水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 -… 水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、エッセイスト、モデラー(鉄道模型他)。三重県四日市市出身。漫画集団同人、日本ペンクラブ会員。NPO日本鉄道模型の会理事。
三重県:1,297人
水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 -… 水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、エッセイスト、モデラー(鉄道模型他)。三重県四日市市出身。漫画集団同人、日本ペンクラブ会員。NPO日本鉄道模型の会理事。
今野 由梨(こんの ゆり、1936年〈昭和11年〉6月2日-… 今野 由梨(こんの ゆり、1936年〈昭和11年〉6月2日-)は、日本の実業家。ダイヤル・サービス株式会社創業者、代表取締役。公益財団法人日本ニュービジネス協議会連合会顧問、東京商工会議所特別顧問、一般社団法人日本介護事業連合会副会長(理事)、一般財団法人全国SNSカウンセリング協議会常務理事。 三重県桑名市生まれ。津田塾大学英文科卒業。 就職面接で「定年まで働いて社長を目指します!」とアピールしたことが災いして就職失敗。 1964年、今野はニューヨーク万博の日本館コンパニオン/広報担当者として渡米した。この年は日本人の海外渡航が自由化された年。円ドル交換レートは1ドル360円。日本からの往復航空運賃だけでも40万円以上、現在に置き換えると400万円に匹敵する時代だった。
島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、… 島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。 四日市高校では3年次の1954年に夏の甲子園県予選を勝ち抜くが、三岐大会で森昌彦捕手を擁する岐阜高校に敗退、甲子園出場を逸する。高校同期にエースの巽一がいるほか、1年下の高橋正勝(巨人に入団)は、翌年夏の甲子園で主戦投手として初優勝している。 卒業後の1955年に近鉄パールスに入団し、1年目の同年から一軍出場。内野の準レギュラーが長かったが、1962年に一塁手の定位置を獲得し、規定打席(打率.278、18位)に到達。その後も内野全般をこなすユーティリティプレイヤーとして活躍し、通算1029試合に出場した。
巽 一(たつみ はじむ、1936年4月8日 - )は、三重県… 巽 一(たつみ はじむ、1936年4月8日 - )は、三重県多気郡宮川村(現・大台町)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 四日市高校では1954年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岡崎高の河井学(のち毎日オリオンズ)と投げ合うが惜敗。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜くが、三岐大会準決勝で森昌彦のいた岐阜高に敗退し、甲子園には届かなかった。高校同期に島田光二がいた。四日市高校は翌1955年に左腕エース高橋正勝を擁し、夏の甲子園で優勝している。 卒業後は慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、1956年秋季リーグで衆樹資宏・中田昌宏らの強力打線に援護され、エースの林薫との二本柱で優勝を果たす。
角谷 正彦(かどたに まさひこ、1936年2月14日 - 2… 角谷 正彦(かどたに まさひこ、1936年2月14日 - 2019年9月22日)は、日本の官僚。元国税庁長官。三重県四日市市出身。 父親が東北大学教授となったことにより宮城県に転勤し、東北大学附属小学校、東北大学附属中学校卒業。その後、父親が三重大学教授になったことで、故郷の三重県に戻り、三重県立亀山高等学校卒業後、東京大学入学。在学中は宮澤俊義の憲法ゼミに所属。成績が大学でトップだったため、宮澤からは「かならずキミに憲法の講座を譲るから、大学に残ってくれ」といわれ、東大教授のイスを約束されていた。大学の同期に福井俊彦など。
三林 清二(みつばやし せいじ、1936年2月9日 - )は… 三林 清二(みつばやし せいじ、1936年2月9日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
小林 正彦 (こばやし まさひこ、1936年1月1日 - 2… 小林 正彦 (こばやし まさひこ、1936年1月1日 - 2016年10月30日)は日本の会社役員で、石原プロモーション元代表取締役専務。ウェブクウ取締役。愛称はコマサ・大番頭。
南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 202… 南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 2022年10月24日)は、日本の実業家。 フジ・メディア・ホールディングス取締役監査等委員及びフジテレビジョン監査役。東京電力で第9代社長を経て顧問、財団法人省エネルギーセンター会長、社団法人企業情報化協会会長などを務めた。 三重県出身。三重県立上野高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業し東京電力入社。取締役を経て1999年に東京電力社長。これまでの東京電力社長職は政界との繋がりが強い総務畑が主流だったが、電力自由化に伴い霞が関に顔が利くという理由から企画畑出身の南が選ばれた。 2002年、原子力発電所の点検記録の改竄事件の責任をとって、社長を辞任。
高畑 勲(たかはた いさお、1935年〈昭和10年〉10月2… 高畑 勲(たかはた いさお、1935年〈昭和10年〉10月29日 - 2018年〈平成30年〉4月5日)は、日本のアニメ監督、映画監督。 畑事務所代表、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。日本大学芸術学部講師、学習院大学大学院人文科学研究科主任研究員、多摩美術大学客員教授などを歴任、紫綬褒章受章。映画プロデューサーや、フランス文学(ジャック・プレヴェール)の翻訳も手がけている。 1959年に東映動画に入社。『太陽の王子 ホルスの大冒険』で長編をはじめて演出した後、1971年からAプロダクションに移る。以後『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』などのテレビアニメを経て、宮崎駿、鈴木敏夫らと設立したスタジオジブリで監督作を手がけた。
東 郷幸(あずま さとゆき、1935年9月8日 - )は、三… 東 郷幸(あずま さとゆき、1935年9月8日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(捕手)。 上野高校から1954年に大阪タイガースへ入団。 一軍試合に出場することなく1955年に退団し、翌年から天王寺鉄道管理局に所属し都市対抗野球大会に出場。 1960年に国鉄スワローズでプロへ復帰し、1963年に引退した。
岡田 邦彦(おかだ くにひこ、1935年7月11日 - )は… 岡田 邦彦(おかだ くにひこ、1935年7月11日 - )は、日本の実業家。初代J.フロント リテイリング代表取締役会長、第6代松坂屋代表取締役社長、第25代名古屋商工会議所会頭。 三重県出身。1954年三重県立四日市高校卒業、1958年名古屋大学経済学部卒業、松坂屋入社。1991年取締役本社開発事業部長に昇格。1997年常務取締役本社総合企画室長兼広報室長兼関連事業部長。1999年代表取締役社長。2001年キタン会会長。 2006年から松坂屋ホールディングス代表取締役会長兼松坂屋代表取締役会長を務め、大丸との経営統合にあたり、2007年に新設されたJ.フロント リテイリングの初代代表取締役会長に就任した。
沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 202… 沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 2022年6月5日)は、日本の俳優。三重県松阪市出身。白木万理は元妻にあたる。 1958年、日本大学芸術学部(映画科・演出/シナリオ)卒業。日活に入社。公式のデビュー作は南田洋子主演で、南田の弟役を演じた『雌花』(1957年、阿部豊監督作品)であるが、その前に同じ南田主演の『素足の娘』でエキストラ出演している。そのエキストラ出演で阿部に認められて『雌花』に起用されたという。 1958年に『十代の恋よさようなら』(小林桂三郎監督作品)にて初主演。以後は『嵐を呼ぶ友情』、『群衆の中の太陽』、『青春蛮歌』、『祈るひと』等、数々の作品に出演し、日活映画の顔となる。
日置 達郎(ひおき たつお、1935年6月20日 - )は、… 日置 達郎(ひおき たつお、1935年6月20日 - )は、札幌かに本家代表取締役会長。三重県一志郡美杉村出身。 中学卒業後、製材所勤務を経て板前に道に入る。四日市、大阪、東京などで修行し、1971年に名古屋かに道楽、1974年に札幌かに本家を創業した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋山 和平(あきやま かずへい、1935年4月3日 - )は… 秋山 和平(あきやま かずへい、1935年4月3日 - )は、NHK放送研修センター日本語センター専門委員、NHKアナウンサー。 三重県立津高等学校、早稲田大学第一文学部国文学科卒業。同大学卒業後の1958年4月に、NHKにアナウンサーとして入局。『暮らしの経済』『話し言葉講座』などを担当。アナウンス室チーフアナウンサー、中央研修所放送研修部教授、アナウンス室次長、1990年5月、編成局アナウンス室長。1992年2月、NHK放送研修センター日本語センターエグゼクティブアナウンサーとなり、1996年8月、日本語センター音声表現研究開発室長。のち日本語センター専門委員となる。日本音声学会会員。 ※ 秋山の入局と同年に日本教育テレビアナウンサーになった押坂忍も、ともにNHKで教育を受けている。
池田 勇諦(いけだ ゆうたい、1934年8月22日- 202… 池田 勇諦(いけだ ゆうたい、1934年8月22日- 2025年6月29日)は、三重県桑名市出身の真宗大谷派の僧侶(西恩寺前住職)。元同朋大学学長、同朋大学名誉教授。真宗大谷派「講師」。真宗大谷派董理院長。法名 一道院釋勇諦。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
伊藤 忠治(いとう ちゅうじ、1934年〈昭和9年〉5月2… 伊藤 忠治(いとう ちゅうじ、1934年〈昭和9年〉5月2日 - 2013年〈平成25年〉5月19日)は、日本の政治家。 衆議院議員(6期)。中央選挙管理会委員長。出身の全電通労組(全国電気通信労働組合)を支持母体としている労組出身の郵政族議員。電電公社民営化後は、NTT労組を中心とする通信系労組である情報労連(情報産業労働組合連合会)を支持母体としていた。 支持者から「忠(ちゅう)さん」の愛称で親しまれていた。 1934年(昭和9年)、三重県津市北丸之内の自営業者(家具製造業)の家庭に生まれた。伊藤家は裕福な実業家だったが、戦後の混乱で父は事業に失敗して、伊藤家は貧困家庭となり働かざるをえなくなる。
酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 20… 酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 2007年8月15日)は三重県桑名市出身のプロ野球選手、新聞記者。現役時代のポジションは捕手。 三重県立桑名高等学校から早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1年下のエース木村保とバッテリーを組む。4年生時の1955年秋季リーグでは、長嶋茂雄(立大)らと共にベストナイン(捕手)にも選ばれた。同年12月にフィリピンで行われたアジア・アマチュア野球選手権日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出され、木村、長嶋、森徹(早大)、佐々木信也(慶大)らとともに全勝優勝に貢献。リーグ通算58試合出場、160打数33安打、打率.206、0本塁打。
矢形 勝洋(やがた かつひろ、1934年 - 2016年1月… 矢形 勝洋(やがた かつひろ、1934年 - 2016年1月4日)は、日本のプロ野球選手(投手)。引退後、フロントに入り、阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブスの球団取締役を務めた。
常松 克安(つねまつ かつやす、1933年8月15日 - )… 常松 克安(つねまつ かつやす、1933年8月15日 - )は、日本の政治家、元公明党参議院議員(1期)。 三重県出身。三重県立松阪北高等学校(現在の三重県立松阪工業高等学校)卒。松阪市議、公明党三重県本部書記長、副本部長、本部長、党中央委員を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に比例区から公明党公認で立候補したが落選した。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区から立候補して当選する。1994年、新進党結党に参加。参議院議員を1期務め、1995年に政界を引退した。 2003年、救急救命士制度の導入に尽力した議員経験者として、NHK総合のドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』から取材を受けた。
前田 耕作(まえだ こうさく、1933年2月1日 - 202… 前田 耕作(まえだ こうさく、1933年2月1日 - 2022年10月11日)は、日本の西南アジア文化研究者。アフガニスタン文化研究所所長・和光大学名誉教授。 1933年、三重県亀山市生まれ。名古屋大学文学部哲学科で学び、美学・美術史学を専攻。1957年、名古屋大学文学部を卒業。1964年、名古屋大学アフガニスタン学術調査団の一員としてバーミヤンを訪れる。以降、アジアやオリエント諸地域においてフィールドワークを行った。 1975年、和光大学教授となる。2003年3月に和光大学を退職し、名誉教授となった。アフガニスタン文化研究所を設立し、主催した。 2022年10月11日、右腎臓がんにより死去。蔵書は「シルクロード文庫」(東京都中野区)として管理されている。
奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日… 奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日 - )は、日本の経営者、トヨタ自動車元社長、同社元会長。 日本経営者団体連盟会長、日本経済団体連合会会長、内閣特別顧問、日本郵政取締役兼指名委員長兼報酬委員長、国際協力銀行総裁、トヨタ財団会長などを歴任した。勲等は旭日大綬章。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校 疎開を機に転校)、松阪北高等学校(現・三重県立松阪工業高等学校)を経て、1955年に一橋大学商学部を卒業。奥田務(元J.フロント リテイリング会長兼CEO)は実弟。 幼少時は、祖父(奥田喜一郎)や父が三重県最大の証券会社・奥田証券を営んでおり裕福だった。
藤波 孝生(ふじなみ たかお、1932年12月3日 - 20… 藤波 孝生(ふじなみ たかお、1932年12月3日 - 2007年10月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。 三重県度会郡神社町(現在は伊勢市)出身。三重県立宇治山田高等学校卒業。早稲田大学商学部時代は雄弁会で活躍。当時の愛称は「神様」。 大学卒業後、家業の和菓子店に従事。伊勢青年会議所を組織し、副理事長に就任。それを選挙母体として1963年三重県議会議員に当選。1期務めた。 浜地文平から後継に指名され、1967年、自由民主党から第31回衆議院議員総選挙に三重県第2区から立候補し初当選し、以後当選11回(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・中尾栄一・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・水野清など)。
服部 武夫(はっとり たけお、1932年11月28日 - )… 服部 武夫(はっとり たけお、1932年11月28日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 四日市高卒業に当たって、南海球団社長・松浦竹松の友人の紹介でテストを受けて合格し、1950年に南海ホークスへ入団。 2年目の1951年に31試合登板し、10勝7敗、防御率2.03を記録して南海の優勝に貢献した。防御率2.03はリーグ1位の成績だったが、この年だけ導入された資格投球回数算定法によって南海ホークスの標準回数が164回と決まっており、投球回数が155回だった服部は規定未満として最優秀防御率のタイトルを逃し、2.08で2位だった同僚の柚木進がタイトル獲得となった。読売ジャイアンツとの日本シリーズにも出場し、第1戦と第2戦はリリーフで登板。
伊藤 四郎(いとう しろう、1932年11月1日 - 201… 伊藤 四郎(いとう しろう、1932年11月1日 - 2011年5月30日)は、三重県四日市市出身で、1950年代に活躍したプロ野球選手(投手)。 四日市商業高校を卒業後、1951年に名古屋ドラゴンズに入団。名古屋(中日)ではわずか2勝と目立った活躍はできなかった。 1955年1月末の春のキャンプ直前に、中西由行とともにトンボユニオンズに移籍。慶應大学の先輩後輩の縁で、トンボ監督・浜崎真二が中日代表・中村三五郎に対して、未完成でもよいのでとにかく身体が大きく球が速い選手を要望し、移籍の運びとなった。移籍通告後すぐさま、伊藤と中西は中日球団から特別二等車の切符を与えられて、列車で岡山キャンプに向かっていたトンボの選手と合流するように指示される。
西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉… 西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉8月19日 - 2024年〈令和6年〉3月15日)は、日本のバレーボール選手、新聞記者、実業家。三重県松阪市出身で、中日新聞社名古屋本社事業局長、取締役、常務を務め、2001年(平成13年)10月10日から2011年(平成23年)3月25日まで中日ドラゴンズ球団代表取締役社長を務めた。 早稲田大学に入学し、バレーボール部に入部し、6人制バレーボールの草分け的存在となる。1953年には、渡米チームのメンバーにも選ばれた。 大学卒業後の1957年(昭和32年)4月に中日新聞社へ入社し、主にスポーツ取材に携わる。バレーボール担当記者を長く務め、テレビ解説も担当した。
田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8… 田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8月1日 - )は日本の社会評論家、司会者、三重県総合文化センター総長、元NHK解説委員。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1955年にNHKに入局。 情報番組『600 こちら情報部』で時事解説を務めた(大事件の発生で「600」が急遽中止になった時は、そのままスケジュールを流用して臨時ニュースのキャスターをつとめたりしていた)ほか、クイズ番組『クイズ百点満点』では、クイズの解説を務めた。 1994年3月、『クイズ百点満点』終了とともにNHKを退職。その後、社会評論家、コラムニストとして講演や執筆活動を中心に活動している。
水越 敏行(みずこし としゆき、1932年5月13日 - 2… 水越 敏行(みずこし としゆき、1932年5月13日 - 2019年1月1日)は、日本の教育学者、大阪大学名誉教授。教育工学、メディア教育、情報教育に取り組む。三重県桑名市出身。 1955年三重大学農学部卒業。1958年名古屋大学教育学部卒業。1960年名古屋大学大学院教育学研究科修士課程修了。1963年名古屋大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。1975年「発見学習の研究」で教育学博士の学位を取得。 1963年金城学院大学講師、1965年大阪音楽大学助教授、1969年金沢大学教育学部専任講師、翌1970年助教授、1975年大阪大学人間科学部助教授、1981年教授、名誉教授。1995年関西大学総合情報学部教授、1996年学部長、1997年日本教育工学会会長、2003年定年退職、関西大学全学共通教育推進機構特別顧問。
藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 199… 藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 1997年8月29日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。 朝鮮・平安北道平壌府(現:朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市)に生まれる。 朝鮮鉄道の社員だった父に従って朝鮮半島を転々と移り住むが、釜山で終戦を迎え、三重県四日市市に引き揚げる。中学に編入後、三重県立神戸高等学校に進学するも、四日市市馳出に戻り三重県立四日市高等学校を卒業。浪人生活を経て東京大学に入学し、文学部仏文科に進む。在学中に演劇に熱中し、俳優座養成所に第5期生として入所する。同期に平幹二朗がいる。 1955年、大学卒業とともに日活に入社。助監督として舛田利雄、蔵原惟繕らにつく。
水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1… 水谷 伸治郎(みずたに しんじろう、1932年〈昭和7年〉1月6日 - 2025年〈令和7年〉11月10日)は、日本の地球科学者。専門は堆積地質学・構造地質学。三重県四日市市生まれ。学位は、理学博士(名古屋大学・1964年)。名古屋大学名誉教授。弟に経済評論家・中京大学名誉教授の水谷研治。 1954年(昭和29年)名古屋大学理学部を卒業し、同地球科学科大学院修士課程へ進学。当時の木村敏雄助教授の影響を受け、堆積地質学を専攻。1956年同博士課程へ進学。松澤勲教授のもとで、構造地質学を専攻。 1958年3月同課程中退。同年4月名古屋大学理学部地球科学科の助手となる。 1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。
赤瀬川 隼(あかせがわ しゅん、本名:赤瀬川 隼彦〈あかせが… 赤瀬川 隼(あかせがわ しゅん、本名:赤瀬川 隼彦〈あかせがわ はやひこ〉、1931年11月5日 - 2015年1月26日)は、日本の小説家。 三重県四日市市生まれ。10歳から18歳までの青少年期を大分市で過ごす。大分第一高等学校(現大分県立大分上野丘高等学校)卒業。旧制中学の同級生に、磯崎新がいた。 住友銀行への16年の勤務を経て、ラボ教育センターの運営会社のテックに勤務し、のちに言語交流研究所(テックから、榊原陽らが独立して作ったヒッポファミリークラブの関連組織)に勤務し主に広報の仕事に従事した。その後は全集物のセールスマンなどに従事。 1983年に『球は転々宇宙間』で第4回吉川英治文学新人賞を受賞し本格的に作家デビュー。
石井 吉也(いしい よしや、1931年(昭和6年)8月27日… 石井 吉也(いしい よしや、1931年(昭和6年)8月27日 - )は、日本の法学者。専門は、商法。愛知大学名誉教授。瑞宝中綬章。 専攻は商法。愛知大学法経学部法学科、同大学院出身。 浜松短期大学(現・浜松学院大学短期大学部)をへて愛知大学に着任。短期大学部長、図書館長、法経学部長、法学部長を歴任し、出身者として初の学長を務める。 1931年、三重県鈴鹿市生まれ。1957年に愛知大学法経学部法学科卒業、1959年に愛知大学大学院法学研究科修士課程を修了。愛知大学では本間喜一の教えを受け、後に愛知大学に教員として勤めるようになった後も本間とは親しい関係が続いた。本間が1987年に亡くなった際には、大学葬の葬儀副委員長となった。
鍛冶 昇(かじ のぼる、1931年8月16日 - 2021年… 鍛冶 昇(かじ のぼる、1931年8月16日 - 2021年10月21日)は、日本のテレビ演出家、映画監督、プロデューサー。三重県桑名市生まれ。日本映画監督協会会員。日本映画テレビプロデューサー協会会員。 1945年、慶応義塾大学仏文科卒業。日活撮影所助監督部入社後、主に滝沢英輔、市川崑、斎藤武市の助監督をつとめる。1965年、テレビ映画「山のかなたに」で監督デビュー。1969年に日活を退社後フリーを経て国際放映のプロデューサーとして活動。 1988年〜1994年、日活芸術学院にて映像創作科の専任講師として、映画演出、映画企画製作などの科目を担当。 2021年10月21日死去、90歳。 (特記以外は製作日活)
田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日… 田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日 - 2021年〈令和3年〉10月11日)は、日本の実業家。日本土建名誉会長。ZTV代表取締役社長。津商工会議所会頭、三重県商工会議所連合会会長。三重県建設業協会顧問。TBSテレビアナウンサーの田村真子は孫。 三重県出身。弁護士で衆議院議員田村秢の二男。旧制津中学校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。中外炉工業に入社。父親の勧めで日本土建に入社。 1960年、日本土建専務取締役。1966年、代表取締役社長。2007年、代表取締役会長。2016年、取締役名誉会長。 1990年、ZTV代表取締役社長。1991年、社団法人三重県建設業協会長として、三重建設図書館の設置を提案、実現する(2006年に休館。
井阪 健一(いさか けんいち、1931年〈昭和6年〉2月17… 井阪 健一(いさか けんいち、1931年〈昭和6年〉2月17日 - 2024年〈令和6年〉11月12日)は、日本の実業家である。三重県出身。 野村證券副社長、野村アセットマネジメント社長・会長、東京証券取引所副理事長、大阪経済大学理事長などを歴任した後、平和不動産社長となった。 株式会社セブン-イレブン・ジャパン社長の井阪隆一は息子である。野村證券では株式本部長を長く務め「天才相場師」「野村証券の星」などと称されていた。またきさくで腰の低い謙虚な人で野村社内では営業の神様と言われていた。先輩に当たる豊田善一(野村證券元副社長、国際証券元社長)も「天才だ。野村のために生まれてきたような男で、指導力、判断力、実行力とも抜群。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 20… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1931年2月12日 - 2017年7月25日)は、日本の作曲家。 出生地は下北沢であるが、父親の転勤に伴い幼少期を愛知県犬山市、次いで三重県伊勢市で過ごす。宇治山田中学校卒業後、東京音楽学校を経て東京藝術大学師範科作曲専攻を卒業。作曲を長谷川良夫、ピアノを水谷達夫、宅孝二、奥川坦、稲垣寿子に師事。1959年・1961年 NHKから委嘱された芸術祭参加作品のラジオ音楽劇2作がそれぞれ芸術祭奨励賞を受賞する。1966年に中田喜直らと「波の会」(現・日本歌曲振興波の会)を創設し、第二代会長を経て、後に社団法人となった同会の名誉会員を務めた。 東京藝術大学音楽学部講師、愛知県立芸術大学教授、聖徳大学・同短期大学教授、活水女子大学教授などを歴任した他、1979年には文部省派遣在外研修生としてパリに留学した。
遠藤 寛子(えんどう ひろこ、1931年 - )は、日本の児… 遠藤 寛子(えんどう ひろこ、1931年 - )は、日本の児童文学作家、教師。 三重県に生まれる。三重県立津高等学校卒業。三重大学を経て法政大学文学部史学科卒業。三重県の中学校、都立の養護学校で勤務したのち、創作および評論活動に専念する。 主な作品に『深い雪の中で』(1969年、第1回北川千代賞受賞)、『算法少女』(1974年、サンケイ児童出版文化賞受賞)など。『算法少女』は復刊ドットコムの投票を得て、2006年にちくま学芸文庫から復刊された。 「少女の友」「少女倶楽部」といった明治期から昭和初期にかけて隆盛した少女向け文芸誌の研究者でもあり、復刻本の監修も行った。
山崎 三四造(やまざき みよぞう、1931年 - 2018年… 山崎 三四造(やまざき みよぞう、1931年 - 2018年)は、日本のアマチュア考古学者・歴史研究家。縄文時代の生活を再現した第一人者として知られ、「縄文さん」「伊勢の名物男」などと称される。 三重県一志郡一志町(現・津市)出身。山崎家21代当主として生まれる(祖先は徳川吉宗の出城の殿様)。山九に在籍中は遺跡の発掘調査や土器の復元を父と共に行い1986年に退職。翌1987年、退職金700万円を元手に竪穴建物を建設し、縄文時代の生活の再現を開始する。1989年には弥生時代の竪穴建物を、縄文の竪穴建物の脇に建設する。食生活は、ウサギ、ナマズ、フナ、スッポンなどの狩猟を行ない、手製の石器で魚を三枚におろして調理するほか、ドングリを粉にして団子を作ることも試みたが、一方では、現代のたばことビールもたしなむというものであった。
黒木 和雄(くろき かずお、1930年11月10日 - 20… 黒木 和雄(くろき かずお、1930年11月10日 - 2006年4月12日 )は、日本の映画監督。代表作に『竜馬暗殺』『祭りの準備』『TOMORROW 明日』などがある。 母親の実家・三重県松阪市生まれ。兵庫県神戸市、宮崎県飯野町(現えびの市)を経て、5歳のときに父の仕事先満州に家族と渡り、少年時代は満州で育つ。1942年日本に戻り、中学から祖父母の住む宮崎県えびの市で育った。宮崎県立小林中学校(旧制)、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。高校時代の恩師の勧めで同志社大学法学部に進学。卒業後、岩波映画製作所へ入社。1958年の『東芝の電気車輛』で監督デビュー。その後も主にPR映画を監督するが、火力発電所の宣伝映画でありながら前衛的な表現に訴えた『海壁』(1959年)や『ルポルタージュ 炎』(1960年)、アラン・レネ監督の影響を受けた北海道のPR映画『わが愛 北海道』が異色のドキュメンタリーとして注目される。
和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2… 和田 勉(わだ べん、1930年〈昭和5年〉6月3日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の演出家・映画監督で、NHKディレクター、プロデューサー。退局後はタレントとしても活動した。本名は名の読みが「つとむ」。 ワダベンカンパニー代表取締役で、生島企画室(現在のFIRST AGENT)と業務提携していた。 妻は衣装デザイナーのワダ・エミ(2021年没)。 三重県松阪市生まれ、鹿児島県鹿屋市出身。鐘紡勤務だった父・和田義太郎(後に鹿屋市議、鹿屋商工会議所会頭)は転勤が多く、生後半年で松阪から京都府福知山市に移り、小学校就学前に愛知県東春日井郡鷹来村(現・春日井市)(春日井市立鷹来小学校の前身にあたる鷹来尋常高等小学校)、小学校3年生時に福島県信夫郡庭坂村(現・福島市)へ引っ越し、1年半を過ごした。
宮本 徳蔵(みやもと とくぞう、1930年2月18日 - 2… 宮本 徳蔵(みやもと とくぞう、1930年2月18日 - 2011年2月2日)は、日本の小説家。 三重県伊勢市生まれ。在日朝鮮人2世として生れるが、生後100日ほどで日本人夫婦の養子となる。父親は大正末期に大邱の近郊農村から渡日し土建業を営んだ。1950年三重県立宇治山田高等学校(2期生)卒業、1954年東京大学文学部仏文科卒業、1958年同大学院修士課程修了(文学修士、東京大学)。家業を継ぐが、1973年、「六十六部」を『新潮』に発表して小説家デビュー。1975年、「浮遊」で新潮新人賞受賞、これを機に上京する。1978年日本に帰化。 1987年、随筆『力士漂泊』で読売文学賞、1991年、『虎砲記』で柴田錬三郎賞受賞。
坂倉 藤吾(さかくら とうご、1930年(昭和5年)1月1日… 坂倉 藤吾(さかくら とうご、1930年(昭和5年)1月1日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。 三重県伊勢市出身。名古屋逓信講習所(現在の郵政大学校)卒業。郵便局に勤務した。全逓信労働組合三重地区書記長、全逓信労働組合副委員長、全逓信労働組合執行委員長、三重県労働協議会副委員長、部落解放同盟の三重県共闘会議議長を歴任。 1977年(昭和52年)の第11回参議院議員通常選挙で、日本社会党公認で三重県選挙区から立候補して、284483票(得票率34.7%)を獲得し、自由民主党の久保田藤麿や新自由クラブの候補者の田中覚を破り47歳で当選する。1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙で自由民主党候補の水谷力に敗れて落選する。
伊勢錦 貫二郎(いせにしき かんじろう、1929年10月18… 伊勢錦 貫二郎(いせにしき かんじろう、1929年10月18日 - 2001年12月14日)は、三重県四日市市出身で高嶋部屋に所属した元大相撲力士。本名は稲見 徳男(いなみ とくお)(旧姓伊藤)。引退後は若者頭(友綱部屋(高嶋を襲名していた巴潟の名跡変更によるもの)所属)として停年まで勤務した。177cm、92kg。最高位は西十両12枚目。得意技は左四つ、寄り。 1949年5月場所初土俵、1955年5月場所十両昇進。1958年9月場所で引退してからは若者頭に転じ、1994年10月定年退職。1999年まで間垣部屋で指導した。
草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9… 草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9月19日 - 2007年〈平成19年〉11月11日)は、日本の俳優。 東京市北豊島郡王子町(現:東京都北区)出身。日本大学文学部哲学科中退。劇団民藝を経て、アクターズカンパニーに所属していた。 長男の草薙仁は俳優で、長女の草薙かおりも元女優。 1941年、巣鴨商業に入学したものの、戦災により、津市立励精商業へ転校して卒業。 戦後、日本大学文学部哲学科へ進学するも中退。 定職もなく過ごすうち、1951年に土方与志の人民演劇集団の移動隊に加わって農漁村を巡回。翌年から本格的に新劇俳優を志して劇団民芸の勉強会に研究生として入団。 1956年から1971年に退団するまで民芸の一員として『郡上の立百姓』『イルクーツク物語』ほかの舞台に立つ。
北村 けんじ(きたむら けんじ、本名:北村憲司、1929年9… 北村 けんじ(きたむら けんじ、本名:北村憲司、1929年9月14日 - 2007年8月21日 )は、日本の児童文学作家。 1929年(昭和4年)9月14日、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に生まれた。3歳の時に三重県桑名郡多度村(現・桑名市)に転居し、多度村立多度小学校、旧制三重県立桑名中学校を卒業した。18歳だった1947年(昭和22年)、恩師の勧めによって多度小学校の代用教員となった。その後、三重大学学芸学部養成科(現・教育学部)を卒業した。 三重県内の小学校で教員を務めるかたわら、数多くの児童文学を創作した。1970年(昭和45年)、『ハトと飛んだボク』で新美南吉文学賞を受賞した。
転法輪 奏(てんぽうりん すすむ、1929年9月14日 - … 転法輪 奏(てんぽうりん すすむ、1929年9月14日 - 1998年10月3日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長を務めた。三重県四日市市出身。 1952年に東京大学経済学部を卒業し、同年に大阪商船に入社。1981年に取締役に就任し、1984年に常務、1985年に専務を経て、1987年に副社長に就任し、1989年には社長に昇格。1994年6月に会長に就任し、1998年に相談役に就任。社長在任時には円高に伴う海運危機の煽りを受けて、大規模なリストラを実施。1995年4月から経済同友会副代表幹事も務めた。 1992年4月に藍綬褒章を受章。 1998年10月3日特発性間質性肺炎のために死去。
出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 201… 出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 2019年8月2日)は、日本の英文学者、英国文化研究家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 三重県松阪市生まれ。1953年早稲田大学教育学部英語英文科卒業、同副手。1955年早稲田大学大学院修了。1963年早大教育学部講師、1966年助教授、1971年教授、2000年に退職後、名誉教授。2009年春、瑞宝中綬章受勲。 1963年、大英博物館研究員として渡英。その後も、オックスフォード大学キャンピオン・ホール(Campion Hall)上級客員教授などとして、たびたびイギリスに滞在する。 ジョン・キーツをはじめとするイギリス・ロマン派についての研究業績や、『キーツ全詩集』などの訳業も多い。
太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 20… 太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 2012年10月22日)は、三重県鈴鹿市出身の小説家。山岳推理小説の第一人者として知られる[要出典]。本名・太田 等(おおた ひとし)、別筆名に太田 瓢一郎。 三重県立津高等学校を経て中央大学法学部卒[要出典]。 同人誌「新表現」を経て1956年に太田瓢一郎の筆名で時代小説でデビュー。1958年から1963年まで時代ものの単行本の刊行を続けたが、以後単行本の刊行は止まる。その後、長年続けてきた登山と釣りの経験を生かし、釣り雑誌にエッセイや小説を連載していたが、1978年に新しい筆名太田 蘭三で『殺意の三面峡谷』を刊行して再デビュー、山岳推理の新境地を開拓した。
平野 一郎(ひらの いちろう、1929年1月16日-2006… 平野 一郎(ひらの いちろう、1929年1月16日-2006年7月8日)は、日本の教育学者、愛知教育大学・名古屋外国語大学名誉教授。 三重県桑名市出身。1951年東京文理科大学教育学科卒、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授。92年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学教授、2001年名誉教授。 ドイツ教育史が専門で、ヒトラーの『わが闘争』の訳者でもある。
加藤 精一(かとう せいいち、1929年1月9日 - 201… 加藤 精一(かとう せいいち、1929年1月9日 - 2016年1月19日)は、日本の経営者。岡三証券社長、会長を務めた。位階は従四位。 三重県津市出身。1951年に慶應義塾大学経済学部を中退し、1954年に岡三証券に入社し、同時に取締役にも就任。1956年に常務、1958年に専務を経て、1961年には社長に就任。1997年6月に会長に就任し、2005年から名誉会長を務めた。2003年には岡三ホールディングス会長にも就任。 1998年7月から2000年6月までに日本証券業協会会長も務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、2001年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2016年1月19日、心不全のために死去。
鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日… 鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日 - 2022年8月15日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(4期)。 三重県三重郡富田町(現・四日市市)生まれ。旧制桑名中学、旧制八高を経て名古屋大学経済学部卒業。自治省に入省。1964年、愛知県庁に出向し、課長に就任。 1974年7月31日、愛知県副知事の寺井久が辞任。同年8月1日、愛知県教育委員会教育長の仲谷義明がそのあとを受けて副知事に就任。同日、鈴木は教育長に就任。1975年2月、仲谷は愛知県知事に初当選。仲谷知事のもとで管理教育体制を引き継ぐ。 1978年、教育長を退任。同年、愛知県総務部長に就任。1979年、同副知事に就任。