川田 順(かわだ じゅん、1882年〈明治15年〉1月15日… 川田 順(かわだ じゅん、1882年〈明治15年〉1月15日 - 1966年〈昭和41年〉1月22日)は、日本の歌人、実業家。住友総本社常務理事。 備中松山藩士(現:岡山県高梁市出身)の漢学者・貴族院議員の川田甕江の三男。京大教養部教授(英語)の川田周雄は養子。女優・歌手の佐良直美は従曾孫。 東京市浅草区三味線堀生まれ。府立四中、一高を経て、1907年東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝国大学では当初文科(文学部)に所属し小泉八雲の薫陶を受けた。小泉八雲の退任を受け「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科したという。なお八雲の後任教授は夏目漱石であり、後年この逸話の真偽を尋ねられて認めたうえで、「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」と述べた。
後藤 幸三(ごとう こうぞう、1881年〈明治14年〉6月2… 後藤 幸三(ごとう こうぞう、1881年〈明治14年〉6月22日 - 1977年〈昭和52年〉7月9日)は、大正・昭和期に愛知県名古屋市を拠点に活動した実業家である。株式相場で財を成した後藤安太郎の長男で、日本車輌製造社長や中央製作所社長をはじめ多数の会社役員を務めた。 美術品収集家でもあり、死後の1978年(昭和53年)になって自邸跡に美術品を一般公開する「昭和美術館」が開館した。 1881年(明治14年)6月22日、岐阜県海津郡今尾町(現・海津市)出身。後藤安太郎の長男として生まれた。後藤は1904年(明治37年)7月に京都の第三高等学校を卒業し、1908年(明治41年)7月に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。
林 寿夫(はやし としお / ひさお、1881年(明治14年… 林 寿夫(はやし としお / ひさお、1881年(明治14年)5月2日 - 1963年(昭和38年)12月21日)は、実業家、官僚、南洋庁長官、第4代埼玉県川越市長。 岡山県出身。林源一の弟。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。高等文官試験に合格して、愛媛県属となり、同県警視、宮崎県理事官、鹿児島県・山口県・北海道各警察部長、埼玉県書記官・同内務部長、北海道庁内務部長を歴任し、1930年(昭和5年)に退官した。 1931年(昭和6年)、川越市長に就任するが、翌年1月に関東庁警務局長に転じた。 1933年(昭和8年)8月に南洋庁長官に任ぜられ、1936年(昭和11年)9月までその職にあった。
児玉 一造(こだま いちぞう、明治14年(1881年)3月2… 児玉 一造(こだま いちぞう、明治14年(1881年)3月20日 - 昭和5年(1930年)1月30日)は、明治から大正期の実業家。東洋綿花株式会社(トーメンを経て豊田通商と合併)を創設。また、輸出綿糸組合を結成するなど綿業界の再建に尽力し、豊田紡織や三井物産の取締役・大阪市教化委員・資源審議会委員などを歴任した。 豊田利三郎トヨタ自動車工業初代社長や児玉桂三東京大学名誉教授は実弟。妻の米は園田孝吉男爵の娘。 児玉一造は、明治14年(1881年)3月20日に滋賀県犬上郡彦根町大字芹橋(現彦根市芹橋)で児玉貞次郎と美衛の子として誕生した。父貞治郎は美濃国養老郡の高木利右衛門の子で、長浜(後の神照村)の児玉助三郎の養子となり、江波伴三の娘美衛と結婚した後、彦根藩足軽の株を買い、明治維新後は家屋の壊し屋を家業としていた。
今村 次吉(いまむら じきち、1881年(明治14年)3月1… 今村 次吉(いまむら じきち、1881年(明治14年)3月15日 - 1943年(昭和18年)4月17日)は、日本の大蔵官僚、実業家。東京帝国大学卒業。大日本蹴球協會(日本サッカー協会の前身)初代会長。大日本レスリング協会(日本レスリング協会の前身)会長。大日本陸上競技連盟(日本陸上競技連盟の前身)顧問。 今村有隣(1841年-1924年)の次男として生まれる。有隣は明治・大正期の著名なフランス語学者。また兄の今村新吉(1874年-1946年)は京都帝國大學教授を務め、日本の精神病理学者の先駆者と呼ばれた人物である。 1891年に東京高等師範学校附屬小學校(現・筑波大学附属小学校)、1897年に東京高師附屬中學校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
杉山 栄(杉山 榮、すぎやま さかえ、1881年〈明治14年… 杉山 栄(杉山 榮、すぎやま さかえ、1881年〈明治14年〉3月6日 - 1938年〈昭和13年〉10月7日)は、明治末期から昭和戦前期にかけて活動した日本の土木技術者、実業家。主に電気事業に関与し、矢作水力副社長・大同電力取締役などを務めた。岐阜県出身。 杉山栄は1881年(明治14年)3月6日、岐阜県士族杉山斧吉の長男として生まれた。本籍地は岐阜県稲葉郡加納町(現・岐阜市)。1901年(明治34年)7月金沢の第四高等学校第二部工科を卒業、次いで1905年(明治38年)7月東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業する。その後は電力界に入り、まず箱根水力電気に入社して同社の土木課長となる。箱根水力電気は箱根早川の開発と横浜市への電力供給を目的に1906年(明治39年)12月に設立された電力会社で、1909年(明治42年)5月に塔之沢発電所を完成させた。
加計 正文(かけ まさふみ、1881年〈明治14年〉2月2日… 加計 正文(かけ まさふみ、1881年〈明治14年〉2月2日 - 1969年〈昭和44年〉)は、日本の政治家、実業家、地主、広島県多額納税者。広島県山県郡加計町長。加計銀行頭取。加計隅屋22代当主。 広島県山県郡加計町(現安芸太田町)出身。加計八右衛門の長男。1898年、あるいは1906年、第六高等学校一部甲類を卒業。東京帝国大学文科に修学。夏目漱石の講義を熱心に聴講していたが、1905年時点で家業を継ぐため帝大を中退している。1917年、正式に家督を相続した。 加計銀行頭取、加計町長2期、郡教育会長、1913年以来広島地方森林会議員、県山林会理事、県産業調査会委員等に選ばれ、加計銀行が芸備銀行と合併後芸備銀行加計支店長、山林会副会頭。
渡辺 三郎(渡邊 三郎、わたなべ さぶろう、1880年(明治… 渡辺 三郎(渡邊 三郎、わたなべ さぶろう、1880年(明治13年)12月2日 - 1951年(昭和26年)1月8日)は、日本の工学者、実業家、政治家。工学博士、貴族院勅選議員。旧姓・大河原。「特殊鋼」の命名者。 群馬県碓氷郡松井田駅(現安中市)で、商業・大河原新七、野恵夫妻の三男として生まれる。松井田町尋常高等小学校、群馬尋常中学校、第一高等学校工科を経て、1907年(明治40年)6月、東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科を卒業。 大学卒業後、古河鉱業所 (株)(現古河機械金属)に入社し足尾鉱業所精錬課溶鋼係長に就任。1908年(明治41年)6月、実業家・渡辺福三郎、多満子夫妻の五女で従姉妹の那べと入夫縁組して渡辺と改姓。
佐々木 秀司(ささき ひでじ、1880年(明治13年)11月… 佐々木 秀司(ささき ひでじ、1880年(明治13年)11月29日 - 1934年(昭和9年)11月14日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選香川県知事。 福島県田村郡守山町(現・郡山市)出身。佐々木一二の二男として生まれる。第二高等学校を卒業。1907年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し、警視庁警部となる。 以後、警視庁警視、四谷警察署長、栃木県事務官、石川県警察部長、群馬県警察部長、新潟県警察部長、山形県内務部長、神奈川県内務部長などを歴任。 1922年6月、香川県知事に就任。政友会の政党色の強い県政を行った。1923年10月、知事を休職となる。
鮎川 義介(あゆかわ よしすけ/あいかわ よしすけ、 188… 鮎川 義介(あゆかわ よしすけ/あいかわ よしすけ、 1880年(明治13年)11月6日 – 1967年(昭和42年)2月13日)は、日本の実業家、政治家。日産コンツェルン創始者である。満洲重工業開発株式会社総裁、貴族院議員、帝国石油株式会社社長、石油資源開発株式会社社長、参議院議員などを歴任した。 明治13年(1880年)、旧長州藩士・鮎川弥八(第10代当主)を父とし、明治の元勲・井上馨の姪を母として山口県吉敷郡大内村(現在の山口市大内地区)に生まれる。 山口県立山口尋常中学校、旧制山口高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学工科大学機械科を卒業。芝浦製作所に入社。身分を明かさない条件で日給48銭の職工となる。
上田 万平(うえだ まんぺい、1880年(明治13年)10月… 上田 万平(うえだ まんぺい、1880年(明治13年)10月4日 - 1935年(昭和10年)7月8日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。 熊本県天草郡高浜村(現天草市)に上田稲穂の長男として生まれ、上田松彦の養子となる。江戸時代中期から後期に同村の名主を務め、国学者や陶芸家として活動した上田宜珍は先祖にあたる。第五高等学校を卒業。1906年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁事務官、香川県事務官・警察部長、農商務参事官、同書記官、静岡県内務部長、京都府内務部長、大阪府内務部長などを歴任。 1921年5月、岐阜県知事に就任。
久村 清太(くむら せいた、1880年(明治13年)10月3… 久村 清太(くむら せいた、1880年(明治13年)10月3日 - 1951年(昭和26年)9月1日)は、日本の実業家、科学技術者である。帝人の創業者の一人として知られる。 山形県酒田市に生まれる。父の名は金蔵で、名匠といわれた表具師だった。琢成小学校から旧制荘内中学、旧制二高を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学工科大学(現在の東京大学大学院工学系研究科・工学部)応用化学科に入学する。在学中に太陽レザー製造所でヴィスコースのレザークロスの試作研究にあたり、1907年(明治40年)につや消しレザーの特許取得やヴィスコース製造法の開発に専念するため中退した。その後はその出資によって、東京レザー合資会社の設立に携わる。
原田 維織(はらだ いおり、1880年(明治13年)8月1日… 原田 維織(はらだ いおり、1880年(明治13年)8月1日 - 1953年(昭和28年)11月14日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。 鹿児島県姶良郡加治木町(現在の姶良市)出身。原田経治の長男として生まれた。第七高等学校造士館を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1909年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務省を経て、1910年、内務省に転じ福井県属兼同県警視となる。 以後、福井県今立郡長、同県敦賀郡長、青森県警察部長、北海道庁土木部長、福岡県内務部長、熊本県書記官・内務部長、新潟県書記官・内務部長、長野県書記官・内務部長などを歴任。 1928年2月、三重県知事に就任。
雑賀 信三郎(雜賀、さいか しんざぶろう / のぶさぶろう、… 雑賀 信三郎(雜賀、さいか しんざぶろう / のぶさぶろう、1880年(明治13年)7月16日 - 1956年(昭和31年)8月3日)は、明治末から昭和前期の農業技術者、政治家、実業家。衆議院議員、山口県豊浦郡豊東村長。 山口県豊浦郡上保木村(豊東村上保木、菊川町を経て現下関市菊川町大字上保木)で、雑賀敬二郎の息子として生まれる。山口高等学校を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学農科大学を卒業した。1908年(明治41)12月、一年志願兵として入営し、1911年(明治44年)4月、陸軍歩兵少尉に任じられ、のち歩兵中尉に昇進。 島根県農業技師に任官。熊本県農業技師に転じ、同県農商課長、熊本県農会幹事、同県産牛馬組合連合会副組長、同県茶業組合連合会顧問、熊本商業会議所特別議員、大日本産業組合熊本支部理事、大日本蚕糸業組合熊本支会商議員、同県実業団体連合会顧問などを務めた。
高橋 新八(たかはし しんはち / しんぱち、1880年(明… 高橋 新八(たかはし しんはち / しんぱち、1880年(明治13年)6月28日 - 1923年(大正12年)4月9日)は、明治から大正期の造船技術者、実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧名・新作。 英学者・高橋新吉の長男として生まれる。父の死去に伴い、1918年(大正7年)12月20日、男爵を襲爵した。 1909年7月(明治42年)東京帝国大学工科大学造船学科を卒業。神戸川崎造船所技師を経て、1917年(大正6年)八千代生命保険監査役に就任。その他、南国護謨監査役、輸出水産取締役、墨田川造船所社長などを務めた。 1922年(大正11年)5月13日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1923年4月8日まで在任した。
野田 亀喜(龜喜、のだ かめき、1880年(明治13年)4月… 野田 亀喜(龜喜、のだ かめき、1880年(明治13年)4月29日 - 1941年(昭和16年)5月29日)は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。 陸軍主計将校・野田豁通の二男として生まれる。父の死去に伴い、1913年(大正2年)1月30日、男爵を襲爵した。 学習院を経て帝国大学法科大学を修了。1910年(明治43年)日本建築用紙取締役に就任。その後、台東製糖取締役、木毛取締役、八千代銀行監査役、愛国旅行社社長などを務めた。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し、1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した。
山田 昌作(やまだ しょうさく、1880年3月29日 - 1… 山田 昌作(やまだ しょうさく、1880年3月29日 - 1963年2月25日)は、日本の経営者。北陸電力初代社長を務めた。 富山県出身。1914年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に富山電気に入社。常務、専務を経て、1929年には社長に就任。1942年から1946年12月までに北陸配電社長を務め、1951年5月から1959年9月までに北陸電力社長を務めた。 1955年に藍綬褒章を受章。 1963年2月25日、腸ガンのために死去。82歳没。 北陸電力社長を務めた山田圭蔵の父
橋本 定五郎(はしもと さだごろう、1880年〈明治13年〉… 橋本 定五郎(はしもと さだごろう、1880年〈明治13年〉3月7日 - 1947年〈昭和22年〉12月13日)は、日本の医師(外科医)、政治家・第6代埼玉県川越市長、実業家。川越同仁社長。 青森県八戸市十三日町生まれ。長助の五男。東京帝国大学医科大学卒業。医師開業。1923年、川越市医師会長就任。1926年、川越産婆看護婦学校長就任。川越産院長就任。 1930年、埼玉県医学会頭就任。1933年、川越脳病院管理者就任。1935年、川越市長就任。1936年、武州瓦斯監査役就任。 宗教は浄土宗。趣味は書画、盆栽。住所は川越市大字小仙波。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日… 佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日 - 1976年(昭和51年)5月24日)は、明治末から昭和期の鉄道官僚、政治家、実業家。貴族院議員(勅選)、法制局長官。 岐阜県養老町出身。米穀商・佐竹柳三郎の三男として生まれ、佐竹鉄治郎の養子となる。岐阜中学、城北中学を経て第一高等学校に入学。1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し銀時計を授与された。卒業後農商務省嘱託となり、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務属・商工局勤務、法制局参事官、満鉄理事を経て、1908年(明治41年)6月から1910年(明治43年)5月まで欧米に留学した。
桜木 亮三(櫻木 亮三、さくらぎ りょうぞう、1880年〈明… 桜木 亮三(櫻木 亮三、さくらぎ りょうぞう、1880年〈明治13年〉2月6日 - 1955年〈昭和30年〉11月7日)は、大正から昭和にかけて活動した日本の実業家。主として電気事業に関与し、東邦電力常務、中央電力会長(前身の三河水力電気では社長)、伊那電気鉄道社長などを務めた。また1920年代の一時期に福岡市会議員にもなっている。佐賀県出身。 桜木亮三は、1880年(明治13年)2月6日、佐賀県士族吉岡卯八の三男として生まれた。1897年(明治30年)より絶家の桜木家を再興して桜木姓を称する。1901年(明治34年)7月東京の第一高等学校第一部法科(英法)を卒業、次いで1906年(明治39年)7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。
野依 辰治(のより たつじ、1880年〈明治13年〉1月 -… 野依 辰治(のより たつじ、1880年〈明治13年〉1月 - 1940年〈昭和15年〉3月2日)は、日本の実業家。三井生命保険取締役会長。生命保険会社協会理事。族籍は福岡県平民。養子・金城の長男はノーベル化学賞を受賞した野依良治である。 福岡県人・野依範治の長男。1901年、第五高等学校大学予科第一部(法科)を卒業。1905年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。1917年、家督を相続する。 三井物産東京本店に入る。1910年、選ばれてドイツに出張を命ぜられ、未取引地方の開拓に努力する。同社金物部長、営業部長、大阪支店長、専務取締役を経て三井生命保険取締役会長兼常務取締役である。 宗教は真宗。趣味は読書、散歩。
人見 次郎(ひとみ じろう、1879年〈明治12年〉12月1… 人見 次郎(ひとみ じろう、1879年〈明治12年〉12月16日 - 1959年〈昭和34年〉12月2日)は、日本の農商務官僚、実業家。朝鮮総督府総督官房鉄道局長、台湾総督府総務長官。 京都府船井郡富本村(現:南丹市八木地区)で人見次郎八の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1904年(明治37年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。農商務省に入り、山林局属となる。特許局事務官・庶務課長、兼特許局図書館長、衆議院事務局書記官兼特許局事務官などを歴任。 1908年(明治41年)、統監府に転じ、特許局事務官に就任。1910年(明治43年)8月に朝鮮総督府が設置されると、書記官・農商工部商工課長に就任。
小田村 有芳(おだむら つねか、1879年12月3日 - 1… 小田村 有芳(おだむら つねか、1879年12月3日 - 1965年4月5日)は、日本の実業家。元磯村産業会長。男爵楫取素彦の養孫。 山口県阿武郡に磯村應の五男として生まれ、男爵で元群馬県令の子・小田村希家の養子となる。1906年東京帝国大学機械工学科卒業。 1907年、群馬県旧烏淵村(現高崎市倉渕町)に山林を取得、製炭事業を行う。1910年、特許弁理士資格取得。磯村工業所(磯村産業)専務、会長などを務めた。磯村工業所は東京市芝口と小石川区水道町に店を置き、鉱山、土木、機械、電気、山林の調査設計工事と、特許手続きを業務とし、小田村のほか、実の兄弟の工学得業士・磯村秀策、工学士の磯村利水が所属し、磯村音介も社長を務めた。
阿部 寿準(あべ ひさのり、1879年(明治12年)10月2… 阿部 寿準(あべ ひさのり、1879年(明治12年)10月24日 - 1955年(昭和30年)8月4日)は、日本の内務・農林官僚、実業家。官選鳥取県知事、農林次官。 山口県阿武郡徳佐村(現山口市)出身。山口高等学校を卒業。1905年7月、東京帝国大学法科大学を首席で卒業。内務省に入省し内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、千葉県事務官・第二部長、神奈川県事務官、兵庫県事務官、法制局参事官、兼内閣恩給局審査官、兼法制局書記官、内務監察官、兼内務省参事官などを歴任。 1919年4月、鳥取県知事に就任。災害復旧、教育振興などに尽力。1920年9月、国勢院第二部長に転任。
八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 19… 八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 1964年4月26日)は、日本の鉄道技術者、官僚、実業家、政治家。工学博士。東京府生まれ。
小早川 常雄(こばやかわ ときお、1879年(明治12年)7… 小早川 常雄(こばやかわ ときお、1879年(明治12年)7月21日 - 1970年(昭和45年)2月)は、日本の実業家。京三製作所創業者。 広島県賀茂郡出身。1906年(明治39年)東京帝国大学工科大学電気工学科卒業後、川越電気鉄道技師長を経て、1907年(明治40年)芝浦製作所(現・東芝)入社。技術部・商務部各副部長を務めた後、1918年(大正7年)独立し、東京電機工業を創業。会社事務所を当時の東京市京橋区の三十間掘に置いたことから、"京橋"と"三十間掘"から一字ずつとって「京三商会」(現・京三製作所)と名付けた。 当初は水力・火力発電所や電気鉄道の計画・設計・工事の請負や出願書類の作成、これらに関わる機械器具類の製造販売を手掛けていたが、その後鉄道信号機の製造を始めた。
吉野 小一郎(よしの こいちろう、1879年(明治12年)5… 吉野 小一郎(よしの こいちろう、1879年(明治12年)5月1日 - 1948年(昭和23年)6月20日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。神奈川県津久井郡吉野町長。 吉野十郎の長男として神奈川県津久井郡吉野駅(吉野町、藤野町、相模原市を経て現同市緑区吉野)に生まれ、1900年(明治33年)12月、家督を相続する。学習院から第一高等学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、台湾銀行に入行。同行秘書課勤務・助役補を務めた。 1931年(昭和6年)奉天にて事業を興し、満州中央銀行の創立に関わり、奥地開発や日満経済の連携に尽くした。また、醸造酒販売会社を設立し日本酒の中国進出を行った。
内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日… 内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日 - 1963年(昭和38年)7月11日)は、日本の台湾総督府・内務官僚、実業家。官選秋田県知事。旧姓・長田。 福島県出身。長田庄衛の二男として生まれた。福島県立安積中学校、宮城県立仙台第二中学校を経て、第二高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。東洋拓殖を経て、1911年、朝鮮総督府に入り農商工部属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内田家に夫婦養子となり改姓した。 以後、青島守備軍民政部事務官、台湾総督府事務官、同殖産局長などを歴任。 秋田県出身の川村竹治台湾総督に仕えたことがきっかけで、1931年12月、犬養内閣により秋田県知事に任じられた。
宮島 清次郎(みやじま せいじろう、明治12年(1879年)… 宮島 清次郎(みやじま せいじろう、明治12年(1879年)1月20日 – 昭和38年(1963年)9月6日)は、大正・昭和期の経営者・財界人。日清紡績社長・会長、日本工業倶楽部理事長、東京市会議員。 栃木県安蘇郡飯田町(現・佐野市)に、佐野商業銀行頭取などを務めていた実業家・小林庄太郎の二男として生まれる。宇都宮中学(現・栃木県立宇都宮高等学校)時代は舎監いじめなど問題行動が多く、灸を据えるためか、10ヶ月ほど休学して東京の商店に丁稚奉公させられたことがある。この時の経験が、後に働く者の立場を重視する姿勢を涵養したものと思われる。 第四高等学校(現・金沢大学)を経て、1906年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、住友別子鉱業所(現・住友金属鉱山)に入社する。
中井 励作(なかい れいさく、1879年(明治12年)1月3… 中井 励作(なかい れいさく、1879年(明治12年)1月3日 – 1968年(昭和43年)2月18日)は、農商務官僚、商工官僚、実業家。 熊本県出身。第五高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。翌年より農商務試補、山林局事務官、水産局書記官、広島大林区署長、高知大林区署長、東京大林区署長、大臣官房文書課長、会計課長、特許局長、山林局長を歴任した。1924年(大正13年)、農商務次官に就任し同年末に製鉄所長官に転じた。1934年(昭和9年)、製鉄所が日本製鉄株式会社に改組されると初代社長に就任し、1939年(昭和14年)まで在任した。
朱 深または朱 㴱(しゅ しん、1879年〈光緒5年〉 - … 朱 深または朱 㴱(しゅ しん、1879年〈光緒5年〉 - 1943年〈民国31年〉7月2日)は、中華民国の政治家・検察官・法務官僚・実業家。字は博淵。北京政府では安徽派に属し、後に中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会にも参加した。 清末に日本へ留学する。1912年(民国元年・明治45年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(ドイツ法兼修)を卒業し、併せて法学士の称号を取得した。 帰国後の1912年7月26日に北京政府で法典編纂会纂修となり、翌1913年(民国2年)8月24日には総検察庁検察官に任命された。さらに京師地方検察庁検察長署理や京師高等検察庁検察長署理も務めている。1915年(民国4年)1 月27日、中大夫の位階を授与され、上大夫銜を加えられた。
谷 欽太郎(たに きんたろう、1878年(明治11年)12月… 谷 欽太郎(たに きんたろう、1878年(明治11年)12月9日 - 1951年(昭和26年)9月16日)は、日本の台湾総督府官僚、政治家、実業家。衆議院議員。 富山県下新川郡仏田村(現富山県魚津市)で、谷平吉の長男として生まれ、1897年4月、谷順平の長女・寿意と結婚し婿養子となる。第四高等学校を経て、1904年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1905年8月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1906年2月、台湾総督府に入り、同属、同専売局書記、同事務官、同脳務課長などを歴任した。1913年に退官。 1915年3月、第12回衆議院議員総選挙に富山県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
大久保 利賢(おおくぼ としかた、1878年〈明治11年〉1… 大久保 利賢(おおくぼ としかた、1878年〈明治11年〉10月16日 - 1958年〈昭和33年〉12月16日)は、日本の実業家。大久保利通の八男。妻は高橋是清の妹の和喜子。子に大久保利春がいる。 1903年7月、東京帝国大学法科大学卒業。 1903年8月、横浜正金銀行入行。1911年9月、東京支店副支配人に就任。1914年3月、ロンドン支店副支配人に就任。1919年3月、ロンドン支店支配人に就任。1923年3月、横浜正金銀行本店支配人に就任。1926年3月、横浜正金銀行取締役に就任。1933年3月、横浜正金銀行副頭取に就任。1936年9月、横浜正金銀行頭取(第13代)に就任。 日本銀行参与理事、商工省貿易局顧問、全国金融統制会監事、学習院評議員、南洋協会相談役なども務めた。
参木 録郎(みつぎ ろくろう、1878年(明治11年)5月1… 参木 録郎(みつぎ ろくろう、1878年(明治11年)5月10日 - 1935年(昭和10年)1月1日)は日本の実業家。東京瓦斯常務、京浜コークス社長。 栃木県上都賀郡南摩村(現鹿沼市)に参木彦次の四男として生まれる。1897年(明治30年)3月宇都宮中学卒業、同年9月第一高等学校第二部(工科)入学、学生時代はボート競技に勤しんでいた。1900年(明治33年)7月卒業、同年9月東京帝国大学工学部応用化学科入学、1903年(明治36年)6月卒業、級中首位岡本桜に次ぐ成績優秀で銀時計恩賜。同大学院にも学ぶ。 兵庫県神戸市の直木燐寸に入社、1904年(明治37年)陸軍省傘下の王子火薬製造所に奉職、1905年(明治38年)退職、同年4月に自費でドイツ留学、ベルリン大学とドレスデン工科大学で最新の応用化学を学び、研究や実地調査を重ね、1910年(明治43年)帰国、同年5月東京瓦斯と競合となる千代田瓦斯を設立、その後、同社の技術長だった岡本桜の勧めで東京瓦斯入社。
大河原 栄之助(おおかわら えいのすけ、1878年(明治11… 大河原 栄之助(おおかわら えいのすけ、1878年(明治11年)5月1日 - 1957年(昭和32年)6月28日)は、日本の実業家。日本特殊鋼、日本特殊金属社長。横浜商工会議所議員。 大河原新七の次男として、群馬県碓氷郡松井田町(現・安中市)に生まれる。なお、大河原家は代々農を業とした群馬県の名家である。群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、第一高等中学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した。卒業後、東京瓦斯株式会社に入社。その後、渡邊銀行專務取締役、松井田銀行取締役、東海鉛管取締役などを歴任した。
岡本 櫻(おかもと さくら、1878年〈明治11年〉4月3日… 岡本 櫻(おかもと さくら、1878年〈明治11年〉4月3日 - 1935年〈昭和10年〉2月22日)は、日本の実業家。東邦瓦斯初代社長。「ガス王」とも称された。 兵庫県大書記官であった父、岡本貞の次男として兵庫県神戸町(現:神戸市)に生を受けた。同志社普通部・第一高等学校に進む。帝国大学工科大学(現:東京大学工学部)応用化学科卒業。このときの卒業論文である「セルロイドについて」は『工業化学雑誌』に連載されたという。1903年(明治36年)に東京瓦斯に入社するも、翌1904年(明治37年)には大阪瓦斯に移り、ここで外国人技師長であったミラーより最新技術を学んだ。1906年(明治39年)名古屋瓦斯設立に際して、同社に技師長として入社。
池尾 芳蔵(いけお よしぞう、1878年(明治11年)3月2… 池尾 芳蔵(いけお よしぞう、1878年(明治11年)3月27日 - 1959年(昭和34年)9月19日)は、日本の実業家。日本電力社長、日本発送電総裁を務め、戦前日本の電力界の大物として知られた。黒部鉄道社長、日本マグネシウム社長、飛騨索道運輸社長、日本電気協会会長、関西電力顧問なども務めた。 1878年、滋賀県草津町(現・草津市)の豪家の子に生まれ、東京帝国大学法科大学政治学科に進み、常々吉野作造と首席を争い、1904年(明治37年)に高等文官試験に合格し、大学卒業時には銀時計を受領した。卒業後逓信省通信局に入り、東京・大阪の郵便課長を経て、業務課長を最後に1907年(明治40年)に退官し、実業界に転じた。
佐々木 久二(ささき ひさじ、1878年(明治11年)2月1… 佐々木 久二(ささき ひさじ、1878年(明治11年)2月14日 - 1952年(昭和27年)5月13日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福井県丹生郡大森村(現福井市)で、佐々木又左衛門の二男として生まれる。1905年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業した。 実業界では、東海紙料常務取締役、京浜電力常務取締役、福井興業社長、東北電力取締役、中央電力取締役などを務めた。 1924年5月、第15回衆議院議員総選挙に福井県第四区から出馬したが、憲政会の土生彰に敗れた。1928年2月、第16回総選挙では福井県全県区から立憲政友会所属で出馬し当選。請願委員、予算委員、資源調査法案委員を務め、衆議院議員に一期在任した
中根 貞彦(なかね さだひこ、1878年(明治11年)2月4… 中根 貞彦(なかね さだひこ、1878年(明治11年)2月4日 - 1964年(昭和39年)1月24日)は、日本の実業家、政治家、歌人。三和銀行頭取、貴族院勅選議員。旧姓・片切、号・九峯。 大分県海部郡二王座村(のち北海部郡臼杵町を経て現臼杵市)に生まれた。大分士族・片切八三郎の三男。幼くして両親と死別し、佐伯の中根祚胤(百九銀行頭取)の養子となる。1901年(明治34年)第五高等学校大学予科第一部(法科)を卒業した。1905年(明治38年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 日本銀行に入行する。以後、同行ロンドン代理店監督役、同国庫局長、同大阪支店長、同理事などを歴任。1933年(昭和8年)に三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の3行が合併して三和銀行が創立され初代頭取に就任し、1945年(昭和20年)まで在任した。
伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23… 伍堂 卓雄(ごどう たくお、1877年(明治10年)9月23日 - 1956年(昭和31年)4月7日)は、日本の政治家、実業家、海軍造兵中将。東京府士族。正三位。工学博士。
本間 利雄(ほんま としお、1877年(明治10年)3月3日… 本間 利雄(ほんま としお、1877年(明治10年)3月3日 - 1970年(昭和45年)2月2日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。 山形県出身。酒田本間家の一族、本間東三郎の長男として生まれる。東京外国語学校を経て第一高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業し大学院に進んだ。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し富山県属となる。 以後、富山県事務官、同理事官、島根県警察部長、愛媛県警察部長、広島県警察部長、警視庁官房主事、同高等警察課長、兵庫県内務部長などを歴任。 1922年10月、長野県知事に就任。ブラジル移民の推進、郡制廃止への対応、中等学校の整備、道路網の改良などを推進。
丸瀬 寅雄(まるせ とらお、1877年(明治10年)3月3日… 丸瀬 寅雄(まるせ とらお、1877年(明治10年)3月3日 - 1932年(昭和7年)3月9日)は、日本の大蔵官僚、実業家。 東洋葉煙草社長。協立煙草、東洋錫紙(現・UACJ製箔)各取締役。 族籍は青森県士族。従四位勲四等。 長男は京都製作所元会長の丸瀬雄一郎。孫は丸紅会長・朝田照男の妻にあたる。 青森県士族・元郡長の丸瀬正果の長男として生まれ、1925年(大正14年)家督を相続する。 1904年(明治37年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業。同年、文官高等試験(第11回)に合格し、大蔵省専売局に配属され、煙草専売局属、同事務官、同三次、同監査課長等を歴任。その後、同総務課長かつ臨時議院建築局理事を最後に、1924年(大正13年)10月、退官。
長野 幹(ながの みき / かん、1877年1月4日 - 1… 長野 幹(ながの みき / かん、1877年1月4日 - 1963年1月)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。旧姓・大木。 元福井藩士・教師である三寺三作(後に大木本彌に改名)の息子として生れ、長野家の養子となる。1903年7月に東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年11月、高等文官試験行政科に合格。内務省に入省。東京府属。 1911年には、ドイツで開かれた万国衛生博覧会に参加。欧米各国を視察した。その後、1916年に三重県知事に任命され、その後、山梨県知事、朝鮮総督府学務局長、秋田県知事、鹿児島県知事などを歴任。1927年5月17日に鹿児島県知事を休職となり、以後民間で会社経営などにあたった。
馬渡 俊雄(まわたり としお、1876年(明治9年)12月1… 馬渡 俊雄(まわたり としお、1876年(明治9年)12月14日 - 1946年(昭和21年)2月1日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。旧姓・加藤。 東京府豊多摩郡淀橋町で加藤弘之の三男として生まれる。1885年7月、佐賀藩の家老諫早一学の家臣で、判事や弁護士を務めた馬渡俊猷の養子となる。第一高等学校を経て、1901年9月、東京帝国大学法科大学政治学科に入学。1905年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1906年、東京帝大を卒業し内務省に入省、愛知県属となる。 以後、滋賀県事務官、大阪府事務官、山口県事務官・警察部長、福岡県事務官・警察部長、神奈川県警察部長、和歌山県内務部長、新潟県内務部長などを歴任。
佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治… 佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治9年)11月4日 - 1952年(昭和27年)12月28日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。 後の東京市四谷区四谷舟町(現新宿区舟町)出身。佐竹万三の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1903年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。逓信省に入省し管船局属となる。1905年、内務省に転じ神奈川県属に就任した。 1906年、福井県事務官となる。以後、岡山県事務官・第二部長、山梨県事務官・警察部長、鹿児島県事務官・警察部長、奈良県事務官・内務部長、滋賀県内務部長、福岡県内務部長などを歴任。
岡野 昇(おかの のぼる、1876年(明治9年)6月14日 … 岡野 昇(おかの のぼる、1876年(明治9年)6月14日 - 1949年(昭和24年)4月28日)は、明治時代後期から昭和時代前期の土木工学者、鉄道官僚、実業家。 東京市出身。1899年(明治32年)東京帝国大学工科大学土木科を卒業し、日本鉄道技師となり水戸保線事務所長を発令される。1905年(明治38年)信号や連鎖装置の視察のため欧米諸国の出張を経て、翌年同社が解散すると逓信省鉄道作業局に転じ、ベルリンに学んだ。ついで、帝国鉄道庁技師、鉄道院技師兼内務技師、鉄道院工務局長、鉄道省工務局長を経て、1924年(大正13年)鉄道次官に就任した。 のち実業界に転じ、西武鉄道副社長を経て、1926年(大正15年)同社社長に就任。
玉水 弘(たまみず ひろし、1876年(明治年9年)3月25… 玉水 弘(たまみず ひろし、1876年(明治年9年)3月25日 - 没年不詳)は、日本の技術者、実業家。関西ペイントの創業者。旧姓・花山。 三重県員弁郡中上村(久米村中上、東員村を経て現東員町中上)の花山家に生まれる。のち兵庫県の玉水庄太郎の養子となる。 第三高等学校を経て、1904年(明治37年)東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業。先発メーカーの日本ペイント、東亜ペイントを経て独立。1917年(大正6年)に関西ペイント工業所を創業した。研究施設や工場拡大のための資金調達に窮し、岩井勝次郎を紹介され1918年、岩井商店の援助により関西ペイントを設立する事となる。 援助の代償として経営権を岩井商店に譲渡。
広岡 恵三 (ひろおか けいぞう、1876年(明治9年)2月… 広岡 恵三 (ひろおか けいぞう、1876年(明治9年)2月8日 - 1952年(昭和27年)1月6日)は、日本の実業家。大同生命第2代社長。 1876年(明治9年)、子爵・一柳末徳の次男として東京で生まれる。 東京帝国大学在学中に広岡浅子(明治・大正期の実業家)の娘・亀子との縁談がまとまり、1901年(明治34年)に結婚、広岡家の婿養子となる。 1904年(明治37年)、岳父・広岡信五郎(浅子の夫)の死を機に加島銀行に入社し、浅子らの事業を継承。 1909年(明治42年)、加島屋9代目当主・広岡久右衛門正秋の死を機に、加島銀行頭取、大同生命第2代社長に就任。 1910年(明治43年)、大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道の前身)の初代社長に就任(1912年に辞任)。
小林 嘉平治(こばやし かへいじ、1876年(明治9年)1月… 小林 嘉平治(こばやし かへいじ、1876年(明治9年)1月1日 - 1940年(昭和15年)12月28日)は、明治時代末期から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(2期)。旧姓は山川、旧名・真純。 三重県安濃郡津城下(現津市)で、山川真源の二男として生まれる。1902年(明治35年)8月、一志郡雲出村(現:津市)の先代・小林嘉平治の養子となり、1908年(明治41年)1月、家督を相続し嘉平治を襲名した。 1901年(明治34年)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業する。真宗勧学院教授を経て、1911年(明治44年)三重県会議員に当選する。ほか、三重県農会特別議員、同評議員、津商業会議所顧問、県農会長などを歴任した。
肥後 八次(ひご はちじ、1875年10月24日 - 195… 肥後 八次(ひご はちじ、1875年10月24日 - 1955年6月5日)は、日本の逓信官僚、実業家。逓信省初代電気課長、初代電気局監理課長、第3代電気局長を歴任して電気行政に貢献し、退官後は住友合資(住友本社)理事や住友の関連会社の各役員を務めた。 鹿児島県鹿児島市下竜尾町生まれ。鹿児島県士族肥後宗右衛門の二男。1895年7月、鹿児島高等中学造士館予科を卒業。1897年7月、第五高等学校大学予科第一部を卒業。1900年7月、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、内務省入省。同年の文官高等試験に合格。1902年3月、静岡県参事官に任じられる。1903年2月、分家。1903年11月、逓信省参事官兼逓信書記官に転じる。