新田 英之(あらた ひでゆき、1980年(昭和55年) - … 新田 英之(あらた ひでゆき、1980年(昭和55年) - )は、日本の工学者。学位は、博士(工学)(東京大学)。沖縄県那覇市出身。 小谷正雄の下で博士号を取得した父のハーバード大学(マーティン・カープラス研究室)在籍に伴い、米国ボストン郊外のベルモントで幼少期を過ごす。元ボクシングWBAジュニアフライ級世界王者具志堅用高は母方の叔従父にあたる。 1998年ラ・サール中学校・高等学校を卒業。2002年東京大学工学部を卒業。高電圧工学の研究室で卒業研究を終了後、大学院進学と同時に東京大学生産技術研究所でマイクロ工学、ナノ科学分野で研究を開始。その後フィリップ・シャープの勧めで一分子生物学の分野に移る。
高良 沙哉(たから さちか、1979年(昭和54年)1月16… 高良 沙哉(たから さちか、1979年(昭和54年)1月16日 - )は、日本の法学者、政治家。専門は憲法学、ジェンダー論。沖縄大学人文学部教授。無所属の参議院議員(1期)。沖縄大学のウェブサイトや著書における氏名の表記は、「はしごだか」を用いた髙良 沙哉である。本名は坂本 沙哉(さかもと さちか)。 沖縄県那覇市田原に生まれる。那覇市立小禄小学校、那覇市立鏡原中学校を経て昭和薬科大学附属高等学校を卒業。北九州大学(現・北九州市立大学)法学部を卒業後、北九州市立大学大学院法学研究科に進んで憲法学を専攻、修士(法学)を取得した。さらに同大学大学院社会システム研究科博士後期課程に進み、2013年には学位論文「戦時性暴力について」で北九州市立大学から博士(学術)を授与された。
山田 哲也(やまだ てつや、1973年8月 - )は、日本の… 山田 哲也(やまだ てつや、1973年8月 - )は、日本の教育学者、社会学者。専門は教育社会学。一橋大学大学院社会学研究科教授。 沖縄県出身。沖縄県立知念高等学校を経て、1996年琉球大学教育学部小学校教員養成課程卒業、2000年一橋大学大学院社会学研究科社会問題・政策専攻修士課程修了、2003年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士課程単位取得満期退学。 2003年宮城教育大学教育学部専任講師、2006年同助教授昇格、2007年同准教授、2008年大阪大学大学院人間科学研究科教育文化学研究室准教授、2010年一橋大学大学院社会学研究科准教授。2016年同教授に昇格。 教育社会学が専門で不登校の研究などを行う。
大城直樹(おおしろ なおき、1963年 - )は、日本の地理… 大城直樹(おおしろ なおき、1963年 - )は、日本の地理学者(人文地理学・文化地理学)。明治大学文学部教授。フィールドワークに基づく沖縄の地域アイデンティティに関する研究のほか、英語圏のデレク・グレゴリーなどの理論的論文の翻訳や研究動向の紹介に取り組んでいる。 沖縄県那覇市出身。1987年、明治大学文学部卒業、1989年、広島大学大学院前期博士課程修了、1994年、大阪市立大学大学院博士課程単位取得退学、日本学術振興会特別研究員、九州大学助手を経て、1995年10月、神戸大学文学部助教授。その後、神戸大学大学院准教授を経て、明治大学文学部教授。2009年博士(文学・大阪市立大学)(論文タイトルは『国民国家周縁部における生活様式の分節化と地域アイデンティティ再生産に関する文化地理学的研究:19世紀以降の沖縄を事例として』)。
前泊 博盛(まえどまり ひろもり、1960年 - )は、日本… 前泊 博盛(まえどまり ひろもり、1960年 - )は、日本のジャーナリスト、政治学者、経済学者。沖縄国際大学大学院教授。 沖縄県宮古島市生まれ。駒澤大学法学部政治学科卒業、明治大学大学院政治経済学研究科博士前期課程(経済学修士)修了。1984年琉球新報社入社。文化部、社会部、東京報道部、政経部などを経て、1998年編集委員。沖国大非常勤講師(1998年 - 2001年兼任)。2001〜2002年、九州大大学院助教授(国際政治学・日米安保論)。その後、編集委員・論説委員、編集局次長、経営企画局次長、論説副委員長、紙面審査委員長、2010年6月に論説委員長。2011年3月琉球新報社を退社し、同年4月から沖縄国際大学大学院教授。
宮城 能彦(みやぎ よしひこ、1960年 - )は、日本の社… 宮城 能彦(みやぎ よしひこ、1960年 - )は、日本の社会学者。沖縄大学人文学部こども文化学科教授。専攻は地域社会学。 沖縄県那覇市出身。最終学歴は兵庫教育大学大学院教育学研究科修了。学位は修士(教育学、兵庫教育大学)。小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル・沖縄論』でエフエム那覇の喜友名智子とともに沖縄の案内役として登場。世界平和統一家庭連合 (統一教会)の機関紙、「世界日報」月刊誌版 Viewpoint『ビューポイント』にも多くの記事を寄稿している。 『名護市史 教育』 本編6 2003年 那覇市教育委員会編 『那覇市教育史・通史編』 2002年
大島 孝雄(おおしま たかお、1959年 - )は、日本の小… 大島 孝雄(おおしま たかお、1959年 - )は、日本の小説家、大学講師。沖縄県石垣市出身、東京都在住。東京芸術大学美術学部を卒業。 2008年、『ガジュマルの家』で第19回朝日新人文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
我部 政明 (がべ まさあき、1955年2月8日 - )は、… 我部 政明 (がべ まさあき、1955年2月8日 - )は、日本の政治学者、琉球大学教授。専門は国際政治学、日本外交史、日米関係論。
髙良 鉄美(たから てつみ、男性、1954年1月15日 - … 髙良 鉄美(たから てつみ、男性、1954年1月15日 - ) は、日本の憲法学者、政治家。琉球大学大学院法務研究科(法科大学院)名誉教授。 参議院議員(1期)、沖縄社会大衆党委員長を歴任した。父は動物学者で第8代琉球大学学長の高良鉄夫。 琉球政府那覇市出身。那覇市教育区立松川小学校、那覇市教育区立真和志中学校、琉球政府立那覇高等学校卒業。九州大学法学部へ進学。1981年、九州大学大学院法学研究科にて法学修士号を取得。1984年、同研究科博士課程(公法学専攻)を単位取得退学。 1984年、琉球大学に着任。助手、講師を経て、1988年より法文学部助教授。1995年より教授。2019年退任。 2019年1月、沖縄社会大衆党元委員長の糸数慶子の後継として、同年7月に行われる第25回参議院議員通常選挙に沖縄県選挙区より立候補することを表明。
南風原 朝和(はえばら ともかず、1953年 - )は、日本… 南風原 朝和(はえばら ともかず、1953年 - )は、日本の教育心理学者。東京大学名誉教授。広尾学園中学校・高等学校校長。 沖縄県那覇市出身。1972年琉球政府立那覇高等学校卒業。文系も理系も興味があったので、国費・自費沖縄学生制度で東京工業大学工学部経営工学科に進学するため、東京工業大学工学部第4類に入学。しかし、進路が機械工学科と決定されたため、半年で中退し沖縄に帰郷した。 翌1973年、東京大学理科Ⅱ類に合格して入学、その後教育学部教育心理学科に進学し、1977年に卒業。同大学院修士課程中退、1979年アイオワ大学大学院教育学研究科教育心理・測定・統計学専攻修士課程、81年同博士課程修了(Ph.D. )。
照屋 寛之(てるや ひろゆき、1952年10月4日 - )は… 照屋 寛之(てるや ひろゆき、1952年10月4日 - )は、沖縄県出身の政治学者、専攻は行政学、政治学。沖縄国際大学名誉教授。 政治家、弁護士の照屋寛徳は親戚。 具志川市(現うるま市)宇前原に生まれる。高江洲小学校、高江洲中学校、前原高校、琉球大学を卒業後、日本大学大学院法学研究科博士後期課程(単位取得退学)。1999年沖縄国際大学専任講師、助教授を経て2006年教授となり、沖縄国際大学沖縄法政研究所所長、副学長、図書館長を歴任。2021年2月退職。 2021年4月うるま市長選挙に出馬。無所属新人で前市議の中村正人に敗れる。
与那覇恵子(よなは けいこ、1952年9月24日 - )は、… 与那覇恵子(よなは けいこ、1952年9月24日 - )は、日本近代文学研究者、東洋英和女学院大学教授。 沖縄県那覇市出身。専修大学文学部卒、同大学院日本文学専攻博士課程満期退学、東洋英和女学院大学短期大学助教授、東洋英和女学院大学国際社会学部教授。近現代の女性作家を中心に研究している。NHKのドラマ「ちゅらさん」で沖縄風俗考証を務めた。 名桜大学教授の与那覇恵子(1953-)は同名異人。
新城 俊昭(あらしろ としあき、1950年 - )は、日本の… 新城 俊昭(あらしろ としあき、1950年 - )は、日本の教師、沖縄大学客員教授。沖縄県の県立高等学校に歴史教師として長年勤務し、沖縄史教育の普及や平和教育に関わる社会的活動で知られ、沖縄歴史教育研究会代表、顧問、沖縄県平和祈念資料館の監修委員、運営委員、米軍人・軍属による事件被害者の会の代表世話人などを務めた。 沖縄県本部町生まれ。1956年3月、新城が5歳のときに、当時28歳だった父親が米兵の運転する自動車に轢かれて事故死し、その後、母親が妹たちを連れて家を出たため一家は離散し、新城は祖母や親族のもとで育った。 高校時代の1968年には、陸上競技400メートル競走の選手として高校総体にも出場したが、広島県で行なわれた大会の際に、他県の選手などから向けられた沖縄についての質問の多くに答えられなかったことが、沖縄の歴史に取り組むひとつの契機となった。
里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日… 里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日本の医学者。医学博士。専門は、外科学一般、移植外科、消化器外科。独立行政法人日本学術振興会理事長、日本外科学会名誉理事長。沖縄県那覇市生まれ。 第21代東北大学総長、国立大学協会会長、日本外科学会初代理事長等を歴任。 1948年6月18日、沖縄県那覇市で生まれる。1967年3月、那覇高等学校を卒業。国費・自費沖縄学生制度に応募するも進学先が選べなかったため、沖縄から遠い東北大学に進学した。在学中、東京で祖国復帰運動に参加。 1974年3月、東北大学医学部医学科を卒業。同年4月からは東京都済生会中央病院で勤務し、同年7月に医師免許を取得。
多和田 眞一郎(たわた しんいちろう、1947年 - 202… 多和田 眞一郎(たわた しんいちろう、1947年 - 2026年5月15日)は、日本の言語学者(日本語学、歴史言語学)、広島大学名誉教授。 沖縄(県)生まれ、宜野湾市出身。1970年静岡大学人文学部卒業。1972年東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了、同博士課程進学。1973年(韓国)延世大学韓国語研究所留学。78年都立大学大学院博士課程退学(単位取得)。95年「外国資料を中心とする沖縄語の音声・音韻に関する歴史的研究」で博士(学術)。東京外国語大学外国語学部附属日本語学校講師、1985年広島大学教育学部助教授、90年教授(留学生センター、教育学研究科)。2012年定年退任、名誉教授。1984年「琉球方言の音韻史的研究」で沖縄文化協会賞(金城朝永賞)受賞。
川端 博(かわばた ひろし、1944年5月1日 - )は、日… 川端 博(かわばた ひろし、1944年5月1日 - )は、日本の刑法学者。明治大学名誉教授・法学博士。
真喜志 好一(まきし よしかず、1943年 - )は、日本の… 真喜志 好一(まきし よしかず、1943年 - )は、日本の建築家、構造家。 沖縄県那覇市出身。1968年、神戸大学大学院修士課程修了後同大学工学部助手。大学在任中は構造エンジニアとして、当時関西の著名な建築家作品の構造をいくつか担当する。1972年に沖縄に戻り、沖縄開発庁沖縄総合事務局に勤務。1976年、同庁を退職し、那覇市に建築設計事務所、有限会社建築研究室DIG and PILE(DAP)を設立。 1981年、日本建築士連合会作品展優秀賞受賞。 1984年から1985年まで、琉球大学非常勤講師を務めた。 一坪反戦地主会、白保の海と暮らしを守る会、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)究明委員会、意見広告を出す会、沖縄環境ネットワークなどの市民運動に深く関わる。
来間 泰男(くりま やすお、1941年(昭和16年)7月28… 来間 泰男(くりま やすお、1941年(昭和16年)7月28日 - )は、沖縄史学者・農学者、沖縄国際大学名誉教授。
上地 安昭(うえち やすあき、1940年11月3日 - 20… 上地 安昭(うえち やすあき、1940年11月3日 - 2018年5月14日)は、日本の心理学者・カウンセラー。兵庫教育大学名誉教授。 沖縄県国頭郡宜野座村出身、大阪府大阪市生まれ。1963年琉球大学法文学部心理学科卒、1969年広島大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学、1986年「青年期心理療法の技法論的研究 時間制限心理療法の理論と技法を中心に」で広島大学教育学博士。 1969年広島大学教育学部助手。1981年同保健管理センター助教授。1988年兵庫教育大学教授となり、2006年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。 臨床心理士、認定カウンセラー、認定スーパーバイザーの資格を有し、大学カウンセラー、医療カウンセラー、スクールカウンセラーとして40数年間、カウンセリング実践に携わる。
西平 守孝(にしひら もりたか、1939年9月 - ) は、… 西平 守孝(にしひら もりたか、1939年9月 - ) は、日本の生態学者。東北大学名誉教授。沖縄美ら島財団参与。元日本サンゴ礁学会会長。元沖縄県サンゴ礁保全推進協議会会長。元沖縄生物学会会長。日本学士院エジンバラ公賞受賞。 沖縄県石垣市生まれ。1962年琉球大学理工学部生物学科卒業。1967年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。1971年東北大学理学部助教授。同年琉球大学理工学部助教授。1978年京都大学理学部助教授。1982年琉球大学理学部教授。1991年東北大学理学部教授。1993年日本生態学会幹事長。2001年東北大学大学院生命科学研究科教授。2002年日本生態学会第49回大会長。
根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2… 根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2025年3月28日)は、日本の獣医ウイルス学者。獣医学博士。有限会社生物資源研究所代表取締役・所長。スペインかぜウイルスのルーツを解明するなど、インフルエンザウイルス研究及びワクチン開発の第一人者とされる。沖縄県国頭郡本部町出身。 ・沖縄県立北部農林高等学校卒業。
宮城 篤正(みやぎ とくまさ、1939年 - )は、沖縄県浦… 宮城 篤正(みやぎ とくまさ、1939年 - )は、沖縄県浦添市出身の美術史研究者、博物館学芸員、琉球工芸研究者、大学教員、空手史研究者、美術評論家。沖縄県立芸術大学第5代学長、浦添市美術館初代館長、浦添市立図書館初代館長、沖縄民芸協会会長を歴任した。 沖縄県立博物館では琉球陶器や県内絵画遺品の調査研究に従事し、浦添市では市立図書館および美術館の開設・運営に関わった。沖縄美術・琉球工芸に関する監修・著作のほか、沖縄空手史に関する著作・連載でも知られる。 1939年、沖縄県浦添市に生まれる。1962年、琉球大学文理学部美術工芸科を卒業した。中学校美術教諭を経て、琉球政府立博物館、のちの沖縄県立博物館に勤務した。
上江洲 均(うえず ひとし、1937年10月16日 - 20… 上江洲 均(うえず ひとし、1937年10月16日 - 2017年12月17日)は、日本の民俗学者。名桜大学名誉教授。 沖縄県島尻郡久米島町生まれ。1961年琉球大学国文科卒業後、公立学校教諭を経て、1967年に琉球政府立博物館に学芸員として勤務した。1987年に沖縄県立博物館副館長を、1995年から2003年まで名桜大学国際学部教授を務めたほか、久米島博物館館長、沖縄民俗学会会長や『新沖縄県史』編集委員会会長などに就いた。 徹底的なフィールドワークを通じて沖縄・奄美地域の民具を研究した同分野の第一人者であり、沖縄民俗研究の組織化にも携わったことで知られる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
宮良 高弘(みやら たかひろ、1935年12月7日 - 20… 宮良 高弘(みやら たかひろ、1935年12月7日 - 2018年2月17日)は、日本の民俗学者、札幌大学名誉教授。 沖縄県石垣市生まれ。1960年明治大学法学部卒、1966年東洋大学社会学部卒、1965年明大法学部助手、1967年札幌大学教養部講師、1970年助教授、1976年教授、1979年教養部長、文化学部教授、2006年定年退任、名誉教授。 1973年『波照間島民俗誌』で渋沢賞受賞。1974年「八重山の社会構造に関する研究」で東洋大学社会学博士。弟子には森雅人(札幌大谷大学教授)がいる。
佐久川 政一(さくがわ せいいち、1933年11月10日 -… 佐久川 政一(さくがわ せいいち、1933年11月10日 - 2025年5月20日)は、日本の法学者。沖縄大学名誉教授。専攻は民事訴訟法・憲法。 沖縄県中頭郡北谷町出身。1959年早稲田大学卒。ニューヨーク大学ロースクール大学院LLM修士課程修了。1989年から1995年まで2期6年の間、第13代・14代沖縄大学学長。 チュチェ思想研究会全国連絡会会長、金日成・金正日主義研究全国連絡会代表世話人を務めるなど、チュチェ思想の宣伝者でもある。 2025年5月20日、中頭郡北中城村の中部徳洲会病院で死去。91歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、… 尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、日本の農学者。琉球大学名誉教授。1991年から1994年には日本では2番目の女性副知事として沖縄県副知事に就任していた。
外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 … 外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 - 2022年〈令和4年〉4月29日)は、日本の法学者。専門は行政法、特にアメリカ行政手続法。第22代中央大学学長、同総長。中央大学名誉教授。沖縄県那覇市首里出身。橋本公亘の弟子。 1932年、沖縄県首里市(現・那覇市)生まれ。沖縄県立首里高等学校卒業。1954年、中央大学法学部卒業。1960年 東京大学大学院社会科学研究科公法専攻単位取得満期退学、東京大学法学部助手。 1961年、中央大学法学部専任講師。1962年、同学部助教授。1968年、同学部教授。1987年、同学部長( - 1991年)。1990年、中央大学理事( - 1993年)。
瑞慶覧 長方(ずけらん ちょうほう、1932年 - 2023… 瑞慶覧 長方(ずけらん ちょうほう、1932年 - 2023年8月18日)は、日本の政治家・植物学者。元沖縄県議会議員・沖縄社会大衆党委員長。前沖縄県南城市長・瑞慶覧長敏は長男、2024年の沖縄県議会議員選挙で当選した元南城市議会議員の瑞慶覧長風は孫にあたる(長敏の次男)。 沖縄県島尻郡大里村(現・南城市)出身。1945年6月に多数の民間犠牲者を出した沖縄戦の南部戦線を生き残り、米国統治下で琉球大学理学部に入学。1953年に高良鉄夫助教授を団長とする尖閣諸島の生物分布調査に参加している。大学卒業後、知念高校の教諭を経てサボテン研究家となり、特に南米産の品種を数多く紹介したことで沖縄の園芸界において広く名前を知られる存在となった。
照屋 善彦(てるや よしひこ、1932年 - 2026年3月… 照屋 善彦(てるや よしひこ、1932年 - 2026年3月2日)は、比較文化学者。琉球大学名誉教授。 沖縄県南風原町出身。琉球大学史学科卒。1958年米国コロラド大学大学院修士課程修了、1969年Ph.D.取得。 1958年琉球大学講師・助教授・教授、1998年定年退官、名誉教授、沖縄大学特任教授。2003年退職。 2026年3月2日、老衰のため南部徳洲会病院で死去した。93歳没。
宮里 政玄(みやざと せいげん、1931年(昭和6年)9月1… 宮里 政玄(みやざと せいげん、1931年(昭和6年)9月10日 - 2019年(平成31年)4月8日)は、日本の国際政治学者。琉球大学名誉教授。専門は、アメリカ外交史・日米関係。沖縄に関するアメリカ公文書などの研究の権威として知られる。 1931年、沖縄県国頭郡今帰仁村に生まれる。沖縄県立第三中学校(現在の沖縄県立名護高等学校)在学中に沖縄戦を迎えた。琉球大学を中退し、アメリカ合衆国のマスキンガム大学(英語版)へと留学した。その後は琉球銀行勤務を経て、1957年(昭和32年)に再び渡米してオハイオ州立大学大学院に留学し、インドネシアやベトナムなどに対するアメリカのアジア外交や統治政策を学修し、1961年(昭和36年)に論文『南アジアの中立主義に対するアメリカ外交 一九四七年から一九五五年』により博士号を取得した。
東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2… 東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2015年4月5日)は、日本の教育心理学者。名桜大学名誉学長。元琉球大学学長。 太平洋戦争末期の沖縄戦で鉄血勤皇隊として動員され、米軍の攻撃で右胸を撃ち抜かれたが、一命を取り留めた。当時、米国生まれの兄フランク・ヒガシが米兵として沖縄に入り、敵味方に分かれた兄弟としても知られた。 戦後、米政府の援助で米国に留学。教育心理学が専門で、1970年に琉球大学教育学部教授、1973年に教育学部長、1984~1990年に学長。沖縄県名護市の名桜大学の設立に携わり、1994~2000年に初代学長を務めた。平和論の講座を設けるなど平和教育に力を入れた。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 201… 高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 2014年5月17日)は、日本の動物学者。第8代琉球大学学長(就任期間:1970年7月1日 - 1973年6月30日)。農学博士。専攻は応用動物学。沖縄県本部町出身。 ハブの研究で知られ、「ハブ博士」と呼ばれた。 イリオモテヤマネコの発見につながる幼獣の捕獲を果たしたことでも知られる。 沖縄の本土復帰に伴う国立大学化の際の学長であった。 戦後の1950年から1968年にかけて5回に渡り、調査団を結成して尖閣諸島に上陸して学術調査を実行。この時のメンバーには後に沖縄社会大衆党委員長となる瑞慶覧長方がいる。 紫綬褒章、勲二等瑞宝章、沖縄県功労者、沖縄タイムス賞などを受賞。
玻座間 里芳(はざま りほう、1909年 - 1970年)は… 玻座間 里芳(はざま りほう、1909年 - 1970年)は、昭和時代日本の医学者、作詞家。沖縄県出身。 1909年(明治42年)、沖縄県八重山郡八重山村(現在の石垣市)に生まれる。1931年(昭和6年)に台北医学専門学校を卒業し、台北帝国大学附属医学専門部に講師として在職中の1938年(昭和13年)11月に博士号を授与された。 終戦後は台湾から郷里の石垣島へ引き揚げて市内で産婦人科医を営む傍ら作詞家として活動し、1967年(昭和43年)に「石垣市歌」の懸賞募集で入選した。 1970年(昭和45年)、脳血管障害のため死去。享年62。 この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:医学と医療、PJ:医学、PJ:歯学)。
川平 朝申(かびら ちょうしん、1908年10月9日 - 1… 川平 朝申(かびら ちょうしん、1908年10月9日 - 1998年8月20日)は沖縄民政府の官僚、放送局経営者、民俗学者。戦後沖縄にはじめて日本語放送局(ラジオ)を開局し、戦後沖縄文化復興に貢献。 沖縄のアナウンサー第一号となり、後に沖縄放送協会会長となった川平朝清は実弟。甥はタレントの川平慈英。 伊江御殿支流向氏伊江殿内の家系である(伊江殿内の家祖は御殿四世:向嘉続・伊江按司朝敷の四男、向和声・伊江朝叙。1835年に川平姓に改め川平殿内となる。)。 沖縄県立第二中学校(沖縄県立那覇高等学校)卒業。戦前、台湾総督府情報部でラジオ番組の制作に従事。戦争中、台湾軍に従軍。戦後、引き上げの際、大量の日本語図書を焼け野原になった沖縄に持ち帰る。
仲宗根政善(なかそね せいぜん、1907年4月26日-199… 仲宗根政善(なかそね せいぜん、1907年4月26日-1995年2月14日)は、日本の教育者、言語学者、琉球大学名誉教授。
島袋 俊一(しまぶくろ しゅんいち、1902年9月11日 -… 島袋 俊一(しまぶくろ しゅんいち、1902年9月11日 - 1965年9月17日)は、日本の植物病理学者・菌学者・教育者。歌人としても活躍し、小林 寂鳥(こばやし じゃくちょう)と号した。 1902年、沖縄県国頭郡伊江村出身。 1924年に旧制鹿児島高等農林学校(現在の鹿児島大学農学部)を卒業後、名瀬実科高等女学校(鹿児島県立奄美高等学校の前身の一つ)、鹿児島県第二師範学校の教員を務める。1937年に帰郷して沖縄県立八重山農学校(現在の沖縄県立八重山農林高等学校)の初代校長を務め、1944年からは沖縄青年師範学校の校長を歴任した。 1950年に琉球大学が開学すると同大学の教授に就任、1959年に農学部長、学部改組により農家政学部長、農家政工学部長を歴任した。
常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月… 常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月20日)は、日本の牧師、神学者。日本キリスト改革派教会の創立者の一人。 山形県の新庄藩の士族の常葉作太郎とその妻常葉ノブの長男として生れる。父は上山小学校校長であった。1915年(大正4年)沖縄県立第一中学校を卒業。東京高等工業学校(現東京工業大学)に入学。 1918年(大正7年)に父が死去。叔父の常葉金太郎によってキリスト教信仰に導かれ、同年1918年、日本基督教会の指導者植村正久牧師より富士見町教会にて洗礼を受ける。 1920年(大正9年)、植村正久の創立した東京神学社に入学、1923年(大正12年)に卒業。同級生に熊野義孝。小野村林蔵牧師の司式で結婚する。
佐喜眞 興英(さきま こうえい、1893年(明治26年)10… 佐喜眞 興英(さきま こうえい、1893年(明治26年)10月26日 - 1925年(大正14年)6月13日)は、沖縄県宜野湾市出身で、民俗学者。 1912年、沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を首席で卒業し。その後上京して1915年に第一高等学校独法科を卒業し、東京帝国大学独法科に入学。在学中から柳田國男に目をかけられた。1921年に帝大を卒業すると、裁判官になり福岡市・東京市・大阪市・岡山県津山市など各地に赴任。1925年、津山にて、肺結核のため31歳で死去。死後、穂積陳重の教えを受けて行った古代母権制研究が『女人政治考』として出版された。 16歳で新城ウタと結婚し一女(貞子)をもうけるが28歳の時に離婚。
宮城 文(みやぎ ふみ、1891年〈明治24年〉11月28日… 宮城 文(みやぎ ふみ、1891年〈明治24年〉11月28日 - 1990年〈平成2年〉2月4日)は、日本の教育者、民俗研究家、郷土史家。南西諸島西部の八重山列島の文化を集大成した書籍『八重山生活誌』の著者として知られる。 沖縄県の石垣島登野城で誕生した。沖縄県立第一高等女学校を卒業後、教員として登野城尋常小学校を始めとし、20年間にわたって初等教育に従事した。女子青年団長や婦人会長も務めた。 終戦後の1948年(昭和23年)、八重山で初めて女性に参政権が与えられ、第1回石垣市議で、婦人議員として初当選した。長年の教員生活や婦人会長などの経験で、市民の生活に通じていたことから、税査定の訂正のために貢献した。
大濱 信泉(おおはま のぶもと、1891年10月5日 - 1… 大濱 信泉(おおはま のぶもと、1891年10月5日 - 1976年2月13日)は、日本の法学者(専門は商法)・教育者。第7代早稲田大学総長(1954年 - 1966年)。旧名大濱 信陪。妻は評論家の大浜英子。
喜舎場 永珣(きしゃば えいじゅん、1885年7月15日 -… 喜舎場 永珣(きしゃば えいじゅん、1885年7月15日 - 1972年4月2日)は、沖縄県出身の日本の郷土史家(沖縄学者)、民俗学者。「八重山研究の父」と呼ばれる。石垣市名誉市民。 1885年7月15日、沖縄県石垣島(現在の石垣市)に生まれる。沖縄県師範学校を卒業して教師となる。 1907年に八重山列島を訪問した伊波普猷の影響で郷土史研究に着手。1921年に八重山列島を訪れた柳田国男を案内したことが縁で、1924年に『八重山島民謡誌』が柳田による炉辺叢書の1巻として出版された。 1932年には校長の職を辞し、以後は八重山研究に専念。1954年に『八重山歴史』、1968年に『八重山民謡誌』を出版。
東恩納 寛惇(ひがおんな かんじゅん、1882年10月14日… 東恩納 寛惇(ひがおんな かんじゅん、1882年10月14日 - 1963年1月24日)は、沖縄の歴史学者・郷土史家・沖縄史家。東京帝国大学卒業。旧制府立高等学校、法政大学、拓殖大学各教授、拓殖大学図書館長、拓殖大学第一高等学校四代校長。沖縄県那覇出身。 1882年10月14日、新参慎氏の父東恩納寛裕母真呉勢の四男として沖縄県那覇東町に生まれる。沖縄県中学校(現・沖縄県立首里高等学校)、第五高等学校文科(現・熊本大学)を経て、1908年に東京帝国大学文科大学史学科卒業。東京府立一中教諭、高千穂高等商業学校(現高千穂大学)教員、府立高等学校や法政大学、拓殖大学等の教授を務めた。死後、琉球新報社によって「東恩納寛惇賞」が創設された。
伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 … 伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、日本の民俗学者・言語学者。沖縄学の父と言われている。沖縄県那覇市出身。 琉球藩那覇西村(現在の那覇市西)に父普済・母マツルの長男として生まれる。1903年(明治36年)、第三高等学校を卒業した後、東京帝国大学で言語学を専攻する。帝大では、橋本進吉、小倉進平、金田一京助らの学友とともに、新村出の講義を聴講した。また、東京帝国大学では上田萬年の講義を聴講していた鳥居龍蔵(同大学助手)と出会い親交を深めた。1904年(明治37年)、沖縄に帰省する伊波は鳥居を沖縄での人類学調査に誘い、鳥居は伊波の実家に数日滞在して調査を行った。