草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。
森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000… 森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000年10月)は、医師、沖田総司研究家、歴史作家。本名、大場満喜。 神奈川県横浜市生まれ。1945年大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。2年生の夏休みに父の任地の函館に帰省したとき、大映映画「維新の曲」を見て、南条新太郎扮する沖田総司に魅せられる。終戦後まもなく医専を卒業してすぐに結核療養所に勤務。1947年、父の仕事の関係で大牟田に転居、1948年から1976年まで大牟田保健所に勤務。1981年上京、葛飾赤十字血液センターに勤務。その間、医師として結核を担当しつつ沖田総司に関する著作を上梓。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 -… 長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 - 2011年4月3日)は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市出身。少年時代はよく遊び、よく本を読んで過ごしたと言う。淺野總合中學校(現在の浅野中学校・高等学校)入学後は、夏目漱石『吾輩は猫である』などを岩波文庫で読んだことで読書の楽しみを知り、坪田譲治『子供の四季』に感動して文学を行う上での目標と考える。しかし、中学5年の時に腹膜炎にかかったため、1年休学をした後に退学。1942年頃から、近所の子供たちを集めた「子ども隣組」を始め、読み聞かせを行う。同じころに、俳句に興味を持ち、句誌に投稿を始める。 1944年に応召し、陸軍に入営。華北で終戦を迎え、1946年に復員。
戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月… 戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月16日 - 1983年(昭和58年)3月19日)は、日本の政治評論家・作家。神奈川県平塚市出身。父親は小説家で平塚市市長を務めた戸川貞雄、弟は小説家の菊村到。 旧制湘南中学を経て早稲田大学政治経済学部へ入学するが、赤紙が来て陸軍へ召集される。しかし、徴兵検査で病気が分かり延期となる。 回復後に再び召集されるが直後に終戦を迎え、早大に復学して卒業する。 1947年(昭和22年)、読売新聞に入社。政治部記者として、数多くの政治家に取材して顔を知られるようになる。一時期は特派員としてモスクワにも滞在していた。1955年に河野謙三から、父・貞雄の平塚市長選挙への出馬説得を依頼されたことから、仲介役を務め、父親を当選させることに成功している。
東 文彦(あずま ふみひこ、1920年(大正9年)8月23日… 東 文彦(あずま ふみひこ、1920年(大正9年)8月23日 - 1943年(昭和18年)10月8日)は、日本の小説家。本名は東徤(あずま・たかし=行人偏に建)。23歳で夭折した。学習院時代の三島由紀夫と親交を持った。 父・東季彦は奈良県十津川村出身の法学者で、九州帝国大学法文学部教授や日本大学学長などを歴任。母・菊枝は軍人・石光眞清の次女。 「文彦」という筆名は、季彦が息子の名前にと一時考えていたものである。本名の「徤」は、祖父の東武の命名による。「徤」の字は『易経』にあり、天の運行の壮んさを表す。 神奈川県鎌倉市生まれ。幼時を父の赴任先の福岡で過ごした。小学校を福岡県男子師範学校付属小学校で過ごしたことは、文彦にとって重要なものであった。
島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日… 島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日 - 1986年(昭和61年)11月12日)は、日本の小説家。日本芸術院会員。 大学卒業後に海軍予備学生に志願し第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎えた経験を持つ。「ヤポネシア」という概念を考案したことでも知られる。 作品は超現実主義的な『夢の中での日常』などの、戦争中の体験を描いた作品群、『出発は遂に訪れず』などの作品群、さらに家庭生活を描いた『死の棘』などの作品群に大別される。また、小説作品との決定的な差異はないとされる日記や、紀行文など記録性の高いテキスト群や南島論なども多く書き続けた。
松田 瓊子(まつだ けいこ、1916年(大正5年)3月19日… 松田 瓊子(まつだ けいこ、1916年(大正5年)3月19日 - 1940年(昭和15年)1月13日)は、日本の小説家。父は小説家の野村胡堂。夫は政治学者の松田智雄。 東京市小石川区(現在の東京都文京区)に4人兄弟の次女として生まれる。作家の父と高等女学校の教員であった母のもと、文化的に恵まれた家庭に育つ。日本女子大附属高等女学校(現在の日本女子大学附属中学校・高等学校)に入学した頃から少女小説を書き始め、女学校卒業の頃に初めての長編である『人形の歌』を完成する。女学校卒業後は日本女子大学校(現在の日本女子大学)英文科に入学する。卒業生名簿に名前が記載されていないことから、卒業はしなかったとされている。
半田義之(はんだ よしゆき、1911年7月2日 - 1970… 半田義之(はんだ よしゆき、1911年7月2日 - 1970年8月1日)は、日本の小説家である。神奈川県横浜市保土ヶ谷出身。 旧制前橋中学(現群馬県立前橋高等学校)中退後、国鉄の職員として働く傍ら、同人誌に創作を発表する。「文藝首都」の1939年6月号に掲載した「鶏騒動」で第9回芥川龍之介賞を受賞した。受賞後は国鉄を退職し、菊池寛が編集長だった「日本映画」の記者となる。 戦後は日本共産党に入党。国鉄の労働運動に参加し、日本共産党系の『民主文学』などに小説を発表したが、1970年に59歳で自殺した。
岡本 太郎(おかもと たろう、1911年〈明治44年〉2月2… 岡本 太郎(おかもと たろう、1911年〈明治44年〉2月26日 - 1996年〈平成8年〉1月7日)は、日本の芸術家・作家。 1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごし、抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触した。 岡本太郎(以下岡本と表記)は神奈川県橘樹郡高津村大字二子(現在の川崎市高津区二子)で、漫画家の岡本一平、歌人で小説家・かの子との間に長男として生まれる。血液型はO型。父方の祖父は町書家の岡本可亭であり、当時可亭に師事していた北大路魯山人とは家族ぐるみの付き合いがあった。 父・一平は朝日新聞で「漫画漫文」という独自のスタイルで人気を博し、「宰相の名は知らぬが、一平なら知っている」といわれるほど有名になるが、付き合いのため収入のほとんどを酒代に使ってしまうほどの放蕩ぶりで、家の電気を止められてしまうこともあった。
中里 恒子(なかざと つねこ、1909年12月23日 - 1… 中里 恒子(なかざと つねこ、1909年12月23日 - 1987年4月5日)は、日本の小説家。本名・恒。神奈川県生まれ。1939年に国際結婚をテーマにした『乗合馬車』『日光室』で女性初の芥川賞を受賞。人生の機敏を典雅な文体で描いた。戦後は『歌枕』『時雨の記』など老境を描いた作品を多く発表した。日本芸術院会員。 1909年(明治42年)、父・中里万蔵、母・保乃の次女として、神奈川県藤沢市に生まれる。家業は幕末から続く呉服太物商である。1922年(大正11年)、横浜紅蘭女学校(現・横浜雙葉学園)に入学。翌年9月の関東大震災で家も学校も焼失したため川崎に転居し、川崎実科高等女学校(現・川崎市立川崎高等学校)に編入する。
北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 19… 北原 武夫(きたはら たけお、1907年2月28日 - 1973年9月29日)は、日本の小説家。 神奈川県小田原市の医家に生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、家業を継ぐべく旧制新潟高等学校理科に入学するが父に反抗して中退し、慶應義塾大学予科に入学。慶應義塾大学文学部仏文科に進むが国文科に転じ、1932年に卒業。在学中に、井上友一郎、田村泰次郎らの同人誌『桜』に参加。 都新聞社に入社。横浜支局に勤務。1934年、都新聞社本社に転勤。この間、1933年に宇野千代と知り合う。1936年、宇野千代と共に日本最初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。1938年、『妻』を発表して芥川賞候補となり文壇にデビュー。
角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 19… 角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 1994年3月26日)は日本の小説家。伝奇小説と呼ばれる時代小説、探偵小説で活躍した。 神奈川県横須賀市に生まれ、父は佐倉藩士の家系で、海軍工廠印刷部創設要員だったが、翌1907年に浅草で印刷業を始めて一家で移転する。小学生の頃から、俳句、短歌、新体詩の投稿をしており、滝沢馬琴、山東京伝、黒岩涙香を愛読、中学時代はトルストイ、ドストエフスキーなどを愛読していた。 東京府立三中時代の1921年(大正10年)に『現代』誌のスポーツ小説の懸賞に応募して二等となる。英語教師からシャーロック・ホームズの話を聞いて探偵小説に興味を持ち、翌1922年に『新趣味』に「毛皮の外套を着た男」を発表してデビュー。
円地 文子(えんち ふみこ、1905年(明治38年)10月2… 円地 文子(えんち ふみこ、1905年(明治38年)10月2日 - 1986年(昭和61年)11月14日)は、日本の小説家。本名:圓地 富美(えんち ふみ)。上田萬年の二女。戯曲から小説に転じ、『ひもじい月日』で文壇に地位を確立。江戸末期の頽廃的な耽美文芸の影響を受け、抑圧された女の業や執念を描いて古典的妖艶美に到達。戦後の女流文壇の第一人者として高く評価された。『源氏物語』の現代語訳でも知られる。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 1905年10月2日、東京府東京市浅草区向柳原2-3(現・台東区浅草橋)に、父上田萬年(38歳)、母鶴子(29歳)の二女として生まれる。本名富美。家族は他に、父方の祖母いね(66歳)、兄寿(8歳)、姉千代(4歳)がおり、さらに女中、書生、兄の乳母、抱え車夫の夫婦などがいた。
小野 佐世男(おの させお、1905年2月6日 - 1954… 小野 佐世男(おの させお、1905年2月6日 - 1954年2月1日)は、日本の漫画家、画家、随筆家、小説家。神奈川県横浜市出身。漫画評論家の小野耕世は長男。 1905年(明治38年)2月6日、父・小野鉄吉、母・銀子の長男として横浜に生まれる。名前の佐世男は当時日本最西端の駅であった佐世保駅に由来する。なお鉄吉は和歌山の建設会社西本組の社員で、鉄道施設の仕事を請け負う建築家であった。1910年(明治43年)、鉄吉が西本組東京事務所所長となり、東京赤坂に移る。1912年(明治45年・大正元年)、檜町小学校(現港区立赤坂小学校)に入学。フランス映画『ジゴマ』に夢中になり、小学校2、3年生の頃には六本木にあった活動小屋に通うなど映画ファンとなる。
今井 達夫(いまい たつお、1904年3月3日 - 1978… 今井 達夫(いまい たつお、1904年3月3日 - 1978年5月6日)は、日本の小説家。筆名は本名と同じ。 長男として横浜市中区野毛に生まれる。父の今井秀松は山形県西村山郡朝日町出身で、横浜で兄弟生糸商を営む。母きみは山形県東村山郡山辺町の生まれで、安達峰一郎の妹。幼年期のほとんど毎夏、鵠沼で過ごす。1910年、横浜市尋常小学校に入学。1912年秋から父の療養のため神奈川県藤沢市鵠沼海岸下鰯に転居。鵠沼尋常小学校(現在の藤沢市立鵠沼小学校)に3年生で転校。同年、父秀松が死去。1916年に鵠沼尋常小学校を卒業、同年開校の私立藤嶺中学校に1回生として入学。 1920年(大正9年)、私立藤沢中学校(1918年改称)を4年で修了し、慶應義塾大学予科に入学。
川崎 長太郎(かわさき ちょうたろう、1901年11月26日… 川崎 長太郎(かわさき ちょうたろう、1901年11月26日 - 1985年11月6日)は、日本の小説家。 神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市)出身。神奈川県立小田原中学校中退。初めアナーキストの周辺で詩作をしていたが、その後、徳田秋声、宇野浩二に出会い、その系譜を継承する私小説作家となる。1935年に「余熱」で一度芥川賞候補になるも、長く不遇の時代が続き、実家の物置小屋を住処にして貧しい生活を続けた。1950年代に「抹香町」「鳳仙花」などの作品で、物置小屋で暮らしながら私娼街に通う初老の男と娼婦との触れ合いを哀感をもって描いて好評を博し、一時のブームとなる。晩年の1970年代に出版が盛んになり、1977年に菊池寛賞、1981年に芸術選奨文部大臣賞を受賞して文学的な評価も定まった。
和田 傳(わだ つとう、1900年(明治33年)1月17日 … 和田 傳(わだ つとう、1900年(明治33年)1月17日 - 1985年10月12日)は、神奈川県厚木市生まれの小説家。一般的には「わだ でん」と呼ばれている。農村を舞台とした作品を得意とした。代表作に「沃土」、「大日向村」、「日本農人傳」、「鰯雲」などがある。 小説の他、評論や随筆、伝記などを著した。ここでは、再版・改訂版などは除いて、「小説名」(発表月日)で表記している。
今 東光(こん とうこう、1898年〈明治31年〉3月26日… 今 東光(こん とうこう、1898年〈明治31年〉3月26日 - 1977年〈昭和52年〉9月19日)は、横浜生まれの小説家、天台宗大僧正(法名 春聽)、中尊寺貫主、参議院議員。大正末期に新感覚派の作家として出発。その後出家し、長く文壇を離れたが復帰。住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など奥州を題材にした作品で人気を得た。週刊誌やテレビでも活躍し、毒舌和尚としても知られた。 作家・評論家で初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。
大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年〈明治30年〉10月… 大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年〈明治30年〉10月9日 - 1973年〈昭和48年〉4月30日)は、日本の小説家・作家。大仏次郎(新字体)とも書く。本名は、野尻 清彦(のじり きよひこ)。 『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名なほか、歴史小説、現代小説、ノンフィクション、新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。作家の野尻抱影(正英)は兄。 神奈川県横浜市英町(現在の横浜市中区)に生まれた。道成寺の山門の再建や本堂の修復などを手がけた宮大工・仁兵衛の子孫にあたる。父・政助は1850年(嘉永3年)5月27日、紀伊国日高郡藤井村(現在の和歌山県御坊市藤田町)で源兵衛の長男として生まれ、19歳の時に明治維新を経験して「狭いふるさとを出て、広い世界で活躍したい」と、和歌山市の倉田塾(吹上神社の神主・倉田績の家塾)に入り、その後日本郵船に入社し、勤勉実直な人だった清彦が生まれた時は単身赴任で宮城県石巻支店に勤務しており、その後四日市に移った。
井上 康文(いのうえ やすぶみ、1897年6月20日 - 1… 井上 康文(いのうえ やすぶみ、1897年6月20日 - 1973年4月18日)は、日本の詩人、作家、新聞記者。本名・康治。日高駿一の筆名も用いた。 生涯で3回結婚した。最後の妻、井上淑子(きよこ)もまた詩人であった。 神奈川県小田原市出身。東京薬学校(現東京薬科大学)を卒業後、東京市役所の技師や雑誌『新小説』の記者などを務めた。1918年、同郷の福田正夫や白鳥省吾らと共に雑誌『民衆』を創刊して注目を集める。大正デモクラシーの時流の中で、民衆の生活を口語体で平易に表現する「民衆詩派」の一翼を担った。『民衆』は毎回300部程度、17号まで発行された。 さらに井上は詩人団体「詩話会」に入会。詩壇での地位を確立する一方、北原白秋らは「詩ではなく散文的である」として民衆詩派に反発した。
牧野 信一(まきの しんいち、1896年〈明治29年〉11月… 牧野 信一(まきの しんいち、1896年〈明治29年〉11月12日 - 1936年〈昭和11年〉3月24日)は、日本の小説家。神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市)出身。 自然主義的な私小説の傍流としてみなされることが多く、17年間の作家生活の中で珠玉の短編十数編を残して早逝した「マイナー・ポエット」といわれている。「ギリシャ牧野」とも呼ばれた中期の幻想的な作品で新境地を拓いたが、小田原の生家で悲劇的な最期(縊死自殺)を遂げた。享年39歳。 牧野信一は、決して大作家とはいえない一詩人的な作家ではあるが、その「内発的な自我破り、想像力の開放、分裂に処するパロディの方法の発見」などは文学史的には重要な意味があると磯貝英夫は考察し、その後継者的な作家として、井伏鱒二、坂口安吾、石川淳、太宰治らの名を挙げている。
内藤 千代子(ないとう ちよこ、1893年(明治26年)12… 内藤 千代子(ないとう ちよこ、1893年(明治26年)12月9日 - 1925年(大正14年)3月23日)は日本の小説家。雑誌『女学世界』に多くの恋愛小説を発表し、女子学生に絶大な人気を誇った。槍ヶ岳に登頂した初めての日本人女性でもある。 東京府東京市下谷区下谷西町(現在の東京都台東区東上野)で、士族出身の象牙彫刻師である父広蔵と母いくの長女として生まれる。3歳の時に神奈川県高座郡鵠沼村(現・藤沢市)に移り住み、以後生涯を鵠沼で過ごす。父広蔵は漢籍の素養を持つ教養人であったことから、教育は全て父の手によって行われ、内藤は学齢期になっても学校に行かせてもらうことはできなかった。その後、生涯に渡って一切学校教育を受けていない。
加藤 武雄(かとう たけお、1888年〈明治21年〉5月3日… 加藤 武雄(かとう たけお、1888年〈明治21年〉5月3日 - 1956年〈昭和31年〉9月1日)は、大正・昭和期の小説家。号は冬海。建築家の丹下健三は三女の婿。門人に佐藤愛子がいる。 神奈川県津久井郡川尻村(現・相模原市緑区)生まれ。高等小学校卒。川尻尋常小学校(現・相模原市立川尻小学校)で訓導(準教員)を務める。親戚に八木重吉がおり、川尻尋常小学校では教え子でもあった。 『文章世界』・『中学世界』誌等への投書家として次第に名を知られ、明治時代末から佐藤義亮に接近。1911年、新潮社に入社し、編集者として『文章倶楽部』などを担当した。 1916年に加藤武雄名義の処女作「土を離れて」を『新潮』誌に発表。
河岡 潮風(かわおか ちょうふう、1887年(明治20年)3… 河岡 潮風(かわおか ちょうふう、1887年(明治20年)3月8日 - 1912年(明治45年)7月13日)は日本の作家。押川春浪の弟子筋として雑誌『冒険世界』などで小説、エッセイなどを発表したが、若くして病死した。本名は英男。 横浜野毛町(現・横浜市中区)出身。神戸、京都などを転々とした後、1905年(明治38年)早稲田大学文学部に入学。 早稲田大学卒業後、中央新聞を経て博文館に入社。押川春浪が主筆を務めていた『冒険世界』の編集助手となり、同誌に小説、エッセイなどを発表する。押川が体調を崩していた時には口述筆記を行うこともあった。また、押川が中心人物であった社交団体「天狗倶楽部」にも入り、メンバーと交友を深めた。
廣嶋 玲子 は、日本の小説家、児童文学作家、ファンタジー作家… 廣嶋 玲子 は、日本の小説家、児童文学作家、ファンタジー作家。
あさみ 順子(あさみ じゅんこ)は、神奈川県出身の日本のパズ… あさみ 順子(あさみ じゅんこ)は、神奈川県出身の日本のパズル作家。 この項目は、パズルに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
葛城稜(かつらぎ りょう)は、日本の小説家、脚本家。 横浜出… 葛城稜(かつらぎ りょう)は、日本の小説家、脚本家。 横浜出身。横浜商業高校卒業後、職業訓練校でグラフィックデザインを学ぶ。サンリオの商品デザイナーを経て、「プログラム・アシャ 風たちの覚醒」で作家デビュー。
北見 葉胡(きたみ ようこ)は、日本の画家、絵本作家、イラス… 北見 葉胡(きたみ ようこ)は、日本の画家、絵本作家、イラストレーター。神奈川県生まれ。武蔵野美術短期大学卒業。2004年、大分国際絵本原画展優秀賞受賞。2005年、ボローニャ国際絵本原画展入選。 1994年より、毎年の個展と並行して絵本、書籍装画などで活動している。 2004年、絵本『さぼてん』で大分国際絵本原画展優秀賞受賞。同作はスペイン語訳され、メキシコでも出版されている。 2005年、朝日小学生新聞に連載されていた『タマリンとポチロー』でボローニャ国際絵本原画展入選。
相原 恭子(あいはら きょうこ)は、日本の作家、写真家。 神… 相原 恭子(あいはら きょうこ)は、日本の作家、写真家。 神奈川県立外語短期大学付属高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。ドイツ政府観光局勤務を経て、1994年より作家・写真家活動に入る。エッセイやノンフィクションと写真を組み合わせた著書を発表。ヨーロッパ、京都花街、ビールを中心とする食文化などをテーマに執筆、写真撮影、講演を続ける。京都花街に関しては、日本在住の日本人で、ヨーロッパ文化に精通し、英語で原稿を書き、写真も撮影できる人を探していた「Carlton Books, London, UK」から依頼を受けて、撮影・執筆を開始。2000年に英語の著書「Geisha - A living tradition」(Carlton Books, London, UK) が刊行され、ハンガリー語、フランス語、ポーランド語に翻訳され、ヨーロッパ、北米、南米、オセアニアなど各国で刊行されている。
吉川 スミス(よしかわ スミス)は日本の放送作家・作家。神奈… 吉川 スミス(よしかわ スミス)は日本の放送作家・作家。神奈川県横浜市出身。 1999年、古舘プロジェクトより放送作家デビュー。2012年、同事務所より独立。
こんの ひとみは、神奈川県出身の絵本作家、作家、シンガーソン… こんの ひとみは、神奈川県出身の絵本作家、作家、シンガーソングライター、ラジオパーソナリティー。 コマーシャルソングやナレーションの仕事を行ってきたが、1996年頃よりライブ活動を始めた。近年では絵本作家・ラジオパーソナリティーとしても活動している。 鎌倉市立深沢中学校、神奈川県立藤沢西高等学校、神奈川県立栄養短期大学をそれぞれ卒業。 代表曲は、「パパとあなたの影ぼうし」「夢をかなえよう」「保健室」。代表著書は、「くまのこうちょうせんせい」「保健室ものがたり」「いつもいっしょに」「かあさんのこもりうた」「たんぽぽのおかあさん」。
戸田 久実(とだ くみ)は、日本の実業家、アンガーマネジメン… 戸田 久実(とだ くみ)は、日本の実業家、アンガーマネジメントコンサルタント、企業研修講師、著作家。アドット・コミュニケーション株式会社代表取締役、一般社団法人日本アンガーマネジメント協会代表理事。大阪府生まれ、神奈川県横浜市育ち、立教大学文学部日本文学科卒業。 大阪府生まれ、神奈川県横浜市育ち。フェリス女学院中学校・高等学校、立教大学文学部日本文学科を卒業。 1991年(平成元年)4月、大手の時計専門商社・株式会社服部セイコー(現セイコーグループ株式会社)に入社、宝飾部で営業を行う。新人研修で『人は「話し方」で9割変わる』の著書・福田健と出会い、コミュニケーションの原理原則を学んだ。以降、福田が主宰する人材育成の勉強会を知り、「説明力」「プレゼン力」「交渉力」を身に付けたいと仕事の合間を縫って参加した。
中島 敦 は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』… 中島 敦 は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏(教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同1942年(昭和17年)中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。
篠原 昌裕(しのはら まさひろ)は、日本の小説家。神奈川県横… 篠原 昌裕(しのはら まさひろ)は、日本の小説家。神奈川県横須賀市生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。 2011年、「僕はビニール傘でいい」が第4回WOWOWシナリオ大賞の最終選考に残る。同年、「殺人画家は 私です」が第10回『このミステリーがすごい!』大賞で1次通過するが、受賞は逃す。2012年、同作を加筆修正後、『保健室の先生は迷探偵!?』と改題し、宝島社文庫より『このミステリーがすごい!』大賞の隠し玉(受賞は及ばなかったものの、編集部からの推薦で刊行するもの)として刊行され、小説家デビューする。 「」内が篠原昌裕の作品 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大島 智子(おおしま ともこ)は、日本のイラストレーター、映… 大島 智子(おおしま ともこ)は、日本のイラストレーター、映像作家、漫画家。 女子美術大学メディアアート学科卒業。所属事務所は術ノ穴。 神奈川県横浜市出身。2010年ごろからイラストレーションを元にしたGIFアニメをTumblr上で公開。 2011年、「ガストでもロイホでもラブホでもいいよ。」が第17回学生CGコンテストの最終ノミネート。 2012年より泉まくらのアルバムジャケットを担当している。 2017年3月、術ノ穴へ加入。
滝川 杏奴(たきがわ あんぬ、本名非公開)は日本の小説家、エ… 滝川 杏奴(たきがわ あんぬ、本名非公開)は日本の小説家、エッセイスト。 神奈川県横浜市生まれ。作家の早乙女勝元は叔父。早乙女朋子名義で子役として、フジテレビの連続ドラマ「ふしぎ犬トントン」準主役などを務める。 日本映画学校(現・日本映画大学)で脚本家・桂千穂に師事し、卒業後、にっかつ(現・日活)に入社。ロマンポルノ最後の宣伝ウーマンとなる。 退社後はフリーとして、伊丹十三作品などの製作宣伝を手掛ける。 早乙女朋子のペンネームで執筆した「バーバーの肖像」で、1995年に第8回小説すばる新人賞(集英社)を受賞。集英社から単行本「バーバーの肖像」「子役白書」を出版した。 2017年、官能小説誌「特選小説」(辰巳出版)に発表した「天使が濡れるまで」で官能作家デビュー。
安藤“アン”誠起(あんどう アン まさき)は日本の写真家&写… 安藤“アン”誠起(あんどう アン まさき)は日本の写真家&写真作家。神奈川県横浜市出身。早稲田大学卒。 “旅と人、クワガタとジビエ… ”をコンセプトに活動を続ける写真作家&フォトグラファー。通称は“アンさん” ポートレートにおいては、俳優やタレントなどのポートレートやインタビュー撮影をはじめとして、鏡リュウジ氏の番組ポスター&宣材写真、ハリウッド女優のサラ・ジェシカ・パーカーの等身大パネルの展示や、韓流映画ブラザーフッドの撮影パネルを展示。ほかにも大地真央、阿部寛、藤井フミヤなど、俳優や文化人、歌手や職人など、さまざまなジャンルの人物を撮影。 これまで訪れた国は海外は50カ国以上にもおよぶ。国内ではとくに屋久島・奄美大島を中心とした日本の南島を中心に撮影&取材。
生野涼介(いくの りょうすけ)は、日本の映像作家。主にモータ… 生野涼介(いくの りょうすけ)は、日本の映像作家。主にモータースポーツ、バイク・トライアル(以下トライアル)の番組を得意とするTVディレクター及びカメラマン。1958年6月、山口県下松市生まれ。A型。父親の転勤のため北海道室蘭市、神奈川県川崎市、東京都江東区を経て現在は横浜市在住。自己のオフィス名は「映像工房クエスチョン」。
折口 良乃(おりぐち よしの)は、日本のライトノベル作家。他… 折口 良乃(おりぐち よしの)は、日本のライトノベル作家。他作家との共同ペンネームに越前 魔太郎がある。 神奈川県大和市出身。 2009年に『九罰の悪魔召喚術』を電撃文庫から刊行しデビュー。2010年には他作家との共同ペンネーム・越前魔太郎名義でも執筆した。電撃文庫の他に2013年に講談社BOX、2015年にメディアワークス文庫、2016年に集英社ダッシュエックス文庫からライトノベルを刊行している。 『デュアル・イレイザー』1巻刊行時のインタビューでは高校生時代に影響を受けた作家・作品として、奈須きのこの『空の境界』を挙げた。 また、当時のインタビューでは注目している作家に相生生音、熱中していたものに『スマイルプリキュア!』、熱中していたゲームに『マージャン★ドリームクラブ』などを挙げていた。