深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) … 深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) は、山梨県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 甲府一高を卒業し、国鉄スワローズの入団テストを受け、合格し入団した。背番号は43。1955年に背番号が21に変更。 1956年に現役を引退し、1957年に先輩の中村栄に引き連れられ小林勝己とともに富士重工太田に入団。同年夏には都市対抗野球に出場した。
山梨県:930人
深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) … 深沢 建彦(ふかさわ たけひこ、1934年4月3日 - ) は、山梨県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 甲府一高を卒業し、国鉄スワローズの入団テストを受け、合格し入団した。背番号は43。1955年に背番号が21に変更。 1956年に現役を引退し、1957年に先輩の中村栄に引き連れられ小林勝己とともに富士重工太田に入団。同年夏には都市対抗野球に出場した。
齊藤 寛(さいとう ひろし、1934年〈昭和9年〉3月21日… 齊藤 寛(さいとう ひろし、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2024年〈令和6年〉8月10日)は、日本の実業家。シャトレーゼホールディングス創業者。 1934年、山梨県東山梨郡勝沼町(現:甲州市)生まれ。山梨県立日川高等学校卒業。1954年に今川焼き風の焼き菓子店「甘太郎」を出店し、創業。1959年に有限会社甘太郎を設立し、代表取締役に就任。1964年に大和アイス株式会社を設立し、1967年に2社を合併して株式会社シャトレーゼを設立。代表取締役に就任し、2008年に会長に昇格。2010年に株式会社シャトレーゼを株式会社シャトレーゼホールディングスに商号変更し、代表取締役社長に。2018年社長職を次女の齊藤貴子に譲り、同社の会長に。
弦間 明(げんま あきら、1934年 - )は、株式会社資生… 弦間 明(げんま あきら、1934年 - )は、株式会社資生堂相談役である。山梨県出身。山梨県立日川高等学校卒。早稲田大学卒。2002年フランス国家功労章受章。2005年旭日中綬章受章。
遠藤 享(えんどう すすむ、1933年12月22日 - 20… 遠藤 享(えんどう すすむ、1933年12月22日 - 2024年2月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。山梨県甲府市生まれ。東京ADC会員、JAGDA会員。 1959年武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)デザイン科中退。1962年桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒。 その作品はドイツ、ユーゴスラビア、ブルガリア、フィンランド等の世界各国で賞を受けており、大英博物館、サンパウロ美術館を初め、多数の美術館にコレクションされている。 2024年2月10日、脳膿瘍のため死去。90歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
池田 明良(いけだ あきら、1933年11月2日 - 200… 池田 明良(いけだ あきら、1933年11月2日 - 2009年12月31日)は、日本のバリトン歌手、合唱指揮者。
河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月… 河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月14日 - 2013年10月3日)は、日本の元女子バレーボール選手。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主将。金メダリスト。 山梨県中巨摩郡(現在の南アルプス市)の出身。山梨県立巨摩高等学校卒業後、日紡に入社する。 河西は『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝、1964年東京五輪でコーチ兼主将として優勝に大いに貢献した。ポジションはセッターで、長身を生かして前衛ではセンタープレーヤーも務めた。 1965年1月に日紡を退社。同年5月30日に当時の総理大臣である佐藤栄作の取り計らいで2歳年上の自衛官と結婚した。 選手のファンであった女優の淡島千景がオーナーとなって設立したバレーボールのクラブチーム「フジクラブ」にも参加、同クラブの中心選手として活躍した(フジクラブは国民体育大会バレーボール競技一般女子の部において、1965年、1966年と二連覇した。
品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )… 品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )は、日本の俳優、作詞家、ナレーターである。山梨県出身。 1933年4月11日(火曜日)、山梨県南都留郡宝村(現・都留市)中津森に生まれる。旧制都留中学3年の時、兄を交通事故で亡くし家出を決行し上京。 その後、母親の援助を受け都内の旧制専門学校などを転々とするが、次第に愚連隊に関わるようになる。そんな戦後の学制改革のドサクサの中、戸籍抄本に細工をして年齢を詐称し東洋大学に入学する。 1951年、「ミスターニッポンコンテスト」(スポーツニッポン社と大映が主催)の5人に選ばれ、同年12月大学を中退し、大映演技研究所6期生となる(若尾文子より3か月遅れ、同期のニューフェイスには南原宏治がいる)。
白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 20… 白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 2019年11月30日)は、日本の山岳写真家。ヒマラヤを始めとする世界の峰、日本国内の名峰を四季にわたって数多く撮影し、発表してきた。特にライフワークとして南アルプスの写真を多く撮影している。 日本を代表する山岳写真家として、高い評価を受けている。山岳写真のほか、風景写真などを中心に活動を続け、写真集などの刊行物を多数出版している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2… 小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2012年11月15日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。フジテレビジョンなどで活躍した。 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校を経て日本大学芸術学部卒業。フジテレビジョンに1期生として入社。 1967年に渥美清とともに、コメディドラマ『おもろい夫婦』を成功させた。 渥美清を山田洋次に紹介し、連続ドラマの脚本執筆を依頼した、いわばドラマ・映画『男はつらいよ』の「生みの親」である。 1968年のテレビドラマ『男はつらいよ』で演出を手掛けた。同年8月27日、作詞家の星野哲郎に、渥美清が歌う主題歌『男はつらいよ』の作詞を依頼した。1969年公開の映画『続・男はつらいよ』では、山田洋次、宮崎晃と共同で脚本を書いた。
有泉 貞夫(ありいずみ さだお、1932年(昭和7年)12月… 有泉 貞夫(ありいずみ さだお、1932年(昭和7年)12月21日 - 2022年(令和4年)8月15日)は、日本の歴史学者、東京商船大学名誉教授。専門は日本近代政治史。 山梨県西八代郡市川大門町(現:市川三郷町)に生まれる。生家の市川有泉家は江戸後期に巨摩郡東南湖村出身(南アルプス市東南湖)の初代・久紀(市右衛門)を祖とする。酒造業を営み、父の直松は市川大門町長・政友会系の県議会議員。祖父は市川大門村初代村長で漢詩人の有泉米松(蘆堂)。兄の亨は県議会議員。 市川小学校、市川国民学校初等科を卒業し、1945年4月に山梨県立甲府中学校に入学する。戦時下には勤労動員され、陸軍飛行場(ロタコ)の工事にも従事する。
志村 令郎(しむら よしろう、1932年〈昭和7年〉10月2… 志村 令郎(しむら よしろう、1932年〈昭和7年〉10月27日 - 2023年〈令和5年〉9月27日)は、日本の生物学者。京都大学名誉教授。学位はPh.D.(ラトガーズ大学)。分子生物学専攻。 山梨県大月市生まれ。京都大学理学部植物学科卒業、京都大学大学院修士課程修了。1963年(昭和38年)、ラトガース大学よりPh.D.取得。 1985年(昭和60年)、京都大学教授となり、1989年(平成元年)、岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授をかねる。 1993年(平成5年)木原賞受賞。1994年(平成6年)、「RNAプロセシングの研究」で日本学士院賞を受賞。 2004年(平成16年)4月から2010年(平成22年)3月まで自然科学研究機構の機構長を務めた。
西室 覚(にしむろ さとる、1932年(昭和7年)9月21日… 西室 覚(にしむろ さとる、1932年(昭和7年)9月21日 - 2016年(平成28年)10月21日)は、日本の政治家。山梨県大月市長(3期)。 山梨県北都留郡広里村(のち大月町、現・大月市)出身。1951年、山梨県立谷村工業高等学校(現・山梨県立都留興譲館高等学校)卒。1966年、三共コンクリート工業を設立し、社長に就任する。1971年、大月市議会議員に初当選し、1981年に議長を務める。1995年、大月市長に当選。3期務める。2007年に市長を退任。2008年、旭日中綬章受章。2016年に死去。叙従四位。
廣瀬 清(ひろせ きよし、1932年5月9日 - 2023年… 廣瀬 清(ひろせ きよし、1932年5月9日 - 2023年9月16日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長を務めた。 山梨県甲府市出身。1955年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本火災海上保険に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年2月に社長に就任。1998年7月に取締役相談役に就任。 2023年9月16日老衰のために死去。91歳没。
丸山 照雄(まるやま てるお、1932年(昭和7年)4月27… 丸山 照雄(まるやま てるお、1932年(昭和7年)4月27日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、日本の宗教評論家、日蓮宗僧侶。雅号は苦佛。 山梨県身延町出身。身延高校在学中から社会運動に傾倒し、立正大学在学中に仏教青年運動「信行会」を組織した。その後同大を中退し、久遠寺塔中の宝聚院麓坊住職、日蓮宗現代宗教研究所調査主任を歴任。 1970年(昭和45年)、東寺真言宗の松下隆洪らと共に、公害を起こした企業を呪い殺す「公害企業主呪殺祈祷僧団」を組織し、四日市市(四日市喘息)や神岡町(イタイイタイ病)などを行脚。それが教団内で問題となり、同研究所を辞職させられ、教団の役職すべてを辞す。以後は宗派にとらわれない広範な宗教・評論活動をおこなう。
手沢 庄司(てざわ しょうじ、1932年4月2日 - 202… 手沢 庄司(てざわ しょうじ、1932年4月2日 - 2025年12月8日[要出典])は、山梨県甲府市出身のプロ野球選手、元プロ野球審判員。 1950年に甲府第一高校卒業後、内野手として1952年に松竹ロビンスに入団。1953年チームが大洋ホエールズと合併して大洋松竹ロビンスとなっても移籍せず所属していたが1954年に親会社の松竹が共同経営から撤退し大洋ホエールズに戻ると同時に引退。選手としては3試合に出場し、1打数0安打。 引退後は松竹演舞場に勤務していたが御世話になった先輩に導かれ1962年、セントラル・リーグ審判部に入局した。セ・リーグ袖番号は21(1988年初採用から1989年引退まで)。
依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日… 依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日 - 2026年〈令和8年〉2月27日)は、山梨県出身の元警察官僚、元参議院議員。元防衛事務次官。 ※参照:依田智治『依田智治の主張』(朝雲新聞社、2004年)
保坂 幸永(ほさか ゆきなが、1931年8月13日 - )は… 保坂 幸永(ほさか ゆきなが、1931年8月13日 - )は、山梨県塩山市赤尾出身の元プロ野球選手(捕手、投手)。 山梨県立日川高等学校では、捕手として1949年の春の選抜に出場。1回戦で北野高に敗退。同年夏の甲子園県予選を勝ち抜き山静大会決勝に進むが、静岡城内高に敗れ甲子園出場を逸する。 卒業後は立教大学へ進学。1年上に堀川瑛(東洋レーヨン)がおり、4年生から正捕手となる。東京六大学野球リーグでは、1953年春季リーグで優勝を経験するが、その後は明大、早大に圧倒され、優勝には届かなかった。大学同期に大沢昌芳、古田昌幸がいる。2年後輩の杉浦忠ともバッテリーを組んだことがあった。 1956年大映スターズに入団。
奈良 不二也(なら ふじや、1931年8月6日 - 1987… 奈良 不二也(なら ふじや、1931年8月6日 - 1987年)は、山梨県大月市出身のプロ野球選手。
望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 202… 望田 幸男(もちだ ゆきお、1931年5月30日 - 2023年1月6日)は、日本の歴史学者、同志社大学名誉教授。専門はドイツ近現代史。 山梨県甲府市生まれ。1974年京都大学大学院文学研究科博士課程修了、「近代ドイツの政治構造 :プロイセン憲法紛争史研究」で文学博士。同志社大学助教授、教授。2002年定年、名誉教授。 非核の政府を求める会・京都 代表世話人を務めるなど、市民運動にも携わった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
秋山 重友(あきやま しげとも、1931年(昭和6年)4月2… 秋山 重友(あきやま しげとも、1931年(昭和6年)4月24日 - 1995年(平成7年)6月24日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。山梨県大月市長。 山梨県出身。山梨県立都留高等学校を経て、日本大学旧工学部に入るも中退する。1953年(昭和28年)秋山商店勤務を経て、1960年(昭和35年)中央産業を設立し社長となる。1965年(昭和40年)鳥沢交通取締役、1968年(昭和43年)中央開発代表取締役、1974年(昭和49年)桂川砂利興業に合併し、新たに中央産業を設立し社長となった。 1992年(平成4年)2月、大月市長に就任するが、任期中に死去した。
末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日 - 2015… 末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日 - 2015年8月17日)は、日本の政治家、東京都田無市長(4期)、田無市議会議員(5期)。 山梨県北巨摩郡須玉町(現在の北杜市)出身。山梨県立峡北高等学校(現・山梨県立北杜高等学校)卒業。卒業後は日本国有鉄道に入り、八王子機関区に勤務する。のちに田無町に移り、1963年に田無町議会議員に初当選。以後、市制施行(1967年)を挟んで連続5期務め、議長を務めた。その後、田無市助役を経て、1985年、田無市長に当選した。 1993年4月25日に行われた市長選挙に立候補して、新人を破って3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:34.34%(前回比:-pts) 1997年4月20日に行われた市長選挙に立候補して、新人2人を破って4選を果たした。
内藤 博文(ないとう ひろふみ、1931年〈昭和6年〉1月2… 内藤 博文(ないとう ひろふみ、1931年〈昭和6年〉1月20日 - 2013年〈平成25年〉4月29日)は、山梨県出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手。 甲府中学(学制改革により1948年より甲府一高)では野球部と陸上部を掛け持ちし、1947年の第2回国民体育大会では短距離走種目に出場した。1948年に読売ジャイアンツが初めて開いた入団テストを受け、第一号の合格者となる。同年夏の大会では山梨県予選で優勝するも、山静大会で敗れたため、高校を中退して巨人に入団した。 入団3年目の1950年に前年度までの正遊撃手であった白石敏男が広島に移籍したことからチャンスを掴み、遊撃手として出場した66試合を含む113試合に出場し、準レギュラー格となる。
萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業… 萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業家、発明家。ハジー技研株式会社代表取締役、株式会社インターホールディングス名誉会長 1931年、山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府中学校(現・甲府第一高等学校)卒業。 立教大学卒業後、金門製作所(ガス、水道メーターの専門メーカーであるに就職。流体制御技術を習得し、LPG小型ガスメーター、高層ビル用流量測定メーターを開発、発明して高い評価を得る。 1962年、アメリカ(DYNAMIC ECOLOGY社)に招聘され、NASAアポロ計画に参加。 油圧機器の劣化防止装置の開発を担当。以降、製鉄、鉄鉱、石油、電力、化学、原子力、鉄道等すべての基幹産業における流体制御(濾過、分離、混合、劣化防止)の専門技術者として従事。
丸山 昭(まるやま あきら、1930年11月14日 - 20… 丸山 昭(まるやま あきら、1930年11月14日 - 2016年12月15日)は、日本の漫画編集者。『少女クラブ』編集長、講談社取締役を務めた。山梨県甲府市出身。学習院大学文学部哲学科卒業。 1950年代から1960年代にかけて、手塚治虫担当の編集者を務めた。初期のトキワ荘に住む漫画家を発掘、担当を務めて、数々の新人を育て上げた編集者でもある。藤子不二雄Aの自伝漫画『まんが道』にも「編集長の丸池」として登場する。 育てた漫画家として、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子らがいる。 1953年(昭和28年)、大日本雄弁会講談社(現・講談社)に入社。1954年(昭和29年)、『少女クラブ』編集部配属となり、当時「リボンの騎士」を連載していた手塚治虫の担当となり、以後、手塚番を6年務めた。
上田 利正(うえだ りせい、本名=としまさ、1930年9月1… 上田 利正(うえだ りせい、本名=としまさ、1930年9月13日 - 2023年12月8日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 山梨県甲西町(現南アルプス市)出身。1950年甲府工業高校卒業。同年電電公社に入社。全電通山梨県委員長、山梨県労連議長などを経て、1986年の総選挙で山梨県全県区から立候補して初当選。2期務めた。1993年の総選挙に立候補せず、政界から引退する。 2001年4月の春の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する。 2023年12月8日、老衰のため山梨県の介護施設で死去した。93歳没。
石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018… 石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018年3月20日)は、日本の詩人、英文学者、翻訳家。文教大学名誉教授。 山梨県甲府市生まれ。明治学院大学文学部英文科卒業。1967年に詩集『軍港』を上梓、1974年『離れ象』で日本詩人クラブ賞受賞。1996年、英米詩の翻訳業績により第21回地球賞受賞。立正女子大学助教授、校名変更で文教大学教授、図書館長を務め、2001年定年。2007年『遠いうた 拾遺抄』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。ほかブライアン・オールディスの翻訳、詩の翻訳がある。 2018年3月20日午後8時20分、誤嚥性肺炎のため、埼玉県越谷市のグループホームで死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高尾 利数(たかお としかず、1930年4月23日 - 20… 高尾 利数(たかお としかず、1930年4月23日 - 2018年5月6日)は、日本の神学者、宗教学者、法政大学名誉教授。 山梨県都留市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1949年昭和大学医学部中退、1951年茨城キリスト教短期大学卒業、1953年アブリン・キリスト教大学文学部(アメリカテキサス州)卒業、1959年東京神学大学大学院組織神学専攻修士課程修了。茨城キリスト教短期大学専任講師、名古屋学院大学助教授、関東学院大学神学部助教授、法政大学第二教養部教授、法政大学社会学部教授、2001年3月定年退職、名誉教授。
中尾 栄一(なかお えいいち、1930年1月27日 - 20… 中尾 栄一(なかお えいいち、1930年1月27日 - 2018年11月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)を務めた。山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校、青山学院大学文学部英米文学科卒業。早稲田大学大学院修士課程修了。元日本テコンドー連盟会長。渡辺派議長。 芦田均秘書などを経て、1967年、無所属で第31回衆議院議員総選挙に旧山梨全県区から出馬し初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫など)。当選後、自由民主党の佐藤栄作総裁から追加公認を受け、自民党に入党した。 1973年には中川一郎、石原慎太郎らとタカ派政策集団 ・青嵐会を結成し名を売った。
堀内 光雄(ほりうち みつお、1930年〈昭和5年〉1月1日… 堀内 光雄(ほりうち みつお、1930年〈昭和5年〉1月1日 - 2016年〈平成28年〉5月17日)は、日本の政治家、実業家。血液型AB。 衆議院議員(10期)、富士急行株式会社会長、労働大臣(第51代)、通商産業大臣(第60代)、自由民主党総務会長(第43代)を歴任した。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。 山梨県東八代郡御坂町(現笛吹市)出身。富士急行創業者一族の出身で、祖父、父ともに衆議院議員。生誕地は当時父・一雄が関東軍参謀として赴任していた関東州旅順。誕生時は元日だった為産婆がおらず、隣家に住む石原莞爾の妻が代わりに取り上げたという。父の転任に伴い奉天、新京、安東の日本人小学校に通った。
小沢 介三(おざわ かいぞう、1929年8月29日 -201… 小沢 介三(おざわ かいぞう、1929年8月29日 -2015年4月13日 )は、日本の政治家、元山梨県南部町長である。 1929年(昭和4年)に山梨県南巨摩郡睦合村(現在の南部町)に産まれる。その後山梨県立身延中学校(現在の山梨県立身延高等学校)、南部町役場勤務、会社役員を経て1986年(昭和61年)に旧南部町長選挙に立候補し、無投票で当選した。その後旧南部町長を5期、合併後の現南部町長を1期務めた。2007年(平成19年)に紺綬褒章、2008年(平成20年)に旭日小綬章を受章。2009年(平成21年)には名誉町民となっている。 旧南部町長時代に過疎化や高齢化が著しかった町の地域復興策を次々と進行させ、また1995年(平成7年)に急行「富士川」が特急化される際内船駅が通過対象であると聞くとJR東海に対して陳情を行ない、特急停車駅化を果たしている(鉄道と政治#停車駅争奪戦・追加運動・臨時停車などを参照)。
廣瀬 直人(ひろせ なおと、1929年5月16日 - 201… 廣瀬 直人(ひろせ なおと、1929年5月16日 - 2018年3月1日)は、日本の俳人。 山梨県一宮町(笛吹市)生まれ。本名は直瀬。東京高等師範学校を卒業。卒業後は郷里で高校教師として務める。祖父の影響で句作をはじめ、1948年「雲母」入会、飯田蛇笏に師事。1961年「雲母」同人、1968年第4回山蘆賞受賞。蛇笏の没後は飯田龍太に師事。1992年「雲母」廃刊、翌年その後継誌として「白露」を創刊・主宰。一貫して自然と生活を主題として句作し、2008年には句集『風の空』で第43回蛇笏賞、第1回小野市詩歌文学賞を受賞した。また福田甲子雄とともに『飯田龍太全集』(2005年、角川書店)を監修している。
中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月2… 中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月23日 - )は、日本の日本文学者。國學院大學名誉教授。 1929年、山梨県甲府市山宮町で生まれた。山梨県立甲府第一高等学校を卒業し、國學院大學文学部国文科に進学。1953年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1957年、博士課程を満期退学。 その後、國學院大學日本文化研究所研究員。1976年、同大学文学部教授に就き、日本文化研究所教授を兼ねた。1989年古事記学会代表理事に就任。また同年に日本学術会議推薦人となった。1993年、学位論文『荷田春満書入古事記とその研究』を國學院大学に提出して文学博士の学位を取得。2000年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。
田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995… 田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995年8月8日)は、日本の法律家、政治家。弁護士、元参議院議員(2期)。
小佐野 政邦(おさの まさくに、1928年(昭和3年)9月9… 小佐野 政邦(おさの まさくに、1928年(昭和3年)9月9日 - 2001年(平成13年)2月18日)は、日本の実業家である。 歌人、小説家、実業家の小佐野彈は血縁上の孫であり、養子。 1982年(昭和57年)、国際興業第四代社長に就任。1986年(昭和61年)、急逝した創業者小佐野賢治の全事業を継承し、グループ総裁となる。 「北海道いすゞ」「馬門温泉」「秋北ホテル」「十和田観光電鉄」「花巻温泉」を任され、一か月の半分は北海道、残り半分は東北というハードスケジュールで、賢治の信頼を勝ち取った。 身長178センチで、当時としては背が高く体操の時は常に先頭であった。 山梨県勝沼町生まれ。幼い頃は家で水田と養蚕をしていた。
渡辺 富美雄(わたなべ ふみお、1928年5月25日 - )… 渡辺 富美雄(わたなべ ふみお、1928年5月25日 - )は、日本の日本語学者・国語教育学者。 山梨県富士吉田市生まれ。1956年東京都立大学大学院人文科学研究科国語学修士課程修了。新潟大学教育学部助教授、教授、1978年頃文部省初等中学教育局小学校教育課教科調査官および同教育局主任視学官を経て、1997年頃東京家政学院大学教授、同大学院研究科長。新潟県の方言研究を行った。
天野 建(あまの けん、1928年2月24日 - 2005年… 天野 建(あまの けん、1928年2月24日 - 2005年2月17日)は、日本の政治家。旧東八代郡石和町(現:笛吹市)町長、山梨県公選第5代知事(1991年2月17日 - 2003年2月16日・3期12年)を歴任した。 山梨県大月市出身。父親は笹一酒造創業者、山梨県知事の天野久で3男。旧制山梨県立都留中学校(現:山梨県立都留高等学校)卒業。無線電信講習所(現:電気通信大学)中退。 中央政界においても影響力を持っていた金丸信の後援を受け、県議会においてもオール与党体制を確立して県政を行っていた望月幸明知事は公約に3期12年での引退を掲げており、1991年の山梨県知事選において不出馬を決めた。 自民党山梨県連は知事選に際して分裂し、当時の4大政党(自民・社会・公明・民社)と金丸信が推薦する小沢澄夫元副知事に対し、天野は元知事の田邊圀男、自民党議員の堀内光雄の支持を受けるが政党の推薦・支持がないまま「権力批判」「草の根」の選挙戦術を展開し、小沢を5000票差で破り、初当選を遂げた。
網野 善彦(あみの よしひこ、1928年〈昭和3年〉1月22… 網野 善彦(あみの よしひこ、1928年〈昭和3年〉1月22日 - 2004年〈平成16年〉2月27日)は、日本の歴史学者。専攻は日本中世史。 江戸時代から続く地主網野家の当主・勝丸の末男として山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市御坂町)に生まれる。曾祖父の網野善右衛門は実業家で、山梨中央銀行の前身のひとつである網野銀行の創業者である。実父の勝丸は甲州市塩山の旧家出身で代議士も務めていた広瀬久政の次男として生まれ、網野家へ養子に入った人物。久政長男の広瀬久忠は善彦の叔父にあたり、久政も右派政治家で戦前には山梨県初の大臣(厚生大臣)を務め、戦後には参議院議員となった。久政三男の名取忠彦も戦前は山梨県翼賛会壮士団長で、戦後は山梨中央銀行の頭取として山梨県政財界で影響力を持っていた人物で、善彦の幼少期にはこうした右派的政治環境があったことが指摘されている。
辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7… 辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7日 - )は、日本の実業家、作家。山梨県庁職員を経て、株式会社サンリオを創業。同社代表取締役社長・会長を歴任し、現在は同社の名誉会長。 1960年8月の創業以来、2020年6月までサンリオの社長を務めた。サンリオ作品の原作・脚本を執筆するなどの創作活動も手がけている。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。 長男はサンリオ副社長を務めた辻邦彦(2013年没)。また現社長・辻朋邦は孫。 サンリオが発行する『いちご新聞』で毎号コラムを掲げる「いちごの王さま」は辻の分身的存在であり、王さまの姿を借りて「世界中がみんな仲良く平和に暮らせるように」との願いを発信し続けている。
吉田川 清四郎(よしだがわ せいしろう、1927年11月19… 吉田川 清四郎(よしだがわ せいしろう、1927年11月19日 - 没年不明 )は、山梨県富士吉田市出身(出生地は東京都八王子市横山町)で時津風部屋(入門時は音羽山部屋)に所属した大相撲力士。本名は真田 征四郎(さなだ せいしろう)。最高位は西前頭13枚目(1952年9月場所)。現役時代の体格は171cm、105kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 13歳の時、元前頭2枚目・白岩が率いる音羽山部屋に入門し、1941年5月場所で初土俵を踏んだ。その後、師匠・音羽山が部屋経営から手を引いた事に伴い、1945年より双葉山道場(後の時津風部屋)へ移籍。 1949年10月場所で新十両に進み、その際に四股名を、本名でもある「真田」から郷土の地名に因んだ「吉田川」へ改めている。
小宮山 重四郎(こみやま じゅうしろう、1927年(昭和2年… 小宮山 重四郎(こみやま じゅうしろう、1927年(昭和2年)9月15日 - 1994年(平成6年)11月21日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)、郵政大臣を歴任。 山梨県甲府市出身。後に参議院議員となった小宮山常吉の四男。長兄・英蔵は平和相互銀行の創設者。東京府立葛飾中学校を経て、中央大学予科、日本大学法文学部を卒業。1948年に早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。1951年に同大学を卒業しアメリカ・ニューヨーク州のアルフレッド大学に官費留学、経営学を学ぶ。アルフレッド大学卒業後、1955年に読売新聞社に入社し、大阪支局経済部に配属される。その後、読売新聞の英字新聞記者となる。 1958年に佐藤栄作の秘書となり政界入り。
福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 20… 福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 2005年4月25日)は、日本の俳人。 山梨県中巨摩郡飯野村(現・南アルプス市飯野)に生まれる。1947年より、飯田蛇笏選「春夏秋冬」に投句をはじめ、「雲母」に入会、蛇笏に師事。1960年より飯田龍太選に投句し龍太に師事、1963年より終刊まで「雲母」編集同人。1969年、第5回山盧賞を受賞、2002年、第25回野口賞を受賞。 1971年6月、第一句集『藁火』を出版。その後、数々の句集や評論集などを出版。1992年、「雲母」終刊。その後は、盟友・廣瀬直人の主宰誌「白露」の同人として活躍。作品は、重厚な風土性と格調の高さが特徴であると評される。
土屋 嘉男(つちや よしお、1927年5月18日 - )は、… 土屋 嘉男(つちや よしお、1927年5月18日 - )は、日本の俳優。本名同じ。身長173cm、体重72kg。
穐山 篤(あきやま あつし、1927年1月16日 - 200… 穐山 篤(あきやま あつし、1927年1月16日 - 2004年4月18日)は、日本の政治家。日本社会党所属の参議院議員(3期)。 山梨県甲府市生まれ。1943年に山梨県立甲府工業学校卒業した。1944年6月に国鉄名古屋鉄道局甲府管理部施設課に入職した。その後、甲府管理部甲府保線区、静岡鉄道管理局南甲府保線区を経て、1969年4月に退職した。その後、同年10月から全日本交通輸労働組合協議会事務局長を4年務めた。そして、1976年8月から国鉄労働組合副執行委員長を1年間務めた。1977年の参院選で日本社会党公認で全国区から立候補して50位で当選し、その後は比例区に転じて通算3期務めた。1994年の政治改革四法の採決では政府案に対して、投票を棄権した。
中澤 正(中沢 正、なかざわ ただし、1927年1月6日-)… 中澤 正(中沢 正、なかざわ ただし、1927年1月6日-)は、料理史研究家、料理人。 山梨県甲府生まれ。1939年4月上京、東駒形の伯父の家に寄食。その後外地で暮らし、1946年復員、47年関西へ移り、あなごや調理師会幹事高橋辰男に師事し大阪などで働く。1955年上京、日本橋室町一丁目和食信洲などで働く。1963年2月、鉄道弘済会中部支部に入会、とくがわ荘に勤務。この間、進士慶幹に師事して歴史を学んだ。日本料理講師。名古屋在住。
佐々木 紫郎(ささき しろう、1926年1月26日 - 20… 佐々木 紫郎(ささき しろう、1926年1月26日 - 2025年1月2日[要出典])は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、自動車技術会会長、豊田中央研究所代表取締役を務めた。 山梨県甲府市生まれ。1949年旧制北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社、技術部設計課配属。1969年から製品企画室主査を務め、2代目・3代目トヨタ・カローラの開発責任者などを務めた。1977年製品企画室副室長(参与)。1982年製品企画室室長。1984年常務取締役。1986年専務取締役監査改良室室長。1988年取締役副社長。1990年自動車技術会会長。1992年相談役、豊田中央研究所代表取締役。
小林 治雄(こばやし はるお、1925年12月21日 - 2… 小林 治雄(こばやし はるお、1925年12月21日 - 2010年1月26日)は日本の漫画家、随筆家。 1925年、山梨県にて出生。1943年、甲府工業学校土木科卒業。1954年、毎日新聞にて「フクちゃん」を連載していた横山隆一に勧められ、時事風刺の1コマ漫画『ヒトクチ漫画』の連載を開始し、以後1990年まで続いた。漫画集団の一員で、随筆、マンガ等を寄稿しつつ、70歳よりMacintoshを学び精力的に執筆活動を行った。 2010年1月26日、横浜市内の病院にて心不全で死去。84歳没。
渡辺 喜一(渡邊、わたなべ きいち、1925年 <大正14年… 渡辺 喜一(渡邊、わたなべ きいち、1925年 <大正14年> 11月3日 - 2016年 <平成28年> 8月20日)は日本の大蔵官僚。日本銀行政策委員会大蔵省代表委員、理財局長、財務官、国際金融情報センター初代理事長、中小企業金融公庫総裁などを歴任。位階は正四位。 山梨県富士吉田市出身。東京大学法学部法律学科在学中に国家公務員六級職試験(法律職、行政職)、司法試験を合格。東京大学(東京帝国大学)法学部法律学科の入学時はビリであったが、卒業時はトップだったという。1950年 トップの成績で大蔵省入省(理財局為替政策課)。1962年6月 主計局主計官補佐(運輸、国鉄係)。1964年7月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。
海野 和三郎(うんの わさぶろう、1925年10月2日 - … 海野 和三郎(うんの わさぶろう、1925年10月2日 - 2023年11月7日)は、日本の天文学者(理論天体物理学)。理学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学教名誉教授。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。 旧制松本高等学校時代より、東京帝国大学を目指す。松本高等学校では物理の向井正幸教授の影響を受け、物理学者を志したが、戦時中入試のできない年にぶつかり、入学の比較的容易な天文学科に志望を変更した。ここで、師となる萩原雄祐と出会い、理論天文学分野での活躍を始める。特に、萩原に薦められて、旧来の天文学に量子力学視点を取り入れた研究及び講義は難解という評価がなされている。 1955年、東京大学理学博士。
山本 丈晴(やまもと たけはる、1925年5月22日 - 2… 山本 丈晴(やまもと たけはる、1925年5月22日 - 2011年9月7日)は、日本の作曲家、ギタリスト。 山梨県南都留郡河口村(後の河口湖町、現在の富士河口湖町)出身。出生名は古屋 武治(1925年 - 1945年)。作曲家の古賀政男に師事し、ギター演奏により古賀メロディの普及に貢献。作曲作品は、美空ひばりに代表される流行歌・歌謡曲・演歌から映画・テレビ・舞台音楽、社歌・校歌と数多く幅広い。第48回日本レコード大賞功労賞受賞。 音楽活動を始めた当初は古屋 雅章(1946年 - 1948年)の筆名を名乗っていたが、その後に古賀の正式な養子となった際、本名の「武治」を「丈晴」にして古賀 丈晴(1948年 - 1958年)に改名。
中村 克郎(なかむら かつろう、1925年3月31日 - 2… 中村 克郎(なかむら かつろう、1925年3月31日 - 2012年1月22日)は日本戦没学生記念会「わだつみ会」元理事長。産婦人科医師。 山梨県で産婦人科を営む傍ら、太平洋戦争の学徒出陣に集い、その後戦死などをした学生の手記・随筆をまとめた文学作品「きけ わだつみのこえ」の著者の一人。同書は1949年出版後、増刷、映画化された。 その後「わだつみ会」の理事長に就任。太平洋戦争の恐ろしさと平和への尊さ・大切さを広く全国にPRする啓蒙活動を行った。2008年、「きけ わだつみのうた」の編纂・執筆に際して集めた戦争関係の資料を展示する史料・図書館である「わだつみ平和文庫」を設立。 2012年1月22日、肺炎のために逝去。