中原 茂明(なかはら しげあき、1941年6月28日 - )… 中原 茂明(なかはら しげあき、1941年6月28日 - )は日本の実業家。トクヤマ代表取締役社長や、同社取締役会長、塩ビ工業・環境協会会長、日本ソーダ工業会会長などを務めた。 東京都出身。東京都立豊多摩高等学校を経て、1966年一橋大学商学部卒業、徳山曹達(現トクヤマ)入社、計数課配属。東京支店調査課、ソーダ薬品営業企画課、化学品営業企画課を経て、1970年東京支店購買課課長代理。1972年総合企画室主席。1988年IRIS本部主席兼広報室主席。1989年広報室長兼IRIS本部部長。1991年化成品企画グループリーダー兼IRIS本部部長。1995年取締役化成品事業部長。2000年常務取締役化成品事業部長、各支店管掌。
長沢 純(ながさわ じゅん、1941年6月17日 - 202… 長沢 純(ながさわ じゅん、1941年6月17日 - 2026年1月15日)は、日本の実業家、元スリーファンキーズのリーダー、テレビ番組の司会者、俳優、タレント。東京府(現東京都)出身。本名は、長澤 毅(ながさわ つよし)。 法政大学第二高等学校を卒業。法政大学法学部在学中に、アイドルコーラスグループ「スリーファンキーズ」を結成。長沢がリーダーとなり、高倉一志(現・藤健次)、高橋元太郎との三人組で、1962年1月に東芝レコードよりアルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』でレコードデビュー。同年5月に1stシングル『でさのよツイスト』発売。若い女性を中心に人気を集め、男性アイドルグループの元祖的存在となったが、1966年2月に解散。
上原 明(うえはら あきら、1941年〈昭和16年〉4月5日… 上原 明(うえはら あきら、1941年〈昭和16年〉4月5日 - )は、日本の実業家。大正製薬相談役。 大正製薬ホールディングス代表取締役社長、大正製薬代表取締役社長および代表取締役会長、城西大学理事長を歴任した。 住友銀行頭取・堀田庄三の二男として、東京都港区麻布に生まれる。 成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て慶應義塾大学経済学部に進学し、米国のミズーリバレーカレッジ、ダートマス大学経営学科大学院に留学。帰国後、休学していた慶應義塾大学に復学し卒業した。 1966年(昭和41年)4月、日本電気株式会社(NEC)入社。 大正製薬社長・上原昭二(現在は名誉会長)の長女である正子(武蔵野音楽大学出身)との結婚を機に、1977年(昭和52年)に大正製薬に入社し、取締役総務部長に就任。
法華津 寛(ほけつ ひろし、1941年3月28日 - )は、… 法華津 寛(ほけつ ひろし、1941年3月28日 - )は、東京府出身の日本の馬術選手、実業家。アバロン・ヒルサイドファーム所属。 武蔵中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本石油に入社。 学生時代から選手として数々の大会に出場した。1964年に開催された東京オリンピックに出場し、障害飛越個人40位、同団体12位の成績だった。 東京オリンピック後に日本石油を退職し、デューク大学大学院へ留学し経済学専攻修士課程を修了。その後は外資系製薬会社エフ・ホフマン・ラ・ロシュ、ジョンソン・エンド・ジョンソンを経て1981年から同社傘下のオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス(Ortho-Clinical Diagnostics)に勤務した。
川久保 勲(かわくぼ いさを、1941年2月5日 - )は日… 川久保 勲(かわくぼ いさを、1941年2月5日 - )は日本の右翼系の政治活動家、学習塾経営者。 東京都出身。1959年東京都立大森高等学校、1965年東京大学農学部卒業。その後日本ユニシスに勤務。退職後1996年より個別指導学習塾の経営を始める。 2004年の第20回参議院議員通常選挙に、維新政党・新風の候補として神奈川県選挙区から出馬するも、落選する。 稲田朋美や西村真悟を支援している。 2001年7月7日、慰安婦問題に関し昭和天皇有罪論を主張する「日中友好神奈川県婦人連絡会」主催による討論会が開かれた。川久保は同志である西村修平とともにこの集会に参加する。討論会中に上映されたビデオ中の日本兵が強姦したとの台詞に憤りを感じ、川久保らは"反日的"台詞のたびに野次を飛ばした。
上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )… 上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )は、日本の実業家で、株式会社ゾフ創業者、同社元代表取締役社長である。 東京都出身で、学習院初等科、学習院中等科・高等科を経て1963年に学習院大学経済学部を卒業し、レナウンニシキに入社する。1968年に上野衣料株式会社に入社して1969年専務取締役となる。アパレル業界の不況でメガネ事業を構想し、1993年に、株式会社ゾフを設立して代表取締役社長となり、株式会社インターメスティックを設立して代表取締役社長となる。2014年に株式会社インターメスティック代表取締役会長、2015年に株式会社インターメスティック代表取締役会長兼社長、2020年に株式会社インターメタックス取締役会長となる。
加藤 誠(かとう まこと、1940年12月13日 - )は東… 加藤 誠(かとう まこと、1940年12月13日 - )は東京都出身の実業家、商社員。元伊藤忠商事株式会社代表取締役副社長。明治大学商学部卒業 1940年に東京で生まれる。1964年に明治大学商学部卒業後、伊藤忠商事へ入社する。主に繊維・アパレル部門で活動し、ニューヨーク駐在などを経て、1995年にアパレル部門長、取締役となる。2001年に当時社長であった丹羽宇一郎のもとで副社長・繊維カンパニープレジデントに抜擢され、さらに社長補佐(営業分掌役員)に就任する。その後、2006年に副会長(関西担当役員)となり、07年に相談役へ退いた。また、大阪商工会議所副会頭、関西経済同友会常任幹事を歴任した。後に株式会社大阪繊維リソースセンター代表取締役社長を務めた。
渡邊 紀征(わたなべ のりゆき、1940年(昭和15年)10… 渡邊 紀征(わたなべ のりゆき、1940年(昭和15年)10月10日 - )は、日本の実業家。ファミリーマート副社長や西友の社長・会長を務め、セゾングループ成長の牽引役の一人として知られた。日本チェーンストア協会会長、スギホールディングス取締役、エステー取締役等も歴任。 東京都出身。東京都立立川高等学校を経て、1963年に一橋大学社会学部を卒業した。野村證券に入社するも、自分に合わないと考え退社、客の喜びが直接伝わってくる小売業への就職を希望し、1968年に西友ストアーに入社、営業畑を歩む。営業企画部長、小売事業本部長を経て、1982年に取締役、1986年に常務、1992年代表取締役専務に就く。
大崎 文明(おおざき ふみあき、1940年10月4日 - )… 大崎 文明(おおざき ふみあき、1940年10月4日 - )は、日本の経営者。西武百貨店社長を務めた。 東京都出身。1963年に成城大学経済学部を卒業し、同年に西武百貨店に入社。取締役、常務を経て、1998年6月に専務に就任し、2003年5月には社長に昇格し、2008年3月までに務めた。
鈴木 嘉和(すずき よしかず、1940年〈昭和15年〉8月2… 鈴木 嘉和(すずき よしかず、1940年〈昭和15年〉8月21日 - 1992年〈平成4年〉11月25日失踪)は、日本のピアノ調律師、実業家。本名:石塚 嘉和(いしづか よしかず)、旧姓:鈴木。 1989年7月30日に「横浜博覧会立て籠もり事件」、1992年4月17日に「ヘリウム風船不時着事件」と、ニュースになる騒ぎを2度起こした。同年11月に風船を付けたゴンドラでアメリカを目指して太平洋横断に挑戦したが、出発から2日後に連絡が途絶え、その後に消息不明となった。最後の「ファンタジー号事件」がワイドショーを中心にマスコミで報じられたことで「風船おじさん」の名で知られることになった。 東京都でピアノ調律師の一家に生まれる。
後藤 卓也(ごとう たくや、1940年8月19日 - )は、… 後藤 卓也(ごとう たくや、1940年8月19日 - )は、東京都出身、日本の経営者。元花王株式会社代表取締役社長、元花王株式会社取締役会長。現在は、日本マーケティング協会会長、オリンパス株式会社の社外取締役などを務める。
堀 由紀子(ほり ゆきこ、1940年7月22日 - 2023… 堀 由紀子(ほり ゆきこ、1940年7月22日 - 2023年11月29日)は、日本の実業家。新江ノ島水族館名誉館長、世界淡水魚園水族館名誉館長、日本ユネスコ国内委員会委員。義父(夫の父)は堀久作。 1940年、藤井丙午の娘として生まれる。政治家・藤井孝男(丙午の三男)の姉。 1947年、立教女学院小学校へ入学。1959年、立教女学院高等学校卒業。1963年、立教大学社会学部卒業。大学ではモダンジャズソサイアティ同好会を作るとともに、立教大学英語会(ESS)で活動した。大学在学中の1962年に、日活の御曹司、堀雅彦と結婚する。 1974年、義父の堀久作(元日活社長)が残した株式会社江ノ島水族館の代表取締役社長に就任する。
川喜多和子(かわきた かずこ、1940年(昭和15年)2月1… 川喜多和子(かわきた かずこ、1940年(昭和15年)2月1日 - 1993年(平成5年)6月7日)は、日本の実業家であり、海外の映画を日本国内に数多く配給したことで知られる。元夫は俳優・映画監督の伊丹十三。 東京都出身。父・川喜多長政、母・川喜多かしこの一人娘として聖路加病医院で生まれる。父の仕事の都合で、中国の上海・北京で育つ。上海で暮らした3歳の頃にはロシア人の先生についてバレエを習いだす。第二次世界大戦の敗戦により、引き揚げまでの2ヶ月は収容所で過ごした。1946年(昭和21年)2月に帰国。生家であった麻布の邸宅は空襲により焼け落ちていたため、鎌倉へ一家で転居した。1947年(昭和22年)御成小学校入学、その後、御成中学校へ進学し、東勇作バレエ団に入団。
荒木 隆司(あらき りゅうじ、1940年1月29日 - )は… 荒木 隆司(あらき りゅうじ、1940年1月29日 - )は日本出身の実業家。元トヨタ自動車株式会社取締役副社長。 この間、浜松ホトニクス監査役、ダイハツ工業監査役、日本自動車工業会理事、豊田法人会会長、国有財産東海地方審議会会長などを歴任した。
石坂 芳男(いしざか よしお、1940年1月9日 - )は、… 石坂 芳男(いしざか よしお、1940年1月9日 - )は、日本の実業家。米国トヨタ自動車販売社長や、トヨタ自動車副社長を歴任。藍綬褒章受章。 東京都町田市生まれ。東京都立立川高等学校を経て、1963年に一橋大学法学部を卒業。大学では堀口亘ゼミナールと自動車部に所属。1964年3月トヨタ自動車販売入社。入社直後から海外営業畑を歩み、オーストラリアと米国に駐在する。 1996年、米国トヨタ自動車販売社長に就任。値下げに踏み切った97年型トヨタ・カムリや、SUVを中心に、アメリカ合衆国でのトヨタ車販売量を増やした。また1997年からはカリフォルニア州で電気自動車の電力会社や地方自治体への販売を開始させた。
稲生 武(いのお たけし、1939年9月11日 – )は日本… 稲生 武(いのお たけし、1939年9月11日 – )は日本の実業家、技術者、元いすゞ自動車株式会社代表取締役社長。 いすゞ自動車では操縦安定性、振動騒音、人間工学などの研究開発を行い、大型車開発を中心とする技術者出身の経営者である。また、1974年には品質工学を提唱していた田口玄一博士から操縦性評価などについての指導を受けた。 この間、(株)いすゞセラミックス研究所、いすゞエンジニアリング(株)、(株)いすゞ中央研究所の各社長を歴任した。また、東京工業大学機械系同窓会白星会会長、日本機械学会フェロー、自動車技術会フェロー、2004年には品質工学会会長を務めた。
滝鼻 卓雄(たきはな たくお、1939年8月14日 - )は… 滝鼻 卓雄(たきはな たくお、1939年8月14日 - )は、日本の新聞記者、実業家。株式会社読売新聞グループ本社相談役、株式会社読売巨人軍最高顧問。 株式会社読売新聞東京本社社長、株式会社読売巨人軍オーナー、学校法人慶應義塾評議員などを歴任した。 東京府(現・東京都)出身。東京都立西高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学在学中、新聞研究所(現・メディアコミュニケーション研究所)に所属し、マスコミュニケーションを学ぶ。 1963年4月、読売新聞社入社。社会部中心に記者として活動する。 2004年8月、明治大学・一場靖弘投手(後に楽天→ヤクルト)を巡る裏金事件で引責辞任した渡邉恒雄オーナーに代わり、第4代目の読売ジャイアンツオーナーに就任。
柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日… 柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日本の実業家。東京都江戸川区出身。 東京都立江東商業高等学校卒業。1957年に内山甚一商店に入社。1963年に兄とともに内山コンクリート工業(後に内山アドバンス)を設立し、生コンクリートメーカーとして成長させる。1985年に副社長に就任。 1969年に建設資材の総合商社・山一興産株式会社の設立に参画し、1984年に代表取締役社長に就任。1994年に社団法人ニュービジネス協議会の理事に就任し、女性経営者委員会の委員長を務めた。1998年より社会福祉事業にも取り組む。2004年に浦安商工会議所会頭に就任し、全国初の女性会頭となる。学校法人草苑学園学園長、社団法人浦安観光コンベンション協会特別理事。
木村和巨(きむら かずお、1939年7月2日 - )は、日本… 木村和巨(きむら かずお、1939年7月2日 - )は、日本の実業家。元株式会社三貴(じゅわいよ・くちゅーるマキ/ジュエリーマキ)代表取締役社長。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学商学部を卒業。その後、同大学院商学研究科に進学し、自宅の一間で宝石販売業を始め、1965年に株式会社三貴を設立し、代表取締役社長に就任。 同社は、木村の早大の後輩ら数名でスタートした。 宝飾品・貴金属業界では垂直統合をビジネスモデルとして考案、展開した。 その後、婦人服、子供服事業にも進出。最盛期には全国1,400店舗、物流センター、2ヶ所の海外工場を擁し、売上高は1,800億円を超え、従業員は8,000名を数えた。
近衞 忠煇(このえ ただてる、1939年5月8日 - )は、… 近衞 忠煇(このえ ただてる、1939年5月8日 - )は、近衞家第32代当主で日本赤十字社名誉社長。国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長を歴任。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)元顧問、公益財団法人日本国際フォーラム参与。初名は細川 護煇(ほそかわ もりてる)。 旧肥後熊本藩細川侯爵家の細川護貞と温子夫人(近衛文麿の次女)の次男として生まれた。兄は細川護熙(第79代内閣総理大臣)。 清泉小学校、栄光学園中学校・高等学校を経て、1962年(昭和37年)に学習院大学政経学部政治学科を卒業(学位:政治学士)。その後、英国のロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスヘ留学(国際関係論)。
大塚 信一(おおつか のぶかず、1939年 - )は岩波書店… 大塚 信一(おおつか のぶかず、1939年 - )は岩波書店元社長。
御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 19… 御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 1995年8月31日)は、元キヤノン社長。 東京都出身。マサチューセッツ工科大学大学院電子工学科、スタンフォード大学修了。キヤノン創業者御手洗毅の子。 1974年にキヤノンに入社。中央研究所所長などを務めた後、1993年に山路敬三の突然の退任を受け第五代社長に就任。社長として辣腕を振るったが、1995年に間質性肺炎のため、在職のまま死去。後任社長には従兄の御手洗冨士夫が就任した。
西川 清(にしかわ きよし、1938年(昭和13年)6月7日… 西川 清(にしかわ きよし、1938年(昭和13年)6月7日 - 2005年(平成17年)7月9日)は日本の実業家、馬主。東証1部上場企業で駐車場運営・管理の最大手であるパーク24株式会社(資本金55億9,499万6,528円)の創業者。2004年(平成16年)1月からは取締役会長を務めていた。東京府(現・東京都)出身、法政大学第二高校、法政大学経済学部卒業。 1971年(昭和46年)、9年間勤めた会社を退職して独立。モータリゼーションの進展を予感し自動車関連事業を志す。資本金100万円で株式会社ニシカワ商会(パーク24)を設立し、最初に手がけたのは駐車禁止表示看板の販売事業であった。ある日彼は看板の営業に出かけた中華料理店で、無人の駐車場管理を可能にするパークロックシステム(駐車すると地面からロック板が上がってきて車が出られなくなる機械)が設置されているのを見つける。
松澤 建(まつざわ けん、1938年3月30日 - )は、第… 松澤 建(まつざわ けん、1938年3月30日 - )は、第15代学校法人青山学院理事長、企業家。損保業界再編の先陣をきるかたちで日本興亜損害保険株式会社を誕生させた人物である。
稲垣 美穂子(いながき みほこ、本名・丹野 美穂子(たんの … 稲垣 美穂子(いながき みほこ、本名・丹野 美穂子(たんの みほこ)、1938年2月20日 - 2024年8月6日)は、日本の女優・実業家。 東京都町田市出身。玉川学園小学部、玉川学園中学部、日本女子大学附属高等学校卒業、日本女子大学文学部国文科中退。 医師の父と看護師の母の間に、4人きょうだいの長女として原宿で生まれた。その後、父が開業することになり、町田市へ引っ越した。 夫は、『ハレンチ学園』等を撮った監督の丹野雄二。稲垣 光穂子の名義で活動した時期もある。甥の稲垣康治は2026年から町田市長を務める。
日枝 久(ひえだ ひさし、1937年〈昭和12年〉12月31… 日枝 久(ひえだ ひさし、1937年〈昭和12年〉12月31日 - )は、日本の実業家、篤志家。フジサンケイグループ元代表。北海道空港取締役。 1980年5月、42歳の若さでフジテレビジョン編成局長に就任。後発局だったフジテレビを視聴率三冠王に押し上げ、黄金時代を牽引した。1988年6月には、同社初の生え抜き出身として代表取締役社長に就任。1997年の東証一部上場を実現し、2001年からは代表取締役会長兼CEOを務めた。2008年には、日本初の認定放送持株会社への移行を主導し、フジ・メディア・ホールディングスの代表取締役会長兼CEOに就任。放送事業を核に幅広い事業を展開する日本を代表するメディア・コングロマリットへと成長させた。
出井 伸之(いでい のぶゆき、1937年〈昭和12年〉11月… 出井 伸之(いでい のぶゆき、1937年〈昭和12年〉11月22日 - 2022年〈令和4年〉6月2日)は、日本の実業家、企業経営者。 ソニー株式会社社長、同社最高経営責任者などを歴任したのち、クオンタムリープ株式会社を創業、代表取締役会長を務めた。 ソニーの社長を経て会長兼最高経営責任者に就任した。公職としては内閣に設置されたIT戦略会議にて議長を務め、日本銀行参与や日本経済団体連合会副会長としても活動した。また、ゼネラルモーターズ、ネスレ、エレクトロラックス等の社外取締役を歴任。2014年8月現在、アクセンチュア、百度、フリービット、レノボグループの社外取締役を務めている。会長兼最高経営責任者退任後は、ソニーの最高顧問・アドバイザリーボード議長も務めたのち、退任した。
清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10… 清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10月31日 - 2024年(令和6年)12月27日)は、日本のジャーナリスト、実業家。産経新聞社特別顧問、日本美術協会副会長。 父は検事総長を務めた清原邦一。甥はフジテレビプロデューサーの清原邦夫。 清原邦一の次男として東京で生まれる。第二次世界大戦中、疎開した和歌山県・粉河の長田町小学校に入学、戦後は成蹊中学校・高等学校を経て1962年(昭和37年)慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、産経新聞社に入社した。 2024年12月27日午前7時4分、肺炎のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去した。87歳没。 東京本社社会部、横浜総局記者を短期間務めた後、1964年(昭和39年)から社内留学生として2年間、アメリカに留学、聴講生としてミシガン大学で学んだ。
島田 精一(しまだ せいいち、1937年10月21日 - )… 島田 精一(しまだ せいいち、1937年10月21日 - )は、日本の実業家。日本ユニシス株式会社特別顧問。前住宅金融支援機構理事長。元三井物産株式会社副社長。元日本ユニシス株式会社社長。 東京都出身。1961年3月に東京大学法学部を卒業。ハーバード大学経営大学院 (AMP) 修了。大学卒業後、三井物産株式会社に入社。2000年、情報産業本部長等を歴任し、代表取締役副社長に就任。2001年、日本ユニシス株式会社社長就任。2007年から2011年3月まで、住宅金融支援機構理事長を務める。2007年イタリア政府より「グランデ・ウッフィチャーレ勲章」を受章。津田塾大学理事長、あゆみトラスト・ホールディングス株式会社特別顧問、スルガ銀行監査役、東京二期会理事等を歴任した。
林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉1… 林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長である。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼、自身は青森県への疎開など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。
渡 文明(わたり ふみあき、1936年(昭和11年)10月1… 渡 文明(わたり ふみあき、1936年(昭和11年)10月13日 - 2020年 (令和2年) 12月24日)は、日本の実業家。従三位。日本石油副社長、日石三菱社長、新日本石油代表取締役社長・会長、JXホールディングス相談役。社団法人日本経済団体連合会副会長、石油連盟会長、第33期慶應義塾評議員、日本赤十字社理事、日本経団連評議員会議長(第5代)などを歴任。「ENEOS(エネオス)」の生みの親と呼ばれる。 2008年(平成20年)には、ルーマニア政府より「ルーマニア国家勲章」を授与された。 東京都赤坂生まれの島根県邑南町育ち。1904年8月30日生まれの父・渡弘文は、島根県大田市大家地区の名家出身で、関西学院大学卒業後沖島鎌三衆議院議員私設秘書、大阪海上火災保険従業員などを経て、協営商会設立に参画。
金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013… 金児 昭(かねこ あきら、1936年8月16日 - 2013年12月19日)は、日本の実業家、経営評論家。信越化学工業顧問、元金融監督庁顧問。 東京都出身。東京都立大泉高等学校を経て、1961年に東京大学農学部(農業経済学)を卒業し、信越化学工業に入社する。一貫して経理、財務部門でキャリアを重ね、1992年に同社の常務取締役(経理、財務、法務、資材関係担当)に就任。同職を1999年まで務める。また、公認会計士試験(筆記・口述)試験委員や金融監督庁顧問(企業会計担当)等も務めた。 衆議院議員の亀井静香とは、大泉高校で同学年だった。 2013年12月19日に心不全のため死去。
上原 英治(うえはら ひではる、1936年2月9日 - )は… 上原 英治(うえはら ひではる、1936年2月9日 - )は、日本の実業家。東京ガス相談役・前会長・元社長・経団連理事、経済同友会幹事を歴任。
戸田 博之(とだ ひろゆき、1936年1月23日 - 200… 戸田 博之(とだ ひろゆき、1936年1月23日 - 2009年6月29日)は、日本の実業家。 1959年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に国土計画に入社。1973年11月に西武鉄道に転職し、西武商事取締役、西武不動産取締役、西武ライオンズ球団社長、西武バス社長、西武ハイヤー社長などを歴任した。 1992年6月に西武鉄道専務に就任し、1996年6月から社長に就任。2004年に総会屋事件による責任を取る形で社長を辞任し、取締役に降格した。1998年11月に藍綬褒章を受章した。 2009年6月29日、肺炎で死去。73歳没。
大橋 光夫(おおはし みつお、1936年(昭和11年)1月1… 大橋 光夫(おおはし みつお、1936年(昭和11年)1月18日 - )は、日本の実業家。昭和電工(現:レゾナック・ホールディングス)社長、会長を務めた。公益財団法人日本台湾交流協会会長。慶應義塾評議員。国民政治協会会長。 父は政治家で労相や運輸相を務めた大橋武夫、祖父は元首相の濱口雄幸、富士銀行元頭取の岩佐凱実は義父。 東京に生まれる。東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1955年に慶應義塾大学経済学部経済学科に入学。 同大学を卒業後は三井銀行に就職したが、3年足らずで退職、1961年12月に昭和電工に入社する。 入社直後の1962年、昭和電工が八幡製鐵、カイザー・アルミニウムと合弁で設立する「スカイ・アルミニウム」計画のため、米国に派遣される。
宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 -… 宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 - )は、日本の実業家。第4代日本電信電話(NTT)代表取締役社長。
ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳… ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳 直之、1936年‐)は、パラグアイ共和国の外交官、実業家。 2009年に駐日パラグアイ特命全権大使に就任した。東京に駐日パラグアイ大使館が開設されてから第9代特命全権大使となる。2017年離任。 日本生まれの日本育ちの日本人であり、アルゼンチンを経て、パラグアイ移住後も長く日本国籍者であった。しかし、パラグアイ共和国政府より2009年に駐日特命全権大使に就任を要請され、パラグアイ国籍を取得した。日本国の戸籍の漢字表記は「豊歳 直之」。 トヨトシは、パラグアイの日系社会出身者として、イサオ・タオカ(田岡功)駐日大使(第8代:在任2004年‐2009年)に次いで、2人目の駐日特命全権大使となった。
古河 潤之助(ふるかわ じゅんのすけ、1935年〈昭和10年… 古河 潤之助(ふるかわ じゅんのすけ、1935年〈昭和10年〉12月5日 - 2018年〈平成30年〉3月3日)は、日本の実業家。古河財閥4代目古河従純の長男で、創業者古河市兵衛から数えて5代目の古河家当主。元古河林業会長、元古河電気工業名誉顧問。位階は正四位。 東京府で古河従純・幸子夫妻の長男として生まれる。学習院幼稚園、学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1959年(昭和34年)3月、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。同年4月、古河電気工業入社。取締役、常務取締役、専務取締役を経て、古河電気工業株式会社代表取締役社長、会長。社長時代には次々と新しい事業を興し、ルーセント・テクノロジーズの光ファイバ部門を買収、株価も史上最高の3500円を超えたが、ITバブル崩壊のあおりを受け、買収翌年の2002年度は1140億円の赤字に膨れ上がるなどし、事実上の引責辞任に至った。
中野 豊(なかの ゆたか、1935年5月2日 - 2025年… 中野 豊(なかの ゆたか、1935年5月2日 - 2025年2月6日)は、日本の実業家。東京都小平市出身。五稜郭タワー2代目社長。息子に五稜郭タワー3代社長の中野恒、専務の中野晋。 東京都立農芸高等学校を卒業、その後家業の畑作を引き継ぎ花卉生産も行ったが、父・中野真輔が経営する五稜郭タワーの経営が厳しく農地を切り売りされることとなり規模を縮小する。 1976年に五稜郭タワーに営業部長として入社し1978年に常務、父の病気に伴い1982年からは実質的経営者となり1987年に専務となる。父の死去に伴い1994年に社長就任、2代目五稜郭タワーの建設に尽力し、赤字事業となっていたレストラン部門の撤退や雇用の見直し等の経営改善を図り2006年に2代目タワーの完成を実現。
植草 三樹男(うえくさみきお、1935年3月5日 - )は、… 植草 三樹男(うえくさみきお、1935年3月5日 - )は、日本の元和菓子店経営者、株式会社曙元代表取締役社長、現会長である。 1935年、東京都中央区日本橋に5人兄妹の長男として生まれる。東京都立忍岡高等学校を経て、1962年に早稲田大学法学部を卒業後、英国系の商社勤務を経て、父・圭三が1948年に創業した株式会社曙に入社。1976年に社長就任。百貨店に積極出店し、全国区の和菓子店に成長させた。2004年、長女の細野佳代に社長を譲り、会長に就任。次女の智子がダウン症候群であったことから、町田リス園理事長や、社会福祉法人愛の鈴理事長を務めるなど、障害者支援施設などに関わる。 現在は経営の第一線からは退き、福祉活動に力を注いでいる。
児玉 圭司(こだま けいじ 1935年1月27日 – )は、… 児玉 圭司(こだま けいじ 1935年1月27日 – )は、日本の実業家、卓球選手・指導者。株式会社スヴェンソン 代表取締役会長。日本学生卓球連盟名誉会長、公益財団法人日本卓球協会顧問、一般社団法人明大卓球マネジメント 代表理事、学校法人明治大学顧問、明治大学駿台体育会(46部)名誉会長、明治大学体育会卓球部名誉総監督、一般社団法人卓球で日本を元気にする会代表理事、一般財団法人KODAMA国際教育財団代表理事。 1935年、東京都中央区八重洲(日本橋呉服橋)にて出生。 小学4年生の時に東松山市に集団疎開。3月10日東京大空襲で実家が全焼し京橋区に移住するも、5月25日山の手大空襲で再び被災。戦後は大学まで新橋で過ごす。
鈴木 喬(すずき たかし、1935年1月18日 - )は、日… 鈴木 喬(すずき たかし、1935年1月18日 - )は、日本の実業家。エステー会長(元社長)。東京都渋谷区出身、一橋大学商学部卒業。 1935年(昭和10年)今でいう日用品のディスカウンターをしていた鈴木千蔵(エステー化学初代社長)の四男として東京都で生まれる。戦争にかり出された兄たちにかわり、小学生のころから家業を手伝う。東京大空襲で店を焼かれ、焼け野原のなか父のゼロからの再出発を支えた。 東京都立新宿高等学校を経て、商人になりたいという想いから叔父に勧められ一橋大学商学部に進学。すでに父と兄がエステー化学工業㈱(現エステー)を設立していたが「もっと広い世界で活躍したい」と考え、サラリーマンの道を選択する。
木俣 和子(きまた かずこ、1935年 - 1977年5月2… 木俣 和子(きまた かずこ、1935年 - 1977年5月21日)は、日本の映画会社経営者である。夫・木俣堯喬が代表取締役を務めたプロダクション鷹、日東テレビ映画両社の創立に関わり、前者の専務取締役総務部長、後者の常務取締役総務部長を務めた。 1935年(昭和10年)、東京府(現在の東京都)に生まれる。 1951年(昭和26年)4月、東京都立目黒高等学校に進学、同校在学中、平岡斗南夫(1910年 - 1989年)の舞踏研究所や板橋区内の幼稚園を会場にして、瀬戸口寅雄(1906年 - 1987年)を校長に迎えて木俣堯喬が開いていた私塾「希望の教室」に参加する。1954年(昭和29年)3月、同高校を卒業した。
飯塚 定雄(いいづか さだお、1934年〈昭和9年〉12月2… 飯塚 定雄(いいづか さだお、1934年〈昭和9年〉12月26日 - 2023年〈令和5年〉3月24日)は、日本映画の光学合成技師、デン・フィルム・エフェクト代表取締役社長。 東京都新宿出身。愛称は「デンさん」。妻は東宝で光学作画を務めた飯塚江津子(旧姓・茂田)。 1954年に高校に通いながら二科会の美術研究所で東郷青児に絵画を学び、19歳の時にアルバイトとして東宝撮影所に入所。当初は美術助手として、ミニチュアの建物に「汚し」を付ける仕事などを担当していた。 1957年より円谷英二の奨めで室内合成の光学作画を担当。『地球防衛軍』以降、東宝特撮独自の光線表現を確立。『ウルトラマン』のスペシウム光線、怪獣が吐く破壊光線や火炎、ロケットの噴射などの合成を多く手掛けた。
中原 伸之(なかはら のぶゆき、1934年(昭和9年)12月… 中原 伸之(なかはら のぶゆき、1934年(昭和9年)12月11日 - )は、日本の実業家。元日本銀行政策委員会審議委員。
堤 義明(つつみ よしあき、1934年(昭和9年)5月29日… 堤 義明(つつみ よしあき、1934年(昭和9年)5月29日 - )は、日本の実業家。西武鉄道グループの元オーナー。父は西武グループの基礎を一代で築き上げた堤康次郎であり、兄は元西武百貨店会長・小説家の堤清二(辻井喬)。フォーブス誌で一時は総資産額で世界一となったこともあるが、西武グループの度重なる不祥事の責任を取って一線を退き、その後にインサイダー取引疑惑で有罪判決を受けた。
塙 義一(はなわ よしかず、1934年3月16日 - 201… 塙 義一(はなわ よしかず、1934年3月16日 - 2015年12月18日)は、日本の実業家。日産自動車の元社長、元会長、相談役名誉会長。 都立千歳高校を経て、東京大学経済学部卒業。1957年に日産自動車入社。主に、米国を中心に工場開設や販売台数増に尽力。1985年、取締役に就任。以後、1988年常務取締役、1990年専務取締役、1991年代表取締役副社長を経て、1996年に代表取締役社長に就任した。 1990年代、2兆円という膨大な有利子負債を抱え、経営危機的状況に陥っていた日産自動車を立て直すため、提携先を模索する。第一候補としてダイムラークライスラーが上がったが、話はまとまらず、最終的にルノー傘下で救済を受けることを決断した。
山之内 秀一郎(やまのうち しゅういちろう、1933年 (昭… 山之内 秀一郎(やまのうち しゅういちろう、1933年 (昭和8年)7月10日 - 2008年(平成20年)8月8日)は、日本の鉄道実業家。東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)初代副社長、元会長、宇宙航空研究開発機構(JAXA)初代理事長。
冲永 荘一(おきなが しょういち、Dr. Shōichi O… 冲永 荘一(おきなが しょういち、Dr. Shōichi Okinaga、1933年6月29日 - 2008年9月25日)は、日本の学校法人経営者、教育者、医学者(産婦人科学)。 東京府渋谷町(現・東京都渋谷区)に財団法人帝京商業学校を創設した冲永荘兵衛の長男として1933年東京府荏原区(現・品川区)に生まれる。都立高等学校 (旧制)を経て1958年に東京大学医学部を卒業。 1963年に東京大学大学院医学系研究科博士課程を修了し医学博士号を取得、1966年に帝京大学を創設し学長・理事長に就任、1981年には同大学総長に就任し、2002年に総長を退任した。 治療や研究を通じて人間の生命を救う事が出来る医学に志と使命感を持ち、教育理論より社会に直結した実学を重視した冲永荘一は、『医学は実学を象徴する学問である』との想いから東京大学医学部大学院在学時に博士論文において史上最年少(当時)で日本産科婦人科学会賞を受賞した。
鯨井 久美子(くじらい くみこ、1933年〈昭和8年〉3月1… 鯨井 久美子(くじらい くみこ、1933年〈昭和8年〉3月17日 - )は、日本の理美容師、実業家。 東京府東京市品川において、理容師の母鯨井江つと歌舞伎役者の髪結職人の父の間に生まれる。父とはそりが合わず、小学4年生まで叔母の元に預けられた。 継父の転勤に従って名古屋に移住した。名古屋で終戦を迎え、戦後は名古屋栄にあった進駐軍向けのPXに出入りし、異国からもたらされたファッション、音楽、食べ物に溺れた。1949年(昭和24年)には特例試験により理容師免許を得、高校を中退した。 1958年(昭和33年)、物部高信と結婚。夫に従い岡山に移住するが、母の理容室が経営不安となったため、夫婦で鯨井家に養子に入り、名古屋に戻った。