垣花 恵春(かきのはな けいしゅん、男性、1947年3月1日… 垣花 恵春(かきのはな けいしゅん、男性、1947年3月1日 - )は、日本の空手家で、沖縄空手道小林流尚倫會沖縄本部道場範士。国際沖縄小林流空手道連盟の会長でもある。沖縄県宮古島宮古島市(旧・平良市)出身。段位は十段。 1988年10月、沖縄空手道小林流小林館協会垣の花道場開設。同道場に於ける門下生指導と共に沖縄県初の施設機能強化推進費の補助を基に美さと児童園空手クラブを結成。 1990年5月、社会福祉法人国際福祉会理事長末吉業信を会長として、青少年の健全育成、国際交流親善を標榜する沖縄空手道小林流尚倫會を発足。現在は同会副会長。 1992年7月、沖縄コンベンションセンター会議棟ならびに展示棟に於いて琉球・韓国青少年交流祭を第一部シンポジウム、第二部交流祭の構成にて開催。
神谷 幸一(かみや こういち、1947年 - )は、日本の沖… 神谷 幸一(かみや こういち、1947年 - )は、日本の沖縄県出身の沖縄民謡歌手、三線奏者。琉球國民謡協会会長。沖縄市・コザで民謡酒場「花ぬ島」を主宰し、沖縄民謡の普及・後進育成に取り組んでいる。 1947年、沖縄県うるま市に生まれる。10代の頃から独学で三線を始め、高校時代にはアマチュア民謡大会で第3位に入賞した。その後、亀谷朝仁に師事し、本格的に沖縄民謡を学んだ。 1960年代から歌手活動を続け、沖縄民謡を中心とした舞台・ラジオ・イベントへ出演。コザに民謡酒場「花ぬ島」を開き、県内外の演奏家や愛好家が集う拠点として活動している。 また、神谷幸一民謡研究所および黄金島うた謡会を主宰し、後進の育成を行うとともに、琉球國民謡協会会長として沖縄民謡の保存・継承活動にも携わっている。
多和田 眞一郎(たわた しんいちろう、1947年 - 202… 多和田 眞一郎(たわた しんいちろう、1947年 - 2026年5月15日)は、日本の言語学者(日本語学、歴史言語学)、広島大学名誉教授。 沖縄(県)生まれ、宜野湾市出身。1970年静岡大学人文学部卒業。1972年東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了、同博士課程進学。1973年(韓国)延世大学韓国語研究所留学。78年都立大学大学院博士課程退学(単位取得)。95年「外国資料を中心とする沖縄語の音声・音韻に関する歴史的研究」で博士(学術)。東京外国語大学外国語学部附属日本語学校講師、1985年広島大学教育学部助教授、90年教授(留学生センター、教育学研究科)。2012年定年退任、名誉教授。1984年「琉球方言の音韻史的研究」で沖縄文化協会賞(金城朝永賞)受賞。
堀川 恭進(ほりかわ きょうしん、1946年11月15日 -… 堀川 恭進(ほりかわ きょうしん、1946年11月15日 - 2018年10月10日)は、日本の実業家。元沖縄トヨペット株式会社代表取締役社長、元一般社団法人日本自動車連盟(JAF)沖縄支部長、元一般社団法人日本自動車販売協会連合会沖縄県支部長、元沖縄県自動車販売協会会長。 1946年、沖縄県那覇市生まれ。千葉商科大学商経学部卒業。1979年沖縄トヨペット株式会社入社。1982年取締役、1987年常務取締役、1990年専務取締役、1994年代表取締役専務、1996年社代表取締役副社長、1998年代表取締役社長就任。2014年国土交通省「平成26年自動車関係功労者大臣表彰」受賞。
屋嘉 宗彦(やか むねひこ、1946年 - )は、日本の経済… 屋嘉 宗彦(やか むねひこ、1946年 - )は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。 1946年、沖縄県で古典音楽を教える家に生まれる。那覇高校、香川大学経済学部を卒業し、1975年に一橋大学大学院経済学研究科博士課程を満期退学する。法政大学第一教養部講師、助教授、教授、法政大学法学部教授、2004年から7年間、法政大学沖縄文化研究所所長を務める。2016年に退職し、名誉教授となる。
新里 堅進(しんざと けんしん、1946年 - )は、日本の… 新里 堅進(しんざと けんしん、1946年 - )は、日本の漫画家。沖縄県那覇市壺屋出身。沖縄県在住。 沖縄県立那覇商業高等学校に在学中、『サブマリン707』や『紫電改のタカ』などを読み、漫画家を志す。卒業後、タクシー運転手など様々な職を経験しながら独学で漫画を描き、1973年に沖縄戦を題材とした『沖縄決戦』でデビュー。以来、沖縄をテーマとした作品を数多く発表している。1982年、『ハブ捕り』で第11回 日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
下地 敏彦(しもじ としひこ、1945年(昭和20年)12月… 下地 敏彦(しもじ としひこ、1945年(昭和20年)12月10日 - )は、日本の政治家。元沖縄県宮古島市長(3期)。2015年8月、沖縄の保守系市長の会「チーム沖縄」を立ち上げ、その会長に就任した。落選後の2021年5月、陸上自衛隊駐屯地の用地売却を巡る贈収賄事件で逮捕された。 沖縄県宮古郡平良町(現宮古島市平良)生まれ。沖縄県立宮古高等学校、琉球大学理工学部生物学科卒業。 沖縄県宮古支庁長や旧城辺町助役を務めた。 2002年、平良市長選挙に出馬するも、現職の伊志嶺亮に敗れ、落選。2005年11月、市町村合併に伴い誕生した宮古島市の市長選に出馬したが、再び伊志嶺に413票差で敗れる。2006年6月より沖縄県漁業協同組合連合会会長を務めた。
平川 崇賢(ひらかわ そうけん、1945年8月13日 - )… 平川 崇賢(ひらかわ そうけん、1945年8月13日 - )は、日本の政治家。元沖縄県石川市長(1期)。 沖縄県石川市(現うるま市)出身。琉球政府立工業高等学校(現・沖縄県立沖縄工業高等学校)卒。石川市議会議員、石川青年会議所理事長を経て、2002年、石川市長選挙に立候補し、現職の金城秀吉を破って当選した。市長を2005年の合併まで務めた。市長退任後はうるま市社会福祉協議会会長を務めた。
稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17… 稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17日 - )は、日本の政治家。オール沖縄共同代表、元沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県国頭郡久志村(現:名護市字三原)生まれ。久志村立三原小学校、琉球政府立宜野座高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、琉球大学法文学部卒業。1972年(昭和47年)1月、名護市役所に就職し、厚生課に配属される。その後、名護市総務部長や収入役を経て、2005年(平成17年)に名護市教育長に就任。以後4年間同市教育長を務める。2010年(平成22年)1月24日執行の名護市長選挙に「普天間飛行場県内移設反対」を掲げて出馬し、初当選した。同年2月8日、市長に就任。
琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2… 琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2015年6月28日)は、沖縄県那覇市出身(出生地は大分県中津市)で、朝日山部屋に所属した元大相撲力士。 本名は島 武光(しま たけみつ)→神田 武光(かんだ - )。現役時代の体格は176cm、130kg。得意手は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(1973年9月場所)。沖縄県出身者初の関取として記録に残っている。 疎開先の大分県中津市で生まれ、アメリカ占領下の那覇市で少年時代を過ごした。中学卒業後に奄美群島奄美大島に渡り、奄美高校では柔道部で活躍する。高校2年の夏休みに上京した時、同じ奄美群島徳之島出身の横綱・朝潮のいる高砂部屋に出かけたが、巡業中で誰もおらず失望して帰る途中で道に迷ったところを朝日山親方(元関脇・高津山)夫人に声を掛けられた。
金城 眞吉(きんじょう しんきち、1944年10月16日 -… 金城 眞吉(きんじょう しんきち、1944年10月16日 - 2017年11月16日)は、日本のアマチュアボクシング指導者。沖縄県出身。那覇市立首里中学校、沖縄県立南部農林高等学校及び日本大学卒業。 高校・大学とボクシング部に在籍しフェザー級・アマチュア選手として活躍。地方公務員(配属先は那覇市消防本部)の傍ら、妻の清子と共に夫婦で興南高校ボクシング部、(翁長吾央の高校3年進級、さらに嘉陽宗嗣の義務教育終了となった1998年春より沖尚ボクシング部の練習場兼合宿所たる)ウインナーボクシング教室を運営したが2014年春に閉鎖。数多くの全日本高校チャンピオン、国民体育大会、高校選抜優勝者を育てた。 また自身が興南高校の生徒を預かっていた時期に、沖縄水産高校在学中の浜田剛史・新垣諭や母校・南部農林高校在学中の平仲信明・信敏兄弟も指導。
安仁屋 宗八(あにや そうはち、1944年8月17日 - )… 安仁屋 宗八(あにや そうはち、1944年8月17日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家・ラジオパーソナリティ。
川端 博(かわばた ひろし、1944年5月1日 - )は、日… 川端 博(かわばた ひろし、1944年5月1日 - )は、日本の刑法学者。明治大学名誉教授・法学博士。
又吉 イエス(またよし イエス、1944年〈昭和19年〉2月… 又吉 イエス(またよし イエス、1944年〈昭和19年〉2月5日 - 2018年〈平成30年〉7月20日)は、日本の政治活動家、宗教家、教育者。世界経済共同体党代表で、本名は又吉 光雄(またよし みつお)。自らを「唯一神、又吉光雄・イエス・キリスト」(ゆいつしん・またよし みつお・イエス・キリスト)と称してイエス・キリストを謳い、政治活動などを行った。 沖縄県宜野湾市で、雑貨店の5人兄弟の末子として生まれる。1963年に琉球政府立普天間高等学校を卒業、1968年に中央大学商学部を卒業したのちに、東京の商社や設計事務所で勤務した。兄の又吉辰雄は元沖縄県総務部長と宜野湾市助役を務めた。 その後、沖縄に戻り自動車販売店、学習塾経営(小禄学習塾)、教会牧師(世界キリスト教会)などを務めた。
佐藤 太圭子(さとう たかこ、1944年2月1日 - )は、… 佐藤 太圭子(さとう たかこ、1944年2月1日 - )は、琉球舞踊家。本名、山内太圭子。沖縄県那覇市出身。琉球舞踊太圭流家元。沖縄県立芸術大学名誉教授。沖印友好協会理事。重要無形文化財「琉球舞踊」保持者(総合認定)。 1944年2月1日、沖縄県那覇市に生まれる。 1951年に新垣松含の弟子であった宮里ヨシ子に師事、1957年には島袋光裕に師事し、琉球舞踊および組踊を学ぶ。1962年琉球政府立那覇高等学校卒業。同年佐藤太圭子練場を開設。1965年より、普天満宮宮司の新垣義志に古典舞踊よび創作舞踊を師事。1988年沖縄大学非常勤講師。1990年沖縄県立大学音楽学部助教授。1993年より沖縄県立大学音楽学部教授(2009年退館)。
岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月… 岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月22日 - 2006年(平成18年)3月27日)は、日本の政治家。沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県名護市出身。親は教員を務めていた。琉球政府立首里高等学校(現・沖縄県立首里高等学校)時代はボクシング部に所属した。1967年(昭和42年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同大学大学院に在学中、沖縄の本土復帰運動に身を投じた。1969年(昭和44年)12月刊行の『ドキュメント沖縄闘争』(亜紀書房)の編集に新崎盛暉や全国沖縄闘争学生委員会委員長の渡名喜明らとともに携わった。1970年(昭和45年)、北米・南米へ向かい、放浪。チェ・ゲバラに心酔し、ゲバラが死を遂げたボリビアでベレー帽をかぶった写真を撮るほどであった。
海勢頭 豊(うみせど ゆたか、 (1943-11-17) 1… 海勢頭 豊(うみせど ゆたか、 (1943-11-17) 1943年11月17日(82歳)- )は、沖縄県与那城町(現うるま市)平安座島出身の日本の作曲家、シンガーソングライターである。 1962年にギターの演奏および音楽理論、編曲、作曲法を独学で習得し、琉球大学ギターアンサンブルを創設する。 1982年、東京国立劇場にて文化庁主催・沖縄県本土復帰10周年記念『沖縄のこころとかたち』コンサートにて「さとうきびの花」がNHK「みんなのうた」で放送された。 2007年には沖縄那覇市民会館にてバレエ「血の婚礼」を公演し、冠船流川田禮子芸歴70周年記念公演「川田禮子の世界」(前進座劇場にて)三隅治雄作・演出の創作琉球舞踊劇「伊野波節の女」の音楽を担当する。
真喜志 好一(まきし よしかず、1943年 - )は、日本の… 真喜志 好一(まきし よしかず、1943年 - )は、日本の建築家、構造家。 沖縄県那覇市出身。1968年、神戸大学大学院修士課程修了後同大学工学部助手。大学在任中は構造エンジニアとして、当時関西の著名な建築家作品の構造をいくつか担当する。1972年に沖縄に戻り、沖縄開発庁沖縄総合事務局に勤務。1976年、同庁を退職し、那覇市に建築設計事務所、有限会社建築研究室DIG and PILE(DAP)を設立。 1981年、日本建築士連合会作品展優秀賞受賞。 1984年から1985年まで、琉球大学非常勤講師を務めた。 一坪反戦地主会、白保の海と暮らしを守る会、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)究明委員会、意見広告を出す会、沖縄環境ネットワークなどの市民運動に深く関わる。
高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャ… 高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャーナリスト。T & CT Office代表、前琉球新報社社長。沖縄県那覇市出身。 1943年那覇市に生まれる。西南学院大学文学部英文科、同文学専攻科を卒業後、1970年に琉球新報社に入社する。編集局長や論説委員長などを経て2008年に琉球新報社社長に就任。琉球新報社の100%子会社である週刊レキオ社の代表取締役会長(非常勤)も兼職。2010年6月に退任し、T & CT Office設立。軍事研究家でもあり琉球文化圏や沖縄の基地問題、戦争とメディア等に関して講演や著書などがある。 編集局長時代の2000年には沖縄サミットが開催された。沖縄県サミット推進県民会議主催のサミットフォーラムでは基地の整理縮小に関して「強者の安全保障政策という理屈は考えず、ストレートに米軍基地はノーということを外側に発信する必要がある」と意見を述べている。
白保 台一(しらほ たいいち、1942年8月3日 - 201… 白保 台一(しらほ たいいち、1942年8月3日 - 2013年2月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。沖縄県議会議員(3期)。
具志堅 興清(ぐしけん こうせい、1942年6月10日 ‐ … 具志堅 興清(ぐしけん こうせい、1942年6月10日 ‐ )は、日本の元陸上競技選手。専門は三段跳。1972年ミュンヘンオリンピックの日本代表。
牧港 襄一(まきみなと じょういち、1942年2月20日 -… 牧港 襄一(まきみなと じょういち、1942年2月20日 - )は、沖縄放送協会(OHK)、NHKの元アナウンサー。 沖縄県立那覇高等学校、東京経済大学出身。1972年5月15日、沖縄返還に伴うNHKへの事業継承により、NHK所属となった。 50歳過ぎに沖縄局に戻り、2002年に嘱託職、2007年4月以降も與那嶺紗希子の退職などで沖縄県出身のアナウンサー不在に伴い、2010年3月まで専属。 父親の牧港篤三は、第二次世界大戦中、戦後の新聞人として活躍。その遺志を継ぎ、沖縄戦の経験を語り継ぐ活動に取り組んでいる。またNHKの仕事を終えた後、NHK時代の経験から「モノレールはがおじい・おばあにとってはホームへの上がり降りが大変なので沖縄にも路面電車が必要だ」との考えに至り、「トラムで未来をつくる会」の活動に参加、その副会長に就任。
知念 正真(ちねん せいしん、1941年12月4日 - 20… 知念 正真(ちねん せいしん、1941年12月4日 - 2013年9月25日)は、沖縄県沖縄市出身の劇作家、演出家。 1941年生まれ。沖縄県立コザ高等学校卒業。二松學舍大学中退。 琉球放送勤務を経て、劇団創造に所属する。 1976年に『人類館事件』より発想を得た『人類館』を雑誌『新沖縄文学』33号に発表。1978年に『人類館』で岸田國士戯曲賞を受賞する。 2013年9月25日に肝臓がんのため死去。71歳没。
池間 誠(いけま まこと、1941年11月26日 - 201… 池間 誠(いけま まこと、1941年11月26日 - 2017年7月22日)は、日本の経済学者。専門は国際経済学。クールノー線(クールノー=池間カーブ)を提唱。一橋大学名誉教授。1998年から2000年まで日本国際経済学会会長、2000年からは同顧問。社団法人世界経済研究協会会長。1989年から1992年までオーストラリア学会代表理事。位階は従三位。 沖縄県宮古郡平良町(現宮古島市)出身。コザ教育区立コザ中学校、野嵩高等学校(現沖縄県立普天間高等学校)を経て、 2017年7月22日、死去。75歳没。没後に日本国政府により従三位に追叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 … 砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 - )は、日本の漫画家、エッセイスト。本名:砂川 恵永(すながわ しげひさ)。
秋山 眞和(あきやま まさかず、1941年9月29日 - )… 秋山 眞和(あきやま まさかず、1941年9月29日 - ) は、日本の染織家。「綾の手紬染織工房」創設者。現代の名工(卓越技能者)。元沖縄県立芸術大学美術工芸学部教授。沖縄県那覇市出身。 1941年、沖縄県那覇市生まれる。琉球(首里)上布を開発した秋山常磐を父に持つ。太平洋戦争の戦況悪化で沖縄から父・常盤の郷里である福岡県浮羽郡田主丸町(現久留米市)に疎開。戦火により那覇市の工場等を手放した常盤と共に、宮崎県宮崎市に移住し、琉球織物の復興に携わる。その後、常盤から染織業を引き継ぎ、1966年、宮崎県綾町にて「綾の手紬染織工房」を創設、宮崎独自の織物制作を目指した。 1968年、日本伝統工芸展に初入選し、1972年、日本工芸会正会員。
来間 泰男(くりま やすお、1941年(昭和16年)7月28… 来間 泰男(くりま やすお、1941年(昭和16年)7月28日 - )は、沖縄史学者・農学者、沖縄国際大学名誉教授。
嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年〈昭和16年〉6月1日… 嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年〈昭和16年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉10月15日)は、日本の政治家。沖縄県本部町出身。自由民主党所属の元衆議院議員(4回)。 1941年6月1日生まれ。1966年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業。1980年、沖縄県議会議員に当選し、5期務めた。1994年には県議会議長に就任する。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に宮里松正の後継者として自民党から初当選(当選同期に河野太郎・菅義偉・平沢勝栄・渡辺喜美・大村秀章・河本三郎・桜田義孝・下地幹郎・下村博文・新藤義孝・滝実・棚橋泰文・田村憲久・谷畑孝・戸井田徹・松本純など)。防衛庁長官政務官や内閣府大臣政務官を歴任。
栽 弘義(さい ひろよし、1941年5月11日 - 2007… 栽 弘義(さい ひろよし、1941年5月11日 - 2007年5月8日)は、沖縄県糸満市出身の高校野球指導者。長男は自由ケ丘高等学校監督の赤嶺琢。 1941年、沖縄県糸満市に生まれる。4歳のときに沖縄戦に遭遇し、3人の姉を失い、自らも背中に重傷を負った。高校時代は糸満高校野球部に所属。 当時、夏の甲子園は現在のような一県一代表制は採用されておらず、夏の沖縄大会で優勝しても、九州の学校との決定戦に勝たないと甲子園に出場できなかったため、沖縄勢にとって、甲子園出場は至難であった。しかし、栽が2年生だった1958年夏は、夏の甲子園が第40回の記念大会を迎え、特別に一県一代表制を採用したことから、沖縄大会優勝校が甲子園に出場できることとなった。
儀武 息一(ぎぶ そくいち、1941年 - 2012年8月2… 儀武 息一(ぎぶ そくいち、1941年 - 2012年8月27日)は、沖縄県島尻郡知念村出身の沖縄の空手家であり、沖縄空手道小林流武徳館・総本部の会長である。範士十段。 幼少の頃より空手に親しみ、1956年に剛柔流・古武道を学ぶ。1960年に知花朝信の弟子である仲里周五郎より空手の手ほどきを受ける。1971年に六段を仲里より授与。1975年には仲里の沖縄空手道小林流小林館協会の副会長に就任。1980年に七段教士を授与され、小林流小林館浦添道場を開設。1989年に八段免状を授与。 1993年に沖縄空手道小林流小林館協会を脱会し、沖縄空手道小林流武徳館を設立し、会長に就任する。同年に九段免状を国際武道空手連盟より授与される。
上地 安昭(うえち やすあき、1940年11月3日 - 20… 上地 安昭(うえち やすあき、1940年11月3日 - 2018年5月14日)は、日本の心理学者・カウンセラー。兵庫教育大学名誉教授。 沖縄県国頭郡宜野座村出身、大阪府大阪市生まれ。1963年琉球大学法文学部心理学科卒、1969年広島大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学、1986年「青年期心理療法の技法論的研究 時間制限心理療法の理論と技法を中心に」で広島大学教育学博士。 1969年広島大学教育学部助手。1981年同保健管理センター助教授。1988年兵庫教育大学教授となり、2006年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。 臨床心理士、認定カウンセラー、認定スーパーバイザーの資格を有し、大学カウンセラー、医療カウンセラー、スクールカウンセラーとして40数年間、カウンセリング実践に携わる。
知念 恒男(ちねん つねお、1940年9月11日 - )は、… 知念 恒男(ちねん つねお、1940年9月11日 - )は、日本の政治家。沖縄県初代うるま市長(1期)、具志川市長(2期)、具志川市議会議員(6期)などを歴任した。 沖縄県具志川村具志川出身(現・沖縄県うるま市具志川)出身。沖縄国際大学短期大学部卒。1970年から具志川市議会議員を6期連続で務め、議長に就任した。1998年、具志川市長に当選。2期務めた。2005年に具志川市は合併でうるま市となり、合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選、初代うるま市長として、合併後うるま市の基盤づくりに努めた。。うるま市長は1期務め、2009年に退任した。2011年11月3日、秋の叙勲において旭日中綬章受章した。
池宮 正治(いけみや まさはる、1940年8月28日 - )… 池宮 正治(いけみや まさはる、1940年8月28日 - )は、日本の文学者で専門は琉球文学。琉球大学名誉教授。
島袋 秀光(しまぶくろ ひでみつ、1940年 - )は沖縄県… 島袋 秀光(しまぶくろ ひでみつ、1940年 - )は沖縄県具志川市(現うるま市)出身の元沖縄テレビ放送アナウンサー。 1964年沖縄テレビ入社。当時から報道番組担当アナウンサーとして出演し、アメリカ合衆国領・琉球政府時代から、1972年の日本国本土復帰までの激動の時代の沖縄を取材し、特に本土復帰が確定した1971年には、様々な諸問題が起きたことから、その特別番組が放送されたが、アメリカ占領時代は、アメリカ軍の厳正な検閲があり、その検閲の目を気にしながら放送を行ったという。 その後も延べにして32年間にわたってアナウンサー・解説委員など報道の第一線で活躍する傍ら琉球大学非常勤講師を務め、定年後は、沖縄県広報アドバイザーを歴任した。
三田 信一(みた しんいち、1940年 - 2000年2月2… 三田 信一(みた しんいち、1940年 - 2000年2月25日)は、日本の木管楽器奏者、作曲家。 1940年、沖縄県越来村(現沖縄市)で、大阪出身の父と沖縄出身の母の間に生まれる。 沖縄県立コザ高等学校卒業後、フルートや尺八の奏者として嘉手苅林昌、玉城安定らのコンサートやレコーディングに木管楽器奏者として参加。手先が器用で、マッチ棒を数千本を組み合わせて尺八を手作りした逸話がある。 作曲家としてフォーシスターズが歌い、沖縄県だけで10万枚を売上げる大ヒットとなった「ちんぬくじゅうしい」のほか、「ウーマクカマデー」(以上、朝比呂志作詞)「たうちー一代(作詞:上原直彦)」「軽便鉄道節(作詞:徳田安周)」などの曲を書き上げる。
大城 将保(おおしろ まさやす、1939年〈昭和14年〉10… 大城 将保(おおしろ まさやす、1939年〈昭和14年〉10月18日 - )は、沖縄県南城市出身の歴史研究者、作家。ペンネーム「嶋津与志」(しま つよし)で作家活動を行っている。「沖縄平和ネットワーク」代表世話人。特定非営利活動法人沖縄県芸術文化振興協会理事長、新沖縄県史編集委員。 沖縄戦での住民の被害調査、平和研究、小説執筆などを行っている。沖縄戦研究では沖縄県史の編集に携わった後、県立博物館長などをつとめた。嶋津与志名では『琉球王国衰亡史』や映画『GAMA 月桃の花』のシナリオ作品などがある。また家永教科書裁判や大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判では原告側(集団自決への日本軍による強制を否定する側)の引用文献著者として登場する。
西平 守孝(にしひら もりたか、1939年9月 - ) は、… 西平 守孝(にしひら もりたか、1939年9月 - ) は、日本の生態学者。東北大学名誉教授。沖縄美ら島財団参与。元日本サンゴ礁学会会長。元沖縄県サンゴ礁保全推進協議会会長。元沖縄生物学会会長。日本学士院エジンバラ公賞受賞。 沖縄県石垣市生まれ。1962年琉球大学理工学部生物学科卒業。1967年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。1971年東北大学理学部助教授。同年琉球大学理工学部助教授。1978年京都大学理学部助教授。1982年琉球大学理学部教授。1991年東北大学理学部教授。1993年日本生態学会幹事長。2001年東北大学大学院生命科学研究科教授。2002年日本生態学会第49回大会長。
根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2… 根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2025年3月28日)は、日本の獣医ウイルス学者。獣医学博士。有限会社生物資源研究所代表取締役・所長。スペインかぜウイルスのルーツを解明するなど、インフルエンザウイルス研究及びワクチン開発の第一人者とされる。沖縄県国頭郡本部町出身。 ・沖縄県立北部農林高等学校卒業。
茅原 南龍(ちはら なんりゅう、1939年〈昭和14年〉3月… 茅原 南龍(ちはら なんりゅう、1939年〈昭和14年〉3月31日-)は、 沖縄県石垣市出身の書家。本名は茅原 善元(ちはら ぜんげん)。 石垣市役所1階 コミュニティールーム 2025年12月12日(水)~16日(日) 古酒泡盛「おもろ」は2017年10月27日発売(初回出荷分300本限定) (石垣空港・空港駐車場前銘板)門標の石材は、沖縄県最高峰の地元於茂登岳麓産を使用し、毛筆の持ち味を引き出す深彫加工を施している。※石垣空港ターミナル棟正面の黒色の毛筆看板は、同郷の書家 豊平峰雲作である。 第32回全国豊かな海づくり大会 美ら海おきなわ大会開催記念碑 2013年3月16日除幕 標語「魂」(こころ) を第69代横綱白鵬関と記者会見特設会場にて合作揮毫 「満員御礼」懸垂幕揮毫 大相撲沖縄場所実行委員会 冬巡業にて題字『魂』(こころ)を第69代横綱白鵬関とともに大揮毫(動画再生) 2015年8月25日(県庁1階特設記者会見場にて揮毫)記者会見で茅原南龍が題字「魂」と書く中、 最後の部分”ム”を白鵬関が担い、観衆見守る中、場所の安全と成功祈願を込め、勢いよくー点を打ち完成した 唯一無二の入魂の書作品である。
宮城 篤正(みやぎ とくまさ、1939年 - )は、沖縄県浦… 宮城 篤正(みやぎ とくまさ、1939年 - )は、沖縄県浦添市出身の美術史研究者、博物館学芸員、琉球工芸研究者、大学教員、空手史研究者、美術評論家。沖縄県立芸術大学第5代学長、浦添市美術館初代館長、浦添市立図書館初代館長、沖縄民芸協会会長を歴任した。 沖縄県立博物館では琉球陶器や県内絵画遺品の調査研究に従事し、浦添市では市立図書館および美術館の開設・運営に関わった。沖縄美術・琉球工芸に関する監修・著作のほか、沖縄空手史に関する著作・連載でも知られる。 1939年、沖縄県浦添市に生まれる。1962年、琉球大学文理学部美術工芸科を卒業した。中学校美術教諭を経て、琉球政府立博物館、のちの沖縄県立博物館に勤務した。
三島 瑞穂(みしま みずほ、1938年12月30日 - 20… 三島 瑞穂(みしま みずほ、1938年12月30日 - 2007年4月7日)は日本出身のアメリカ合衆国の作家、軍事評論家、安全保障/危機管理コンサルタント、元アメリカ陸軍特殊部隊群曹長。ベトナム戦争従軍者。鹿児島県奄美大島(現大島郡瀬戸内町)生まれ。既婚で一人娘がいる。アメリカ名はMizuho Mishima Bobroskie、ニックネームは"Bo"。 米陸軍勤務歴21年で約950回の落下傘降下経験を持つ。Special Forces Association(特殊部隊協会。グリーンベレー関係者の交流団体)の終身会員で、"D-446"のIDを持つ(D-###のIDが与えられるのはグリーンベレー在隊10年以上の者のみで、三島はその446人目ということになる)。
上原 直彦(うえはら なおひこ、 (1938-10-23) … 上原 直彦(うえはら なおひこ、 (1938-10-23) 1938年10月23日(87歳)‐ )は、沖縄の放送人、フリープロデューサー。 沖縄県那覇市垣花出身。石川高等学校卒業後、琉球新報社入社。社会部勤務時代に1959年の宮森小学校米軍機墜落事故を森口豁とともに取材。同年琉球放送に移籍、当初3か月は報道部、その後はラジオ制作部。1961年から始まった「民謡で今日拝なびら」にプロデューサーとしてかかわり、のちにパーソナリティに。ラジオ局制作部専門職部長、ラジオ局次長を経て、役員待遇ラジオ局専任局長を最後に1998年退職後も現在に至るまでパーソナリティを続けている。元部下に宮城麻里子等がいる。民謡をはじめとする沖縄の芸能文化に造詣が深く、1960年代から70年代にかけて竹中労とともに嘉手苅林昌らの沖縄民謡を本土に紹介した。
當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日… 當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日 - 2020年6月18日)は、日本の沖縄芸能研究者。 サイパン島生まれ、沖縄県那覇市出身。1960年に國學院大學文学部文学科を卒業した。大学時代に宮良當壯と出会い、組踊写本などの芸能研究を行うようになり、写本の発掘・整理、組踊の復活上演、真境名由康・島袋光裕らの実演家との交流、沖縄藝能史研究会の立ち上げなど、沖縄芸能の発展と継承に貢献した。沖縄県立博物館・美術館館長も務めた。 2020年6月18日、腎臓癌のため糸満市の病院で死去。
宮城 能鳳(みやぎ のうほう、1938年7月30日 - )は… 宮城 能鳳(みやぎ のうほう、1938年7月30日 - )は、組踊実演家、琉球舞踊実演家。宮城本流鳳乃會家元。本名は德村正吉(とくむら まさきち)。 沖縄県出身。幼少期から琉球古典舞踊を習い、宮城能造(宮城流の流祖)に師事して組踊や琉球舞踊などを習う。1990年より沖縄県立芸術大学教授。現在名誉教授。1995年には宮城本流鳳乃會を設立した。2006年、国の重要無形文化財組踊立方保持者(人間国宝)に認定された。2019年、日本芸術院賞を受賞し、国の文化功労者となった。
金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月… 金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年〈昭和13年〉7月5日 - 1976年〈昭和51年〉2月26日)は、日本の脚本家。沖縄県島尻郡南風原町出身。第一期ウルトラシリーズを企画し、文芸部長としてシリーズの基礎を作り上げた一人である。 1938年に東京で生まれたが、中学までを沖縄で過ごした。中学卒業後の1955年、小原国芳の玉川学園の教育方針を信頼した母親の勧めで上京して玉川学園高等部へ入学、玉川大学文学部教育学科へ進学し卒業。高校時代は金星の研究をするSFクラブ「日金友好協会」を結成したり、友人たちと結成した「沖縄慰問隊」当時の玉川学園の高等部に於ける修学旅行として、パスポートが必要なアメリカ統治時代の沖縄を訪問するなど、リーダーシップを少年時代から発揮していた。
石川 文洋(いしかわ ぶんよう、1938年3月10日 - )… 石川 文洋(いしかわ ぶんよう、1938年3月10日 - )は、日本の報道写真家。辺野古基金共同代表。父は作家の石川文一。 沖縄県那覇市首里鳥堀に生まれる。4歳の時に、家族で沖縄から千葉県船橋市に移り住んだ。 東京都立両国高等学校定時制卒業後、19歳で毎日映画社に勤務。1964年、世界無銭旅行を計画し、香港へ渡る。毎日新聞香港支局長の江頭数馬が手配したアパートで数日間の保護を受けた後、彼の骨折りによりファーカススタジオに紹介を受けて勤務する。 1965~68年、ベトナム共和国の首都サイゴン(当時)に滞在し、フリーでベトナム共和国軍やアメリカ軍に従軍し、戦場取材をおこなった。 1969年から朝日新聞社出版局写真部勤務。
比嘉 康雄(ひが やすお、1938年 - 2000年)は、沖… 比嘉 康雄(ひが やすお、1938年 - 2000年)は、沖縄県の写真家。フィリピン生まれ。東京写真専門学校卒業。
平敷 安常(ひらしき やすつね、1938年〈昭和13年〉 -… 平敷 安常(ひらしき やすつね、1938年〈昭和13年〉 - )は、日本のノンフィクション作家。元米国ABCニュース所属の戦場カメラマン。著書『キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち』で大宅壮一ノンフィクション賞。米国ニュージャージー州在住で国籍もアメリカ。ベトナム人の夫人との間に一女一男がいる。 沖縄県出身。幼少年期を九州で過ごし、中学3年生の終わりに大阪府に転居した。大阪府立寝屋川高等学校を卒業し、大阪で初の民間放送テレビ局「大阪テレビ放送」に就職。毎日放送(MBS)に移り、ニュース番組カメラマンとして勤務。1965年(昭和40年)ベトナム戦争取材班として現地に赴いた。 任期の終了で日本に帰国となるが、現地で取材を継続することを望み、毎日放送を依願退職。
上江洲 均(うえず ひとし、1937年10月16日 - 20… 上江洲 均(うえず ひとし、1937年10月16日 - 2017年12月17日)は、日本の民俗学者。名桜大学名誉教授。 沖縄県島尻郡久米島町生まれ。1961年琉球大学国文科卒業後、公立学校教諭を経て、1967年に琉球政府立博物館に学芸員として勤務した。1987年に沖縄県立博物館副館長を、1995年から2003年まで名桜大学国際学部教授を務めたほか、久米島博物館館長、沖縄民俗学会会長や『新沖縄県史』編集委員会会長などに就いた。 徹底的なフィールドワークを通じて沖縄・奄美地域の民具を研究した同分野の第一人者であり、沖縄民俗研究の組織化にも携わったことで知られる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
比屋根 毅(ひやね つよし、1937年9月1日 - 2020… 比屋根 毅(ひやね つよし、1937年9月1日 - 2020年6月4日)は、日本の洋菓子職人、実業家。エーデルワイス創業者。石垣市名誉市民。 1937年9月1日、沖縄県八重山郡石垣町(現在の石垣市)のサトウキビ農家で、8人兄弟の3番目として生まれる。15歳の時に石垣島を出て那覇市で2年を過ごした後、17歳の時に大阪府の製菓会社に就職。全国菓子大博覧会で大賞を受賞したことを機に、1966年3月29日、兵庫県尼崎市の立花商店街に7坪の店舗を構え、エーデルワイスを創業。同社の代表取締役社長、会長として、80店舗を展開する企業に成長させた。 旭日双光章、レオポルド2世勲章コマンドゥール章を受章。兵庫県洋菓子協会会長、日本洋菓子協会連合会副会長、尼崎商工会議所副会頭を歴任。