松岡 将(まつおか しょう、1988年 - )は、日本の財務… 松岡 将(まつおか しょう、1988年 - )は、日本の財務官僚。 三重県伊勢市生まれ。四日市周辺地域の出身者。四日市高等学校、京都大学法学部卒業。京大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。2011年 財務省入省(主計局総務課)。同期にGlocal Innovation Holdings代表取締役の山内絢人がいる。予算編成を取りまとめる。2016年7月 名寄市参事監(企画担当)。2019年7月 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室長補佐。2021年7月 大臣官房文書課企画調整室課長補佐(企画調整)。
早川 智之(はやかわ さとゆき、1969年〈昭和44年〉8月… 早川 智之(はやかわ さとゆき、1969年〈昭和44年〉8月20日 - )は、日本の警察官僚。第35代警察庁交通局長を務めた。 三重県鈴鹿市出身。高田高等学校を経て、1992年(平成4年)に東京大学法学部を卒業し、警察庁に入庁。 入庁後、山梨県警察本部刑事部捜査第二課長、沖縄県警察本部警備部長、長野県警察本部警務部長、内閣官房内閣参事官(内閣情報調査室)=内閣官房特定秘密保護法施行準備室参事官、警察庁刑事局組織犯罪対策部組織犯罪対策企画課犯罪収益移転防止対策室長、神奈川県警察本部刑事部長、警察庁交通局交通企画課長などを歴任。 2020年8月24日、長崎県警察本部長に就任。約1年1か月の在任中、2020年東京オリンピックの聖火リレーの警備や2021年8月の大雨災害の対応にあたった。
森 重樹 (もり しげき、1967年〈昭和42年〉5月24日… 森 重樹 (もり しげき、1967年〈昭和42年〉5月24日 - )は、日本の農林水産官僚。 三重県いなべ市出身。神奈川県藤沢市で育ち、神奈川県立湘南高等学校を経て、1990年(平成2年)3月、東京大学法学部を卒業。同年4月、農林水産省に入省(Ⅰ種・法律)。在ニューヨーク日本国総領事館領事や農林水産省大臣官房文書課企画官(設置法改正担当)を経て、2003年(平成15年)7月、消費・安全局消費・安全政策課課長補佐に就任。在任中、BSE問題に対処し、食品表示のルール作りなどに携わった。その後、農林水産省大臣官房秘書課監査官、北海道農政部農業経営局長、内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)、農林水産省大臣官房参事官、東日本大震災復興対策本部事務局参事官、復興庁統括官付参事官、生産局畜産部牛乳乳製品課長、消費・安全局総務課長、農林水産省大臣官房報道官、同秘書課長などを歴任。
森川 善樹(もりかわ よしき、1966年〈昭和42年〉2月2… 森川 善樹(もりかわ よしき、1966年〈昭和42年〉2月26日 - )は、日本の労働・厚生労働官僚。 三重県亀山市出身、三重県立津西高等学校を経て、一橋大学経済学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(経済)に合格し、1988年4月に労働省入省。 2023年7月4日、厚生労働省政策統括官(統計・情報システム管理、労使関係担当)に就任。2025年7月8日、辞職。
伊藤 茂樹(いとう しげき、1965年9月1日 - )は、日… 伊藤 茂樹(いとう しげき、1965年9月1日 - )は、日本の防衛官僚。 東北防衛局長を務めていた2019年6月に、秋田市で開かれたイージス・アショア配備に関する住民説明会に出席した。 三重県いなべ市出身。三重県立桑名高等学校を経て、一橋大学法学部卒業。
小森敏也(こもり としや、1965年2月23日 - )は、日… 小森敏也(こもり としや、1965年2月23日 - )は、日本の総理府・総務官僚。 三重県出身、三重県立桑名高等学校、東京大学法学部卒業。1988年4月 総理府入府(官房総務課)。1992年 大蔵省主計局調査課に出向し、諸外国の財政の調査や国際会議への対応を担当。2006年7月には総務省行政評価局評価監視官(規制改革等)として、規制や各省共通事項について調査、評価を行った。2020年7月20日 内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、(命)内閣官房行政改革推進本部事務局次長、(命)内閣官房統計改革推進室長。2022年6月28日 関東管区行政評価局長。
赤瀬 正洋(あかせ まさひろ、1964年12月 - )は、日… 赤瀬 正洋(あかせ まさひろ、1964年12月 - )は、日本の防衛官僚。 三重県出身。三重県立津西高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。
一見 勝之(いちみ かつゆき、1963年〈昭和38年〉1月3… 一見 勝之(いちみ かつゆき、1963年〈昭和38年〉1月30日 - )は、日本の政治家、運輸・国土交通官僚。三重県知事(公選第21・22代)。無所属。 三重県亀山市出身。高田高等学校を経て1986年3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格して、1986年4月に運輸省へ入省。 2018年5月15日に海上保安庁次長、2019年7月9日に国土交通省自動車局長、2020年8月1日に内閣府総合海洋政策推進事務局長。2021年7月、退官。 同年8月、鈴木英敬知事の第49回衆議院議員総選挙立候補に伴う辞職により秋に行われる三重県知事選挙への立候補を表明。自民・公明・立憲・国民から推薦を得て、同年9月12日に行われた選挙で当選を果たした。
前葉 泰幸(まえば やすゆき、1962年〈昭和37年〉4月7… 前葉 泰幸(まえば やすゆき、1962年〈昭和37年〉4月7日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。三重県津市長(4期)。新型インフルエンザ等対策推進会議委員。 三重県津市宿屋町(現・東丸之内)生まれ。父は教員。津市立敬和小学校、高田中学校、三重県立津高等学校を経て、1985年に東京大学法学部卒業。同年自治省(現総務省)に入省。本省勤務の他、熊本県庁、国土庁、京都市役所、宮城県庁への出向も経験した。 宮城県総務部長を務めていた2005年、宮城県知事選挙に浅野史郎の後継指名を受けて無所属で出馬したが、自由民主党の推薦を受けた元宮城県議会議員の村井嘉浩に約5万票差で敗れ、次点で落選した。その後、デクシア銀行東京支店副支店長、地方公共団体金融機構審査室長を歴任。
荒木 真一(あらき しんいち 1962年 - )は、日本の環… 荒木 真一(あらき しんいち 1962年 - )は、日本の環境技官。原子力規制庁長官官房審議官兼内閣府大臣官房審議官を経て、内閣府政策統括官。 三重県鈴鹿市出身。三重県立津高等学校を経て、1987年名古屋大学大学院理学研究科修了、環境庁入庁。環境省環境管理局水環境部土壌環境課課長補佐、環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課適正処理・不法投棄対策室長、大阪府環境農林水産部副理事、公害等調整委員会事務局審査官、原子力規制庁長官官房放射線防護グループ原子力災害対策・核物質防護課長、原子力規制庁原子力規制部規制企画課長等を経て、2017年から原子力規制庁長官官房審議官(併)内閣府大臣官房審議官(原子力防災担当)を務め、大飯発電所と高浜発電所で日本で初めてとなる複数の原子力発電所での同時重大事故の発生を想定した原子力防災訓練を行うなどした。
柵木 環(ませぎ たまき、1962年 - )は、日本の農林水… 柵木 環(ませぎ たまき、1962年 - )は、日本の農林水産官僚。農林水産省福島復旧復興対策調整官や、山梨県副知事を歴任し、中国四国農政局農村振興部長。 三重県桑名市生まれ。1985年に北海道大学農学部農業工学科卒業した後、1987年に北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同年、キャリア官僚(農業土木技官)として農林水産省に入省。近畿農政局淀川水系土地改良管理事務所計画課長等を経て、2009年から東北農政局水利整備課長を務め、東日本大震災の復興対応などにあたった。 2012年から農林水産省農村振興局整備部防災課福島復旧復興対策調整官として、福島第一原子力発電所事故の農地除染等を担当。 農林水産省農村振興局整備部農地資源課多面的機能支払推進室長等を経て、2017年、新井ゆたかの後任として山梨県副知事に就任。
中山 峰孝(なかやま みねたか、1961年11月10日 - … 中山 峰孝(なかやま みねたか、1961年11月10日 - )は、日本の財務官僚。厚生労働省大臣官房審議官や、仙台国税局長、大阪税関長を務めた。 高田高等学校を経て、1985年東京大学法学部を卒業。大蔵省入省。証券局総務課配属。1986年大蔵省証券局業務課。1990年7月大月税務署長。1991年7月大蔵省大臣官房文書課広報室課長補佐。1997年5月外務省在オーストラリア大使館一等書記官。財務省大臣官房企画官、国土交通省北海道局予算課長、財務省関税局管理課長、内閣府政策統括官(経済財政運営担当)付参事官(予算編成基本方針担当)兼内閣府道州制特区担当室参事官等を経て、2012年7月名古屋税関長。2013年6月財務省大臣官房会計課長。
乙部 辰良(おとべ たつよし、1958年4月21日 - )は… 乙部 辰良(おとべ たつよし、1958年4月21日 - )は、日本の財務官僚、弁護士。金融庁公認会計士・監査審査会事務局長や、財務省関東財務局長等を経て、SBIインシュアランスグループ代表取締役会長兼社長。 三重県津市出身。1977年 三重県立津高等学校から東京大学文科一類に入学。1981年 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。銀行局調査課に配属。1984年 パリ大学行政学研究科修了。1986年 大蔵省主計局法規課。1987年7月 徳山税務署長。1992年 大蔵省主計局調査課長補佐。1993年 大蔵省主計局主計官補佐(司法、警察係主査)。1994年 大蔵省銀行局調査課長補佐(総括)。1995年 大蔵省銀行局中小金融課長補佐(総括、第二地銀)。
辻 安治(つじ やすはる、1958年1月19日 - )は、三… 辻 安治(つじ やすはる、1958年1月19日 - )は、三重県名張市出身の国土交通官僚。元国土交通省近畿運輸局次長。
河上 敢二(かわかみ かんじ、1956年〈昭和31年〉7月1… 河上 敢二(かわかみ かんじ、1956年〈昭和31年〉7月18日 - )は、日本の政治家、元農林水産官僚。三重県熊野市長(6期)。市長就任後、三重県市長会長、三重県環境審議会委員、三重県農業共済組合組合長理事などを歴任。 1956年(昭和31年)7月18日、三重県熊野市で出生。熊野市立井戸小学校、熊野市立木本中学校、三重県立伊勢高等学校を経て、1981年(昭和56年)3月、東京大学医学部保健学科を卒業。 同年4月、農林水産省に入省。入省後、牛乳乳製品課、食糧消費対策室、東海農政局、国際経済課などの部署を経験した他、経済企画庁、外務省へ出向し、経済企画庁では大規模小売店舗法などの流通規制に携わり、外務省では在イタリア日本国大使館一等書記官、大臣官房調査課課長補佐。
西村 泰彦(にしむら やすひこ、1955年6月29日- )は… 西村 泰彦(にしむら やすひこ、1955年6月29日- )は、日本の警察官僚。宮内庁御用掛。第10代宮内庁長官、第19代内閣危機管理監、第90代警視総監などを務めた。 三重県鳥羽市出身。鳥羽市立鳥羽小学校、鳥羽市立鳥羽中学校、三重県立伊勢高等学校を経て、東京大学法学部を卒業後、1979年 (昭和54年)、警察庁に入庁。「世のため、人のためになるような仕事がしたい」、「悪をくじき、弱きを助ける生き方がしたい」と考え、警察庁に入庁したという。 入庁後、長崎県警察本部刑事部捜査第二課長、警視庁公安部管理官、在フィリピン日本国大使館二等書記官・一等書記官、警視庁総務部広報課長、警視庁警備部警備第一課長、警察庁長官官房人事課企画官、警視庁警務部参事官兼人事第一課長事務取扱などを歴任。
椎川 忍(しいかわ しのぶ、1953年11月 - )は、日本… 椎川 忍(しいかわ しのぶ、1953年11月 - )は、日本の自治・総務官僚。元総務省自治財政局長、日本ゲートボール連合会長。瑞宝中綬章受章。
岡田 克也(おかだかつや、1953年〈昭和28年〉7月14日… 岡田 克也(おかだかつや、1953年〈昭和28年〉7月14日 - )は、日本の政治家、通産官僚。 衆議院議員(12期)、外務大臣(第137代・第138代)、副総理・内閣府特命担当大臣(行政刷新)(野田改造内閣)、民主党代表(第4代・第11代)、同幹事長(第4代・第8代・第11代)、同代表代行、同政策調査会長(第4代)、民進党代表(初代)、同常任顧問、立憲民主党幹事長(第3代)、立憲民主党常任顧問、立憲民主党外交・安全保障総合調査会長を歴任した。 ジャスコ創業者の岡田卓也は父。イオン取締役兼代表執行役会長の岡田元也は実兄。東京新聞政治部部長や中日新聞社編集局長を務めた高田昌也は実弟。 三重県四日市市の岡田屋呉服店を前身とする四日市岡田家(本籍は四日市市中部地区の諏訪栄町商店街で結婚後は近鉄名古屋線の西側の四日市市堀木に自宅を購入した)の7代目当主でスーパー「岡田屋(後のイオン)」を経営していた岡田卓也の次男(2歳上の兄と4歳下の弟がいる)として生まれる。
南川 秀樹(みなみかわ ひでき、1949年12月27日 - … 南川 秀樹(みなみかわ ひでき、1949年12月27日 - )は、環境省の官僚。自然環境局長、地球環境局長、官房長、地球環境審議官を経て2011年1月から2013年7月まで環境事務次官を務めた。三重県四日市市出身。 自然環境局長在任中(2005年)、「日光国立公園」を「日光尾瀬国立公園」と改称してほしいという群馬県、福島県、新潟県等からの要望に対し、尾瀬地域を日光国立公園から分離し、尾瀬国立公園として独立させる案を打ち出し注目を集めた。(その後、この構想は実現し、2007年尾瀬国立公園が制定された。) 地元三重県知事選挙への出馬について民主党から打診され意欲を見せていたものの、事務次官昇格が決まり翻意、2011年に環境事務次官に就任した。
宮村 智(みやむら さとる、1946年(昭和21年)11月2… 宮村 智(みやむら さとる、1946年(昭和21年)11月26日 - )は、三重県出身の元大蔵官僚。 中川雅治(参議院議員)、増原義剛(前衆議院議員)が同期入省者である。1969年入省組は次官レースのトップを走っていた杉井孝(弁護士)が不祥事で辞職したこともあり、財務事務次官が出なかった。
遠山 敦子(とおやま あつこ、1938年12月10日 - )… 遠山 敦子(とおやま あつこ、1938年12月10日 - )は、日本の文部官僚。財団法人新国立劇場運営財団顧問。公益財団法人トヨタ財団理事長。公益財団法人パナソニック教育財団理事長。財団法人日本いけばな芸術協会会長。日本・トルコ協会副会長。2007年6月に株式会社NHKエンタープライズの社外取締役、2008年6月には株式会社電通の監査役にも就任している。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員。
角谷 正彦(かどたに まさひこ、1936年2月14日 - 2… 角谷 正彦(かどたに まさひこ、1936年2月14日 - 2019年9月22日)は、日本の官僚。元国税庁長官。三重県四日市市出身。 父親が東北大学教授となったことにより宮城県に転勤し、東北大学附属小学校、東北大学附属中学校卒業。その後、父親が三重大学教授になったことで、故郷の三重県に戻り、三重県立亀山高等学校卒業後、東京大学入学。在学中は宮澤俊義の憲法ゼミに所属。成績が大学でトップだったため、宮澤からは「かならずキミに憲法の講座を譲るから、大学に残ってくれ」といわれ、東大教授のイスを約束されていた。大学の同期に福井俊彦など。
鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日… 鈴木 礼治(鈴木 禮治、すずき れいじ、1928年12月4日 - 2022年8月15日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(4期)。 三重県三重郡富田町(現・四日市市)生まれ。旧制桑名中学、旧制八高を経て名古屋大学経済学部卒業。自治省に入省。1964年、愛知県庁に出向し、課長に就任。 1974年7月31日、愛知県副知事の寺井久が辞任。同年8月1日、愛知県教育委員会教育長の仲谷義明がそのあとを受けて副知事に就任。同日、鈴木は教育長に就任。1975年2月、仲谷は愛知県知事に初当選。仲谷知事のもとで管理教育体制を引き継ぐ。 1978年、教育長を退任。同年、愛知県総務部長に就任。1979年、同副知事に就任。
中村 大造(なかむら たいぞう、1920年(大正9年)7月2… 中村 大造(なかむら たいぞう、1920年(大正9年)7月25日 - 1987年(昭和62年)5月6日)は、日本の官僚、実業家。元運輸事務次官・全日本空輸社長。三重県桑名市出身。
前田 光嘉(まえだ みつよし、1916年(大正5年)9月16… 前田 光嘉(まえだ みつよし、1916年(大正5年)9月16日 - 2009年(平成21年)4月13日)は、日本の官僚。元建設事務次官。三重県出身。 建設省都市局長、営繕局長、住宅局長、大臣官房長を経て、1965年(昭和40年)建設事務次官に就任。1967年(昭和42年)に退官。 1970年(昭和45年)から1978年(昭和53年)まで日本道路公団総裁を務めた。1989年(平成元年)の春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。
伊藤 清(いとう きよし、1915年〈大正4年〉9月7日 -… 伊藤 清(いとう きよし、1915年〈大正4年〉9月7日 - 2008年〈平成20年〉11月10日)は、日本の数学者、大蔵官僚。学位は理学博士(東京帝国大学・1945年)。位階は従三位。確率論における伊藤の補題(伊藤の定理)の考案者として知られる。第1回ガウス賞受賞者。 1915年、三重県員弁郡(現いなべ市)で生まれた。同じく数学者である伊藤清三は弟。東京帝国大学理学部数学科で学び、1938年に卒業した。 卒業後の1938年、大蔵省入省。銀行局に配属された。1939年、内閣統計局に配転される。1943年、内閣統計局を退官し、名古屋帝国大学助教授となった。1945年、東京帝国大学に学位請求論文『確率過程について』を提出して理学博士の学位を取得。
山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月2… 山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月26日 - 2007年〈平成19年〉2月6日)は、日本の政治家、内務・建設官僚。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。自治大臣(第32代)、国家公安委員会委員長(第41代)を歴任した。 現在の三重県桑名市に生まれる。旧制富田中学、松本高等学校文科甲類を経て1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部政治科に入学。在学中に高等文官試験行政科に合格し、1936年、大学卒業。 1936年、内務省に入省する(同期に山田正雄陸上幕僚長)。入省後、愛媛県で別子銅山の公害調査、富山県で内務省高等官として都市計画等の地方行政に携わる。終戦後の1946年、当時内務政務次官であった世耕弘一の下、経済警察の立場で隠退蔵物資摘発に携わった後、神奈川県国家地方警察隊長、国家地方警察本部人事課長、防衛庁人事局長、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、建設省官房長を務め、建設事務次官を最後に退官。
東畑 四郎(とうはた しろう、1908年11月6日 - 19… 東畑 四郎(とうはた しろう、1908年11月6日 - 1980年10月21日)は、日本の農林官僚。食糧庁長官、農林事務次官を務め、退官後は農政調査委員会理事長や日銀政策委員などを歴任した。農業経済学者の東畑精一は実兄。 三重県一志郡豊地村(現在の松阪市)で地主の父・東畑吉之助、母よしをの四男として生まれる。1925年に三重県立津中学校を卒業し、第八高等学校文科甲類に入学した。1928年、東京帝国大学へ入学。在学中の1930年10月に高等試験行政科に合格し、1931年大学卒業後に農林省へ入省。 終戦後には、農政課長として第一次農地改革の原案の作成にとりかかった。東畑が作成した原案では、地主が保有できる貸付地の限度を3haとしていたが、当時農林大臣であった松村謙三は完全自作農主義を持論としており、その限度を1.5haとすることを主張した。
下津 清太郎(しもづ せいたろう、1908年 - 1996年… 下津 清太郎(しもづ せいたろう、1908年 - 1996年)は、日本の歴史家、官僚。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現三重県立津高等学校)、第八高等学校卒、1931年東京帝国大学法学部卒。東京市、名古屋市で自治行政に携わる。のち京都地方裁判所司法委員。本務のかたわら西洋史を研究した。
谷口 寛(たにぐち ゆたか、1907年〈明治40年〉7月9日… 谷口 寛(たにぐち ゆたか、1907年〈明治40年〉7月9日 - 1994年〈平成6年〉10月3日)は、日本の内務・警察官僚。内閣官房副長官、最後の官選奈良県知事。 三重県津市出身。谷口周三郎の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1929年10月、高等試験行政科試験に合格。1930年、東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、京都府属となる。 以後、富山県の課長、静岡県警察部警務課長、神奈川県商工課長、内務事務官、警保局勤務、岐阜県経済部長、厚生省軍事保護院職業課長、内閣参事官などを歴任。 1947年3月、前任の野村万作が知事選に出馬のため辞任したことに伴い奈良県知事に発令された。知事選挙を執行して同年4月に退任。
齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28… 齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28日 - 1972年〈昭和47年〉9月8日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は正三位。 運輸大臣、厚生大臣、警察庁長官を務めた。参議院議長を務めた斎藤十朗は子息。 三重県阿山郡東柘植村(現在・伊賀市)出身。父・角蔵、母・のぶへの長男として生まれる。 上野中学、八高を経て、東京帝国大学入学。 1925年(大正14年)に東京帝大農学部農学科を卒業し、1926年(大正15年)高等試験に合格した。1927年(昭和2年)、内務省に入省した。1928年(昭和3年)に東京帝大法学部政治学科を卒業する。地方局属、地方局行政課長、大臣官房文書課長、防空総本部総務局長等を歴任した。
岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1… 岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1月10日 - 1989年〈平成元年〉2月18日)は、日本の内務官僚・政治家。 東京帝国大学経済学部卒業後、内務省に入省。警察畑を歩み公職追放後の1955年(昭和30年)衆議院議員に東京4区から初当選(連続当選6回)。岸内閣の内閣官房副長官、労働・行政管理・通産の各政務次官、自民党東京都連幹事長などを歴任したが、入閣はできず1972年の衆院選で落選し政界を引退した。墓所は多磨霊園。 1901年(明治34年)1月10日、三重県津市出身。 水戸高校を卒業し、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部経済学科卒業・高等文官試験行政科に合格する。
羽根 盛一(はね せいいち、1898年(明治31年)12月1… 羽根 盛一(はね せいいち、1898年(明治31年)12月19日 - 1974年(昭和49年))は、昭和期の内務官僚、政治家。官選第35代富山県知事、公選第3代(通算第39代)福井県知事(在任期間は1955年4月26日~1959年4月22日、1期4年)。 三重県多気郡出身。羽根貞助の長男として生まれ、幼少期に富山県上新川郡大沢野村(現富山市)へ移住した。立命館中学校、大阪市立高等商業学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、京都帝国大学経済学部を卒業。立命館大学助教授となる。 1929年、内務省に入省し岐阜県属となる。以後、高知県書記官・警察部長、栃木県部長・警察部長、新潟県警察部長、愛知県警察部長などを歴任。
橋本 清吉(はしもと せいきち、1898年〈明治31年〉8月… 橋本 清吉(はしもと せいきち、1898年〈明治31年〉8月14日 - 1955年〈昭和30年〉7月2日)は、日本の内務官僚・政治家。正五位、勲四等。衆議院議員(改進党、当選1回)。 1898年(明治31年)三重県宇治山田町(現在の三重県伊勢市)で、橋本善三郎の二男として生まれた。 旧制 三重県立第四中学校(現:三重県立宇治山田高等学校)、旧制 第一高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。卒業直前の1921年(大正10年)10月、高等試験行政科試験に合格し、卒業後1922年5月に、内務省に入り大阪府警察部の警部となる。その後内務省官僚として鳥取県警察部長、警視庁刑事部長、静岡県警察部長、内務省書記官・警保局警務課長、京都府総務部長、警保局保安課長などを歴任。
多湖 實夫(たご じつお、1898年(明治31年)6月16日… 多湖 實夫(たご じつお、1898年(明治31年)6月16日 - 1985年(昭和60年)5月11日)は、日本の内務官僚、実業家。官選山梨県知事、学校法人愛知医科大学理事長、ワシントンホテル社長。 三重県員弁郡笠田村(現いなべ市)出身。多湖實の長男として生まれる。愛知県立第一中学校、第八高等学校を卒業。1922年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し東京府属となる。 以後、内務省社会局勤務、奈良県理事官、内務省社会局事務官・保険部勤務、静岡県書記官・経済部長、第16回国際労働会議出席(1932年ジュネーヴ開催、政府側顧問)、東京府学務部長、宮城県書記官・総務部長、大阪府総務部長などを歴任。
堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 19… 堀木 鎌三(ほりき けんぞう、1898年3月17日 - 1974年4月13日)は、日本の鉄道官僚、政治家。参議院議員(2期)、厚生大臣。 三重県松阪市出身。堀木利右衛門の三男として生まれる。目白中学、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年4月に鉄道省に入り、鉄道局書記となり東京鉄道局庶務課文書掛に勤務。鉄道局副参事・新橋運輸事務所営業主任、東京鉄道局運輸課旅客掛長などを歴任。1929年(昭和4年)7月に在外研究員に発令され、1931年(昭和6年)8月まで欧州に出張した。 帰国後、新橋運輸事務所長、大阪鉄道局運輸課長、運輸局旅客課長などを経て、1938年(昭和13年)4月、鉄道大臣秘書官兼大臣官房文書課長に就任し、中島知久平に仕えた。
松井 春生(まつい はるお、1891年(明治24年)5月12… 松井 春生(まつい はるお、1891年(明治24年)5月12日 - 1966年(昭和41年)10月1日)は、貴族院議員などを務めた内務官僚。
大森 洪太(おおもり こうた、1887年(明治20年)6月1… 大森 洪太(おおもり こうた、1887年(明治20年)6月10日 - 1946年(昭和21年)5月24日)は、日本の司法官僚、判事、検事。
宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月2… 宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月25日 - 1956年(昭和31年)3月8日)は、日本の官僚、政治家。内閣書記官長、衆議院議員、貴族院議員。
平井 繁男(ひらい しげお、慶応3年2月3日〔1867年3月… 平井 繁男(ひらい しげお、慶応3年2月3日〔1867年3月8日〕- 大正14年〔1925年〕9月10日)は、日本の実業家、官吏、特許辨理士。推理作家・江戸川乱歩の父。 三重県津市出身。武士の家柄で津藩の藤堂家に仕えていた七代目平井杢右衛門(陳就)・後妻の和佐との間に生れた。関西法律学校(現・関西大学)第一回卒業生として卒業後、青年官吏として三重県名賀郡右名張町(名張市)役所に奉じた。この頃、津藩家臣の長女のきくと結婚し、1894年 (明治27年)第一子を儲け、太郎と命名。これが後の江戸川乱歩である。間もなく、鈴鹿郡へ転勤。1897年に東海紡績同盟会の職員となり、名古屋に移った。東海紡織同盟会書記長を歴任。
牛場 卓蔵(うしば たくぞう、1851年1月29日(嘉永3年… 牛場 卓蔵(うしば たくぞう、1851年1月29日(嘉永3年12月28日) - 1922年(大正11年)3月5日)は、明治期から大正期のジャーナリスト、官僚、実業家、政治家。慶應義塾出身、衆議院議員、山陽鉄道取締役会長などを務めた。 伊勢国安濃郡渋見村(後の安東村、現三重県津市)の井草家に生まれる。伊勢国一志郡(後の七栗村、現三重県津市)の牛場圭次郎の養子となる。慶應義塾に学び、島田三郎らと共に陸奥宗光の家に寄食する。 『郵便報知新聞』記者、兵庫県庁の勧業課長を経て、内務省に出仕。1881年(明治14年)、明治十四年の政変で罷免され下野。1882年(明治15年)、新聞『時事新報』の創刊に参画し記事を執筆。
椿 蓁一郎(つばき しんいちろう、1850年10月9日(嘉永… 椿 蓁一郎(つばき しんいちろう、1850年10月9日(嘉永3年9月4日) - 1935年(昭和10年)9月10日)は、幕末の桑名藩士、明治期の教育者・内務官僚。三重県師範学校長、官選県知事、小樽区長。旧姓・塚田、旧名・丈夫。 江戸八丁堀の桑名藩邸で同藩士・塚田長平の二男として生まれ、同藩士・椿重三郎の養子となる。藩校・立教館で学んだ。戊辰戦争では幕府方として転戦した。その後、桑名に帰るも、1973年に上京して東京師範学校で学び、1874年1月、同校を卒業。 1874年2月、文部省三等訓導任官。1875年9月、度会県師範学校二等訓導に就任。以後、同校監事兼一等訓導、三重県師範学校長を歴任。1880年2月、地方官に転じ三重県四等属となる。
加太 邦憲(かぶと くにのり、嘉永2年5月19日(1849年… 加太 邦憲(かぶと くにのり、嘉永2年5月19日(1849年7月8日)- 昭和4年(1929年)12月4日)は戦前日本の司法官僚、政治家。桑名藩士、大津始審裁判所長、京都始審裁判所長、大阪控訴院長、貴族院勅選議員。初名は三治郎、後に縫殿介。実名は孝基。号は吉甫、白鷹。 幕末に桑名藩士として生まれた。禁門の変後、桑名藩の京都警備に当たったが、この時フランス兵学を学んだことを契機として、洋学を志した。東京に遊学し、村上英俊私塾、大学南校等を経て司法省明法寮に入学し、ボアソナード等に最新のフランス法を学び、第1期生として卒業した。 卒業後しばらく東京法学校に留まった後、フランス、ドイツに留学し、帰国後大津始審裁判所長、京都始審裁判所長、大阪控訴院長を歴任した。
矢土 勝之(やづち / やつち かずゆき、1849年3月30… 矢土 勝之(やづち / やつち かずゆき、1849年3月30日(嘉永2年3月7日)- 1920年(大正9年)11月28日)は、明治から大正期の漢詩人・官僚・政治家。衆議院議員。字・実夫、号・錦山。 伊勢国飯野郡阿波曽村(三重県飯野郡射和村大字阿波曽、飯南郡射和村を経て現松阪市阿波曽町)で生まれる。土井聱牙に師事し漢学を修めた。 太政官に出仕。東京で岩倉具視、伊藤博文の知遇を得た。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(三重県第4区、自由党)で当選した。1902年(明治35年)8月の第7回総選挙(三重県郡部、立憲政友会)では落選し、衆議院議員に1期在任した。 森春濤の高弟で、その子森槐南らと交友した。
井上 裕之(いのうえ ひろゆき)は、日本の大蔵・財務官僚。 … 井上 裕之(いのうえ ひろゆき)は、日本の大蔵・財務官僚。 三重県出身。菰野町で育ち、三重県立四日市南高等学校を経て、1986年(昭和61年)、東京大学法学部を卒業。同年大蔵省に入省。銀行局総務課に配属。1991年(平成3年)7月、鳴門税務署長。 以降は金融庁総務企画局総務課企画官、主計局主計企画官、同主計官などを経て、2011年(平成23年)7月8日、主税局税制第一課長に就任。在任中、消費増税関連法案の修正協議に携わり、民主党税制調査会とのやり取りを担った。その後、主税局総務課長、財務省大臣官房文書課長、財務省大臣官房審議官、内閣府大臣官房審議官、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)などを歴任。
三宅 俊光(みやけ としみつ)は、日本の総務官僚。内閣府大臣… 三宅 俊光(みやけ としみつ)は、日本の総務官僚。内閣府大臣官房審議官や、財務省大臣官房審議官、総務省大臣官房総括審議官、総務省政策統括官等を経て、総務省行政管理局長。 三重県伊勢市出身。伊勢市立厚生小学校、三重県立伊勢高等学校を経て、1985年 中央大学法学部卒業、総理府入庁。総務省行政評価局評価監視官等を経て、2011年 総務省行政評価局総務課長。2013年総務省大臣官房秘書課長。2014年 内閣府大臣官房審議官、地方分権改革推進室次長。 2016年 総務省大臣官房審議官、財務省大臣官房審議官。2017年 総務省大臣官房総括審議官(広報・政策企画担当)。同年から総務省政策統括官(統計基準担当)、(恩給担当)、統計改革実行推進室長を務め、毎月勤労統計調査不正調査問題を受け、基幹統計の点検にあたり、記者会見で「重大な事案はなかった」との説明を行った。