北野 重雄(きたの しげお、1903年〈明治36年〉4月29… 北野 重雄(きたの しげお、1903年〈明治36年〉4月29日 - 1990年〈平成2年〉3月16日)は、昭和時代の日本の商工官僚、政治家。群馬県知事。勲一等瑞宝章・従三位[要出典]。 1903年(明治36年)大阪府に北野種次郎の長男として生まれる。1923年(大正12年)旧制第三高等学校を卒業。1925年(大正14年)高等文官試験に合格。翌1926年(大正15年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、商工省に入省。鉱山・商務・工務各局事務官、企画院書記官、商工省転業対策部総務課長、振興部総務課長兼金融課長、満洲国経済部鉱山司長、商工省物価局第一部長、総務局総務課長、軍需省文書課長、石炭部長、東部地方鉱山局長、商工省鉱山局長などを歴任。
古池 信三(こいけ しんぞう、1903年(明治36年)4月3… 古池 信三(こいけ しんぞう、1903年(明治36年)4月3日 – 1983年(昭和58年)10月7日)は、昭和期の日本の政治家、官僚。位階は正三位。郵政大臣、国際電信電話(KDD、現KDDI)会長及び社長。 岐阜県大野郡高山町(現高山市)に生まれた。広瀬末吉の二男。古池喜代次郎の養子となった。古池家は清和源氏村上氏流の庶流で、美濃国恵那郡を本拠としていた一族だといわれている。 旧制斐太中学校(現岐阜県立斐太高等学校)、第一高等学校を経て、1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、逓信省に入省する。京都中央電話局加入課長、簡易保険局弁済課長、名古屋逓信局庶務課長、広島逓信局規画課長、電気局検査課長、電力管理準備局評価課長、電気庁第一部監督課長、官房総務課長、総務局需品課長、運輸省官房会計秘書各課長、札幌逓信局長、商工省電力局長、名古屋商工局長などを歴任。
高橋 等(たかはし ひとし、1903年3月20日 - 196… 高橋 等(たかはし ひとし、1903年3月20日 - 1965年8月10日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は従三位。衆議院議員(6期)、法務大臣を歴任。 広島県福山市深津町出身。福山中学校(現・福山誠之館高校)から1921年、第六高等学校を経て1927年、東京帝国大学法科大学英法科卒業。高等文官試験行政科に合格し逓信省入省後、札幌・熊本通信局で幹部を務めた後、逓信省簡易保険局管理課長、商工省金属回収本部総務課長、広島商工局商工部の部長を歴任。また、軍需省では大阪燃料局の局長などを務めた。 終戦後の1949年、旧広島3区から自由党公認で第24回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。以降、在職中に死去するまで連続6回当選(当選同期に佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・中川俊思・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
吉武 恵市(吉武 惠市、よしたけ えいち、1903年2月25… 吉武 恵市(吉武 惠市、よしたけ えいち、1903年2月25日 – 1988年2月3日)は、昭和期の政治家、官僚。衆議院議員(3期)、参議院議員(3期)、労働大臣(第6代)、厚生大臣(第21代)、自治大臣(第8-9代)、富山県知事(官選第32代)。 山口県萩市に生まれる。萩中学、旧制五高を経て、1928年東京帝国大学法学部政治学科を卒業、内務省に入省する。東京府属。京都府保安課長、東京都官房人事課長を経て、1945年官選富山県知事となる。この間、労働問題について勉強を重ね、戦後はその努力を買われて1946年厚生省労政部長、1947年労働省初代事務次官となる。 1949年、第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から旧山口1区(定数4)にて立候補し初当選。
錦小路 頼孝(にしきこうじ / にしきのこうじ よりたか、1… 錦小路 頼孝(にしきこうじ / にしきのこうじ よりたか、1903年〈明治36年〉2月19日 - 1950年〈昭和25年〉6月13日)は、昭和期の教員、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・在孝。 子爵・唐橋在正の五男として生まれる。叔父、子爵・錦小路在明の死去に伴い、その家督を継承して頼孝と改名し、1912年(明治45年)6月10日に子爵を襲爵した。 1927年(昭和2年)東京帝国大学文学部を卒業した。1928年(昭和3年)東京府立園芸学校教諭に就任。その他、逓信省委員、運輸通信省委員、歌会始講頌などを務めた。 1939年(昭和14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した。
和田 博雄(わだ ひろお、1903年〈明治36年〉2月17日… 和田 博雄(わだ ひろお、1903年〈明治36年〉2月17日 - 1967年〈昭和42年〉3月4日)は、日本の政治家、農林官僚。農林大臣(第4代)、経済安定本部総務長官(第4代)、物価庁長官(第4代)。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 旧制中学校教員の息子として埼玉県川越市に生まれる。父が岡山県の中学校に転任したため、尋常小学校から旧制高校(六高)まで学校教育を岡山県で受ける。 旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部に進み、1925年卒業。後に企画院事件で検挙された者には社会主義運動出身者が多く、また和田自身は統制経済派であったが、社会主義・左翼系の学生運動に参加したことはない。 農林省入省。
前島 勘一郎(まえじま かんいちろう、1903年(明治36年… 前島 勘一郎(まえじま かんいちろう、1903年(明治36年)2月13日 - 1981年(昭和56年)2月25日)は、昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。 実業家・前島彌の長男として生まれる。父の死去に伴い、1935年(昭和10年)7月1日、男爵を襲爵した。 1929年(昭和4年)東京帝国大学農学部を卒業。1936年、早稲田大学出版部理事となる。その他、肥田製作所取締役などを務めた。 1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
金 斗鎔(キム・ドゥヨン、1903年 - 没年不明)は、北朝… 金 斗鎔(キム・ドゥヨン、1903年 - 没年不明)は、北朝鮮の社会運動家、政治家。咸鏡南道咸興出身。 日本に留学し、1923年に旧制第三高等学校に入学、弁論部で活躍した。1926年東京帝国大学文学部美学科に入学し、新人会や日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)で活動し、中野重治らと交友を深める。朝鮮プロレタリア芸術家同盟東京支部を組織し、機関紙『芸術運動』の編集発行にあたり、評論や戯曲を執筆した。1929年から在日本朝鮮労働総同盟にも参加したが、中央委員会を日本労働組合全国協議会(全協)の朝鮮人委員会に改編することをめぐって、金文準らと対立した。1930年に共産主義者に対する弾圧により治安維持法違反で検挙、投獄された後、1935年に東京の『朝鮮新聞』発行や、朝鮮芸術座の演劇活動に関与しながら、『文学評論』などの日本の雑誌や、『朝鮮中央日報』など朝鮮の新聞に文学評論を多数執筆したが、1936年10月29日、朝鮮語劇を通じて民族解放運動ならびに階級意識の高揚に活動したという理由で朝鮮人劇団が弾圧された「朝鮮芸術座事件」で再び検挙され、懲役1年8か月の判決を受けた。
馬場 元治(ばば もとはる、明治35年(1902年)12月2… 馬場 元治(ばば もとはる、明治35年(1902年)12月21日 - 昭和43年(1968年)6月23日)は、昭和時代の政治家、弁護士。自由民主党の衆議院議員で建設大臣を務めた。正三位勲一等瑞宝章。長崎県南高来郡南串山村出身(現雲仙市)。旧制長崎中学、第五高等学校、東京帝国大学法学部卒。三男は英国在住の俳優、トーゴ イガワ。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
斯波 正夫(しば まさお、1902年(明治35年)12月13… 斯波 正夫(しば まさお、1902年(明治35年)12月13日 - 1983年(昭和58年)12月18日)は、昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。 東京帝国大学教授・斯波忠三郎の長男として生まれる。父の死去に伴い、1934年(昭和9年)11月1日、男爵を襲爵した。 1928年(昭和3年)東京帝国大学経済学部を卒業。同年、三井合名会社に入社し、その後、三井不動産管理部管理長を務めた。 1945年(昭和20年)10月27日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
趙 炳漢(チョ・ビョンハン、朝鮮語: 조병한/趙炳漢、190… 趙 炳漢(チョ・ビョンハン、朝鮮語: 조병한/趙炳漢、1902年11月10日 - 没年不詳)は、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員。 慶尚北道聞慶郡(現・聞慶市)出身。聞慶公立普通学校(現・聞慶初等学校)、大邱高等普通学校、旧制の第三高等学校、東京帝国大学(現・東京大学)法学部卒。 株式会社テドン貿易公社社長、マンジュ家畜振興株式会社監査役などを務めた。朝鮮戦争時の1950年9月2日、鐘路区にて北朝鮮側の関係者3名により拉致された。 1956年7月より在北平和統一促進協議会中央委員を務め、1958年に江界市方面の農場に移住したとされるが、以後消息不明。
武部 英治(たけべ えいじ、1902年(明治35年)11月2… 武部 英治(たけべ えいじ、1902年(明治35年)11月2日 - 1973年(昭和48年)12月7日)は、昭和期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員、実業家。 武部定吉の次男。として石川県能美郡小松町東町(現小松市東町)で生まれる。第四高等学校を経て、1925年(大正14年)11月、高等試験行政科に合格。1926年(大正15年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。1926年(大正15年)、鉄道省に入省する。1944年(昭和19年)に、台湾総督府交通局鉄道部長となり終戦を迎えた。戦後、運輸省事務官を務めて退官。1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で石川県第1区から改進党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年〈明治35年… 新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年〈明治35年〉10月30日 – 1984年〈昭和59年〉12月16日)は、日本の政治家、官僚。郵政大臣、運輸大臣を歴任。 新谷寅蔵の三男として、奈良県高市郡八木町(現・橿原市)で誕生。畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)4年修了、1922年3月第一高等学校文科甲類、1925年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 逓信省に入省。灯台局長、海務院総務局長を経て、運輸通信省海運局長時代に東條英機首相から木造船の増産を命じられるも、「船釘を作る鉄が不足? 隠匿物資を探して来い」式のむちゃな指示にたまりかね辞職する。 戦後の1945年、同期入省の松前重義の要請により、逓信院次長となる(総裁は松前)。
龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)… 龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)9月27日 - 1981年(昭和56年)5月29日)は、昭和期の日本の政治家、内務官僚、実業家。衆議院議員、官選鹿児島県知事、初代大川市長。 福岡県出身。第五高等学校を首席で卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。 内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、栃木県学務課長、鹿児島県農務課長、千葉県学務課長、鳥取県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、内閣情報部第二課長、京都府学務部長、警視庁刑事部長、兵庫県警察部長、近畿地方総監府第一部長などを歴任。
岡田 宗司(おかだ そうじ、1902年〈明治35年〉8月12… 岡田 宗司(おかだ そうじ、1902年〈明治35年〉8月12日 - 1975年〈昭和50年〉7月8日)は日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)。東京市神田区出身。 旧制開成中学、旧制松本高校文科乙類、東京帝国大学経済学部卒業。東京帝大在学中は「東大新人会」の主要メンバーとして活躍。戦前、労農の同人として参加し人民戦線事件で検挙。釈放後に南洋経済研究所に入り経済関係の著述を『科学主義工業』などに寄稿していた。 戦後、日本社会党結成に参加、1947年の第1回参院選に全国区から出馬し初当選する。1948年に政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。一貫して左派に属し、社会党再統一後に党参議院議員会長・党国際局長を歴任。
和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年(明治35年)8… 和爾 俊二郎(わに しゅんじろう、1902年(明治35年)8月12日 - 1968年(昭和43年)7月12日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員、大阪市助役。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 愛媛県周桑郡小松町(現西条市小松町)で生まれる。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部を卒業した。 大阪市役所に入り、大阪市書記、同理事、教育部長、民生局長などを歴任。この間に入隊して陸軍工兵曹長となった。1951年(昭和26年)大阪市助役に就任し3期在任した。第2室戸台風被害の救助活動に尽力し、大阪市会から感謝決議を受けた。 1963年(昭和38年)4月の大阪市長選挙に自由民主党推薦で出馬したが落選。
青木 理(あおき まさる、1902年〈明治35年〉8月9日 … 青木 理(あおき まさる、1902年〈明治35年〉8月9日 - 1967年〈昭和42年〉1月25日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。初代三重県公選知事(2期)。 三重県一志郡久居町西鷹跡町(久居市を経て現津市)で生まれた。1923年(大正12年)東京帝国大学法学部を卒業。理研特殊鋼総務部長、日本兵器車両取締役などを経て、1942年(昭和17年)拓務大臣・井野碩哉秘書官となる。翌年実業界に戻り、日本蚕糸近畿中国支社長などを歴任した。 戦後の1947年(昭和22年)の第1回三重県知事選挙に立候補して、官選知事の佐伯敏男や共産党の候補ら4人を破って当選し、初代公選知事となった。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年4月16日に就任した。
河野 正夫(こうの まさお、1902年(明治35年)8月8日… 河野 正夫(こうの まさお、1902年(明治35年)8月8日 - 1973年(昭和48年)6月7日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 千葉県君津郡上総町(現・君津市)出身。1929年(昭和4年)東京帝国大学文学部哲学科を卒業した。 1929年、姫路市の私立亀山高等女学校教諭に就任。その後、帝国女子専門学校、同附属日本高等女学校教諭に転じた。1940年(昭和15年)東京府立第八中学校教諭に就任し終戦を迎えた。 戦後、労働運動に加わり、東京都教職員組合協議会委員長、教員組合全国連盟委員長、教職員適格審査委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で全国区に無所属で出馬して当選(補欠、任期3年)し、1950年(昭和25年)6月の第2回通常選挙で全国区に日本社会党公認で出馬したが落選し、参議院議員に1期在任した。
迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月… 迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月5日 - 1977年(昭和52年)7月25日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 いわゆる「玉音放送」を起草した人物の一人として知られる。 内閣書記官長(第51代)、総合計画局長官、貴族院議員、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、経済企画庁長官(第9・10代)、郵政大臣(第17代)、鹿児島工業短期大学学長(初代)などを歴任した。
柴野 和喜夫(しばの わきお、1902年7月2日 - 198… 柴野 和喜夫(しばの わきお、1902年7月2日 - 1982年12月18日)は、日本の政治家、農林官僚。滋賀県知事(第34代)。石川県知事(第44-45代)。参議院議員(1期)。石川県出身。
九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう、1902年(明治35年)… 九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう、1902年(明治35年)6月7日 - 1986年(昭和61年)10月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。九鬼産業グループを経営する四日市九鬼家当主。九鬼紋十郎という名は、本家の九鬼紋七とともに四日市九鬼家で当主が代々襲名していた。三重県四日市市出身。 1902年(明治35年)6月7日に、九鬼水軍の末裔である四日市九鬼家の当主8代目九鬼紋七の実弟の九鬼紋十郎(1869年生まれ、幼名・金松)の長男として誕生した。幼名は九鬼金平。のち九鬼紋十郎を襲名した。父である先代の紋十郎(金松)は先々代紋十郎の養子となり、家業の肥料商と紋十郎の名を継ぎ、四日市米穀株式取引所理事などを務めた多額納税者であった。
小川 一平(おがわ いっぺい、1902年(明治35年)5月1… 小川 一平(おがわ いっぺい、1902年(明治35年)5月16日 - 1982年(昭和57年)8月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 政治家小川平吉の長男として長野県諏訪郡富士見村(現富士見町)に生まれる。東京高等師範付属小学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学政治学科卒業。昭和4年(1929年)三菱銀行に入行、同17年(1942年)に退社、同年戦時生活相談所常任理事に就任し、岡谷市に支所を設けて、首都圏から諏訪地方への工場疎開を推進した。 同21年(1946年)第22回衆議院議員総選挙に長野県から出馬し当選。同26年(1951年)後楽園スタヂアム取締役、同32年(1957年)常務、同42年(1967年)副社長、同46年(1971年)花月園観光社長を歴任した。
福田 一(ふくだ はじめ、1902年〈明治35年〉4月1日 … 福田 一(ふくだ はじめ、1902年〈明治35年〉4月1日 - 1997年〈平成9年〉9月2日)は、日本の政治家、位階は従二位。 自由民主党所属の衆議院議員(14期)、衆議院議長(第62代)。自民党では大野派→福田グループに属した後に、無派閥となる。 福井県出身。東京府立三中(現在の東京都立両国高等学校)、旧制一高を経て、1927年東京帝国大学法学部仏法科卒業。同盟通信記者を経て衆議院議員に。通産大臣、自治大臣、法務大臣などを歴任した。通産大臣時代には小説「官僚たちの夏」に描かれた今井善衛と佐橋滋との間の事務次官人事抗争に介入し、存在感を見せ付けたこともある。 自治大臣在任中、1975年1月21日、参議院決算委員会で「私は市川(房枝)さんほど国民を尊敬していない」と述べたため、野党の反発を招き、発言の取り消しを要求された。
村山 道雄(むらやま みちお、1902年3月31日 - 19… 村山 道雄(むらやま みちお、1902年3月31日 - 1981年12月10日)は、日本の政治家。山形県知事や参議院議員を務めた。また、アララギ派の歌人でもあった。1972年勲二等旭日重光章。1982年正四位。 兵庫県出身。東京帝大法学部政治学科卒。1945年官選山形縣知事、1947年から山形県知事を2期8年務めた。同年8月に行われた昭和天皇の戦後巡幸では随行役を務めたほか、在任中は基督教独立学園高等学校の新制高校認可を助けるなどした。1950年に自由党入党。 知事退任後は、1959年の第5回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で山形地方区から出馬し当選。内閣委員長を務めている。 1981年12月10日、老衰のため79歳で死去。
郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16… 郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16日 - 1983年(昭和58年)12月28日)は、日本の政治家、官僚。
木倉 和一郎(きくら わいちろう、1902年(明治35年)3… 木倉 和一郎(きくら わいちろう、1902年(明治35年)3月12日 - 1994年(平成6年)1月10日)は、日本の政治家(衆議院議員・千葉県議会議員)、初代佐倉市長、千葉県弓道連盟初代会長。経済界でも活躍。 1902年(明治35年)、現在の千葉県佐倉市に生まれる。1920年(大正9年)に旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業。1929年(昭和4年)に東京帝国大学経済学部(現在の東京大学経済学部)を卒業。 1929年、千葉県の佐倉町会議員となり、1932年(昭和7年)には千葉県会議員となった。1934年には32歳の若さで佐倉町長に就任。 1940年に召集され陸軍高射学校に入隊し、千葉陸軍高射学校の将校として配属された。
山本 米治(やまもと よねじ、1902年2月5日 - 199… 山本 米治(やまもと よねじ、1902年2月5日 - 1993年11月30日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。国際決済銀行理事、大蔵政務次官。金融財政通として国会内外に知られた。 愛知県蒲郡町(現蒲郡市竹谷町)に生まれる。1926年(大正15年)3月、東京帝国大学法学部卒業。 日本銀行ロンドン監督役付海外駐在参事を経て、ドイツ駐在中に日銀総裁代理として国際決済銀行理事を務める。1947年(昭和22年)7月、日本銀行名古屋支店長に就任。日銀調査局長兼統計局長、外国為替管理委員会委員、経済安定本部副長官なども務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に愛知県選挙区から自由党公認で立候補し初当選。
中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月2… 中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家・詩人・評論家・政治家。代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。 福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。
田中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12… 田中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12月28日 - 1994年(平成6年)3月8日)は、日本の鉄道官僚・政治家。衆議院議員、内閣官房副長官。 宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)で生まれた。田中猛の養子となる。第一高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年(昭和2年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。鉄道省に入省し広島駅助役となる。 以後、鉄道省事務官、広島鉄道局経理部長、鉄道省監督局総務課長、同総務局主計課長、大臣官房文書課長、情報局情報官、技術院参技官、鉄道監、門司鉄道局長、鉄道総局総務局長などを歴任。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で宮崎県第2区に民主党から立候補し当選。
木島 虎蔵(虎藏、きしま とらぞう、1901年〈明治34年〉… 木島 虎蔵(虎藏、きしま とらぞう、1901年〈明治34年〉12月18日 - 1983年〈昭和58年〉7月29日)は、昭和期の鉄道技術者・官僚、実業家、政治家。参議院議員、日本通運会長。旧姓は上山。 鳥取県気高郡湖山村(現鳥取市)で農業・上山昇の二男として生まれ、八頭郡若桜町、木島可恵の養嗣子となる。1926年(大正15年)3月、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業。1929年(昭和4年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1930年(昭和5年)3月、東京帝国大学経済学部経済学科を卒業した。同年、鉄道省に入省し鉄道局技手に任官。 その後、金沢運輸事務所長、鉄道総局業務局保安課長、運転局運行課長、札幌鉄道局長、総裁室勤務、運輸総局輸送局長、日本国有鉄道理事などを歴任した。
伊藤 好道(いとう こうどう、1901年12月5日 - 19… 伊藤 好道(いとう こうどう、1901年12月5日 - 1956年12月10日)は、日本の政治家。左派社会党の衆議院議員(3期)。 愛知県西加茂郡根川村(現・豊田市長興寺)に生まれる。1914年(大正3年)、挙母第二尋常小学校(現・豊田市立根川小学校)卒業。1919年(大正8年)、明治中学校卒業(現・明治大学付属明治高等学校・中学校)。第一高等学校、東京帝国大学法学部に学び、新人会に参加。1925年(大正14年)に大学を卒業し、中外商業新報社(日本経済新聞の前身)に就職。またこの年、同郷の伊藤よし子と結婚。中外商業新報では『中外財界』編集主任・論説委員・経済部次長などを歴任、社会思想社の編集同人にも名を連ねた。
池田 直(いけだ すなお、1901年 <明治34年> 11月… 池田 直(いけだ すなお、1901年 <明治34年> 11月19日 - 1985年 <昭和60年> 7月13日)は、日本の政治家・官僚。佐賀県知事を5期20年務めた。位階は正三位。 佐賀県佐賀郡川副町出身。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1929年に東京帝國大学(東京大学の前身)法学部を卒業し、会計検査院に入庁。戦時中には南方司政官を務めた。 1952年から1959年2月まで7年以上の間、会計検査院事務総長を務めた。1959年4月に佐賀県知事選に出馬し初当選。1979年まで連続5期にわたり在任した。赤字だった県財政の立て直しや、米作りの推進、若楠国体、佐賀医科大学の誘致などを進めた。
八並 達雄(やつなみ たつお、1901年(明治34年)11月… 八並 達雄(やつなみ たつお、1901年(明治34年)11月4日 - 1981年(昭和56年)6月5日)は、日本の裁判官、弁護士、政治家。衆議院議員。 大分県出身。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 東京地方裁判所兼同区裁判所判事、横浜地方裁判所兼同区裁判所判事、前橋地方裁判所兼同区裁判所判事、東京刑事地方裁判所判事、東京民事地方裁判所判事、東京控訴院判事、横浜地裁部長、東京控訴院部長などを務めた。その後、弁護士となる。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で東京都第7区から民主党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 1981年6月、急性心不全により東京都品川区上大崎の自宅で死去した。
笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 … 笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 - 1982年5月15日)は、日本の政治家。秋田県横手市出身。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)などを務めた。 秋田県立横手中学校、第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学英法科卒業。農林省入省。販売改善課長、埼玉県経済部長、米穀課長、本省会計課長などを経たが、その後、山林局長のときに、戦時中の政府・軍部の方針であった里山伐採・平地林伐採運動について『行き過ぎのないように』との局長通達を全国の林務課長あてに出したことが、全国知事会で問題となり、熊本の営林局長に左遷させられる事態となった。本省の局長が営林局長に降格されることは、いまだかつてないことであった。
田中 栄一(田中 榮一、たなか えいいち、1901年10月8… 田中 栄一(田中 榮一、たなか えいいち、1901年10月8日 - 1980年2月1日)は、昭和期の日本の政治家、官僚。位階は従三位。 第61代警視総監(在任期間:1948年3月7日 - 1954年6月29日)。東京中学から第八高等学校を経て東京帝国大学法学部出身。 東京府東京市浅草区(現・東京都台東区浅草)生まれ。薩摩士族の血を引く。祖父は西南戦争で西郷隆盛側に立って戦い討ち死にした。幼少期に父と死別、母とは生別、兄弟は離散して親戚に預けられ、小学校を出ると別府のホテルで給仕として働いた。たまたま訪れた客の海軍士官から「偉くなりたいなら上京して勉強せよ」と激励され、苦学の末に東京帝大法学部に入学する。
多久 龍三郎(たく りゅうざぶろう、1901年(明治34年)… 多久 龍三郎(たく りゅうざぶろう、1901年(明治34年)9月4日 - 1983年(昭和58年)9月14日)は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員、多久鍋島家(後多久氏)13代当主。 12代多久鍋島家当主、男爵・多久乾一郎の三男として東京市赤坂区青山で生まれ、父の死去に伴い、同年12月12日に男爵を襲爵した。 2歳で父祖の地佐賀県に移るが、10歳の時に上京。学習院に入り昭和天皇の御学友となる。1922年、学習院高等科を卒業。1926年(大正15年)東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、さらに同経済学部を修了。1927年(昭和2年)欧米に留学した。 1932年(昭和7年)織田信託監査役に就任。
劔木 亨弘(劒木 亨弘、けんのき としひろ、1901年9月3… 劔木 亨弘(劒木 亨弘、けんのき としひろ、1901年9月3日 - 1992年11月29日)は、日本の政治家、文部官僚。参議院議員(4期)、文部大臣(第88-89代)。位階は正三位。 福岡県田川郡大任村(現大任町)に、開業医・劔木元享の長男として生まれる。豊津中学、第五高等学校を経て、1927年、東京帝国大学法学部を卒業。2年後の1929年、文部省に入省する(嘱託)。香川県学務課長、本省教学局思想課長、専門教育局大学教育課長などを務め、戦後の1947年、学校教育局次長となり、6・3・3・4制導入に伴う法整備や予算確保に尽力する。その後大学学術局長、文部事務次官を経て、1951年、周囲の推しにより福岡県知事選に出馬するも落選、首相吉田茂のはからいにより、内閣官房副長官に就任する。
横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 197… 横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 1975年11月10日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)、栃木県知事(公選第4-7代)。 栃木県宇都宮市の出身。宇都宮中学校、第二高等学校理科甲類を経て、1925年東京帝国大学農学部卒業、農林省に入省。青森営林局の技手を振り出しに林野畑を歩き、1939年満洲国林野局計画課長、1944年同林野総局林産課長、1945年東満総省林政庁長となる。 同年、ソ連軍の侵攻によりシベリアに抑留される。1948年に帰国。林野庁に入り、1950年に林野庁長官になる。 退官後の1953年の第3回参議院議員通常選挙全国区に自由党から出馬して当選する。
寺園 勝志(てらぞの かつし、1901年(明治34年)7月2… 寺園 勝志(てらぞの かつし、1901年(明治34年)7月25日 - 1998年(平成10年)2月11日)は日本の政治家、元官僚。鹿児島県知事や南日本放送会長を務めた。 1901年(明治34年)、姶良郡栗野村(のちの栗野町、現在の湧水町栗野地域)出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て東京帝國大学(現・東京大学)を卒業。 内務官僚となり 、厚生省部長、鹿児島県経済部長、同県副知事などを経て、1955年(昭和30年)から鹿児島県知事を3期12年務めた。在任中、戦後の混乱で厳しい財政の中で農業振興や交通・通信の整備に尽力し、大隅半島の広大なシラス台地である笠野原台地に大規模灌漑で農業用水を提供する土地改良事業をおこなった。
佐藤 栄作(さとう えいさく、旧字体:榮作、1901年(明治… 佐藤 栄作(さとう えいさく、旧字体:榮作、1901年(明治34年)3月27日 - 1975年(昭和50年)6月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。「政界の団十郎」「早耳の栄作」の異名を持ち、内閣総理大臣として日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げる。7年8か月の連続在任記録を持ち、「人事の佐藤」と評された。ノーベル平和賞を受賞したが、死後に核持ち込みの密約が発覚する。吉田学校の代表格。
伊能 繁次郎(いのう しげじろう、1901年〈明治34年〉3… 伊能 繁次郎(いのう しげじろう、1901年〈明治34年〉3月10日 - 1981年〈昭和56年〉6月12日)は、日本の運輸官僚・政治家。運輸事務次官に任じられたのち国政に転身し、参議院議員となり、防衛庁長官などを歴任した。 千葉県佐原町(現在の香取市)川岸に生まれる(ただし、本籍は同県中山村北方(現在の市川市北方)にあった)。 第四高等学校・東京帝国大学英法学科を経て、1926年(大正15年)に鉄道省入省(東鉄局書記)、1935年(昭和10年)より在外研究員として欧米各国の交通事情を調査、帰国後の1939年(昭和14年)には鉄道監察官に任じられる。 その後、1943年(昭和18年)運輸通信省書記官兼大臣官房文書室長、翌年には門司鉄道管理局長を歴任、戦後には運輸省鉄道総局長官となった。
竹谷 源太郎(たけや げんたろう、1901年(明治34年)2… 竹谷 源太郎(たけや げんたろう、1901年(明治34年)2月14日 - 1978年(昭和53年)9月12日)は、日本の政治家、内務官僚、弁護士。衆議院議員。 宮城県伊具郡角田町(現角田市)で呉服商・竹谷源平、いち夫妻の長男として生まれる。1918年、宮城県立角田中学校を卒業し、東京高等商業学校に入学したが、体操教官(陸軍中佐)の態度に反発し退学。同年、第一高等学校に編入し、1924年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。卒業後はアメリカ合衆国でデパートメント・ストアの研究を希望していたが、友人が相談もなく手続きをした高等試験行政科試験を受けて1924年11月に合格。同年、内務省に入省し静岡県属となる。
入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10… 入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10日 - 1972年(昭和47年)7月18日)は、日本の官僚、政治家、裁判官。法制局長官、貴族院議員、衆議院法制局長、最高裁判所判事。東京府出身。 府立三中、第一高等学校、東京帝国大学卒業。1924年に内務省に入り、1927年、法制局参事官となる。 戦後の1945年9月には法制局第一部長、同年11月には法制局次長、1946年3月には法制局長官となり、日本国憲法の立案責任者になった。1946年5月18日、昭和天皇により貴族院議員に勅選され、同和会に所属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 日本国憲法により帝国議会及び貴族院は廃止され、国立国会図書館専門調査員であったところ、芦田内閣期の1948年7月に衆議院の法制局長に任命された。
岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1… 岡崎 英城(おかざき えいじょう、1901年〈明治34年〉1月10日 - 1989年〈平成元年〉2月18日)は、日本の内務官僚・政治家。 東京帝国大学経済学部卒業後、内務省に入省。警察畑を歩み公職追放後の1955年(昭和30年)衆議院議員に東京4区から初当選(連続当選6回)。岸内閣の内閣官房副長官、労働・行政管理・通産の各政務次官、自民党東京都連幹事長などを歴任したが、入閣はできず1972年の衆院選で落選し政界を引退した。墓所は多磨霊園。 1901年(明治34年)1月10日、三重県津市出身。 水戸高校を卒業し、1928年(昭和3年)に東京帝国大学経済学部経済学科卒業・高等文官試験行政科に合格する。
嶋田 晋作(しまだ しんさく、1901年(明治34年)1月6… 嶋田 晋作(しまだ しんさく、1901年(明治34年)1月6日 - 1950年(昭和25年)6月20日)は、大正末から昭和前期のジャーナリスト、評論家、政治家。衆議院議員。旧姓・近江谷。 秋田県南秋田郡土崎港町小鴨町(現秋田市土崎港)で、実業家・近江谷栄次の三男として生まれる。暁星中学校(現暁星中学校・高等学校)、日本中学校(現日本学園中学校・高等学校)、第三高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業した。 1925年(大正14年)中外商業新報に入社し経済部記者となり、のちの能代市・嶋田家の養子となる。以後、名古屋新聞嘱託、報知新聞論説委員、中部日本新聞(現中日新聞)論説委員、東京新聞論説委員を歴任。
小沢 久太郎(小澤 久太郎、おざわ きゅうたろう、1900年… 小沢 久太郎(小澤 久太郎、おざわ きゅうたろう、1900年〈明治33年〉12月19日 - 1967年〈昭和42年〉9月18日)は、昭和期の日本の内務官僚、政治家。参議院議員(3期)、郵政大臣(第19代)。 千葉県市原郡加茂村(現在の市原市)出身(出生地は東京府東京市芝区愛宕下町)。第一高等学校を経て、1927年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業、内務省に入り、土木畑を歩む。特別調達庁促進局次長・近畿地方建設局長・経済安定本部建設交通局長、経済審議庁審議官などを歴任した。 1953年の第3回参議院議員通常選挙に於いて自由党公認候補として全国区に立候補して初当選、保守合同以後は自由民主党に属する。
東井 三代次(とうい みよつぐ、1900年〈明治33年〉12… 東井 三代次(とうい みよつぐ、1900年〈明治33年〉12月14日 - 1998年〈平成10年〉8月2日)は、昭和期の宗教家、政治家。衆議院議員。 滋賀県出身。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。 天理教教庁印刷所長、同庶務課長、同輸送部長、同東京出張所長兼教庁総務、図書出版 (株) 養徳社社長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で奈良県全県区に無所属で立候補して初当選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で奈良県全県区に無所属で立候補して再選。1949年(昭和24年)1月、第24回総選挙に民主党公認で立候補して再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
坂田 啓造(さかた けいぞう、1900年(明治33年)11月… 坂田 啓造(さかた けいぞう、1900年(明治33年)11月23日 - 1976年(昭和51年)12月16日)は、静岡県浜名郡可美村東若林(現・浜松市中央区東若林町)出身の政治家。第11代浜松市長(1947年4月16日-1951年4月15日)。 1900年(明治33年)11月23日、静岡県浜名郡可美村東若林(現・浜松市中央区東若林町)に生まれた。父の坂田喜三郎は浜名郡会議員や磐田郡浅羽村長を務める地域の名士だった。 1923年(大正12年)、高等試験行政科に合格し、翌年に東京帝国大学法学部政治科を卒業した。三井物産に勤務した後、岡山県警視・保安課長、北海道庁警視・外事課長、栃木県特高課長、広島県事務官・学務課長、富山県書記官・学務部長、長崎県学務部長、新潟県学務部長、大分県内政部長を歴任した。
柴田 栄(しばた さかえ、1900年11月12日 - 198… 柴田 栄(しばた さかえ、1900年11月12日 - 1982年9月23日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(3期)、林野庁長官(第3代)。 愛知県川中村大字福徳(現名古屋市北区福徳町)に生まれる。第八高等学校を経て、1928年に東京帝国大学農学部林学科を卒業。 大学卒業後、白沢営林署長、真室川営林署長、青森営林署長、秋田営林局長などを歴任した。真室川営林署長時代にはスキー大会を発案及び主催。真室川町秋山スキー大会の始まりだった。 1952年9月3日、林野庁長官に就任。1954年12月11日にインドで開催された第4回世界林業会議に日本代表として出席した。1955年11月19日、同長官を退任。
三浦 辰雄(みうら たつお、1900年〈明治33年〉11月1… 三浦 辰雄(みうら たつお、1900年〈明治33年〉11月12日 - 1989年〈平成元年〉3月17日)は、昭和期の農林技官及び官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。 福島県出身。1925年(大正14年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農商省に入省し、営林局技師、農林技師を務めた。1947年(昭和22年)12月、林野局長官に就任し、1949年(昭和24年)6月、林野局が林野庁に改称され引き続き長官に在任し、1950年(昭和25年)3月に退任した。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。この間、緑風会建設部会長、同風水害対策特別委員長などを務めた。