岩崎 勇(いわさき いさむ、1931年〈昭和6年〉5月31日… 岩崎 勇(いわさき いさむ、1931年〈昭和6年〉5月31日 - 2008年〈平成20年〉10月22日)は、日本のオーボエ奏者。京都市立芸術大学名誉教授。徳島文理大学客員教授。 武蔵野音楽大学音楽学部卒業。デトモルト音楽大学卒業。熊本県熊本市出身。 熊本県熊本市出身。1958年(昭和33年)に武蔵野音楽大学音楽学部を卒業し、1965年(昭和40年)にドイツのデトモルト音楽大学を卒業した。 武蔵野音楽大学を卒業後は京都市交響楽団に入団し、1969年(昭和44年)まで在籍した。その後は京都市立芸術大学音楽学部で講師・助教授・教授を経て、1997年(平成9年)に同大学を退任し、同大学の名誉教授に就任する。
佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018… 佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018年11月15日)は、熊本県出身の日本銀行理事、福岡銀行頭取などを務めた銀行家、実業家。 旧満洲生まれ。父は南満洲鉄道の駅長。敗戦でソ連兵の強奪に遭い、日本に引き揚げる際は栄養失調に陥るほどの苦難を経験した。引揚者として父の実家の熊本県玉名市に移り住み、熊本県立玉名高等学校から東京大学法学部に進む。1955年日本銀行入行、新潟、名古屋の支店長、営業局長、理事を務めた。新潟支店長時代の部下が拉致被害者横田めぐみの父横田滋。営業局長時代は三重野康の腹心として、高目放置を主導した。 1989年福岡銀行副頭取に転じ、1991年頭取就任。1996年有価証券を売却し黒字化することもできたが、不良債権を一括処理し福銀市場初の赤字を計上した。
勝田 有恒(かつた ありつね、1931年4月2日 - 200… 勝田 有恒(かつた ありつね、1931年4月2日 - 2005年4月26日)は、日本の法制史学者。一橋大学名誉教授。専門は西洋法制史。1991年比較法史学会設立発起人・同学会理事就任、1995年同学会理事長就任。1983年日本学術会議政治学・法律学研究連絡委員。1998年法文化学会設立発起人・同学会顧問就任。 1931年、熊本県熊本市生まれ。1944年、東京高等師範学校附属国民学校(筑波大学附属小学校の前身)卒業。1948年、鹿児島県立第一鹿児島中学校(県立鶴丸高校の前身)4年を修了し、1949年に第七高等学校(鹿児島大学の前身)理科1年修了。一橋大学法学部に進み、町田實秀に師事した。1957年に卒業し、同大学大学院に進む。
池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は… 池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は、日本の裁判官。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学法学部を卒業した。 広島地方裁判所(1960年着任)を皮切りに、佐賀地方裁判所唐津支部(1963年)・長崎地方裁判所(1966年)・熊本地方裁判所人吉支部(1969年)などで判事補を務めた。1972年に福岡地方裁判所の判事となる。1979年に福岡高等裁判所判事に移り、1984年からは熊本地方裁判所で第二部総括判事を務めた。 1989年に福岡地方裁判所小倉支部長に就任、1991年からは鹿児島地方裁判所長を務めた。1993年に福岡高等裁判所刑事部第二総括判事となった。 1996年3月15日に定年退官した。
田島 義博(たじま よしひろ、1931年1月31日 - 20… 田島 義博(たじま よしひろ、1931年1月31日 - 2006年3月28日 )は、日本の経済学者、経営学者。第24代学校法人学習院院長。中内㓛らスーパーマーケット創業者らの理論的支柱とされる。 日本商業学会会長、日本ダイレクトマーケティング学会会長、社団法人消費者関連専門家会議会長、通商産業省大規模小売店舗審議会会長、国税庁中央酒類審議会会長、国税庁国税審議会会長代理、農林水産省食品流通審議会会長を務めた。経済産業省産業構造審議会、国税庁国税審議会、農林水産省食料・農業・農村政策審議会等多くの政府委員も歴任した。 熊本県生まれ。幼少時に両親を失い、兄とともに祖父母に育てられるも、高校時代に祖父が死亡したため高校卒業後は三池炭鉱で働いた。
甲木 伸一(かっき しんいち、1931年 - )は、日本の… 甲木 伸一(かっき しんいち、1931年 - )は、日本の物理学者。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学理学部を卒業後、九州大学大学院修士課程を修了した。 大学院修了後は、九州大学教養部の助手や助教授、教授を歴任した。1971年に論文「Hg[1-x]Cd[x]Te系合金のバンド構造と、その圧力依存性」で、九州大学より工学博士号を取得した。 九州大学を退官後は名誉教授となり、カナダのアルバータ大学の客員教授も務めた。
永畑 道子(ながはた みちこ、1930年(昭和5年)9月27… 永畑 道子(ながはた みちこ、1930年(昭和5年)9月27日 - 2012年(平成24年)6月24日)は、日本の女性史家、ノンフィクション作家。 熊本市生まれ。熊本県立第一高等女学校、第五高等学校 (旧制)を経て、1953年熊本大学法文学部東洋史学科卒。熊本日日新聞社会部記者を務めたあと、福音館書店『母の友』編集部を経て、執筆活動に入る。女子美術短期大学教授を務めた。はじめ教育論が多かったが、50代以降、柳原白蓮、与謝野晶子、波多野秋子など、大正期の恋愛事件に関わる女性を描いたものが多くなった。 白蓮事件を扱った『恋の華・白蓮事件』はドラマ『恋の華 白蓮』(NHK総合「ドラマ人間模様」、1985年)の原作となっている。
山本 清治 (やまもと せいじ、1930年(昭和5年)9月2… 山本 清治 (やまもと せいじ、1930年(昭和5年)9月26日 - )は、元競輪選手である。熊本県出身。熊本県立熊本商業学校(現・熊本県立熊本商業高等学校)卒業。 1949年2月1日、選手登録(期前選手)。登録番号は309。選手時代はヤマセイの愛称でファンから親しまれていた。6人兄弟で、ほかの5人(春雄、金哉、義男、利光、賢一)いずれも元競輪選手。 なお、同姓同名の日本競輪学校(当時)第31期生の元競輪選手(2002年7月31日登録削除)が存在するが、別人である。 山本は熊本県の生まれであるが、熊本商業を卒業後、競輪選手の登録地を大阪とした。 これは、競輪を職業として選ぶ以上、当時自転車産業が盛んで、かつ戦前、自転車メーカーに所属していた選手が大勢いた大阪のほうが早く強くなれるという考えがあったことに起因するものだった。
渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 20… 渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』が著名。 日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。誕生日は8月1日となっているが、これは出生届の提出時に父が間違えたもので、実際の誕生は9月1日という。 1938年(昭和13年)、当時大陸で映画館の支配人をしていた父を追って中華民国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本に引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。
八浪 知行(やつなみ ちこう、1930年7月28日 - )は… 八浪 知行(やつなみ ちこう、1930年7月28日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手、高校野球指導者、政治家。ポジションは外野手。
三浦 八水 (みうら はっすい、1930年1月23日 - 1… 三浦 八水 (みうら はっすい、1930年1月23日 - 1996年10月22日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 現在の熊本県山鹿市出身。熊本県立中学済々黌卒業。 1950年、熊本家庭裁判所委託少年補導所「愛隣園」創設。熊本県議会議員3期を経て1979年、三善信二の死去に伴う第11回参議院議員通常選挙熊本県選挙区補欠選挙で初当選。1982年、参議院農林水産委員会委員。 この他、熊本県果実連を創設して同会長を務めた。 1996年、農協運動への功績を讃えて農協人文化賞受賞。同年10月22日、慢性腎不全のため熊本県熊本市の済生会熊本病院で死去、66歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される。
小堀 富夫(こぼり とみお、1930年1月23日 - 201… 小堀 富夫(こぼり とみお、1930年1月23日 - 2018年4月24日)は、日本の経営者。熊本放送社長を務めた。茶道肥後石流小堀家第12代当主でもあった。 熊本県熊本市出身。1949年に熊本語学専門学校を卒業し、同年に熊本日日新聞社に入社。1953年にラジオ熊本(のちの熊本放送)に転じ、1974年6月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1986年7月に専務を経て、1988年6月には社長に就任。1998年6月から2004年6月までに会長を務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2018年4月24日に肺炎のために死去。88歳没。
花岡太郎(はなおか たろう、1929年9月17日- )は、日… 花岡太郎(はなおか たろう、1929年9月17日- )は、日本の作家、文筆家。 大連生まれ、本名は信衛。熊本県立済々黌高等学校卒業、1950年鎌倉アカデミア文学科卒業。1952年に『新潮』で「表通り」(花岡信衛)を発表して文筆生活に入る。 息子は春風亭小朝。父の静一郎は土建業者で、乃木坂に花岡アパートを建て、太郎が家主時代に永六輔、大竹省二らが居住した。
羽矢 謙一(はや けんいち、1929年8月22日 - 202… 羽矢 謙一(はや けんいち、1929年8月22日 - 2021年10月6日)は、日本の英文学者。明治大学名誉教授。 熊本市生まれ。東京大学英文科卒。同大学院を経て、青山学院大学助教授、明治大学文学部教授、2000年に定年し名誉教授。 D・H・ロレンスを専門とし、伊藤整が裁判で敗訴し、削除版のままになっていた『チャタレイ夫人の恋人』の完訳を1973年に刊行した。
塚本 啓祥(つかもと けいしょう、1929年(昭和4年)7月… 塚本 啓祥(つかもと けいしょう、1929年(昭和4年)7月24日 - 2010年1月20日)は、日本の仏教学者。東北大学名誉教授。熊本市出身。 1964年(昭和39年)に東北大学大学院博士課程(印度学仏教史学専攻)修了、「仏教初期の教団史の研究 部派の形成に関連して」で文学博士。立正大学助教授、教授、仏教学部長。東北大学文学部教授。1993年定年退官、名誉教授、宝仙学園短期大学学長。2000年退職。 その他、タイのマヒドーン大学客員教授など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。
平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は… 平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は、日本の官僚、元安田信託銀行顧問。 熊本県生まれ。熊本県立玉名中学校卒業。第五高等学校卒業、東京大学理学部卒業。 昭和31年、旧通商産業省(現:経済産業省)入省。主に技術畑を歩んだ。 昭和59年、立地公害局長就任。 昭和60年、退官。その後、安田信託銀行の顧問を経て昭和電工株式会社専務取締役、日本規格協会理事長。
大津 皓一(おおつ こういち、1929年 - )は、日本の脚… 大津 皓一(おおつ こういち、1929年 - )は、日本の脚本家・放送作家。熊本県山鹿市大字山鹿出身。全州公立尋常小学校、全州公立南中学校、熊本県立鹿本中学校、文化学院大学部美術科卒業。
花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7… 花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7月17日)は日本の教育者。 熊本県に生まれる。小学2年生の時に両親を失う。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1947年卒業)を経て、東京高等師範学校(現・筑波大学)を卒業した。 卒業後は熊本県の理科の教員となり、母校である熊本県立玉名高等学校に勤務した。1970年から熊本県教育委員会指導主事、主幹を務めたあと再び教職に戻り、熊本県立南関高等学校(1978年着任)・熊本県立玉名高等学校・熊本県立熊本高等学校で校長を歴任した。熊本県教育委員会に戻って教育次長を務める。最後の教職となったのは1988年に新設された熊本県立東稜高等学校の初代校長で、学校のコンセプト作りからかかわり、校歌の作詞・作曲も手がけている。
西村 武典(にしむら たけのり、1928年(昭和3年)11月… 西村 武典(にしむら たけのり、1928年(昭和3年)11月10日 - 2012年(平成24年)2月11日)は、日本の政治家。熊本県牛深市長(8期)、牛深市議会議員(3期)。 熊本県出身。1946年、熊本県立熊本商工学校(現・熊本県立熊本商業高等学校)卒。家業の酒屋を継ぎ、牛深市議を3期務める。1973年、牛深市長に初当選。市長を3期務めたが、3期目途中の1980年に辞職。1984年に市長に復帰、天草市に合併する前の2006年までに5期務めた。2012年2月に死去した。
たかし よいち(高士 与市、1928年11月10日 - 20… たかし よいち(高士 与市、1928年11月10日 - 2018年1月7日)は、日本の児童文学作家。鹿児島女子短期大学名誉教授、久留米信愛女学院短期大学教授・図書館長。 熊本県熊本市出身。東洋語学専門学校(現在の熊本学園大学)中国語科卒業。熊本大学図書館司書を経て、教科書会社校正員、児童雑誌編集者を勤めた。 1962年『狩人タロの冒険』を処女出版。1965年『埋もれた日本』で第5回日本児童文学者協会賞、1977年『竜のいる島』で国際アンデルセン賞優良作品賞およびサンケイ児童出版文化賞、2008年『天狗』で赤い鳥文学賞受賞。考古学、古生物学などに基づく児童向け図書を数多く刊行し、児童文学に新たな分野を開いた。
植田 いつ子(うえだ いつこ、1928年10月20日 - 2… 植田 いつ子(うえだ いつこ、1928年10月20日 - 2014年6月3日)は、日本のファッションデザイナー。熊本県玉名市出身。 玉名市河崎の商家で、6人兄弟の5番目に生まれる。父親が自転車店を営むため玉名駅前に転居。 玉名町弥富小学校、高瀬高等女学校を経て、当時唯一学徒動員がなかった熊本県女子師範学校に進学、卒業後に上京。 桑沢デザイン研究所で桑沢洋子に師事。同時に文化学院デザイン科に通うかたわら絵画研究所で学ぶ。桑沢にデザイナーになることを勧められ、1952年に銀座の高級店「銀座ビジョン」「銀座レインボー」に勤務、チーフデザイナーのジョージ岡に学ぶ。 久我アキラのアシスタントを経て1956年独立「植田いつ子アトリエ」を開設。
田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 20… 田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 2018年9月)は、日本の元陸上競技選手。熊本県玉名市出身。中央大学卒業。 陸上競技部の無い中学校の出身だったが、全学年が参加する2000m競走の体力測定が毎年あり、一番速かった。1946年に第五高等学校で戦後初の県大会が行われ、予選は一着で通過し、決勝では1位の選手と同タイムながら2位だった。 1947年に中央大学予科に入学。トラックでの成績は振るわなかったが箱根駅伝の6区を試走した際に、前回大会(第23回箱根駅伝)で6区を走った野谷守也を大幅に上回るタイムで走り、第24回箱根駅伝の6区に出場。氷点下8度の中、1時間20分38秒の記録で区間賞を獲得し、22年ぶりの総合優勝に貢献した。
伊津野 朋弘(いつの ともひろ、1928年7月17日- )は… 伊津野 朋弘(いつの ともひろ、1928年7月17日- )は、日本の教育行政学者。東京学芸大学名誉教授。 熊本県山鹿市出身。海軍兵学校、1953年東京文理科大学教育学科卒、千葉県教育研究所研究員、千葉県立千葉東高等学校教諭、北海道教育大学助教授、東京学芸大学助教授、教授、92年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授、97年退任。
松尾 浩也(まつお こうや、1928年(昭和3年)6月29日… 松尾 浩也(まつお こうや、1928年(昭和3年)6月29日 - 2017年(平成29年)12月1日)は、日本の法学者(刑事法学)。位階は正四位。勲等は勲二等。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京大学法学部助手、上智大学法学部助教授、東京大学教養学部教授、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、千葉大学法経学部教授、上智大学法学部教授、法務省特別顧問、社団法人学士会理事長などを歴任した。 1928年(昭和3年)生まれ、熊本県玉名郡荒尾町(現・荒尾市)出身の刑事法学者である。東京大学、上智大学、千葉大学で教鞭を執った。法務省では法制審議会や検察官適格審査会の会長を務め、のちに法務省の特別顧問となった。
原田 孝一(はらだ こういち、1928年6月15日 - )は… 原田 孝一(はらだ こういち、1928年6月15日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
嶌村 剛雄(しまむら つよお、1928年3月10日 - 19… 嶌村 剛雄(しまむら つよお、1928年3月10日 - 1994年6月4日)は、日本の会計学者。元明治大学教授(在職死亡)。 熊本市出身。立教大学卒、同大学院経済学研究科博士課程満期退学、1977年「会計上の資産概念に関する研究」で、明治大学より経営学博士の学位を取得。明治大学経営学部助教授、教授を務め、在任中に66歳で死去した。
池田 運(いけだ はこぶ、1928年 - )は、ヒンディー語… 池田 運(いけだ はこぶ、1928年 - )は、ヒンディー語文学の翻訳者でインド研究家。日印友好のために広く活動したことでも著名であり、代表的著作に『インドの農村に生きる』がある。一般社団法人日印サルボダヤ交友会員。 池田運は、1928年(昭和3年)、熊本県の農家に生まれた。1945年(昭和20年)、旧制熊本県立中学校済々黌を卒業し、その後は、自宅で家業を手伝った。1949年(昭和24年)からは熊本県菊池郡西合志町の役場に勤務していた。 1956年(昭和31年)、熊本の篤志家児玉亀太郎の世話で、当時、東京大学の神谷慶治教授が主催していた「日印土の会」から、農業指導のために派遣される青年6名のうちの1人に選ばれてインドへ渡った。
荒川 さつき(あらかわ さつき、1927年12月22日 - … 荒川 さつき(あらかわ さつき、1927年12月22日 - 没年不明)は、日本の女優。本名は吉田 五月。 熊本県出身。東京川村女学院(現・川村高等学校)を経て実践専門学校中退。鎌倉在住の文士たちが中心になって開催した鎌倉カーニバルにおいてミス鎌倉に選ばれ、久米正雄の推薦により、1949年に大映に入社。1950年、映画「私は狙われている」(監督:森一生)で主役に抜擢される。1952年に新東宝に移籍。1959年に東映入社。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属 。 1956年、関東女子ゴルフ選手権で優勝。当時、大きな話題となる。
26代 式守 伊之助(にじゅうろくだい しきもり いのすけ、… 26代 式守 伊之助(にじゅうろくだい しきもり いのすけ、1927年(昭和2年)10月22日 - 1994年(平成6年)3月31日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は1991年1月 - 1992年9月。春日野部屋所属。熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身。本名は茶原宗一。 1941年、13歳で春日野部屋に入門。1年先輩に木村英三(後の27代伊之助)がおり、入門当時は英三から教育を受ける。同年5月に木村宗市の名で初土俵。1944年に肋膜炎を患い一旦は故郷に戻るも、1946年に兄弟子の元三役格13代木村庄太郎の取り計らいで復帰。その後6代木村庄次郎襲名。一旦は木村宗市に戻し1956年5月十両格。
福島 譲二(ふくしま じょうじ、1927年3月31日 - 2… 福島 譲二(ふくしま じょうじ、1927年3月31日 - 2000年2月25日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(6期)、熊本県知事を務めた。熊本県出身。
石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年(昭和2年)3月1… 石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年(昭和2年)3月11日 - 2018年(平成30年)2月10日)は、日本の小説家・詩人・環境運動家。 主婦として参加した研究会で水俣病に関心を抱き、患者の魂の訴えをまとめた『苦海浄土ーわが水俣病』(1969年)を発表。ルポルタージュのほか、自伝的な作品『おえん遊行』(1984年)、詩画集『祖さまの草の邑』(2014年)などがある。 石牟礼道子は1927年3月11日白石亀太郎(当時34歳)と吉田ハルノ(当時24歳)の長女として、熊本県天草郡河浦町(現・天草市)に生まれる。父や祖父は石工であり、道子という名は道路が完成することを予祝して、 家族全員が考えて、名付けられた。
吉永 昭(よしなが あきら、1927年 - )は、日本の歴史… 吉永 昭(よしなが あきら、1927年 - )は、日本の歴史学者、広島大学名誉教授、福山大学名誉学長。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校、広島高等師範学校を経て、 広島文理科大学(現・広島大学)史学科を卒業した。 文部省資料館勤務、開成高等学校教諭を経て、東京女子体育大学で助教授となる。その後相模女子大学助教授に移り、愛知教育大学助教授、教授を経て、広島大学教授に就任した。 この間、1971年に「近世専売制度の研究」で広島大学より文学博士号を取得した。 1991年に定年退官して、広島大学名誉教授となる。退官後は福山大学学長を務め、退任後に名誉学長となる。
筑紫 まり(つくし まり、1926年6月7日 - 1988年… 筑紫 まり(つくし まり、1926年6月7日 - 1988年10月30日)は、元宝塚歌劇団月組トップ娘役の人物である。舞踊家・松原貞夫の妻。六本木で歌える店『まり』を経営した。熊本県人吉市出身。本名は松原淳子。宝塚歌劇団時代の愛称はジュンちゃん。入団時の芸名は相良 智代(さがら ともよ)。 1943年、宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学。 1945年、33期生として、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は13人中4位。 1946年、『カルメン』で初舞台を踏む。 配属組は月、声楽専科、雪の順である。 1959年2月28日付で、宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は雪組公演『秋の踊り (日本の旋律)/戯れに恋はすまじ』である。
蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023… 蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023年3月17日)は、日本の医学者。天然痘の撲滅に尽力した。 熊本県熊本市生まれ。旧制熊本中学、熊本医科大学(現・熊本大学医学部)卒業。 臨床医を経て、1950年に厚生省(現・厚生労働省)に医系技官として入省した。 1962年からWHOアフリカ事務局員としてリベリアに赴任し、天然痘の対策に尽力した。 1977年にはWHOの世界天然痘根絶対策本部長に就任。最後の流行地ソマリアでは紛争の中ワクチン接種を続け、1980年の天然痘根絶宣言につなげた。 1985年に帰国後、国立熊本病院(現・国立病院機構熊本医療センター)院長に就いた。 1988年に日本国際賞を受賞している。
田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月2… 田尻 靖幹(たじり やすもと、1926年(大正15年)3月27日 - 2013年(平成25年)5月1日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。位階は正六位。勲四等旭日小綬章。 熊本県熊本市出身。1950年早稲田大学専門部卒。1954年熊本市役所に入り、観光、総務の各部長、経済、総務の各局長を経て、1980年助役に就任。1984年まで務めた後、1986年の熊本市長選に立候補して当選し、2期8年務めた。在任中は全国に先駆けて環境基本条例を制定、1991年には近隣の旧飽託郡4町合併などを行った。1994年に市長を引退。1999年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。2013年死去。死没日付をもって正六位を追贈された。
加藤 圭朗(かとう けいろう、1926年 - )は昭和期の日… 加藤 圭朗(かとう けいろう、1926年 - )は昭和期の日本の官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1943年卒業)、東亜同文書院大学予科を経て、九州帝国大学法文学部を卒業した。 1949年に人事院に入庁する。近畿事務局長、給与局次長、公務員研修所長、管理局長を経て、1983年に人事院事務総長となる。1986年に退官した。退官後は日本体育・学校健康センター理事を務めた。
小田 啓二(おだ けいじ、1925年12月14日 - 200… 小田 啓二(おだ けいじ、1925年12月14日 - 2006年9月9日)は日本の実業家。熊本市出身。兼松株式会社元代表取締役社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 20… 谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 2013年6月7日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。民俗学者谷川健一、詩人谷川雁は兄。弟に日本エディタースクール創設者の吉田公彦。 熊本県水俣市生まれ。水俣小学校、熊本県立熊本中学校(現:熊本県立熊本高等学校)、大阪府立浪速高等学校を経て、1945年、京都帝国大学文学部史学科に進学。兵役を挟んで、1948年9月卒業。同年京都大学大学院に入学し、その旁ら京都府立亀岡高等学校、京都府立洛北高等学校で教鞭も執る。 1952年11月に名古屋大学文学部助手(主任:宇都宮清吉)。1954年6月、京都大学大学院を退学する。名古屋大学文学部助教授を経て、1972年、名古屋大学文学部教授。
馬場 昇(ばば のぼる、1925年11月26日 - 2015… 馬場 昇(ばば のぼる、1925年11月26日 - 2015年6月15日)は、日本の政治家。衆議院議員、日本社会党書記長を歴任。 熊本県葦北郡湯浦町(現在の芦北町)に生まれる。熊本高等工業学校(現・熊本大学工学部)卒業。1947年、教職に就き、教員組合・教職員組合に加入。1951年頃より専従職員。1952年には熊本県高教組初代副委員長。1953年には日教組中央執行副委員長。1961年には熊本県総評副議長、1967年には同・議長。 1972年12月、第33回衆院選で旧熊本2区において日本社会党から出馬し初当選。 1980年6月には当選3回以下の議員を中心に53名で中間左派の党内派閥日本社会党新生研究会を結成し、当時当選4回の馬場は代表委員に就任。
渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 19… 渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。熊本県八代市出身。旧制八代中学、明治大学法学部卒業。 坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年、第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。
長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3… 長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3日 - 2016年(平成28年)8月31日)は、日本の銀行家。肥後銀行頭取、熊本経済同友会代表幹事、九州山口経済連合会副会長等を歴任した。1988年藍綬褒章。 熊本県玉名郡弥富村(現:玉名市)生、熊本市出身。 九州大学経済学部卒業後、肥後銀行入行。各部長等を歴任後、1984年には同行初のプロパーとして、頭取に就任した。 9年間の頭取在任時は、1985年9月には東証、大証1部への上場。新事務センターを建設し第三次オンラインシステム稼動を実現させた。また、業容の拡大に取り組み、1990年には預金残高2兆円、融資残高1兆5000億円の達成も成し遂げた。
福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日 - 19… 福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日 - 1988年12月23日)は、日本の政治家。大蔵官僚。参議院議員(1期)。位階は正四位。勲等は勲二等。 著書に『カナダ経済の旅』、『連合艦隊 - サイパン・レイテ海戦記』があり、後者は秦郁彦から「第一級の史書」という評価を受けた。 映画ファンで、大蔵省の広報誌『ファイナンス』で映画評を連載したり、日本文藝家協会会員でもあった。
田辺 哲夫(たなべ てつお、1924年12月1日 - 200… 田辺 哲夫(たなべ てつお、1924年12月1日 - 2000年10月9日)は、日本の考古学者、教育者。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1942年卒業)を経て、広島高等師範学校を卒業した。 教員となり、京都師範学校、母校である熊本県立玉名高等学校で勤務の後、熊本県立小国高等学校で教頭・指導主事・主幹を、玉名高等学校、熊本県立第一高等学校、熊本高等学校で校長を務めた。熊本県庁で初代の文化課長を務めたこともある。 教員業の傍ら考古学者としての活動をおこない、九州各地の古墳などを調査した。県文化課長時代は遺跡の保護に力を尽くした。 1996年には、長年にわたる考古学への功績を評価されて熊本日日新聞社の熊日賞を受賞した。
園田 実彦(そのだ さねひこ、1924年9月22日 - 19… 園田 実彦(そのだ さねひこ、1924年9月22日 - 1995年1月10日)は、日本の映画プロデューサー。 熊本県熊本市出身。1952年京都大学法学部卒業後、東映に入社。1955年企画部プロデューサー、1965年企画部次長、1966年企画部長となる。
マナブ 間部(まなぶ まべ、1924年(大正13年)9月14… マナブ 間部(まなぶ まべ、1924年(大正13年)9月14日 - 1997年(平成9年)9月22日)は、日系ブラジル人の画家。日本生まれであるが後にブラジルに移住し、同国を中心に活動した。マナブ・マベ、間部 学とも表記される。ブラジルを代表する文化人。 熊本県出身。10歳で家族と共にブラジルへ移住。コーヒー農園での過酷な労働に従事しながら、独学で絵画を学んだ。1950年代後半、コーヒー園を売り払いサンパウロへ転居。看板描きなどで生計を立てる極貧生活の中、1959年にサンパウロ・ビエンナーレで国内大賞、パリ青年ビエンナーレで受賞し、一躍世界的に「時の人」となった。 「クワを捨てて2年」で世界の頂点へ登り詰めたその成功は、当時のメディアから「シンデレラ・マン」と称賛された。
加地 正郎(かじ まさろう、1924年9月11日 - 201… 加地 正郎(かじ まさろう、1924年9月11日 - 2017年12月10日)は、日本の医師、久留米大学医学部第一内科名誉教授。 熊本県熊本市出身。九州大学を卒業後、九州大学第一内科に入局。感染症を主として研究対象とした。1952年九州大学から学位を得る。題は「西日本各地区住民特に学児のインフルエンザビールス中和抗体保有量について」。特にインフルエンザの研究は知られており、「風邪の加地」(かぜのかじ)と異名をとった。門下生には九州大学総合診療部教授、国立病院九州医療センター院長をつとめた柏木征三郎がいる。その後久留米大学へ転出し、教授に就任した。教授退官後は呉共済病院院長に就任した。 2001年秋、勲三等瑞宝章叙勲。
岩瀬 剛(いわせ つよし、1924年8月22日 - )は、熊… 岩瀬 剛(いわせ つよし、1924年8月22日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。
守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1… 守住 有信(もりずみ ゆうしん、1924年8月11日 - 1999年11月14日)は、日本の政治家。参議院議員。熊本県熊本市出身。
牧英正(まき ひでまさ、1924年4月24日 - 2018年… 牧英正(まき ひでまさ、1924年4月24日 - 2018年7月8日)は、日本の法制史学者、大阪市立大学名誉教授。 熊本市生まれ。父は京都帝国大学教授・牧健二。1948年京都帝国大学法学部卒。62年「日本法史における人身売買の研究」で京都大学法学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、88年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2000年退職。1968年から1989年まで法制史学会理事。2001年勲三等瑞宝章受章。2018年7月8日京都で死去。享年94。
久々山 義人(くぐやま よしと、1924年(大正13年)2月… 久々山 義人(くぐやま よしと、1924年(大正13年)2月9日 - 2013年(平成25年)10月11日)は、日本の政治家。熊本県本渡市(現・天草市)長。 熊本県天草郡櫨宇土村出身。1944年、海軍経理学校卒。1952年、櫨宇土村教育委員となり、1954年に合併で本渡市になるまで務める。1957年、本渡市議会議員に当選。7期連続で務め、議長も務めた。1984年、本渡市長に当選、市長を4期務める。2000年に市長を退任した。2013年死去。