大道 典良(おおみち のりよし、1969年10月28日 - … 大道 典良(おおみち のりよし、1969年10月28日 - )は、三重県志摩郡大王町(現:志摩市)出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。2013年より福岡ソフトバンクホークスの打撃コーチを務める。 2001年から2012年までの登録名は大道 典嘉(読みは同じ)。 志摩市立船越中学校を卒業。明野高校では2年夏、3年春夏に甲子園に出場。ただし、2年夏は3回戦に進出するも、自身は代打で1打席立ったのみであった。3年では3番・中堅手でレギュラーになったが、春は2回戦で、夏は1回戦で敗れた。 南海ホークスとしては最後となった1987年のドラフト会議で、4位指名を受けて入団するも、レギュラー定着には至らなかった。
藪 恵壹(やぶ けいいち、本名:藪 恵一〈読み同じ〉、196… 藪 恵壹(やぶ けいいち、本名:藪 恵一〈読み同じ〉、1968年9月28日 - )は、三重県南牟婁郡御浜町出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。1994年の登録名は藪 恵市(読み同じ)。愛称は「恵ちゃん」。
高見 昌宏(たかみ まさひろ、1968年7月11日 - )は… 高見 昌宏(たかみ まさひろ、1968年7月11日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
北野 勝則(きたの かつのり、1967年10月10日 - )… 北野 勝則(きたの かつのり、1967年10月10日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。 小学6年の時に野球を始める。三重・海星高3年時の1985年に、エースとして第67回全国高等学校野球選手権大会に出場。3回戦で東海大甲府高に敗れたものの、オーバースローによる本格派のサウスポーとして、NPB球団のスカウトから注目された。 1985年のプロ野球ドラフト会議で、横浜大洋ホエールズからの4位指名を受けて入団。背番号は48で、身長が187cmだったことから、「ジャンボ」というニックネームが付けられた。 プロ2年目の1987年には、MLBテキサス・レンジャーズ傘下(当時)のルーキー級ビュート・カッパーキングスに野球留学。
濱中 英次(はまなか えいじ、1966年12月9日 - )は… 濱中 英次(はまなか えいじ、1966年12月9日 - )は、三重県熊野市出身の元プロ野球選手(投手)。
西 清孝(にし きよたか、1966年4月8日 - )は、三重… 西 清孝(にし きよたか、1966年4月8日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
森 昌彦(もり まさひこ、1965年8月25日 - )は、日… 森 昌彦(もり まさひこ、1965年8月25日 - )は、日本の元社会人野球選手(投手)、野球指導者である。アトランタオリンピック野球日本代表ではリリーフを務めた。
中村 弘道(なかむら ひろみち、1961年11月1日 - )… 中村 弘道(なかむら ひろみち、1961年11月1日 - )は三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
中西 親志(なかにし ちかし、1960年11月6日 - )は… 中西 親志(なかにし ちかし、1960年11月6日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。現在は東京ヤクルトスワローズ選手寮の寮長を務める。 相可高では、捕手として1977年秋季中部大会に進出するが、1回戦で刈谷高に延長10回敗退。1978年春季中部大会県予選でも準決勝に進むが、海星高に敗れる。 高校卒業後は、社会人野球の電電東海に入社し、同期の浜田知明とバッテリーを組む。1982年の都市対抗野球に出場し、1回戦で日産自動車と対戦、池田親興から自らの適時打で先制するが8回に逆転され敗退。1986年の都市対抗野球ではNTT北陸の補強選手として決勝戦では途中からマスクを被ったが接戦の末に敗れた。
水谷 茂雄(みずたに しげお、1960年7月21日 - )は… 水谷 茂雄(みずたに しげお、1960年7月21日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代から投手としてプレーし、憧れの甲子園に出場できる近道として1976年に三重・海星高へ進学したが、規則の厳しさに嫌気がさして1年の1学期で退学した。1年遅れで入学した四日市工業高ではエース兼4番に抜擢され、速球を主体にカーブ、シュートを決め球とする本格派として活躍し、1年次の1977年夏にノーヒットノーランを記録。打つ方でも打率.420をマークしたほか、2年間で20本塁打以上を打つなど野手顔負けの長打力を見せた。1年遅れで入学したため、3年次の1979年は試合に出場できなかった。練習の手伝いやベンチからのサイン伝達などコーチ見習いの役割をしていたが、同年途中からは監督として部員をまとめた。
森本 進(もりもと すすむ、1958年5月30日 - )は、… 森本 進(もりもと すすむ、1958年5月30日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、野球指導者である。ポジションは内野手。 三重県度会郡度会町出身・在住。宇治山田商業高校3年生の時に、1976年春は東海大会で優勝し、夏の全国高校野球の三重大会に遊撃手として出場したが、準決勝で三重高校に敗退し、甲子園への出場は実現しなかった。高校同期に捕手の山本穰がいた。俊足の超大型内野手として注目され、同年のドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名されたが入団を拒否し、東都大学野球リーグの駒澤大学に進学する。 駒澤大学では同じポジションに石毛宏典や広瀬哲朗らがいたために出番が少なく、4年生の時に外野手にコンバートされて中堅手や右翼手として出場した。
山本 穰(やまもと じょう、1958年3月6日 - 2000… 山本 穰(やまもと じょう、1958年3月6日 - 2000年4月21日)は、三重県出身のプロ野球選手(捕手)。
松下 立美(まつした たつみ、1957年3月6日 - )は三… 松下 立美(まつした たつみ、1957年3月6日 - )は三重県出身の元プロ野球選手。1982年は松下 竜三(読みは同じ)。 津商業高ではノーヒットノーランを4度記録するなど活躍。2年生でエース、四番打者として1973年夏の甲子園三重県予選に出場、決勝に進出するが三重高に敗れる。1974年は準決勝で明野高に敗退。 同年のドラフト6位で阪神タイガースから指名を受け入団。スライダー、カーブが武器でオープン戦でも好投。1976年に一軍初登板するものの、肩を故障し1977年から内野手に登録を変更。1978年からは外野手に登録を変え、1979年にはウエスタンリーグのシーズン最多の10三塁打を記録する。しかし一軍では肩の故障により活躍できず、1982年オフに現役を引退した。
羅本 新二(らもと しんじ、1955年2月17日 - )は、… 羅本 新二(らもと しんじ、1955年2月17日 - )は、三重県鈴鹿市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
新谷 嘉孝(しんや よしたか、1954年8月6日 - )は、… 新谷 嘉孝(しんや よしたか、1954年8月6日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(外野)。右投右打。1982年から1984年の登録名は『新谷 吉孝』(読み同じ)。
水谷 新太郎(みずたに しんたろう、1953年12月7日 -… 水谷 新太郎(みずたに しんたろう、1953年12月7日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(内野手)。
伊藤 泰憲(いとう やすのり、1952年9月25日 - )は… 伊藤 泰憲(いとう やすのり、1952年9月25日 - )は、三重県久居市(現:津市)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。
太田 清春(おおた きよはる、1951年7月3日 - )は、… 太田 清春(おおた きよはる、1951年7月3日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、右投右打のアンダースローであった。1979年から1980年の登録名は太田 貴世晴。 高田高では、1969年夏の甲子園三岐大会三重県予選準決勝に進出。春の選抜に優勝した三重高のエース上西博昭(中京大)と投げ合うが0-8で大敗。卒業後は西濃運輸へ入社。西濃には早川実、小林国男ら好投手がおり、都市対抗などの表舞台にはなかなか立てなかった。ノンプロにはいって投げ方を上から下手投げに変えてメキメキ頭角を見せてきた投手で、浮き上がるシュート、外角に流れるカーブを武器にした。1973年ドラフト会議で近鉄バファローズから6位指名を受け入団。
細谷 保雄(ほそや やすお、1948年10月22日 - )は… 細谷 保雄(ほそや やすお、1948年10月22日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(捕手)。 津商業高では、四番で捕手。 高校卒業後は、電電三重を経て、1968年にドラフト外で南海ホークスへ入団。 一軍出場の2試合は偵察メンバーで、1970年に現役を引退した。
榎本 直樹(えのもと なおき、1948年7月10日 - )は… 榎本 直樹(えのもと なおき、1948年7月10日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
水谷 宏(みずたに ひろし、1946年4月11日 - )は、… 水谷 宏(みずたに ひろし、1946年4月11日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。戸籍姓は新垣(にいがき)。
泉 嘉郎(いずみ よしお、1945年11月16日 - )は三… 泉 嘉郎(いずみ よしお、1945年11月16日 - )は三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
赤井 喜代次(あかい きよじ、1944年1月8日 - )は、… 赤井 喜代次(あかい きよじ、1944年1月8日 - )は、三重県伊勢市出身の元プロ野球選手。
冨士井 金雪(ふじい かねゆき、1943年10月10日 - … 冨士井 金雪(ふじい かねゆき、1943年10月10日 - 1990年6月13日)は、三重県度会郡二見町(現・伊勢市)出身の元ボクサー、ボクシング指導者、高校野球指導者。 中学卒業後に神鋼電機に勤めながら定時制の伊勢実業高等学校(現・三重県立伊勢まなび高等学校)に通ったが、2年の時に中退し、名古屋市のボクシングジムに入る。だが、わずか2年で伊勢実業に復学し6年かけて高校を卒業した。その後、国士舘大学に進み、元来はボクシング選手であるにもかかわらず陸上競技部にも在籍した。 26歳で大学を卒業後、三重県内の小学校や中学校で教員経験を積み、1974年、三重県内でボクシング部のあった三重県立明野高等学校のボクシング部監督に就任。
鬼頭 洋(きとう ひろし、1943年4月18日 - )は、元… 鬼頭 洋(きとう ひろし、1943年4月18日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは投手。三重県出身。
岩本 進(いわもと すすむ、1941年1月27日 - )は、… 岩本 進(いわもと すすむ、1941年1月27日 - )は、三重県熊野市出身の元プロ野球選手(内野手)。 木本高校から1960年に読売ジャイアンツの入団テストに合格し、翌1961年に入団。1962年には遊撃手として一軍に昇格し、同年はイースタン・リーグで本塁打王と打点王を獲得。 1963年は春季キャンプの練習試合で頭部死球を受けたことで出遅れたが、4月5日に突然「就職先を探してくる」と言って合宿所を飛び出し、一時行方不明になる。結局実家へ帰っていたことがわかるが、この年に巨人から大毎オリオンズへ移籍していた堀本律雄から「まだやる気があるのなら、自分から球団(大毎)と話をしてやる」との手紙を受け、これがきっかけとなって同年5月21日に大毎オリオンズと契約して移籍。
久保 征弘(くぼ まさひろ、1940年4月2日 - )は、大… 久保 征弘(くぼ まさひろ、1940年4月2日 - )は、大阪府大阪市大正区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 府立港高校から1959年に近鉄バファローへ入団。 1960年に一軍に上がり、4月16日には東映を相手に初先発。しかし張本勲に2本塁打を喫し5回途中で降板、敗戦投手となる。 1961年には50試合に登板、6月からは先発としても起用されるが8連敗に終わった。 1962年は開幕から先発陣の一角となり、中継ぎや抑えもこなしてリーグ最多の66試合に登板。28勝21敗と自身初の最多勝のタイトルを獲得、規定投球回(11位、防御率3.02)にも達する。 1963年は19勝12敗、防御率2.36と最優秀防御率にも輝いた。
小川 敏明(おがわ としあき、1939年4月13日 - )は… 小川 敏明(おがわ としあき、1939年4月13日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
角谷 隆(かどや たかし、1939年 - 2022年3月)は… 角谷 隆(かどや たかし、1939年 - 2022年3月)は、三重県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 宇治山田高等学校ではエースとして活躍。1955年秋季中部大会県予選決勝で宇治山田商工の中村稔と投げ合い完封勝ち。しかし中部大会準決勝で県岐阜商の田中和男に抑えられ甲子園出場を逸する。翌1956年夏の甲子園県予選は準決勝で四日市高に敗退。1957年夏は三岐大会に進むが、準決勝でエース河村保彦を擁する多治見工に敗れた。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは立大、早大の後塵を拝し優勝には届かなかった。早大と優勝を争った1960年秋季リーグの早慶六連戦では5試合に登板、早慶戦の2回戦では勝利投手となる。
高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月… 高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月26日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。 三重県三重郡菰野町出身。水谷貞雄監督率いる四日市高校では巽一、島田光二の1年後輩になる。1955年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岐阜高を降し優勝。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜き、三岐大会決勝で岐阜商の清沢忠彦に投げ勝って夏の甲子園への出場を決める。大会では準々決勝で西岡清吉、土居章助のいた城東高に完封勝利、準決勝では優勝候補の中京商を破る。決勝は坂出商の岡崎秀智(中大-電電関東)に投げ勝ち4-1で初優勝を飾る。8月には全日本高校選抜チームとして初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準決勝で立命館高の富永格郎を打ち崩し、決勝は浜中祥和のいた若狭高との接戦を4-3で制しまたも初優勝。
前岡 勤也(まえおか きんや、1937年8月13日 - )は… 前岡 勤也(まえおか きんや、1937年8月13日 - )は三重県亀山市出身の元プロ野球選手。旧姓、旧登録名(1958年まで)は井崎勤也(いざき きんや)。
島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、… 島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。 四日市高校では3年次の1954年に夏の甲子園県予選を勝ち抜くが、三岐大会で森昌彦捕手を擁する岐阜高校に敗退、甲子園出場を逸する。高校同期にエースの巽一がいるほか、1年下の高橋正勝(巨人に入団)は、翌年夏の甲子園で主戦投手として初優勝している。 卒業後の1955年に近鉄パールスに入団し、1年目の同年から一軍出場。内野の準レギュラーが長かったが、1962年に一塁手の定位置を獲得し、規定打席(打率.278、18位)に到達。その後も内野全般をこなすユーティリティプレイヤーとして活躍し、通算1029試合に出場した。
巽 一(たつみ はじむ、1936年4月8日 - )は、三重県… 巽 一(たつみ はじむ、1936年4月8日 - )は、三重県多気郡宮川村(現・大台町)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 四日市高校では1954年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岡崎高の河井学(のち毎日オリオンズ)と投げ合うが惜敗。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜くが、三岐大会準決勝で森昌彦のいた岐阜高に敗退し、甲子園には届かなかった。高校同期に島田光二がいた。四日市高校は翌1955年に左腕エース高橋正勝を擁し、夏の甲子園で優勝している。 卒業後は慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、1956年秋季リーグで衆樹資宏・中田昌宏らの強力打線に援護され、エースの林薫との二本柱で優勝を果たす。
三林 清二(みつばやし せいじ、1936年2月9日 - )は… 三林 清二(みつばやし せいじ、1936年2月9日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
東 郷幸(あずま さとゆき、1935年9月8日 - )は、三… 東 郷幸(あずま さとゆき、1935年9月8日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(捕手)。 上野高校から1954年に大阪タイガースへ入団。 一軍試合に出場することなく1955年に退団し、翌年から天王寺鉄道管理局に所属し都市対抗野球大会に出場。 1960年に国鉄スワローズでプロへ復帰し、1963年に引退した。
酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 20… 酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 2007年8月15日)は三重県桑名市出身のプロ野球選手、新聞記者。現役時代のポジションは捕手。 三重県立桑名高等学校から早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1年下のエース木村保とバッテリーを組む。4年生時の1955年秋季リーグでは、長嶋茂雄(立大)らと共にベストナイン(捕手)にも選ばれた。同年12月にフィリピンで行われたアジア・アマチュア野球選手権日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出され、木村、長嶋、森徹(早大)、佐々木信也(慶大)らとともに全勝優勝に貢献。リーグ通算58試合出場、160打数33安打、打率.206、0本塁打。
矢形 勝洋(やがた かつひろ、1934年 - 2016年1月… 矢形 勝洋(やがた かつひろ、1934年 - 2016年1月4日)は、日本のプロ野球選手(投手)。引退後、フロントに入り、阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブスの球団取締役を務めた。
服部 武夫(はっとり たけお、1932年11月28日 - )… 服部 武夫(はっとり たけお、1932年11月28日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 四日市高卒業に当たって、南海球団社長・松浦竹松の友人の紹介でテストを受けて合格し、1950年に南海ホークスへ入団。 2年目の1951年に31試合登板し、10勝7敗、防御率2.03を記録して南海の優勝に貢献した。防御率2.03はリーグ1位の成績だったが、この年だけ導入された資格投球回数算定法によって南海ホークスの標準回数が164回と決まっており、投球回数が155回だった服部は規定未満として最優秀防御率のタイトルを逃し、2.08で2位だった同僚の柚木進がタイトル獲得となった。読売ジャイアンツとの日本シリーズにも出場し、第1戦と第2戦はリリーフで登板。
伊藤 四郎(いとう しろう、1932年11月1日 - 201… 伊藤 四郎(いとう しろう、1932年11月1日 - 2011年5月30日)は、三重県四日市市出身で、1950年代に活躍したプロ野球選手(投手)。 四日市商業高校を卒業後、1951年に名古屋ドラゴンズに入団。名古屋(中日)ではわずか2勝と目立った活躍はできなかった。 1955年1月末の春のキャンプ直前に、中西由行とともにトンボユニオンズに移籍。慶應大学の先輩後輩の縁で、トンボ監督・浜崎真二が中日代表・中村三五郎に対して、未完成でもよいのでとにかく身体が大きく球が速い選手を要望し、移籍の運びとなった。移籍通告後すぐさま、伊藤と中西は中日球団から特別二等車の切符を与えられて、列車で岡山キャンプに向かっていたトンボの選手と合流するように指示される。
服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 201… 服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 2012年2月27日)は、三重県伊勢市出身のプロ野球選手(投手)、ノンプロ野球指導者・組織運営者。右投右打。
中尾 碩志(なかお ひろし、1919年12月1日 - 197… 中尾 碩志(なかお ひろし、1919年12月1日 - 1977年12月9日)は、三重県伊勢市出身のプロ野球選手(投手)。旧名「中尾 輝三(なかお てるぞう)」(プロ初年から1947年まで)。
沢村 栄治(さわむら えいじ、旧字体:澤村 榮治、1917年… 沢村 栄治(さわむら えいじ、旧字体:澤村 榮治、1917年2月1日 - 1944年12月2日)は、三重県出身のプロ野球選手(投手)。
内藤 幸三(ないとう こうぞう、1916年3月25日 - 2… 内藤 幸三(ないとう こうぞう、1916年3月25日 - 2002年1月31日)は、三重県出身のプロ野球選手・審判員。日本プロ野球最初の大型左腕投手である。
小阪 三郎(こさか さぶろう、1915年11月16日 - 1… 小阪 三郎(こさか さぶろう、1915年11月16日 - 1992年12月5日)は、三重県出身のプロ野球選手(内野手)。
森井 茂(もりい しげる、1915年4月12日 - 1987… 森井 茂(もりい しげる、1915年4月12日 - 1987年4月11日)は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
西村 幸生(にしむら ゆきお、1910年11月10日 - 1… 西村 幸生(にしむら ゆきお、1910年11月10日 - 1945年4月3日)は、1930年代の日本を代表する職業野球選手(投手)。三重県宇治山田市大世古町(現:伊勢市大世古二丁目)出身。 主戦投手として、大学野球の関西大学、職業野球の大阪タイガース(現在の阪神タイガース)といった名門チームの黄金時代を築き、初代巨人キラーとしても知られる。現在では、「酒仙投手」と呼ばれることも多い。甥の西村隆明 は、伊勢市内で鰻料理店を営んでいる。 1917年に入学した宇治山田市第七尋常小学校(現在の伊勢市立厚生小学校)で野球を始め、1923年に三重県立宇治山田中学校(現在の三重県立宇治山田高等学校)に進学して野球部に入部するとたちまちエースになり、その後主将を任された。