一杉正仁(ひとすぎ まさひと、英語:Masahito Hit… 一杉正仁(ひとすぎ まさひと、英語:Masahito Hitosugi、1969年7月3日-)は、日本の社会医学者, 医師。現在滋賀医科大学の医学部, 教授。法務省大阪矯正管区矯正医療アドバイザー、International Traffic Medicine Association(北東アジア地区担当理事)、日本交通科学学会副会。 1994年東京慈恵会医科大学卒業後、川崎市立川崎病院勤務を経て東京慈恵会医科大学院修了。同大助手、獨協医科大学法医学講座准教授を経て現職へ。他にも大学講師や警察嘱託警察医、幾多の関係委員会や学会の要職を精力的にこなすなど、幅広く活躍中。専門分野は突然死の病態生理、血栓症、交通事故の予防医学。
大坪 寛子(おおつぼ ひろこ、1967年8月24日 - )は… 大坪 寛子(おおつぼ ひろこ、1967年8月24日 - )は、日本の医師、医学者(内科学)、厚生労働官僚。厚生労働省健康・生活衛生局長。 東京慈恵会医科大学医学部助教、国立感染症研究所血液・安全性研究部研究員、環境省総合環境政策局企画課特殊疾病対策室室長、厚生労働省医政局総務課医療安全推進室室長などを歴任した。 内科学を専門とする医学者である。東京慈恵会医科大学に勤務し、血液安全確認システムの起ち上げなどに参画した。一時、国立感染症研究所に出向し、血液・安全性研究部で研究員を務めた。その後、厚生労働省に技官として入省し、省内の要職を歴任するとともに、環境省や内閣官房にも出向した。 1986年(昭和61年)、東京慈恵会医科大学に進学し、医学部の医学科にて学んだ。
進藤 奈邦子(しんどう なほこ、Nikki Shindo、1… 進藤 奈邦子(しんどう なほこ、Nikki Shindo、1963年〈昭和38年〉 - )は、日本の医師、医学者。学位は博士(医学)(東京慈恵会医科大学・1997年)。専門は感染症学、内科学など。 世界保健機関 (WHO) 本部感染症危機管理 シニアアドバイザーを務めている。 2009年公開の映画『感染列島』の、WHOメディカルオフィサー小林栄子のモデルでもあるといわれている。2014年に西アフリカでエボラ出血熱が流行した際、チームリーダーとして尽力した。
大江 裕一郎(おおえ ゆういちろう、1959年(昭和34年1… 大江 裕一郎(おおえ ゆういちろう、1959年(昭和34年12月28日 - )は、日本の医師、医学者。学位は博士(医学)。元東京慈恵会医科大学大学院医学研究科教授、元国立がん研究センター中央病院副院長。専門は、呼吸器内科学、臨床腫瘍学、肺がん、分子標的治療に関する研究。 1959年東京大田区で開業医の家庭の長男として生まれる。地元の小学校を卒業後、芝中学に入学とともに柔道部に入部、中学高校時代は柔道に熱中する。東京慈恵会医科大学入学後も柔道を続け、東医体、全医体などで活躍した。 1984年に東京慈恵会医科大学を卒業し、同大学附属病院で初期研修ののち、1986年に同大学第2内科(宮原正教授)へ入局 1987年に国立がんセンター病院で西條長宏の指導の下、肺がん治療、臨床試験、TRの研修を行う。
須原 哲也(すはら てつや、1958年 - )は、日本の医学… 須原 哲也(すはら てつや、1958年 - )は、日本の医学者、精神科医。専門は精神医学、精神薬理学、ポジトロン核医学。分子イメージングを用いた精神・神経疾患の脳機能研究で知られている。現在、国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)に所属し、副理事や量子生命・医学部門の部門長を務めている。
海原 純子(うみはら じゅんこ、1952年4月1日 - )は… 海原 純子(うみはら じゅんこ、1952年4月1日 - )は、日本の医学者(医学博士)・医師、随筆家、歌手。神奈川県横浜市出身。 実家は横浜市内の耳鼻科医院。小学5年生の頃に母の意向で横浜雙葉学園に編入。しかし「お嬢様」ばかりの雰囲気になじめず、孤独感を感じる中で、早く自立したいという思いが強くなった。その後、医師を目指して東京慈恵会医科大学に進学。父が病気になったこともあり、19歳から24歳まで新宿のクラブで専属歌手活動をして生活費を捻出し、1976年、同大学を卒業。クラブでドラマの主題歌の歌手を探している、音楽ディレクターと出会い結婚。 同大内科、病理学講師を経て、1984年、東京都港区南青山に「海原メディカルクリニック」を開業。
田口 芳雄(たぐち よしお、1951年 - )は、日本の医学… 田口 芳雄(たぐち よしお、1951年 - )は、日本の医学者。現職は、聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院病院長(脳神経外科教授)。 1969年、神奈川県立厚木高等学校を卒業(高校第21回)後、1975年に東京慈恵会医科大学医学部を卒業。1979年に同大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)。1982年には米カリフォルニア大学へ留学。1995年、聖マリアンナ医科大学脳神経外科助教授、2004年、同教授に就任。2006年から同大学横浜市西部病院病院長。
中山 和彦(なかやま かずひこ、1951年 - )は、日本の… 中山 和彦(なかやま かずひこ、1951年 - )は、日本の精神医学者、東京慈恵会医科大学教授。 愛媛県宇和島市生まれ。1977年東京慈恵会医科大学卒。1986年医学博士。1996年ロンドン大学精神医学研究所客員教授。2001年中華人民共和国大連医科大学客員教授。2003年京都府立医科大学客員教授。2004年東京慈恵会医科大学精神医学講座主任教授となる。専門は精神薬理学、非定型精神病、てんかん学、森田療法。
本間 生夫(ほんま いくお、1948年 - )は、日本の生理… 本間 生夫(ほんま いくお、1948年 - )は、日本の生理学者、医師。昭和大学名誉教授。専門は呼吸生理学、脳生理学。 東京有明医療大学学長。元日本生理学会副会長。元文部科学省教科用図書検定調査審議会会長。 千葉県生まれ。千葉県立千葉高等学校を経て、1973年東京慈恵会医科大学医学部卒業、東京慈恵会医科大学第二生理学教室助手。1980年東京慈恵会医科大学医学博士、東京慈恵会医科大学第二生理学教室講師。1982年昭和大学医学部第二生理学教室助教授。1986年昭和大学医学部第二生理学教室教授。2003年日本体力医学会理事。2004年花田学園理事、日本生理学会副会長、日本手技療法学会会長、日本呼吸器学会代議員。
岡部 信彦(おかべ のぶひこ、1946年- )は、日本の医師… 岡部 信彦(おかべ のぶひこ、1946年- )は、日本の医師・医学者(小児科学)・国際公務員。学位は医学士(東京慈恵会医科大学医学部・1971年)。 川崎市健康安全研究所・所長。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード・構成員。新型インフルエンザ等対策閣僚会議新型インフルエンザ等対策有識者会議・会長代理 兼 新型コロナウイルス感染症対策分科会・委員。内閣官房参与(感染症対策担当)。WHO Pandemic Influenza Preparedness Advisory Group 委員、WHO 西太平洋地域事務局ポリオ根絶監視委員会(副議長)を歴任。 東京慈恵会医科大学附属病院研修医、帝京大学医学部助手、神奈川県立厚木病院小児科医師、東京都立北療育園小児科医師、ヴァンダービルト大学医学部研究員、国立小児病院感染科医員、神奈川県立衛生看護専門学校附属病院小児科部長、世界保健機関西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課課長、東京慈恵会医科大学医学部助教授、国立感染症研究所感染症情報センターセンター長、日本ワクチン学会理事長などを歴任した。
中原 英臣(なかはら ひでおみ、1945年1月17日- )は… 中原 英臣(なかはら ひでおみ、1945年1月17日- )は、日本の医学者(医学博士(東京慈恵会医科大学、1976年)。新渡戸文化短期大学名誉学長、山野医療専門学校副校長。
矢部 喜正(やべ よしまさ、1940年(昭和15年)4月1日… 矢部 喜正(やべ よしまさ、1940年(昭和15年)4月1日 - 2005年(平成17年)12月)は、日本の医学者(循環器病学)、東邦大学元教授。医学博士。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、東京慈恵会医科大学医学部卒業。1973年に東邦大学より「冠動脈結紮犬における冠動脈間吻合の発達に関する研究」で医学博士の学位を取得。東邦大学医学部附属大森病院循環器センター長などを歴任。今では一般的となった心筋梗塞の治療に、バルーンによる血管拡張治療を始めた先駆者的存在であった。
池田 義雄(いけだ よしお、1935年3月29日 - )は内… 池田 義雄(いけだ よしお、1935年3月29日 - )は内科学を専門とする日本の医学者。日本生活習慣病予防協会理事長、セルフメディケーション推進協議会会長、タニタ体重科学研究所所長、糖尿病治療研究会代表幹事などを務める。 長野県上田市出身。1961年に東京慈恵会医科大学医学部を卒業、同大学講師、助教授、教授を務め、2000年に退任。医学博士。 1997年度日本肥満学会会長。厚生労働省薬事・食品衛生審議会新開発食品調査部会委員。2005年日本糖尿病学会坂口賞を梶沼宏と共同で受賞。日本糖尿病・肥満動物学会第5回平成24年後藤賞受賞。2014年度(平成26年)日本肥満学会功労賞受賞。 2011年の池田の著書『量る・計る・食べるダイエット』がトーハン調べ「2011年 年間ベストセラー」に入った。
米本 恭三(よねもと きょうぞう、1932年 - 2024年… 米本 恭三(よねもと きょうぞう、1932年 - 2024年12月23日)は、日本の医学者、医師。専門はリハビリテーション医学、神経内科学、整形外科学。学位は、医学博士。 東京慈恵会医科大学名誉教授、東京都立大学名誉教授。元東京都立保健科学大学学長、元東京慈恵会医科大学主任教授、元東京慈恵会医科大学附属第三病院病院長、元慈恵看護専門学校校長。 1958年に東京慈恵会医科大学を卒業する。1963年に同大学院を修了し、整形外科学教室・第二生理学教室の助手となった。1970年から1971年まで東京大学医学部脳研究施設・神経内科に国内留学する。1972年から東京慈恵会医科大学整形外科講師となり、1977年に助教授、1983年から教授に就任しリハビリテーション科、体力医学研究室を担当した。
村木 毅(むらき たけし、1931年10月10日 - 201… 村木 毅(むらき たけし、1931年10月10日 - 2010年10月15日 )は日本の医学者(解剖学)、外科医。医学博士。聖マリアンナ医科大学客員教授(解剖学)。臨床漢方医学にも造詣が深く現代漢方医の第一人者とされる。 東京都千代田区出身。1958年東京慈恵会医科大学卒業。同大学第一外科学教室及び解剖学教室を経て、1963年テキサス大学に留学。1964年医学博士(東京慈恵会医科大学)、博士論文の題は 「関東地方日本人環椎の解剖学的研究/関東地方日本人軸椎の解剖学的研究」。 1965年2月横浜市立大学第二外科学教室、1966年4月東邦大学解剖学教室助教授。漢方医学は山田光胤に師事。1969年東京都大田区に村木外科胃腸科を開設。
大原 健士郎(おおはら けんしろう、1930年4月30日 ‐… 大原 健士郎(おおはら けんしろう、1930年4月30日 ‐ 2010年1月24日)は、日本の医学者・精神科医。浜松医科大学名誉教授。専門は自殺研究、森田療法など。 高知県吾川郡伊野町(現・いの町)生まれ。伊野小学校から土佐中学に入学。1945年中学2年の時に東京陸軍幼年学校(49期、終戦時第1学年で復員)を受験して合格し、学校のある東京都の南多摩(現・八王子市)に移転するが、同年8月に学校が空襲で被災したため高知県に戻り、土佐中学に復学する。48年に東京慈恵会医科大学に進学し、56年に卒業、61年同大学院医学研究科精神医専攻修了、66年慈恵医大講師、広島で開かれた日本精神神経学会のシンポジウムの研究発表がきっかけで渡米、66―67年南カリフォルニア大学招聘教授、ロサンゼルス自殺予防センター特別招聘研究員、76年東京慈恵会医科大学助教授、77年浜松医科大学精神神経科教授、88年森田療法学会理事長、96年浜松医科大学退任、名誉教授、97年愛知淑徳大学教授、2003年日本社会精神医学会理事長退任、05年愛知淑徳大学退任。
柄澤 昭秀(柄沢 昭秀、からさわ あきひで、1930年4月9… 柄澤 昭秀(柄沢 昭秀、からさわ あきひで、1930年4月9日 - )は、日本の精神医学者。埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。1955年東京慈恵会医科大学卒、同助手、講師、助教授、1961年「精神疾患の脳波的研究」で東京慈恵会医科大学医学博士、1972年東京都老人総合研究所精神医学研究室長、1975年同心理・精神医学部長、副所長、1993年日本社会事業大学教授、1997年定年、聖徳大学教授。老人の精神医学が専門。
長谷川 和夫(はせがわ かずお、1929年2月5日 - 20… 長谷川 和夫(はせがわ かずお、1929年2月5日 - 2021年11月13日)は、日本の医学者・精神科医。認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。専門は老年精神医学・認知症。認知症医療の第一人者と称された。 愛知県東春日井郡牛山村(現・春日井市牛山町)で銀行員の子として生まれる。18歳ころにキリスト教徒となる。1953年に東京慈恵会医科大学(慈恵医大)を卒業する。IBC(基督教事業連合委員会)のキリスト教振興事業のひとつである留学生派遣に選ばれて1956年から2年間米国へ留学し、米国で最古かつ最大の精神病院聖エリザベス病院とジョンズ・ホプキンズ病院で研修生として精神医学と脳波学を学ぶ。
小野 三嗣(おの みつつぐ、1921年(大正10年)4月19… 小野 三嗣(おの みつつぐ、1921年(大正10年)4月19日 - 2007年(平成19年)3月22日)は、日本の運動生理学者。 秋田県大館生まれ。1942年陸軍航空士官学校(55期)卒、45年大尉に昇進、航空第二師団参謀部付、1950年東京慈恵会医科大学医学部卒業。同名取礼二生理学教室所属、60年 東京慈恵会医科大学医学博士。論文の題は「所謂光力学的作用による骨格筋収縮の機転について」62年慈恵医大講師、1963年東京学芸大学助教授。1964年東京オリンピックで重量挙げのトレーニング-ドクターとなり、全員入賞に貢献した。1966年横浜国立大学教授、1970年東京学芸大学教授。85年定年退官、名誉教授。
酒井 敏夫(さかい としお、1920年6月21日 - 201… 酒井 敏夫(さかい としお、1920年6月21日 - 2012年5月23日)は、日本の医学者・生理学者、東京慈恵会医科大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
阿部 正和(あべ まさかず、1918年12月5日 - 201… 阿部 正和(あべ まさかず、1918年12月5日 - 2016年2月26日)は、日本の内科学者。 東京府で牧師阿部義宗の息子として生まれた。1936年旧制・青山学院中学部卒業、東京慈恵会医科大学予科入学。1942年9月、同大卒業。同年同月、海軍軍医となり榛名に配属。1945年11月、海軍軍医大尉として予備役に編入された。 1945年12月、国立東京第二病院などを経て、1960年東京慈恵会医科大学教授、1982年学長、1984年名誉教授、1993年学校法人慈恵大学理事長、1995年顧問。 糖尿病の病態生理学的研究などで知られ、医師の生涯教育にも取り組む。1984年日本医学会副会長、日本糖尿病学会会長を務めた。
深田 英朗(ふかだ ひであき、1918年9月9日 - 200… 深田 英朗(ふかだ ひであき、1918年9月9日 - 2003年)は、日本の歯学者。 東京慈恵会医科大学専門部卒、1953年「乳歯並びに乳歯列の統計的研究」で慶応義塾大学・医学博士。日本大学歯学部小児歯科学教室教授。89年定年退職。小児歯科学。
渡辺 俊男(わたなべ としお、1914年〈大正3年〉7月10… 渡辺 俊男(わたなべ としお、1914年〈大正3年〉7月10日 - 2007年〈平成19年〉8月18日)は、日本の運動生理学者、脳生理学者、医師。医学博士。お茶の水女子大学教授、横浜国立大学教授、日本大学教授。日本体力医学会名誉会員。 新潟県岩船郡関谷村下関(現 関川村下関)で渡辺医院(内科・外科)を開業する医師・渡辺彊(つとむ)の長男として出生。 関尋常高等小学校を経て、1932年(昭和7年)3月に新潟中学校を卒業、1934年(昭和9年)4月に東京慈恵会医科大学予科に入学、1937年(昭和12年)3月に予科を修了、1941年(昭和16年)3月に東京慈恵会医科大学医学部を卒業。 軍医として仙台の日本陸軍第2師団に入隊、会津若松陸軍病院に勤務、1943年(昭和18年)に応召、中国北部の日本陸軍第59師団に入隊、野戦病院(第3311部隊)に勤務、1945年(昭和20年)8月15日に朝鮮北東部の興南で終戦、ソビエト連邦によってシベリアに抑留され、1947年(昭和22年)12月に舞鶴港に帰還、最終階級は陸軍軍医少佐(ポツダム少佐)。
上田 泰(うえだ やすし、1913年9月20日 - 2008… 上田 泰(うえだ やすし、1913年9月20日 - 2008年4月8日)は、日本の内科学者。 長野県松本市生まれ。1939年東京慈恵会医科大学卒業、1949年医学博士。東京慈恵医大助教授、1958年教授となる。腎盂腎炎に関する研究や腎臓における細菌感染症の化学療法の研究などで知られる。厚生省中央薬事審議会委員などを務めた。佐藤栄作の主治医も務めた。
名取 礼二(なとり れいじ、名取 禮二、1912年(明治45… 名取 礼二(なとり れいじ、名取 禮二、1912年(明治45年)1月2日 - 2006年(平成18年)11月20日)は、日本の生理学者。名取筋線維の創出と研究で知られる。文化勲章受章者。贈従三位(没時陞位)、贈勲一等瑞宝章(没後叙勲)。 東京府生まれ。1929年旧制獨逸学協会中学校卒業、東京慈恵会医科大学予科入学。1936年東京慈恵会医科大学卒業。東京慈恵会医科大学教授などを経て、東京慈恵会医科大学学長・理事長、日本体力医学会理事長、全国医学部長病院長会議会長などを歴任。1976年(昭和51年)に朝日賞、1981年(昭和56年)文化功労者、1986年(昭和61年)には文化勲章を受章。森亘、岡本道雄、高久史麿らとともに日本国際医学協会名誉顧問、石川忠雄、江橋節郎とともに上原財団名誉理事などを務めた。
吉倉 範光(よしくら のりみつ、1907年 - 1988年3… 吉倉 範光(よしくら のりみつ、1907年 - 1988年3月23日)は、日本の精神医学者。 東京出身。1933年東京慈恵会医科大学卒業、千葉医科大学講師、フランス留学、1947年「青年期「独創的危機」の精神病理学的研究」で慶応義塾大学医学博士。戦後は日本大学医学部教授。
矢崎 芳夫(やざき よしお、1894年4月14日 - 197… 矢崎 芳夫(やざき よしお、1894年4月14日 - 1972年3月9日)は日本の医師、医学者、衛生学者。 長野県諏訪郡永明村(現茅野市)生まれ。1917年旧制東京慈恵医院医学専門学校卒業。1922年からドイツのフライブルク大学に留学し、細菌衛生学を学ぶ。帰国後の1925年に東京慈恵会医科大学教授となり、衛生学教室を創設。1956年には学長に就任した。 研究では特に、生物発光に関する研究、日光紫外線に関する研究で知られ、郷里の諏訪湖産のヌカエビの発光の本態が淡水棲発光バクテリアの感染によるものであることを発見(ホタルエビも参照)、また各種魚類における共棲発光の実例を実証した。戦後は日本で最初に蛍光顕微鏡を開発し、結核菌の検出などの実績を上げた。
松本 本松(まつもと もとまつ、1885年(明治18年)11… 松本 本松(まつもと もとまつ、1885年(明治18年)11月19日 - 1961年(昭和36年)4月14日)は、明治から昭和期の医学者、政治家、華族。貴族院男爵議員、医学博士。 陸軍軍医総監・松本順(良順)の八男として生まれる。父の死去に伴い、1907年(明治40年)4月19日、男爵を襲爵した。 1910年(明治43年)東京慈恵会医院医学専門学校を卒業した。1916年(大正5年)からアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ドイツ帝国、スイスに留学した。1923年(大正12年)2月26日、東京帝国大学から医学博士の学位が授与された。 1911年(明治44年)東京帝国大学医学部嘱託となり、以後、順天堂医院耳鼻咽喉科長、東京医学専門学校教授兼同附属淀橋病院耳鼻咽喉科長、順天堂医学専門学校教授、同理事、女子美術専門学校評議員などを務めた。
実吉 安純(さねよし やすずみ、1848年4月23日(嘉永元… 実吉 安純(さねよし やすずみ、1848年4月23日(嘉永元年3月20日) - 1932年(昭和7年)3月1日)は、日本の医学者、海軍軍人、政治家。最終階級は海軍軍医中将。正二位 勲一等 功二級 子爵 医学博士。海軍軍医学校校長、海軍省医務局長、大本営海軍医務部長、東京慈恵会医院専門学校(現、東京慈恵会医科大学)校長、貴族院議員などを歴任した。慈恵医大の創設者である高木兼寛と共に、海軍の脚気撲滅に尽力したことで知られている。 薩摩国阿多郡伊作郷(後の日置郡伊作村、伊作町、吹上町、日置市)生まれ。薩摩藩士・実吉安福の二男として生まれる。戊辰戦争に参戦の後、明治2年(1869年)6月、順天堂に入塾し、のち大学校に移る。
笠原 洋勇(かさはら ひろお)は、日本の医学者・精神科医。元… 笠原 洋勇(かさはら ひろお)は、日本の医学者・精神科医。元東京慈恵会医科大学医学部教授。学位は、医学博士。
新見 昌央(にいみ まさちか)は、日本の医学者・医師。専門は… 新見 昌央(にいみ まさちか)は、日本の医学者・医師。専門はリハビリテーション医学、脳卒中医学、急性期リハビリテーション、嚥下障害。学位は、博士(医学)。日本大学医学部整形外科学系リハビリテーション医学分野主任教授、日本大学医学部附属板橋病院リハビリテーション科部長。 この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:医学と医療、PJ:医学、PJ:歯学)。
飯島 勝矢(いいじま かつや)は、日本の医師・医学者。東京大… 飯島 勝矢(いいじま かつや)は、日本の医師・医学者。東京大学高齢社会総合研究機構教授。一億総活躍国民会議有識者民間議員。 1990年東京慈恵会医科大学卒業。以後、千葉大学医学部附属病院、亀田総合病院、君津中央病院、東京都東部地域病院、東京大学医員、助手、講師、准教授を経て2016年より現職。2015年より内閣府「一億総活躍国民会議」有識者民間議員。
吉田 正樹(よしだ まさき)は、日本の医師、医学者。学位は博… 吉田 正樹(よしだ まさき)は、日本の医師、医学者。学位は博士。東京慈恵会医科大学教授。 東京慈恵会医科大学准教授などを歴任した。 東京慈恵会医科大学に進学し、医学部にて学んだ。1985年(昭和60年)3月、東京慈恵会医科大学を卒業した。東京慈恵会医科大学附属病院の研修医を経て、1987年(昭和62年)5月、東京慈恵会医科大学にて医学部の第二内科学教室に入局した。のち、博士の学位を取得した。 2003年(平成15年)7月、東京慈恵医科大学にて医学部の講師に就任した。医学部においては、主として内科学講座を受け持った。2013年(平成25年)4月、東京慈恵会医科大学の医学部にて准教授に昇任した。医学部においては、主として感染制御科を担当した。