北斗(ほくと、本名:大山 北斗〈おおやま ほくと〉、2004… 北斗(ほくと、本名:大山 北斗〈おおやま ほくと〉、2004年3月10日 - )は、沖縄県糸満市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 幼少期は沖縄県浦添市で過ごし小学校2年生まで浦添市立当山小学校にてハンドボールに打ち込んでいた。 京都市立向島南小学校3年の時に向島シャークスに入団し野球を始める。2学年先輩には現東北楽天イーグルスの林優樹がいた。 糸満市立兼城中学校では軟式野球部に所属していた。 興南高等学校では2学年先輩に現オリックス・バファローズの宮城大弥がいた。甲子園出場はなく3年時の第103回全国高等学校野球選手権沖縄大会ではベスト8であった。1、2年生の時はエースを山城京平に譲っていたが、3年生の大会時にはエースナンバー「1」を背負っていた。
皆川 岳飛(みなかわ がくと、2003年4月30日 - )は… 皆川 岳飛(みなかわ がくと、2003年4月30日 - )は、群馬県館林市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 前橋育英高等学校では1年秋からベンチ入りし、外野手のレギュラーに定着。投手も兼任し、最速147km/hを記録した。3年夏の第103回全国高等学校野球選手権大会に4番として出場。京都国際との初戦で相手エース森下瑠大の前に無安打に終わり、チームも敗れた。高校通算26本塁打。 高校卒業後は中央大学へ進学。1年春から外野手のレギュラーとしてリーグ戦に出場し、3年時には大学日本代表候補の強化合宿に召集された。 2025年10月23日に開催されたドラフト会議にて、読売ジャイアンツから4位指名を受けた。
石田 裕太郎(いしだ ゆうたろう、2002年1月22日 - … 石田 裕太郎(いしだ ゆうたろう、2002年1月22日 - )は、神奈川県横浜市磯子区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 横浜市立屏風浦小学校3年時に森ファイターズに入団、内野手として野球を始める。横浜市立森中学校進学後は投手に転向し3年から神奈川横須賀ボーイズに所属した。 静清高等学校入学後は1年夏から登板機会を得て、2年秋以降はチームのエースを務める。3年春の地区初戦では藤枝明誠高等学校に対しタイブレークで敗戦するも、延長13回を自責点0で完投した。3年夏の静岡大会では1回戦、2回戦に先発登板した。 中央大学経済学部公共環境経済学科に進学後、1年次の秋季リーグ東洋大学戦で二番手としてリーグ戦初登板。
髙橋 隆慶(たかはし たかのり、2001年12月21日 - … 髙橋 隆慶(たかはし たかのり、2001年12月21日 - )は、茨城県古河市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学3年生の時に野球を始める。古河市立総和北中学校では軟式野球部に所属していた。 明秀学園日立高等学校では甲子園出場なし。 中央大学では2年春から公式戦に出場。通算70試合の出場で、打率.267、4本塁打を記録するも、確実性に欠く場面が目立った。4年時にはプロ志望届を提出するも、指名漏れする。1学年上に森下翔太、3学年上に牧秀悟がいる。 JR東日本では、確実性をあげることや、目的意識をもって練習することを重点的に置いた結果、公式戦打率が.350を上回った。
伊藤 優輔(いとう ゆうすけ、1997年1月14日 - )は… 伊藤 優輔(いとう ゆうすけ、1997年1月14日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 荒川区立尾久八幡中学校では軟式野球チームの荒川ウェーブに所属し、3年夏に関東4強。 都立小山台高校では1年からエースナンバーを背負い、2年秋の都大会では堀越、早実、日大豊山を撃破するなどの活躍で8強進出。3年春には21世紀枠で第86回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦で中山翔太ら擁する履正社と対戦し先発するも、8イニング11失点を喫し初戦敗退。3年夏の東東京都大会も準々決勝まで進むが、清水昇や郡拓也擁する帝京高校に敗れた。 中央大学では1年春から登板し、通算39試合登板、8勝13敗、防御率4.34。
松田 進(まつだ しん、1994年8月29日 - )は、神奈… 松田 進(まつだ しん、1994年8月29日 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。妻は女優の川崎美海。 アメリカのニュージャージー州で生まれ、2歳の時に帰国。また小学校3年から5年の間はシンガポールで暮らしていた。 国学院久我山高では2年春の時に第83回選抜高等学校野球大会に3番遊撃手として出場している(結果は5打数1安打)。 大学は東都大学野球連盟に所属する中央大学に進学し、1年春からレギュラーを獲得したが、1年秋には10打数0安打、2年春には4打数1安打と絶不調に陥った。3年春のリーグ戦で打率.349、3本塁打を放ち復調し、大学4年間でベストナインを2度獲得、通算77試合262打数71安打26打点、5本塁打7盗塁、打率.271。
島袋 洋奨(しまぶくろ ようすけ、1992年10月24日 -… 島袋 洋奨(しまぶくろ ようすけ、1992年10月24日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
福田 将儀(ふくだ まさよし、1992年4月17日 - )は… 福田 将儀(ふくだ まさよし、1992年4月17日 - )は、千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校2年生の時に「松尾キングスターズ」で野球を始め、当時は投手と遊撃手。松尾中学校時代は「九十九シニア」で投手としてプレーした。習志野高校では1年生で主に中堅手のレギュラーになった。2年生時の春の選抜大会の1回戦で「7番・中堅手」、2回戦では「4番・中堅手」で先発出場し、計8打数3安打1本塁打1打点、打率.375の成績だった(チームは2回戦敗退)。3年生時の夏の甲子園・千葉大会では準決勝で成田高校に3-4で敗れた。野球部の同期には山下斐紹がいる。 中央大学では1年生時の春に中堅手のレギュラーを獲得し、2年生時の秋季リーグで東都大学野球リーグのベストナイン(外野手)を獲得した。
飯田 大祐(いいだ だいすけ、1990年9月19日 - )は… 飯田 大祐(いいだ だいすけ、1990年9月19日 - )は、茨城県稲敷郡阿見町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打で、現役引退後の2021年からオリックス・バファローズのコーチを務めている。 茨城県稲敷郡阿見町に生まれる。阿見小学校1年生から野球を始め、小学5年生から捕手を務める。阿見町立阿見中学校では軟式野球部に所属。 常総学院高校では1年夏からベンチ入りし、3年連続で夏の甲子園に出場。第88回全国高等学校野球選手権大会では試合出場はなかった。その後、1年秋からレギュラーとして活躍。第89回全国高等学校野球選手権大会では1学年先輩のエース清原大貴とバッテリーを組み、初戦の京都外大西高校戦では9回1安打無失点に抑えていたが、延長では点の取り合いになり、延長12回で3-5で敗れた。
遠藤 一星(えんどう いっせい、1989年3月23日 - )… 遠藤 一星(えんどう いっせい、1989年3月23日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 新宿区立大久保小学校1年の時に野球を始め、新宿区立新宿中学校時代は川崎中央リトルシニアに所属。 駒場学園高等学校では東東京大会ベスト4が最高で甲子園出場経験はなし。3年次の2006年にはプロ志望届を提出したがプロからの指名はなかった。 進学した中央大学では1部通算64試合に出場し、199打数42安打、打率.211、1本塁打、23打点、13盗塁の成績を残した。大学の同期に澤村拓一がいる。 大学卒業後は東京ガスに入社し野球部に入部。2014年は都市対抗野球でベスト8。9月、仁川アジア大会の野球日本代表に選ばれ出場。
澤村 拓一(さわむら ひろかず、1988年4月3日 - )は… 澤村 拓一(さわむら ひろかず、1988年4月3日 - )は、栃木県栃木市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 投手として読売ジャイアンツでは4度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献。個人ではNPBで最多セーブ投手の個人タイトルを1度獲得した他、新人王を獲得している。 メディアによっては新字体の沢村 拓一の表記も見られる。 小学2年時に野球を始め、6年から投手を務める。この頃から自己主張が強かったという。栃木市立東陽中学校でも野球部に所属して県大会に出場。佐野日大高校時代は3番手投手として夏を迎え、登板機会がないまま栃木大会決勝で敗退。高校の先輩で、中央大学OBでもある会田有志の勧めもあって中央大学硬式野球部を受験した。
美馬 学(みま まなぶ、1986年9月19日 - )は、茨城… 美馬 学(みま まなぶ、1986年9月19日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町(現:取手市)出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。右投左打。 愛称は「ミマッチ」。 妻は女優の美馬アンナ。 藤代町立藤代中学校(現:取手市立藤代中学校)時代は軟式野球部に所属し、第23回全国中学校軟式野球大会ベスト8の成績を残した。同県出身の同い年で中学時代は野球部だった大相撲第72代横綱・稀勢の里寛と対戦経験がある。稀勢の里は美馬の才能を目の当たりにして野球に見切りを付けたという。 茨城県立藤代高等学校進学後は1年からレギュラーとして活躍。2年春にはセンバツに出場するも、夏からはケガを繰り返し、一塁手として起用されたこともあった。
中澤 雅人(なかざわ まさと、1985年2月16日 - )は… 中澤 雅人(なかざわ まさと、1985年2月16日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
井坂 亮平(いさか りょうへい、1984年10月19日 - … 井坂 亮平(いさか りょうへい、1984年10月19日 - )は、茨城県取手市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 取手東中学校(現取手第一中学校)を経て、藤代高校に入学。2年生の2001年、春のセンバツに出場し、初戦の四日市工業高校戦で完封勝利、3回戦で敗退した。 東都の中央大学では、大学2年次に右肘を故障、3年次に右肘を手術した。3年秋は入替戦で敗れ、4年次は2部。東都1部リーグで4試合に登板し1勝0敗。2部リーグで17試合に登板し2勝2敗。中澤雅人は大学の同期であり当時のエース。また、後に楽天で同僚となる美馬学は高校・大学の後輩である。 大学卒業後は、社会人野球の住友金属に入社。野球部では1年目から活躍。
会田 有志(あいだ ゆうし、1984年1月30日 - )は、… 会田 有志(あいだ ゆうし、1984年1月30日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 3人兄弟の三男であり、父は元ヤクルトスワローズ投手の会田照夫。母は元モデルでCMや雑誌などで活動していた。兄はエコノミストの会田卓司。叔父(母の弟)は元ヤクルト捕手の尾崎亀重で、その息子(会田有志の従弟)は元大相撲力士の隆乃若(最高位は関脇)。 実家は代々木材店を経営しており父の照夫がプロ野球選手引退後、家業を継いでいた。小学校3年生の時、日本テレビ系で放映されていた『ルックルックこんにちは』内の人気コーナー「突撃!隣の晩ごはん」に出演したことがある。その時、会田は「プロ野球選手になって、勝ちたい」と宣言していた。
福元 淳史(ふくもと あつし、1983年8月24日 - )は… 福元 淳史(ふくもと あつし、1983年8月24日 - )は、千葉県茂原市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学生の時に本納パワーズで野球を始め、中学時代は市原シニアで野球を続ける。 市立船橋高校に入学後、1年生でレギュラーを掴み、2年時に夏の千葉県大会ベスト4、主将を務めた3年時にも夏の千葉県大会ベスト4で甲子園出場経験は無し。高校通算20本塁打。同期に林昌範、2学年下に大学でも後輩となる村田和哉がいる。 大学は東都大学野球の中央大学へ進学。入学と同時にメンバー入りを果たす。2004年秋リーグで初めて規定打席に到達。「五番・一塁」で8打点(リーグ4位)を挙げ、51季ぶり24回目のリーグ優勝に貢献した。
亀井 善行(かめい よしゆき、本名:亀井 義行(読み同じ)、… 亀井 善行(かめい よしゆき、本名:亀井 義行(読み同じ)、1982年7月28日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。
佐藤 章晶(さとう ふみあき、1980年11月5日 - )は… 佐藤 章晶(さとう ふみあき、1980年11月5日 - )は、社会人野球の選手(捕手)。
橋本 義隆(はしもと よしたか、1979年12月6日 - )… 橋本 義隆(はしもと よしたか、1979年12月6日 - )は、岡山県和気郡日生町(現:備前市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 岡山県和気郡日生町(現:備前市)出身。中央大学時代は読売ジャイアンツの阿部慎之助とバッテリーを組んでいた。2年秋から1部。東都大学1部リーグ通算3勝9敗、2部通算1試合勝敗なし。大学卒業後は社会人野球のホンダに所属し、角度のある140km/h台中後半のストレートとスライダー、フォーク、チェンジアップなど多彩な変化球を織り交ぜた投球を武器に、2004年の第75回都市対抗野球大会での準優勝に貢献、敢闘賞にあたる「久慈賞」を受賞した。同年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから3巡目で指名を受け、入団。
阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )… 阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、千葉県浦安市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手、右投左打)、プロ野球監督。現在は読売ジャイアンツの監督を務める。 読売ジャイアンツ(巨人)一筋で19年間プレーし、正捕手や一塁手として8度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献。2007年から2014年までは第18代主将も務めた。国際大会でも2009年にWBC優勝を経験。2013年のWBCでは日本代表の正捕手も務めていた。引退翌年の2020年からは巨人の二軍監督やヘッド兼バッテリーコーチ等を歴任し、2024年からは第20代一軍監督を務める。 愛称は「慎ちゃん」「慎之助」 3人きょうだいの第2子(1歳上の姉と3歳下の妹がいる)として誕生。
野田 浩輔(のだ こうすけ、1977年12月4日 - )は、… 野田 浩輔(のだ こうすけ、1977年12月4日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手、右投右打)。現在は埼玉西武ライオンズの二軍野手コーチを務めている。 八代東高では2年春、3年春に県大会準優勝。3年夏は県大会ベスト4。新日本製鐵君津時代に渡辺俊介とバッテリーを組み、シドニー五輪に出場して話題となった。シドニー五輪ではプロ枠で出場した当時中日に在籍していた鈴木郁洋に正捕手を奪われたが、同じ五輪代表に選ばれた阿部慎之助(中央大学)とともにチームを引っ張る存在として欠かせなかった。また、同年の都市対抗野球ではベスト4となり社会人野球ベストナイン捕手となった。 ドラフトでは下位指名での争奪戦が予測されたが、入団前から野田と西武ライオンズとの相思相愛ということで他球団に指名されず、2000年のドラフトで西武ライオンズから6位指名を受け、入団。
花田 真人(はなだ まさと、1977年10月25日 - )は… 花田 真人(はなだ まさと、1977年10月25日 - )は、福岡県福岡市東区出身の元プロ野球選手(投手)。
米澤 貴光(よねざわ たかみつ、1975年8月17日 - )… 米澤 貴光(よねざわ たかみつ、1975年8月17日 - )は、日本の高校野球指導者。関東第一高等学校硬式野球部監督。 関東第一高校時代は硬式野球部に所属し、小倉全由(米澤の代が最上級生になった1992年12月に監督復帰)の指導を受けた。高校時代は東京屈指の好打者として修徳高等学校の左エース高橋尚成としのぎをけずった。夏の甲子園出場をめざし東東京大会決勝に臨んだが、高橋擁する修徳に一歩及ばず敗れた。 卒業後は中央大学へ進むも在学中は東都大学野球2部リーグ所属。4年時は主将を務め、阿部慎之助は3年後輩。その後カラオケ事業・給食事業を展開していた企業・シダックスに就職した。1年目には都市対抗野球大会に出場するが、主力にはキューバからの選手もいて出番はなし。
堀田 一郎(ほりた いちろう、1974年4月18日 - )は… 堀田 一郎(ほりた いちろう、1974年4月18日 - )は、北海道十勝支庁広尾郡広尾町出身の元プロ野球選手(外野手)。 北海高校時代、夏の甲子園に出場。 中央大学では4年間二部リーグであったが主将として、4年春に東都大学リーグ二部三冠王に輝く。また、4年時には東都大学リーグのプロ・アマ交流戦に出場し、安打を放つ。 1996年のドラフト6位で読売ジャイアンツへ入団。 走攻守3拍子揃った選手として注目され、細身の体型ながら打撃はパンチ力があり、1998年にはフレッシュオールスターゲーム出場果たすも、一軍ではなかなか結果を残せなかった。二軍では2002年に本塁打王、2003年に首位打者に輝くなど毎年のように本塁打、盗塁は常に上位に名を連ねた。
本田 英志(ほんだ ひでし、1971年9月1日 - )は、愛… 本田 英志(ほんだ ひでし、1971年9月1日 - )は、愛知県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は43。父は元プロ野球選手で、引退後中日ドラゴンズでマネージャー・編成部長などを務めた本田威志。 豊田西高等学校では3年夏にエースで4番として県大会決勝へ進むが、山田喜久夫が先発した選抜で優勝した東邦高に敗れた。中央大学では硬式野球部に内野手として在籍。1994年にセントラル・リーグ審判部に入局。 2014年5月9日の広島対中日第6回戦(マツダ)で、通算1000試合出場を達成した。 2015年に開催された第1回WBSCプレミア12に派遣され、6試合に出場した。決勝戦では一塁塁審を務めた。 2019年6月18日のヤクルト対ソフトバンク(神宮)にて球審として出場し、通算1500試合出場を達成。
中山 雅行(なかやま まさゆき、1969年9月3日 - )は… 中山 雅行(なかやま まさゆき、1969年9月3日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)。 埼玉栄東高から中央大へ進み、2部リーグ19勝、1部で1勝。2年秋からは2部リーグとなり、3年春から3季連続で入替戦に臨むも敗れる。4年春は2部最優秀投手。4年次にはドラフト候補とされたが熊谷組に進む。1992年都市対抗野球にて決勝進出、杉浦正則擁する日本生命に破れたものの、エースとしてチームを牽引した功績を評され若獅子賞を獲得する。全日本選抜メンバーにも選出され、直球とキレのあるフォークを武器にキューバ戦ではオマール・リナレス、オレステス・キンデランらを手玉にとった。翌年、チームの休部が決まっていた最後の都市対抗野球では補強の藪恵一との2本柱で臨み、初戦から2回戦と連続して先発勝利するも準々決勝では救援登板してサヨナラ負け。
川端 一彰(かわばた かずあき、1968年3月12日 - )… 川端 一彰(かわばた かずあき、1968年3月12日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 現在は、横浜DeNAベイスターズのチーム運営部スコアラー。 星林高校から中央大学へ進学。1学年上に笘篠賢治、2学年下に中山雅行がいた。入学時は2部リーグも、1部昇格した2年春からレギュラーとなり、4年春は東都大学リーグ3位となる打率.357を記録するが当時の中大は低迷期にあり、入替戦で敗れると最後の秋季リーグ戦は2部。一部リーグ通算60試合出場、209打数53安打、打率.254、2本塁打、8打点。 1989年のプロ野球ドラフト会議にて横浜大洋ホエールズから5位で指名を受けて入団。
笘篠 賢治(とましの けんじ、1966年10月11日 - )… 笘篠 賢治(とましの けんじ、1966年10月11日 - )は、愛媛県生まれ、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(主に内野手)、野球解説者。
岡部 明一(おかべ あきひと、1962年10月13日 - )… 岡部 明一(おかべ あきひと、1962年10月13日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(外野手)。 PL学園高では、1年下のエース西川佳明を擁し、1979年秋季近畿大会府予選決勝リーグ(4校)に進むが4位に終わる。翌1980年夏の甲子園府予選でも準々決勝に進出するが、近大附高に惜敗。 高校卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中優勝に届かず、1984年秋季リーグでは二部降格も経験。しかし強打の外野手として活躍し、1983年の中央大学選手賞を獲得した。同年の日米大学野球選手権大会にも出場し、第4戦で2点本塁打を放ち日本の優勝に貢献。リーグ通算59試合出場、181打数50安打、打率.276、7本塁打、21打点。
尾上 旭(おのうえ あきら、1959年4月22日 - 202… 尾上 旭(おのうえ あきら、1959年4月22日 - 2022年11月20日)は、千葉県旭市出身のプロ野球選手(内野手)。 小学4年から野球を始め、飯岡中学時代に投手から内野手に転向。 銚子商業高では1976年に中堅手として夏の甲子園に出場、準々決勝に進むが桜美林高に敗れる。チームメートに1年先輩の宇野勝がいた。1977年には遊撃手として春の選抜に出場、2回戦で智辯学園高の山口哲治に抑えられ敗退 。 卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは1979年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で早大を降し優勝する。1981年の日米大学野球選手権日本代表に選出された。リーグ通算108試合出場、394打数105安打、打率.266、14本塁打、43打点。
君波 隆祥(きみなみ たかよし、1958年7月20日 - )… 君波 隆祥(きみなみ たかよし、1958年7月20日 - )は、埼玉県熊谷市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。1993年のみ登録名「君波 威嘉」(読み同じ)。 熊谷商業高では、1975年秋季関東大会県予選準々決勝に進むが、春日部高にコールド負け。1977年に卒業後は中央大学に進学。1年上に大学日本代表捕手の長井研介(本田技研)がおり、3年生までは外野手も兼ねる。東都大学野球リーグでは1年上のエース香坂英典を擁し、1979年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝で早大を降し優勝している。大学同期に高木豊のほか、末次秀樹捕手などがいる。 1980年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。
香坂 英典(こうさか ひでのり、1957年10月19日 - … 香坂 英典(こうさか ひでのり、1957年10月19日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 1980年に日本プロ野球(NPB)の読売ジャイアンツ(巨人)へ入団すると、1984年に現役を引退してからも、2020年まで同球団に一貫して在籍。退団後の2022年からは、クラブチーム (社会人野球)の全府中野球倶楽部でコーチを務めている。 埼玉県立川越工業高等学校では3年夏に県大会ベスト4、秋に特別で中央大学の追加セレクションを受けると捕手であった福田功が宮井勝成監督に進言して同大学理工学部土木工学科へ進学。1年時はメンバー外で合宿所にも入れなかったが、2年の時に練習での投球を評価されて東都大学野球リーグ戦で登板の機会を得た。
小川 淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日 - )は… 小川 淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・監督・コーチ、野球評論家。現役引退後に、東京ヤクルトスワローズの一軍監督を2期(通算6年半)歴任。1期目と2期目の間(2015年 - 2017年)にはシニアディレクター、2期目終了後の2020年から2025年までゼネラルマネージャーを務めていた。 中学校在学中は三塁手だったが、目立った実績を残せないまま地元校の習志野高に進学。大柄な体格と強肩の持ち主であったため、進学の直後は捕手に回っていた。チーム内から故障者が出たのをきっかけに、1年時の秋から投手に転向。「肋間神経痛を抱えていても走り込みを休めなかった」というほどの猛練習を経て、エースの座をつかんだ。
熊野 輝光(くまの てるみつ、1957年8月28日 - )は… 熊野 輝光(くまの てるみつ、1957年8月28日 - )は、香川県木田郡三木町出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。 ロサンゼルスオリンピック野球競技の金メダリスト。 志度商業高校では、遊撃手として1975年の春の選抜に出場。志度商としては34年ぶりの選抜出場(甲子園出場は28年ぶり)であり大きな話題となるが、1回戦でエース小林誠二を擁する広島工に敗退。同年夏は北四国大会準決勝で続木敏之、片岡大蔵のいた新居浜商に敗れた。 卒業後は中央大学に進学。東都大学リーグでは1979年春季リーグに優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で岡田彰布らを擁する早大を降し優勝。リーグ通算103試合に出場し、390打数90安打、打率.231、5本塁打、31打点。
今井 譲二(いまい じょうじ、1956年11月1日 - )は… 今井 譲二(いまい じょうじ、1956年11月1日 - )は、熊本県宇土郡三角町(現:宇城市)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
秋田 秀幸(あきた ひでゆき、1955年4月29日 - )は… 秋田 秀幸(あきた ひでゆき、1955年4月29日 - )は、静岡県御殿場市出身の元プロ野球選手(内野手)。中央大学硬式野球部監督。
福田 功(ふくだ いさお、1953年6月28日 - )は、奈… 福田 功(ふくだ いさお、1953年6月28日 - )は、奈良県天理市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスチーム統括本部スカウト&ディベロップメント部副部長を務める。
田村 政雄(たむら まさお、1953年5月3日 - )は、和… 田村 政雄(たむら まさお、1953年5月3日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。
佐野 仙好(さの のりよし、1951年8月27日 - )は、… 佐野 仙好(さの のりよし、1951年8月27日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ、野球解説者。 日本プロ野球(NPB)では一貫して阪神タイガースに在籍。1997年のコーチ退任を機に現場を離れてからも、球団本部のアマスカウト部門に籍を置きながら、関東地区の担当や顧問を務めた。 愛称は名前を音読みした「センコー」。 前橋工業高校では1968年、2年の時に三塁手として夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で智辯学園のエース上田容三に完封を喫する。3年の夏は北関東大会準決勝に進出するが、宇都宮学園に敗れる。高校同期に柚木秀夫、片貝義明がいた。 卒業後は中央大学へ進学、東都大学野球リーグでは3度優勝。
藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は… 藤波 行雄(ふじなみ ゆきお、1951年4月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元プロ野球選手(外野手)。
藤田 康夫(ふじた やすお、1950年11月11日 - )は… 藤田 康夫(ふじた やすお、1950年11月11日 - )は、千葉県出身の元野球選手(投手)、野球指導者。 千葉県山武郡成東町(現在の山武市)出身。成東高校では2年生の時、1967年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進出するが、竜ヶ崎一高に敗退。1学年上に中村勝広がいた。翌1968年夏も県予選準々決勝に進出するが、宇佐美和雄、後に社会人野球で同僚となる長谷川勉の両投手を擁する木更津中央高に敗れる。1968年ドラフト会議でロッテオリオンズに11位指名を受けるが拒否。 卒業後は中央大学に進学。東都大学野球リーグでは在学中2度優勝。1972年春季リーグではエースとして6勝1敗と活躍。藤波行雄、佐野仙好ら打線の援護もあり、チームを優勝に導き、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選出された。
榊原 良行(さかきばら よしゆき、1949年6月13日 - … 榊原 良行(さかきばら よしゆき、1949年6月13日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。娘は元バスケットボール女子日本代表主将の榊原紀子。
杉田 久雄(すぎた ひさお、1949年3月15日 -)は、静… 杉田 久雄(すぎた ひさお、1949年3月15日 -)は、静岡県湖西市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
宇田 東植(うだ とうしょく、1948年8月23日 - )は… 宇田 東植(うだ とうしょく、1948年8月23日 - )は、東京都杉並区出身 の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 在日韓国人で、韓国名は朱 東植(チュ・ドンシク、주동식)。 現在は北朝鮮になっている咸鏡南道出身の父と日本人の母の下に生まれたが、両親は宇田が5歳の時に離婚し、父が宇田を引き取った。父の当時の仕事は、立川基地にいた進駐軍兵士からPXの横流れ品を買うブローカーであり、昼は荻窪の市場で店を開き、夜は買い出しに出かけたため、ほとんど一日、家にいなかった。 小学生の時は音楽部の部長を務め、NHKの子供音楽コンクールに出場するなど、音楽活動を行っていた。杉並区立杉並中学校入学後に野球を始め、ポジションは三塁手であった。
橋本 實(はしもと みのる、1947年11月21日 ‐ 20… 橋本 實(はしもと みのる、1947年11月21日 ‐ 2012年9月18日)は、日本の高校野球指導者。茨城県出身。 水戸市の生まれ。水戸市立水戸第二中学校で野球を始め、茨城県立緑岡高等学校では三塁手だった。中央大学に進学したが肩を傷めて2年の時に退部。教員免許取得に専念した。卒業後に帰郷。 1975年に茨城県立岩井高等学校の野球部監督に就任してから、高校野球監督としてのキャリアをスタート。1984年に茨城県立佐竹高等学校に転じ、同校を県大会ベスト8まで進出させた。この実績を買われ、1987年に茨城県立水戸商業高等学校赴任。翌年夏から監督に就任した。伝統校の水戸商をOB以外が率いるのは史上2人目だった。
萩原 康弘(はぎわら やすひろ、1947年11月17日 - … 萩原 康弘(はぎわら やすひろ、1947年11月17日 - )は、神奈川県横浜市神奈川区出身の元プロ野球選手である。ポジションは外野手。 荏原高校(現・日体大荏原高校)では1965年、3年次に一塁手として春の選抜に出場する。荏原高校は甲子園初出場であった。2回戦(初戦)で福島久晃、長井繁夫らのいたPL学園に敗退。同年夏の甲子園都予選では準決勝で日大二高に敗れ、甲子園出場を逸した。高校同期に中堅手で後にプロで同僚となる原田治明がいる。 卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは一塁手、左翼手として活躍。1967年の春季リーグではエース宮本幸信の好投もあり優勝。直後の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で藤原真投手を擁する慶大を破り選手権初優勝を飾る。
皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - 20… 皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - 2022年12月19日)は、静岡県浜松市出身のプロ野球選手(投手)。 父は元プロ野球選手の皆川定之。 浜松日体高卒業後は1966年に中央大学へ進学したが、1勝も出来ず、1年下のエース・杉田久雄の影に隠れていた。大学同期に萩原康弘、長井繁夫、末永正昭がいる。 大学卒業後の1970年に富士重工業へ入社し、素質が開花。同年は産別対抗で活躍すると、都市対抗には日立製作所の補強選手として出場し、東海理化との1回戦でリリーフ登板。中央球界では全くの無名であったが、ドラフト5位で東映フライヤーズへ入団し、富士重工出身初のプロ野球選手となる。 1971年には、4月11日、開幕3戦目の西鉄戦(平和台)で初登板初勝利を飾る。
末永 正昭(すえなが まさあき、1947年9月7日 - )は… 末永 正昭(すえなが まさあき、1947年9月7日 - )は愛媛県出身の元プロ野球選手。
水沼 四郎(みずぬま しろう、1947年2月27日 - )は… 水沼 四郎(みずぬま しろう、1947年2月27日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。
富田 清吾(とみた せいご、1946年12月1日 - 202… 富田 清吾(とみた せいご、1946年12月1日 - 2022年3月11日[要出典])は、福島県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 上京して進学した中央大学付属高等学校では勉学に支障をきたすとの父親の反対から野球部に所属せず、草野球でプレー。中央大学法学部を卒業。 日本アイ・ビー・エムに就職が決まっていたが、テストを受けて1968年ドラフト10位で巨人に入団。 中央大学に在籍していたものの、野球部出身ではなく、作家の藤原審爾がオーナーをしている準硬式リーグの名門藤原チームのエースだった。完全試合2回、ノーヒット・ノーラン4回を記録している。制球力も良く球速も速く、首脳陣から期待され、1969年のフレッシュオールスターに出場している。