神園 征(かみぞの ただし、1943年〈昭和18年〉12月2… 神園 征(かみぞの ただし、1943年〈昭和18年〉12月28日 - 2022年〈令和4年〉7月31日)は、日本の政治家。鹿児島県枕崎市長(3期)。 鹿児島県枕崎市出身。かつお節店の四男として生まれる。鹿児島県立甲南高等学校、早稲田大学法学部卒業。1974年に帰郷し、学習塾を経営。枕崎市議会議員を経て、2002年枕崎市長に初当選。 2006年の市長選挙で再選を目指したが、元高等学校校長の瀬戸口嘉昭に敗れた。※当日有権者数:20,960人 最終投票率:72.82%(前回比:-pts) 4年後の2010年の市長選挙に立候補し、現職の瀬戸口を破って市長に復帰した。※当日有権者数:20,150人 最終投票率:69.74%(前回比:-3.08pts) 2014年の市長選挙でも瀬戸口らを破って再選。
村田 秀一(むらた ひでかず、1943年12月10日 - )… 村田 秀一(むらた ひでかず、1943年12月10日 - )は、日本の工学者、土木工学者。山口大学名誉教授、工学博士。専門は、地盤工学、岩石力学。 鹿児島県出身。川内市(現薩摩川内市)で育ち、小学6年生の時に鹿児島市へ移る。1962年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1967年、九州大学工学部土木工学科卒業。大学院で、防災工学的見地から九州南部のシラス地盤を研究し、1969年に九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程を修了。同年、鹿児島工業高等専門学校の助手となり、翌年、講師に就く。1974年、鹿児島工業高等専門学校助教授に就任。九州大学研究員として「地山シラスの破壊機構と斜面安定に関する研究」に取り組み、1978年10月3日に工学博士の学位を授与される。
野村 哲郎(のむら てつろう、1943年〈昭和18年〉11月… 野村 哲郎(のむら てつろう、1943年〈昭和18年〉11月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)。鹿児島県姶良郡隼人町(現:霧島市)出身。 農林水産大臣(第67代)、農林水産大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、参議院決算委員長、同政府開発援助等に関する特別委員長、同農林水産委員長、同政治倫理審査会長、自由民主党政務調査会長代理などを歴任。甥は野村の第一秘書。 1962年、ラ・サール高等学校卒業。1966年、中馬辰猪衆議院議員秘書となる。1969年、鹿児島県農業協同組合中央会に入職。経営監査部長、参事、常務などを歴任し2004年に退職。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で鹿児島県選挙区より出馬し初当選。
久保 陽子(くぼ ようこ、1943年11月12日 - )は、… 久保 陽子(くぼ ようこ、1943年11月12日 - )は、日本のヴァイオリニスト、音楽教育者。鹿児島県奄美大島出身。 3歳より、名瀬市(現奄美市)で薬局を経営する父の手ほどきによってヴァイオリンを始める。当時は第二次世界大戦後間もない時期で混乱が続いており、また貧しかったため、本物のヴァイオリンではなく父が手作りしたブリキのヴァイオリンを弾いていたという。本人いわく、「まさに子供の遊びであった」とのこと。 5歳の時に転機が訪れ、当時、人気を博していた石井みどり舞踊団が船で沖縄公演に向かう途中台風に遭い、奄美大島に停泊。船には石井みどりの夫で、著名なヴァイオリニストの折田泉も搭乗しており、これを聞きつけた両親が久保を連れて折田の元を訪ねた。
鎌田 道隆(かまだ みちたか、1943年10月13日 - )… 鎌田 道隆(かまだ みちたか、1943年10月13日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。博士(文学)。奈良大学学長・名誉教授。 鹿児島県屋久島(屋久島町楠川)生まれ。1962年3月、鹿児島県立屋久島高等学校卒業。1966年3月、立命館大学文学部史学科日本史専攻卒業、1969年3月、同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了(文学修士取得)。2001年、立命館大学より博士(文学)授与。 1980年4月に奈良大学文学部助教授に就任し、1988年に教授に昇任。同大学の図書館長(1994年)、文学部長(1997年)、学長(2002年)を歴任。2011年同大学退任。平城遷都1300年記念事業協会評議員。
伊東 秀子(いとう ひでこ、1943年〈昭和18年〉8月15… 伊東 秀子(いとう ひでこ、1943年〈昭和18年〉8月15日 - )は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)を歴任。夫は北海道大学教授を務めた伊東倫厚。 満洲国(現:中国東北部)で出生し、父の故郷である鹿児島県で育つ。川辺郡大浦町(現:南さつま市大浦町)出身。 東京都立戸山高等学校、東京大学文学部卒業。大学卒業後、家庭裁判所調査官を経て、1979年に35歳で司法試験に合格。司法修習34期を経て1982年弁護士登録、札幌弁護士会入会。 当初は日本共産党に所属していたが離党、1990年の第39回衆議院議員総選挙で北海道第1区において日本社会党公認候補として初出馬し横路孝弘道知事や竹村泰子参議院議員の全面的支援で憲政史上最多得票で初当選を飾り鈴木喜久子らとマドンナ議員として注目を集める(社会党現職小林恒人も再選)。
北浜 流一郎(きたはま りゅういちろう、本名:福永 爲善、1… 北浜 流一郎(きたはま りゅういちろう、本名:福永 爲善、1943年7月20日 - )は、日本の株式評論家(自称、株式アドバイザー)。 鹿児島県出水郡阿久根町(現・阿久根市)出身。 慶應義塾大学商学部中退後、コピーライター、週刊誌記者、作家業を経て個人投資家向けの株式投資のアドバイスを行っている。 日本ペンクラブ、日本文芸家クラブに所属。 慶應義塾大学商学部に入学するが、新聞部の活動と映画鑑賞に明け暮れ、簿記とドイツ語の単位を落とす。当時、学生運動で学内が荒れて講義が殆どなかったこともあり、テレビアニメのシナリオなどを執筆して生活の糧とすることを試みるが、2本執筆した後に大学を中退する。 中退後しばらくは定職に就かなかったが、通信教育等のコピーライターとして再出発を図る。
篠原 良昭(しのはら よしあき、1943年6月30日 - )… 篠原 良昭(しのはら よしあき、1943年6月30日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手、遊撃手。 鹿児島商業では2年生の時、1960年の春の選抜に三番打者、遊撃手として出場している。1回戦でエース渡辺泰輔を擁する慶應高に大敗。同年夏の甲子園県予選では準決勝で出水商に敗れる。翌年夏も2年生エース浜崎正人の好投で県予選決勝に進出するが、東条文博のいた鹿児島実に敗退、夏の選手権には出られなかった。 1962年に大毎オリオンズへ入団。俊足好守の内野手と期待され、1964年には一軍に定着する。控え選手の時期が長かったが、1966年に主に遊撃手として82試合に先発出場、石黒和弘とレギュラーを争う。
志摩 れい子(しま れいこ、1943年〈昭和18年〉6月23… 志摩 れい子(しま れいこ、1943年〈昭和18年〉6月23日-)は、日本の政治家、フリーアナウンサー。鹿児島市議会議員(5期)。元鹿児島県議会議員。元MBC南日本放送アナウンサー。 鹿児島市出身。東京の共立女子短期大学を卒業。 1964年(昭和39年)に帰郷し、有島裕子として同年4月1日付けでMBC南日本放送へアナウンサーとして入社。 鹿児島市の丸屋デパートにおいて1963年(昭和38年)に完成した九州初のサテライトスタジオ「MBCサテライトスタジオ」では、ラジオ公開放送の度スタジオ前に人だかりができる状態であったが、その丸屋デパートにおいて1965年(昭和40年)、2周年記念イベントの公開ラジオ番組「ミュージック☆オンパレード」を行い『ユアヒットパレード』で人気を博していたアナウンサーの横山欣司と共に司会を務め、集まった多くの来場者からリクエスト曲の受け付けを行った。
青崎 済(あおさき わたる、1943年6月14日 - )は、… 青崎 済(あおさき わたる、1943年6月14日 - )は、日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社特別顧問を務めた。 鹿児島県出身。1962年鹿児島県立川内高等学校卒業。1968年九州大学法学部卒業、日本製粉入社。仕入れや製造に携わり、小山工場長、千葉工場長を経て、2001年取締役千葉工場長に昇格。2002年取締役経営企画部長。2004年常務取締役製粉業務部長。2005年常務取締役製粉事業本部長。2006年から代表取締役社長(C.O.O.)を務め、意識改革などにあたった。2008年にリーマン・ショックが発生し、2009年に特別顧問に退いた。
久木田 重和(くきた しげかず、1943年4月7日 - 20… 久木田 重和(くきた しげかず、1943年4月7日 - 2021年7月8日)は、日本の会計学者。専門分野は、財務会計・国際会計。東京経済大学名誉教授。同大学元学長。2004年から2006年にかけて、公認会計士試験の試験委員を務めた。 1943年、福岡県戸畑市で生まれる。1966年、九州大学経済学部卒業。1968年、同大学大学院経済学研究科修士課程修了。1971年、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。同年、東京経済大学経営学部専任講師。1984年、同教授。2008年、同大学学長(2013年度末まで)。2014年、同大学定年退職、名誉教授。
出水 憲(いずみ けん、1943年3月2日 - )は、日本の… 出水 憲(いずみ けん、1943年3月2日 - )は、日本の俳優。旧芸名は出水 憲司。鹿児島県出身。身長172cm、体重72kg。血液型はA型。日本芸能センター所属。60年代後半から70年代にかけては、悪役での出演がとても多かった俳優である。 鹿児島県立出水高等学校卒業。高校時代、柔道で国体に出場。高校卒業後、富士製鐵入社。その後、俳優養成所を経て、映画デビュー。 テレビ・ドラマは、出水憲司として『仮面の忍者赤影』、『風』、『燃えよ剣』、『水戸黄門』、『大岡越前』、『暴れん坊将軍』、『必殺仕事人』など多数の時代劇などに出演。その後、出水憲司から出水憲に改名した。役どころは概ね悪役もしくはその配下の場合が多いが、21世紀になってからは善人役を演じることも多い。
叶 芳和(かのう よしかず、1943年1月28日 - )は、… 叶 芳和(かのう よしかず、1943年1月28日 - )は、日本の経済学者。元国民経済研究協会理事長。 鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島加計呂麻島)出身。瀬戸内町立薩川中学校卒業、東京都立江戸川高等学校卒業、1966年中央大学法学部第二部法律学科卒業。1969年財団法人国民経済研究協会研究員就任。1977年一橋大学大学院経済学研究科博士課程退学。指導教官は宮澤健一で、専攻分野は経済学。1983年5月から1996年まで国民経済研究協会理事長、1997年1月総合研究開発機構客員研究員、1997年から2006年まで拓殖大学国際学部教授、1998年9月シンガポール東南アジア研究所(lSEAS)客員研究員、2007年から帝京平成大学現代ライフ学部教授、健康メディカル学部作業療法学科教授。
中山 律子(なかやま りつこ、1942年〈昭和17年〉10月… 中山 律子(なかやま りつこ、1942年〈昭和17年〉10月12日 - )は、日本のプロボウラー。群馬県吾妻郡草津町生まれ、鹿児島県育ち。ライセンスNo.2の女子プロ1期生。通算タイトル33勝の永久シードプロで公認パーフェクト2回。社団法人日本プロボウリング協会(JPBA)会長職を4期8年務めた後、2012年3月より名誉会長。ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)名誉会長。鹿児島市立鹿児島女子高等学校卒業、愛称は「和製ジャンヌ・ダルク」。弟の中山徹は、プロゴルファーでPGAシニアツアー賞金王になったこともある。 中学2年生で鹿児島県の健康優良児コンテストで第1位に選出される。中学時代からバレーボールを始めて、高校時代にはバレーの選手として東京・熊本と2年連続で国民体育大会に出場。
郡山 健次郎(こおりやま けんじろう、Paul Kenjir… 郡山 健次郎(こおりやま けんじろう、Paul Kenjiro Koriyama, 1942年8月20日-)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック鹿児島司教区名誉司教。洗礼名は「パウロ」。 鹿児島県大島郡竜郷町瀬留で郡山為業・セツ夫妻の7人兄弟の次男として生まれる。本人によれば、父は家に客があると手を頭の上に置き、「この子は司祭になる」と言っていた。名瀬の大島高等学校を卒業後、予備校に通っている間に司祭への召命を感じ、1964 年4月に鹿児島教区神学生として福岡サン・ スルピス大神学院へ入学。1972年3月20日、奄美大島名瀬の聖心教会で鹿児島教区糸永真一司教により司祭に叙階された。 33年間教区司祭として8小教区で働く以外に、教区青少年担当司祭、CLC(クリスチャンライフコミュニティー)、ME(マリッジエンカウンター)などを担当した。
井上 博允(いのうえ ひろちか、1942年(昭和17年)7月… 井上 博允(いのうえ ひろちか、1942年(昭和17年)7月5日 - )は、日本のロボット工学者。勲等は瑞宝中綬章。東京大学名誉教授、工学博士。鹿児島県鹿児島市出身。 1969年に計算機で制御される双動性を備えたマニピュレータの開発に世界で初めて成功、クランクの回転・ピンを穴に抜き差し・直接教示など、触覚と力覚を使う重要な動作機能を実現した。1970年電子技術総合研究所の知能ロボットプロジェクトに加わり、ハンドアイシステムで視覚フィードバックによる組み合わせ作業を実現、客員研究員で訪れたMITにおいてロボットによる千分の一インチのはめあい作業を実現する。 1978年東京大学助教授に着任し情報システム工学(JSK)研究室を開設、1984年教授。
赤木 洋勝(あかぎ ひろかつ、1942年〈昭和17年〉6月1… 赤木 洋勝(あかぎ ひろかつ、1942年〈昭和17年〉6月10日 - 2020年〈令和2年〉8月6日)は、日本の薬学者。薬学博士。公衆衛生、環境衛生学の研究者。私設研究所「国際水銀ラボ」所長。メチル水銀をわずかな濃度で正確に計測できる「赤木方式」を開発した。 1942年に鹿児島県枕崎市に生まれる。鹿児島県立枕崎高等学校卒業。1966年 岐阜薬科大学卒業、同大学院薬学研究科進学、1968年 同大学院薬学研究科修了(薬学修士)。1976年 薬学博士(岐阜薬科大学、学位請求論文『水圏における水銀化合物の光化学的変換』。 1968年に厚生省入省、国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)。1976年 厚生省国立公衆衛生院主任研究官。
逆鉾 與治郎(さかほこ よじろう、1942年6月7日 - 2… 逆鉾 與治郎(さかほこ よじろう、1942年6月7日 - 2000年12月 )は、鹿児島県川内市五代町(現在の薩摩川内市五代町)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は山口 元行(やまぐち もとゆき)→古田 元行(ふるた -)。最高位は東前頭6枚目(1963年7月場所)。現役時代の体格は176cm、90kg。得意手は左四つ、突っ張り、出し投げなど。 中学校を卒業後、地元の県会議員・田中氏の紹介で井筒部屋へ入門し、1958年7月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、出身地の川内市に因んだ「川内」。 以来、順調に出世し、1962年7月場所で新十両に昇進。これを機に四股名を、「逆鉾」へ改めた。 その後、1963年5月場所で新入幕。
有馬 利男(ありま としお、1942年5月31日 - )は、… 有馬 利男(ありま としお、1942年5月31日 - )は、日本の実業家。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長や、ジャパン・プラットフォーム共同代表理事、りそなホールディングス取締役指名委員会委員長、キリンホールディングス取締役、富士重工業(現:SUBARU)取締役などを歴任した。 鹿児島県鹿児島市出身。ラ・サール高等学校卒業後、1年間の大学受験浪人生活を経て、京都大学にも合格したが国際基督教大学に進学する。1967年に大学を卒業し、富士ゼロックス入社。2002年から富士ゼロックス代表取締役社長を務めた。2006年富士フイルムホールディングス取締役。2007年富士ゼロックス取締役相談役。
坂井 宏行(さかい ひろゆき、1942年4月2日 - )は、… 坂井 宏行(さかい ひろゆき、1942年4月2日 - )は、日本の料理人、実業家。ラ・ロシェル店主、株式会社サカイ食品代表取締役会長。通称はムッシュ。 西洋膳所ジョン・カナヤ麻布シェフ(初代)、株式会社サカイ食品社長(初代)などを歴任した。 鹿児島県出水市出身のフランス料理人である。フランス料理に日本の懐石料理の手法を取り入れたことで有名。東京都港区南青山にあるレストラン「ラ・ロシェル」のオーナーシェフであり、同店の運営会社である株式会社サカイ食品の代表取締役社長を務めていた。フジテレビの料理対決番組『料理の鉄人』に「フレンチの鉄人」として出演。身長173cm、A型。 父が仕事のため当時日本領であった朝鮮に渡っていたことから、1942年(昭和17年)に朝鮮で生まれた。
西和美(にし かずみ、1942年(昭和17年)3月25日)は… 西和美(にし かずみ、1942年(昭和17年)3月25日)は鹿児島県大島郡瀬戸内町西古見生まれの島唄の歌い手。1978年頃義父の影響で島唄を初め、坪山豊を師匠とする。1981年頃『嘉徳なべ加那節』にて南海日日新聞主催の奄美民謡大賞 新人賞受賞。翌年同大会の民謡大賞受賞後舞台活動を開始。 自身や経営する店舗は、奄美大島を舞台としたドラマなどに度々登場している。
本田 勝彦(ほんだ かつひこ、1942年(昭和17年)3月1… 本田 勝彦(ほんだ かつひこ、1942年(昭和17年)3月12日 - )は、日本の実業家。 元日本たばこ産業社長。同社相談役、顧問を経て、社友。元・NHK経営委員会委員長職務代行者。 鹿児島県日置市の旧日置郡日吉町出身。1942年、小学校教諭の父・省吾と母・藤の間に、5人兄弟の4番目として誕生。町立日置小学校を経て、日置中学校3年在籍中の10月に長兄のいる東京へ移り、足立区立第十六中学校に転校。東京都立上野高等学校を経て、1965年東京大学法学部卒業後は、日本専売公社(現・日本たばこ産業)に入社。人事部長、たばこ事業本部長などを経て、2000年に日本たばこ産業 (JT) 社長に就任した。JT社長を退任後は相談役、顧問を経て社友。
渋谷 俊彦(しぶや としひこ、1942年(昭和17年)2月2… 渋谷 俊彦(しぶや としひこ、1942年(昭和17年)2月28日 - )は、日本の政治家。初代鹿児島県出水市長(新市制、3期)、出水市長(旧市制、2期)、出水市議会議員(旧市制、4期)などを歴任した。 先祖は渋谷氏。(出水郷土史に因る)[要出典] 鹿児島県出水市出身。1967年(昭和42年)2月、東洋大学経済学部卒業。1968年(昭和43年)4月から1972年(昭和47年)12月まで池田清志衆議院議員の秘書を務めた。同年同月から1974年(昭和49年)3月まで自由民主党東京都連事務局職員および鯨岡兵輔衆議院議員の秘書を務めた。 1982年(昭和57年)11月から1995年(平成7年)3月まで旧出水市議会議員を4期務めた。
武 建一(たけ けんいち、1942年 - )は、日本の政治運… 武 建一(たけ けんいち、1942年 - )は、日本の政治運動家。全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部執行委員長、組織内シンクタンク「社会資本政策研究会」代表理事を務めた。 1942年、鹿児島県大島郡天城町生まれ。北中学校卒業後、島内の商店に住み込みで働いていたが、19歳の時に大阪府に移住し、三生運送に就職。 1965年6月、23歳の時に連帯労組関西地区生コン支部の発足準備委員会発足に伴い、委員長に選出され、4ヶ月後の同年10月17日、関西地区生コン支部を結成し、初代委員長に就任。 ミキサー車の運転手から、専従組合員となる。同社内に全国自動車運輸労働組合所属の労組が別々に組織しており、同社内の組織の統一機関となる。
吉永 正人(よしなが まさと、1941年10月18日 - 2… 吉永 正人(よしなが まさと、1941年10月18日 - 2006年9月11日)は、鹿児島県肝属郡串良町(現・鹿屋市)出身の元騎手・元調教助手・元調教師。 騎手時代は「吉永スペシャル」と呼ばれた追い込みや逃げなど極端な作戦を取る個性派の騎手として知られ、中央競馬史上3頭目の三冠馬・ミスターシービーや、1982年の春の天皇賞馬・モンテプリンスなどの主戦騎手を務めた。 死別した最初の妻との間には一男二女を授け、長男の吉永護は元騎手・現調教助手。作家の吉永みち子は2番目の妻で、一男を授けた。 実弟の吉永良人は馬事公苑花の15期生の一人で元騎手、調教助手。 馬生産を営む吉永牧場の次男として生まれる。同場は吉永の曾祖父で、薩摩藩の馬術指南役を務めていた吉永新九郎が1890年代後半に興した一帯で最古の馬生産牧場である。
浜田 卓二郎(濱田 卓二郎、はまだ たくじろう 1941年〈… 浜田 卓二郎(濱田 卓二郎、はまだ たくじろう 1941年〈昭和16年〉10月5日 - 2022年〈令和4年〉5月16日)は、日本の弁護士、実業家、元政治家。 妻は実業家、エッセイストの浜田マキ子、長男の妻はコカ・コーラ ボトラーズジャパンホールディングス社外取締役などを務める浜田奈巳。位階勲等は正四位旭日重光章。 鹿児島県姶良郡加治木町(姶良市)生まれ。祖父は故浜田精蔵衆議院議員。父は警察官。神奈川県横須賀市に転居し、栄光学園中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。東大在学中の1964年、国家公務員採用上級職甲種試験、司法試験に合格。1965年に東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省した。同年、結婚。
新原 晧一(にいはら こういち、1941年9月28日 - )… 新原 晧一(にいはら こういち、1941年9月28日 - )は、日本の工学者。学位は、工学博士(大阪大学)。研究分野は、材料科学・破壊力学・ナノコンポジット工学。日本セラミックス協会会長(2009年 - 2010年)、長岡技術科学大学学長(第7代)。大光銀行顧問、アクシアルリテイリング社外取締役・独立役員、永井エヌ・エス知覚科学振興財団理事・選考委員、大倉和親記念財団選考委員。 鹿児島県出身、新潟県長岡市在住。父親は小学校の先生。ラ・サール高等学校、大阪大学原子力工学科を卒業。大阪大学大学院工学研究科原子力工学専攻修士課程を修了。 大阪大学産業科学研究所高次インターマテリアル研究センターセンター長(1994年4月1日~2000年3月31日)、九州大学機能物質科学研究所教授(1994年7月1日~1994年9月30日)、Hanyang大学研究教授(2000年3月1日~)、東京工業大学統合院特任教授(2005年9月1日~2007年3月31日)、長岡技術科学大学学長(2009年9月16日~2015年9月15日)・2011年10月17日、110年以上の歴史を持つ米国セラミックス学会の最高栄誉賞であるディスティンギュッシュド ライフメンバーシップ(Distinguished Life Membership )賞を受賞。
龍岡 資晃(たつおか すけあき、1941年9月28日 - )… 龍岡 資晃(たつおか すけあき、1941年9月28日 - )は、日本の裁判官。
勘場 宏海(かんば ひろみ、1941年8月6日 - )は、日… 勘場 宏海(かんば ひろみ、1941年8月6日 - )は、日本の郵政官僚。九州郵政監察局長、九州郵政局長、関東電気通信監理局長を歴任し、退官後は安田信託銀行顧問、エヌ・ティ・ティ・データ通信監査役。 鹿児島県串木野市(いちき串木野市)出身。鹿児島県立串木野高等学校を経て、1966年3月に東京大学法学部を卒業し、4月郵政省入省(要員訓練課)。1970年北海道岩見沢郵便局郵便課長、1971年7月宮城県気仙沼郵便局長、1972年7月東北郵政局人事管理課長、1974年5月内閣審議室・公共企業体等関係閣僚協議会事務局へ出向し大臣官房文書課課長補佐、1976年2月大臣官房電気通信監理官室副参事官(NTT財務担当)、1977年7月大臣官房経営企画課課長補佐、1979年7月九州郵政局保険部長、1981年関東郵政局保険部長、1982年7月大臣官房国際協力課企画官、1983年4月人事局保健課長、1985年4月通信政策局国際協力課長、1987年6月九州郵政局次長、1989年6月大臣官房参事官、1990年7月電波監理審議会審理官、1991年九州郵政監察局長、1992年九州郵政局長、1993年関東電気通信監理局長。
小瀬戸 俊昭(こせど としあき、1941年5月20日 - 2… 小瀬戸 俊昭(こせど としあき、1941年5月20日 - 2023年6月9日[要出典])は、日本の元バレーボール選手。帝人三原所属。オリンピック銅メダリスト。 現在の鹿児島市出身。谷山町立和田中学校(現鹿児島市立和田中学校)を経て、鹿児島県立谷山高等学校(現鹿児島県立鹿児島南高等学校)。帝人三原に入社してから、日本バレーボール協会理事の長崎重芳に素質を認められ、アジア大会、ヨーロッパ遠征、ソ連遠征と全日本チームに選抜される。1964年東京オリンピック男子バレーボールに出場し、チームとして銅メダル獲得。
有川 節夫(ありかわ せつお、1941年4月 - )は、日本… 有川 節夫(ありかわ せつお、1941年4月 - )は、日本の情報科学者、第22代九州大学総長。第8代放送大学学園理事長。 鹿児島市出身。1960年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒、1964年九州大学理学部数学科卒、1966年九州大学大学院理学研究科修士課程修了、九州大学理学部助手。1969年九州大学より理学博士の学位を取得、学位論文の題は 「Elementary formal systems and formal languages-simple formal systems(基本形式的体系と形式的言語-単純形式的体系)」。 京都大学数理解析研究所助手を経て、1970年九州大学理学部附属基礎情報学研究施設講師、1973年助教授、1985年教授、1996年九州大学システム情報科学研究院教授、九州大学評議員、1998年附属図書館長、2002年副学長、2005年定年となり特任教授、附属図書館長、2006年国立情報学研究所客員教授、2008年4月から2014年3月まで九州大学総長。
朝倉 正昭(あさくら まさあき、1941年3月28日 - 2… 朝倉 正昭(あさくら まさあき、1941年3月28日 - 2020年3月15日)は、日本の教育学者、国士舘大学体育学部名誉教授、元同大学学長。専門分野は体育科教育学。学位は体育学(学士)、経済学(学士)。 鹿児島県姶良郡蒲生町出身。鹿児島県立加治木高等学校卒業。1963年3月、国士舘大学体育学部卒業。1967年3月国士舘大学政経学部二部卒業。 1963年より国士舘大学体育学部助手、1970年より講師、1973年より助教授。1986年より国士舘大学体育学部教授。1992年国士舘大学体育学部教務主任、同年日本体育学会体育科教育学専門分科会理事長、1996年日本体育科教育学会理事長、2000年国士舘大学体育学部附属体育研究所長、2003年全日本学生体操連盟会長、2004年国士舘大学生涯学習センター長、2006年国士舘大学学生部長、2007年国士舘大学就職センター長を歴任し、2009年12月より国士舘大学学長。
瀬戸上 健二郎(せとうえ けんじろう、1941年3月 - )… 瀬戸上 健二郎(せとうえ けんじろう、1941年3月 - )は、日本の医師(外科)。鹿児島県肝属郡東串良町出身。志布志高等学校、鹿児島大学医学部出身。 1941年、鹿児島県出身。志布志高等学校、鹿児島大学医学部卒業。 1972年から国立療養所南九州病院で外科医長を務め、1978年、下甑島の下甑村大字手打(現在の薩摩川内市下甑町手打)にある下甑村手打診療所に所長として赴任し、2017年3月まで38年間、離島医療に尽力 専門は胸部外科であり肺ガン等の離手術も手打診療所で成し遂げ、専門外の内科、産婦人科、獣医も幅広い分野の医療を施すことが出来る。他村の診療所との「診診連携」、インターネットを活用した医療連携等々、離島、僻地医療にも携わっている。
霜出 勘平(しもいで かんぺい、1941年(昭和16年)2月… 霜出 勘平(しもいで かんぺい、1941年(昭和16年)2月16日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県南九州市長(2期)、元知覧町長(2期)、元知覧町議会議員(5期)。旭日小綬章。 1959年(昭和34年)、鹿児島県立川辺高等学校卒業。1963年(昭和38年)3月、神奈川大学法経学部卒業。1983年(昭和58年)、知覧町議会議員に就任。計5回当選。2001年(平成13年)、知覧町長に就任。2005年(平成17年)、再選。 2007年(平成19年)12月1日、川辺町・知覧町・頴娃町が合併して南九州市が発足。これに伴って行われた南九州市長選挙(12月16日公示、12月23日投票)に出馬し無投票で初当選。
村松 喬(むらまつ たかし、1941年2月16日 - )は、… 村松 喬(むらまつ たかし、1941年2月16日 - )は、日本の生化学者・細胞生物学者である。 鹿児島市生まれ、名古屋市出身。糖タンパク質とミッドカイン(英語版)について研究し、顕著な成果を上げた。 若い研究者の時は、糖タンパク質の糖鎖を大きく切り出すエンドグリコシダーゼ(英語版)が存在することを発見した。このとき見出された酵素(Endo-D)は免疫グロブリンに結合する糖鎖の機能を明らかにするのに役立った。Endo-Dなどのエンドグリコシダーゼはアスパラギンに結合した糖鎖の生合成機構解明でも重要な役割を果たした。つづいて多分化能を持つEC細胞(ES細胞の原型)に、糖タンパク質結合性の巨大な糖鎖を発見した。
徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿… 徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・現評論家。 騎手出身者として初めてJRA競馬学校騎手課程の教官となった。 同じくJRA騎手であった徳吉孝士は実子。 実家は数頭の馬を飼っており、中学生の時から競馬好きの兄に連れられて公営・鴨池競馬場を訪れ競馬にも親しんだ。中学3年次には小柄であったことから騎手になることを勧められ、中央競馬の騎手養成長期課程を受験。合格後騎手養成所に入り、1958年に東京・森末之助厩舎よりデビューし、同年9月7日にイチツバメで初勝利。 1968年の目黒記念(秋)・メジロタイヨウをはじめ、ヤマブキオーで重賞3勝を挙げるなど、数々の重賞勝利馬に騎乗した。
福留 久大(ふくどめ ひさお、1941年 - 2022年7月… 福留 久大(ふくどめ ひさお、1941年 - 2022年7月1日)は、日本の経済学者。九州大学名誉教授。 1941年に上海にて生まれる。 1960年に鹿児島県立川内高等学校を卒業。 1964年に東京大学経済学部を、1969年に同大学院を修了。 1969年に東北大学助手に着任。 1970年に九州大学講師・助教授、1985年に教授に就任。
泊 龍雄(とまり たつお、1940年12月16日 - )は、… 泊 龍雄(とまり たつお、1940年12月16日 - )は、日本の文部官僚。文部大臣官房審議官、文部省高等教育局私学部長、生涯学習局長等を歴任し、放送大学学園役員も務めた。 鹿児島県出身。大阪府大阪市で生まれ、小学校から高等学校まで鹿児島県鹿児島市で育つ。鹿児島県立甲南高等学校卒業。1966年に東京大学法学部を卒業して、4月に文部省へ入省し初等中等教育局財務課勤務。1968年10月より文部大臣官房総務課、1971年7月より文部省大学学術局教職員養成課で勤務。1974年10月三重県教育委員会指導課長に就く。1977年6月文部省管理局企画調整課学校法人調査官、1978年3月管理局企画調整課課長補佐、1980年7月初等中等教育局地方課課長補佐、1981年7月初等中等教育局財務課課長補佐、1982年7月大臣官房会計課副長(1983年6月大臣官房企画官兼任)、1984年3月大学局企画官、1984年9月高等教育局私学部私学助成課長、1988年6月高等教育局大学課長、1991年6月大臣官房会計課長を経て、1992年7月大臣官房審議官(初等中等教育局担当)に就任。
宮路 和明(みやじ かずあき、1940年11月29日 - )… 宮路 和明(みやじ かずあき、1940年11月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。 鹿児島県川辺郡笠沙町(現南さつま市)出身。笠沙町立赤生木小・中学校、ラ・サール高校を経て、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。1965年、農林省入省。農林経済局農業協同組合課課長補佐等を務める[要出典]。群馬県農政部次長(1981年)、農林水産省大臣官房参事官(1983年)、畜産局畜政課畜産総合対策室長(1984年)を歴任し、1985年退官。 1986年の第38回衆議院議員総選挙で旧鹿児島1区に無所属で出馬したが、落選。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選。以後6期務める。
野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )… 野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )は、日本の実業家。三菱電機相談役。元産業技術総合研究所理事長。 1940年に鹿児島県で生まれる。出水市出身。1965年京都大学大学院理学研究科修士課程修了。同年に三菱電機に入社後、一貫して研究開発畑を歩き、2002年4月に代表取締役社長に就任。重電分野に経営資源を集中する「選択と集中」を進め、2002年3月期には780億円の連結最終赤字を計上した業績を、純利益で業界1位に回復させた。 知的財産権に関する見識が高く、総合科学技術会議知的財産戦略専門調査会専門委員、産業構造審議会知的財産政策部会委員、工業所有権審議会委員、日本経済団体連合会知的財産委員会委員長、日本知的財産協会会長、内閣官房知的財産戦略本部本部員を務めた。
瀬戸口 嘉昭(せとぐち よしあき、1940年(昭和15年)1… 瀬戸口 嘉昭(せとぐち よしあき、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県枕崎市長(1期)。 鹿児島県立枕崎高等学校を経て、鹿児島大学文理学部卒。鹿児島県教育次長、鹿児島県高校長協会理事長、県高野連会長、加世田市(現・南さつま市)教育長、鹿児島県立鶴丸高等学校校長などを経て、2006年の枕崎市長選挙に立候補し、現職の神園征を破って当選した。4年後の2010年の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した神園に敗れた。2014年の市長選挙でも再立候補したが、現職の神園に敗れた。
バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11… バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11月11日 -)は、日本の漫画家、画家。本名、吉元 正(よしもとただし)。1960〜1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた漫画家のひとり。代表作に『柔俠伝』シリーズ、『どん亀野郎』、『黒い鷲』、『賭博師たち』など。 満洲奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)生まれ、鹿児島県指宿市育ち。鹿児島県立指宿高等学校卒業後、武蔵野美術大学西洋画科へ入学。柔道は黒帯を保有。 公益社団法人日本漫画家協会理事。2005年から2012年までは大阪芸術大学キャラクター造形学科にて教授を務めた。妻は日劇ミュージックホールでトップダンサーとして活躍し、2022年には第25回岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞を受賞した、刺繍家・吉元れい花。
松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2… 松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2017年8月11日)は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー指導者。鹿児島実業高等学校サッカー部総監督。鹿児島県サッカー協会副理事長、九州サッカー協会常任理事、全日本ユース選手権大会実施委員。 市立甲南中学校時代にサッカーを始める。鹿児島市立鹿児島商業高等学校2年次の1958年に高校選手権に出場したが、2回戦で静岡県立藤枝東高等学校に敗れた。卒業後は一般企業に就職するが、知人の勧めもあり無線通信士を目指す様になった。上級資格試験まであと一歩の時に、鹿児島実業高校の教員に採用。当初は国家試験までの半年間の約束であったが、サッカー部の顧問も同時に引き受け、九州大会予選で優勝したことから本格的にサッカー指導者の道へ進む事になった。
尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年10月2日 - )は… 尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年10月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(5期)、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長。
平田 辰一郎(ひらた しんいちろう、1940年8月4日 - … 平田 辰一郎(ひらた しんいちろう、1940年8月4日 - )は、日本の政治家、通産官僚。元衆議院議員(1期)。薬丸自顕流顕彰会顧問 鹿児島県鹿児島市出身。東京教育大学附属駒場高等学校卒業。1965年、東京大学工学部卒業。通商産業省に入省。 1981年4月18日、敦賀原子力発電所1号機内の一般排水路から放射性物質漏えい事故が発生。日本原子力発電株式会社による「事故隠し」が社会問題になるが、このとき平田は原子力発電運転管理課長として事故に対処した。資源エネルギー庁技術課長、新産業技術研究所長などを歴任。日本の原発推進におけるキーマンであったと言われる。 1986年7月の第38回衆議院議員総選挙の旧鹿児島1区に無所属で立候補し落選。
大雄 辰實(だいゆう たつみ、1940年5月27日 - )は… 大雄 辰實(だいゆう たつみ、1940年5月27日 - )は、鹿児島県肝属郡大根占町(現在の肝属郡錦江町)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は柳田 辰実(やなぎだ たつみ)→横山 辰実(よこやま - )。現役時代の体格は179cm、115kg。最高位は東前頭筆頭(1968年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。 中学を卒業後、上京して井筒部屋に入門し、1956年5月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口に付いた時の四股名は、故郷の町名に因んだ「大根占(おおねじめ)」(その後、1961年11月より「大雄」に改名している)。 もろ差し得意の技能力士として知られ、大関・清國に対しては分が良かった(幕内での対戦成績は、4勝1敗)。
永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は… 永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は、日本の実業家。南国殖産代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長・グループCEO。元鹿児島県経営者協会会長。長崎自動車取締役、宮崎ガス取締役、日本ガス取締役、南日本銀行監査役。 鹿児島県鹿児島市出身。1959年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。1965年一橋大学経済学部卒業。一橋大学ア式蹴球部出身。同年積水化学工業入社。1993年積水化学工業東京支店長。 1996年南国殖産取締役企画部長。1997年南国殖産常務取締役。1998年南九州サンクス代表取締役社長。2000年鹿児島県労働委員会委員。2004年から南国殖産代表取締役社長を務め、鹿児島市の景観まちづくり賞を受賞した南国センタービルの開発などを進めた。
丸目 敏栄(まるめ としひで、1940年3月12日 - 19… 丸目 敏栄(まるめ としひで、1940年3月12日 - 1980年8月4日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。鹿児島県大口市生まれ。 橋本輝雄厩舎に所属し、1959年3月8日に騎手としてのデビューを迎え、3着。3か月後の6月14日に初勝利を挙げた。デビュー初年度からエドヒメで目黒記念に優勝して重賞勝利を挙げると、2年目には36勝を挙げて全国リーディングで10位に付けるなど、早くから関東若手有力騎手の一人として高く評価されていた。1964年には内臓疾患により長期離脱を余儀なくされたが、復帰後も順調に勝ち星を積み重ねる。1969年には「上がり馬」として知られるアカネテンリュウに騎乗して菊花賞に優勝し、八大競走を初制覇。
米沢 隆(米澤 隆、よねざわ たかし、1940年〈昭和15年… 米沢 隆(米澤 隆、よねざわ たかし、1940年〈昭和15年〉1月28日 ‐ 2016年〈平成28年〉6月16日)は、日本の政治家。 衆議院議員(通算9期)、民社党委員長(第8代)・書記長(第7代)・政策審議会長(第5代)、新進党幹事長(第2代)・副党首、民主党副代表、民社協会会長、宮崎県議会議員(2期)等を歴任した。 鹿児島県姶良郡福山町(霧島市)出身。ラ・サール中学校・高等学校、京都大学法学部卒業。1964年、旭化成入社。労働組合運動に参加し、全旭連(現旭化成労働組合)書記長を務める。1971年、宮崎県議会議員選挙に立候補し、初当選した。1975年に再選。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に民社党公認で旧宮崎1区から立候補し、当選した。
山内 敏弘(やまうち としひろ、1940年〈昭和15年〉1月… 山内 敏弘(やまうち としひろ、1940年〈昭和15年〉1月3日 - )は、日本の法学者。一橋大学名誉教授。専門は憲法。「立憲平和主義」研究を主業績とする。法学博士(一橋大学、1967年)。元全国憲法研究会代表。田上穣治門下。弟子に加藤一彦など。 山形県東田川郡大和村出身。愛知県起町立起中学校から愛知県立一宮高等学校を経て、1958年に一橋大学法学部に入学。田上穣治のゼミナールに所属していた。卒業後は一橋大学大学院法学研究科修士課程・同博士課程と進み、1967年9月に博士課程を修了。法学博士(一橋大学)。 1968年4月に獨協大学法学部専任講師となり、1972年4月に同助教授に、1977年4月には同教授に昇任。