山本 一力(やまもと いちりき、本名:山本 健一〈やまもと … 山本 一力(やまもと いちりき、本名:山本 健一〈やまもと けんいち〉、1948年2月18日 - )は、日本の小説家。高知県高知市生まれ。東京都立世田谷工業高等学校電子科卒業。日本ペンクラブ会員。 高知市に生まれる。高知市立江陽小学校卒業。生家は高知市の大地主であったが没落、14歳の時に上京。 通信機輸出会社、大手旅行会社(近畿日本ツーリスト)、コピーライターなど十数回の転職を経て、1997年に『蒼龍』で第77回オール讀物新人賞を受賞してデビュー。2002年には『あかね空』で第126回直木三十五賞を受賞。 平成二年に現在の妻と出会い、小説を書く時のモデルになってほしいと説得し半年後に3度目の結婚。
八代 順子(やしろ じゅんこ、1948年2月17日 - )は… 八代 順子(やしろ じゅんこ、1948年2月17日 - )は、日本の元女優である。本名:国沢純子(くにざわ じゅんこ)。旧芸名・別名:矢代順子。
十河 清(とおごう きよし、1948年〈昭和23年〉2月3日… 十河 清(とおごう きよし、1948年〈昭和23年〉2月3日 - )は、日本の地方公務員、航空実業家。高知県政策企画部長、高知県副知事、高知空港ビル社長などを歴任。瑞宝中綬章受章。 高知学芸高校卒業、中央大学法学部卒業、1971年 高知県庁に入庁、中内力知事の秘書を長く務めた。1993年 (平成5年) から8年間、県教育委員会で教育次長等を歴任し、2002年 企画振興部長、2005年4月 財団法人高知県政策総合研究所を解散、2007年4月 政策企画部長。2008年1月 中西穂高の後任として高知県副知事就任。2009年5月 学校法人高知工科大学を解散。 県庁退職後の2012年6月 高知空港ビル代表取締役社長就任、2015年6月 ニッポン高度紙工業取締役、2021年 (令和3年) 6月 高知空港ビル社長を退任。
谷岡 健吉(たにおか けんきち、1948年2月 - ) は、… 谷岡 健吉(たにおか けんきち、1948年2月 - ) は、日本の工学者。NHK放送技術研究所長、海洋研究開発機構招聘上席技術研究員、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校医学部客員教授、映像情報メディア学会副会長などを歴任した。恩賜発明賞、産学官連携功労者表彰等受賞。 高知県高知市の開業医の家に生まれる。高知市立潮江中学校を経て、1966年高知工業高等学校電気科卒業、日本放送協会入局。1989年NHK放送技術研究所映像デバイス研究部主任研究員。1994年博士(工学)(東北大学)。1995年NHK放送技術研究所イメージデバイス研究副部長。1997年NHK放送技術研究所撮像デバイス主任研究員。2000年NHK放送技術研究所撮像デバイス部長。
ケン・ケンセイ(本名:片岡 昇〈かたおか のぼる〉、1948… ケン・ケンセイ(本名:片岡 昇〈かたおか のぼる〉、1948年 - )は、日本人のハリウッド俳優、剣道師範、英語発音研究家。高知県高知市出身で現在はアメリカ合衆国ニューヨーク在住。全東部米国剣道連盟会長。 高知県立安芸高校卒業後、ヤンマー業務提携会社の協和農機に入社。高校時代から剣道を始め、社会人時代には1972年には高知県代表として国民体育大会にも出場した。全日本都道府県対抗剣道優勝大会では高知県代表の先鋒として2位の実績を残す。七段の腕前を持つ。 早期退職制度を利用し、1973年にカナダに渡る。シカゴ、メキシコを経てニューヨークへ行き、1976年、ニューヨークの古い教会の最上階を借り、ニューヨークシティ剣道クラブを創設した。
上岡 誠二(かみおか せいじ、1948年 - )は、高知県出… 上岡 誠二(かみおか せいじ、1948年 - )は、高知県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 土佐高では、1965年に1年下の広田義典と投の二本柱を組み、秋季四国大会に進む。決勝で高知高を降し、翌1966年春の選抜への出場を決めた。大会では先発を任され、準々決勝で平安高の門野利治と投げ合い1-0で完封勝ち。準決勝でも育英高を降し決勝に進出。中京商の加藤英夫との投手戦となるが3回の1失点を挽回できず、0-1で敗退し準優勝にとどまる。同年夏は南四国大会決勝に進むが、鳴門高の森進(三井造船)、板東順司の継投に抑えられ惜敗、甲子園出場を逸する。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは1967年春季リーグに優勝を経験するが、その後は優勝に届かなかった。
福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月… 福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月9日 - )は、日本の政治家、陸上自衛官。元静岡県下田市長(1期)。 高知県土佐清水市出身。中学3年のときに下田市に移り住んだ。下田市立下田中学校卒業。1966年(昭和41年)3月、静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1967年(昭和42年)3月、防衛大学校に入校。1971年(昭和46年)3月、同校を卒業。同年4月、陸上自衛隊に入隊。第1次カンボディアPKO国際平和協力隊長兼停戦監視員、普通科教導連隊長兼滝ヶ原駐屯地司令、防衛大学校教授などを歴任し、2003年(平成15年)8月、定年退官。退職時階級は陸将補。 2015年(平成27年)7月、NPO法人日本地雷処理・復興支援センター理事を任期満了退職。
高山 宏(たかやま ひろし、1947年10月8日 - )は、… 高山 宏(たかやま ひろし、1947年10月8日 - )は、日本の英文学者、翻訳家、評論家。旧・東京都立大学(首都大学東京)教授、大妻女子大学教授などを歴任。専門は17・18世紀を軸とする英文学で、美術史、表現芸術の文化史の著作・翻訳を多数刊行している。 岩手県生まれ、高知県育ち。生来の弱視(黒サングラスと眼鏡を併用)。 東京大学文学部英文科を卒業、同大学院人文科学研究科修士課程修了。東大大学院ではメルヴィルの『白鯨』で修士号を取得。博士課程には進まず、東大教養学部外国科助手となる。青土社の月刊誌『ユリイカ』の常連寄稿者になるとともに、旧・東京都立大学助教授、教授、首都大学東京都市教養学部教授を経て、明治大学国際日本学部教授、2014年より大妻女子大学比較文化学部教授。
江本 孟紀(えもと たけのり、1947年7月22日 - )は… 江本 孟紀(えもと たけのり、1947年7月22日 - )は、高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)生まれ、高知県高知市出身の元プロ野球選手(投手)、元参議院議員。東京都在住。
川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日… 川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日 - )は、日本の歴史学者・政治学者。名古屋大学名誉教授、前日本福祉大学教授。専攻は、政治外交史・政治思想史。 近代日本の政治外交史、政治思想史を専門とし、原敬・濱口雄幸・山縣有朋など主に大正期の政治家・政党政治家や永田鉄山をはじめとする昭和陸軍を中心に研究を行っている。また、民俗学者として知られる柳田國男を政治思想史的観点から研究している。2012年、『昭和陸軍の軌跡』で第21回山本七平賞受賞。 高知県生まれ。1971年岡山大学法文学部卒業、1978年名古屋大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学、1987年法学博士(名古屋大学)(学位論文「柳田国男の思想史的研究」)。
小松 健二(こまつ けんじ、1947年5月24日 - )は、… 小松 健二(こまつ けんじ、1947年5月24日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(外野手)。プロ入り前の名前は、「小松 建二(読みは上記と同じ)」。
浜村 孝(はまむら たかし、1947年4月26日 - )は、… 浜村 孝(はまむら たかし、1947年4月26日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手。ポジションは遊撃手。西鉄ライオンズ高卒新人時代から読売ジャイアンツ退団までの選手としての登録名は浜村 健史(読み同じ)。
浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )は、日本の実… 浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )は、日本の実業家、元議員秘書。国会議員政策担当秘書や東京都知事特別秘書を経て、東京都副知事、東京交通会館副社長、東京都参与を歴任した。自民党の保守派議員グループ青嵐会の裏方を務めたほか、石原慎太郎の側近として知られ、肝煎りで東京都副知事に就任した。 高知県安芸郡北川村出身。父親は公職追放を受けた後、奈半利町内の営林署勤務。奈半利町立奈半利小学校卒業後は父親の意向で妹と一緒に高知市へ移って下宿暮らしし、高知市立潮江中学校へ通う。江本孟紀は中学校の同級生。 高校は高知県立高知追手前高等学校へ進学。高校生時代に高知駅でコーヒー袋を見かけ、それが気になってつられるように高知港を訪れてグアテマラの貨物船に上がり込んで、同国の船会社に就職の交渉を行い、就職と移住の手続きを済ませたが、これが両親に無断のことであり、当時末期がんで入退院を繰り返していた母親から懇願されて断念、父親には大学進学の意志を伝え、関西大学文学部新聞学科へ進学。
有藤 通世(ありとう みちよ、1946年12月17日 - )… 有藤 通世(ありとう みちよ、1946年12月17日 - )は、高知県高岡郡宇佐町(現:土佐市)出身・千葉県船橋市在住のプロ野球解説者、元選手(内野手、外野手)・監督。プロゴルファーの有藤実花(長女)、有藤智香(次女)、有藤英世(長男)の父。
門脇 槇夫(かどわき まきお、1946年(昭和21年)11月… 門脇 槇夫(かどわき まきお、1946年(昭和21年)11月10日 - 2019年(令和元年)12月11日)は、日本の政治家、元高知県香美市長(1期)。 高知県出身。高知県立高知農業高等学校卒。農業に従事し、土佐山田町議会議員、同議長、同町長を経て、土佐山田町は2006年に合併で香美市となった。合併後の市長選挙に立候補し、当選した。当選後は地域集落の維持活動に努め、森林林業再生プランを策定、木材などの搬出コストの低減などに力を入れた。2010年に再選。市長を2期務め、2014年に退任した。2017年に旭日小綬章を受章した。
大久保 茂男(おおくぼ しげお、1946年10月27日 - … 大久保 茂男(おおくぼ しげお、1946年10月27日 - )は、日本の理論物理学者。高知県立大学名誉教授。専門は原子核理論。原子核のクラスター構造(分子的構造)、原子核虹の研究などを行う。 京都大学理学博士。現在大阪大学核物理研究センター研究員、高知県立大学名誉教授。 高知県高知市出身。京都大学理学部に入学。物理学科でノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士および中間子論建設の協力者、小林稔博士の教えを受ける。京都大学大学院理学研究科物理学第2専攻原子核理論研究室(小林稔 研究室)で原子核理論研究を行う。 理論物理学、ハドロン多体系、核理論、原子核のクラスター構造、原子核の虹散乱、虹理論、超変形とクラスター構造、αクラスター構造のボーズ・アインシュタイン凝縮、原子核の虹、核反応、場の理論的超流動クラスター模型 京都大学在学中に湯川秀樹の講義をうけ,また1967年訪日したハイゼンベルグ (W. Heisenberg) の講義を聞く.物理学研究において根底思想としての哲学思想があることを知り影響を受ける.京都大学で研究中に日本で初めて開かれた1975年の原子核の国際会議で来日した英国のブリンク(David Brink),ベルギーのライデマイスター (G. Reidemeister),ドイツのフォン エーレツエン(W. Von Oertzen)と会い,後に共同研究することになる. 1969年ドイツ・ハイデルブルグにあるマックス・プランク・原子核物理学研究所のガウル(G. Gaul)らはα粒子を40Ca原子核に入射散乱させると180度近くの後方角度に異常に大きく散乱されることを発見した.それまで用いられ有効と考えられてきた標準的な光学ポテンシャル模型では全く理解できない現象であり,ラザフォード (E. Rutherford)がα粒子を金に散乱させて後方角に異常に多くα粒子が散乱されることから,原子の中心に固い芯があると考え,原子核の発見にいたったのと似たα粒子散乱の後方角異常散乱を彷彿させるこの未知の現象の背後に未知の原子核の秘密・謎があるのではないかと興味を持つ.当時日本を中心に勃興しつつあったアルファ・クラスター模型の視点から関心を寄せ研究に取り組む.アルファ・クラスター模型は歴史的には古く1937年に提唱された核模型であるが,殻模型,集団運動模型の登場により1950年代にいったんは否定された原子核模型である.1975年には日本で初めて東京大学原子核研究所と理化学研究所によって原子核のクラスター構造と反応に関する国際会議が開かれた.その国際会議ではのちに博士論文となるα粒子散乱の後方角異常とクラスター構造について講演発表した.この国際会議に出席したα粒子の後方散乱異常について研究していたオックスフォード大学のブリンクが会議後京都を訪問し,京都大学の原子核理論研究室でα粒子散乱の後方角異常現象について討論する.1985年にはブリンクのいるオックスフォード大学・理論物理学研究所に滞在し軽い重イオン核融合反応断面積の励起関数にあらわれる未知の振動模様の発現機構について共同研究する.振動模様が内部波と外部波の干渉で生じることを発見する.1985年秋,α粒子の後方角異常現象に興味を持って研究していたベルギー・モンス大学のミシェル(F. Michel)を訪問し,ブリュッセル大学のライデマイスター(G. Reidemeister)も加わりα粒子と40Caの核融合反応機構について共同研究を始める.α+40Ca 核融合反応断面積の励起関数に見られる振動模様が複合系44Ti核のアルファ・クラスター構造によって引き起こされることを発見する.1980年代前半までに日本を中心に進展した原子核のクラスター構造の理論的研究で,軽い原子核ではクラスター模型が殻模型や集団模型では説明できない現象をも含めて核構造を包括的に説明でき非常に有効な模型であることが確立しつつあった.しかし,質量数40以上の重い原子核領域では殻模型構造の根拠となっているスピン・軌道力が非常に重要になるが,その力は他方でα粒子を壊す働きをするので,44Tiのような重い原子核ではアルファ・クラスター構造模型は成立せず殻模型構造的になると考えられていた.α粒子散乱後方角異常と核構造の統一的理解の視点から,α+40Ca系の核融合反応研究を発展させ,典型核である44Ti原子核においてアルファ・クラスター構造が存在しその証拠となる負パリティ回転アルファ・クラスターバンドの存在することを1986年に理論的に予言.その回転アルファ・クラスターバンドの状態は1990年大阪大学核物理研究センターのAVF加速器と精密測定器「雷電」を用いて東北大学の山屋 堯らの実験チームによる探索実験で理論の予言通り発見される.理論家として最初から山屋らの実験チームによる実験に加わり実験中に助言を行う.1993年にはベルリンのハーン・マイトナー研究所(現在のヘルムホルツ研究所)のサイクロトロンを用いた実験でグアゾ-ニ(P.Guazzoni)のチームによっても予言された44Tiのアルファ・クラスター回転バンドの状態が確認された.1988年に『Progress Theoretical Physics』誌にて40Ca原子核にもアルファ・クラスター構造をもつ負パリティ回転バンドの存在を予言.予言されたアルファ・クラスター状態は1993年阪大学核物理研究センターのAVF加速器と精密測定器「雷電」を用いて東北大学の山屋らの実験チームにより発見された.質量数40以上のfp殻領域の原子核においてアルファ・クラスター構造が存在しアルファ・クラスター模型が成立することが理論的・実験的に確立され,重い原子核の領域へアルファ・クラスター研究が大きく切り開かれることとなった.アルファ・クラスターが質量数40付近の他の核でも存在することやアルファ・クラスターの負パリティ回転バンド状態がいくつかに分岐することも微視的理論研究で明らかになった.α粒子散乱の後方角異常とアルファ・クラスター構造の存在が同じ相互作用ポテンシャルでもって統一的に理解できること示された.ブリンクらは後方角異常現象が標的原子核の内部領域まで侵入した波である内部波によると半古典的手法で証明したが,その内部波が44Tiにおけるアルファ・クラスター構造の存在と関係していることが明らかになった.1995年には質量数90付近の94Moと212Poの原子核においてもアルファ・クラスター構造が存在するとの論文を発表.さらに重い核の領域でのアルファ・クラスター構造研究のさきがけとなった.
野町 和嘉(のまち かずよし、1946年10月15日 - )… 野町 和嘉(のまち かずよし、1946年10月15日 - )は、日本のドキュメンタリー写真家。高知県三原村出身。 高知県立高知工業高等学校卒業後、写真家・杵島隆に師事。1971年よりフリーの写真家となる。1972年よりサハラ砂漠をはじめとした乾燥地帯の撮影を行う。1980年代後半より中近東・アジア、2002年以降はアンデスを主な撮影地域としている。1990年、写真集「ナイル」等により芸術選奨新人賞美術部門受賞。2009年、紫綬褒章受章。 2019年から2023年、日本写真家協会会長。
町田 義人(まちだ よしと、1946年〈昭和21年〉9月21… 町田 義人(まちだ よしと、1946年〈昭和21年〉9月21日 - )は、日本のカレッジ・フォーク、及びグループ・サウンズ出身の歌手。本名:小松義人。 高知県土佐市出身。カレッジ・フォーク「キャッスル&ゲイツ」を経て、成城大学在学中の1968年に「ズー・ニー・ヴー」を結成、ボーカルを務める。「ズー・ニー・ヴー」はR&B路線の強いバンドだったが、「白いサンゴ礁」の大ヒットで注目を集める。 1970年ズー・ニー・ヴーを脱退、ソロに転向。広い音域と迫力ある唱法で実力派歌手として知られた。テレビCM曲を7〜8年間で400〜500本歌う。1978年公開の映画『キタキツネ物語』において、同作品の音楽担当だったタケカワユキヒデに指名される形で、主題歌「赤い狩人」を歌う。
塩田 潮(しおた うしお、1946年7月14日 - )は、日… 塩田 潮(しおた うしお、1946年7月14日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家。 本名・満彦。高知県吾川郡いの町生まれ。土佐中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒(中村菊男ゼミ)。1970年に日本能率協会に入り、「月刊マネジメント」編集部に勤務する。民社党法務政策委員長たる衆院議員岡澤完治秘書、「文藝春秋」記者などを経てノンフィクション作家。1983年『霞が関が震えた日』で講談社ノンフィクション賞受賞。主として現代政治について執筆。
門谷 昭(かどたに あきら、1946年7月3日 - )は、高… 門谷 昭(かどたに あきら、1946年7月3日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手。 安芸高校ではエースとして1964年春の選抜に出場。1回戦で岐阜東高を降すが、続く2回戦で市西宮高の谷哲男(中日)に抑えられ敗退。同年夏の甲子園県予選は準決勝で江本孟紀のいた高知商に惜敗。 1965年に広島カープへ入団。貴重な左腕投手として期待されたが、、あまり活躍の場はなく同年限りで退団。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
森 雞二(もり けいじ、1946年4月6日 - )は、将棋棋… 森 雞二(もり けいじ、1946年4月6日 - )は、将棋棋士。棋士番号100。高知県中村市(現:四万十市)出身。大友昇門下。棋聖、王位のタイトルを獲得。竜王戦1組通算5期。名人戦A級通算10期。2017年に引退。元大相撲幕内力士玉海力は甥。 大阪に幼少期を過ごし、父親の死後、中学2年で母親と上京。 晩学で知られる。将棋を覚えたのが16歳の頃と遅かったが、近所の将棋クラブでひたすら将棋を指し続け、僅か半年でアマ三段の実力にまで上達する。森自身は「この期間は夜の11時まで夕食もとらずに将棋を指し続けた」と後年に述懐した。戦前はいざ知らず、森以降の世代で、これほどの「晩学」で名人位挑戦、タイトル保持まで進んだ棋士は他にいない[要出典]。
田村 秀男(たむら ひでお、1946年 - )は、日本の新聞… 田村 秀男(たむら ひでお、1946年 - )は、日本の新聞記者。産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員。元日本経済新聞編集委員。 高知県吾川郡いの町出身、高知学芸高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、1970年4月、日本経済新聞社に入社。 岡山支局、東京本社産業部、経済部、ワシントン特派員、米国アジア財団(サンフランシスコ)上級客員研究員、香港支局長、東京本社編集委員、日本経済研究センター欧米研究会座長(兼務、2001年- 2004年)、早稲田大学政経学部講師(同、2004年 - 2011年)。2006年10月付で日経新聞社を退社。同年12月、産経新聞社に移籍、特別記者・編集委員となる。
白川 次郎(しらかわ じろう、1945年11月5日 - )は… 白川 次郎(しらかわ じろう、1945年11月5日 - )は、高知県南国市生まれの元日本短波放送・ラジオたんぱ・ラジオNIKKEIアナウンサーで、コーラルアイランドに所属するフリーアナウンサー。 1945年11月5日、国鉄・汐留駅で物資輸送の仕事をしていた父の最初の赴任先である高知県で生まれる。長姉・道子、兄・通、次姉・紀子に次ぐ4人兄弟の末っ子で、姉や兄の名前にはそれぞれ由来や意味があるにもかかわらず、自分だけ次男だから「次郎」と単純に名付けられた事に随分と抵抗があったという。父は高知県・土讃線の後免駅を皮切りに毎年のように転勤したため、彼自身は高知での記憶が全く無く、四国時代の記憶は愛媛県の松山に居た時代で、松山城の城山で竹を切ってチャンバラをしたり、お濠で鮒を釣ったりして過ごしていた。
黒鉄 ヒロシ(くろがね ヒロシ、1945年8月3日 - )は… 黒鉄 ヒロシ(くろがね ヒロシ、1945年8月3日 - )は、日本の男性漫画家、コメンテーター。テレ朝チャンネル放送番組審議会委員。高知県高岡郡佐川町出身。本名:竹村 弘(たけむら ひろし)。
島田 伸也(しまだ しんや、1945年5月15日 - 201… 島田 伸也(しまだ しんや、1945年5月15日 - 2016年11月20日 )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。
髙橋 昌明(たかはし まさあき、1945年1月27日 - )… 髙橋 昌明(たかはし まさあき、1945年1月27日 - )は、日本の歴史学者、神戸大学名誉教授。日本中世史専攻。 高知県高知市生まれ。1969年同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。同志社高等学校教諭、滋賀大学教育学部教授、神戸大学大学院人文学研究科教授を歴任する。2002年「武士の成立 武士像の創出」で大阪大学より博士(文学)の学位を受ける。2008年定年退職、神戸大学名誉教授となる。 2007年、平氏政権を最初の武家政権とする論を発表し、「六波羅幕府」と呼び、上横手雅敬と論争になった。2011年8月5日、日本史研究会代表委員としての立場で、大阪府議会における「日の丸」常時掲揚・「君が代」斉唱時起立条例の強行可決に抗議する声明を連名で出した。
栗原 弘(くりはら ひろむ、1945年 ‐ )は、日本の歴史… 栗原 弘(くりはら ひろむ、1945年 ‐ )は、日本の歴史学者。 高知県四万十市中村に生まれる。同志社大学大学院博士課程修了。1994年『高群逸枝の婚姻女性史像の研究』で博士号(文学博士)を取得。名古屋文理大学教授を経て、同志社大学非常勤講師。高群逸枝が『招婿婚の研究』で史料を改竄しており、実際には高群が主張するほど平安時代に招婿婚(夫が妻の父母に養われる婚姻形態)が一般的ではなかったと主張した。 妻は高群逸枝の伝記を書いた栗原葉子。 (英題:Marriage and Divorce in Ancient Heian Japan)
山下 正寿(やました まさとし、1945年 - )は、日本の… 山下 正寿(やました まさとし、1945年 - )は、日本の教育者。 高知県宿毛市生まれ。高等学校教諭を務めていた1985年から、アメリカ合衆国が1946年-1958年にビキニ環礁やエニウェトク環礁で計67回行った一連の核実験で被災したとみられる県内の船員への聞き取り調査を、高校生たちとともに始めた。研究者らと協力して、アメリカ合衆国の公文書の分析や厚生労働省への情報公開請求に取り組み、被災の実態を明らかにしてきた。2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故後、福島県における被害の調査にも携わる。日本共産党の市民団体「高知県太平洋核被災支援センター」事務局長を務める。 この項目は、教育者に関連した書きかけの項目です。
佐竹 研一(さたけ けんいち、1945年 - 2016年12… 佐竹 研一(さたけ けんいち、1945年 - 2016年12月18日)は、日本の環境学者。初代生物地球化学研究会会長。 高知県生まれ。土佐高等学校卒業。名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。環境庁国立環境研究所酸性雨研究チーム総合研究官を経て、立正大学地球環境科学部環境システム学科教授、中国廈門大学客員教授。 その他 中国廈門大学客員教授、東京大学非常勤講師
青柳 裕介(あおやぎ ゆうすけ、本名:吉村睦夫、1944年1… 青柳 裕介(あおやぎ ゆうすけ、本名:吉村睦夫、1944年12月4日 - 2001年8月9日)は、日本の漫画家。 高知県香美郡野市町出身。高知市立城東中学校卒業。代表作に『土佐の一本釣り』『土佐の鬼やん』『川歌』がある。地元・高知を舞台にした作品を多く発表した。 中学卒業後、8年間板前修業を続けながら漫画の創作に励み、1966年、『いきぬき』が『COM』の月例新人賞に選ばれデビュー。代表作の一つで長期連載された『土佐の一本釣り』は1980年に松竹より映画化もされた。『ビッグコミック』を主たる作品発表の場としていた。 評論家・石井文男は、青柳の一連の作品は、青春期の愛、希望、苦しみを経糸に、塩の香、魚の匂い、漁船のマスト、さらには路地裏の一杯飲み屋など、高知ならではの舞台をフルに緯糸として使用し、独自世界を作り出したが、作品の舞台は土佐以外はあり得ないし、高知在住だからこそ書ける作品だなどと評した。
高橋 善正(たかはし よしまさ、1944年5月5日 - )は… 高橋 善正(たかはし よしまさ、1944年5月5日 - )は、高知県高岡郡窪川町(現:四万十町)出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、プロ野球解説者・評論家。
野田 正彰(のだ まさあき、1944年3月31日 - )は、… 野田 正彰(のだ まさあき、1944年3月31日 - )は、日本の精神科医、評論家、ノンフィクション作家。高知県出身。専攻分野は比較文化精神医学。精神病理学、文化人類学、社会学が重なる分野を研究。 パプアニューギニア、ソ連-ロシアにおける社会変動下の人々の精神病理学的研究。中国、ベトナム、東ヨーロッパにおける戦争加害者、戦争被害者の精神病理学的研究。日本の青少年、女性、中高年、老人の精神病理学的研究。災害救援学。庭園の文化論。園芸療法研究。 と批判している。この橋下の発言内容の記事に対し、光市事件の弁護団は、野田の依頼に応じ、野田が母体回帰説を唱えたとの事実、また母体回帰説を無実の根拠にしたとの事実はなく、橋下の発言内容の記事は事実に反した記載があるとの報告をしている。
横山 やすし(よこやま やすし、1944年〈昭和19年〉3月… 横山 やすし(よこやま やすし、1944年〈昭和19年〉3月18日 - 1996年〈平成8年〉1月21日)は、かつて吉本興業大阪本社に所属していた漫才師、タレント、政治活動家。愛称は「やっさん」。 やすしと同じく高知県で生まれ、大阪府で育った西川きよしとの漫才は、漫才ブームの到来とともに爆発的な人気を博し、「やすきよ漫才」として20世紀を代表する天才漫才師と呼ばれるまでになった。波乱万丈な人生から破天荒芸人との異名をもつ。 初妻(のちに離婚)との間に俳優の木村一八(長男)と長女をもうけた。再婚した妻とはやすしの事務所契約解除等を挟み、逝去まで連れ添った。エステティシャンで漫才師さゆみ・ひかりの木村ひかり(次女)は、後妻との子である。
高垣 忠一郎(たかがき ちゅういちろう、1944年3月7日 … 高垣 忠一郎(たかがき ちゅういちろう、1944年3月7日 - 2024年1月3日)は、日本の臨床心理学者。立命館大学名誉教授。 高知県高知市生まれ。1968年京都大学教育学部卒。1973年同大学院博士課程満期退学。1973年京都大学教育学部助手。河合隼雄助教授(当時)の下で勤務。1974年ひかり協会(森永ヒ素ミルク事件被害者のため設立)の救済対策委員。1976年大阪電気通信大学助教授、1985年教授。1995年立命館大学産業社会学部教授。2001年同応用人間科学科教授。2009年定年退職、特任教授。2014年退職、名誉教授。 2024年1月3日午前7時、病気のため京都府田辺市の自宅で死去。79歳没。
西谷 祥子(にしたに よしこ、1943年10月2日 - 、本… 西谷 祥子(にしたに よしこ、1943年10月2日 - 、本名:山田 祥子)は、日本の漫画家。高知県高知市生まれ。高卒後、長期の漫画家の後で中央大学法学部法律学科卒業。代表作に『マリイ・ルウ』『レモンとサクランボ』『ジェシカの世界』『花びら日記』など。 昭和40年代前半、少女漫画が週刊誌時代を迎える中で、青春ラブコメ、学園もの、等身大の少女を描き出し、ジャンルを広げるエポックメーキングな作品を多数発表した。 世代的には、水野英子などのトキワ荘世代・女流草分け世代の後、昭和40年代少女雑誌のマンガスクール世代の前にはさまる。 学園漫画の開拓者と見られ、また自認もしている。恋愛要素の強い学園ものの始まりともいわれるが、学園を場とする同世代群像、また世界を意識的に考える少女の姿、子どもから大人への成長途上の自覚、を持ち込んだことも大きな特徴である。
細川 律夫(ほそかわ りつお、1943年〈昭和18年〉8月8… 細川 律夫(ほそかわ りつお、1943年〈昭和18年〉8月8日 - )は、日本の政治家、弁護士。 厚生労働大臣(第13代)、厚生労働副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院決算行政監視委員長、同環境委員長、衆議院議員(7期)、第89代裁判官弾劾裁判所長、民主党国会対策委員長代理などを歴任した。 高知県吾川郡吾北村(のちの高知県吾川郡いの町)出身。高知学芸高等学校を経て、1966年、明治大学法学部を卒業。卒業後、司法試験に合格し、1974年に弁護士登録(埼玉弁護士会)。1981年、越谷総合法律事務所を開設。大森勧銀事件の被告人の弁護を手がけ、冤罪を晴らし逆転無罪を勝ち取った。 その後、2回連続で総選挙に立候補するが落選。
岩郷 泰博(いわごう やすひろ、1943年8月3日 - )は… 岩郷 泰博(いわごう やすひろ、1943年8月3日 - )は、高知県土佐市出身の元プロ野球選手(内野手)。
瀧田 佳子(たきた よしこ、1943年6月12日 - )は、… 瀧田 佳子(たきた よしこ、1943年6月12日 - )は、アメリカ文学・比較文学の研究者、東京大学・大学評価・学位授与機構名誉教授。 広島県生まれ。旧姓・中山。
森本 浩志(もりもと ひろし、1943年(昭和18年)3月2… 森本 浩志(もりもと ひろし、1943年(昭和18年)3月28日 - )は、日本の原子力技術者。関西電力副社長原子力事業本部長として、部落解放同盟元幹部の森山栄治から金品を受け取った。 昭和18年3月28日生まれ。高知県の出身。土佐中学校・高等学校36回生。 1965年京都大学工学部卒業。1965年4月関西電力株式会社に入社。1999年6月関西電力取締役に就任。2001年6月関西電力常務取締役に就任。2003年6月関西電力取締役副社長に就任。2008年4月にはエネルギー総合工学研究所の理事(非常勤)となっている。。 2009年6月日本原子力発電株式会社取締役社長に就任。2009年7月原子力発電環境整備機構(NUMO)監事(非常勤)に就任。
はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18… はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18年〉3月8日 - 2006年〈平成18年〉11月10日)は、日本の漫画家、随筆家、タレントである。血液型はB型。高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)出身で、晩年は東京都文京区小石川に居住した。 1943年3月8日(月曜日)、父の太郎と母の小夜子の長男として高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)に生まれる。姉の美和は元バスガイドで、父はたいらが生まれる前に結核で亡くなった。たいらには餓鬼大将の逸話があり、のちに『最後のガキ大将』で書籍となり『ガキ大将がやってきた』でドラマ化された。 中学生の頃から漫画雑誌への投稿を開始して高知市内の漫画研修会である高知漫画クラブに参加し、当時からナンセンス漫画の才能を発揮した。
梅本 さちお(うめもと さちお、本名:梅本 幸雄、1943年… 梅本 さちお(うめもと さちお、本名:梅本 幸雄、1943年2月6日 - 1993年9月6日)は、日本の男性漫画家、漫画原作者。高知県土佐清水市出身。 2人兄弟の末っ子として出生。父親は梅本が物心つく前に満州にて戦死。母親は病弱な体質であったという。 高知から上京して佐藤まさあきのアシスタントを1ヶ月ほど務めたのちに、大阪のわかば書房で働きながら漫画を勉強する。『ボクにはボクの夢がある』(日の丸文庫)で貸本漫画デビュー。ちばてつやのアシスタントを経て、1968年、『くじら大吾』を『週刊少年ジャンプ』創刊号から連載。その後、専属契約を嫌ってジャンプを去り、1970年より『少年キング』(少年画報社)に花登筺の原作による『アパッチ野球軍』を連載。
徳久 利明(とくひさ としあき、1942年12月8日 - 1… 徳久 利明(とくひさ としあき、1942年12月8日 - 1998年3月13日)は、高知県土佐清水市出身のプロ野球選手(投手)。
横山 小次郎(よこやま こじろう、1942年7月23日- )… 横山 小次郎(よこやま こじろう、1942年7月23日- )は、高知県土佐市出身の元プロ野球選手(投手)。
伊野部 重晃(いのべ しげあきら、1942年〈昭和17年〉3… 伊野部 重晃(いのべ しげあきら、1942年〈昭和17年〉3月7日 - )は、日本の銀行家。勲等は旭日小綬章。高知銀行元頭取。 伊野部重珍元高知相互銀行社長の長男として、高知県高知市に生まれる。 長銀勤務を経て、祖父、父ともに、前身の無尽会社時代からのトップを務めた高知相銀に入行。 2013年(平成25年)、役員を退任した。 2025年秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。
福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月2… 福留 功男(ふくとめ のりお、1942年(昭和17年)1月28日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ニュースキャスター、エグゼクティブ・プロデューサー。元日本テレビ エグゼクティブアナウンサー。 高知県香美郡香北町(現:香美市)生まれ。大阪市育ち。愛称は「トメさん」。「トメじじい」と自称したこともある。 大阪市立五条小学校、大阪市立天王寺中学校卒業。中学生時代の部活は最初は演劇部だったが、後に自分で放送部を作って転部。また、同じ頃アイスホッケーにも力を入れていた。 追手門学院高等学校卒業後、医師を目指して大阪大学医学部など何度も医大受験をするも失敗し、2浪の末入った明治大学文学部演劇学科を卒業。
楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高… 楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高知市出身の植物モチーフを得意とする日本の水彩画家、イラストレーター。本名は、楠瀬 浩二(くすのせ こうじ)。
川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月… 川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月21日 - 1995年〈平成7年〉12月22日)は、日本の俳優。本名は仁科 拓三(にしな たくぞう・旧姓:川谷)。愛称は拓ボン。身長163cm。 大部屋俳優から上り詰め、昭和を中心に活躍した名優の一人。"3000回殺された男""不世出の役者バカ"とも評された。 仁科貴は長男、仁科扶紀は長女、仁科熊彦は岳父、岡島艶子は丈母にあたる。大叔父(実母の叔父)に伊沢一郎がいる。 父・川谷庄平は1915年に17歳で日活京都にカメラ助手として入社、牧野省三作品や尾上松之助の映画を撮り、1927年に日活を退社するまでに、主に築山光吉とコンビで237本の映画を撮影したカメラマンで1975年没。
浅井 和子(あさい かずこ、1941年7月20日 - )は、… 浅井 和子(あさい かずこ、1941年7月20日 - )は、日本の弁護士、外交官。民間人初の駐ガーナ兼シエラレオネ兼リベリア特命全権大使や、アフリカ協会顧問、土佐高校理事等を務めた。 東京都に生まれ、高知県で育つ。旧姓中谷。中谷貞頼元衆議院議員は父。中谷元元防衛大臣は甥。土佐高等学校を経て、1964年国際基督教大学卒業した翌年に結婚、3人の子供と授かり、家庭と両立しつつ、並行して弁護士の資格を取り、1972年第一東京弁護士会弁護士登録。2000年ブラッドフォード大学平和研究大学院修了、修士。司法研修所の同期からの要請で、2002年から民間人としては初となる駐ガーナ兼シエラレオネ兼リベリア特命全権大使を務めた。
山崎 武昭(やまざき たけあき、1941年6月25日 - 1… 山崎 武昭(やまざき たけあき、1941年6月25日 - 1995年2月1日)は、高知県吾川郡伊野町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
大橋 勲(おおはし いさお、1941年3月25日 - )は、… 大橋 勲(おおはし いさお、1941年3月25日 - )は、高知県高知市出身(兵庫県生まれ)の元プロ野球選手(捕手)。 幼少の頃に出生地の兵庫から、一家と共に高知へ移り、父・隆は高知で不動産業を成功させた。大橋は何不自由ない裕福な家庭で育ち、プロ入り後は帰郷すると、玄関に家政婦が3人も三つ指をついて出迎えてくれるという噂があった。土佐中から内部進学した土佐高では2年次の1957年に秋季四国大会県予選で決勝に進むが、高知商の山崎武昭・森光正吉の継投に抑えられて惜敗。この頃は遊撃手としてプロスカウトの目にとまる逸材であったが、当時の高知商は俊足揃いであったため、この足を封じるために肩の良い大橋が捕手に転向したというエピソードがある。