小林 秀資(こばやし ひですけ、1940年3月7日 - 20… 小林 秀資(こばやし ひですけ、1940年3月7日 - 2020年1月9日)は、元厚生省の官僚。元財団法人長寿科学振興財団理事長。名古屋大学医学部卒業。愛知県名古屋市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
愛知県:82人
小林 秀資(こばやし ひですけ、1940年3月7日 - 20… 小林 秀資(こばやし ひですけ、1940年3月7日 - 2020年1月9日)は、元厚生省の官僚。元財団法人長寿科学振興財団理事長。名古屋大学医学部卒業。愛知県名古屋市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
加藤 紘一(かとう こういち、1939年(昭和14年)6月1… 加藤 紘一(かとう こういち、1939年(昭和14年)6月17日 ‐ 2016年(平成28年)9月9日)は、日本の外務官僚、政治家。「宏池会のプリンス」[注釈 1]と呼ばれ、山崎拓・小泉純一郎と結成したYKKの代表格。衆議院議員(13期)、防衛庁長官、内閣官房長官、自由民主党政務調査会長、幹事長、宏池会会長を歴任。「総理に一番近い男」とも呼ばれたが、加藤の乱や秘書の脱税疑惑で失脚した。正三位、旭日大綬章受勲。
伊藤博行(いとう ひろゆき、1938年1月25日 - )は日… 伊藤博行(いとう ひろゆき、1938年1月25日 - )は日本の大蔵官僚。関税局長、内閣官房内閣内政審議室長などを歴任。現在は公益財団法人日本住宅総合センター評議員。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1960年 大蔵省に入省する(主税局調査課)。主に主計局と主税局で勤務経験を積む。1981年7月に主税局調査課長となって以降は、主税畑一筋となる。1988年6月 国税庁次長。1989年6月 日本銀行政策委員会大蔵省代表委員。1990年7月 関税局長。1991年6月14日より内閣官房内閣内政審議室長。1993年6月16日に退官。1994年7月1日 住宅金融公庫副総裁(2001年1月31日まで)。
近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、… 近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、日本の政治家、外務官僚。元衆議院議員(4期)。 愛知県豊川市出身。1957年、外交官領事官採用試験合格。1958年、東京外国語大学スペイン語科卒業。同年、外務省に入省。アルゼンチン、オランダ、韓国の日本大使館に勤務する。1978年に退官。 1979年の第35回総選挙に旧愛知5区から無所属(公明党・民社党・新自由クラブ・社民連推薦)で立候補して初当選。民社党との統一会派「国民連合」に加入した。以後、1980年の総選挙も、1983年の総選挙も無所属で立候補し当選を果たした。後に会派離脱した。 1986年6月の第38回総選挙では自民党公認で立候補し、落選。
緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日… 緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日 - )は、日本の元検察官、元法務官僚、元弁護士。元公安調査庁長官。東京都目黒区のハーベスト投資顧問株式会社代表取締役。 父は検察官・弁護士の緒方浩、兄は化学者で上智大学副学長・千歳科学技術大学学長の緒方直哉。 父・浩が当時、岡崎検事局に勤務していたため愛知県岡崎市で生まれた。父はその後、名古屋、金沢、東京と転勤し、昭和14年(1939年)、満洲国最高検察庁検事として満州に赴任することになった。昭和14年(1939年)11月初旬、一家5人が満州国へと到着した。緒方と兄は、父に命じられていたこともあり、幼い頃から剣道を習っていた。 終戦後約1ヵ月をかけて母、兄、姉そして緒方の家族4人は無事に日本まで引き揚げてきた。
河合 修治(かわい しゅうじ、1934年(昭和9年) - )… 河合 修治(かわい しゅうじ、1934年(昭和9年) - )は、元官僚、犯罪研究者、翻訳家。 愛知県豊橋市生まれ。1956年(昭和31年)東京大学法学部卒。自治省に勤め、行政局など。欧米犯罪事件の翻訳、紹介を多く行っている。
加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本… 加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本の労働官僚。元労働事務次官。 愛知県出身。愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て、1950年に東京大学法学部に入学。1954年に卒業。卒業後に労働省に入省。1972年に職業安定局職業安定業務指導課長、1974年に新潟県商工労働部長、1977年に大臣官房会計課長、1979年に職業安定局失業対策部長、1982年に高齢者対応部長を経て、同年大臣官房長、1983年に職業安定局長、1986年に労働事務次官。 40年ぶりに労働基準法改正案が国会で成立した後の1989年9月に労働事務次官を退任。その後は同省顧問を経て、日本障害者雇用促進協会と全国民営職業紹介事業協会の会長を務めた。
仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月… 仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月27日 - 1988年(昭和63年)11月18日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(2期)。 愛知県渥美郡神戸村(現・田原市)で農業を営んでいた父親の仲谷清一は第一次世界大戦の好況にあおられ、田畑を売り、機屋(はたや)を始めた。ところがつぶれてしまい、夜逃げ同然で一家は名古屋市に出た。1925年10月27日、仲谷は名古屋市西区桜木町3丁目で出生した。父親は織機会社のあとミシン会社に勤め、やがて仲谷ミシン商会として独立した。 名古屋市立新道尋常小学校、愛知県立明倫中学校卒業。1945年3月、第四高等学校文科甲類卒業。同年4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学。
村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2… 村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2月12日 - 2003年〈平成15年〉4月2日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、通商産業大臣(第44代)、自治大臣(第43代)、国家公安委員会委員長(第53代)などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。旧制第三高等学校に進み、1949年(昭和24年)、京都帝国大学法学部卒業。同年、自治省に入省。愛知県建設部長などを務めた。 1969年(昭和44年)4月、地元政財界から衆院選出馬を促され、県庁を辞職。同年12月の第32回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から立候補し初当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
安達 健二(あだち けんじ、1918年12月22日 - 19… 安達 健二(あだち けんじ、1918年12月22日 - 1988年3月12日)は、日本の文部官僚。愛知県春日井市生まれ。 愛知一中、第八高校、東京帝国大学法学部卒業。1945年、文部省に入省。配属先は専門教育局。無形文化課長、教科書課長、中等教育課長、人事課長、1967年文化局長を経て、1968年 文化庁発足に伴い次長、1972年から1975年まで長官、1976年から東京国立近代美術館館長。86年5月退任。1976年大英勲章、1977年フランス芸術文化勲章受勲。
三治 重信(さんじ しげのぶ、1917年(大正6年)2月1日… 三治 重信(さんじ しげのぶ、1917年(大正6年)2月1日 - 1994年(平成6年)5月13日)は、日本の労働官僚、政治家。労働事務次官。参議院議員(民社党)。 横浜銀行取締役会長小川是は女婿。 愛知県西尾市出身。信太郎の五男。1939年(昭和14年)高等試験行政科合格。1940年(昭和15年)京都帝国大学農学部農林経済学科卒、内務省に入省。茨城県警部。 戦後労働省に移り、職業安定局長、労政局長、事務次官を歴任して退官。1972年(昭和47年)衆院選に立候補するが落選、1974年(昭和49年)の参院選で当選を果たす。(平成元年)党副委員長に就任。1992年(平成4年)引退。 趣味はゴルフ、テニス、読書。
山田 明吉(やまだ あきよし、1915年2月21日 - 19… 山田 明吉(やまだ あきよし、1915年2月21日 - 1994年11月25日)は、日本の鉄道官僚。帝都高速度交通営団総裁を務めた。愛知県安城市出身。 1937年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に鉄道省に入省した。監督局事務官、東京鉄道局旅客課長を経て、1949年から1953年までに内閣官房総務課長を務めた。国鉄常務理事、関西支社長を経て、1964年に帝都高速度交通営団理事に就任し、1969年から1973年までに国鉄副総裁を務めた。 1975年に帝都高速度交通営団副総裁に就任し、1978年には総裁に昇格し、1983年からは顧問を務めた。 1987年に勲一等瑞宝章を受章した。 1994年11月25日心不全のために死去。
伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日… 伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日 - 1974年(昭和49年)9月26日)は、日本の政治家、内務官僚。1947年4月6日から1971年4月30日まで、24年の長きに渡って一宮市長を務めた(第5代-第10代)。一宮市名誉市民。 愛知県愛知郡鳴海町(現・名古屋市緑区)に生まれた。愛知県立一宮中学校(現・愛知県立一宮高等学校)卒業。1930年(昭和15年)3月、旧制第八高等学校卒業。1932年(昭和7年)10月、高等試験行政科試験に合格。1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部法律学科を卒業すると同時に内務省に入省し、地方事務官・厚生事務官・内務事務官を経験。陸軍司政官としてスマトラ島に渡り、ランボン州やパレンバンで産業部長を務め、現地で太平洋戦争終戦を迎えた。
木村 三郎(きむら さぶろう、1907年(明治40年)3月2… 木村 三郎(きむら さぶろう、1907年(明治40年)3月27日 - 1996年(平成8年)6月21日)は、日本の内務官僚、造園家。 官庁技師として造園と都市計画行政の実務に携わる一方で東京大学農学部旧農学科のほか、千葉大学園芸学部、東京農業大学旧農学部造園学科で講師を務めている。国土開発調査会常任幹事、財団法人国土計画協会理事長を歴任。晩年は日本庭園研究に関する著述を多く残す。
浅岡 齋(あさおか ひとし、1906年10月17日 - 19… 浅岡 齋(あさおか ひとし、1906年10月17日 - 1983年3月22日)は、日本の官吏、政治家、実業家。岡崎市役所職員として戦災復興と都市計画事業に大きく貢献。また、岡崎市助役として3期12年にわたって竹内京治・太田光二市政を支えた。愛知県議会議員を1期務めた。 愛知県額田郡広幡町大字伊賀(現・岡崎市伊賀町)に生まれる。両親は岡崎町大字松本(現・岡崎市松本町)で置屋「浅岡」を営んでいた。上京し東京実業学校に学んだが2年で中退。19歳の時に豊橋市の騎兵連隊に入隊。1929年(昭和4年)、母親を心臓病で亡くす。意気阻喪した浅岡は除隊し、樺太の造林会社に活路を見出した。森林から伐採した木材を積んだイカダに一旦乗った以上、イカダをつなぐ一本の綱が切れたら一巻の終わりという過酷な仕事に「どこをどうしても貫き通すつもりで」打ち込んだものの、会社の事業不振から2年足らずで内地に引き揚げることとなる。
今井 久(いまい ひさし、1902年(明治35年)7月24日… 今井 久(いまい ひさし、1902年(明治35年)7月24日 - 1980年(昭和55年)7月25日)は、日本の内務・警察・防衛官僚。官選茨城県知事、防衛事務次官。 東京府出身。専売局官吏・今井譲の二男として生まれる。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)、第八高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年4月、内務省に入省し岡山県属となり内務部社会課兼地方課勤務となる。同年12月、休職して入営し、1926年11月、陸軍二等計手となり復職。 1927年3月、地方警視・宮崎県警察部警務課長兼保安課長に就任。以後、神奈川県警察部警務課長、石川県工場監督官、大阪府警察部警務課長、警視庁警視・警務部警務課長、佐賀県書記官・警察部長を歴任。
磯部 巌(いそべ いわお、1901年(明治34年)7月21日… 磯部 巌(いそべ いわお、1901年(明治34年)7月21日 - 1998年(平成10年)9月8日)は、日本の内務官僚。日本中央競馬会保健組合顧問。(株)山一土建相談役。弁護士磯部醇の長男。 愛知県名古屋市出身。1924年(大正13年)高等試験行政科試験合格。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業。内務省に入り警保局図書課勤務を経て1927年(昭和2年)島根県警防課長となり、山梨・滋賀・長崎各県事務官、行政裁判所評定官、大分県学務部長、厚生省社会保険局庶務課長、茨城・兵庫・福井・福島各県内政部長、秋田県知事を歴任。 1949年(昭和24年)、参議院労働委員会専門員に任ぜられる。
相馬 敏夫(そうま としお、1898年(明治31年)7月6日… 相馬 敏夫(そうま としお、1898年(明治31年)7月6日 - 1980年(昭和55年)2月24日)は、日本の大蔵官僚、実業家。官選栃木県知事、明治製糖社長。旧姓・上平。 長野県下伊那郡飯田町(現・飯田市)出身。上平猶一の三男として生まれる。旧制長野県飯田中学校(現・長野県飯田高等学校)から旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)へ転校し、旧制第八高等学校を経て東京帝国大学法学部に進学。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝大法学部法律学科(独法)を卒業。大蔵省に入省し理財局属となる。1923年、相馬半治の養子となる。 以後、大蔵省銀行局勤務、英仏駐在・財務書記、横須賀税務署長、永代橋税務署長、東京地方専売局事業課長、専売局販売部販売課長、大蔵書記官・上海財務官事務所勤務、専売局参事官・長官官房総務課長、大蔵書記官・河内総領事、専売局煙草事業部長、大蔵省監理局長、東京都参事官などを歴任。
鈴木 秀夫(すずき ひでお、1898年(明治31年)7月4日… 鈴木 秀夫(すずき ひでお、1898年(明治31年)7月4日 - 1986年(昭和61年)9月17日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。弁護士。 愛知県蒲郡市出身(北海道生まれ)。鈴木又治郎の長男。1912年(明治44)4月愛知県立第四中学校(現愛知県立時習館高等学校)入学。1913年(大正2年)鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)へ転校し、1917年(大正6年)3月卒業。1917年(大正6年)9月第一高等学校入学、1920年(大正9年)6月卒業。1920年(大正9年)9月東京帝国大学法学部英法科に入学し、在学中の1922年(大正11年)11月高等試験行政科に合格。1923年(大正12年)3月に東京帝国大学法学部を卒業し、4月5日に台湾総督府属に任ぜられ財務局勤務となる。
石田 千太郎(いしだ せんたろう、1894年(明治27年)8… 石田 千太郎(いしだ せんたろう、1894年(明治27年)8月5日 - 没年不詳)は、日本の逓信官僚、政治家。朝鮮総督府逓信局長、愛知県議会議員(5期)、朝鮮石炭株式会社社長などを歴任した。 愛知県丹羽郡犬山町(現在の犬山市)出身。1914年(大正3年)、逓信官吏練習所を卒業し、通信書記補、逓信属を務めた。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科に合格し、翌年に朝鮮総督府属となった。同理事官、平安北道地方課長、同秘書課長、林野調査委員会事務官、江原道警察部長、平安南道警察部長、慶尚南道警察部長、殖産局鉱山課長を歴任。1938年(昭和13年)、平安南道知事に就任し、さらに厚生局長を経て、1942年(昭和17年)に逓信局長となった。
伊東 延吉(いとう えんきち、1891年(明治24年)5月1… 伊東 延吉(いとう えんきち、1891年(明治24年)5月1日 – 1944年(昭和19年)2月7日)は、日本の文部官僚。
川村 貞四郎(かわむら ていしろう、1890年(明治23年)… 川村 貞四郎(かわむら ていしろう、1890年(明治23年)7月23日 - 1987年(昭和62年)6月18日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選山形県知事、東洋インキ製造 (株) 社長。旧姓・古橋。 愛知県北設楽郡出身。大地主・古橋源六郎の三男として生まれ、川村秀豊の養子となる。愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)、日本中学校を経て、第一高等学校を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年(大正4年)5月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年6月、内務省に入省し警視庁警部兼内務属となる。 1917年(大正6年)9月、本所太平警察署長に就任。以後、防疫官兼内務書記官・衛生局勤務、内務事務官・警保局保安課勤務、欧米出張(1924年1月)、警視庁書記官・衛生部長、山形県書記官・内務部長、青森県書記官・内務部長などを歴任。
金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年〈明治19年〉… 金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年〈明治19年〉3月17日 - 1959年〈昭和34年〉6月16日)は、日本の大蔵・法制官僚、政治家、憲法学者。岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の憲法担当国務大臣。初代国立国会図書館長も務めた。 愛知県名古屋市生まれ。愛知一中、旧制一高を経て、1912年(明治45年)東京帝国大学法科大学を卒業。文官高等試験行政科試験に合格し大蔵省に入省、税務監督局属兼大蔵属。 1914年(大正3年)法制局に移り、法制局参事官、第一部長を歴任。この間、大学で法学、憲法学を講じ、『帝国憲法要説』等を著わした。1934年(昭和9年)岡田啓介内閣の法制局長官に就任するが、在任中に法制局長官就任以前の著作『帝国憲法要説』が天皇機関説的であるという理由で右翼勢力から攻撃を受け、1936年(昭和11年)辞任に追い込まれた。
安達 房治郎(あだち ふさじろう、1884年〈明治17年〉8… 安達 房治郎(あだち ふさじろう、1884年〈明治17年〉8月19日 - 1968年〈昭和43年〉8月10日)は、日本の逓信官僚、朝鮮総督府官僚。実業家。 愛知県名古屋市出身。安達知道の二男。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。逓信属、逓信管理局事務官、逓信書記官、高等海員審判所理事官などを歴任。1920年(大正9年)、国際労働機関事務局職員となる。1923年(大正12年)に帰国後は、帝都復興院物資供給課長を務めた後、朝鮮総督府土地改良部長に転じ、さらに咸鏡北道知事に就いた。 1930年(昭和5年)に退官した後は、台湾電力株式会社副社長、台湾電化株式会社取締役、日本アルミニウム株式会社監査役、朝鮮蛍石株式会社社長、日本鉱業株式会社取締役、帝国石油資源開発株式会社取締役、朝鮮日産化学株式会社社長などを務めた。
西脇 晋(にしわき しん、1882年(明治15年)1月2日 … 西脇 晋(にしわき しん、1882年(明治15年)1月2日 - 1933年(昭和8年)12月19日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、衆議院議員(立憲民政党)。 名古屋市出身。高岡応次の三男として生まれ、1905年(明治38年)に西脇長太郎の婿養子となった。1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、大蔵省に入った。大蔵省では税務監督官などを務め、1916年(大正5年)に退官した。退官後は弁護士・弁理士として活動した。 1926年(大正15年)、衆議院補欠選挙に当選。以後、当選回数は4回を数えた。その間、齋藤内閣では外務参与官を務めた。その他、法政大学講師、帝国製鉄・蔵内商事・満蒙土地建物・横浜倉庫監査役、大阪造船所取締役などを兼ねた。
稲田 三之助(いなだ さんのすけ、1876年(明治9年)5月… 稲田 三之助(いなだ さんのすけ、1876年(明治9年)5月2日 - 1952年(昭和27年)2月18日)は、日本の逓信官僚。早稲田大学教授。錦鶏間祗候。勲三等瑞宝章受章。 愛知県名古屋市出身。1900年(明治33年)、東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。通信技手、逓信技師、新潟郵便局工務課長、通信局工務課長などを経て、1925年(大正14年)に逓信省工務局長に就任した。 退官後、1932年(昭和7年)9月27日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた。その他、早稲田大学理工学部教授を務めた。
阿部 泰蔵(あべ たいぞう、嘉永2年4月27日(1849年5… 阿部 泰蔵(あべ たいぞう、嘉永2年4月27日(1849年5月19日) - 大正13年(1924年)10月22日)は、幕末 - 明治期の武士、実業家、官僚。日本初の生命保険会社明治生命保険(現明治安田生命保険)の創立者(初代頭取、初代会長)として知られる。従五位勲四等旭日小綬章。 三河国吉田藩(維新後豊橋藩)の藩医豊田鉉剛の三男として八名郡下吉田村(現・愛知県新城市)に生まれ、1860年(万延元年)同藩の医師・阿部三圭の養子となる。儒学者を目指し漢詩を小野湖山に、橋本一斎に蘭学を学んだ後藩命を受けて江戸に上り、開成所教授・杉田玄瑞、穂積清軒、中島三郎助に蘭学を学んだ。1868年(慶応4年)に鉄砲洲の慶應義塾に入学するが、戊辰戦争に際して藩命により帰藩し、各地に転戦。
稲生 眞履(いのう まふみ/しんり、天保14年9月29日(1… 稲生 眞履(いのう まふみ/しんり、天保14年9月29日(1843年10月22日) - 大正14年(1925年)2月1日)は、明治・大正時代の宮内省官僚。通称は潜蔵。 三河国挙母城下の久保町(現・愛知県豊田市久保町)出身。挙母藩の儒者・竹村方斎に師事し、江戸に出てからは加藤張卿に学んだ。 維新後、奈良県庁に就職するが、すぐに宮内省に移り、奈良帝室博物館(現・奈良国立博物館)の学芸員となる。1900年(明治33年)、勲七等瑞宝章を受章。また、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の学芸委員に移り、特に刀剣や書画を始めとする古美術に精通した。 森永製菓を創立した一人である稲生平八は甥であり、三女季子は秋山真之の妻。
田部 真史(たなべ まさし)は日本の財務官僚。 愛知県立旭丘… 田部 真史(たなべ まさし)は日本の財務官僚。 愛知県立旭丘高等学校、東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。1996年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1998年6月から北京大学、ハーバード大学へ留学。2001年7月 金融庁監督局総務課企画調整係長。2002年7月 金融庁監督局総務課長補佐。不良債権問題を担当。その後は財務省主計局主計官補佐(総務、地方財政係主査)などを歴任し、2019年7月13日 国際局開発機関課開発企画官兼国際局地域協力課兼国際局国際機構課。2020年7月22日 国際局開発機関課長。2022年7月1日 金融庁監督局銀行第二課長。
腰山 謙介(こしやま けんすけ)は、日本の官僚。会計検査院事… 腰山 謙介(こしやま けんすけ)は、日本の官僚。会計検査院事務総長。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立惟信高等学校入学後に犬山市に移り、1984年南山大学法学部法律学科卒業。南山大学軟式庭球部出身。大学卒業後、会計検査院入庁。農林水産検査や防衛検査、国土交通検査などを担当し、国際協力機構出向等を経験。
本多 則惠(ほんだ のりえ)は、日本の厚生労働官僚。東京大学… 本多 則惠(ほんだ のりえ)は、日本の厚生労働官僚。東京大学社会科学研究所客員准教授、厚生労働省大臣官房審議官、国際労働交渉官などを歴任した。アンビスホールディングス取締役。 愛知県豊田市出身。愛知県立豊田西高等学校を経て、1987年に一橋大学社会学部卒業後、地方公務員志望で、第一志望ではなかったが、内定が出た労働省に入省。在学中は商学部の経営労務管理のゼミや法学部の労働法の講義、経済学部の労働経済学の講義で学んだ。 1991年から93年までパリ第1大学に留学(人事院長期在外研修)。1996年長崎県労働部職業安定課長。1999年労働省労政局勤労者福祉部企画課長補佐。 2度の育児休業後、残業などが困難になり、2002年から日本労働研究機構に出向。
高橋 太朗(たかはし たろう)は日本の財務官僚。 愛知県出身… 高橋 太朗(たかはし たろう)は日本の財務官僚。 愛知県出身。東海高等学校、名古屋大学経済学部卒業。2001年 財務省入省(理財局総務課)。2006年6月から北京大学へ留学。2009年7月 大臣官房総合政策課長補佐(企画)。成長戦略の策定に携わる。2012年 主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)。同年 新潟県総務管理部地域政策課長。2014年 新潟県総務管理部財政課長。2016年 主計局主計官補佐(厚生労働第六、七係主査)兼主計局司計課予算執行調査官。2017年7月10日 理財局財政投融資総括課長補佐(総括・企画・財務分析)兼理財局財政投融資総括課企画調整室長。財政投融資計画全体の進捗管理・内容調整を行った。