岩谷 圭介(いわや けいすけ、1986年4月 - )は、福島… 岩谷 圭介(いわや けいすけ、1986年4月 - )は、福島県郡山市出身のエンジニア。株式会社岩谷技研代表取締役。小型の風船カメラを使った上空30 km(キロメートル)からの個人による成層圏バルーン撮影『ふうせん宇宙撮影』を行う。そして、このことは全国の小学校の教科書にものっている。 郡山市で生まれ、東京都で育つ。福島県立安積高等学校118期生。北海道大学在学中に、海外で風船にカメラをつけて飛ばしたというニュース記事を発見し、「自分もやってみよう」と活動を開始したのがきっかけで、風船を使った宇宙撮影への取り組みを開始した。インターネットにてやり方を探すも情報が全く無く、資金もなかったことから100円ショップや東急ハンズにあるものを使って機体を制作する。
佐賀 文宣(さが ふみのり、1965年 - )は、日本の実業… 佐賀 文宣(さが ふみのり、1965年 - )は、日本の実業家、技術者である。チェック・ポイント・ソフトウェア・テクノロジーズ株式会社の日本法人社長を務めており、以前はZoomビデオコミュニケーションズ(Zoom)の日本法人代表として活動した。 1992年、北海道大学で工学修士課程を修了後、日本アイ・ビー・エムに入社した。ThinkPadの開発に携わった後、シスコシステムズでWebexのパートナー開発を担当した。その後、VMwareでパートナービジネスを統括し、技術系ビジネスの経験を積んだ。 2019年、Zoomの日本法人代表に就任した。COVID-19パンデミック下でのリモートワークの普及に寄与し、クラウドベースの電話サービス「Zoom Phone」の導入を推進した。
上山 典男(かみやま のりお、1959年4月1日 - )は、… 上山 典男(かみやま のりお、1959年4月1日 - )は、日本の技術者、実業家。日本ケミコン株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長(現職)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
平野 浩一(ひらの こういち、1956年9月 - )は、日本… 平野 浩一(ひらの こういち、1956年9月 - )は、日本の地方公務員、土木技術者。神奈川県技監や、神奈川県県土整備局長を経て、公益財団法人神奈川県公園協会理事長。 北海道大学工学部土木工学科卒業後、1980年神奈川県入庁、平塚土木事務所配属。神奈川県公園課長、神奈川県県土整備局道路部長兼神奈川県建設技術協会長、神奈川県技監兼都市部長等を経て、2016年神奈川県技監(基盤整備担当)。同年から神奈川県県土整備局長を務め、2020年東京オリンピックに向けた準備や、社会基盤整備などを進めた。2017年公益財団法人神奈川県公園協会理事長、神奈川県収用委員会予備委員。2019年神奈川県収用委員会委員。
若生 英雅(わこう ひでまさ、1956年4月21日 - )は… 若生 英雅(わこう ひでまさ、1956年4月21日 - )は、日本の実業家、情報技術者。ビー・ユー・ジー創業者・元代表取締役社長。 北海道大学工学部電子工学科在学中に、青木由直ら電子工学科関係者を中心に結成された北海道マイクロコンピュータ研究会に参加し、同級生の村田利文、服部裕之、木村真とマイクロコンピュータを使ったアルバイトを始め、1977年にB.U.Gを創業。北海道大学大学院修士課程在学中の1980年にビー・ユー・ジーを設立。JR札幌駅前にIT企業が集積したサッポロバレーの企業群の先駆けとなった。ビー・ユー・ジー常務取締役などを経て、1997年から服部裕之の後任としてビー・ユー・ジー代表取締役社長を務め、人材研修体制の強化などを進めた。
鈴木 正敏(すずき まさとし、1956年 - ) は、日本の… 鈴木 正敏(すずき まさとし、1956年 - ) は、日本の技術者。元KDDI研究所取締役副所長。長距離高速光通信システムの分散制御技術の開発により、紫綬褒章受章。 1979年北海道大学工学部電子工学科卒業。1984年北海道大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士、国際電信電話入社、研究所。2007年KDDI研究開発フェロー。2011年KDDI研究所取締役副所長。2017年KDDI総合研究所主席研究員。同年春の褒章で「長距離高速光通信システムの分散制御技術の開発」により紫綬褒章受章。2018年KDDI財団理事長。2019年光エレクトロニクス・光通信国際会議運営委員長。2020年電子情報通信学会監事。
真弓 明彦(まゆみ あきひこ、1954年5月7日 - )は、… 真弓 明彦(まゆみ あきひこ、1954年5月7日 - )は、日本の実業家、技術者。北海道電力代表取締役社長、同社代表取締役会長を経て、同社名誉顧問、北海道経済連合会名誉会長、北海道大学総長顧問。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1979年北海道大学工学部電気工学科卒業、北海道電力入社。工務畑を長く歩み、再生可能エネルギーの受け入れなども担当した。2008年理事工務部長。2012年常務取締役流通本部長。2014年取締役副社長流通本部長。 2014年北海道電力代表取締役社長に昇格。2015年から原子力推進本部長を兼務。電力自由化への対応を行い、2018年からは大口向けのガス小売りを開始。
大田 弘(おおた ひろし、1952年12月30日 - )は、… 大田 弘(おおた ひろし、1952年12月30日 - )は、日本の土木技術者、実業家。熊谷組代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本土木工業協会副会長、日本建設機械施工協会副会長などを務めた。 富山県下新川郡宇奈月町(現・黒部市)出身。富山県立魚津高等学校を経て、1975年北海道大学工学部土木工学科卒業、熊谷組入社。経営企画部長、土木事業本部副本部長、経営企画本部長等を経て、2002年執行役員。2003年常務取締役。2005年代表取締役社長。2009年日本土木工業協会副会長。2012年日本建設機械施工協会副会長。2013年代表取締役会長。2015年相談役。 2025年(令和7年)春の叙勲で旭日中綬章を受章した。
佐田 玄一郎(さた げんいちろう、1952年〈昭和27年〉1… 佐田 玄一郎(さた げんいちろう、1952年〈昭和27年〉12月22日 - )は、日本の政治家、技術者。 衆議院議員(9期)、第1次安倍内閣の内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、総務副大臣(第1次小泉内閣)、郵政政務次官(第2次森内閣)、文部政務次官(第2次橋本内閣)、大蔵政務次官(村山改造内閣)、衆議院議院運営委員長(第66・74代)、衆議院総務委員長などを歴任。 父は元佐田建設社長の佐田武夫。祖父は元参議院議員の佐田一郎。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、北海道大学工学部卒業。大学では流体工学や材料力学などを学んだ。 1980年、鉄建建設に入社。同社ではシールド工法の技術者として、新幹線や地下鉄のトンネル工事などに携わった。
高井 修(たかい おさむ、1949年12月16日 - )は、… 高井 修(たかい おさむ、1949年12月16日 - )は、日本の土木技術者、地方公務員。北海道副知事を経て、伊藤組代表取締役会長、北海道経済連合会副会長。 北海道生まれ。1968年北海道札幌東高等学校卒業、1974年北海道大学大学院工学研究科土木工学専攻修了。同年北海道入庁。函館土木現業所勤務。1998年北海道総合企画部政策室参事。1999年北海道総合企画部構造改革推進室参事。2001年北海道帯広土木現業所所長。2002年北海道総合企画部政策室次長。2003年北海道総務部知事室長。2004年北海道知事政策部知事室長。2005年北海道経済部参事監。2007年北海道環境生活部長。2009年建設部からは初となる北海道副知事に就任。
小松 研一(こまつ けんいち、1949年7月9日 - )は、… 小松 研一(こまつ けんいち、1949年7月9日 - )は、日本の技術者、工学博士。東芝メディカルシステムズ代表取締役社長や、日本医療機器産業連合会副会長、日本画像医療システム工業会会長などを歴任した。 北海道磯谷郡蘭越町昆布町出身。小学校から小樽市に移り、1973年北海道大学工学部電子工学科卒業。スキー部出身。1978年北海道大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士。同年東京芝浦電気入社。1980年東京芝浦電気医用機器事業部医用機器技術研究所配属。1990年東芝医用システム社統括技師長兼経営変革統括責任者。2003年東芝メディカルシステムズ取締役上席常務。2006年東芝メディカルシステムズ取締役専務。
大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、… 大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道電力取締役副社長を経て、北海道電気保安協会理事長や、北海道経済連合会会長を務めた。 北海道函館市生まれ。1972年北海道大学工学部卒業、北海道電力入社。取締役原子力部長、常務取締役泊原子力事務所長、常務取締役発電本部長、取締役副社長を経て、2011年北海道電気保安協会理事長。2014年から北海道経済連合会会長を務め、北海道新幹線延伸前倒し問題などにあたった。2015年から体調に問題が生じ2016年に退任した。北海道食産業総合振興機構理事長、北海道科学技術総合振興センター理事長等も歴任した。
鈴木 英一(すずき えいいち、1949年または1950年 -… 鈴木 英一(すずき えいいち、1949年または1950年 - )は、日本の国土交通技官、博士(工学)、技術士、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。国土交通省北海道開発局長や、北海道大学大学院工学研究院特任教授を経て、伊藤組土建代表取締役副社長。 北海道夕張市出身。1975年北海道大学工学部土木工学科卒業、北海道開発庁入庁。1988年北海道開発局石狩川開発建設部千歳川放水路建設事業所長。1991年北海道開発局帯広開発建設部帯広河川事務所長。1992年北海道開発局建設部河川計画課課長補佐。1993年北海道開発庁水政課開発専門官。1995年北海道開発局建設部河川計画課河川企画官。1997年北海道開発局旭川開発建設部次長。
白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日… 白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日本の技術者、実業家。日野自動車代表取締役社長や、豊田通商代表取締役副会長を務めた。藍綬褒章受章。 長野県小諸市で出生後、北海道旭川市に移住。北海道旭川北高等学校を経て、1973年北海道大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。技術畑で商品開発部門を担当し、1997年第2ボデー設計部長に就任。2001年取締役第2開発センター長に昇格。2002年士別車両実験部長。2003年常務役員第1トヨタセンター長。2005年専務取締役技術管理本部長兼商品開発本部長。2007年顧問、日野自動車取締役副社長。2008年から日野自動車代表取締役社長を務め、リーマン・ショック後の世界金融危機下での不況への対応を行った。
山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2… 山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2日 - )は日本の経営者、ウイスキー製造者、技術者。ニッカウヰスキーの代表取締役社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 5人兄弟の末っ子として北海道函館市に生まれる。函館市立柏野小学校、函館市立的場中学校、函館ラ・サール高等学校を経て、1970年、北海道大学農学部卒業。 同年、ニッカウヰスキー入社。生産部長、西宮工場長、アサヒビール酒類事業本部副本部長などを歴任、2002年、アサヒビール執行役員、2005年3月25日、ニッカウヰスキー株式会社代表取締役社長。2010年3月24日、同社代表取締役会長。同年4月1日、第4代マスターブレンダー就任。
小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 20… 小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 2019年10月21日) は、日本の技術者、実業家。アズビル代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本電気制御機器工業会会長、日本電気計測器工業会会長などを歴任した。藍綬褒章受章。 北海道帯広市生まれ。1970年北海道大学工学部応用物理学科卒業、山武ハネウエル入社。 1988年山武ハネウエルアドバンステクノロジーセンター所長。1994年山武ハネウエル工業システム事業部システム開発統括部長。1996年山武ハネウエルア取締役。2000年山武産業システム代表取締役社長。2003年執行役員常務アドバンスオートメーションカンパニー社長。 2004年から代表取締役社長兼執行役員社長を務め、社名をazbilに変更した。
熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年… 熊谷 勝弘(くまがい かつひろ、青森県弘前市出身 1945年8月9日 - )は、日本の総理府技官、工学博士、技術士、土木学会認定特別上級土木技術者(総合)。北海道開発庁北海道開発局長や、伊藤組土建代表取締役副社長を務めた。 1970年北海道大学大学院修了。1973年北海道開発庁北海道開発局札幌開建道路建設課橋梁係長。1976年北海道開発庁北海道開発局土木試験所舗装研究室副室長。1977年建設省計画局国際課長補佐。1978年外務省在ケニア日本国大使館一等書記官(ウガンダ・セイシェルズ・マラウイ兼轄)。1981年北海道開発庁北海道開発局道路計画課付。1981年北海道開発庁北海道開発局室蘭開発建設部道路第一課長。
津田 紘(つだ ひろし、1945年〈昭和20年〉2月5日 -… 津田 紘(つだ ひろし、1945年〈昭和20年〉2月5日 - 2022年〈令和4年〉2月28日)は、日本の自動車技術者、実業家。スズキ株式会社代表取締役社長を務めた。学位は室蘭工業大学工学博士。 北海道出身。北海道札幌南高等学校を経て、1967年(昭和42年)3月、室蘭工業大学工学部産業機械工学科卒業。 1969年(昭和44年)3月、北海道大学大学院工学研究科衛生工学専攻修了、鈴木自動車工業(のちのスズキ)入社。 2003年(平成15年)4月から代表取締役社長を務めた。 2006年(平成18年)室蘭工業大学博士(工学)の学位を取得。博士論文は「自動車用高強度鋼板の溶接継手における疲労強度および衝撃変形強度に関する研究」。
小野 武彦(おの たけひこ、1944年4月29日 - )は、… 小野 武彦(おの たけひこ、1944年4月29日 - )は、日本の土木技術者、実業家、工学博士。清水建設代表取締役副社長や、土木学会会長を務めた。 北海道伊達市出身。1968年北海道大学工学部土木工学科卒業、清水建設入社。1995年「コンクリート工事における型枠工法の合理化に関する研究」により北海道大学博士(工学)の学位を取得。 2000年清水建設執行役員北海道支店長。2003年常務執行役員北海道支店長。2004年常務執行役員土木事業本部営業本部長。2005年取締役専務執行役員土木事業本部土木営業統括。2006年取締役専務執行役員土木事業本部長。2007年代表取締役専務執行役員土木事業本部長。2008年代表取締役副社長土木事業本部長。
石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日… 石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日本の技術者、実業家。日本軽金属ホールディングス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本アルミニウム協会会長、国立大学法人北海道大学総長選考会議議長などを務めた。 静岡県静岡市駿河区出身。静岡県立静岡高等学校を経て、1967年北海道大学工学部卒業、日本軽金属入社。1997年取締役に昇格。2001年取締役兼常務執行役員。2003年取締役兼専務執行役員。2006年取締役兼副社長執行役員。 2007年から日本軽金属代表取締役社長を務め、日本軽金属ホールディングス設立にあたり、2012年日本軽金属ホールディングス代表取締役社長に就任。2014年日本アルミニウム協会会長。
伊佐 功(いさ いさお、1943年10月12日 - )は、日… 伊佐 功(いさ いさお、1943年10月12日 - )は、日本の技術者、実業家。日本カーリット株式会社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本保安炎筒工業会会長などを務めた。電気化学協会棚橋賞受賞。 1967年北海道大学理学部化学科卒業。1972年日本カーリット入社。1990年チップ形アルミニウム固体電解コンデンサの開発により電気化学協会棚橋賞受賞。日本カーリット中央研究所主任研究員等を経て、1992年日本カーリットファインケミカル部長。1996年日本カーリット取締役機能材料部長。2000年日本カーリット常務取締役電子材料事業本部長。2004年日本カーリット専務取締役研究開発本部長兼電子材料事業本部長。
柿沼 博彦(かきぬま ひろひこ、1943年 - )は、日本の… 柿沼 博彦(かきぬま ひろひこ、1943年 - )は、日本の技術者・実業家。元会社経営者。
石原 廣司(いしはら ひろし、1941年8月1日 - )は、… 石原 廣司(いしはら ひろし、1941年8月1日 - )は、日本の実業家、電気通信主任技術者。古河電気工業代表取締役社長CEO兼COO、日本電線工業会会長などを務めた。旭日重光章受章。前島密賞受賞。 1965年北海道大学工学部電子工学科卒業、日本電信電話公社入社。1994年日本電信電話取締役設備企画部長。1995年日本電信電話取締役関東支社長。1996年日本電信電話常務取締役関東支社長。1999年古河電気工業専務取締役。2003年古河電気工業代表取締役社長、日本電線工業会会長。2004年古河電気工業代表取締役社長CEO兼COO。2008年古河電気工業代表取締役会長CEO、通信電線線材協会会長。2009年古河電気工業代表取締役会長。
栢原 英郎(かやはら ひでお、1940年〈昭和15年〉2月1… 栢原 英郎(かやはら ひでお、1940年〈昭和15年〉2月13日 - 2025年〈令和7年〉5月6日)は、日本の運輸技官、土木技術者。技術士、工学博士、土木学会認定特別上級土木技術者(調査・計画)。 運輸省港湾局長や、同省技術総括審議官、北海道大学公共政策大学院特任教授、日本港湾協会会長、土木学会会長等を歴任した。土木学会功績賞受賞。 東京都立小山台高等学校を経て、1964年(昭和39年)北海道大学工学部土木工学科卒業、運輸省(現国土交通省)入省。1980年(昭和55年)国際臨海開発研究センター主任研究員。1984年(昭和59年)国土庁計画・調整局計画官。1987年(昭和62年)運輸省港湾局開発課長。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の… 大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の自動車技術者、実業家。豊田工機代表取締役会長兼社長や、日本工作機械工業会会長、中部品質管理協会会長等を歴任した。 北海道函館市出身。1957年北海道大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。トヨタ生産方式の整備にあたり、1984年には大橋正昭、高橋朗らとともに、トヨタ自動車取締役に昇格した。1988年トヨタ自動車常務取締役。1994年トヨタ自動車専務取締役。 1996年豊田工機代表取締役社長。2000年豊田工機代表取締役会長。2001年日本工作機械工業会会長会長。 2003年豊田工機代表取締役会長兼社長。2004年豊田工機相談役、中部品質管理協会会長。
片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、… 片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、日本の電気技術者、電気通信学者、システム工学者、文筆家、翻訳家。成安造形大学名誉教授。 情報文化学会会長、名誉会長。高崎商科大学客員教授、金城学院大学特任教授、日本DEVNET協会会長。 専門の電気通信以外にも、ビジネス書、子供向け、伝記、英語、酒、話し方、仏教などについて多くの一般向け著作をなしている。 書道の雅号は片方 大幹。 岩手県北上市生まれ。 カーネギーメロン大学卒業後、同大学院電子工学専攻修士課程修了、コロンビア大学大学院通信システム工学専攻修士課程修了。1966年「狭帯域符号化変調方式に関する研究」で北海道大学工学博士。日本電信電話公社勤務、1960年同計画局のち、工学院大学講師、1969年助教授。
佐々木 紫郎(ささき しろう、1926年1月26日 - 20… 佐々木 紫郎(ささき しろう、1926年1月26日 - 2025年1月2日[要出典])は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、自動車技術会会長、豊田中央研究所代表取締役を務めた。 山梨県甲府市生まれ。1949年旧制北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社、技術部設計課配属。1969年から製品企画室主査を務め、2代目・3代目トヨタ・カローラの開発責任者などを務めた。1977年製品企画室副室長(参与)。1982年製品企画室室長。1984年常務取締役。1986年専務取締役監査改良室室長。1988年取締役副社長。1990年自動車技術会会長。1992年相談役、豊田中央研究所代表取締役。
竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日… 竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日 - 2014年〈平成26年〉12月17日)は、広島県福山市出身の日本の実業家で、ウイスキー製造者、技術者、会社経営者。ニッカウヰスキー(アサヒビールグループ)の元社長であり、同社の2代目マスターブレンダー。 叔父、後に養父は竹鶴政孝。息子はブランディングコンサルタントの竹鶴孝太郎。従妹は竹鶴リマ。
中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
丸杉 孝之助(まるすぎ こうのすけ、1913年〈大正2年〉 … 丸杉 孝之助(まるすぎ こうのすけ、1913年〈大正2年〉 - 没年不詳)は、日本の農業技術者。元農林省技官。元琉球大学教授。沖縄農業の数少ない権威者と評された。農学博士。静岡県出身。 静岡県藤枝市に生まれる。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1937年(昭和12年)、北海道帝国大学農学部卒業。1949年(昭和24年)、農林省開拓研究所東北支所長。1961年(昭和36年)、山梨県農業試験場長。1967年(昭和42年)、総理府琉球模範農場管理責任者(那覇市)。1972年(昭和47年)、熱帯農業センター沖縄支所長(石垣市)。1974年(昭和49年)、琉球大学農学部熱帯農学研究施設教授(竹富町西表)。同年、『亜熱帯における畑作経営方式に関する研究』で、日本熱帯農業学会賞受賞。
中島 武(なかじま たけし、1906年(明治39年) - 1… 中島 武(なかじま たけし、1906年(明治39年) - 1980年(昭和55年)) は、橋梁技術者。世界で初めて鉄筋コンクリートローゼ橋を設計した。 北海道札幌市の出身。北海道大学卒業後、内務省に入省し、茨城県・岐阜県道路技師を経て、長野県道路技師に1934年(昭和8年)から1937年(昭和12年)に赴任。この間に田中豊に出会い、鉄筋コンクリート下路アーチ橋としては、ローゼ橋が最適との確信を強めるに至り、大手橋を設計した。1937年(昭和12年)には新潟県に転任するも『鉄筋コンクリートローゼ桁』を1940年(昭和15年)に出版し、長野県内に鉄筋コンクリートローゼ橋が数多く生まれる要因となった。
網島 毅(あみしま つよし、1905年(明治38年)6月2日… 網島 毅(あみしま つよし、1905年(明治38年)6月2日 - 1995年(平成7年)4月2日)は、昭和時代から平成時代の通信技術者。 北海道小樽市出身。1929年(昭和4年)北海道大学工学部を卒業、逓信省工務局に奉職。無線課長、電波局電波課長、電波局長、電波管理局長官を歴任。この間、1936年(昭和11年)ベルリンオリンピック開催に際した日独間無線写真伝送実験、航空無線用超短波全方向式ビーコンの発明考案などに貢献した。 行政面では、1937年(昭和12年)カイロで行われた国際電信電話会議及び国際無線通信会議に政府委員として出席したほか、1948年(昭和23年)メキシコシティの国際短波放送会議にはSCAP代表の技術顧問として赴き、日本に対する国際放送周波数の割り当ての原則の確認を得た。
加賀 操(かが みさお、1897年(明治30年)7月25日 … 加賀 操(かが みさお、1897年(明治30年)7月25日 - 1986年(昭和61年)2月3日)は、大正末から昭和期の農業技術者、政治家。位階は正五位。参議院議員(1期)。北海道内初の本格的ハッカ工場に係わり「ハッカの神様」と称された。 岡山県出身。1924年(大正13年)北海道帝国大学農学部を卒業し、同年、北海道庁技手に任官し、その後、同技師となる。 その後、北海道信用購買販売組合聯合会(北聯、現・ホクレン農業協同組合連合会)北見薄荷工場長に就任。北聯理事、北海道農業会理事、全農政協会理事、北海道薬農工業会社社長、上川生果物出荷組合長、日本除虫菊協会理事長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で北海道地方区に無所属で出馬して当選し、緑風会に所属し参議院議員に1期在任した。
阿部 美樹志(あべ みきし、1883年5月4日 - 1965… 阿部 美樹志(あべ みきし、1883年5月4日 - 1965年2月20日)は、日本の建築家および土木技術者。旧姓は菅原。大正から昭和時代にかけて活躍した。日本最初の鉄筋コンクリート高架鉄道の設計者。通称コンクリート博士。日本の鉄筋コンクリート工学の開祖。また、阪急阪神東宝グループの建物、RC造の多くの構造物、建築物をつくり続けた。アメリカで鉄筋コンクリート構造学を修めた後も研究を続け、鉄道省での仕事、旧日比谷映画などの娯楽施設、工場建築などの設計に活かす。戦後は戦災復興院総裁として、住宅供給の甚本施策を提示した。勲二等瑞宝章受章。 岩手県一関市生まれ。岩手県一関尋常中学校(一回生)時代には、一関尋常高小学校から岩手県一関尋常中学校二年に編入を許され、三段跳びで三年生に進んだ浅利三朗と首席を争う。