高野 和明(たかの かずあき、1964年10月26日 -)は… 高野 和明(たかの かずあき、1964年10月26日 -)は、日本の小説家・脚本家。東京都生まれ。ロサンゼルス・シティー・カレッジ映画科中退。日本推理作家協会会員。 小学二年生のときに『激突!』を見たことをきっかけにハリウッド映画に夢中になる。映画監督を志すようになり、小学六年生のときに8ミリ映画を撮り始める。中学、高校時代は映画研究会に所属。1983年、高校二年生のときに書き始めて大学浪人時代に完成した脚本「幽霊」が第9回城戸賞の最終候補になる。1984年、選考委員をしていた東宝映像の専務に岡本喜八を紹介される。1985年から岡本喜八の門下に入り、映画やテレビ、Vシネマの撮影現場でメイキング演出やスチルカメラなどを担当。
三条 陸(さんじょう りく、1964年〈昭和39年〉10月3… 三条 陸(さんじょう りく、1964年〈昭和39年〉10月3日 - )は、日本の漫画原作者・脚本家。大分県出身、東京都品川区育ち。血液型はRh-のAB型。明治大学卒業。複数の別名義を使用して活動もしており、いずれの名義もイニシャルをR・Sで統一している。 大分県で生まれ、2歳頃に家族で神奈川県(東京都品川区付近)に移住し、その後東京都品川区に転居した。子供の頃からウルトラマンや仮面ライダーが好きで、当時の学年誌などに掲載されていた円谷プロのメイキング記事を見て特撮に関わる仕事に憧れ、小学校低学年の頃から「ウルトラマンを作るおじさんになりたい」と言っていた。漫画を描くことが好きで、漫画家にも漠然と憧れていた。
切通 理作 (きりどおし りさく、1964年2月21日 - … 切通 理作 (きりどおし りさく、1964年2月21日 - )は、日本の文芸評論家、脚本家、映画監督。 東京都杉並区生まれ。母は狩野美智子であり、被爆二世にあたる。和光高等学校、和光大学人文学部文学科卒業後、同研究生。 文化批評をメインとする。若者文化に見識を持ち、非常勤講師を務める大学でも『若者文化論』を担当。 「朝日新聞」「毎日新聞」「日本経済新聞」「産経新聞」「共同通信」「時事通信」「沖縄タイムス」「熊本日日新聞」「週刊読書人」「図書新聞」「サンデー毎日」「週刊朝日」「週刊文春」「中央公論」「わしズム」などで時評・書評・コラムを執筆。 「キネマ旬報」「映画芸術」「映画秘宝」「月刊ドラマ」等に映画・テレビドラマ評や映画人への取材記事、「文學界」「群像」「すばる」に文芸批評を執筆。
和智 正喜(わち まさき、1964年1月31日 - )は、日… 和智 正喜(わち まさき、1964年1月31日 - )は、日本の小説家(ライトノベル作家)・脚本家・漫画原作者。東京都出身。成蹊中学校・高等学校、明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。 1986年よりゲーム制作、マンガ原作等の仕事を始める。ゲームシナリオも多数手がける。アニメの脚本も手がける。「爆裂天使」。米国向けテレビシリーズ「GI Joe SIGMA6」(日本未放送)など。
光石 富士朗(みついし ふじろう、1963年12月9日 - … 光石 富士朗(みついし ふじろう、1963年12月9日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家。東京都出身。 日本大学第三高等学校、日本大学文理学部社会学科卒業。大学を卒業後、廣木隆一、神代辰巳らの助監督を務め、プロの現場で活動を始める。2002年の映画『おぎゃあ。』では、予期せぬ妊娠をした少女が母親になるまでの過程を爽やかに描き出し「遊び心があり、革新的でエネルギーに満ち、現実とファンタジーの融合に成功した稀有な作品」と絶賛され、ハワイ国際映画祭でネットパック特別賞(最優秀アジア映画賞)を受賞。その他の主な監督作品に『富江 replay』、『M-1グランプリへの道 まっすぐいこおぜ!』などがある。
宮川 賢(みやかわ まさる、1963年〈昭和38年〉1月21… 宮川 賢(みやかわ まさる、1963年〈昭和38年〉1月21日 - )は、東京都中野区大和町出身のタレント・脚本家・演出家・劇団主宰者・放送作家・ラジオパーソナリティ・アーティスト・実業家(制作会社社長)。練馬区大泉学園在住。既婚、1男1女あり。愛称は、みーくん。 高円寺で生まれ育つ。18歳で家を売払い、吉祥寺に引越す。 学歴:東京都立荻窪高等学校卒業→日本大学経済学部卒業。後年自身のラジオ番組『バツラジ』(TBSラジオ)内で母校の荻窪高校がなくなることを惜しんでいたが、定時制課程に改組されたものの学校は残った。 趣味はサッカー観戦、サイクリング、ランニング、バイク、ドライブ、旅行、家庭菜園。特に、スペインリーグリーガ・エスパニョーラの名門、FCバルセロナの大ファン。
樹林 伸(きばやし しん、1962年7月22日 - )は漫画… 樹林 伸(きばやし しん、1962年7月22日 - )は漫画原作者、小説家、脚本家。東京都出身。O型。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。
戸田山 雅司(とだやま まさし、1962年4月29日 - )… 戸田山 雅司(とだやま まさし、1962年4月29日 - )は、日本の脚本家。
吉野 晃章(よしの てるゆき、1962年〈昭和37年〉3月2… 吉野 晃章(よしの てるゆき、1962年〈昭和37年〉3月2日 - 2004年〈平成16年〉4月15日)は、日本の放送作家、脚本家。東京都港区出身。血液型O型。 帝京高校在学中サッカー部に所属。当時のチームメート木梨憲武と出会い、遅れて石橋貴明とも付き合いを始める。高校卒業後、グランドシートを扱う会社に就職するが、木梨・石橋とはとんねるず結成後も付き合いを続け、仕事の合間を縫ってコントのアイディア提供を行っていた。「とんねるずのオールナイトニッポン」では、中期ごろから共に番組収録に参加し、その独特な笑い声はリスナー達にはお馴染みだった。林家パー子よりも軽いと言われた笑い屋で、ハガキ職人の常連に感謝された。
勝山 茂雄(かつやま しげお、1961年 - )は、日本の映… 勝山 茂雄(かつやま しげお、1961年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画学校講師。おもにピンク映画などを数多く手がけている。 1961年、東京都江東区生まれ。にっかつ芸術学院卒業(1982年)後、サトウトシキなどと一緒にピンク映画の制作に携わる。監督・広木隆一の助監督につき、制作・演出を学ぶ。 平行して早稲田大学映画サークル、東洋大学映画研究部と共に自主映画活動も始める。 1984年、自主映画『元気の出るマロン』日本映像フェステバルにて芸術家・岡本太郎に認められ金賞受賞。 1986年公開の『ロマン子クラブ エッチがいっぱい』で助監督を務めた。 1988年・新東宝『フラワーハイツの懲りない面々』にて映画監督として活動を始める。
鶴田 法男(つるた のりお、1960年12月30日 - )は… 鶴田 法男(つるた のりお、1960年12月30日 - )は、日本の映画監督、脚本家、小説家。 「Jホラーの父」、「Jホラーの先駆者」と呼ばれる。2010年より「三鷹コミュニティシネマ映画祭」にスーパーバイザーとして協力。アンドリーム(&REAM)所属。 東京都生まれ。実家は東京都三鷹市で映画館「三鷹大映」を経営していた(大映倒産後は「三鷹東映」を経て、名画座「三鷹オスカー」となり、1990年に閉館)。和光大学経済学部卒業後は船井電機に就職。ちょうどフナイがVHSに参入した時期であり、フナイ傘下のビデオソフト会社である「HRSフナイ」で海外のマニアックな映画を買い付け、VHSで盛んにリリースした。
福田 己津央(ふくだ みつお、1960年10月28日 - )… 福田 己津央(ふくだ みつお、1960年10月28日 - )は、日本のアニメ監督、脚本家、演出家。かつては福田 満夫およびふくだ みつお名義で活動していた。栃木県出身。 早稲田高等学校出身。在学中は漫画研究会に所属。高校卒業後、1979年に日本サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)に19歳で入社。 OVA『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』において、家庭内での仕事についての話し相手だった妻の両澤千晶を脚本家に抜擢し、以降は自らの監督作品でほぼ一括してシリーズ構成を両澤に任せている(両澤の脚本の仕事も記録にあるものでは、夫の福田が監督した作品にほぼ限られている)。 主な作品はテレビアニメ『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』『GEAR戦士電童』『機動戦士ガンダムSEED』シリーズなど。
えんどう てつや(1960年9月7日 - )は、日本の男性ア… えんどう てつや(1960年9月7日 - )は、日本の男性アニメ監督、演出家、脚本家、アニメーター、音響監督。旧名は遠藤 徹哉(読みは同じ)。フリー。日本映画監督協会会員。
岡田 惠和(おかだ よしかず、1959年2月11日 - )は… 岡田 惠和(おかだ よしかず、1959年2月11日 - )は、日本の脚本家、漫画原作者。東京都三鷹市出身。岡田恵和とも表記される。 所属事務所はU.F.O.カンパニー(2016年暮れに参加)。 和光高等学校卒業。和光大学人文学部文学科中退。企画会社勤務後、フリーライターとなる。音楽評論家・FMのDJを経て、1990年に脚本家としてデビューした。 シナリオ修業は、東京・青山のシナリオ・センターで行った。同校卒業生としては内館牧子と並ぶ出世頭の一人である[独自研究?]。 2014年には自身による初戯曲『スタンド・バイ・ユー〜家庭内再婚〜』を執筆。2015年1月よりシアタークリエで上演。Webドラマ「さよならのつづき」は2023年9月時点で製作を発表した。
丸尾 みほ(まるお みほ、1958年9月27日 - )は、日… 丸尾 みほ(まるお みほ、1958年9月27日 - )は、日本の脚本家である。本名・旧名義は丸尾 未歩(読みは同じ)。東京都出身。日本脚本家連盟会員。 少女時代の将来の夢は漫画家、または小説家、画家だったという。 國學院高等学校在学時代、この高校がどうしても好きになれず、登校拒否ばかりの生活を送っていたそんな時、テレビドラマ『前略おふくろ様』(日本テレビ)を好きになって魅了されたことが脚本家になるきっかけだったと話している。高校卒業後、日本脚本家連盟ライターズスクールに第34期生として入る(同期には『土曜ワイド劇場』の原教子 、『はぐれ刑事純情派』の荻原美和子など)。後に同スクールの講師だった池田一朗(隆慶一郎)に『ドラえもん』などを制作するシンエイ動画を紹介され、間もなく脚本家デビューに至った。
河原 よしえ(かわはら よしえ、1957年7月5日‐)は、日… 河原 よしえ(かわはら よしえ、1957年7月5日‐)は、日本の小説家、脚本家、作詞家。東京都杉並区阿佐ヶ谷出身。血液型はA型。本名は井上よしえ。旧創映社(後の日本サンライズ → サンライス → バンダイナムコフィルムワークス)時代より使用している別名として風間 洋(かざま ひろし)がある。夫は元サンライズ企画開発室室長の井上幸一。 1975年に創映社にアルバイトとして入社後、風間洋の名義で製作現場の各作業補佐及び広報素材整理などを担当。『無敵超人ザンボット3』や『ザ☆ウルトラマン』などで設定助手を務めた後、サンライズ企画部(後のバンダイナムコフィルムワークス サンライズ企画開発室)に正式に所属。
万田 邦敏(まんだ くにとし、1956年 - )は日本の映画… 万田 邦敏(まんだ くにとし、1956年 - )は日本の映画監督、脚本家、映画批評家。東京都出身。立教大学現代心理学部映像身体学科教授[3]。妻の万田珠実とは『Unloved』『接吻』で共同脚本を執筆している[4]。
小林 政広(こばやし まさひろ、1954年〈昭和29年〉1月… 小林 政広(こばやし まさひろ、1954年〈昭和29年〉1月6日 - 2022年〈令和4年〉8月20日)は、日本の映画監督、脚本家。映画製作会社モンキータウンプロダクション代表。 1970年代頃は高田渡に師事し、林ヒロシという名でフォークシンガーをしており、脚本家時代には小林宏一名義での作品もある。 東京都文京区本郷生まれ。学習院高等科卒。 『痛快!婦警候補生やるっきゃないモン!』などのテレビの脚本家を経て1980年代後半からピンク映画の脚本を執筆。サトウトシキ監督らと組んで数々の話題作を生み出し、名脚本家として名を高めた。並行して『これでいいのだ』『おごるな上司!』などのNHKドラマ脚本も多数執筆している。
石原 武龍(いしはら ぶりゅう、本名・石原 純一(いしはら … 石原 武龍(いしはら ぶりゅう、本名・石原 純一(いしはら じゅんいち)、1952年7月15日 - 2018年8月24日)は、日本の脚本家。 静岡県生まれ。東京都立両国高等学校卒業(1970年)。武蔵工業大学工学部機械工学科卒業。 かつては、本名の石原純一や石原武竜の名義でも執筆していた。 脚本家の育成にも力を注ぎ、秘かに私塾を開いていた。主な門下生は、旺季志ずか、小澤俊介、末安正子、宮崎健、仲村優果里(中村由加里)、益子梨恵、本田隆朗、政池洋佑がいた。 2018年8月24日、胃がんのため逝去。66歳没。逝去は同年8月29日に公にされた。 公式サイトによると、デビュー作は七人の刑事「俺たちの甲子園」(1979年8月10日、TBS、共同脚本)、実質的なデビュー作は火曜サスペンス劇場「特別病棟の女」(1982年9月14日、日本テレビ)。
小林 竜雄(こばやし たつお、1952年 - )は、日本の脚… 小林 竜雄(こばやし たつお、1952年 - )は、日本の脚本家・評論家。東京都出身。 別名・小林竜夫。東京都立北園高等学校を経て、早稲田大学卒業。1978年、『もっとしなやかに、もっとしたたかに』の脚本が城戸賞に準入賞。翌年、藤田敏八監督によって映画化される。以後は脚本、評論を手がけている。
今井 詔二(いまい しょうじ、1951年12月27日 - )… 今井 詔二(いまい しょうじ、1951年12月27日 - )は、日本の脚本家。東京都台東区出身。アニメーション執筆時のペンネームは立花あずま。 小学生の時から脚本家志望だった。東京都立墨田川高等学校卒業。大学浪人中にシナリオ研究所へ通い始め、そこの講師だったジェームス三木と知り合い、その縁で1974年、22歳の時に『白い滑走路』(TBS系列、第7話 ジェームス三木との共作)で脚本家デビュー。その後映画監督・山本邦彦の内弟子となり、1976年スタートのテレビドラマ『新・二人の事件簿 暁に駆ける』(大映テレビ、朝日放送 他)で脚本家として一本立ち。その後『はみだし刑事情熱系』、『こちら第三社会部』、『天罰屋くれない 闇の始末帖』のメインライターをつとめ、2時間ドラマでは数多くのシリーズを持つなど活動していた。
大石 静(おおいし しずか、1951年9月15日 - 、本名… 大石 静(おおいし しずか、1951年9月15日 - 、本名:高橋 静(たかはし しずか))は、日本の脚本家、エッセイスト、作家、女優。 東京都千代田区神田猿楽町出身。日本女子大学文学部卒業。ノート所属。『セカンドバージン』など数々のラブストーリーを手掛け、「ラブストーリーの名手」と評される。夫は舞台監督の高橋正篤。 1951年(昭和26年)東京都千代田区・駿河台にあった旅館「駿台荘」で生まれ育つ(のちに大石の著作のタイトル『駿台荘物語』にもなっている)。同旅館は著名文士等の隠れ場所でもあり、大石の養母がオーナーを務めていた。 1974年(昭和49年)、日本女子大学文学部国文学科(現・日本文学科)卒業。
斎藤 博(さいとう ひろし、1951年8月17日 - 199… 斎藤 博(さいとう ひろし、1951年8月17日 - 1994年4月24日)は日本の脚本家である。日活ロマンポルノの脚本を多数書いた。 香川県出身。東京都立大学附属高等学校卒業。若松プロダクションで助監督を務めた後、1973年からフリーとなる。1980年代の日活ロマンポルノを支えた脚本家。その後、一般映画の脚本に進出したが、1994年にくも膜下出血のため42歳で死去した。 代表作に『セーラー服 百合族』、『高校教師・成熟』、『不純な関係』等がある。斎藤が脚本担当したTV版『桃尻娘』は、劇中に数々の洋楽のヒット曲(ビートルズ、カーペンターズ、エルトン・ジョン、ビーチボーイズ、スリー・ドッグ・ナイト等)が使われており、著作権管理が数社にまたがり、また高騰化しているのでDVD化は実現されていない。
浦沢 義雄(うらさわ よしお、1951年1月26日 - )は… 浦沢 義雄(うらさわ よしお、1951年1月26日 - )は、日本の放送作家、脚本家。東京都出身。 高校を卒業後、ゴーゴーダンサーを1年半ほど務めた後、河野洋が立ち上げた会社「ペンタゴン」にて台本運びのアルバイトとして入社。1年半ほど続けた後、河野から「ここで何をするか、はっきりした方がいい」と言われ、「作家になります」と答えて、放送作家への道を歩む。放送作家として『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』『カリキュラマシーン』など、数々の番組の構成に参加。脚本家としてのデビューは1979年に日本テレビで放送された『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』第68話「カジノ島・逆転また逆転」。 1981年から1993年に放送された東映不思議コメディーシリーズでは、脚本家としては唯一全シリーズに携わり、400本以上の作品を提供した。
渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまの… 渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまのうち ちあき)、1950年4月19日 - 2021年3月31日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。野田高梧記念蓼科シナリオ研究所理事。 兵庫県出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。1999年『ニーセーター(若者たち)』で第2回日本シナリオ大賞準入選。 父は国文学の大学教授。2人の兄は共に東京大学を卒業し、それぞれ弁護士と公務員になったという一家であるが、本人曰く「25歳になるまでぶらぶらしていた」とのこと。都立立川高校を卒業後、1976年横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学。 1978年同校卒業。講師だった田村孟、馬場当、富田義朗の助手を経て、テレビドラマ『からっ風と涙』、映画『夜叉が池』などを手伝う。
森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 20… 森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 2011年12月20日)は、日本の映画監督、脚本家である。
珠 瑠美(たま るみ、1949年1月15日 - )は、日本の… 珠 瑠美(たま るみ、1949年1月15日 - )は、日本の女優、映画監督・脚本家。出生名は小谷 瑠美(こたに るみ)、木俣堯喬との結婚後本名は木俣 瑠美(きまた るみ)。珠 るみ、珠 ルミとクレジットされた作品もある。プロダクション鷹取締役、代表取締役を歴任した。 1949年(昭和24年)1月15日、東京都世田谷区烏山町(現在の同区烏山)に生まれる。父は戦前に日活大将軍撮影所の小道具係であり、戦後も東映東京撮影所や連合映画撮影所で装飾部として活動した小谷春勇(小谷春男)、叔父が大映の撮影技師・渡辺公夫(1918年 - 1983年)、兄がのちに東映の照明部に在籍しており、2歳下の妹がのちに女優なる谷身知子(1951年 - )である。
桜井 正明(さくらい まさあき、1948年12月10日 - … 桜井 正明(さくらい まさあき、1948年12月10日 - 2010年2月20日)は、日本の脚本家。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て早稲田大学へ。早稲田大学映画研究会に所属。映研では後に脚本家となる金子裕や佐伯俊道らが仲間で、「ケロヨンちゃん」と親しまれた。 アニメ制作会社の虫プロダクションを経て、アニメの脚本家となる。同じく虫プロ文芸部出身で脚本家の星山博之を慕っていたという。晩年は酒に溺れ、肺癌で死去した。
筒井 ともみ(つつい ともみ、本名:筒井 共美、1948年7… 筒井 ともみ(つつい ともみ、本名:筒井 共美、1948年7月10日 - )は、日本の脚本家、小説家。 東京都世田谷区出身 。成城大学文芸学部卒。女優の赤木蘭子は伯母、俳優の信欣三は伯父にあたる。名付けの親はカメラマンの宮嶋義勇。 アニメーションから実写ドラマ、映画の脚本を手掛ける一方で、小説、エッセイの執筆と活躍の場を広げている。向田邦子賞の審査員なども務めている。 3歳の頃からヴァイオリンを習って自身の特技となり、後に特技を生かしてヴァイオリンのスタジオミュージシャンも務めている。シナリオ研究所を経て、広告代理店にコピーライターのアルバイトとして勤めるが長続きせず、スタジオミュージシャン(ヴァイオリン)として活動する傍ら脚本家の手伝いも行う。
小山 高生(こやま たかお、1948年(昭和23年)4月21… 小山 高生(こやま たかお、1948年(昭和23年)4月21日 - )は、日本の脚本家、作家。脚本家集団ぶらざあのっぽ主宰。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授。1988年(昭和63年)3月31日以前は本名の小山 高男名義で活動していた。自称「アジア最大の脚本家(身長が)」。東京都昭島市出身。 早稲田大学第一文学部卒業。大学2年生の時に「企画集団Q」に採用され、テレビ番組『クイズタイムショック』の問題作成のアルバイトを経験。1972年(昭和47年)3月1日に早稲田大学を卒業して、アニメ製作会社タツノコプロに入社。企画文芸部に所属して、数々のタツノコアニメの企画や脚本を担当した。企画を担当し最終作まで執筆した『タイムボカンシリーズ』にはとりわけ愛着が深く、復活運動にも力を入れた。
桃井 章(ももい あきら、1947年11月3日 - )は、日… 桃井 章(ももい あきら、1947年11月3日 - )は、日本の脚本家。東京都出身。 父は国際政治学者の桃井真、妹は女優の桃井かおりである。 東京都立北園高等学校卒業。シナリオ研究所修了後、PRライターを経て25歳の時にデビューする。以降、数多くのテレビドラマ・映画のシナリオを手がける。 1998年、雑誌「ドラマ」1998年8月号の寄稿にて脚本家廃業宣言をし、正式に脚本家を廃業する。趣味の料理を職業とすべく、郷鍈治・ちあきなおみが経営していた喫茶店「COREDO」(コレド)の屋号と場所を借り受け、バーとして開業する。その後乃木坂に移転し、2013年11月17日まで営業していた。 2007年11月再婚と同時に脚本家復活宣言をし、2008年に自身の脚本による舞台公演を行う。
荒井 晴彦(あらい はるひこ、1947年1月26日 - )は… 荒井 晴彦(あらい はるひこ、1947年1月26日 - )は、日本の脚本家・映画監督。日本映画大学教授。季刊誌『映画芸術』発行人、編集長。東京都生まれ。母方の祖父は日本画家の石井林響。若松プロダクション出身。 東京都立立川高等学校卒業。早稲田大学第一文学部除籍。脚本家の田中陽造に師事。若松孝二作品の脚本を出口出名義で、足立正生とともに執筆した。新宿乱れ街 いくまで待って(1977年)が初脚本作品となった。その後、脚本家としてピンク映画や日活ロマンポルノなどの脚本を多数執筆している。1997年、『身も心も』が初監督作品となった(脚本も執筆)。「シナリオはシナリオ作家の著作物である」とのスタンスから、監督やプロデューサーが自身に無断で自作シナリオを改変したとして、『時代屋の女房』『眠らない街 新宿鮫』『KT』の公開時に、『月刊シナリオ』や『映画芸術』誌上で強い不快感を表明している。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。 1943年、東京都目黒区で、航空科学専門学校の教授であった出﨑晶の次男として誕生。明治時代に福島県相馬郡(現・福島県相馬市)で干拓事業を行った出﨑栄太郎の曾孫にあたる。終戦後に相馬に移り住んだが、小学1年生のときに父が結核で死去。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。
香取 俊介(かとり しゅんすけ、1942年9月22日 - )… 香取 俊介(かとり しゅんすけ、1942年9月22日 - )は、日本の脚本家、ノンフィクション作家。「異文化摩擦」「異文化コミュニケーション」をメインテーマとして執筆している。 東京府(現東京都)八王子市出身。東京都立国立高等学校を経て東京外国語大学ロシア語科卒業後、NHKに入局。報道局外国放送受信部に所属し主にソ連(現ロシア)の国内放送やタス通信等の傍受にたずさわる。当時は共産圏に自由に記者を送ることが難しく、資本主義圏と共産圏の間には、鉄のカーテンがあるなどと言われた。従って共産圏の情報をとるには、国内のラジオ放送(モスクワ放送)や国営タス通信の傍受に頼ったりしていた。外国放送受信部には内閣調査室(当時)の資金が流れているとして国会でも問題となった。
皆川 隆之(みながわ たかゆき、1942年3月4日 - )は… 皆川 隆之(みながわ たかゆき、1942年3月4日 - )は、日本の脚本家・映画監督。 東京都世田谷区松原町出身。佼成学園高校三年のとき、八木保太郎に師事してシナリオを学ぶ。1964年、青山学院大学経済学部卒業後演出を志し東映入社。東映京都撮影所に配属され、伊藤大輔、深作欣二、鈴木則文らの助監督に就く。1971年「女番長シリーズ」一作目の『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』で脚本が採用され、同シリーズ4本の脚本を担当。 1973年、『狂走セックス族』で監督昇進。31歳の若き新人監督として期待された。1974年の『仁義なき戦い 完結篇』は一部の資料に監督を深作欣二と皆川のダブル・クレジットとするものがある。
山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2… 山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2010年9月12日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。東京都江東区出身。東京都立両国高等学校卒業、東京大学教育学部教育心理学科卒業。劇団黒テント所属。妻は女優の稲葉良子。 5人兄弟の長男。父親は自営業だが、太平洋戦争終戦を境に事業がうまくいかなくなって仕事・住居ともに転々としていた。大学では演劇研究会に所属。大学在学中より芝居の執筆を開始。大学卒業後は時事通信社に入社し、運動部記者としてアマチュアスポーツを3年間担当。1967年に「六月劇場」の結成参加のため時事通信社を退職。その後六月劇場を経て、1968年に黒テントの前身である「演劇センター68」に参加。
中野 圭一郎(なかの けいいちろう、1938年9月28日 -… 中野 圭一郎(なかの けいいちろう、1938年9月28日 - 2025年11月12日)は、日本の脚本家、作家。旧筆名・中野顕彰。本名・横田勝弘。 東京生まれ。早稲田高等学校卒。子供の頃から浪曲や講談が身近にある環境で育つ。高校生時代からシナリオ同人誌に参加して活動。浪人生時代から日活へ自作のシナリオを持ち込み、1959年に日活専属の脚本家となる。筆名・中野顕彰(あきら)として、日活映画のシナリオを執筆。『スパルタ教育』(原作・石原慎太郎、主演・石原裕次郎)』。テレビでは『大江戸捜査網シリーズ』と『あばれ八州御用旅シリーズ』、アニメ『未来少年コナン』などがある。のち中野圭一郎と改名し、小説を書いた。
三宅直子(みやけ なおこ、1937年3月24日 - )は、東… 三宅直子(みやけ なおこ、1937年3月24日 - )は、東京都港区出身の脚本家。実践女子学園高等学校卒。 主婦ライターとして知られる。主婦業の傍らに独学でシナリオを学び、NHK懸賞テレビドラマ『芽吹く頃』で佳作入選を果たす。その後、シナリオ作家協会研修科修了後に石森史郎に師事。1970年に『いたずら天使チッポちゃん』 でデビューを飾る。代表作に『ケンちゃんシリーズ』、『あばれはっちゃく』、『樫の木モック』、『キャプテン翼』、『ナッキーはつむじ風』、『さわやか3組』など。現在は日本シナリオ作家協会の会員で、同協会のシナリオの通信講座の講師を務めている。 平成以降はアニメ脚本の仕事が減ったため、地方の舞台脚本の公募に投稿を重ね、北海道ローカルのテレビドラマや児童劇などを手がけた。
小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - … 小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - 2020年12月13日) は、日本の映画監督・演出家・脚本家。 父は鳥取県倉吉市2代目市長の小谷善高。 東京府東京市杉並区出身で、小学校2年生まで東京で育つ。公職追放になった父の故郷・鳥取県東伯郡西郷村の村長の後釜を引き受けたため、1944年3月末、当地に引っ越す。県立倉吉東高校卒業まで鳥取で過ごし、東京に戻りたくて、一浪後東京大学文学部フランス文学科入学を機に東京へ戻る。同時期に大江健三郎・久世光彦が在学していた。この2人は東大在学中から目立つ存在で、次第に落ちこぼれて映画に方向転換した。 大学卒業後、1960年に、暮しの手帖社と東宝の入社試験を受け、東宝に入社。
宮崎 晃(みやざき あきら、1934年10月27日 - 20… 宮崎 晃(みやざき あきら、1934年10月27日 - 2018年11月25日)は、日本の映画監督、脚本家。東京市(現東京都)荒川区出身。 1934年、東京市荒川区日暮里に生まれる。東京都立北園高等学校を卒業後、出版社で働くかたわら新劇の演出家を志す。4年間の社会人生活の後、東京外国語大学ロシア語科へ入学。 1961年、大学卒業と同時に松竹大船撮影所の助監督試験に合格して入社。野村芳太郎や山田洋次の助監督を務める。山田作品の多くでは脚本も共同執筆、『男はつらいよ』シリーズにも第2~6作、第11作に参加した。1971年、「泣いてたまるか」で監督デビュー。1975年、戯曲『青い鳥』をベースにした『想い出のかたすみに』監督。
林 秀彦(はやし ひでひこ、1934年〈昭和9年〉9月26日… 林 秀彦(はやし ひでひこ、1934年〈昭和9年〉9月26日 - 2010年〈平成22年〉11月19日)は、日本の脚本家。 東京府に生まれる。父は随筆家の林謙一。学習院高等科を卒業後、インド洋経由で渡欧する途中、イエメンで悪漢の集団に拉致され、砂漠で殺されそうになったが「俺は空手の達人だ。俺を殺すならお前らのうちの一人を殺してやる」とブラフをかけて解放され、危うく一命を取り留めた体験談を、伊丹十三が『小説より奇なり』の中で文章化している。ドイツのザール大学、フランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻する。松山善三に師事し、映画やテレビの脚本を執筆。 3度結婚しており、最初の妻との間の子は作曲家の林魏堂、1974年には女優の冨士真奈美と結婚し、一児(岩崎リズ)を儲けるも1984年に離婚。
藤川 桂介(ふじかわ けいすけ、本名:伊藤 英夫(いとう ひ… 藤川 桂介(ふじかわ けいすけ、本名:伊藤 英夫(いとう ひでお)、1934年6月16日 - )は、日本の男性脚本家、小説家、放送作家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本脚本家連盟会員。京都嵯峨芸術大学客員教授。 東京都出身。東京都立墨田川高等学校、慶應義塾大学文学部国文学科卒(1958年)。 1960年代中盤から1970年代中盤までは実写のアクション番組や特撮物の脚本家として、1970年代から1980年代はテレビアニメーションの脚本家として活躍した。1980年代中盤以降は、活動の中心を小説の執筆に当てている。代表作に、テレビアニメーション『マジンガーZ』、『六神合体ゴッドマーズ』、『宇宙戦艦ヤマト』、小説『宇宙皇子』シリーズなど。
吉松 安弘(よしまつ やすひろ、1933年11月24日 - … 吉松 安弘(よしまつ やすひろ、1933年11月24日 - )は日本の映画監督、脚本家。元帝京大学教授。専門は表象文化、比較民俗学。 1933年に東京都で生まれる。1957年に東京大学教育学部を卒業後、東宝撮影所に助監督として入社する。黒澤明などのもとで下積みをした後、1973年に東宝を映画監督として契約し退社した。そして、映画『さえてるやつら』を発表し監督デビューする。1976年には文化庁芸術家在外研修員としてニューヨーク大学などに留学した。また、脚本家、ノンフィクション作家としても著作を発表する。後に帝京大学短期大学情報ビジネス学科教授として教育・研究に従事し、日本映画監督協会理事などを歴任した。
佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年11月6日 - )は… 佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年11月6日 - )は、日本の映画監督、脚本家。かつては、佐藤 純弥の表記も用いられた。
飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 20… 飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 2021年10月17日)は、日本の演出家、テレビプロデューサー、脚本家。 東京市本郷区(現:東京都文京区)出身。TBS、株式会社ドリマックス・テレビジョン(旧:株式会社木下恵介プロダクション、株式会社木下プロダクション)を経て、フリーであった。 東京都立小石川高等学校を卒業後、一浪したのち劇作家・加藤道夫への関心から1952年に慶應義塾大学文学部に入学。当時加藤は同大学文学部国文学科で教鞭をとっていたが翌年自殺。国文学科に進む意義を失って英文学科を選択した。在学中は放送研究会に所属し放送劇の脚本を執筆。放送劇コンクールで受賞者常連となる。大伴昌司や藤川桂介と知り合ったのもこのころ。
白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年(昭和7年)9月1… 白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年(昭和7年)9月1日 - 2015年(平成27年)1月2日)は、日本の脚本家である。本名︰八住 利義(やすみ としよし)。市川市が特別協力する水木洋子の名を冠した「市川市水木洋子シナリオ賞」選考委員長。日本シナリオ作家協会全部委託承継会員。 1932年(昭和7年)9月1日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父はロシア文学者から脚本家に転じ、映画脚本界の大御所として知られた八住利雄(1903年 - 1991年)、母の父(母方の祖父)が山本露葉(1879年 - 1928年)、母の実弟(母方の叔父)が山本夏彦(1915年 - 2002年)である。 中学生時代から、多作で知られた父のラジオドラマの脚本などを代作。
白鳥 あかね(しらとり あかね、1932年7月18日 - 2… 白鳥 あかね(しらとり あかね、1932年7月18日 - 2024年9月14日)は、日本の映画スクリプター、脚本家。新藤兼人の『狼』に見習いスクリプターとして参加し、同年日活に入社した。神代辰巳の多くの作品に関わり、最近は篠原哲雄ら若手の監督とも組んでいる。現在は日本映画学校の講師他、KAWASAKIしんゆり映画祭の実行委員長も務める。 東京府生まれ。疎開先の京都から府立第三高等女学校に戻り、新制都立駒場高校を卒業した。その後早稲田大学仏文科へ。 1955年父・神崎清の知り合いだった新藤兼人の近代映画協会で記録見習いを始め、日活に入社。1956年『狙われた男』で一本立ち。1972年『隠し妻』で脚本家としてもデビューする。
平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 20… 平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 2023年6月9日)は、日本の小説家、脚本家。 長谷川伸門下。『鏨師』(たがねし)で直木賞を受賞。次いでテレビドラマの脚本家として多くのヒット作を生み出した。その後小説の世界に戻り、女の生き方を描いた国際色豊かな家庭物や恋愛物、推理物で人気を集め、やがて時代小説に専念し永く活躍した。代表作の『御宿かわせみ』シリーズは江戸情緒溢れる人情物語で、40年以上に及ぶ人気シリーズ、ベストセラーとなった。そのほか『はやぶさ新八御用帳』シリーズなどがある。 文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 代々木八幡宮の宮司の一人娘として生まれた。母親は箱根神社で育った女性。
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉… 谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月13日)は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。愛称は「タニシュン」。 太平洋戦争後の現代日本を代表する、国民的詩人と評価されている。 哲学者で法政大学総長を務めた谷川徹三を父、衆議院議員 長田桃蔵の娘である多喜子を母として、東京府豊多摩郡杉並町(現:東京都杉並区)に生まれ育つ。 1938年 (昭和13年)に東京市立杉並第二尋常小学校、1944年(昭和19年)に東京都立豊多摩中学校(後の東京都立豊多摩高等学校)へ入学。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月に山の手空襲を体験した。この年、京都府久世郡淀町に疎開し、京都府立桃山中学校に転学した。