室賀 清徳(むろが きよのり、1975年〈昭和50年〉- )… 室賀 清徳(むろが きよのり、1975年〈昭和50年〉- )は日本の編集者、評論家、教育者。Webサイト『The Graphic Design Review』編集長。元『アイデア』編集長。デザイン、タイポグラフィ関連書籍を数多く手がけるほか、国内外で評論、講演、翻訳、キュレーション、教育活動などに幅広く関わる。東京藝術大学、武蔵野美術大学、MeMe Design School非常勤講師。 1975年、新潟県長岡市生まれ。1999年、東京大学文学部美学芸術学専修課程卒業。同年より誠文堂新光社にて雑誌『アイデア』をはじめ、デザイン、タイポグラフィ関連書籍を中心に編集。2002年から2018年まで『アイデア』編集長を務め、2010年、同誌の「2002年300号以降の特集形式による1冊で完結する充実した編集内容活動に対して」第8回竹尾賞審査員特別賞を受賞。
若松 英輔(わかまつ えいすけ、1968年 - )は、日本の… 若松 英輔(わかまつ えいすけ、1968年 - )は、日本の批評家・文芸評論家・随筆家で、詩の執筆も行う。 新潟県糸魚川市出身。出生40日に幼児洗礼を受けたカトリック信徒。新潟明訓高等学校を経て慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業。 ピジョン・クオリティ・オブ・ライフ株式会社社長、シナジーカンパニージャパン代表取締役を歴任。 2013年10月から2015年12月まで「三田文學」編集長。読売新聞読書委員。 2018年から2022年3月まで東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授も務めた。
磯部 晃人(いそべ あきと、1960年 - )は新潟県出身の… 磯部 晃人(いそべ あきと、1960年 - )は新潟県出身のフジテレビプロデューサー、柔道評論家。 新潟県立新潟高等学校を経て青山学院大学文学部史学科卒。 フジテレビではスポーツ局でK-1を企画し初代番組担当となる。事業局へ異動後、K-1やPRIDEの事業プロデューサーを務める。2007年世界柔道選手権大会ではフジテレビの公式サイトでの連載コラム「柔説」を担当した。現在はスポーツ局デスク。 『ゴング格闘技』Fight Squareの柔道コラムは、「教えて!教授」(松原隆一郎)、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也)とともに、同誌の柔道看板連載のひとつとなっている。
増井 修(ますい おさむ 1959年3月11日 - )は日本… 増井 修(ますい おさむ 1959年3月11日 - )は日本の編集者、音楽評論家、音楽ジャーナリスト、音楽エッセイスト。漫画に対する造詣も深く、漫画評論の著作も発表している。 新潟県柏崎市(旧西山町)出身。新潟県立柏崎高等学校卒業、新潟大学法学部中退。 『rockin'on』1979年10月号に投稿した原稿が初掲載される。1980年1月号の初の社員公募に応募、倍率200倍を突破しロッキング・オン入社。1985年、青山レコーディング・スクールにて講師を務める。1992年にロッキング・オン社取締役就任。 1990年5月号から1997年5月号まで『rockin'on』編集長。1997年3月には編集長として、雑誌『buzz』を創刊、vol.2で『rockin'on』と同時に編集長を引退。
野崎 歓(のざき かん、1959年1月21日 - )は、日本… 野崎 歓(のざき かん、1959年1月21日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家、評論家。東京大学名誉教授、放送大学教養学部教授。 新潟県生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。同大学院修了。一橋大学法学部法律学科専任講師・助教授、東京大学大学院総合文化研究科助教授を経て、2007年、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部仏文科准教授。2012年同教授に昇格。2019年放送大学教授、2022年4月から2025年3月までは放送大学附属図書館長を兼任。 2000年に、ジャン=フィリップ・トゥーサンの翻訳でベルギー・フランス語共同体翻訳賞(フランス語版)を受賞したのを皮切りに、2001年に『ジャン・ルノワール 越境する映画』でサントリー学芸賞、2006年に『赤ちゃん教育』で講談社エッセイ賞、2011年に『異邦の香り―ネルヴァル『東方紀行』論』で読売文学賞(研究・翻訳賞)、2019年に『水の匂いがするようだ─井伏鱒二のほうへ』で第17回角川財団学芸賞を受賞した。
三浦 展(みうら あつし、1958年9月25日 - )は、日… 三浦 展(みうら あつし、1958年9月25日 - )は、日本の社会デザイン研究者、マーケティング・アナリスト、消費社会研究家、評論家。マーケティングリサーチやマーケティングプランニング、コンサルティング等の受託業務等を行う株式会社カルチャースタディーズ研究所代表取締役。 新潟県糸魚川市生まれ。三和村(現上越市)出身。新潟大学教育学部附属高田小学校、同中学校、新潟県立高田高等学校を経て、1982年に一橋大学社会学部を卒業。佐藤毅ゼミ出身で、サブゼミとして岩崎允胤ゼミにも参加した。 卒業後はパルコに入社。同社のマーケティング雑誌アクロス編集室で勤務し、入社4年目の1986年に「アクロス」編集長に就任。
斎藤 美奈子(さいとう みなこ、1956年12月22日 - … 斎藤 美奈子(さいとう みなこ、1956年12月22日 - )は、日本の文芸評論家。新潟県新潟市出身。父は新潟大学名誉教授の物理学者で、宮沢賢治の研究者としても知られる斎藤文一。妹は、韓国語の翻訳家・斎藤真理子。 日本の近現代文学には妊娠が重要となるジャンルがあるとした評論『妊娠小説』(1994年)で世に出る。風俗研究的著作もある。著作に『文章読本さん江』(2002年)、『文庫解説ワンダーランド』(2017年)など。 新潟県立新潟高等学校、成城大学経済学部卒業。大学では日本経済史の浅井良夫ゼミに所属。児童書の編集者を経て、1994年書き下ろし『妊娠小説』で文芸評論家としてデビュー。森鴎外『舞姫』から村上春樹『風の歌を聴け』まで、「望まれない妊娠」のシーンがある作品を取り上げて論じ、近現代日本文学に潜む女性観をあぶり出した。
今井 智子(いまい ともこ、1954年 - )は、日本の音楽… 今井 智子(いまい ともこ、1954年 - )は、日本の音楽評論家、音楽ライター。 新潟県長岡市生まれ。明治学院大学卒業。 大学時代から顔を出していた『宝島』編集部にそのまま就職し、音楽記事担当者として同誌の編集・執筆に携わった。1970年代末に独立し、フリーの音楽評論家へ転向。1990年代には、NHKがBS2で放送していたアマチュアバンドコンテスト『BSヤングバトル』で審査員を務めたり、東海テレビの帯番組『パコ2CH あ・きすとぜねこ』で日替わりキャスターを務めたりしていた。又新宿ロフトプラスワンにおいて不定期に開店する居酒屋ロックの店長も務めていた。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。
田沼敦子(たぬま あつこ、1953年8月2日- )は、日本の… 田沼敦子(たぬま あつこ、1953年8月2日- )は、日本の歯科医師・料理評論家。 田沼武能の妻。千葉市・高浜デンタルクリニック院長。 新潟県見附市生まれ。栃木県立宇都宮女子高等学校、神奈川歯科大学歯学部卒業。2003年、博士(歯学)(日本大学)。 本業のかたわら、身近な食材を使って自然に噛む回数が増える料理「噛むかむクッキング」を提唱。テレビ、雑誌、講演など多方面で活躍。 夫婦で『徹子の部屋』に出演した事がある。
井口 時男(いぐち ときお、1953年2月3日 - )は、日… 井口 時男(いぐち ときお、1953年2月3日 - )は、日本の文芸評論家、俳人。 新潟県南魚沼市出身。長岡工業高等専門学校三年修了退学後、東北大学文学部卒業。1983年、中上健次論「物語の身体」で群像新人文学賞評論部門受賞。1987年7月、最初の著作『物語論/破局論』を論創社から上梓。1990年、永山則夫の日本文芸家協会入会拒否事件で、柄谷行人らに続いて協会を退会。12月、東京工業大学助教授、のち教授。1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表する。1994年、評論集『悪文の初志』で平林たい子文学賞受賞。1997年、『柳田國男と近代文学』で伊藤整文学賞受賞。
倉沢 良一(くらさわ りょういち、1953年〈昭和28年〉1… 倉沢 良一(くらさわ りょういち、1953年〈昭和28年〉1月8日 - )は経済評論家。新潟県長岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は… 関本 四十四(せきもと しとし、1949年5月1日 - )は、新潟県糸魚川市出身の元プロ野球選手(投手)・指導者・解説者・評論家。大洋時代の登録名は関本 充宏(せきもと みつひろ)。 糸魚川商工では3年次の1967年、エースとして夏の甲子園予選北越大会準決勝に進出するが、新湊高に完封を喫し甲子園には届かなかった。 同年のドラフト10位で読売ジャイアンツに入団。ドラフトで指名されながら、打撃投手としての扱いしか受けず3年間は一軍登板が無かった。 1971年に一軍ローテーションに抜擢され、10勝・防御率2.14(リーグ5位)の成績を残して、ヤクルトの若松勉との新人王争いを制す。入団4年目での新人王受賞は小関竜也(1998年、西武)と並ぶ記録であるが、同期入団で1年目に新人王になった高田繁からは「セキ、お前のは新人王じゃない。
絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 - )は、日本の… 絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 - )は、日本の文芸評論家。本名は菅秀実。元近畿大学国際人文科学研究所教授。 妻は詩人で自然美容法研究家の筏丸けいこ(本名・菅圭子)。埼玉県坂戸市在住。 新潟県小千谷市出身。小千谷市立東小千谷中学校、新潟県立長岡高等学校卒業。代々木ゼミナール(世田谷寮)を経て、1969年学習院大学文学部哲学科に入学(後に中退)。 「日本読書新聞」編集長、「杼」編集員。1978年4月からサンリオ出版部アシスタント・エディターを務めたが、組合闘争のため、同年10月6日に解雇される。 コーネル大学客員研究員(1990年9月から1年間)、日本ジャーナリスト専門学校専任講師(1998年3月迄)を経て、2002年より近畿大学国際人文科学研究所教授、2015年定年。
池上 正治(いけがみ しょうじ、1946年 - )は、新潟県… 池上 正治(いけがみ しょうじ、1946年 - )は、新潟県生まれの評論家、翻訳家。新潟県立長岡高等学校を経て東京外国語大学卒業。日本翻訳家協会理事。 中国に関する研究・翻訳のほか、東洋医学の研究にも取り組む。
白川 勝彦(しらかわ かつひこ、1945年〈昭和20年〉6月… 白川 勝彦(しらかわ かつひこ、1945年〈昭和20年〉6月22日 - 2019年〈令和元年〉11月18日)は、日本の政治家・弁護士・評論家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、自治大臣、国家公安委員会委員長、新党・自由と希望代表などを歴任。新潟県出身。 新潟県十日町市大字四日町に生まれる。生家は機屋(はたや)と呼ばれる絹織物業者で祖父が創業し、父で2代目になり明治の終わり頃までは十日町地方で長く続いた神官だった。 十日町市立中条中学校、新潟県立十日町高等学校を経て、1969年 東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。大学在学中に司法試験に合格し、司法修習24期経て弁護士(登録番号:13439)となる。
坂内 仁(ばんない ひとし、1944年〈昭和19年〉7月26… 坂内 仁(ばんない ひとし、1944年〈昭和19年〉7月26日 - 1994年〈平成6年〉12月23日)は日本の政治・経済評論家。 1944年(昭和19年)7月26日、新潟県柏崎市に生まれる。法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻修士課程を修了する。 1994年(平成6年)12月23日に死去、50歳。
中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文… 中矢 一義(なかや かずよし、1940年 - )は、日本の文化学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。専門は18世紀英国芸能史。 新潟県新潟市出身。新潟県立新潟高等学校を経て、1962年東京外国語大学英米科卒業、1968年東京都立大学 (1949-2011)人文科学研究科博士課程中退、同大学英文研究室助手、1969年國學院大學専任講師、1973年慶應義塾大学法学部専任講師、1979年助教授、1986年教授、2005年定年退職、名誉教授。 1996年 - 2002年長岡リリックホール館長。国際音楽フェスティヴァル、オペラなどの総合プロデュースを多数手がけた。雑誌に多くの音楽評を書いた。
湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日… 湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日本の編集者、評論家、エッセイスト、元京都造形芸術大学教授。
梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5… 梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5月19日)は、日本の文芸評論家。本名は佐藤春夫。 新潟県新潟市生まれ。1957年に新津高校を卒業し、法政大学文学部に入る。在学中に、吉本隆明と出会い、雑誌「試行」に文学評論を発表する。1962年より千葉県の県立高校に教諭として勤務し、1998年に退職する。その後、弘前学院大学教授、法政大学大学院講師などを務めた。 2010年5月19日0時8分、千葉市中央区の病院で食道癌による敗血症のため73歳で死去。
佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、… 佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - )は、日本の映画評論家・教育評論家。日本映画大学名誉学長。本名、飯利忠男。
本間 正義(ほんま まさよし、1916年12月25日 - 2… 本間 正義(ほんま まさよし、1916年12月25日 - 2001年10月10日)は、日本の美術評論家。 新潟県長岡市出身。旧制長岡中学、旧制二高、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。東京国立近代美術館次長を経て、1975年(昭和50年)大阪国立国際美術館長、1982年(昭和57年)埼玉県立近代美術館長。 サンパウロビエンナーレ、現代日本美術展など、国内外の主要美術展の審査員としても活躍した。専門の近代彫刻のほか、美術館運営や企画、国際展の審査などで活躍。ユニークな展覧会を企画する名物館長として知られた。美術評論家連盟会長。オーボエ奏者で古楽研究者であった本間正史(1947-2016)は子息。
松岡 英夫(まつおか ひでお、1912年12月9日 - 20… 松岡 英夫(まつおか ひでお、1912年12月9日 - 2001年4月8日)は、日本の政治評論家、歴史家。 新潟県新潟市生まれ。1938年東京帝国大学卒業、東京日日新聞社に入社、戦後、毎日新聞政治部長、論説委員、編集局次長を経て、政治評論家に。1971年から『サンデー毎日』の「サンデー時評」を担当、幕末史の研究者でもあり、1979年『大久保一翁』で毎日出版文化賞受賞。1983年の東京都知事選に、革新統一候補として立候補し、148万2169票を獲得したが、鈴木俊一に敗れた。2001年、肺炎のため88歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
竹田 道太郎(たけだ みちたろう、1906年(明治39年)1… 竹田 道太郎(たけだ みちたろう、1906年(明治39年)11月6日 - 1997年(平成9年)12月10日)は、日本の美術評論家。 新潟県柏崎市出身。早稲田大学文学部ドイツ文学科卒業。都新聞社の記者を経て、1936年2月から朝日新聞社記者。社会部、学芸部、雑誌編集室で美術関係の記事を担当した。近代日本の日本画家を対象として評論活動をおこなった。1961年朝日新聞社を定年退社。定年後は女子美術大学教授、武蔵野美術大学教授を務めた。
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月… 坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。 第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍した、近現代日本文学を代表する小説家の一人である。純文学のみならず、歴史小説や推理小説、文芸や時代風俗から古代史まで広範に材を採る随筆、囲碁・将棋におけるタイトル戦の観戦記などの多彩な活動を通し、無頼派、新戯作派と呼ばれる地歩を築いた。 新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科(現・文学部 東洋思想文化学科)卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。 戦前はファルス的ナンセンス作品『風博士』で文壇に注目され、一時低迷した後、終戦直後に発表した『堕落論』『白痴』により時代の寵児となり、太宰治、織田作之助、石川淳らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれ地歩を築いた。
松下 芳男(まつした よしお、1892年〈明治25年〉5月4… 松下 芳男(まつした よしお、1892年〈明治25年〉5月4日 - 1983年〈昭和58年〉4月9日)は、日本陸軍の軍人(陸軍中尉)・軍事評論家・軍事史家。「明治軍制史論」で法学博士(東京大学)。新潟県新発田町(新発田市)出身。 祖父は越後長岡藩藩士、父は陸軍少佐松下亀蔵である。松下はその長男として生まれる。松下の長男は東京大学教授。小学校時代の友人の兄に大杉栄がおり、大杉の死の直前まで交友があった。新発田中学、仙台陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、大正2年(1913年)に陸軍士官学校を卒業(25期)。士官学校の同期には武藤章・富永恭次・田中新一らがいる。 同年、陸軍歩兵少尉となり、弘前の歩兵第52連隊に配属される。
北 昤吉(きた れいきち、1885年(明治18年)7月21日… 北 昤吉(きた れいきち、1885年(明治18年)7月21日 - 1961年(昭和36年)8月5日)は、日本の思想家、思想評論家、教育者、政治家・衆議院議員、日本自由党政調会長。多摩美術大学創立者。別名・礼華。 二・二六事件の首謀者の一人である北一輝の実弟。 新潟県佐渡市(旧新潟県佐渡郡湊町)出身。初代両津町長で酒屋と肥料屋を営む北慶太郎の二男。高等小学校入学と同時に漢学塾に通い、漢学と習字を習う。新潟県立佐渡中学校(新制:佐渡高校)に入学したが、兄と同学年になることを嫌った父親の命令で中学入学が遅れたため、希望していた陸軍幼年学校進学を年齢制限により絶たれる。早稲田大学政治経済学部に入学するも、1年で哲学科に移り、1905年(明治38年)の予科卒業時には首席となり各科総代を務めた。
相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月1… 相馬 御風(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は、明治期から昭和期にかけての日本の文学者、詩人、歌人、評論家。本名は昌治(しょうじ)。新潟県西頸城郡糸魚川町(現糸魚川市)出身。早稲田大学大学部文学科英文学科卒業。詩歌や評論のほか、早稲田大学校歌「都の西北」をはじめとした多くの校歌や、「春よ来い」などの童謡の作詞者としても知られる。 1883年、新潟県西頸城郡糸魚川町大町(現糸魚川市)に生まれる。相馬徳治郎の長男。高田中学(現新潟県立高田高等学校)を経て早稲田大学に進む。中学以来の学友に小川未明がいる。在学中の1903年に岩野泡鳴らと雑誌「白百合」を創刊した。
櫻井 天壇(さくらい てんだん、1879年〈明治12年〉10… 櫻井 天壇(さくらい てんだん、1879年〈明治12年〉10月18日 - 1933年〈昭和8年〉9月10日)は、日本のドイツ文学者、文芸評論家。第八高等学校第二語学科主任教授。会津八一の先輩で義弟。本名は櫻井 政隆(さくらい まさたか)。 新潟県南蒲原郡中野原新田村(現 三条市中野原)出身。1893年(明治26年)4月に新潟県尋常中学校に入学、「九泉童子」と号し、文芸雑誌『文庫』に投稿。 1898年(明治31年)3月に新潟県尋常中学校を卒業、1901年(明治34年)7月に第一高等学校を卒業、9月に東京帝国大学文科大学独逸文学科に入学、カール・フローレンツに師事。 1903年(明治36年)6月から「天壇」と号し、『帝國文學』に評論を発表、1904年(明治37年)7月に東京帝国大学文科大学を最優等で卒業、恩賜の銀時計を下賜された。
高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年… 高橋 五郎(たかはし ごろう、1856年4月24日(安政3年3月20日) - 1935年9月7日)は、明治時代から昭和初期の翻訳家、啓蒙的英文学者、英語学者、言語学者、評論家、教育者である。 聖書の翻訳や英語教育を行い、立教大学、早稲田大学、駒澤大学で教授を歴任した。 1856年(安政3年)に越後国柏崎の庄屋の家に生まれる。本名は吾良である。1868年、群馬県高崎に行き、竜門寺で市川左近に漢学や仏学を学ぶ。1871年より牧野再竜、高崎藩校の田中毛野に学ぶ。 1873年に洋学を学ぶために上京し、緒方塾で緒方惟孝(緒方城次郎、緒方洪庵の三男)に学び、植村正久と知り合いになる。1875年(明治8年)に横浜へ行き、植村の紹介でアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師S・R・ブラウンのブラウン塾で英学と英語、仏語、独語を習った。