竹田 晃(たけだ あきら、1930年11月26日 - )は、… 竹田 晃(たけだ あきら、1930年11月26日 - )は、日本の中国文学研究者。東京大学教養学部名誉教授。明海大学名誉教授。六朝の志怪小説、唐代伝奇小説が専門。元東京大学運動会硬式野球部監督。
東京都:132人
竹田 晃(たけだ あきら、1930年11月26日 - )は、… 竹田 晃(たけだ あきら、1930年11月26日 - )は、日本の中国文学研究者。東京大学教養学部名誉教授。明海大学名誉教授。六朝の志怪小説、唐代伝奇小説が専門。元東京大学運動会硬式野球部監督。
石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2… 石原 守一(いしはら もりかず、1930年6月29日 - 2012年9月18日)は、日本の科学者、歴史情報研究者。専門は理論生物学など。統計遺伝学においての数少ない理論家。理系文系にまたがる幅広い研究領域を持つ研究者。理学博士・農学博士・工学博士。東京生まれ。1984年6月19日より母方の石原姓を名乗る。出生名は志方 守一(しかた もりかず)。 母方の祖父:石原正治(1873 - 1945)は、工科大学(現東京大学工学部)機械科卒。新橋起点の蒸気機関鉄道山陽鉄道等の発展に寄与し、鉄道高速化により日露戦争勝利にも貢献した。旅順工科学堂(旅順工科大学の前身)創設機械科科長教授。偉大な実践的学究といわれ、南満州鉄道超特急アジア号開発に注力し、世界初の冷房設備搭載客車を創設した。
菊地 昌典(きくち まさのり、1930年2月17日 - 19… 菊地 昌典(きくち まさのり、1930年2月17日 - 1997年5月22日)は、日本のソ連研究者。東京大学名誉教授。 東京出身。東京都立第九中学校、宇都宮高等農林学校を経て1952年東京大学農学部獣医畜産学科卒業。1955年、同大学院農学研究科農業経済学専攻修士課程修了。国立国会図書館勤務を経て、1966年、農学博士、東大教養学部助教授(国際関係論)、1980年、同教授。1990年定年退官、東大名誉教授、千葉敬愛短期大学教授。1992年同短大学長、1997年、敬愛大学教授。在任中死去。
増田 正造(ますだ しょうぞう、1930年1月3日- )は日… 増田 正造(ますだ しょうぞう、1930年1月3日- )は日本の能楽研究者、武蔵野大学名誉教授。
越智 治雄(おち はるお、1929年10月27日 - 198… 越智 治雄(おち はるお、1929年10月27日 - 1983年6月24日)は、日本近代文学研究者、元東京大学教養学部教授。
杖下 隆英(つえした りゅうえい、1929年 - 2017年… 杖下 隆英(つえした りゅうえい、1929年 - 2017年11月21日)は、日本の哲学研究者、東京大学教養学部名誉教授。英国哲学、デイヴィッド・ヒュームを専攻。 東京生まれ。父は1928年に東京帝国大学を卒業した中国思想研究家で、東洋大学教授の杖下隆之。1952年東京大学文学部哲学科卒業。同年東京大学教養学部助手、のち助教授、教授。1990年定年退官、名誉教授。2014年瑞宝中綬章受章。
祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 20… 祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 2012年1月15日)は、日本近代文学・演劇の研究者。 兵庫県出身、愛知県名古屋市で育つ。武蔵高等学校卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1957年同大学文学部大学院(旧制)修了。1960-1965年東京都立戸山高等学校講師。和光大学助教授、教授を務め、1997年定年となり名誉教授。劇団民藝顧問。
槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 20… 槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 2011年5月31日)は、ジャーナリスト、日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。
小田切 進(おだぎり すすむ、1924年9月13日 - 19… 小田切 進(おだぎり すすむ、1924年9月13日 - 1992年12月20日)は、日本の日本近代文学研究者。立教大学名誉教授。 1924年、東京府荏原郡駒沢村(後の駒沢町、その後東京市世田谷区を経て現・東京都世田谷区)[要出典]生まれ。世田谷区立深沢尋常小学校、東京府立第十中学校から第二早稲田高等学院を経て早稲田大学国文科で学んだ。改造社で『改造』の編集に従事し、プロレタリア文学に関する評論を発表。1955年より立教大学に勤務し、のち教授。1990年、退職。 高見順や伊藤整らと日本近代文学館の設立に努め、63年、同文学館専務理事、64年、この設立運動で高見とともに菊池寛賞を受賞。71年より同文学館理事長。
関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年… 関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年7月3日)は、日本のドイツ文学者、超常現象研究者。東京大学・獨協大学名誉教授。正四位、瑞宝中綬章。 1924年、ドイツ文学者・関泰祐の任地であった静岡県で生まれた。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学独文科に進学。1946年に卒業。 卒業後は教員となり、松本高等学校講師、水戸高等学校教授を務めた。1950年、千葉大学助教授に就いた。1952年、東京学芸大学助教授に転じた。1954年より1955年まで、ドイツ・ミュンヘン大学に留学し、帰国後の1956年に武蔵中学校・高等学校講師となった(1965年まで)。 1959年、東京大学教養学部助教授に就いた。
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月… 鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 米国ハーバード大学で哲学を学んだのち、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。思想史から大衆文化まで幅広い分野を扱う。著書は『戦時期日本の精神史』(1982年)、『アメリカ哲学』(2008年)など多数。 1922年6月25日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの2番目(長男)として生まれる。
越智 信義(おち のぶよし、1920年8月6日 - 2014… 越智 信義(おち のぶよし、1920年8月6日 - 2014年1月10日)は、日本の将棋史研究者。古川柳研究会会員。「将棋博士」と呼ばれた。 東京都中央区築地生まれ。1938年、東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)卒業。住友金属工業に勤務。戦中、陸軍に応召して満洲へ。戦後は住金物産に勤務して、総務部長から「氷川会館支配人」を経て退職。 日本将棋連盟嘱託として、棋譜や対戦成績のデータベース整備を担当。『将棋昭和史』『将棋名人戦全集』『将棋年鑑』等の刊行に協力。 また、長年に渡り、将棋史の調査、将棋文献の収集を行ってきた。収集した文献は生前に、大阪商業大学・アミューズメント産業研究所に寄贈された。
小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月2… 小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月20日 - 2000年(平成12年)5月24日) は、日本の文芸評論家、近代文学研究者。法政大学名誉教授。 1916年(大正5年)、東京都品川区生まれ。府立高等学校尋常科に入学する。1932年(昭和7年)、学内の共産党グループのキャップとして治安維持法違反で警視庁目黒署に逮捕され、15日間勾留された後、3ヶ月の停学処分を受ける。翌年、府立高等学校高等科に進学するも、再び治安維持法違反で逮捕され、75日間拘留される。「軽はずみでした、もうしません」と宣誓書を書いて転向し、起訴猶予処分で釈放され、高等学校から諭旨退学処分を受ける。1935年、学生運動に参加せず学業に専念することを条件として、法政大学予科に編入学を認められる。
小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(… 小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(大正5年)9月11日 - 2003年(平成15年)11月28日)は、日本の教育者、編集者、歴史研究者。東京都出身。 1916年(大正5年)9月11日、東京府北多摩郡東村山村(現:東京都東村山市)に小池喜八(東村山化成小学校の校長)とキク(または喜久)の長男として出生。1936年(昭和11年)に東京府青山師範学校を卒業。小学校教師として東郷小学校に勤務する傍ら、法政大学高等師範部に通い、歴史や社会学の教科研究を続ける。太平洋戦争中は鷺宮国民学校(現:中野区立鷺宮小学校)に赴任し、福島県へ児童らと疎開した。 戦後は、東京都教育労働組合執行委員に選出され、書記局員を務めるが、1948年(昭和23年)にGHQから教職追放令が下ると公職追放となった。
瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979… 瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979年8月21日)は、日本の児童文学作家・翻訳家・児童文学研究者。 東京市本郷区(現:東京都文京区)湯島切通坂町にて父・瀬田金之助と母・余寧の息子として生まれる。1939年、俳人中村草田男に師事。本郷尋常小学校、開成中学校、東京高等学校を経て、1941年、東京帝国大学国文科卒業。同1941年、東京府立第三中学校(のちの、都立両国高校)の夜間部の教諭となる。 1942年、千葉県立国府台陸軍病院の衛生兵となる。1945年の終戦後、東京府立第三中学校に復職し、同年の秋、結婚。 戦後、東京府立第三中学校夜間部教師のかたわら、余寧金之助の筆名で児童文学作品を雑誌に寄稿。
井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 199… 井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。
松浪 信三郎(まつなみ しんざぶろう、1913年8月18日 … 松浪 信三郎(まつなみ しんざぶろう、1913年8月18日 - 1989年9月2日)は、フランス哲学の研究・翻訳者。サルトル『存在と無』の翻訳で知られる。
木村 宗男(きむら むねお、1911年9月6日 - 2005… 木村 宗男(きむら むねお、1911年9月6日 - 2005年)は、日本語教育の研究者、実践者。早稲田大学名誉教授。
宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5… 宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者・中国哲学研究者・国語学者。 学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学名誉教授。尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。斯文会理事長、日本中国学会理事長、日本会議顧問、スパイ防止法制定促進国民会議議長、世界平和教授アカデミー常任理事、国際勝共連合代表世話人、全国勝共教授団副会長などを歴任。 1910年(明治43年)、宇野哲人の長男として東京に生まれる。1923年(大正12年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1928年(昭和3年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
朝倉 季雄(あさくら すえお、1909年6月29日 - 20… 朝倉 季雄(あさくら すえお、1909年6月29日 - 2001年4月11日)は、日本の文学研究者、フランス語学者・フランス文学者。 東京生まれ。1922年 東京私立暁星小学校卒業。1927年東京私立暁星中学校卒業、1931年官立東京高等学校文科丙類卒業、1934年 東京帝国大学文学部仏蘭西文学科卒業。母校・暁星小学校の教師となる。1946年日本大学三島予科教授、1949年茨城大学助教授、1953年東京大学教養学部助教授。1959年9月よりNHK教育で始まったテレビフランス語講座の講師となる(1962年まで)。1961年東大教授、1970年定年退官、中央大学経済学部教授。1987年東京大学名誉教授。
磐瀬 太郎(いわせ たろう、1906年5月3日 - 1970… 磐瀬 太郎(いわせ たろう、1906年5月3日 - 1970年2月28日)は、日本の蝶学の研究者・愛好者・アマチュア研究の指導者。 東京都文京区出身。日本鱗翅学会会長(1967-70年)。妻は浜口吉右衛門長女文子。従姉妹に童謡歌手の平山美代子。妻の従姉妹に嵯峨浩がいる。 1906年、文京区駒込西片町(現・文京区西片)に東京帝国大学名誉教授、宮内庁御用掛侍医、医学博士磐瀬雄一の長男として生まれる。1919年東京高等師範学校付属小学校を卒業。同付属中学を卒業。父雄一より標本、採取道具等を譲り受け、東京谷中墓地等で蝶の採取を経験する。 中学在学中の1921年、初めての論文「アゲハ蝶類の草食及び食物に就いて」を「昆虫世界」(第25号)に発表。
高村 象平(たかむら しょうへい、1905年(明治38年)8… 高村 象平(たかむら しょうへい、1905年(明治38年)8月2日 - 1989年(平成元年)5月11日)は、第11代慶應義塾塾長、経済人類学研究者、ハンザ史研究者。中央教育審議会会長、日本学士院会員等を歴任。従三位勲一等瑞宝章。専攻はドイツ中世都市の研究、とくにドイツ・ハンザの研究。
栗田 直躬(くりた なおみ、1903年5月10日 - 199… 栗田 直躬(くりた なおみ、1903年5月10日 - 1998年6月12日)は、日本の中国哲学研究者、中国学者。早稲田大学名誉教授。 1903年、茨城県水戸市で生まれた。第一早稲田高等学院を卒業し、早稲田大学文学部西洋哲学専攻に進学。戸川行男と共に津田左右吉の講義を受講したことを機に、以後、津田に師事。 1933年に早稲田大学文学部助手となった。1937年から2年間北京に留学。1939年に帰国し、早稲田大学文学部専任講師に昇格。1948年に早稲田大学文学部教授となった。1974年に早稲田大学を退職し、名誉教授となった。1998年に死去。 近代的な中国思想研究を日本に導入した先駆者として知られ、特に中国古代思想の分野で優れた業績を上げた。
有坂 与太郎(ありさか よたろう、1896年1月27日 - … 有坂 与太郎(ありさか よたろう、1896年1月27日 - 1955年6月8日)は日本の郷土玩具研究者・収集家。本名は正輔。(旧字表記は「與太郎」) 1896年1月27日に南品川に生まれる。「郷土玩具の普及」「玩具則生活描写」を提唱()し、郷土玩具の出版を勢力的に行い、郷土玩具運動のリーダー的存在となった。三田平凡寺らと交遊、『我楽他宗』に参加、第四番与太山玩狐寺と号し、狐に関するものを収集した。 1925年(昭和初め)ごろから興った郷土玩具収集の新たな高まりは、西洋的な事物を排除し、日本的な事物を評価しようという当時の国策にそったものでもあった。これまでの名士などいわゆる趣味人の特殊な階層の趣味を越えて,一般家庭主婦や若いサラリーマン,学生層にまで愛好熱が広まった。
渥美 清太郎(あつみ せいたろう、1892年(明治25年)9… 渥美 清太郎(あつみ せいたろう、1892年(明治25年)9月9日- 1959年(昭和34年)8月20日)は、日本の演劇研究者、評論家である。筆名は鈍太郎、今谷久平。 東京市下谷区(現在の東京都台東区下谷)七軒町に生まれる。幼年期より、演劇や歌舞伎等の芝居に興味を持ち、独学で脚本や資料を研究した。郁文館中学校卒業後、青山学院高等部に在学する傍らに、上野図書館(現在の国際子ども図書館)に勤務する。 1911年(明治44年)に演芸画報社に入社し、雑誌『演芸画報』の編纂に携わった。1943年(昭和18年)に廃刊するが、同年その後継である『演劇界』の編纂にも携わった。その後は、歌舞伎や日本舞踊、琴や尺八等の邦楽を研究し、多くの著書や辞典を刊行した。
高木 八尺(たかぎ やさか、1889年(明治22年)12月2… 高木 八尺(たかぎ やさか、1889年(明治22年)12月25日 - 1984年(昭和59年)4月28日)は、日本の政治学者、アメリカ研究者、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 東京帝国大学教授、太平洋問題調査会常任理事、貴族院議員、東京大学教授などを歴任した。 英学者・神田乃武の子として東京に生まれる。外戚の佐賀藩士の高木家の養子となる。第一高等学校を経て、1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学政治学科卒業。新渡戸稲造、内村鑑三の影響を受ける。1918年(大正7年)、母校でアロンゾ・バートン・ヘボンの寄付で設置された米国憲法・歴史及び外交講座(通称「ヘボン講座」)の初代担当者となる。
渋沢 青花(しぶさわ せいか、1889年2月18日 - 19… 渋沢 青花(しぶさわ せいか、1889年2月18日 - 1983年5月19日)は、日本の編集者、児童文学作家、児童文学研究者。本名・寿三郎。別名・孤星、素風。 1889年(明治22年)、東京八丁堀に生まれ、まもなく浅草千束町に移る。浅草尋常高等小学校に入学、小学校時代、友人であった小宮山豊作や久保田万太郎の影響で文学に関心を持つ。東京府立第三中学校を経て早稲田大学英文科に入学し、片上伸に師事する。 1912年(明治45年)早稲田大学文学部英文学科を卒業。島村抱月の紹介で実業之日本社に入社する。はじめ、1913年(大正2年)に大隈重信、渋沢栄一らによって創刊された『実業講習録』編集部に勤務するが、同社の雑誌『少女の友』に少女小説「悲しき海へ」を寄稿したのがきっかけで、1914年(大正4年)同誌へ配属された。
後藤 末雄(ごとう すえお、1886年10月25日 - 19… 後藤 末雄(ごとう すえお、1886年10月25日 - 1967年11月10日)は、作家、フランス文学者、比較文学・比較思想史研究者。 東京にて後藤五郎の六男に生まれる。「金座の後藤」と称された工芸の旧家に生まれ、幼くして母を失う。浅草橋の小学校に通い、同級生には木村荘太や桜間弓川がいた。府立三中、一高を経て、東京帝国大学英文科在学中、和辻哲郎、谷崎潤一郎、木村荘太らと第2次『新思潮』の創刊に参加し、小説家として出発する。1913年、東大仏文科を卒業し、陸軍士官学校の教師となる。華々しくデビューした谷崎に対し、他の同人が創作から脱落していく中で、森鷗外らの愛顧を得て創作を続けるが、大正5年(1916年)、「女の哀話」もの小説を「遊蕩文学」として赤木桁平に攻撃され、なおも創作を続けた。
水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 19… 水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は、日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。本名は盈太郎(みちたろう)。別号蝶郎。 東京府生まれ。新詩社に入り、詩文集『あららぎ』、窪田空穂との合著歌集『明暗』で登場。『微温』、小品集『草と人』などで自然主義文学に独自の地位を占めた。のち、千葉県三里塚で半農生活に入った。建設大臣などを務めた水野清は次男。 東京下谷区仲御徒町生まれ。父は農商務省の官吏。父の転任で1891年(明治24年)から福岡で暮らし、1900年(明治33年)に東京に戻る。福岡県立豊津中学校(現・福岡県立育徳館中学校・高等学校)卒業。 中学時代から詩作を行っていたが、上京して与謝野鉄幹に師事し、水野蝶郎名義で新進詩人として知られる。
井上 紅梅(いのうえ こうばい、1881年(明治14年) -… 井上 紅梅(いのうえ こうばい、1881年(明治14年) - 1949年(昭和24年)?)は、大正・昭和戦前期の中国文学・中国文化研究者。当時の言葉で「シナ通 (支那通)」と呼ばれる在野の中国愛好家であり、中国風俗や中国事情を紹介する多くの著作を送り出した。同時代の新文学の紹介も旺盛に行い、魯迅のまとまった翻訳を初めて手がけたことで知られている。また、日本に麻雀を紹介した初期の人物の一人でもある。本名は井上 進(いのうえ すすむ)。 井上紅梅の生涯については不明な点が多く、生没年すら確定されない状況が長く続いた。中国史学者の三石善吉は、1970年代に「シナ通」研究の一環として紅梅についての調査を行ったが、「その生涯については謎ばかり」、「謎の人物」と評した。
飯塚 幸三 は、日本の研究者、通商産業省技官。東京大学工学博… 飯塚 幸三 は、日本の研究者、通商産業省技官。東京大学工学博士。専門は計量学。測定器誤差と形状誤差を分離して真円度・円筒度測定ができるマルチステップ法の開発者。15年間委員を務めた国際度量衡委員会では日本人初の副委員長にも就任し、世界計量記念日を提唱。国際計測連合(IMEKO)では会長を務めた。
上武 康亮(うえたけ こうすけ)は、日本の経済学者、マーケテ… 上武 康亮(うえたけ こうすけ)は、日本の経済学者、マーケティング研究者。イェール大学経営大学院(Yale School of Management)マーケティング学科教授。専門は計量マーケティング、産業組織論、および情報の経済学。 構造推定(Structural Estimation)や機械学習を用いた実証分析を専門とし、企業のマーケティング戦略、競争政策、および公的政策のインターフェースに関する研究を行っている。特に、市場における情報の非対称性や消費者の注目(Attention)が市場成果に与える影響についての研究で知られる。 2001年に駒場東邦高等学校を卒業。東京大学経済学部および同大学院経済学研究科修士課程を修了後、渡米。