柳沢 敏幸(やなぎさわ としゆき、1949年 - 2010年… 柳沢 敏幸(やなぎさわ としゆき、1949年 - 2010年9月10日)は、元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 長野県北佐久郡御代田町出身。小諸商業高校を卒業した後に1968年に社会人野球の電電信越に入団する。チームでは投手として活躍し、1976年からコーチを兼任、1980年に現役引退した。翌年から監督に就任し、1982年の都市対抗野球から都市対抗野球に8年連続出場を果たした。その中で1987年の都市対抗野球ではチームをベスト8に導いた。その後、1989年までに監督を務めた後に、2004年~2008年までに母校の小諸商業高校の野球部監督を務めた。 2010年9月10日、大腸癌のため死去。
伊藤 伊那男(いとう いなお、1949年 - 2025年11… 伊藤 伊那男(いとう いなお、1949年 - 2025年11月14日)は、長野県伊那地方の出身の俳人。出身地をそのまま俳号にした。本名正徳。 長野県駒ヶ根市生まれ。長野県伊那北高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後に野村證券に入社。その後退社し、オリックス勤務、金融会社経営を経て、53歳で脱サラ。神田神保町で、「銀漢亭」という居酒屋を経営(2020年5月閉店)。 俳句は取引先の職場句会をきっかけに始め、1982年、「春耕」に入会、皆川盤水に師事。1990年春耕賞受賞。1998年、句集『銀漢』により第22回俳人協会新人賞。2011年、「春耕」の僚誌として「銀漢」を創刊・主宰。2018年、句集『然々と』により第58回俳人協会賞。
湯本 長伯(ゆもと ながのり、1949年(昭和24年)- )… 湯本 長伯(ゆもと ながのり、1949年(昭和24年)- )は、日本の工学者。日本大学工学部教授。専門は、産学連携学、社会構造設計。工学博士 (早稲田大学) 。旧・九州芸術工科大学教授や九州大学教授、産学連携学会初代会長などを歴任。長野県出身。
高橋 卓志(たかはし たくし、1948年12月4日 - )は… 高橋 卓志(たかはし たくし、1948年12月4日 - )は、日本の臨済宗の僧侶、神宮寺住職(1974-2018)。 長野県東筑摩郡本郷村(現松本市)生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、龍谷大学文学部を卒業。同大学院東洋史学研究科中退。 海清寺専門道場で修行し、山田無文老師に従って、太平洋戦争の南方戦地跡での戦没者遺骨収集事業に携わる。 その後、1976年に神宮寺に入る。1981年、筑摩工芸研究所、1991年、日本チェルノブイリ連帯基金の設立に参加。1991年から1997年にかけて、チェルノブイリで医療支援活動を行う。 2018年5月、神宮寺を離れ、フリーランスの僧侶として活動する。 長野県NPOセンター代表、ライフデザインセンター代表、ケアタウン浅間温泉代表理事、アクセス21代表。
清水 愼一(しみず しんいち、1948年12月1日 - )は… 清水 愼一(しみず しんいち、1948年12月1日 - )は日本の観光学者、実業家。JR東日本で取締役や仙台支社長などを務めた。 長野県小諸市出身。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1972年 国鉄(1987年4月からJR東日本)に入社。2000年6月 同社取締役兼鉄道事業本部営業部長委嘱。2002年6月 仙台支社長。2004年6月 退社。 同年6月 JTB常務取締役。2008年4月 立教大学観光学部観光学科特任教授。
二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )… 二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )は、ブラジルの法学者、弁護士、翻訳家。サンパウロ大学法学部博士教授。専門は、比較法、国際法、日伯外交史、移民史。長野県上田市出身。 ブラジル連邦共和国の弁護士(ブラジル弁護士会サンパウロ支部登録26565号)として、日本企業の法務に携わるほか、ブラジルと日本の両国の大学で教鞭をとる。留学先の東京大学大学院法学政治学研究科においては、高野雄一、池原季雄および星野英一にそれぞれ指導を受ける。 日系人の移民の歴史にも造詣が深く、また、日本の公人がブラジルを訪問した際、逆にブラジルの公人が日本を訪問した際の通訳を務める。 CIATE 国外就労者情報援護センター理事長、一般財団法人あしなが育英会賢人達人会メンバー、日本学術振興会(JSPS)顧問(サンパウロ海外アドバイザー)、国際協力機構(JICA)顧問を務める。
本間 洋平(ほんま ようへい、1948年(昭和23年)11月… 本間 洋平(ほんま ようへい、1948年(昭和23年)11月9日 - )は、日本の小説家。本名、唐木田邦男。 長野県長野市生まれ。茨城大学経済学部卒業。デビュー作『家族ゲーム』は、1983年に森田芳光監督・松田優作主演で映画化、長渕剛主演でドラマ化された。2013年には櫻井翔主演で再びドラマ化されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
片桐 美雪(かたぎり みゆき、Katagiri Miyuki… 片桐 美雪(かたぎり みゆき、Katagiri Miyuki、1948年10月26日 -) は、日本のアルペンスキーヤー選手である。 1972年の冬季オリンピックに出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
小林 哲郎(こばやし てつろう、1948年(昭和23年)10… 小林 哲郎(こばやし てつろう、1948年(昭和23年)10月23日 - )は、日本の医師、医学者。緩徐進行1型糖尿病(Slowly progressive insulin-dependent diabetes mellitus: SPIDDM)を発見し、成因や治療法について研究を続けている。冲中記念成人病研究所 所長、山梨大学名誉教授。専門は糖尿病学、内科学。 長野県木曽福島町生まれ。1967年長野県松本深志高等学校卒業。1974年金沢大学医学部医学科卒業。1974年虎の門病院内科研修医に着任。 虎の門病院内分泌代謝科医員時代、緩徐進行1型糖尿病患者を発見。1型糖尿病の新しい病型として1982年発表。
青木 一(あおき はじめ、1948年〈昭和23年〉10月9日… 青木 一(あおき はじめ、1948年〈昭和23年〉10月9日 - 2008年〈平成20年〉10月9日)は、日本の政治家。歯科医師。中野市長。 長野県中野市出身。父は同じく歯科医師で、中野市長を務めた青木太郎。日本歯科大学卒。2004年に旧中野市長選挙に出馬し、当選。翌年に豊田村との新設合併に伴う新中野市長選挙では無投票当選。 2008年8月に腹痛を訴え、胆石胆嚢炎と診断、9月22日に北信総合病院で胆嚢を摘出する腹腔鏡手術を受けたが同月23日朝、呼吸不全から意識不明に陥り、翌月9日午前11時13分に急性呼吸不全のため現職のまま死去。60歳。亡くなったのは還暦となる誕生日で、妻が赤のスポーツウェアを乗せたりケーキを口につけていた。
小林 淳一(こばやし じゅんいち、1948年9月23日 - … 小林 淳一(こばやし じゅんいち、1948年9月23日 - )は、日本の工学者。 専門は機械工学・流体力学など。 長野県小県郡西塩田村(現上田市)出身。 1967年3月- 長野県上田高等学校卒業。1971年3月- 東北大学工学部機械工学科卒業。 1976年3月- 東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士。論文の題は「導電形MHD流路の特性に関する理論的研究」。 1976年10月- 日立製作所入社、機械研究所勤務。2005年4月- 日立製作所研究開発本部ソリューションセンター長。 2007年4月- 秋田県立大学システム科学技術学部教授。2017年4月- 秋田県立大学理事長兼学長就任。
篠原 孝(しのはら たかし、1948年7月17日 - )は、… 篠原 孝(しのはら たかし、1948年7月17日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(5期)。
吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 20… 吉江 喜一(よしえ よしかず、1948年6月14日 - 2018年8月29日)は、長野県塩尻市出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 塚原高校では1966年の夏の甲子園に出場。1回戦で松山商の西本明和投手と投げ合い、延長11回の投手戦の末、0-1xでサヨナラ負けした。松山商はこの大会に準優勝。1966年第1次ドラフト会議でサンケイアトムズから2位指名を受け入団。 がっちりとした体つきで、速球とカーブ、シュートを武器に真向から勝負していくピッチングが持味。しかし、一軍では1年目終盤の10月14日の阪神25回戦(東京)の1試合だけの登板に留まり、この試合では山内一弘に史上2人目の2000本安打を打たれている。
市村 良三(いちむら りょうぞう、1948年5月31日 - … 市村 良三(いちむら りょうぞう、1948年5月31日 - 2023年6月14日)は、日本の政治家、実業家。元長野県上高井郡小布施町長(4期)。 1982年(昭和57年)から市村が親族とともに始めた町並み修景事業は観光まちづくりの成功例として知られている。観光庁から観光カリスマ百選に認定された。 長野県小布施町上町に生まれる。長野県長野高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年、ソニーに就職。27歳で帰郷。 1979年(昭和54年)12月30日、おじの小布施町長の市村郁夫が任期途中で死去。1980年(昭和55年)、市村郁夫の息子の次夫とともに和菓子店「小布施堂」の経営を引き継ぐ。
一瀬 益夫(いちのせ ますお、1948年5月22日 - )は… 一瀬 益夫(いちのせ ますお、1948年5月22日 - )は、日本の経営学者。東京経済大学名誉教授。専門は、経営情報システム論。
林 新一郎(はやし しんいちろう、1948年(昭和23年)5… 林 新一郎(はやし しんいちろう、1948年(昭和23年)5月12日 - )は、日本の政治家、実業家。元長野県岡谷市長。 岡谷市生まれ。松商学園高等学校を経て、東京農業大学農学部醸造学科卒業。昭和46年(1971年)繊維会社に入社したが、父の死去により、家業の豊島屋を承継した。岡谷商工会議所副会頭を経て、平成7年(1995年)岡谷市長選挙に当選した。 2022年11月3日、秋の叙勲において、旭日小綬章を受章した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
柳澤 光美(やなぎさわ みつよし、1948年5月5日 ‐ )… 柳澤 光美(やなぎさわ みつよし、1948年5月5日 ‐ )は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。 経済産業副大臣(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、経済産業大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣)等を歴任。 長野県東御市八重原生まれ。長野県上田高等学校、成城大学経済学部卒。1973年、株式会社イトーヨーカ堂入社。1992年から同社労働組合中央執行委員長、イトーヨーカドーグループ労働組合連合会会長を務める。 2001年の第19回参議院議員通常選挙に出馬したが、落選。 2004年の第20回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区から再び出馬し、初当選。 2010年の第22回参議院議員通常選挙で再選。
上垣外 憲一(かみがいと けんいち、 1948年5月3日- … 上垣外 憲一(かみがいと けんいち、 1948年5月3日- )は、日本の比較文学・文化学者。前大妻女子大学比較文化学部教授。古代からの日本と朝鮮半島との関係史などの論考が多い。 長野県松本市出身。5歳から東京都で育つ。1972年東京大学教養学科ドイツ分科卒業、1977年同大学院比較文学比較文化博士課程中退、東洋大学文学部講師(ドイツ語)、1980年助教授、1987年国際日本文化研究センター助教授、1996年教授。1996年、東京大学より博士(学術)の学位を取得、学位論文の題は「半井桃水に見る明治日本人の朝鮮観」。1997年、帝塚山学院大学文学部教授、同副学長。2009年大手前大学教授。2013年退任、大妻女子大学比較文化学部教授。
白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日… 白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日本の技術者、実業家。日野自動車代表取締役社長や、豊田通商代表取締役副会長を務めた。藍綬褒章受章。 長野県小諸市で出生後、北海道旭川市に移住。北海道旭川北高等学校を経て、1973年北海道大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。技術畑で商品開発部門を担当し、1997年第2ボデー設計部長に就任。2001年取締役第2開発センター長に昇格。2002年士別車両実験部長。2003年常務役員第1トヨタセンター長。2005年専務取締役技術管理本部長兼商品開発本部長。2007年顧問、日野自動車取締役副社長。2008年から日野自動車代表取締役社長を務め、リーマン・ショック後の世界金融危機下での不況への対応を行った。
斉田 好男(さいだ よしお、1948年3月29日 - )は、… 斉田 好男(さいだ よしお、1948年3月29日 - )は、日本の指揮者。長野県松本市出身、兵庫県明石市在住。神戸大学名誉教授。 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。高校時代に小澤征爾のコンサートを聴いて指揮者の道を志す。武蔵野音楽大学卒業後、同大学院音楽研究科修士課程修了。同大学研究員を経て、1975年10月、神戸大学教育学部助手として着任。以後、神戸大学・同大学院の教授(指揮法・アンサンブル法他)・学内の役職等を歴任し、2012年3月をもって退官、同大学名誉教授となる。指揮法を齋藤秀雄、高階正光、トロンボーンを山本正人、坂本辰則、木下利男に師事。 指揮者としては、「オールラウンド指揮者」としてオペラ・管弦楽から吹奏楽・合唱まで幅広いレパートリーを持ち、特にロマン派及び邦人作品を得意としている。
柏木 集保(かしわぎ しゅうほ、1948年3月18日 - )… 柏木 集保(かしわぎ しゅうほ、1948年3月18日 - )とは、長野県小諸市出身の競馬評論家である。 「集保」の名はペンネームであり、資料を集めて保つとの意味。身長が高く、同業者からは「ジャンボ」との愛称で呼ばれている。 長野県上田高等学校時代にはハンドボールでインターハイに出場。その後は早稲田大学政治経済学部に進学し、相撲部屋からスカウトされた経験も持つ。1973年に競馬新聞『日刊競馬』を発行する日刊競馬新聞社に入社し、以後同社にて長年にわたり中央競馬の競馬予想を担当。1979年に福島開催で大きな実績を挙げたことから、メイン馬柱に名前が載るようになった。また、1980年の第82回天皇賞で、プリテイキャストの大逃げ勝利をレース展開まで完璧に読み切って的中させ、テレビCMが作られるほどの注目を集める。
小林 広一(こばやし こういち、1948年2月9日 - )は… 小林 広一(こばやし こういち、1948年2月9日 - )は、日本の文芸評論家。 長野県飯田市生まれ。明治大学卒業、同大学院博士課程中退。1981年「斎藤緑雨論」で群像新人文学賞評論部門受賞。中野重治、添田唖蝉坊、赤塚不二夫なども論じる。 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - 2022… 樋口 覚(ひぐち さとる、1948年1月20日 - 2022年11月24日)は、日本の文芸評論家。2005年に芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 祖父の樋口長衛は開成学園で斎藤茂吉と、東京帝国大学で岩波茂雄と同級生だった信州の教育者で長野県立長野中学校長を務めており、祖母の樋口志保子は島木赤彦門下のアララギ歌人。父の樋口寛は国文学者で、安曇野に疎開して以降長野在住だった斎藤史と交流があり、幼少期の覚は史に可愛がられていた。 長野県長野市出身。長野で過ごしていた頃はバロック音楽に心酔していた。長野県長野高等学校を経て、一橋大学社会学部卒業。大学時代には短歌に目覚め、斎藤史に歌を学んだ。株式会社医学書院編集部で編集者として活動するかたわら、歌人として活動を開始し、後に文芸評論の道に進む。
星 セント(ほし セント、1948年1月16日 - 2004… 星 セント(ほし セント、1948年1月16日 - 2004年7月22日)は、日本の漫才師、俳優。本名、村山 袈娑夫(むらやま けさお)。1970年代に一世を風靡した漫才コンビ「星セント・ルイス」の1人。 長野県長野市出身。長野中央高等学校を卒業。 高校時代から芸人を志望しており、森繁久彌・谷啓・関敬六といったコメディアンにファンレターを熱心に送る様な青年だった。ファンレターを送る中で、獅子てんや・瀬戸わんやからは「(高校を)卒業後に来る様に」と返事を貰った。高校卒業後、商業デザイナーを目指して上京。東京プリンスホテルで勤務するなど様々な職業を転々とした後、1969年にてんや・わんやへ弟子入りをする。
彦坂 興秀(ひこさか おきひで、1948年 - )は、日本出… 彦坂 興秀(ひこさか おきひで、1948年 - )は、日本出身の神経科学者、医師。アメリカ国立衛生研究所眼病研究所 (NEI) 所属。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1973年に東京大学大学院から医学博士号を取得し、1978年には島津浩の指導下で前庭眼脳幹系の研究により博士号を取得した。同年から東邦大学講師、翌年からは助教授を務めた。その後は1982年までアメリカ国立衛生研究所眼病研究所 (NEI) で博士研究員として研究を行った。 1983年に東邦大学の准教授に就任。1988年、生理学研究所に教授として移籍し、1993年に順天堂大学医学部第一生理学教室教授。2002年以降はアメリカ国立衛生研究所眼科研究所に戻り、感覚運動システムの研究グループリーダーを務めている。
鮎沢 大(あゆさわ だい、1948年 - )は、日本の生物学… 鮎沢 大(あゆさわ だい、1948年 - )は、日本の生物学者。学位は、農学博士(1971年)(学位論文「枯草菌菌体外酵素高産生菌の細胞表層についての研究」)専門は不老長寿学、分子遺伝学、細胞遺伝学、アーユルヴェーダ。
齊藤 万比古(さいとう かずひこ、1948年 - )は、日本… 齊藤 万比古(さいとう かずひこ、1948年 - )は、日本の医師・医学者。専門は、児童思春期の精神医学。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1975年千葉大学医学部卒業。1999年国立精神・神経センター(現・国立国際医療研究センター)国府台病院審理・指導部長。2003年国立精神・神経センター精神保健研究所児童思春期精神保健部長。国立国際医療研究センター国府台病院精神科部門診療部長。恩賜財団母子愛育会 総合母子保健センター愛育病院小児精神保健科部長。恩賜財団母子愛育会 愛育研究所 児童福祉・精神保健研究部部長・愛育相談所所長。国立国際医療センター国府台病院第二病棟部長。厚生労働省科学研究「思春期のひきこもりをもたらす精神科疾患の実態把握と精神医学的治療・援助システムの構築に関する研究」主任研究者等を務める。
鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県… 鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。 伊那北高等学校では、1966年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、エース吉江喜一を擁する塚原高に完封負け。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは一塁手として活躍。1969年春季リーグで8年振りに優勝を飾る。主軸であった星野仙一、池島和彦両投手が卒業し下馬評は高くなかったが、1年上の古屋英雄、同期の今井恒夫が好投、早大、法大を振り切った。同年の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎に抑えられ、2回戦敗退。ベストナイン(一塁手)に2回選出されている。大学同期に外野手の辻哲也らがいる。
菅沼 龍夫(すがぬま たつお、1948年 - )は、日本の医… 菅沼 龍夫(すがぬま たつお、1948年 - )は、日本の医師、医学者。専門は解剖学。宮崎大学学長などを歴任した。長野県飯田市出身。
滝澤 三郎(たきざわ さぶろう、1948年 - )は、日本出… 滝澤 三郎(たきざわ さぶろう、1948年 - )は、日本出身の元公務員、国際機関職員、大学教員。法務省職員、UNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)ジュネーブ本部財務局長、UNHCR駐日代表、国連UNHCR協会協会特別顧問、東洋英和女学院大学教授などを歴任した。現在は同大学名誉教授、ケア・インターナショナル・ジャパン副理事長を務めている。 著書に『世界の難民をたすける30の方法』『「国連式」世界で戦う仕事術』などがある。 長野県東筑摩郡本城村(現:筑北村)出身。中学生時代に体調を崩し、長野県松本深志高等学校を1年間休学。高校卒業後は1年間の浪人生活を経て埼玉大学教養学部に入学し、1972年に卒業。
千野 共美(ちの ともみ、1948年 - )は、長野県長野市… 千野 共美(ちの ともみ、1948年 - )は、長野県長野市出身の前衛いけばな作家、華道家。中川幸夫の妻である半田唄子に師事。半田唄子の死後、中川幸夫のアシスタントを務めた。花の教室を主宰、花を教える他、いけこみ等の仕事に携わる。現在、東京都国立市在住。
飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医… 飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医学ジャーナリスト、評論家。 長野県上田市生まれ。北海道大学水産学部卒業。信濃毎日新聞社入社後、報道部、整理部、文化部を経て1994年編集委員。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。専門は医学・医療・健康問題。
丸山 楽雲(まるやま らくうん、1948年 - )は篆刻家。… 丸山 楽雲(まるやま らくうん、1948年 - )は篆刻家。 長野県安曇野市生まれ。同県中信地方を拠点とし、書画、篆刻の世界では数々の実績を残し本場中国では三絶と称される。安曇野市内はもとより、同県の中野市、松本市、及び各町村に散在する寺院に収蔵されている書画、篆刻、印などの制作を手掛けている。また、木額、石碑、山号額、幟旗などの揮毫、更には、会社名や商品タイトル、ロゴマーク、パッケージや包装紙の書画、書籍の題字などにも活躍の場を広げている。
坂田 雅子(さかた まさこ、1948年 - )は日本のドキュ… 坂田 雅子(さかた まさこ、1948年 - )は日本のドキュメンタリー映画監督。 BSスペシャル「枯葉剤の傷痕を見つめて〜ベトナム戦争終結50年〜」(2025年11月14日、NHK BS)
小口 基實(おぐち もとみ、1947年12月25日 - )は… 小口 基實(おぐち もとみ、1947年12月25日 - )は、長野県岡谷市出身の作庭家。 東京農業大学卒業後、日本庭園を学ぶとともに、東京・京都にて作庭家としての修行を積む。1973年帰郷、有限会社「小口庭園」を立ち上げ、1974年頃から日本庭園を中心とした作庭活動に入る。1976年から1993年にかけて、長野の庭園に関する調査結果を『信州の庭園』10巻にまとめて自費出版した。この功績により、第2回日本庭園協会賞を受賞した。
戸谷 成雄(とや しげお、1947年12月24日 - 202… 戸谷 成雄(とや しげお、1947年12月24日 - 2026年4月15日)は、日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授。 長野県上水内郡小川村生まれ。埼玉県在住。1975年、愛知県立芸術大学大学院彫刻専攻修了。1974年に初個展を開催し、1984年から「森」シリーズ、1994年から「《境界》から」シリーズ、2000年頃から「ミニマルバロック」シリーズなどを発表する。2000年、光州ビエンナーレでアジア賞を受賞。2009年、紫綬褒章受章。 主に、チェーンソーで木材を削ることで成形する彫刻作品を手がけてきた。戸谷の作品は、ポストミニマリズム、もの派以降解体された「彫刻」の再構築と新たな可能性を探るものであり、彫刻の定義や構造を骨組みとして提示しつつ、作家によって提示された概念である「表面」「境界」「関係」「影」「存在」といった問題に切り込んでいる。
増澤 敏行(ますざわ としゆき、1947年11月17日 - … 増澤 敏行(ますざわ としゆき、1947年11月17日 - 2005年6月2日)は、日本の環境学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1971年、京都大学理学部卒業。1974年、名古屋大学大学院理学研究科修士課程地球科学専攻修了。同年7月、同大学大学院理学研究科博士課程大気水圏科学専攻中退、同大学水圏科学研究所附属微量分析室助手。1978年、同大学水圏科学研究所助手。1984年、名古屋大学理学博士。1992年、ケンブリッジ大学地球科学科文部省在外研究員。1993年、名古屋大学大気水圏科学研究所共同研究観測プロジェクトセンター助手、同年11月、同助教授。2001年、名古屋大学大学院地球環境科学専攻教授。
米田 建三(よねだ けんぞう、1947年10月5日 - )は… 米田 建三(よねだ けんぞう、1947年10月5日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。元帝京平成大学教授。現在、日本航空学園理事・教育顧問。日本青年社議員同志連盟指南役。
花岡 清二(はなおか せいじ 1947年9月28日 - )は… 花岡 清二(はなおか せいじ 1947年9月28日 - )は元セイコーエプソン社長。長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校、東北大学工学部卒。前セイコーエプソン会長、元中部経済連合会副会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮坂 信之(みやさか のぶゆき、1947年〈昭和22年〉9月… 宮坂 信之(みやさか のぶゆき、1947年〈昭和22年〉9月18日 - )は、日本の医学者。東京医科歯科大学名誉教授、同大学医学部附属病院元病院長。専門は膠原病内科学、臨床免疫学。大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授である宮坂昌之は双子の兄に当たる。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校へ進学し、中学時代から始めた剣道ではインターハイ出場を果たした。1973年(昭和53年)東京医科歯科大学医学部卒業後、同大学第一内科へ入局する。 1979年(昭和54年) カリフォルニア大学医学部へ留学し、1981年(昭和56年) には転じてテキサス大学医学部に留学する。帰国後には、1986年(昭和61年)東京女子医科大学リウマチ痛風センター助教授から、1989年(平成元年)には東京医科歯科大学難治疾患研究所教授となり、1995年(平成7年)に東京医科歯科大学第一内科教授となる。
宮坂 昌之(みやさか まさゆき、1947年〈昭和22年〉9月… 宮坂 昌之(みやさか まさゆき、1947年〈昭和22年〉9月18日 - )は、日本の医学者。大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授。専門は免疫学、実験病理学。東京医科歯科大学名誉教授である宮坂信之は双子の弟に当たる。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校へ進学し、中学時代から始めた剣道ではインターハイ出場を果たした。のちに京都大学へ進学し、1973年(昭和48年)に医学部を卒業した後は、田附興風会北野病院内科へ勤務した。翌年1974年には9月に開院されたばかりの金沢医科大学血液免疫内科にて助手として入局した。1977年(昭和52年) にはオーストラリア国立大学ジョン・カーティン医学研究所へ留学し、1981年(昭和56年)には免疫学博士課程修了し、Ph.D.(免疫学)を取得する。
坂口 光治(さかぐち こうじ、1947年(昭和22年)8月2… 坂口 光治(さかぐち こうじ、1947年(昭和22年)8月29日 - )は、日本の政治家。元東京都西東京市長(2期)、元東京都議会議員(5期)。 長野県上田市出身。誕生地は小県郡泉田村。(泉田村小泉地区は後に川西村となり、その後上田市に編入)。農家の六人兄弟の末っ子、五男として稼業の米作り、酪農、養蚕等を手伝い18歳まで上田市で育つ。長野県上田千曲高等学校電気科卒業。高校時代は陸上部に所属。卒業後、布団袋一つを持ち進学の為、東京へ上京。 東京都武蔵野市の新聞専売所に勤め、午前3時半起きの新聞奨学生をしながら電子学園日本電子専門学校電子工学部を卒業(優秀表彰)。 卒業後は母校の助手を2年務め、同校の情報学部教員となり、コンピューターのプログラミング、システムデザイン及び経営事務管理論等を教える。
工藤 千博(くどう ちひろ、男性、1947年8月6日 - 2… 工藤 千博(くどう ちひろ、男性、1947年8月6日 - 2009年10月9日)は、日本のヴァイオリニストである。妻は同じくヴァイオリニストの小栗まち絵である。長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。 1963年、桐朋女子高等学校音楽科(音楽科は男女共学)に入学し、鈴木共子に師事する。1965年、高校3年生の時、第19回全日本学生音楽コンクール東京大会高校の部で第1位を受賞した。1966年、桐朋学園大学に入学、1970年、文化放送音楽賞を受賞。 1971年、桐朋学園大学を中退し、インディアナ大学に留学、ジョーゼフ・ギンゴールド、フランコ・グッリに師事した。1973年、ローザンヌ・エンロー賞を受賞。
井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日 -… 井崎 脩五郎(いさき しゅうごろう、1947年7月23日 - )は、日本の競馬評論家・コメンテーター。 東京都荒川区出身(長野県生まれ)。本名は「布目 健二」(ぬのめ けんじ)。 父は浪曲奇術師の布目貫一。 息子は芸能人キャスティング会社「クロスアイ」代表取締役の布目靖太郎。フジテレビ「めざましテレビ」にてディレクターを務めた後に、法人向けキャスティング部門の責任者を経て独立した。 葛飾野高校卒業後は明治大学商学部に進学するが、在学中に人に勧められて初めて買った馬券が的中したのがきっかけで競馬にのめり込み、学費を全額ぶち込んだという伝説まである。フジテレビの競馬中継のADのアルバイトをしていた時に、タニノムーティエの勝った日本ダービーを中継車で見ていて感動し、専門紙記者を志す。
柳澤 久(やなぎさわ ひさし、1947年7月23日 - )は… 柳澤 久(やなぎさわ ひさし、1947年7月23日 - )は、日本の柔道家。長野県篠ノ井町(現・長野市篠ノ井)生まれ。 永年に渡り女子柔道の指導者として活躍し、実力も知名度も無かった日本の女子柔道界の道を1980年代以降に切り拓いたパイオニアとして知られている。三井住友海上火災保険女子柔道部を立ち上げ、監督としてアトランタオリンピックで恵本裕子を女子柔道初の金メダリストにした功績は大きい。 段位は講道館8段で、同評議員も務めている。 長野県屋代高校時代に本格的に柔道を始めて、3年生の時に軽量級の県王者となった。上京して東京教育大学体育学部武道学科に進学し、得意技の背負投を武器に同大では3年生から団体戦のレギュラーにもなって全日本学生優勝大会等の主要大会に出場したほか、個人戦では3年生で東京学生選手権70kg級で3位、主将となった4年次には準優勝を果たしている。
北原 巌男(きたはら いわお、1947年〈昭和22年〉7月2… 北原 巌男(きたはら いわお、1947年〈昭和22年〉7月20日 - )は、日本の防衛官僚、外交官。防衛施設庁長官等を経て、2008年(平成20年)7月29日から東ティモール駐箚特命全権大使。 長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市高遠町)荊口出身。長野県上田高等学校を経て、1972年(昭和47年)中央大学法学部を卒業し、防衛庁(現在の防衛省)に入庁する。
土屋 裕弘(つちや みちひろ、1947年7月12日 - )は… 土屋 裕弘(つちや みちひろ、1947年7月12日 - )は、日本の実業家。三菱ケミカルホールディングス取締役、田辺三菱製薬(現・田辺ファーマ)代表取締役社長及び取締役会長、相談役、住友電気工業取締役、関西医薬品協会会長、道修町まちづくり協議会会長を務めた。現在はラクオリア創薬の取締役となっている。
中山 史郎(なかやま しろう、1947年7月9日 - 201… 中山 史郎(なかやま しろう、1947年7月9日 - 2018年9月8日)は、日本のテレビドラマの監督・演出家である。株式会社ザ・ワークス取締役副社長、株式会社The icon取締役。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1972年早稲田大学第一文学部卒業後、日本テレビに入社。入社後は「たんぽぽ」の演出補(AD)を務める。1980年「池中玄太80キロ」で演出デビュー。 1984年、日本テレビを退社。その後フリーとなり、ザ・ワークスに入社した。
武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、… 武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、男性、1947年6月16日 - )は、日本の漫画原作者。血液型はO型。別ペンネームは史村 翔(ふみむら しょう)。 代表作に『ドーベルマン刑事』、『北斗の拳』、『サンクチュアリ』、『HEAT-灼熱-』など多数。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)出身。 貧しい農家の末っ子で、佐久市立野沢中学校を卒業後、家庭の事情などもあり高校へは進学しなかった。 15歳の時に自衛隊生徒として熊谷基地の航空自衛隊に入隊。自衛隊時代は三等空曹として福岡県と佐賀県の境にある航空自衛隊背振山レーダー基地に勤務。よど号事件発生時にもレーダーの運用を行っていた。 7年間在職した自衛隊を除隊後、コンピュータの専門学校に通ったが、1971年の暮れ頃、自衛隊生徒時代の同期であった本宮ひろ志の仕事場にアシスタントとして転がり込む。
白井 光子(しらい みつこ、1947年(昭和22年)5月28… 白井 光子(しらい みつこ、1947年(昭和22年)5月28日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノ、ソプラノ、アルト)、音楽教育者。主にドイツ歌曲の歌唱で国際的に高い評価を得ている。ソプラノとメゾの両方の声域を持ち、アレッサンドロ・スカルラッティ、J.S.バッハ、モーツァルト、ルイ・シュポーア、シューベルト、シューマン、ヴォルフ、ブラームス、マーラー、ベルク、シェーンベルク、ヴェーベルンなどドイツ・オーストリアを中心に音楽史全般にわたる幅広いレパートリーを持つ。レコーディングも非常に数多い。 長野県南佐久郡臼田町(現:佐久市)生まれ。1972年(昭和47年)武蔵野音楽大学卒業後、3か月でドイツ語を学び、同年に奨学金でシュトゥットガルト音楽大学に留学。