南谷 真鈴(みなみや まりん、1996年12月20日 - )… 南谷 真鈴(みなみや まりん、1996年12月20日 - )は、日本の女性登山家・冒険家・環境活動家。七大陸最高峰日本人最年少登頂記録保持者。神奈川県川崎市出身。東京学芸大学附属国際中等教育学校卒業、早稲田大学政治経済学部を経てコロンビア大学へ転入し在学中。 神奈川県で生まれたが、父が貿易関係の仕事をしていたこともあり、1歳半でマレーシアに渡り、その後、大連、上海、香港とアジア各地を転々とした。幼い頃からバイオリン、ピアノ、ギター、マリンバ、ドラムを習い、部活もバレー、陸上、乗馬を同時にやっていた。香港に住んでいた13歳の時に学校行事で初めて山に登る機会があり、そこから山に本格的に興味を持ち、エベレストを目指すようになった。
大津 綾香(おおつ あやか、1992年〈平成4年〉11月18… 大津 綾香(おおつ あやか、1992年〈平成4年〉11月18日 - )は、日本の政治活動家、元子役タレント。みんなでつくる党党首(第2代)。タレント時代はファイブ☆エイトに所属していた。 神奈川県横須賀市生まれ。高校生の頃まで横須賀市や逗子市で育つ。幼少期は子役として活動し、2002年から3年間はNHKの『週刊こどもニュース』で、池上彰の娘役として出演するなどした。中学生の時に芸能界を引退。その後はアメリカへの留学を経て日本大学芸術学部デザイン学科で建築について学び、同大学中退後、建築デザイナーとして建築事務所に勤務した。 2023年1月、大津はNHK党党首の立花孝志が設立に携わる政治団体・「政治家女子48党」の候補者応募広告をYouTube上で見かけ、応募した。
秋山 理央(あきやま りお、1984年 - )は、日本の映像… 秋山 理央(あきやま りお、1984年 - )は、日本の映像ディレクター、ジャーナリスト、政治活動家。 神奈川県藤沢市出身。神奈川県立深沢高等学校を経て神奈川大学経済学部卒業。 インターネットのCM制作会社で勤務する。 2007年6月に第4回北海道大学学生映画祭「グランプリ」を受賞、2013年1月に第2回自由報道協会賞「FPAJファン投票大賞」を受賞、2020年6月に第8回日隅一雄・情報流通促進賞「奨励賞」を受賞。 2011年の東日本大震災での福島第一原子力発電所事故が起きたことをきっかけとしてデモ活動の動画を撮影して公開するようになった。2011年6月に鎌倉市で行われる反原発のデモ活動を知って初めて見に行って、ハードルが低いためみんなが参加すれば良いと思う。
後藤 輝樹(ごとう てるき、1982年〈昭和57年〉12月8… 後藤 輝樹(ごとう てるき、1982年〈昭和57年〉12月8日 - )は、日本の政治活動家。元自衛官。 1982年12月、東京都で生まれ、横浜市で育つ。神奈川県立清水ヶ丘高等学校卒業。 また、時期は不明であるが、徴兵制賛成の観点から陸上自衛官として1年弱任用されていたと語っている。 初出馬は2011年神奈川県議会議員選挙であり、横浜市南区で立候補するも、落選したが、供託金60万円は返還された。2012年の目黒区長選挙と同年の港区長選挙、2013年には千代田区長選挙に立候補したいずれも落選して供託金各100万円は没収された。2013年と2017年の都議会議員選挙に千代田区から立候補するもいずれも落選して各供託金60万円も没収された。
二見 翼(ふたみ つばさ、1982年〈昭和57年〉9月13日… 二見 翼(ふたみ つばさ、1982年〈昭和57年〉9月13日-)は、横浜市金沢区の地域活動家として活躍する個人の活動家。 横浜市金沢区のご当地かるた「カナかる!」 イラスト原画担当、虹のあそび隊 紫担当、進め!金のりプロジェクト プロジェクトリーダー、富岡並木ふなだまりgionbune公園愛護会 副会長、金沢区子ども会連絡協議会 副会長、金沢文庫芸術祭 実行委員、ecoフェス 共同実行委員長、一般社団法人金沢シーサイドあしたタウン 理事など。 過去には、金沢区の日 実行委員、金沢シーサイドFM 番組審議委員など。 東京都内のWEBサイト運営会社に営業として勤めていた際、地元の大きなお祭りに約10年ぶりに遊びに行くと、人や屋台の減少に気付き、その時に既に金沢区自体が横浜市で唯一10年以上人口が減少している区であることを知る。
増原 裕子(ますはら ひろこ、1977年12月27日 - )… 増原 裕子(ますはら ひろこ、1977年12月27日 - )は、日本のLGBT活動家、社会起業家、文筆家、地方公務員。2020年4月に兵庫県明石市の専門職員に就任した。 神奈川県横浜市出身。慶應義塾女子高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。2003年に慶應義塾大学大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程を修了後、外務省のジュネーブ公館に在外公館派遣員として勤めた。その後、会計事務所やIT関連会社に勤務。 2011年春、性的少数者のシンポジウムを通じて東小雪と知り合う。東はシンポジウムの登壇者で、増原はスタッフの一人だった。 2012年3月1日、東京ディズニーシーで東と同性挙式を挙げた(後述)。 2013年12月、企業や団体向けにLGBT講演や研修を取り組む社会的企業「トロワ・クルール」を立ち上げ、代表取締役を務める。
久留須 ゆみ(くるす ゆみ、1975年5月21日 - )は、… 久留須 ゆみ(くるす ゆみ、1975年5月21日 - )は、日本の元女性タレント、グラビアアイドル、教育者、政治活動家。神奈川県横浜市出身。身長161cm。 神奈川県立横浜平沼高等学校、駒沢女子短期大学を経て、1年間幼稚園教諭を務めた後、芸能界へデビューする。テレビ東京系列の深夜番組『出動!ミニスカポリス』で6代目ミニスカポリスの他、レースクイーンとしても活動し、1998年に『FALKENギャル』と『吉野藤イメージガール』、1999年に『CDMAOne(IDO)レースクイーン』を務める。 1999年、電車内で痴漢を取り押さえ警察から表彰される。当時はミニスカポリスのメンバーであり、「ミニスカポリスがお手柄」とワイドショーや雑誌で取り扱われた。
平田 仁子(ひらた きみこ、1970年 - )は、日本の環… 平田 仁子(ひらた きみこ、1970年 - )は、日本の環境活動家。非政府組織「気候ネットワーク」に設立時より参加し、温室効果ガス排出削減の運動に20年以上にわたって取り組んできた。2022年には脱炭素化を推進するシンクタンク「Climate Integrate(クライメート・インテグレート)」を設立し、代表理事を務めている。ゴールドマン環境財団によれば、平田が主導した活動によって年間4200万トンのCO2、全体としては16億トン以上のCO2の排出を避けることができたと想定される。 2021年、日本人女性として初めてゴールドマン環境賞を受賞し、翌年には英国放送協会(BBC)による100人の女性の1人に選出された。
安部 芳裕(あべ よしひろ、1964年 - )は、日本の社会… 安部 芳裕(あべ よしひろ、1964年 - )は、日本の社会活動家、作家。あべよしひろの表記を使うこともある。 神奈川県横須賀市出身。関東学院大学文学部卒業。 地域通貨(コミュニティ通貨)を利用した相互扶助グループ「レインボーリング」(1999年)の創始者。 レインボーリングは環境保護団「レインボー・パレード」(現・NPOレインボー)を母胎とする。 講演や体験型ワークショップを全国の自治体・商店街・商工会・大学・NPO・NGOなどで数多く行い、その実践もサポートしてきたが、現在は地域通貨には関わっていない。 2002年(平成14年)5月からオーガニックカフェ&レストラン アリエルダイナー店長 〜2006年(平成18年1月閉店) 平成24年8月 ZOZO TOWNの創業者、前澤友作氏の支援を受けて、(株)サスティナブル経済研究所代表取締役就任平成27年7月 (株)サスティナブル経済学研究所退社 2007年4月にロスチャイルド家をはじめとする国際金融資本に対抗するネットワーク「反ロスチャイルド同盟」を立ち上げるが、現在活動休止中。
島岡 強(しまおか つよし、1963年08月17日(昭和38… 島岡 強(しまおか つよし、1963年08月17日(昭和38年8月17日) - )は、1987年からタンザニアのザンジバル島を拠点に、漁業、運送、貿易、など地域振興の事業によってアフリカの人々の自立につながる活動をしている活動家。自らを革命家と呼ぶ。 島岡は子どものころから両親に革命家として育てられたという。 小学1年生のときにテレビで『柔道一直線』というドラマを観て、自分も強くなりたいと思って横浜にあった柔道場に通い始めた。中学校まで町道場に通い、高校と大学の途中まで柔道部だった。 17歳の時「これから革命家として本当に生きるためには一度死にに行かなければならない」「そこで死ねば天が必要としていないことだし、生きて帰れたら天が島岡を必要としている」と考えて、八甲田山に単独登山した。
水野 文也(みずの ふみや、1961年6月18日 - )は、… 水野 文也(みずの ふみや、1961年6月18日 - )は、日本の政治活動家。維新の党所属。市川市在住。 神奈川県横浜市出身、横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小学校、同中学校、神奈川県立光陵高等学校卒業、1985年(昭和60年)横浜市立大学商学部卒業。 日本証券新聞社記者、ラジオたんぱ(現ラジオ日経)・和歌山放送解説者を経て、1996年(平成8年)ロイター通信入社。以後、経済担当記者とし て、取材活動、記事執筆、講演などを行う。 2011年(平成23年)1月千葉県議会議員選挙で市川市選挙区、みんなの党の公認候補として内定。4月、千葉県議会議員となる。2015年、任期満了に伴い千葉県議会議員選挙で再選を目指すも落選。
中村 忠志(なかむら ただし、1960年9月 - )は、岩手… 中村 忠志(なかむら ただし、1960年9月 - )は、岩手県出身の民族派活動家。
松原 徹(まつばら とおる、1957年5月22日 - 201… 松原 徹(まつばら とおる、1957年5月22日 - 2015年9月20日)は、日本の労働運動家。日本プロ野球選手会事務局長を務めた。2004年のプロ野球再編問題の際に尽力した人物として知られる。 神奈川県川崎市出身。神奈川大学卒業後、1982年にロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)の球団管理部に入社した。一軍マネージャーなどを務めた。1988年にプロ野球選手の労働組合である日本プロ野球選手会(初代会長は中畑清)が結成された当初より事務局で勤務する。選手会の業務に携わることになったきっかけは、当時中日ドラゴンズの選手であり、プロ野球選手会副会長の任に在った落合博満に勧められてのものであったという。
佐々木 克己(ささき かつみ、1955年3月26日 - )は… 佐々木 克己(ささき かつみ、1955年3月26日 - )は、日本の社会活動家、政治活動家。社会民主党神奈川県連合代表代行、NPO法人労働者運動資料室理事長、武蔵野大学外国人留学生日本語別科理系科目主任。 茅ヶ崎市立松林小学校香川分校、寒川町立一之宮小学校、栄光学園中学校・高等学校を経て、1978年3月に 東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業する。1978年4月 神奈川県立湘南高校教諭となり、1985年4月 - 神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校教諭、1996年4月 - 神奈川県立寒川高等学校教諭、2003年4月 - 神奈川県立鶴嶺高等学校教諭を経験し、2006年4月 - 神奈川県高等学校教職員組合執行委員となり、2008年4月 神奈川県高等学校教職員組合書記次長、2010年4月 神奈川県高等学校教職員組合執行副委員長となる。
田上 等(たがみ ひとし、1950年3月28日 - )は日本… 田上 等(たがみ ひとし、1950年3月28日 - )は日本の政治活動家。1970年代、菅直人らとともに市民運動に参加し、社会市民連合(まもなく社会民主連合に改称)結成後は国政選挙や神奈川県議会議員選挙にしばしば立候補したがいずれも落選した。 横浜市西区浅間町生まれ。1962年横浜市立浅間台小学校卒業、1965年横浜市立岡野中学校卒業、1968年神奈川県立横浜平沼高等学校卒業、1974年慶應義塾大学法学部卒業。大学在学中にベーチェット病患者救済運動に関わる。1974年の第11回参議院議員通常選挙で市川房枝の応援に菅直人らと携わった。彼女の院内会派であった参議院第二院クラブ事務局長を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙に菅が東京都第7区から出馬した際には選挙対策本部事務局長を務めた。
遠山 美枝子(とおやま みえこ、1946年8月12日 - 1… 遠山 美枝子(とおやま みえこ、1946年8月12日 - 1972年1月7日)は、日本の新左翼活動家、共産主義者同盟赤軍派メンバー。赤軍派最高幹部高原浩之は夫。 神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒。明治大学法学部卒。 幼くして父を亡くした貧困から、高校卒業とともにキリンビールに勤めながら明大の夜間に通う。大学在学中に赤軍派に参加。明治大学現代思想研究会で重信房子や上原敦男らと活動した。赤軍派では主にプロパガンダ映画の上映会などの後方支援を行っていた。 1971年2月には「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作るために日本を出国する重信を羽田空港で見送る。 1972年1月7日、連合赤軍幹部の永田洋子らによって山岳ベース事件により死亡。
清水 丈夫(しみず たけお、1937年〈昭和12年〉 - )… 清水 丈夫(しみず たけお、1937年〈昭和12年〉 - )は、日本の新左翼活動家。前革命的共産主義者同盟全国委員会(略称:革共同全国委、通称:中核派)議長。 筆名は岡田新、津久井良策など。敵対勢力である革マル派の機関紙『解放』では、「シミタケ」とあだ名がつけられている。 1937年(昭和12年)、神奈川県生まれ。農家の出身。湘南高校ではラグビー部に所属した。東京大学経済学部時代に日本共産党に入党するが武装闘争放棄に反発し1958年(昭和33年)に離党、島成郎、香山健一、北小路敏らと共産主義者同盟(第一次ブント)を結成する。全学連の書記長として60年安保闘争で活躍。その後、自己批判して1961年(昭和36年)に革共同全国委に結集。
岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本… 岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家、政治家。息子の岩崎夏海は放送作家。 東京生まれ。父は岩崎書店創業者・岩崎徹太。兄は精神科医の岩崎徹也。慶応義塾高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築科へ入学。 大学卒業後、建築設計事務所を2年間経営した後、アフリカ・ガーナの国立科学技術大学専任講師、そしてハーバード大学デザイン大学院都市デザイン専攻留学。
大田 英雄(おおた ひでお、1934年(昭和9年)- 200… 大田 英雄(おおた ひでお、1934年(昭和9年)- 2005年(平成17年))は、日本の教師、平和運動家。神奈川県横須賀市生まれ。 沖縄戦で海軍陸戦隊を指揮した大田実海軍中将の長男として生まれる。11歳の時、広島県呉市で終戦を迎える。 軍国少年として育ち、父の影響から防衛大学校進学をめざした。ところが1952年に父の遺骨と対面した際、ピストルの穴の空いた頭蓋骨を見て軍人にむなしさを感じ、教師を志すようになる。 広島大学教育学部高校教育社会学科へ進学し、卒業後は社会科教師として広島県内各地の高校に赴任。反戦活動にも熱心に取り組み、原水爆禁止呉協議会事務局長、高教組呉地区支部平和教育推進部長、呉地区高校生「平和の集い」顧問、歴史教育者協議会会員などとして平和教育にたずさわる。
水戸 巌(みと いわお、1933年3月2日 - 1986年1… 水戸 巌(みと いわお、1933年3月2日 - 1986年12月30日?)は、日本の物理学者・反原発活動家・市民活動家。専門は放射線物理学。理学博士。最終職歴は芝浦工業大学電気工学科教授。神奈川県横浜市出身。 1933年(昭和8年)3月2日、神奈川県横浜市鶴見に生まれる。 第二次世界大戦中、福島県に疎開し、同地の中学校を終戦後に卒業。栃木県立宇都宮高等学校卒業後、東京大学理学部Ⅰ類に進学、在学中に理学部自治会委員長を務める。1960年(昭和35年)3月、同大学大学院博士課程を修了、博士号を取得。 その後甲南大学教員となり6年間勤務する。 1967年(昭和42年)、東京大学原子核研究所助教授となる。
福本 邦雄(ふくもと くにお、1927年1月5日 - 201… 福本 邦雄(ふくもと くにお、1927年1月5日 - 2010年11月1日)は日本の実業家、画商、政治活動家、元日本共産党員。第2次岸内閣の内閣官房長官秘書官、自由民主党政調会長秘書等を務める。戦前の日本共産党指導者・福本和夫の長男。絵画商人という表の顔から政界や財界や暴力団といった裏社会の深部に入りこんで暗躍した。「政界最後のフィクサー」とも呼ばれた。 神奈川県鎌倉市出身。20代で共産党に入党するが党内対立で除名となる。東京大学経済学部卒業。1951年に産業経済新聞社入社。政治部記者となるはずだったが、前歴を考慮され、調査研究室に配属となり特集ページの編集を担当。またその傍ら、社命で軍事評論家の天川勇のもとに赴き、「天川機関」の収集した国際情報の翻訳作業にもあたる。
加藤 万吉(加藤萬吉、かとう まんきち、1926年12月11… 加藤 万吉(加藤萬吉、かとう まんきち、1926年12月11日 - 2008年9月12日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(8期)。 神奈川県茅ヶ崎市出身。東京電機学校(現在の東京電機大学)を卒業。 日本労働組合総評議会(総評)常任幹事を務めるなどした後、1967年の第31回衆議院議員総選挙旧神奈川3区に日本社会党公認候補として出馬し、初当選。以後8回連続当選を果たす。 代議士としては1986年に衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長を務め、社会党では選挙対策委員長を務めた。 1996年の第41回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退した。 1997年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。
山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 19… 山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 1999年6月12日)は、日本の政治活動家、アナキスト、作家。日本社会党と日本共産党に双方に入党し、共産党では志田派として中核自衛隊にも参加したが、後に両党から除名された。 1925年横浜市に生まれる。横浜第二中学校卒業後、1942年東京美術学校油画科入学、1943年第一高等学校文科入学、1944年旅順高等学校入学。旅順高等学校での学生生活が関東軍指揮下であることに反発し、朝鮮人の友人三人とともに脱走し、満州、朝鮮半島を南下し、日本本土に戻る。戦時下には太宰治に私淑し、1942、3年頃太宰の自宅を訪問し面会。 長野県で終戦を迎え、第一次日本アナキスト連盟に参加。
小島 健司(こじま けんじ、1921年2月23日 - )は、… 小島 健司(こじま けんじ、1921年2月23日 - )は、日本の労働運動家、日本福祉大学名誉教授。 横浜市生まれ。1943年日本大学経済学部卒業。44年荏原製作所入社。労働組合活動に参加し、49年総評調査副部長、1953年書記。60年同調査部長。1968年日本福祉大学教授。2002年定年退任、名誉教授。専攻は賃金論、日本産業史。時計産業史に関心をよせた。
内藤 知周(ないとう ともちか、1914年11月20日 - … 内藤 知周(ないとう ともちか、1914年11月20日 - 1974年5月16日)は、社会運動家で、政治運動家。 出典は『内藤知周著作集』。 神奈川県横須賀市生まれ。1932年神奈川県立横須賀中学校(現・神奈川県立横須賀高等学校)卒業。1937年中央大学専門部法学科卒業。1941年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。在学中に学生運動に加わり、1938年に検挙され無期停学。卒業後、繊維需給調整協議会に就職。大日本帝国陸軍自動車第31連隊に召集を受け、中国河北へ。 1946年に復員し、日本共産党に入る。同党山口県委員として徳山市で活躍。1948年同党地方委員・常任委員。1952年同党労対書記・政策委員会書記。
桝本 セツ(ますもと せつ、1912年2月 - 没年不明)は… 桝本 セツ(ますもと せつ、1912年2月 - 没年不明)は、日本のロシア語翻訳家、政治運動家。岡邦雄の愛人として知られる。名前は節子とも。 長崎県生まれ。父は造船技師の桝本卯平、母は長崎の料亭で働いており、3歳のときに死別。日本女子大学附属女学校卒、東京女子高等師範学校中退。朝鮮京城で2年間ロシア語を学び帰国。唯物論研究会に入り、1936年に妻のある岡邦雄と恋におち、アパートに同棲。 1938年、岡とともに治安維持法違反で検挙される。1942年に男児、1944年に女児を生む。1946年、岡と日本共産党に入党。1957年に離党。1971年岡が死去する。
富田 富士雄(とみた ふじお、1909年8月24日 - 19… 富田 富士雄(とみた ふじお、1909年8月24日 - 1999年3月12日)は、日本の社会学者・社会運動家。 横浜市生まれ。1934年関東学院神学部卒業。社会的キリスト教運動に参加して検挙。戦後米国に学んだのち関東学院大学教授、1968年関東学院長。横浜コミュニティ研究会会長。1972年横浜文化賞受賞、1982年勲三等瑞宝章受勲。 1970年 日本大学 文学博士 論文の題は「人口社会学の基本問題」。
川喜多 かしこ(かわきた かしこ、1908年3月21日 - … 川喜多 かしこ(かわきた かしこ、1908年3月21日 - 1993年7月27日)は、昭和期の映画文化活動家。位階は正五位。川喜多記念映画文化財団理事長で東和映画の代表。 1908年(明治41年)3月21日大阪で生まれた。生後100日目に東京に転居し、横浜・大連・秋田へと、移り住んだ。 1921年、横浜の祖父の家に戻りフェリス和英女学校(現在のフェリス女学院)に入学する。関東大震災で父を失い神戸に移るが、まもなく復学した。 フェリス女学院を卒業後は、1929年1月、英語でタイプライターを打てる女性秘書として、東和商事という貿易会社の川喜多長政に採用された。最初の仕事は、長政が輸出を計画していた溝口健二の『狂恋の女師匠』のシノプシスの英訳だった。
秋山 徳雄(あきやま とくお、1906年(明治39年)12月… 秋山 徳雄(あきやま とくお、1906年(明治39年)12月22日 - 1979年(昭和54年)3月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 神奈川県三浦郡、のちの横須賀市で秋山清平の長男として生まれる。1924年(大正13年)横須賀市立実業補習学校を卒業した。 横須賀海軍工廠員として勤務。その後、横須賀市吏員、川崎市吏員を歴任。社会民衆党、社会大衆党に入党した。労働運動に加わり、全日本自治団体労働組合(自治労)特別執行委員、横須賀市労連顧問などを務めた。 1947年(昭和22年)神奈川県議会議員に選出された。日本社会党清掃特別委員会事務局長、同選挙制度対策特別委員会事務局長、地方公営企業対策特別委員会事務局長、地方公務員定年制反対特別委員会事務局長、同神奈川県連副会長、同横須賀支部長などを務めた。
冨吉 榮二(とみよし えいじ、1899年7月6日 - 195… 冨吉 榮二(とみよし えいじ、1899年7月6日 - 1954年9月26日)は、日本の政治家、農民運動家。衆議院議員(6期)、逓信大臣(芦田内閣)、日本社会党代議士会長、右派社会党顧問などを歴任した。位階は従三位。 鹿児島県姶良郡清水村郡田(現・霧島市国分郡田)にて、農家の次男として生まれる。生家の跡には「冨吉榮二生誕の地」と記された看板が掲げられている。 郡山尋常小学校、清水高等尋常小学校高等科を経て地元の私立精華学校を卒業した後に上京。遺族によると高等小学校の頃にリューマチに襲われ、その後も身長が伸びずいつも節々を痛がっていたらしい。また、成績が良く本人は旧制鹿児島県立加治木中学校への進学を希望していたが、経済的理由で父親に反対されため地元の学校で学んだ。
荒畑 寒村(あらはた かんそん、1887年〈明治20年〉8月… 荒畑 寒村(あらはた かんそん、1887年〈明治20年〉8月14日 - 1981年〈昭和56年〉3月6日)は、日本の社会主義者・労働運動家・政治家。また、作家・評論家。本名は荒畑 勝三(あらはた かつぞう)。 日本共産党および日本社会党の結党に参加するが離党し、1946年(昭和21年)から衆議院議員を務めた。主義主張の一貫した生涯は、日本社会主義運動の良心の軌跡とされている。 1887年(明治20年)8月14日に神奈川県横浜市永楽町にあった横浜遊廓の中で生まれ、幼少期を横浜市野庭(現・横浜市港南区)で過ごした。高等小学校を卒業後に外国人商館でボーイとして勤務しながらキリスト教に改宗し、ボーイを退職後は横須賀海軍工廠で勤務していた。
金子 角之助(かねこ かくのすけ、旧姓・武藤、1867年1月… 金子 角之助(かねこ かくのすけ、旧姓・武藤、1867年1月30日〈慶應2年12月25日〉 - 1937年〈昭和12年〉9月24日)は、日本の政治家、自由民権運動家、会社重役。神奈川県高座郡藤沢町長(第2代)。関東興信銀行、神奈川県農工銀行各取締役。高座郡農会長。全国町村長会会長。中央報徳会理事。 相模国(のち神奈川県高座郡綾瀬村本蓼川、現・綾瀬市)出身。農民・武藤卯左衛門の三男。大庭の金子小左衛門の嗣子となる。耕余塾に学んだ。 横浜中学校卒業後は一時教職に就いた。1885年、有一館の館長・磯山清兵衛の誘いで大井憲太郎らの大阪事件に加わり、投獄され、軽懲役2年の刑をうける。1890年、保安条例に触れて東京を逐われ、同志と共に神奈川県倶楽部同青年会等を組織する。
池上 幸操(いけがみ ゆきこと、1855年6月16日〈安政2… 池上 幸操(いけがみ ゆきこと、1855年6月16日〈安政2年5月3日〉 - 1926年〈大正15年〉8月14日)は、明治・大正時代の神奈川県会議員、自由民権運動家。武蔵国橘樹郡池上新田村(現在の神奈川県川崎市川崎区池上新町)出身。池上新田を開拓した池上幸豊の子孫。 1855年(安政2年)、武蔵国橘樹郡池上新田村の名主・池上家に生まれる。祖先の池上幸豊は大師河原村の名主だったが、宝暦年間に池上新田を開拓すると姉の子を養子にして大師河原村の名主を継がせ、自らは池上新田村の名主となった。 15歳のときに池上新田大島村新組名主役となる。神奈川県では1872年(明治5年)に名主・年寄に代えて戸長・副戸長を置くこととなり、17歳で戸長になる。