう、1894年〈明治27年〉6月13日 … 須永 好(すなが こう、1894年〈明治27年〉6月13日 - 1946年〈昭和21年〉9月11日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(2期)、強戸村会議員。香川県の「伏石事件」、新潟県の「木崎争議」とともに日本三大小作争議の1つとして有名な「強戸争議」を主導した。農民運動の指導は合法主義で、争議による処罰者を出さなかったと言われている。 群馬県新田郡強戸村大字成塚(現・太田市成塚町)に、須永伊平・つやの次男として生まれる。長男は早世したため事実上長男として育つ。実家は絽機屋を営む裕福な農家であった。地元の強戸小学校を経て、旧制群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)に進学する。しかし、祖父・高次郎が病臥したことと、父が政治にのめり込んで武藤金吉の子分となり新田郡会議員となって家庭を顧みなくなったため、1909年(明治42年)に太田中学校を退学して農業に従事する。
井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年〈明治19年〉4… 井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年〈明治19年〉4月12日 - 1967年〈昭和42年〉3月4日)は、日本の宗教家、政治運動家、テロリスト、右翼指導者。本名は井上 昭(いのうえ あきら)、別号に日象。血盟団を結成して「一殺多生」を唱え、1932年に血盟団事件を起こした。無期懲役の判決を受けたが恩赦により出所。戦後は右翼団体・護国団を結成した。日蓮宗を信仰し、仲間からは「和尚」と呼ばれたものの僧籍は有していない。 群馬県利根郡川場村に、医師・井上好人の四男として生まれる。幼名は四郎、通称尚(たすく)。幼少期より母との関係が悪く、野火を付けたり脇差を持ちだして門松を斬り倒したりする悪童だった。
石坂 荘作(いしざか そうさく、1870年4月6日(明治3年… 石坂 荘作(いしざか そうさく、1870年4月6日(明治3年3月6日) - 1940年(昭和15年))は、日本の実業家・教育家・慈善家・社会事業家。台湾で活躍。台湾初となる私立の図書館「石坂文庫」を創設し、台北州議會議員、基隆夜學會の校長を務めた。「基隆の聖人」とか「台湾図書館の父」と呼ばれる。自著『臺灣古代文化の謎』では「圖南」(読みは「となん」であろう)と号した。 石坂荘作は、1870年(明治3年)に日本の群馬県吾妻郡原町(現東吾妻町)で生まれた。原町小学校を卒業後、同地や水戸で漢学を学ぶ。原町小学校教員、近衛工兵中隊隊員を経験する。1896年(明治29年)3月にフィリピンへ向かう途中に立ち寄った台湾で、創刊間もない『台湾日日新報』の記者になった。
小山 豊太郎(こやま とよたろう、明治2年3月10日〈186… 小山 豊太郎(こやま とよたろう、明治2年3月10日〈1869年4月21日〉 - 昭和22年〈1947年〉8月4日)は日本のテロリスト。別名に六之助/録之助(ろくのすけ)。日清戦争の講和会議に際して清国全権大使・李鴻章を狙撃したことで知られる(李鴻章狙撃事件)。 現在の群馬県館林市大島町に生まれる。父・孝八郎は県会議員を務めた村の名士であった。 館林で高橋渡に3年ほど理学の教えを受け、さらに栃木県中学校に学ぶ。栃木県中学校を中退。1884年(明治17年)ごろに上京して慶應義塾に学ぶが1886年(明治19年)に脚気で退塾し故郷へ帰る。放蕩のため父から勘当され、1888年(明治21年)に廃嫡された。
新井 毫(あらい ごう、安政5年11月10日〈1858年12… 新井 毫(あらい ごう、安政5年11月10日〈1858年12月14日〉 - 1902年〈明治35年〉11月24日/25日?)は、明治時代の民権運動家・政治家。衆議院議員(3期)、勢多郡会議員、黒保根村議会議員。国民協会所属。 安政5年(1858年)、上野国勢多郡下田沢村字鹿角(群馬県勢多郡黒保根村を経て現・桐生市黒保根町下田沢)に、新井乙瓢(佐吉)の第四子として生まれる。初名は筆吉。 明治5年(1872年)横浜に出て英語を川村敬三とドクトル・ブラオンに学ぶ。さらに慶應義塾や共慣義塾で勉学に励む。卒業後の1876年(明治9年)、「英学校静知社」を創立し校長となる。東京で雑誌『與論新誌』や『東京政談』を発刊し、「東京政談演説会」を主宰。
渡辺 たま(わたなべ たま、1858年4月18日(安政5年3… 渡辺 たま(わたなべ たま、1858年4月18日(安政5年3月5日) - 1938年(昭和13年)10月26日)は、日本の慈善家・女性活動家。名前は多満、玉子あるいは多満子とも。明治後期 - 昭和初期の横浜市において、多くの慈善事業団体の立ち上げや運営に関わった。正六位。 現在の群馬県碓氷郡松井田(現安中市)に、回送業を営む大河原太右衛門の次女として生まれる。大河原家は地元の名家であり、代々総社の神官を務めていた。 父太右衛門の兄新次郎は江戸の海産物商明石屋七代目渡辺治衛門に見込まれ、渡辺家の入り婿となり、八代目を襲名していた。太右衛門も明石屋との関係を深め、7代目明石屋治右衛門とともに開港にともなって、主に石炭を商うために出店した横浜の明石屋(明石屋平蔵商店、後に石福商店)の経営に当たった。
湯浅 治郎(ゆあさ じろう、嘉永3年10月21日〈1850年… 湯浅 治郎(ゆあさ じろう、嘉永3年10月21日〈1850年11月24日〉 - 1932年〈昭和7年〉6月7日)は、日本の明治から昭和戦前期にかけての政治家(衆議院議員、群馬県会議員)・実業家・社会運動家。雅号は雲外。同郷の新島襄から洗礼を受け、中村栄助、大澤善助とともに経営面で初期同志社を支えた。 弟は詩人の湯浅吉郎(半月)、妻は徳富蘇峰・蘆花の姉・初子、子に画家の湯浅一郎や同志社総長・国際基督教大学学長の湯浅八郎など。海老名弾正、山室軍平、深井英五らと親交があった。 嘉永3年10月21日(1850年11月24日)、上野国碓氷郡安中宿(現在の群馬県安中市)にて味噌醤油醸造業者・有田屋を経営する湯浅治郎吉・茂世の長男として生まれる。
初代 澁澤 金蔵(しょだい しぶさわ きんぞう、1829年1… 初代 澁澤 金蔵(しょだい しぶさわ きんぞう、1829年11月〈文政12年11月〉 - 没年不明)は、日本の商人、慈善家、政治家。群馬県多額納税者。族籍は群馬県平民。 上野国新田郡太田町(現・群馬県太田市)に生まれた。周蔵の長男。幼い頃から豪放不羈で、他人に頼り衣食することを欲しなかった。母を亡くし、13歳の頃父を助けて質屋古着商を営むが失敗。ことごとく資本を失う。ほとんど「赤貧洗うがごとし」の状態となった。18歳の頃その目的を父に告げて家を出た。他郷に周遊し多くの苦労をしたが、ついに意を果たさず、嘉永4年、家に帰り一小太物店を開いた。 前の負債は元利益々嵩み債主の督促はいよいよ厳しくなったため、いったん家を売却して償還することを父に告げたが父は許さなかった。
小渕 岩太郎(おぶち いわたろう)は、日本の軍人・実業家・政… 小渕 岩太郎(おぶち いわたろう)は、日本の軍人・実業家・政治運動家。元光山社代表取締役会長、日本工業大学後援会会長。群馬県吾妻郡中之条町出身。 群馬県立渋川中学(現在の群馬県立渋川高等学校)から東京外国語学校西語(スペイン語)部貿易科に進学する。1942年9月の卒業後応召し、豊橋予備士官学校を経て1944年1月、陸軍中野学校に6期丙学生として入校する。9月の卒業後ただちに台湾に出征する。第10方面軍隷下山中部隊(のち第1高砂遊撃隊と改称)編成に携わり、本部附を経て司令部情報班に転じ、出先の高雄で民間人を装って後方遊撃戦展開の準備を進める中で終戦を迎えた。終戦時中尉。 1946年に台湾から復員後、実兄の小渕光平が創業した光山社グループに入社した。