沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12… 沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12日 ‐ 2024年〈令和6年〉1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。
村上哲朗(むらかみ てつろう、1929年9月1日 - )は、… 村上哲朗(むらかみ てつろう、1929年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。仙台国税局長、税務大学校長、自動車保険料率算定会副理事長などを歴任した。 東京府出身。東京大学経済学部経済学科在学中に国家公務員六級職試験(経済職、法律職)を合格。東大経済学部経済学科を卒業し、1953年 大蔵省に入省(銀行局検査部審査課) 。同期に吉野良彦、水野繁、大場智満、宮下創平、宮本保孝、楢崎泰昌、名本公洲らが居り、更に新制組に西垣昭、梅沢節男、矢崎新二らが居た。 1957年10月から東京国税局調査査察部で勤務する 。1958年11月 東京国税局の調査官として比較的のんびりと過ごしていたが、突如として主計局の勤務を命ぜられた。
赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月2… 赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月24日 - 2024年〈令和6年〉2月6日)は、日本の労働官僚、外交官、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。筆名は青杉 優子。在ウルグアイ大使、文部大臣、公益財団法人日本ユニセフ協会会長を歴任した。女性の政治参画拡大を目指す市民団体「Qの会」代表。労働省の婦人局長として、1986年に施行された男女雇用機会均等法の成立に尽力し「均等法の母」と呼ばれた。 労働省婦人局長時代、男女雇用機会均等法制定の中核となった。細川護熙、羽田孜両内閣で文部大臣を務めたほか、国際女性の地位協会会長なども務めた。選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているネットの呼びかけ人でもある。
大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8… 大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8月20日 - 1994年 <平成6年> 12月19日)は日本の大蔵・経済企画官僚。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 東京府神田生まれ。第一高等学校、東京大学法学部卒業。1953年 大蔵省入省(理財局総務課)。1980年12月1日に経済企画庁長官官房審議官(調整局担当)。1982年7月2日 国民生活局長。1983年7月12日 総合計画局長。1985年6月10日に経済企画審議官となり、1986年6月3日より経済企画事務次官。1987年6月23日に退官。同年 大和銀行総合研究所(現:りそな総合研究所)初代理事長(〜1993年4月28日)。1994年12月19日 死去。
松井 和浩(まつい かずひろ、1929年7月30日 - )… 松井 和浩(まつい かずひろ、1929年7月30日 - )は、日本の運輸官僚。 東京都出身。1953年に東京大学法学部法律学科を卒業。海上保安庁、運輸省での勤務を経て、1981年1月に運輸省航空局長に就任し、1983年6月に大臣官房長を経て、1984年7月から1986年6月までに事務次官を務めた。1986年10月に新東京国際空港公団副総裁を経て、1988年12月から1993年1月までに総裁を務めた。1993年7月に東京海上火災保険顧問に就任し、1995年3月に日本海事財団会長を経て、2003年7月には相談役に就任した。 2002年11月に勲二等旭日重光章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
名本 公洲(なもと きみくに、1929年7月12日 - )は… 名本 公洲(なもと きみくに、1929年7月12日 - )は、日本の弁護士、大蔵官僚。日本銀行政策委員会大蔵省代表委員、全国地方銀行協会副会長などを務めた。 東京大学法学部法律学科在学中に司法試験と国家公務員六級職試験に合格。東大法学部法律学科を卒業し、1953年4月 大蔵省入省(管財局外国財産補償課)。1959年10月 足利税務署長。 その後は主計局給与課長補佐、主計局主計官補佐(防衛係主査)、外務省在インド大使館一等書記官などを務める。 1971年7月 大臣官房参事官。1972年1月1日 人事院事務総局給与局給与第二課長。1973年7月23日 主計局主計官(地方財政、大蔵、補助金担当)。1975年7月10日 環境庁企画調整局企画調整課長。
平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は… 平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は、日本の官僚、元安田信託銀行顧問。 熊本県生まれ。熊本県立玉名中学校卒業。第五高等学校卒業、東京大学理学部卒業。 昭和31年、旧通商産業省(現:経済産業省)入省。主に技術畑を歩んだ。 昭和59年、立地公害局長就任。 昭和60年、退官。その後、安田信託銀行の顧問を経て昭和電工株式会社専務取締役、日本規格協会理事長。
大場 智満(おおば ともみつ、1929年5月8日 - 202… 大場 智満(おおば ともみつ、1929年5月8日 - 2023年5月11日)は、日本の大蔵官僚、元財務官。東京府(現在の東京都杉並区)出身。国際金融の専門家として、日本の金融自由化を推進した。 大蔵省では吉野良彦(のち大蔵事務次官)らと入省同期にあたる。1983年に財務官就任後、日米円・ドル委員会(1983年11月設置、のちの日米金融協議 (コトバンク))での東証のオフショア市場開設会合や、1985年のプラザ合意での政策決定交渉過程に、行天豊雄(国際金融局長)らと共に日本側事務方代表の財務官職として実務者協議に関わった。 のちに、プラザ合意が日本のバブル経済の直接的原因ではなかった点も述べている(プラザ合意#議論・評価、竹内道雄、金融政策#日本も参照)。
越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 … 越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 - 2021年〈令和3年〉1月30日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会会長。 東京生まれ。東京高師附属中(現・筑波大附属中・高)卒業。同期生に大川慶次郎、大島通義、岡野行秀、三浦公亮など。旧制一高を経て、東京大学法学部法律学科を卒業後、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。 1972年の第33回衆議院議員総選挙で賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・野田毅・深谷隆司など)。
小松 國男(こまつ くにお、1929年1月3日 - )は、日… 小松 國男(こまつ くにお、1929年1月3日 - )は、日本の官僚、経営者。 長野県出身。1952年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に通商産業省に入省。 通商局、重工業局、大臣官房、企業局、内閣法制局、ジェトロニューヨークセンター、機械情報産業局電子政策課長、産業政策局総務課長、中小企業庁計画部長、大臣官房審議官、日銀政策委員(経済企画庁代表)、基礎産業局長などを経て、1981年6月に資源エネルギー庁長官に就任し、1982年10月に通商産業審議官に就任。1984年6月に日本長期信用銀行顧問を経て、1986年6月に日商岩井副会長に就任し、1990年6月には副会長に就任。1991年8月から1998年6月までに石油公団総裁を務めた。
篠田 信義(しのだ のぶよし、1928年11月18日 - 2… 篠田 信義(しのだ のぶよし、1928年11月18日 - 2010年4月27日)は、日本の大蔵官僚。大阪国税局長、印刷局長、日本酒類販売副社長、同社社長、同社会長などを務めた。 大分県高田町(現:豊後高田市)で6人兄弟の5番目で4男として生まれる。宇佐中学校、第五高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。1951年 大蔵省入省(銀行局検査部管理課)。1952年5月 銀行局銀行課。1957年12月 相馬税務署長。 外務省在ベルギー大使館一等書記官、同大使館参事官などを経て、1972年7月3日 理財局国有財産第一課長。1973年7月3日 国税庁長官官房人事課長。1975年7月17日 福岡国税局長。
禿河 徹映(とくがわ てつえい、1928年10月13日 - … 禿河 徹映(とくがわ てつえい、1928年10月13日 - )は日本の大蔵官僚。 北九州市出身。1952年、東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。 1974年大臣官房秘書課長、1977年主計局次長、1980年経済企画庁官房長、1981年証券局長。内閣官房内閣審議室長をへて、総理府次長、1985年退官。国民金融公庫副総裁、日本証券業協会副会長。事務次官候補だったが総理府に転じた。同期には越智通雄、福田幸弘などがいる。1950年組、51年組、53年組の影響もあってか事務次官は出ていない。
海老原 義彦(えびはら よしひこ、1928年(昭和3年)10… 海老原 義彦(えびはら よしひこ、1928年(昭和3年)10月7日 - )は、日本の官僚、政治家。元総理府次長。元参議院議員。日本会議代表委員。
石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日… 石川 弘(いしかわ ひろし、1928年(昭和3年)10月3日 - 1999年(平成11年)8月2日)は、日本の農林官僚、政治家。農林水産事務次官、参議院議員。 金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)、旧制第四高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業。1954年、農林省に入省。静岡県経済部水産課長、経済局企業流通部市場課長、林野庁林政部林政課長、大臣官房予算課長、食糧庁管理部長などを経て、1981年1月、食糧庁次長。同年7月21日、畜産局長。1984年7月6日、食糧庁長官。1986年6月10日、事務次官。 1989年、参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補して初当選。
金田一郎(かねだ いちろう、1928年9月12日 - 201… 金田一郎(かねだ いちろう、1928年9月12日 - 2015年9月28日 (87歳))は日本の厚生官僚。総理府社会保障制度審議会事務局長、厚生省児童家庭局長、厚生省社会局長、社会保険庁長官、社会福祉・医療事業団理事長、財団法人長寿社会開発センター理事長、東京厚生年金会館館長などを歴任。東京都新宿区北新宿在住。 石川県出身。東京大学法学部法律学科卒業。1952年 厚生省入省。1973年7月27日 厚生省医務局総務課長。1974年6月11日 社会保険庁長官官房総務課長。1976年7月1日 厚生省大臣官房審議官(公衆衛生担当)。同年12月27日 厚生省大臣官房審議官(医療保険担当)。1977年8月23日 社会保険庁参事官。
楢崎 泰昌(ならさき やすまさ、1928年9月9日 - 20… 楢崎 泰昌(ならさき やすまさ、1928年9月9日 - 2014年10月21日)は、日本の官僚・政治家。自由民主党参議院議員(1期)。
永井 浩(ながい ひろし、1928年8月31日 - 2007… 永井 浩(ながい ひろし、1928年8月31日 - 2007年3月29日)は、日本の運輸官僚、経営者。海上保安庁長官などを務めた。位階は正四位。 千葉県出身。1952年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に運輸省に入省。1980年6月に海運局長、1982年6月に海上保安庁長官を歴任し、1983年6月に日本鉄道建設公団副総裁に就任し、1987年10月には総裁に昇格。1990年6月に日本空港ビル副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格し、1997年6月に会長を経て、2001年6月に取締役相談役を退く。 2000年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2007年3月29日に肺癌のために死去。78歳没。
久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、… 久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は、日本の自治官僚、政治家。
妹尾 弘人(せのお ひろと、1928年(昭和3年)7月3日 … 妹尾 弘人(せのお ひろと、1928年(昭和3年)7月3日 - )は、日本の官僚、実業家。京成電鉄第8代社長、相談役。 東京都世田谷区在住。 1928年生まれ。1951年、東京大学法学部卒業し、運輸省へ入省。1976年、同省鉄道監督局民営鉄道部長となり京成電鉄の再建に関わり、当時日本興業銀行常務だった村田倉夫を同社に派遣させた。 1979年に同省海運局長、1980年に海上保安庁長官を歴任。1982年に退官したのち、大洋漁業(後のマルハニチロ、現・Umios)に入社し、1984年に同社専務、1987年に同社副社長に就任したが、同年5月から1990年まで船舶整備公団理事長となる。 その後、運輸省時代に京成電鉄再建に関わった縁で、1990年に同社に招聘され、同社の副社長となり、1992年6月同社代表取締役社長に就任。
古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 20… 古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 2019年9月9日)は、日本の通商産業官僚。通商産業省貿易局長を最後に退官後、電源開発理事等を経て、マツダ第7代社長に就任。 大分県宇佐市出身。実兄は珉珉創業者であり日本画家の古田安夫。中津商業学校(現大分県立中津東高等学校)、大分経済専門学校(現大分大学経済学部)を経て、東京大学経済学部卒業。 1952年(昭和27年)、通商産業省入省。同期には杉山和男(通産省事務次官)、並木信義(名古屋市大教授)、小松国男(通産審議官)、小島英敏(経企次官)、谷村昭一(経企次官、日商専務理事)、服部典徳(工業技術院総務部長)、倉部行雄(防衛庁装備局長)、平林勉(官房審議官)などがいる。
吉本 宏(よしもと ひろし、1928年(昭和3年)2月18日… 吉本 宏(よしもと ひろし、1928年(昭和3年)2月18日 - 2026年3月12日)は、日本の元大蔵官僚。元大蔵省理財局長。 旧制一高を経て東京大学法学部卒業後、大蔵省に入省。横浜税関長、大臣官房審議官、理財局次長を経て、1979年(昭和54年)証券局長、1981年(昭和56年)理財局長。 1982年(昭和57年)に退官後は、日銀理事、国民金融公庫総裁、日銀副総裁、東京金融先物取引所理事長を歴任した。 2002年(平成14年)の春の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。 2026年(令和8年)3月12日に逝去。没後に従四位追叙を賜った。 倉山満は、1981年の理財局長就任が前年の総選挙で自民党を支配するに至った田中角栄の引き上げによるものだったとして(田中内閣で首相秘書官を務めていたため)、「角影人事」の一環であると述べている。
角田 達郎(つのだ たつお、1928年1月18日 - 200… 角田 達郎(つのだ たつお、1928年1月18日 - 2006年2月20日)は、日本の実業家・官僚。西日本旅客鉄道(JR西日本)の初代社長を務めた。 東京都出身。東京大学を卒業後、運輸省(現国土交通省)に入省。自動車局長や大臣官房長、海上保安庁長官を歴任した。 1987年4月1日、国鉄分割民営化に伴い発足した、JR西日本の初代社長に就任。同社は国鉄時代の負債は国鉄清算事業団に引き継いだものの、設備や社員など、必ずしも競争環境に適合しない資産を引き継いでの船出であった。大阪都市圏においては有力な私鉄各社や、長距離輸送については航空会社と激しい競合関係にある上に、北陸地方・中国地方を中心に不採算なローカル線を多く抱えており、人口の多い首都圏を商圏に含むJR東日本や東海道新幹線を有するJR東海に比して、収益構造が脆弱であった。
松谷 蒼一郎(まつたに そういちろう、1928年1月6日 -… 松谷 蒼一郎(まつたに そういちろう、1928年1月6日 - 2024年7月12日)は、日本の政治家、建設官僚。 内閣官房副長官(小渕内閣・第1次森内閣)、参議院議員(2期)を歴任した。 1953年(昭和28年)3月、東京大学工学部建築学科卒業。同年4月、建設省入省。1973年(昭和48年)、大阪府建築部建築指導課長に就任。1975年(昭和50年)7月、建設省住宅局住宅生産課長に就任。1978年(昭和53年)10月、建設省住宅局建築指導課長に就任。1979年(昭和54年)7月、建設省住宅局住宅建設課長に就任。1980年(昭和55年)7月、建設省住宅局参事官に就任。1982年(昭和57年)6月、建設省住宅局長に就任。
伊従 寛(いより ひろし、1927年(昭和2年)11月28日… 伊従 寛(いより ひろし、1927年(昭和2年)11月28日 - 2020年(令和2年)6月29日)は、日本の元公正取引官僚、弁護士。元公正取引委員会委員。シティユーワ法律事務所顧問(オフ・カウンセル)。勲二等瑞宝章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月… 宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月10日 - 2013年〈平成25年〉10月7日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位。 厚生大臣(第81代)、環境庁長官(第31代)、防衛庁長官(第51代)、衆議院議員(8期)を歴任した。 長男は第68代農林水産大臣の宮下一郎。 長野県上伊那郡伊那里村(現伊那市長谷市野瀬)の農家に生まれる。旧制伊那中学(現伊那北高等学校)から陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校に進むが、第二次世界大戦敗戦により旧制松本高等学校に入学。1953年に東京大学法学部(東洋政治思想史:丸山ゼミ)を卒業し、大蔵省に入省する。入省同期に、吉野良彦(元大蔵次官、主計局長)、津島雄二、水野繁(元国税庁長官)、大場智満(元財務官)、宮本保孝(元理財局長、銀行局長)らがいる。
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7… 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7日 - 2021年〈令和3年〉10月14日)は、日本の労働官僚、政治家。位階は正三位。旧姓名は古川 眞弓。 労働省婦人少年局長、参議院議員(3期)、衆議院議員(4期)、環境庁長官、内閣官房長官(女性初)、文部大臣、法務大臣、白鷗大学学長(2007年2月 - 2013年3月)などを歴任した。 北海道硫黄株式会社社長の古川俊雄の三人姉妹の長女として生まれた。津田塾専門学校外国語学科(現・津田塾大学)へ入学。極東国際軍事裁判において翻訳のアルバイトをしていた。津田塾専門学校を卒業後、女性として初めて東京帝国大学法学部法律学科(現在の東京大学法学部)へ入学(同期東大入学に中根千枝がいる)。
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7… 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7日 - )は、日本の元官僚(労働官僚)、元政治家。旧姓名は古川 眞弓。
高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 20… 高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 2013年12月21日)は、福岡県北九州市出身の労働省官僚。最高裁判所判事。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章受章。 門司高等女学校卒業後に東京大学経済学部に進学。卒業後の1953年に労働省入省。内閣審議官、労働省婦人少年局長を歴任し、1982年に退官。 婦人少年協会会長、アジア女性交流・研究フォーラム理事長、21世紀職業財団会長を務めた後、1994年2月9日に女性としては初めて最高裁判所判事に任命される。当時の内閣は3人の女性閣僚がいた細川内閣であり、細川護煕は「大きなプレゼント」とコメントした。 2000年、勲一等瑞宝章受章。 1997年9月20日 最高裁判事を定年退官。
山口 光秀(やまぐち みつひで 1927年9月16日 - 2… 山口 光秀(やまぐち みつひで 1927年9月16日 - 2004年7月26日)は、日本の官僚。元大蔵事務次官、元東京証券取引所理事長。従三位勲一等瑞宝章。
栗原昭平(くりはら しょうへい、1927年9月16日 - 1… 栗原昭平(くりはら しょうへい、1927年9月16日 - 1992年3月12日)は、日本の官僚、実業家。 東京府出身。1950年東京大学法学部卒業、同年通商産業省入省。同期に林義郎、水野上晃章(貿易局長 1978年6月-、広島文理科大卒)ら全部で6人であった。 日本銀行政策委員会委員経済企画庁代表(1977年6月 - 1978年6月)、生活産業局長(1978年6月20日 - 1979年8月29日)、機械情報産業局長(1979年8月29日 - 1981年6月26日)、1981年に通商産業審議官(1981年6月26日 - 1982年10月15日 通産大臣:安倍晋太郎・山中貞則)に。機械情報産業局長時代は、局次長の小長啓一らと共に対米乗用車輸出自主規制導入に取組み、1981年から国内自動車各社への輸出台数割り当てが実施された。
豊藏 一(とよくら はじめ、1927年9月5日 - 2013… 豊藏 一(とよくら はじめ、1927年9月5日 - 2013年12月30日)は、日本の建設官僚。 1927年9月5日 東京府北多摩郡立川町(現在の東京都立川市)出身。 満州・大連第一中学校、第六高等学校を経て、1953年 東京大学法学部卒業後、建設省入省。都市局都市政策課長、総理府総理大臣官房会計課長、大臣官房人事課長、道路局次長、住宅局長などを経て、1982年6月 大臣官房長に就任。1985年10月 建設事務次官に就任。 退官後は、阪神高速道路公団理事長、住宅・都市整備公団総裁、東日本建設業保証社長などを歴任。 2001年にプロ野球のセントラル・リーグ会長に就任し、2008年末にセントラル・リーグ及びパシフィック・リーグが日本プロ野球コミッショナー事務局(日本プロフェッショナル野球組織)に統合され、リーグ会長職が廃止されるまで務めた。
角道 謙一(かくどう けんいち、1927年〈昭和2年〉8月1… 角道 謙一(かくどう けんいち、1927年〈昭和2年〉8月14日 - 2013年〈平成25年〉12月5日)は、日本の農林官僚。林野庁長官、農林水産事務次官を歴任し、退官後は農林中央金庫理事長を務めた。 大阪府出身。東京大学経済学部を卒業後し、1953年に農林省へ入省した。水産庁生産部海洋第一課長、農林大臣官房審議官、林野庁次長、農林水産大臣官房総務審議官を務めたのち、1981年には局長級のポストである農林水産大臣官房長に就いた。1984年7月、林野庁長官。同年11月には、農林水産事務次官に就任した。事務次官を退任後は、1987年から1990年までは農林漁業信用基金理事長、1991年から2000年までは農林中央金庫理事長を歴任した。
石月 昭二(いしづき しょうじ、1927年7月11日 - 2… 石月 昭二(いしづき しょうじ、1927年7月11日 - 2013年11月2日)は、日本の運輸官僚。 新潟県新津市出身。1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に運輸省に入省。1980年6月に大臣官房総務審議官に就任し、1983年6月から1984年7月までに海上保安庁長官を務めた。1984年8月に日本長期信用銀行顧問、1987年4月に新幹線鉄道保有機構理事長、1990年4月に国鉄清算事業団理事長、1993年6月に日本観光協会会長、1999年6月に日本気象協会会長を歴任した。 2002年4月に勲二等旭日重光章を受章した。 2013年11月2日、急性心筋梗塞のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 201… 持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - 2017年9月3日)は、日本の官僚・政治家。自由民主党宏池会所属の衆議院議員で5期務めた。宮崎県都城市出身。父は元北海道庁長官の持永義夫、弟は元自治事務次官の持永堯民。子は持永哲志。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退。地盤の宮崎3区には、子で元経産官僚の持永哲志を自身の後継者として擁立。自民党公認争いで古川禎久との調整がつかず、双方が無所属で立候補したが、古川に敗れて落選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、哲志が自民党公認として立候補したが、再び落選。その後、2008年6月に哲志は旅行中の沖縄で急死した。
林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日… 林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は正三位。 大蔵大臣(第97代)、厚生大臣(第62代)、衆議院議員(11期)などを歴任した他、日中友好議員連盟や日中友好会館の会長も務めた。 山口県下関市貴船町出身。豊浦中学4年修了、旧制第一高等学校を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部を卒業する。同年、通商産業省に入省する。入省同期に栗原昭平、諸口昭一(札幌通産局長、東商大卒)などがいる。通産省では、通産大臣秘書官、通産省重工業局産業機械課長を歴任する。 1969年(昭和44年)に通産省を退官。同年末の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で周東英雄の後継者として旧山口1区から立候補し、初当選した(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
杉山 和男(すぎやま かずお、1927年4月30日 - )は… 杉山 和男(すぎやま かずお、1927年4月30日 - )は、日本の官僚。通商産業事務次官。
井上幸夫(いのうえ ゆきお、1927年3月1日 - 1981… 井上幸夫(いのうえ ゆきお、1927年3月1日 - 1981年3月8日)は日本の大蔵官僚。沖縄開発庁振興局長、沖縄開発事務次官などを務めた。 大阪府出身。第三高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に入学。東大法学部政治学科在学中の1947年12月 高等試験行政科を合格。東大法学部政治学科を卒業し、1948年3月 大蔵省入省。理財局属。1951年8月1日 伊予西条税務署長。1952年9月16日 前橋税務署長。その後は管財局総務課長補佐、主計局総務課長補佐、主計局主計官補佐(公共事業係)、広島国税局総務部長などを務める。1965年7月8日 主計局主計官(防衛担当)。1967年8月4日 主計局主計官(建設、公共事業担当)。
菅原 操(すがわら みさお、1927年2月22日 - 202… 菅原 操(すがわら みさお、1927年2月22日 - 2021年)は、日本の運輸官僚。海外鉄道技術協力協会(JARTS)最高技術顧問。極東鋼弦コンクリート振興株式会社(FKK)顧問。日本モノレール協会副会長。日本地下鉄協会リニアメトロ研究委員長。工学博士。 静岡県静岡市出身。1939年、静岡県立静岡中学校入学、四年終了にて1943年、陸軍予科士官学校に入学。翌1944年、陸軍航空士官学校に進み、満州・平安鎮にて訓練を受けた。その地で敗戦を迎え、1945年8月末、帰国、故郷の静岡での大学受験準備を経て、1946年、東京大学第二工学部土木工学科に入学、1949年、同卒業、運輸省入省。1952年6月、鉄道技術研究所。
田中 和夫(たなか かずお、1927年〈昭和2年〉1月2日 … 田中 和夫(たなか かずお、1927年〈昭和2年〉1月2日 - 1989年〈平成元年〉8月21日)は、日本の政治家、自治官僚。大阪府堺市長(第15代)。助役の時に、堺市の政令指定都市移行を目指す我堂武夫市政を実務面で支え、後継として就任後、我堂とともに「名市長」と呼ばれた。位階は正五位、勲三等瑞宝章受章。 現在の山口県柳井市出身。1949年(昭和24年)東京大学法学部を卒業。自治省に入省し、地方公務員災害補償基金事務局長、自治大学校副校長などを歴任。 堺市の助役として、第15代市長の我堂武夫による行財政の見直し、行政改革・財政再建・都市再開発を支えた。1984年(昭和59年)2月、我堂市長退任に伴う選挙に出馬し、第16代の市長に初当選した。
手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務… 手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務官僚、外交官。外務省経済局長、外務審議官(経済担当)などを歴任し、GATT35条援用(GATT協定不適用)問題等に関わった。 1927年、石川県金沢市生まれ。父は手島治雄(元日本陸軍情報将校)で、戦後は出光興産専務を務め日章丸事件に関わった。東京府立一中、一高、陸軍士官学校を経て、東大法学部入学。東大在学中の1950年3月に外交官領事官採用試験に合格し外務省入省。一高では英語・独語クラスに入ったが独語は理解能力を超えると自覚し、アテネ・フランセに通い、陸士では語学の授業は全く無かったが英文法の本を持参し、空襲退避中に自習した。大学も外務省もフランス語で受験し、入省後は「フレンチスクール」とされたが、外務省研修所ではフランス語の授業はなく、在外研修制度もなく仏留学の機会も無かった。
藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12… 藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12月26日 - 2016年(平成28年)6月25日)は、日本の官僚。日本赤十字社名誉社長。環境事務次官、内閣官房副長官、宮内庁長官、日本赤十字社社長などを歴任。勲等は勲一等旭日大綬章。
上月重雄(こうづき しげお、1926年12月4日 - 200… 上月重雄(こうづき しげお、1926年12月4日 - 2002年6月10日)は日本の大蔵官僚。海外経済協力基金総務部長、印刷局長、石油資源開発副社長などを歴任。 兵庫県出身。東京大学経済学部経済学科卒業。1948年9月 大蔵省入省。主計局属。1952年9月 川内税務署長。1953年10月 杉並税務署長。1964年7月 総理府国防会議事務局参事官。1969年8月 関税局企画課長。1970年6月 北海道財務局長。1972年7月 海外経済協力基金総務部長。1973年6月29日 印刷局長。1974年7月10日 退官。退官後にむつ小川原開発常務。1977年6月 石油資源開発常務。その後は同社副社長。2002年6月10日に死去。
石原 信雄(いしはら のぶお、1926年〈大正15年〉11月… 石原 信雄(いしはら のぶお、1926年〈大正15年〉11月24日 - 2023年〈令和5年〉1月29日)は、日本の官僚。内閣官房副長官(在任 1987年 - 1995年)。位階は正三位。財務官僚で元内閣府審議官の石原一彦は長男。 自治省官僚時代に自治医科大学(1972年創立)の開学に関わった。東京都知事選挙落選後は、大宮操車場跡地ほか(現・さいたま新都心)への10省庁18機関の移転にも関わった。また、埼玉県さいたま市の合併・政令指定都市移行にも関わり、平成の大合併では講演会や顧問などの形で様々な市町村合併にも関わった。 1993年に出された、慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(河野談話)に官房副長官として関与。
中川 和雄(なかがわ かずお、1926年11月1日 - )は… 中川 和雄(なかがわ かずお、1926年11月1日 - )は、京都府出身の元官僚、政治家。元大阪府知事。関西棋院理事長。
伊勢谷浩(いせたに ひろし、1926年10月26日 - )は… 伊勢谷浩(いせたに ひろし、1926年10月26日 - )は日本の大蔵官僚。国民金融公庫理事などを歴任。趣味はゴルフ、麻雀、旅行。 東京府出身。東京大学法学部政治学科卒業。1948年9月 大蔵省入省。銀行局保険課配属。1951年4月 主計局総務課。同年5月 経済安定本部建設交通局公共事業課。1952年4月 管財局外国財産管理課長補佐心得。同年9月 伊予西条税務署長。米国出張時には財政投資を研究。1970年6月 経済企画庁総合計画局計画課長。1972年5月 外務省在英国大使館公使。1975年7月5日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1976年 国民金融公庫理事。1981年 スミス・バーニー証券顧問。
辻 敬一(つじ けいいち、1926年10月14日 - 199… 辻 敬一(つじ けいいち、1926年10月14日 - 1990年2月24日)は、日本の大蔵官僚。元行政管理事務次官。 東京府出身。東京大学法学部政治学科卒業。1948年3月 大蔵省入省。大臣官房文書課配属。1951年6月16日 沼津税務署長。1952年9月1日 甲府税務署長。以降、主計局中心のキャリアを歩み、総務課長補佐、主計官補佐(社会保険、労働係)、同(厚生係)などを務める。1966年8月1日 主計局主計官(厚生・労働担当)。1969年8月15日 主計局法規課長。1970年6月25日 大臣官房文書課長。1971年6月28日 東海財務局長。1972年6月27日 主計局次長(末席)。1973年6月26日 同(次席)。
清水 汪(しみず ひろし、1926年(大正15年)10月5日… 清水 汪(しみず ひろし、1926年(大正15年)10月5日 - 2014年(平成26年)4月18日)は、日本の大蔵官僚。環境事務次官。 1944年(昭和19年)、静岡県立静岡中学校卒業。陸軍士官学校在学中に敗戦を迎え、戦後、旧制静岡高等学校を経て、東京大学法学部政治学科を卒業。大学在学中の1950年(昭和25年)10月、国家公務員6級職試験(行政職、法律職)に合格。 1951年(昭和26年)4月、大蔵省に入省。大臣官房文書課に配属。1953年(昭和28年)8月、日本橋税務署長。大蔵省大臣官房参事官、大蔵省銀行局銀行課長、大蔵省銀行局総務課長、内閣官房内閣審議室長兼内閣総理大臣官房審議室長等を経て、1980年(昭和55年)6月、 大蔵省関税局長。
丸山 良仁(まるやま よしひと、1926年9月21日- 20… 丸山 良仁(まるやま よしひと、1926年9月21日- 2006年11月11日)は、日本の建設官僚。 長野県出身。昭和26年(1951年)東京大学農学部卒業。建設省入省。同52年(1977年)住宅局参事官、同53年(1978年)計画局長、同54年(1979年)大臣官房長、同56年建設事務次官。同59年(1984年)退官、住宅・都市整備公団副総裁、同60年(1985年)から平成4年(1992年)まで総裁に就任。のち建設業振興基金理事長。著書に「日本の住宅計画」がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
日下部 甲太郎(くさかべ こうたろう、1926年(大正15年… 日下部 甲太郎(くさかべ こうたろう、1926年(大正15年)9月1日 - )は、日本の環境技官・厚生官僚で、公園行政家。 環境庁参事官や公害研修所所長、日本環境協会や国立公園協会理事を務めた。長年にわたり日本の自然保護行政に携わりまた自然保護に関わる調査研究,自然とのふれあいの促進などに多大な貢献を果たした[要出典]。 兵庫県出石町出身で東京府に移り住んだ両親のもと、東京で生まれ育つ。幼少期は体が弱かったが、昭和初期の登山ブームの中で植物や山が好きだった父親がよく山に連れていってくれたおかげで丈夫になったとしている。こうした経験から山が好きになる。 宮沢賢治への興味から東北地方にあこがれ、賢治の出身地である花巻市にも比較的近い仙台市の旧制第二高等学校に入学する。
岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月1… 岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月19日 - 1992年〈平成4年〉8月4日)は、日本の通産官僚(中小企業庁長官)、政治家。元自由民主党所属の衆議院議員(5期)。位階は正四位勲二等、勲章は旭日重光章。 父は元自由党衆議院議員の岸田正記、弟は大蔵省証券局長・広島銀行会長・相談役を務めた岸田俊輔。妻は元日東製粉社長井口良二の次女。長男は衆議院議員で第27代自民党総裁、第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄。派閥は宏池会に所属した。 広島県広島市南区段原町出身。1945年、旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業後、東京帝国大学へ進学。しかし、戦争末期のころであり、入学早々から勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の同年7月には、学徒動員で旭川の師団に入隊した。