染谷 勲(そめや いさお、1915年〈大正4年〉3月23日 … 染谷 勲(そめや いさお、1915年〈大正4年〉3月23日 - 2007年〈平成19年〉12月31日)は、日本の電気工学者であり、無線通信分野の先駆者。 東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、逓信省電気通信研究所で無線通信の開発実用化研究に従事した。 戦後、電電公社が新超多重回線を建設する際マイクロ波多重通信方式の実用化研究の責任者を務める、国際無線通信諮問委員会(現・国際電気通信連合無線通信部門)のカラーテレビジョン伝送に関する規格設定に参加するなど、無線通信技術実用化の牽引役となった。その後日本電気に移り通信技術の発展に尽力した。 情報理論分野で重要とされている標本化定理を、クロード・シャノンとは独立に証明した。
綿引 紳郎(わたひき しんろう、1915年3月12日 - 2… 綿引 紳郎(わたひき しんろう、1915年3月12日 - 2017年5月2日[要出典])は、日本の法学者。元国士舘大学長。元学校法人国士舘理事長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
木庭 二郎(こば じろう、1915年(大正4年)3月7日 -… 木庭 二郎(こば じろう、1915年(大正4年)3月7日 - 1973年(昭和48年)9月28日)は、昭和期の物理学者(核物理学)。 1945年に東京帝国大学を卒業し、大阪大学助教授等を経て、京都大学教授となる。1963年にコペンハーゲン大学のニールス・ボーア研究所教授となるが、1973年にコペンハーゲンでコレラにより客死。 朝永振一郎の繰り込み理論の研究などに協力し、高エネルギー粒子の衝突における多重発生現象を研究した。 坂田昌一の「凝集力場理論」の検証において計算を間違えた責任を取って、丸坊主になったエピソードは有名である。これは、それだけ朝永振一郎に信頼されていたと言える。 兄は文芸評論家の中村光夫(本名 木庭一郎)。
藤田 美実(ふじた よしみ、1915年2月26日- )は、日… 藤田 美実(ふじた よしみ、1915年2月26日- )は、日本の倫理学、明治教育史学者。 岐阜県長良村(現在の岐阜市)生まれ。父の仕事で長野県松本市、群馬県前橋市と転々とし、水戸高等学校卒、1939年東京帝国大学文学部哲学科卒、外務省に入る。1940-42年入隊。1943年東京女子高等師範学校嘱託としてドイツ語を教える。1946年山梨工業専門学校専任講師、1949年明治大学教養部助教授、1954年教授、ドイツでボルノーに学ぶ。1969年東京農工大学教授、1978年定年退官、立正大学文学部教授、1986年退職。
川名吉エ門(かわなきちえもん、1915年(大正4年)2月11… 川名吉エ門(かわなきちえもん、1915年(大正4年)2月11日 - 1998年(平成10年)9月6日)は、日本の都市計画学者。旧・東京都立大学名誉教授。 千葉県出身、東京大学建築学科卒業。 都市計画の研究に多くの実績を残す一方、東京都立大学(のち首都大学東京)工学部建築学科の他、日本女子大学、大阪市立大学工学部建築学科で都市計画方面の人材を数多く育成。 代表作に、神戸市西区の研究学園都市西神ニュータウン、鈴蘭台住宅団地基本計画、大阪既製服縫製近代化協同組合枚方工場団地、など。 1987年勲三等瑞宝章受章。
西脇 昌治(にしわき まさはる、1915年1月23日 - 1… 西脇 昌治(にしわき まさはる、1915年1月23日 - 1984年4月14日)は、日本の哺乳類学者。琉球大学名誉教授。東京都出身。 学習院初等科から学習院高等科を経て、1939年(昭和14)3月31日東京帝国大学農学部水産学科卒。 1939年(昭和14)4月1日 海軍航空隊飛行科予備学生として召集。小松島海軍航空隊附兼教官、ボルネオ島東カリマンタン州バリクパパン‐第22特別根拠地隊航空隊長、海軍大尉。1945年(昭和20)に海軍少佐に進級、終戦。1946年(昭和21)7月に復員、召集解除。 1948年(昭和23)鯨類研究所所員。東京大学助教授時代の1951年(昭和26)4月17日には、皇居に招かれ科学委員会合に出席。
平川 彰(ひらかわ あきら、1915年〈大正4年〉1月21日… 平川 彰(ひらかわ あきら、1915年〈大正4年〉1月21日 - 2002年〈平成14年〉3月31日)は、日本の仏教学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 1915年、愛知県渥美郡老津村(現在の豊橋市)で生まれた。1936年第八高等学校文科乙類入学、1939年東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科で学び、1941年に卒業し、同大学大学院に進み、1946年東京帝国大学副手に任命される。 1950年、北海道大学助教授に着任。1954年、東京大学文学部印度哲学科助教授に転じた。1959年、学位論文『律蔵の研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1962年に教授昇格。1975年に東京大学を定年退官、名誉教授の称号を受ける。
高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1… 高橋 秀俊(たかはし ひでとし、1915年1月15日 - 1985年6月30日)は、日本の物理学者。日本のコンピュータのパイオニア。理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。文化功労者。正四位勲二等旭日重光章に叙される。東京府豊多摩郡代々幡村(現・東京都渋谷区代々木)生まれ。 父の高橋穣は、心理学者・倫理学者で東北帝国大学教授や学習院大学教授を務めた。心理学者・元良勇次郎の孫。船舶工学者・元良誠三の従兄。 1937年に東京帝国大学(現・東京大学)理学部物理学科を卒業し、助手に就任。1942年に助教授に、1957年に教授に昇任した。 早くから電磁気学、特に回路論的思考を深く身につけ、分野にとらわれない自由な発想で数多の卓越した研究を行った。
大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7… 大島 正光(おおしま まさみつ、1915年〈大正4年〉1月7日 - 2010年〈平成10年〉5月1日)は、日本の医学者、海軍軍医、航空自衛官。東京大学名誉教授。初代航空医学実験隊隊長。医用電子工学、人間工学、宇宙医学、航空医学などを研究。群馬県出身。 ノーベル化学賞受賞者の野依良治と土佐藩山内家第19代当主の山内豊功は娘婿。 群馬県前橋市出身。旧制太田中学校を四年修了し、旧制第一高等学校に入学。 1938年(昭和13年)に東京帝国大学医学部を卒業後、海軍軍医となる。 戦後は労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所)を経て、1958年(昭和33年)11月、航空医学実験隊長。1951年(昭和26年)に「精神疲労に関する研究」によって医学博士号を取得。
磯田 進(いそだ すすむ、1915年1月3日 - 2002年… 磯田 進(いそだ すすむ、1915年1月3日 - 2002年11月4日)は、日本の法学者。専門は労働法、法社会学。東京大学社会科学研究所教授、日本大学法学部教授を務めた。戦後日本の労働法学の形成に大きく寄与し、労働法理論と農村・村落の法社会学的研究で知られる。 京都府亀岡市に生まれ、群馬県で育つ。東京帝国大学法学部を卒業後、1939年に同学部助手となった。その後、法務庁事務官を経て、1949年に東京大学社会科学研究所助教授、1957年に教授へ昇任した。1975年に東京大学を定年退官し、東京大学名誉教授となった。同年から日本大学法学部教授として教育・研究を続け、労働法および法社会学分野の後進の育成に尽力した。
高山 捷一(たかやま しょういち、1915年1月2日 - 2… 高山 捷一(たかやま しょういち、1915年1月2日 - 2017年3月5日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官、航空工学者。最終階級は海軍技術少佐、航空自衛隊空将。戦前は零戦の審査補佐、銀河の設計・試作、紫電改の開発審査など、戦後は防衛庁技術幹部、技術開発官として国産初の量産型ジェット機T-1の開発やF-104Jの選定・ライセンス生産などを手掛けた。叙正四位。 1915年1月2日、高山益三の息子として名古屋で生まれる。父の転勤のため、1917年に大阪に転居。1927年に北野中学校に入学。父の失業により、鴻池家の奨学金を受けて卒業。私塾「清和塾」の塾生になり、奨学金を受けて第三高等学校、東京帝国大学に入学した。
相沢 久(あいざわ ひさし、1915年 - )は、日本の政治… 相沢 久(あいざわ ひさし、1915年 - )は、日本の政治学者。宮城県生まれ。東京帝国大学法学部卒。福島大学助教授、1964年から1965年、1970年から1971年にかけての2度、西ドイツ・ケルン大学に学ぶ。アテネオ・デ・マニラ大学 (Ateneo de Manila University) 客員教授、上智大学法学部教授、法学部長。文化庁宗教法人審議会委員。 1962年 東北大学 法学博士 「政教分離・信教の自由の研究」
小金丸 幾久(こがねまる いくひさ、大正4年(1915年) … 小金丸 幾久(こがねまる いくひさ、大正4年(1915年) - 平成15年(2003年)3月6日)は、長崎県壱岐郡武生水村(現・壱岐市)出身の彫刻家、太平洋美術学校教授、東京大学建築学科講師。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松岡 三郎(まつおか さぶろう、1915年 - 2010年6… 松岡 三郎(まつおか さぶろう、1915年 - 2010年6月5日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(明治大学・論文博士・1959年)(学位論文『憲法の労働権の法社会学的展開について : 日本における労働権の機能と保障機構の特殊性に関する研究』)。明治大学名誉教授。 1941年東京帝国大学法学部卒、高文(行政科・司法科)合格、同助手。 1945年内務省に入る。のち厚生省、労働省、法務府(法務省の前身)に勤務。この間、労働省設立に伴う労働諸立法事務に従事。 1949年明治大学法学部教授、法学部学部長、理事、1986年定年退任、名誉教授。 1959年に学位論文『憲法の労働権の法社会学的展開について : 日本における労働権の機能と保障機構の特殊性に関する研究』 で明治大学より法学博士の学位を取得。
続 有恒(つづき ありつね、1914年12月15日 - 19… 続 有恒(つづき ありつね、1914年12月15日 - 1972年9月25日)は、日本の教育心理学者。 甥(姉の子)に、医学者で東京大学名誉教授の黒川清、都市工学者で東京工業大学名誉教授・筑波大学名誉教授の黒川洸、元NECインターチャネル代表取締役社長・会長の黒川湛がいる。 宮城県出身。1938年東京帝国大学文学部心理学科卒。国立教育研究所員、東北大学助教授、52年名古屋大学教育学部教授、70年「教育評価」で名大教育学博士。57歳で死去。
四宮 和夫(しのみや かずお、1914年10月31日 - 1… 四宮 和夫(しのみや かずお、1914年10月31日 - 1988年4月28日)は、日本の法学者。専門は民法・信託法。学位は、法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「信託法」)。我妻栄門下。弟子に能見善久など。 香川県三豊郡観音寺町生まれ。歩く通説と呼ばれた指導教官の我妻に対し、歩く反対説とも呼ばれた[要出典]。四宮の反対説の提示によって初めて論点化された論点も多く[要出典]、日本の民法学に多大な貢献をもたらした。信託法の研究の第一人者であり、その地位は弟子の能見に受け継がれている。 後掲『請求権競合論』は、債務不履行と不法行為等の請求権競合問題に関する論文で、民事訴訟法学における訴訟物における旧訴訟物理論・実体法説と新訴訟物理論・訴訟法説の対立を踏まえた上で、民法学の見地から新訴訟物理論の考え方を取り入れ、債務不履行と不法行為の要件及び効果を利益衡量の上一本化すべきとして新実体法説(のうち、全規範統合説)を主張した。
三好 和夫(みよし かずお、1914年10月25日 - 20… 三好 和夫(みよし かずお、1914年10月25日 - 2004年11月9日)は、医学者、医師。専門は神経筋疾患学・血液学。 1914年、東京生まれ。東京大学医学部で血液学を研究した。 1954年3月、第五福竜丸操業中に被爆(ビキニ事件)した乗組員の診察と治療にあたった。その後、東大付属病院(現:東京大学医学部附属病院)と米軍医団共同の原子爆弾影響合同調査団に参加。1955年4月1日、京都市で開かれた第14回日本医学会総会において、熊取敏之(国立東京第一病院)とともに「ビキニ放射能の臨床的、血液学的観察」と題して発表した。「久保山愛吉さんの死因は単なる肝臓障害ではなく、死の灰によって致死量以上の放射線を受けたため」と、アメリカ合衆国側の見解に反論した。
森田 鉄郎(もりた てつろう、1914年10月22日 - 1… 森田 鉄郎(もりた てつろう、1914年10月22日 - 1996年2月5日)は、日本の西洋史学者。 1914年10月22日、父・福井県出身・弁護士・摩寿意善太郎、母・広島県出身・山田ツヤの次男として東京麻布区に生まれる。兄は日本の美術家、東京芸術大学名誉教授・摩寿意善郎。麻布中学校卒業後、1932年、旧制第一高等学校に入学。 1935年東京帝国大学文学部西洋史学科入学。1939年同卒業。秩父宮御用掛・学習院大学教授・渡邉八郎長女・千江と婚姻。(祖父は大村藩士・初代大阪府知事・元老院議官・会計検査院長・貴族院議員・渡邉昇)婚姻後京都市岡崎円寺151・「吉富楼」経営の森田久の夫婦養子となり、姓を森田と改める。
今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 … 今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 - 2004年(平成16年)10月24日)は、日本の物理学者(流体力学)。理学博士(論文博士・1943年)。文化勲章受章者。航空機の飛行に関係した空気力学の基礎理論において大きな業績を上げた。 1914年に関東州大連に生まれ、神戸市で育った。幼少時より学業に秀で、跳び級制度により小学校5年修了で第一神戸中学校に入学した。1年の飛び級で卒業し、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部物理学科で寺沢寛一教授に師事、1936年に卒業。 卒業してからは、しばらく大阪帝国大学理学部の友近晋教授のもとで助手を務め、2年半のちに東大へ講師として戻り、1942年に助教授、1950年に教授に昇進した。
早川 武夫(はやかわ たけお、1914年10月2日 - 20… 早川 武夫(はやかわ たけお、1914年10月2日 - 2006年3月10日)は、愛知県出身の英米法学者、神戸大学名誉教授。 1944年、東京帝国大学文学部卒。1947年、同法学部卒。1950年 - 1953年、ミシガン大学で在外研修。神戸大学法学部助教授、1962年「司法過程の実証的研究」で法学博士、教授。1978年定年退官、名誉教授、専修大学教授。1985年退職。 1987年、勲三等旭日中綬章を受章。2006年3月10日、肺炎のため死去。
高木 博(たかぎ ひろし、1914年(大正3年)10月 - … 高木 博(たかぎ ひろし、1914年(大正3年)10月 - 没年不明)は、日本の国文学者、神奈川県立外語短期大学名誉教授。 1940年東京帝国大学文学部国文科卒、文部事務官、明治大学講師、相模女子大学教授、神奈川県立衛生短期大学教授、神奈川県立外語短期大学教授、学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
難波 桂芳(なんば けいほう、1914年(大正3年)9月24… 難波 桂芳(なんば けいほう、1914年(大正3年)9月24日 - 2009年(平成21年)12月28日)は、昭和から平成時代の安全工学者。専門は化学安全工学、燃料工学、反応化学。 1940年(昭和15年)3月、東京帝国大学工学部火薬学科を卒業後、海軍火薬廠を経て,1942年(昭和17年)11月、東京帝国大学第一工学部火薬学科助教授、1963年(昭和38年)6月、同大学教授となり火薬学第二講座(製造火薬学)を担当。ほか燃料工学第二講座(高速燃料学)、反応化学第二講座(反応性物質化学)を担任した。1975年(昭和50年)4月1日、定年退官、東京大学名誉教授の称号を受ける。 学術分野ではほかに、日本学術会議安全工学研究連絡委員会、安全工学協会(現・安全工学会)、工業火薬協会(現・火薬学会)、日本化学会、日本火災学会などで会長、副会長、理事、評議員などを歴任する。
今井 秀喜(いまい ひでき、1914年9月5日 - 2014… 今井 秀喜(いまい ひでき、1914年9月5日 - 2014年5月17日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。 父、今井登志喜は東京帝国大学文学部の学部長を務めた歴史学者。 東京府立第五中学校(現:都立小石川高等学校)から(旧制)第一高等学校を経て,1939年東京帝国大学理学部地質学科を卒業、同工学部助手となる。1944年助教授、1958年教授に昇進し、鉱山学科応用地質学第一研究室を担当した。1958年東京大学より工学博士の学位取得。学位論文の表題は「本邦における銅・亜鉛・鉛鉱床の地質構造、共生関係並びに成因に関する研究」。1975年定年退官し、名誉教授となる。 1987年、勲三等旭日中綬章を受章。
押田 勇雄(おしだ いさお、1914年9月5日 - 1988… 押田 勇雄(おしだ いさお、1914年9月5日 - 1988年4月10日)は、日本の物理学者。上智大学名誉教授。理学博士(東京大学)。 神奈川県横浜市西戸部出身。母は日本画家押田翠雨。1939年、東京帝国大学理学部物理学科卒業。1951年、「液体の物性論的研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。東京帝国大学助手を経て、1940年に名古屋帝国大学工学部助教授。1951年、小林理学研究所研究員となり、1953年に主任研究員兼学習院大学教授。1965年、上智大学教授へ転じ、1985年に定年を迎えて名誉教授となった。また、太陽エネルギー研究所所長を務めた。墓所は多磨霊園。
西 順蔵(にし じゅんぞう、旧字体: 西 順藏、1914年8… 西 順蔵(にし じゅんぞう、旧字体: 西 順藏、1914年8月30日 - 1984年6月12日)は、中国思想史家、一橋大学名誉教授。 1914年、広島県広島市で倫理学者・旧制広島文理科大学教授であった西晋一郎の次男として生まれた。旧制広島高校を経て、東京帝国大学文学部支那文学哲学科で学んだ。1937年に卒業し、同大学大学院に進学。 卒業後は、1938年より文部省国民精神文化研究所助手として勤務。1942年、京城帝国大学文学部助教授に任じられた。1944年、京城で大日本帝国陸軍第49師団歩兵第106連隊に二等兵として3ヶ月入隊。 1946年、第二次世界大戦終戦にともなって京城帝国大学も廃止となり退官。
田川 飛旅子(たがわ ひりょし、1914年8月28日 - 1… 田川 飛旅子(たがわ ひりょし、1914年8月28日 - 1999年4月25日)は、日本の俳人・工学者。本名・博。東京出身。 東京府豊多摩郡渋谷町(現渋谷区)生まれ。1933年に日本メソジスト協会中央会堂にて洗礼を受けた。府立六中(現東京都立新宿高等学校)、一高を経て1940年に東京帝国大学工学部卒。卒業と同時に古河電池に入社し電池製作所に配属。戦後に同技師長、役員として勤務。工学者としては『電池及蓄電池』(1953年)の著書があり、1961年に東京大学から博士号を受けている。 一高在学中に短歌に興味を持ち「アララギ」に入会、土屋文明に師事。また中学の時より画家耳野卯三郎に油絵を習い、1938年「妹の像」で光風会に入選している。
雲藤 義道(うんどう ぎどう、1914年〈大正3年〉7月8日… 雲藤 義道(うんどう ぎどう、1914年〈大正3年〉7月8日 - 2000年〈平成12年〉11月2日)は、浄土真宗の僧、仏教学者。位階は従四位。 島根県出身。1937年(昭和12年)に東京帝国大学文学部宗教学科卒業。中山文化研究所、1965年武蔵野女子大学教授、1972年学長、1985年定年退任、名誉教授。武蔵野学院長。1986年春の叙勲で勲三等瑞宝章を受章。2000年死去。死没日付をもって従四位に叙された。
高木 豊(たかぎ ゆたか、1914年7月7日 - 2005年… 高木 豊(たかぎ ゆたか、1914年7月7日 - 2005年5月14日)は日本の物理学者。特に強誘電体の研究者として有名である。東京工業大学、名古屋大学、大同工業大学(現在の大同大学)で教授を務めた。 1914年、現・大韓民国の釜山市で生まれた。旧制福岡高等学校を経て東京帝国大学(現・東京大学)に入学。1937年、同大学理学部物理学科を卒業し、授業担当の嘱託を経て1939年に理学部講師に就任。ここでエントロピーを計算する「高木の方法」を開発し、合金の規則-不規則転移を統計力学的に導いた。また、スレーターモデルを拡張して強誘電体であるKH2PO4の相転移を考察している。 1942年に第二工学部講師となり、高温まで連続で測定できる断熱型比熱測定法を開発し、「長崎-高木断熱計」と名付けられた。
篠崎 信男(しのざき のぶお、1914年6月21日 - 19… 篠崎 信男(しのざき のぶお、1914年6月21日 - 1998年4月16日)は、日本の人口学者。 東京出身。別名・神寺人言(じんげんひとよ)。 第一高等学校、東京帝国大学理学部数学科をへて、1939年長谷部言人によって新設された人類学科に移り第一期生として卒業。 1961年「血族結婚部落に関する生体人類学的研究」で東京大学理学博士。 1943年厚生省に入り、人口問題研究所、同人口資質部長。1984年日本人口学会会長。1984年勲二等瑞宝章受勲。
柳田 友道(やなぎた ともみち、1914年(大正3年)6月1… 柳田 友道(やなぎた ともみち、1914年(大正3年)6月18日 - 2012年(平成24年))は、 東京帝国大学医学部薬学科を卒業し、東京大学教授、応用微生物研究所所長を経て、富山大学教授から富山大学学長に就任。 日本の微生物学者として、微生物科学を確立した。 1914年(大正3年) 誕生(茨城県磯原町) 1937年(昭和12年) 東京帝国大学医学部薬学科入学 1940年(昭和15年) 海軍短期現役士官 薬剤科 1946年(昭和21年) 東京大学理学部植物学教室研究生 1962年(昭和37年) 東京大学教授 1968年(昭和43年) 東京大学応用微生物研究所(東京大学定量生命学研究所)の7代目所長に就任 1975年(昭和50年) 東京大学名誉教授、富山大学教授に就任 1979年(昭和54年) 富山大学学長に就任 1985年(昭和60年) 退官、富山大学名誉教授 2012年(平成24年10月) 北海道にて没。
熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 … 熊谷 清一郎(くまがい せいいちろう、1914年6月16日 - 没年不詳)は、日本の機械工学者、東京大学名誉教授。 岩手県盛岡市出身。1932年に盛岡中学を卒業。1940年に東京帝国大学工学部卒業、1943年東京帝国大学大学院満期退学。戦後東京大学教授となり、定年後名誉教授となる。その後は岩手大学で教授を務め、退職後はノーリツ基礎研究所所長もつとめた。 内燃機関研究を主に行い、国際燃焼学会で活躍した。 一般向け著作として、「火」(1979年)、「エンジンの話」(1981年)(いずれも岩波新書)がある。
廣江美之助(ひろえ みのすけ、1914年6月7日 - 200… 廣江美之助(ひろえ みのすけ、1914年6月7日 - 2000年1月12日)は日本の植物学者である。専門はセリ科植物の分類学的研究である。 岐阜県出身、東京大学植物学科を経て、カリフォルニア大学に留学した。京都大学教授を長く務めた。昭和30年頃から警察の植物鑑定に協力し、『捜査植物学』全4巻を出版し、京都府警永年捜査貢献賞を受賞した。
山内 一夫(やまのうち かずお、1914年4月24日 - 1… 山内 一夫(やまのうち かずお、1914年4月24日 - 1993年10月1日)は、日本の法制官僚・法学者。専門は行政法。学習院大学名誉教授。 東京市(現新宿区)出身。1938年東京帝国大学法学部政治学科卒。内閣法制局総務長官室主幹。内閣法制局第三部長、1959年内閣法制局第一部長、1964年学習院大学法学部教授、法学部長、85年定年、名誉教授。
小川 徹(おがわ とおる、1914年3月31日 - 2001… 小川 徹(おがわ とおる、1914年3月31日 - 2001年4月1日)は、日本の地理学者・民俗学者。岡山県生まれ。 東京帝国大学理学部地理学科卒。1972年「沖縄民族社会の歴史地理的研究」で、文学博士(広島大学)の学位を取得。法政大学文学部助教授、教授、1973年駒澤大学教授、1990年退職。
丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22… 丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。新字体で丸山真男とも表記される。
高橋 通敏(たかはし みちとし、1914年(大正3年)3月1… 高橋 通敏(たかはし みちとし、1914年(大正3年)3月18日 - 1989年(平成元年)4月6日)は、日本の外交官、国際政治学者、外交評論家。位階は正三位。 熊本県出身。熊本士族・高橋守雄の二男。1933年(昭和8年)旧制五高文科乙類を経て、東京帝国大学法学部、ミュンヘン大学を卒業し、その後外務省に入省する。 1957年(昭和32年)外務省条約局長。1960年(昭和35年)、参議院日米安全保障条約等特別委員会では政府委員として答弁に立ち、在日米軍に対して日米地位協定によって敢えて治外法権的立場を付与したと答弁した。1966年(昭和41年)スウェーデン駐箚特命全権大使。外務省研修所長を経て、1970年(昭和45年)エジプト駐箚特命全権大使などを歴任した。
今泉 吉典(いまいずみ よしのり、1914年3月11日 - … 今泉 吉典(いまいずみ よしのり、1914年3月11日 - 2007年4月2日)は、日本の動物学者。学位は理学博士(北海道大学・1961年)。国立科学博物館名誉館員。 主にネズミなどの小型哺乳類を研究対象としていたが、ニホンオオカミや1965年に発見されたイリオモテヤマネコの記載・研究を行ったことで知られる。 息子の今泉吉晴、今泉忠明も動物学者。孫の今泉勇人も動物についての共著がある。 『ぐりとぐら』の体色は今泉吉典の研究室にあったオレンジ色のネズミの標本がヒントになっている。 1965年(昭和40年)動物作家の戸川幸夫から,西表島の「ヤマネコ」の毛皮、頭骨、写真などを入手したという報せを受けた。
那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990… 那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990年9月10日)は、日本の社会学者。中央大学名誉教授。元淑徳大学学長。専門は、老人社会学、社会病理学、犯罪社会学。 和歌山県田辺市生まれ。1934年大阪府立浪速高等学校卒業。1937年東京帝国大学文学部社会学科卒業。1951年東洋大学文学部助教授、1953年中央大学文学部教授に就く。1958年中央大学文学部教授、1966年経済企画庁国民生活審議会委員、1972年東京都老人総合研究所副所長、日本老年学会理事、日本老年社会科学会会長。1984年中央大学を定年退職、名誉教授。淑徳大学学長。同学長在職中に死去。
田多井 吉之介(たたい きちのすけ、1914年3月7日 - … 田多井 吉之介(たたい きちのすけ、1914年3月7日 - )は、日本の医学者、評論家。 東京出身。東京帝国大学医学部卒、1949年東京大学医学博士。ハーヴァード大学に学び、国立公衆衛生院生理医学研究所研究員をへて、東京農業大学教授を務めた。多くの一般向け医学書を著し、バイオリズムの概念を広めた。
小穴 進也(おあな しんや、1914年(大正3年)3月3日 … 小穴 進也(おあな しんや、1914年(大正3年)3月3日 - 2007年(平成19年)11月13日)は、日本の地球化学者。名古屋大学理学部教授、同名誉教授。元日本地球化学会会長。 弁護士の小穴喜一の長男として長野県にて出生。母みどりは松本市議会議長、衆議院議員などをつとめた弁護士森山儀文治の長女。 旧制松本高校理科を経て、1938年に東京帝国大学理学部化学科を卒業した。1942年、名古屋帝国大学理学部化学科分析化学講座に助教授として赴任。1951年に名古屋大学教授に昇格し、1977年定年退官した。1987年勲二等瑞宝章受勲。 1968年(昭和44年)8月、当時、四日市海上保安部警備救難課長であった田尻宗昭が、日本アエロジル四日市工場から排出された廃酸による公害被害(四日市公害の一つ)を立件するにあたり、大企業相手で尻込みする研究者が多い中、塩酸の海中での拡散実験等に協力し田尻を援助した。
小田村 寅二郎(おだむら とらじろう、大正3年〈1914年〉… 小田村 寅二郎(おだむら とらじろう、大正3年〈1914年〉3月2日 - 平成11年〈1999年〉6月4日)は、日本の保守派の学者。亜細亜大学教授。日本学生協会理事、精神科学研究所創立者、国民文化研究会理事長。戦前の帝大での学風刷新運動の中心人物で、右派の立場から体制批判、自由主義・社会主義批判、反戦運動を展開し、小田村事件により東京帝国大学法学部退学処分となった。 東京府東京市四谷区に小田村有芳の次男として生まれる。大正9年(1920年)4月、学習院初等科入学。大正15年(1926年)4月、学習院中等科入学。同年9月、東京府立第一中学校編入。中学卒業の頃に肋膜炎に罹患し、療養生活に入る。昭和8年(1933年)4月、第一高等学校文科丙類(仏語専攻)入学。
李 澔(イ・ホ、이호、1914年2月7日 - 1997年5月… 李 澔(イ・ホ、이호、1914年2月7日 - 1997年5月24日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の検察官、法律家、政治家。 本貫は永川李氏(朝鮮語版)。日本名は李家 澔(りのいえ ひろし)。 慶尚北道永川郡にて、大地主の息子として誕生。1923年3月に慶尚北道永川公立普通学校卒業後、翌4月に京城第二公立高等普通学校2学年に編入し、1930年3月に修了した。1930年4月、京都の立命館中学校3学年に編入して1933年3月に卒業。同年4月に佐賀高等学校文科甲類に入学して1936年3月に卒業。1936年4月、東京帝国大学法学部法律学科に進学し、1940年3月に卒業。大学在学中の1939年11月に高等文官試験司法科に合格。
矢沢 利彦(やざわ としひこ、1914年(大正3年)2月- … 矢沢 利彦(やざわ としひこ、1914年(大正3年)2月- 2008年(平成20年)4月11日)は、日本の東洋学者。 1914年生まれ。旧制山口高等学校を経て、1936年東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業。在学時は、加藤繁や和田清の指導を受けた。 卒業後は埼玉大学助教授となり、後に教授昇進。1978年に埼玉大学を定年退官し、名誉教授。その後も群馬県立女子大学教授として教鞭をとり、また東洋文庫専任研究員として研究著述を行った。 近世中国(明清時代)の東西交渉の研究や「喫茶の歴史」が著名で、マテオ・リッチをはじめ、多くの原典史料の訳注解を行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
福沢 武一(ふくざわ ぶいち、1914年1月12日 - 20… 福沢 武一(ふくざわ ぶいち、1914年1月12日 - 2003年5月15日)は、日本の歌人、万葉学者、日本語学者。専門は万葉集、方言。 長野県上伊那郡伊那町(現伊那市)生まれ。東京大学文学部を卒業後、1941年から1973年まで長野県下各地の高等学校に勤務した。北信地方に赴任した際、言葉が奇異に感ぜられ方言に興味を抱くようになったという。1951年「万葉集」の研究に端を発して短歌の製作を始める。 1975年長野大学教授、1983年上田女子短期大学教授に就任。 2003年5月15日死去、89歳没。 詠風は独特であり、素材にも表現形式にも特異な趣があったという。 万葉集研究で知られた。 また戦後長野県方言の語彙研究をリードし、大橋敦夫からは「丹念に方言を収集し、方言語彙研究に独自の境地を開いた」と評されている。
芦田淳 (あしだ きよし、1914年 - 2001年)は、日… 芦田淳 (あしだ きよし、1914年 - 2001年)は、日本の栄養学者、農芸化学者。専門は実験動物栄養学、栄養化学、食生活論。名古屋大学名誉教授、第6代名古屋大学総長、元椙山女学園大学学長。日本農芸化学会名誉会員・元会長。 兵庫県芦屋市(当時の武庫郡精道村)生まれ。1938年に東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業後、同大学院で研究を継続した。1944年に大阪帝国大学講師、戦後まもなく助教授に昇進した。 1953年に名古屋大学農学部農芸化学科栄養化学講座教授に就任した。以降、長年にわたり同大学で教育・研究に従事し、世界に先駆けて栄養学に生化学的方法を導入した業績で知られる。1963年に日本栄養・食糧学会武田賞、1964年に日本農学賞および読売農学賞を受賞した。
平島 達司(ひらしま たつし、1914年 - 1986年)は… 平島 達司(ひらしま たつし、1914年 - 1986年)は神戸松蔭女子学院大学名誉教授、音楽理論家、鍵盤奏者。ラモー音律を発表したことで知られる。クラシック音楽の調律法において古典調律を奨め、自らオルガンの調律選定者となり、その有意義性を説いた。同大学の前身・松蔭女子専門学校初代校長・浅野勇の娘婿。 1914年生1934年東京大学理学部卒(化学専攻)1960年から神戸松蔭女子学院大学教授、同短期大学教授 1983年神戸松蔭女子学院大学チャペルのオルガンの調律法を選定1986年没 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
石崎 達(いしざき たつし、1914年 - 2005年3月2… 石崎 達(いしざき たつし、1914年 - 2005年3月27日)は、日本の医学者。喘息日記、アレルゲンによる皮膚反応、減感作療法などの普及に貢献した。栃木県出身。
鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6… 鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6月21日)は、日本の医学者、医師。専門は循環器内科。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校理科乙類、東京帝国大学医学部卒業。1974年まで群馬大学医学部第二内科(循環器内科)教授。東海大学医学部教授、国立横浜病院院長を歴任。 新谷家は戦国期に今川氏勢力下の駿河国に来住、5代目述賢の頃に新谷を鴫谷姓に改め郷士となり、医術を甲斐国の徳本に学び、代々業とした。江戸幕末期の鴫谷一元(14代)は、兵太夫新田(現藤枝市内)の村松良元に医科修業、田中藩の御典医でもあったと伝えられる。この一元は1876年(明治9年)に隠居別家し、自らは代々定住の子持坂村(現藤枝市内)から近隣の横内村へ転居、医業を継続した。
高村 新一(たかむら しんいち、1914年 - 2002年3… 高村 新一(たかむら しんいち、1914年 - 2002年3月25日)は、英文学者、東京大学名誉教授。東京帝国大学英文科卒。静岡大学助教授、東大教養学部教授、1974年定年退官、東京女子大学教授、1984年明星大学教授、87年東大名誉教授。1989年11月勲三等旭日中綬章受章。ジョン・バニヤンの全五巻の著作集を個人全訳した。
臺 弘(うてな ひろし、1913年11月28日 - 2014… 臺 弘(うてな ひろし、1913年11月28日 - 2014年4月16日)は、日本の医学者・精神科医。東京大学医学部教授、群馬大学医学部教授を歴任。医学博士(東京大学・1952年)。栃木県足尾町生まれ。『台弘』と表記されることもある。 1913年栃木県足尾町生まれ。1937年東京帝国大学医学部医学科卒業。1952年、論文「精神分裂病者腦組織の含水炭素代謝について」で東京大学より医学博士の学位を取得。東京大学病院精神科、松沢病院医員、群馬大学医学部教授、1966年東京大学医学部精神医学教室教授、1974年3月東大を定年退官。山田病院(東京都調布市)を経て坂本病院(埼玉県新座市)勤務。