本西 厚博(もとにし あつひろ、1962年5月15日 - )… 本西 厚博(もとにし あつひろ、1962年5月15日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。野球解説者、プロ野球コーチ。 父親は漁師。子供の頃、スポーツは遊びでソフトボールをする程度だったという。長崎市立東長崎中学校入学後は陸上部に入るつもりでいたが、中卒で漁師になった兄から「お前も野球をやれ」と言われたことで、自分の強い意志ではなかったが野球部に入る。兄も野球をやっていてある高校の野球部から声もかかっていたが断念したことで、「兄は自分に夢を託したのかも」と話している。捕手以外のポジションを全て経験した後、中学3年生時から投手。当人もいくつかの高校から声がかかっていたが、その中から特待生として誘われていた私立瓊浦高等学校に入学。
大坪 幸夫(おおつぼ ゆきお、1961年12月22日 - )… 大坪 幸夫(おおつぼ ゆきお、1961年12月22日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 佐世保実業高から、1979年オフにドラフト外で南海ホークスに入団。 高い制球力が武器で、1984年には二軍戦でノーヒットノーランを達成している。 スリークォーターから、スライダー、カーブを武器とした。 1989年オフに退団し、1991年にマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に在籍したのち現役引退。 現在は会社員の傍ら、福岡陸上競技会所属まどかランニングクラブ代表委員。
白武 佳久(しらたけ よしひさ、1960年5月6日 - )は… 白武 佳久(しらたけ よしひさ、1960年5月6日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 4人兄弟の末っ子として生まれる。佐世保市相浦中在学中、当初は陸上部に所属していたが、同校軟式野球部監督から勧誘を受け転部。本格的に野球を始める。 中学卒業後は自衛隊入隊の進路希望だったが、佐世保工OBで野球経験者である8歳上の次兄の説得を受け、佐世保工機械科に進学。次兄の口利きもあり同校硬式野球部に入部。 佐世保工業高では、エースとして1978年夏の甲子園に出場。しかし2回戦(初戦)で栗岡英智のいた中京高校に敗れた。 高校卒業後は首都大学野球連盟の伝統校日本体育大学へ進学。当時の首都大学野球リーグは原辰徳、津末英明らの強打線とエース井辺康二を擁する東海大学が席巻していたが、これを圧倒し2年の秋季リーグから3季連続優勝。
平田 勝男(ひらた かつお、1959年7月31日 - )は、… 平田 勝男(ひらた かつお、1959年7月31日 - )は、長崎県松浦市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。現在は阪神タイガースで二軍監督を務めている。 松浦市今福町出身。長崎市の海星高等学校に進学し、2年生で遊撃手のレギュラーになり、打順2番を務め、1年先輩の好投手酒井圭一を擁して第58回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、準決勝でPL学園高等学校に延長戦の末に敗れた。翌年の第49回選抜高等学校野球大会にも出場し、同大会では開会式の選手宣誓を行っている。2回戦(初戦)で、高知県立中村高等学校の山沖之彦投手に抑えられ敗退した。 卒業後は明治大学に進み、当時の野球部監督・島岡吉郎の指導を受けた。
酒井 圭一(さかい けいいち、1958年6月1日 - )は、… 酒井 圭一(さかい けいいち、1958年6月1日 - )は、長崎県壱岐市出身の元プロ野球選手(投手)、スカウト。現役時代の愛称は「サッシー」。これは当時話題となった未確認動物「ネッシー」にちなむ、怪物を意味するものだった。 長崎・海星高で、1976年の高校3年の夏には、長崎・西九州大会の予選計7試合で70奪三振、失点1の好成績をあげる。このうち2試合はノーヒットノーラン、長崎大会3回戦の島原中央高戦では初回先頭打者から16者連続奪三振を記録した。1年後輩には平田勝男がいた。 その後の第58回全国高校野球選手権大会で、長崎県勢24年ぶりの4強進出を果たす。準決勝ではPL学園高の中村誠治(早大 - 日産自動車)、米村明と投げ合い惜敗するが、同大会では5試合で被安打16、奪三振40、失点6の成績で、サッシー旋風を巻き起こした。
平川 洋幸(ひらかわ ひろゆき、1957年9月3日 - )は… 平川 洋幸(ひらかわ ひろゆき、1957年9月3日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 作新学院高では江川卓の2年後輩、3年夏の県大会は決勝で藤倉一雅がエースの足利学園に敗れた。神奈川大学へ進学、首位打者1回、ベストナイン2回を受賞するが中退し、社会人野球のスリーボンドへ入団。社会人時代は28本塁打を記録。 1982年オフに、ドラフト外で横浜大洋ホエールズへ入団。 1985年に一軍デビューを果たすも、同年限りで現役を引退した。 2005年、社会人野球・クラブチームの国際総合伊勢原クラブにコーチ兼任内野手として入団した。
柴田 保光(しばた やすみつ、1957年8月20日 - 20… 柴田 保光(しばた やすみつ、1957年8月20日 - 2022年10月9日)は、長崎県島原市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 平成初のノーヒットノーランを達成している。 中学卒業後は進学せず就職する予定であったが、入社試験に落ちたので島原農業高への進学を決めた。 島原農業高に進学後は柔道部に入部したが、毎日のように投げられてばかりで嫌になった。顧問の先生に「退部させてください」と申し出たところ、「他の運動部に入るなら、許してやる」と返され、そこで、たまたま近所の先輩が所属していた軟式野球部を選んだ。当時の同校には硬式野球部がなかったため軟式野球部に所属し、本格的に野球を始めたのは高校時代からとなった。
増本 宏(ますもと ひろし、1956年9月10日 - )は、… 増本 宏(ますもと ひろし、1956年9月10日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 宇久高は軟式野球部しかなく、3年時に全国大会に出場し準優勝。この時、県大会、北九州地区大会から全国の決勝戦までは無失点であった。誘いのあった九州産業大学に進み福岡六大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部する。在学中はリーグ戦で5回優勝。1978年の全日本大学野球選手権大会では1回戦で専修大学に敗退。最優秀選手1回、ベストナイン5回。大学時代の同級生には長渕剛がいる。 1978年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから4位指名を受け入団。 1979年から一軍登板を果たす。1年先輩で仲の良い遠藤一彦と同様に別当薫一軍監督からサイドスロー転向を要請される。
松尾 格(まつお いたる、1954年4月23日 - 2015… 松尾 格(まつお いたる、1954年4月23日 - 2015年12月1日)は、日本の元プロ野球選手である。長崎県島原市出身。 海星高等学校では夏の甲子園に2年連続出場。1971年の選手権は控え投手として2回戦に進むが、桐蔭学園の大塚喜代美に完封を喫する。この試合ではリリーフとして甲子園初登板を果たす。翌1972年の選手権はエースとして出場。1回戦で三重・海星高を完封するが、2回戦で明星高に敗退。 1972年ドラフト3位でロッテに入団。しかし一軍では登板機会がなく、1980年限りでロッテを退団。引退後はプロゴルファーとなる[要出典]。 178センチメートルの恵まれた体格を利して正面から打者と勝負する本格派投手であったが、立ち上がりの制球の悪さに難があった。
木村 広(きむら ひろし、1953年8月17日 - )は、長… 木村 広(きむら ひろし、1953年8月17日 - )は、長崎県南高来郡加津佐町出身の元プロ野球選手(投手)。 長崎県立口加高等学校では1971年夏の全国高等学校軟式野球選手権決勝で浜田高校を降し、優勝投手に輝く。卒業後、日本大学へ進学し1974年に硬式に転向。東都大学野球リーグでは優勝に届かず、1974年秋季リーグ後に二部降格(1季のみ)も経験する。4年秋はリーグ2位校として明治神宮大会に出場し、初戦で先発するが日体大に1失点で敗退。リーグ通算3勝1敗。大学同期に岩沢建一、1年下に佐藤義則がいた。 1975年のドラフト会議で太平洋クラブライオンズから5位指名を受け、入団。 1980年に初の1軍入りを果たした。
垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 202… 垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 2021年4月4日)は、野球選手(内野手)・監督。元社会人野球・NTT東日本硬式野球部監督。第15回アジア競技大会野球日本代表監督。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保工業高等学校では、1968年の2年次に右翼手、一番打者として夏の甲子園県予選決勝に進むが、海星高に敗退。翌1969年夏も県予選準決勝で長崎工に敗れ、甲子園には届かなかった。 1970年に卒業後、東海大学に進学し内野手として活躍。首都大学野球リーグでは、いずれも秋季に4回の優勝を経験。リーグ戦通算82試合出場、297打数95安打、打率.320、12本塁打、52打点。ベストナイン6回(遊撃手1回、二塁手5回)受賞。
松尾 輝義(まつお てるよし、1951年4月23日 - )は… 松尾 輝義(まつお てるよし、1951年4月23日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
尾崎 亀重(おざき かめしげ、1947年10月12日 - )… 尾崎 亀重(おざき かめしげ、1947年10月12日 - )は、元プロ野球選手(捕手)。 息子はタレント・元大相撲力士の隆乃若勇紀。 猶興館高では、1965年春の県大会優勝、夏の県大会は準々決勝に進出するが、長崎工に敗退し西九州大会への出場を逃す。国士舘大に進学するが、東都大学野球リーグでは一部昇格はならなかった。卒業後は電電東京に入社、1971年の都市対抗野球に出場。四番を打ち、三菱重工名古屋との1回戦では本塁打を放つ。社会人屈指の大型捕手として各球団に注目された。 1971年度ドラフト会議でヤクルトアトムズから8位指名を受けプロ入り。1972年から2年連続でジュニアオールスターゲームに出場、1973年には決勝本塁打を放ちMVPを受賞する。
川崎 義通(かわさき よしみち、1947年6月24日 - )… 川崎 義通(かわさき よしみち、1947年6月24日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 五島高校から電電九州へ入社。高校時代は二年生からエース。左のオーバーハンドで、カーブ、シュートが武器。 1967年ドラフト会議で東映フライヤーズから9位指名を受け入団。
吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1945年1月17日 - )は… 吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1945年1月17日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 長崎県出身。長崎県立長崎東高等学校(同期にアナウンサーの小島一慶がいる)を経て、1963年に近鉄バファローズに入団。在籍5年間で2試合に登板した。1968年に広島東洋カープへ移籍したが一軍での登板はなく、同年引退。南海戦用の投手として期待され、オーバースローから、シュートを武器とした。
池辺 巌(いけべ いわお、1944年1月18日 - )は、長… 池辺 巌(いけべ いわお、1944年1月18日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、野球解説者。日本プロ野球OBクラブ(全国野球振興会)会員。 1979年から1986年までは池辺 豪則(いけべ たけのり)、1987年以降は池辺 巖(いけべ いわお)の登録名で活動していた。日本プロ野球OBクラブまたは日本学生野球協会の資料では、池邉 巖。このほか、池邉 巌、池邊 巌、池邊 巖と表記される場合もある。 愛称は、ガンちゃん。 1972年に日本プロ野球で制定されたダイヤモンドグラブ賞(のちにゴールデングラブ賞へ改称)第1号受賞者の一人である(パシフィック・リーグ、外野手部門)。
大庭 清(おおば きよし、1943年5月14日 - )は、長… 大庭 清(おおば きよし、1943年5月14日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手。 佐世保北高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。 武末コーチの指導でサブマリン投手を志したが、未完成のまま、1965年に引退。 兄は元高橋ユニオンズ投手の大庭宏である。
得永 祥男(とくなが よしお、 1943年頃- 2003年2… 得永 祥男(とくなが よしお、 1943年頃- 2003年2月1日)は、日本の高校野球指導者。佐世保工業高校・波佐見高校野球部を率いて春夏合わせて6回の甲子園出場を果たした。 長崎県西彼杵郡大瀬戸町(現:西海市)松島出身。長崎市立桜馬場中学校、長崎県立長崎東高等学校から日本体育大学に進み、1965年に同大学を卒業後、保健体育教諭として長崎県立佐世保工業高等学校に赴任した。併せて同校野球部監督に就任したが、当時は海星高校をはじめとした長崎市内の高校が県代表を独占していた。そこで得永は「打倒海星」をスローガンに掲げ、合理的な練習を取り入れたほか多数の県外試合を組んで強化に努めた。1966年西九州大会決勝、1968年長崎大会決勝と甲子園出場をかけた試合でいずれも海星に敗れたが、1974年の西九州大会決勝で海星を破り優勝、県北勢として初めて甲子園出場を決めた。
岡田 幸喜(おかだ ゆきよし、1942年11月5日 - )は… 岡田 幸喜(おかだ ゆきよし、1942年11月5日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手。
峰 国安(みね くにやす、1940年10月18日 - )は、… 峰 国安(みね くにやす、1940年10月18日 - )は、長崎県西彼杵郡野母崎町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 幼少期の1945年8月9日、たまたま塀に登って眺めていた「夕日のような景色」は、長崎市内に投下された原子爆弾であった。 戦後は海に沈む鉄クズを拾っては換金し、軍艦島にも上り、コンクリートだらけの廃墟で草木が一つもない異様な光景を目の当たりにした。 実家は漁師で、船乗りであった父を手伝いながら野球に没頭し、中学時代は駐留軍の米兵と草野球をしたこともあった。 海星高校では無敵のエースに成長し、2年次の1957年夏の県大会で優勝するが、西九州大会1回戦で敗れる。3年次の1958年は準決勝へ進出するが、西海学園に延長11回サヨナラ負けで甲子園出場を逃す。
稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、… 稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鎮西学院高から社会人野球の日炭高松を経て、1961年に広島カープへ入団。 1964年限りで、現役を引退。
大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長… 大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 佐世保北高校から1955年にトンボユニオンズへ入団。 1956年に球団が吸収合併したため1957年は大映ユニオンズ所属となり同年引退。カーブ、シュートを武器とした。 弟の清は、のち西鉄に入団している。
河津 憲一(かわづ けんいち、1933年12月4日 - )は… 河津 憲一(かわづ けんいち、1933年12月4日 - )は長崎県長崎市出身の元プロ野球選手。1958年から1961年までは、河津 宏紀(-ひろき)。
浮田 逸郎(うきた いつろう、1932年3月27日 - 20… 浮田 逸郎(うきた いつろう、1932年3月27日 - 2017年4月29日)は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手。 佐世保北高校から1950年に西日本パイレーツへ練習生として入団。 同年の6月頃に、独立二軍チームだった山陽クラウンズへ他3選手と一緒に派遣されたとみられる。 1951年に西日本が西鉄と合併すると、西日本からの派遣組4人は全員解雇される。浮田は地元・佐世保の市役所に勤務するが、野球への思いは断ちがたく、1選手として山陽クラウンズに復帰した。 1952年にチームが解散し、1953年に高橋真輝とともに大洋松竹ロビンスへ入団。プロ入り初登板を果たすが、肩を痛め同年引退。カーブが武器だった。
黒田 一博(くろだ かずひろ、1924年9月13日 - 20… 黒田 一博(くろだ かずひろ、1924年9月13日 - 2007年8月17日)は、長崎県出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。
中村 政美(なかむら まさみ、1924年4月8日 - 194… 中村 政美(なかむら まさみ、1924年4月8日 - 1945年1月29日)は長崎県出身のプロ野球選手。
山川 武範(やまかわ たけのり、1922年8月25日 - 1… 山川 武範(やまかわ たけのり、1922年8月25日 - 1981年11月9日)は、長崎県出身のプロ野球選手(内野手)。1951年途中までは山川 喜作 。 石本秀一の秘蔵っ子で、金鯱・大洋軍などでプレー後、1942年に応召される。 戦後の1946年に東京巨人軍に入団しプロ野球に復帰する。堅実な守備とシュアな打撃を買われて二番・三塁手のレギュラーを掴み、チームトップの70得点を記録した。同年8月21日の対中部日本戦では、1,3,4,5,6回と5打席連続四球(1試合最多四球の一リーグ記録)を選ぶと、6回の打者一巡後の打席で二ゴロ失策で出塁し、9回には二塁打を打って、1試合7打席7出塁の珍しい記録を作り、5得点を記録している。
池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 194… 池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 1944年)は、長崎県出身のプロ野球選手(捕手)。
泉田 喜義(いずみだ きよし、1920年(大正9年)6月10… 泉田 喜義(いずみだ きよし、1920年(大正9年)6月10日 - 没年不明)は、長崎県出身のプロ野球選手。 鎮西学院中学校から1940年に東京巨人軍へ入団。「チョコ投げの泉田」と呼ばれ、落ち着きのない投球フォームに定評があった。1942年に応召される。戦後は川南造船に在籍した。2003年に出版された澤宮優の『巨人軍史上最強の捕手』において、取材協力者の1人として名を連ねている。
柴田 多摩男(しばた たまお、1920年2月10日 - 19… 柴田 多摩男(しばた たまお、1920年2月10日 - 1944年9月17日)は、長崎県出身のプロ野球選手。 海星中学から1939年に名古屋金鯱軍へ入団。1941年に大洋軍へ移籍し、同年退団。 後に応召され、1944年9月17日に亡くなった。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。
荒木 政公(あらき まさきみ、1919年 - 没年不詳)は長… 荒木 政公(あらき まさきみ、1919年 - 没年不詳)は長崎県出身のプロ野球選手(投手)。 海星中学(現・海星中学校・高等学校)、門司鉄道管理局を経て、1939年に阪急軍に入団。海星中学時代は甲子園出場がなく、門司鉄道管理局でも九州地区決勝大会で八幡製鉄に敗れ、都市対抗野球には出場できなかったものの「九州の好投手」として知られていた。1938年には逸材として職業野球の各球団がスカウトに殺到。阪急の村上実球団代表が荒木家を訪ねた際に壁に貼られた各球団提示の契約金額を目撃し、他球団よりも高額の契約金を提示したため、阪急への入団を決意したと伝わっている。東京巨人軍も獲得を狙っており、翌1939年に入団した吉原正喜を抑えて、獲得候補№1選手にリストアップされていたのが荒木だった。
比留木 虎雄(ひるき とらお、1917年9月9日 - )は長… 比留木 虎雄(ひるき とらお、1917年9月9日 - )は長崎県出身の元プロ野球選手、高校野球監督。
内堀 保(うちぼり たもつ、1917年3月12日 - 199… 内堀 保(うちぼり たもつ、1917年3月12日 - 1997年1月30日)は、長崎県長崎市出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。
下柳 剛 は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手、左投左… 下柳 剛 は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)でNPBの最年長最多勝投手。野球解説者、タレント。マネジメントはハイタイド。