小南 修身(こみなみ おさみ、1947年(昭和22年)2月1… 小南 修身(こみなみ おさみ、1947年(昭和22年)2月13日 - )は、日本の政治家。元大阪府池田市長(1期)。いけだ市民文化振興財団名誉顧問。旭日双光章受章。 大阪府出身。1969年東京農業大学農学部卒。同年池田市役所に入り、都市整備部長、収入役、助役などを務める。 2011年池田市長選挙に立候補し、当選。2015年に落選した。2017年秋の叙勲で旭日双光章を受章。
石原 憲一郎(いしはら けんいちろう、1947年 - )は、… 石原 憲一郎(いしはら けんいちろう、1947年 - )は、日本の造園系公務員で、景観園芸家。 神戸市に生まれる。兵庫県立長田高等学校から[要出典]1970年に東京農業大学農学部造園学科を卒業した。 建設省に入省し、総理府も含め、公園緑地や都市緑化、都市計画の政策立案までを担当する部署に勤務する。国際花と緑の博覧会の会場計画を担当した。 沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所長時代は、首里城正殿復元工事で現地責任者を務め、2019年の正殿焼失の際には無念の思いを語っている。 1993年から兵庫県庁に出向。淡路夢舞台造成における自然再生、兵庫県立淡路景観園芸学校の設立準備から建設運営に至る責任者(開校後は副校長、校長)といった活動に携わった。
大谷 剛(おおたに たけし、1947年 - 2019年)は、… 大谷 剛(おおたに たけし、1947年 - 2019年)は、日本の昆虫学者。専門は昆虫行動学。兵庫県立大学名誉教授。 1947年福島県生まれ。1970年東京農業大学卒業、1980年北海道大学大学院理学研究科博士課程単位取得退学。1981年(有)栗林自然写真研究所昆虫生態アドバイザー。1985年「ミツバチ雌成虫の巣内行動の研究」で北海道大学より理学博士の学位を取得。その後、(財)東京動物園協会職員を経て、1992年姫路工業大学助教授 兼 兵庫県立人と自然の博物館研究員。1996年同大学教授。2006年兵庫県立大学教授。2013年に定年退職、同大学名誉教授、兵庫県立人と自然の博物館名誉研究員。退職後は、神戸女学院大学元非常勤講師や朝日新聞RONZAの執筆者も務めた。
小林 忠夫(こばやし ただお、1947年 - 1998年)は… 小林 忠夫(こばやし ただお、1947年 - 1998年)は、日本の造園家。ランドスケープアーキテクト。竹中工務店設計部で活動し、数多くの作品を残した。
阿曽田 清(あそだ きよし、1946年10月20日 - )は… 阿曽田 清(あそだ きよし、1946年10月20日 - )は日本の政治家。元参議院議員、元熊本県宇城市長。
森井 忠司(もりい ただし、1946年9月9日 - 2018… 森井 忠司(もりい ただし、1946年9月9日 - 2018年8月24日)は、日本の経営者。エバラ食品工業社長を務めた。 東京都出身。1969年に東京農業大学農学部を卒業し、同年にエバラ食品工業に入社。1976年に取締役に就任し、1981年に常務、1984年に専務を経て、1986年に副社長に就任し、1995年5月には社長に昇格。2008年10月に相談役に就任。 2018年8月24日病気のために死去。71歳没。
北村 正平(きたむら しょうへい、1946年〈昭和21年〉8… 北村 正平(きたむら しょうへい、1946年〈昭和21年〉8月30日 - )は、日本の政治家。静岡県藤枝市長(5期)。 藤枝市立藤枝小学校、藤枝市立藤枝中学校、静岡県立藤枝東高等学校、東京農業大学農学部卒業。1969年に静岡県庁に入庁。農業水産部長等を経て、2007年に退職。 2008年5月25日に行われた藤枝市長選挙に出馬し、現職の松野輝洋を約1万2000票差で破り初当選した。6月20日、市長就任。 2012年、無投票により再選、2016年、無投票により3選。2020年、無投票により4選。 2024年の市長選挙は元兵庫県議会議員の小西彦治が立候補したことにより、16年ぶりの選挙戦となったが、5回目の当選を果たした(投票率54.97%)。
大澤 孝司(おおさわ たかし、1946年〈昭和21年〉6月2… 大澤 孝司(おおさわ たかし、1946年〈昭和21年〉6月21日 - )は、北朝鮮による拉致被害者と考えられる日本男性。特定失踪者問題調査会でも「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1974年(昭和49年)2月24日、失踪した。彼については、北朝鮮での情報がある。 1946年(昭和21年)6月21日、新潟県西蒲原郡巻町(現、新潟市西蒲区)に材木商を営む家の三男として生まれた。1965年(昭和40年)3月、新潟県立巻高等学校を卒業、4月に東京農業大学に進学した。横浜市に住む次兄の茂樹夫妻の家に下宿し、大学では農業水利を学んだ。1969年(昭和44年)、同大学を卒業し、帰郷して新潟県職員となった。
甲斐 元也(かい もとなり、1946年(昭和21年)4月7日… 甲斐 元也(かい もとなり、1946年(昭和21年)4月7日 - )は、日本の政治家。元新潟県佐渡市長(1期)。
海野 一幸(うみの かずゆき、1946年1月1日 - )は、… 海野 一幸(うみの かずゆき、1946年1月1日 - )は、日本の実業家。これまで山梨日日新聞の記者や山梨放送の取締役、ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ社長および会長、最高顧問、およびJリーグ理事会の理事に就いていた。 山梨県出身。山梨県立日川高等学校、東京農業大学卒業、外国留学を経て1970年に山梨日日新聞へ記者として入社する。山梨日日新聞では国政・県政において強い影響力を持っていた金丸信の番記者を任されるなど才能を買われ、1991年には同社の取締役編集局長に就任する。その後は山梨放送取締役、アドブレーン取締役を歴任する。2001年、ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ代表取締役社長に就任する。2012年から同社代表取締役会長に就任(2016年から「代表」の肩書が外れている)。
井上 剛宏(いのうえ たかひろ、1946年 - )は、日本の… 井上 剛宏(いのうえ たかひろ、1946年 - )は、日本の造園家。作庭家。これまで数多くの日本庭園を手がけてきた。日本各地および海外にて作庭活動を展開する傍ら、講演や作庭解説、指導、評論等も精力的に展開。 株式会社植芳造園代表取締役。東京農業大学客員教授、京都府立林業大学校特別教授。(社)日本造園学会・評議員。京都造形芸術大学、淡路景観園芸学校、札幌市立大学非常勤講師、京都府造園協同組合・理事長、京都府造園建設業協会長を歴任。 1984年、建設大臣最優秀賞受賞。1995年、東京農大造園大賞、第11回都市公園コンクール建設大臣賞受賞。2004年、黄綬褒章受賞。2002年、国土交通大臣賞受賞。[要説明] 商号を「植芳」とする京都の老舗造園師井上家の20代目の長男として、京都市太秦に生まれる。
涌井 雅之(わくい まさゆき、本名:涌井 史郎(わくい しろ… 涌井 雅之(わくい まさゆき、本名:涌井 史郎(わくい しろう)、1945年11月22日 - )は、日本の造園家。大学教授。三桂所属。神奈川県鎌倉市生まれ。 1969年 東京農業大学農学部造園学科卒業。東急グループ傘下の造園会社、石勝エクステリアを設立。造園家として多摩田園都市、全日空万座ビーチホテル、ハウステンボス、東急宮古島リゾート等のランドスケープ計画・デザインを手掛ける。1998年、東京農業大学造園学科非常勤講師。2000年、石勝エクステリア代表取締役を退任。2005年、愛・地球博会場演出総合プロデューサー。2010年、東京都市大学環境情報学部教授。2013年、岐阜県立森林文化アカデミー学長。
萬歳 章(ばんざい あきら、1945年8月13日 - )は、… 萬歳 章(ばんざい あきら、1945年8月13日 - )は、五泉市名誉市民。新潟県農業協同組合中央会(以下「JA新潟中央会」)名誉会長。全国農業協同組合中央会(JA全中)会長等を歴任。 新潟県五泉市生まれ。新潟県立加茂農林高等学校を経て、1968年東京農業大学農学部卒業。1998年3月-2006年12月、JA五泉よつば代表理事組合長・会長。2003年6月-2008年6月、JA新潟中央会・連合会・県本部副会長。2007年1月よりJA新潟みらい代表理事会長。2008年6月よりJA新潟中央会・連合会・県本部会長。2011年8月よりJA全中会長。2015年8月にJA全中会長を退任し、同年11月からJA新潟中央会名誉会長となる。
菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、… 菅原 勝矢(すがわら かつや、1945年4月4日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
吉田 和夫(よしだ かずお、1945年2月28日 - )は、… 吉田 和夫(よしだ かずお、1945年2月28日 - )は、日本の政治家。元新潟県胎内市長(3期)。旭日小綬章受章。 新潟県中条町(現・胎内市)出身。中条町立中条小学校、中条町立中条中学校、新潟県立新発田農業高等学校を経て東京農業大学農業経済学部を卒業。 製紙会社に勤務後、中条町役場に転職。中条町町民課長、中条町教育長などを歴任した。 2005年(平成17年)9月1日、中条町と黒川村が合併し胎内市が発足。これに伴って同年10月2日に行われた市長選挙に自民党と公明党の推薦を受けて出馬。中条町長の丸岡隆二との一騎討ちを制し初当選した(吉田:12,186票、丸岡:9,364票)。 2009年(平成21年)、無投票で再選。
大内 尚樹(おおうち なおき、1945年 - )は、日本の登… 大内 尚樹(おおうち なおき、1945年 - )は、日本の登山家。 小学生時代にシダ植物採取に夢中になり、中学生で登山に目覚めて山岳会に入会した。27歳で山岳同人・東京心岳会を設立し、そのメンバーで当時誰も手をつけていなかった未知未踏の海谷山塊の大岩壁群を開拓した。懸垂が1回もできないにもかかわらず、海谷山塊に1970年代前半の最高グレードVIにあたる高地岳北壁カールマルクス大フェースを初登するなど、当時を代表するクライマーの一人だった。1999年から中国・四姑娘山周辺に通い、10本以上のルートを初登攀している。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
尾形 武寿(おがた たけじゅ、1944年11月28日 - )… 尾形 武寿(おがた たけじゅ、1944年11月28日 - )は、日本の実業家。日本財団会長。 1944年11月28日生まれ。宮城県石巻高等学校を経て、東京農業大学農学部を卒業し、1980年に日本船舶振興会(現・日本財団)に入会。2005年7月から理事長を務めた。2025年6月20日、同日付で笹川陽平会長が退任し、後任に尾形武寿が就任。笹川は名誉会長に就任した。 1967年3月 東京農業大学農学部卒業
G・M・ナイルことゴパーレン・マダワン・ナイル(1944年8… G・M・ナイルことゴパーレン・マダワン・ナイル(1944年8月6日 - )は、インド国籍を持つ日本生まれのインド人実業家、タレント。東京農業大学非常勤講師。 第二次世界大戦中の1944年、インド独立運動家のA.M.ナイルの次男として、母 由久子の実家の茨城県で生まれた。第二次世界大戦終結後の1947年8月にイギリス領インド帝国が独立しインド共和国の国籍となるが、その後も日本にとどまる。 1968年に東京農業大学畜産学科を卒業したのち、1970年の大阪万国博覧会のインド館で働いた後、父ナイルが東京都中央区銀座に開いたインド料理専門店「ナイルレストラン」の経営を引き継ぎ、またナイル商会の役員として引き継ぎ日本にインド料理を紹介する。
小倉 清一郎(おぐら きよいちろう、1944年6月16日 -… 小倉 清一郎(おぐら きよいちろう、1944年6月16日 - )は、神奈川県横浜市中区出身の元社会人野球選手(捕手)で日本の高校野球指導者。 小学4年生から野球を始める。ポジションは当初、内野手や投手など色々してきたが、最終的に捕手となった。横浜市立大鳥中学校を経て法政二高の進学を目指したが、同校硬式野球部監督の田丸仁からユニフォームは着ることは出来るがレギュラーは難しいと言われた事から中学時代の監督に勧められて、横浜高校(以降:横浜)に進学し、硬式野球部に入部した。横浜の同期には渡辺元(現:渡辺元智)がいる。現役時代は甲子園の出場は叶わなかったものの県大会で準優勝を果たした。 高校卒業後、東京農業大学を経て、三菱自動車に入社。
近藤 勝彦(こんどう かつひこ、1944年5月 - )は、日… 近藤 勝彦(こんどう かつひこ、1944年5月 - )は、日本の植物学者。広島大学名誉教授。植物遺伝子資源学、細胞遺伝学専攻。多くの食虫植物に関する著作を執筆している。 名古屋市生まれ。父親は制御部品製造会社三明電機の社長の近藤誠宏(筆名、本名徳吉)で食虫植物愛好家であり、父親に伊吹山へ植物採集に連れて行ってもらったことや、父親がハエトリグサの栽培を始めたことから、植物に強い興味を抱くようになった。 1968年に東京農業大学を卒業後、ノースカロライナ大学チャペルヒル校植物学科で博士課程を修了した。1976年にメリーランド大学カレッジパーク校生物学科講師、広島大学助手となり、1979年講師、1982年助教授、1989年理学部教授となった。
井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のラ… 井上 忠佳(いのうえ ただよし、1944年- )は、日本のランドスケープアーキテクト・都市計画家。愛知県名古屋市生まれ。技術士、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。建設省でインハウスランドスケープアーキテクトとして行政・研究に従事した後、CLA(ランドスケープコンサルタンツ協会)専務理事、株式会社創建取締役副社長を歴任。 蓑茂寿太郎らと1971年に「Design With Nature」を刊行したイアン・マクハーグらの取り組みを扱った同人誌を発行し、ランドスケープアーキテクチュアの一つであるエコロジカル・プランニングの理念を紹介した人物。 このほか、花と緑と健康のまちづくりフォーラム理事。
榊原 八朗(さかきばら はちろう、1944年 - )は、日本… 榊原 八朗(さかきばら はちろう、1944年 - )は、日本の作庭家。ランドスケープ・アーキテクト。元明星大学造形芸術(デザイン)学部教授。日比谷公園ガーデニングショーガーデン部門審査委員長。(株)ランドアート代表、(社)静岡県造園緑化協会技術顧問、京都造形芸術大学#通信教育部講師。榊原ランドスケープデザイン塾主宰。 富士宮市の農家に生まれ、 父の道楽である庭普請を遊び場に育つ。 出入りの植木屋情報に、 何となく興味を抱き東京農業大学造園学科へ進学。在学中入会した盆景同好会では、静山流家元の矢尾板静山に 「盆景」を、卒業時からは飯田十基が師事した盆栽家川本藤吉の子息、 外国人相手に盆栽栽景教室を主宰していた川本敏雄に「栽景」を学ぶ。
渡辺 忠孝(わたなべ ただたか、1943年12月18日 - … 渡辺 忠孝(わたなべ ただたか、1943年12月18日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ディレクターである。実兄は作曲家、編曲家の筒美京平。 東京都港区生まれ。霊南坂教会付属の霊南坂幼稚園を経て、小学校から中学までは青山学院、高校は公立に通い、大学は東京農業大学の農芸化学科に進学した。大学を卒業後、1966年(昭和41年)に日本ビクターのフィリップス事業部に入社する。上司で音楽ディレクターの本城和治のアシスタントとしてザ・スパイダース、ザ・テンプターズ、ザ・カーナビーツ、ザ・リンド&リンダースといったグループサウンズに関わる。その後、単独でザ・ジャガーズを担当することになり1968年(昭和43年)にリリースされた5枚目のシングル「星空の二人」(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)をディレクション、1969年(昭和44年)にはブレッド&バターのデビューシングル「傷だらけの軽井沢」のディレクションをした。
小野 修一(おの しゅういち、1943年(昭和18年)11月… 小野 修一(おの しゅういち、1943年(昭和18年)11月12日 - )は、日本の政治家。元山梨県韮崎市長(2期)。旭日小綬章受章。 山梨県出身。東京農業大学農学部卒。卒業後は山梨県内の不動産管理会社に勤務する。韮崎市議会議員となり、議長を務めた。1994年の韮崎市長選挙に立候補したが、現職の秋山幸一に敗れ、落選。4年後の1998年の市長選挙に立候補し、現職の秋山を破って初当選した。2002年に再選。2006年の市長選挙では元山梨県議の横内公明に敗れ、落選した。2015年秋の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章。
小泉 武夫(こいずみ たけお、1943年8月27日 - )は… 小泉 武夫(こいずみ たけお、1943年8月27日 - )は、日本の農学者、発酵学者、文筆家。東京農業大学名誉教授(農学博士)。専門は、発酵学、食品文化論、醸造学。 福島県小野町の造り酒屋で、6人きょうだいの末っ子として生まれた。幼少時は走り回って囲炉裏の灰に突っ込んだこともあるほどヤンチャで、火傷を防ぐため祖母が柱に帯でつないだこともあったが、右手に身欠き鰊、左手に味噌を持たせると泣き止み、それらをしゃぶっている間は大人しかったという。実家には家族や従業員ら毎食20人分を用意する大きな台所があり、小学生の頃には鰹節を削ったり、ぬか床の手入れをしたりしていた。小学校4年の時、母が亡くなり落ち込んでいたのを見た父から、寂しさを紛らわさせるため専用の台所と調理用具一式を与えられ、料理にのめり込んだ。
儀間 光男(ぎま みつお、1943年(昭和18年)7月24日… 儀間 光男(ぎま みつお、1943年(昭和18年)7月24日 - )は、日本の政治家。政治集団「21令和の会」会長。参議院議員(1期)、沖縄県浦添市長(第10・11・12代)、沖縄県議会議長、沖縄県議会議員(4期)、浦添市議会議員(2期)、政党そうぞう最高顧問、日本維新の会沖縄県総支部代表等を務めた。 日本委任統治下の南洋諸島テニアン島に生まれる(本籍地は沖縄県島尻郡伊是名村字勢理客)。東京農業大学農学部卒業。 1972年、浦添市議会議員選挙に出馬し、初当選。2期8年にわたり浦添市議及び浦添市会計監査委員を務める。1980年、沖縄県議会議員選挙に鞍替えし、当選。県議を4期16年間務め、1992年から1996年まで沖縄県議会議長。
大場 秀章(おおば ひであき、1943年7月14日 - )は… 大場 秀章(おおば ひであき、1943年7月14日 - )は、日本の植物学者、東京大学名誉教授、東京大学総合研究博物館特招研究員。専門は植物分類学、植物文化史。理学博士。 大場秀章は1943年、東京都に生まれる。東京農業大学農学部に進むと1964年に卒業、同学大学院農学部農業拓殖専攻修士課程を1969年に中退する。翌1970年、東北大学に奉職(助手)、1973年に東京大学助手に転じる。1979年に同学大学院より博士号を授与され、同学講師(1980年)、同助教授(1981年)、1996年に同学教授職につくと2006年に定年退官。2024年9月時点で東京大学名誉教授、同学総合研究博物館の特任研究員、定年退官後はキュラトリアル・ワーク研究部の特任研究員として在籍する。
藤代 孝七(ふじしろ こうしち、1942年(昭和17年)12… 藤代 孝七(ふじしろ こうしち、1942年(昭和17年)12月15日 - )は、日本の政治家。千葉県船橋市長(第18・19・20・21代)。 千葉県船橋市長を務めた藤代七郎は父。 千葉県千葉郡豊富村(現在の船橋市古和釜町)生まれ。父・藤代七郎も元船橋市長であり、また祖父・曽祖父は旧豊富村長を務めた。千葉県立船橋高等学校、東京農業大学農学部卒業。千葉県議会議員を経て、1997年に船橋市長選挙に出馬し、当選した。 当初は4選不出馬を選挙公約に掲げていたが、2009年の船橋市長選ではその公約を反故にし、4選出馬を表明。多選批判をかわし、新人の野屋敷いと子らを僅差で下して4選を果たした。 2012年12月4日、翌2013年7月に実施される船橋市長選に出馬せず、4期で市長を引退する意向を表明した。
柳原 一成(やなぎはら かずなり、1942年9月25日 - … 柳原 一成(やなぎはら かずなり、1942年9月25日 - 2022年1月29日)は、日本の料理研究家である。近茶流宗家。東京都出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校、東京農業大学農学部卒業。 父は先代宗家の柳原敏雄(1912年 - 1991年)で、息子は近茶流嗣家の柳原尚之である。 日本料理の指導だけでなく、食材に研究、テレビ番組の出演やテレビドラマの料理指導のスタッフして活躍していた。 本職だけでなく母校の東京農業大学の客員教授・儀礼文化学会の常務理事も務めていた。 東京都港区に自宅、長野県軽井沢町に別荘と畑があり、両地をよく行き来していた。 2022年1月28日夜、群馬県安中市の国道18号を自身が運転する軽ワゴン車で走行中、側道との分岐にある縁石にぶつかり横転した。
奥山 茂彦(おくやま しげひこ、1942年9月4日 - 20… 奥山 茂彦(おくやま しげひこ、1942年9月4日 - 2017年12月18日)は日本の政治家、衆議院議員を2期務めた。旭日重光章受章。 京都市伏見区出身。京都府立桃山高等学校及び東京農業大学を卒業、慶應義塾大学を中退した。前尾繁三郎に共鳴し政治を志し1974年の補選で伏見区選挙区から京都市議に当選した。1986年市会議長、1995年の第13回統一地方選挙で7期目となる連続当選を果たした。 1996年第41回衆議院議員総選挙では自民党公認の新人候補として京都3区から立候補し、日本共産党の現職寺前巌に敗北したが比例復活で初当選を果たした。当選後は京都府政界の実力者野中広務の所属する総裁派閥平成研究会に入会した。
加藤 功(かとう いさお、昭和17年(1942年)8月9日 … 加藤 功(かとう いさお、昭和17年(1942年)8月9日 - )は日本の実業家。元厚生省職員、環境庁職員。元米子商工会議所青年部代表理事。 元加藤商事会長加藤章の四男。元三井銀総合研究所社長加藤裕は長兄。 鳥取県米子市出身。家業は建設資材卸売業。 昭和40年(1965年)東京農業大学農学部造園科卒業、同年厚生省国立公園局入省。昭和48年(1973年)徳島県に出向。 昭和53年(1978年)環境庁退職後、加藤商事勤務。米子に帰った当初は家業の仕事を覚えること、父が病気がちであったことから父の秘書役をすることで一生懸命であった。 昭和59年(1984年)加藤ホームサービス代表取締役、昭和61年(1986年)加藤商事専務取締役に就任。
大森 正司(おおもり まさし、1942年5月6日 - )は、… 大森 正司(おおもり まさし、1942年5月6日 - )は、日本の食物科学者。大妻女子大学名誉教授。「お茶博士」と呼ばれる。 東京都生まれ(宮城県出身とする記述もある)。東京農業大学農芸化学科卒業、同大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士課程修了。農学博士。当初は農薬の研究者だったが、小幡弥太郎の指導がきっかけとなり、お茶の研究を行うようになった。 1970年大妻女子大学家政学部専任講師、1976年助教授、1994年教授。2004-2008年家政学部長。2013年定年退職、名誉教授。NPO法人日本茶普及協会理事長、NPO法人日本食行動科学研究所理事、お茶料理研究会事務局長、大妻女子大学「お茶大学」校長、茶需要拡大技術確立推進協議会会長などを歴任した。
上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年〈昭和17年〉4月… 上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年〈昭和17年〉4月12日 ‐ )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)、宮崎県議会議員(2期)、自治大臣(第50代)、国家公安委員会委員長(第60代)を歴任した。 宮崎県西都市生まれ。1961年宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。1966年東京農業大学社会通信教育部農業科修了。1971年、宮崎県議会議員に当選(2期)。1983年、衆院選に宮崎1区から立候補するが、落選。1986年、参議院議員に初当選し以後3期連続当選。 1990年に第2次海部内閣で大蔵政務次官、1997年に第2次橋本内閣改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長、1998年に小渕内閣で内閣官房副長官など要職を歴任。
佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は… 佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は、日本の政治家。大日本猟友会会長。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員(4期)を歴任。 岩手県西磐井郡花泉町(現一関市)出身。岩手県立一関第一高等学校、東京農業大学を卒業後、鹿島建設が出資する牧場に就職。間もなく事業撤退により解散。解散後は一時盛岡市役所に勤務した。その後栃木県の酪農協同組合勤務を経て、地元で農業に従事していたが、1979年に岩手県議会議員に当選。当選後は自由民主党に入り、県議を4期務める。1993年自民党衆議院議員小沢一郎の離党に伴い自民党を離党し新生党系会派「研政会」を結成。翌1994年に新生党に入った。同年暮れ、新進党が結党され、同党に入党した。
山口 吉彦(やまぐち よしひこ、1942年 - )は、日本の… 山口 吉彦(やまぐち よしひこ、1942年 - )は、日本の文化人類学研究者。アマゾン民族館・アマゾン自然館館長(2014年3月、共に閉館)。致道博物館評議員。 1942年、山形県鶴岡市に生れる。1965年、東京農業大学農業拓殖科卒業。フランスのボルドー大学へ留学し、のちにリヨン大学へ移る。1971年、ペルーの日本語学校で講師となる。アマゾン奥地のインディオ集落などを調査する。1975年、結婚。1982年、自宅に「アマゾン資料館」を開設し、これまで収集した資料を公開する。1985年、外国人留学生に、ホームステイなどを体験させる「庄内国際青年祭」を実施する。1987年、国際交流活動組織「庄内国際交流協会」を発足させる。
兵頭 勲(ひょうどう いさお、1942年 - 2022年6月… 兵頭 勲(ひょうどう いさお、1942年 - 2022年6月15日)は、日本の農学博士(畜産学)、元東京都畜産試験場長。 1942年、愛媛県東宇和郡野村町前石(現・西予市)に生まれる。 1960年、愛媛県立野村高等学校を卒業。同年東京農業大学に入学、同大学院農学科畜産を専攻する。大学院修了後は、駒沢学園女子高等学校で生物の教鞭を執っていた。しかし、日本の農業に携わる仕事への欲求から、1971年に東京都職員となり、新島での養豚の技術指導に当たる。その後、東京都畜産試験場で研究員として養豚を担当する。 東京都畜産試験場で、環境畜産部長、畜産試験場長を経て2002年3月に東京都畜産試験場を退職する。 その後は、東京都農業会議や民間会社の役員を歴任。
井上 芳治(いのうえよしはる、1941年11月23日 - 2… 井上 芳治(いのうえよしはる、1941年11月23日 - 2016年8月9日)は、ランドスケープアーキテクトで環境設計株式会社設立者。ランドスケープコンサルタンツ協会(CLA)関西支部長・副会長、顧問を歴任。技術士建設部門:都市及び地方計画。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。大阪芸術大学で非常勤講師も務めた。 兵庫県尼崎市生まれ。大阪府立園芸高等学校を経て、1964年東京農業大学卒業後、東京コンサルタンツに入社。その後、近代造園研究所大阪事務所の活動に加わって、千里ニュータウンなどの公園緑地設計に携わる。同研究所閉所を機に1968年に環境設計株式会社を創業し取締役。同時に日本造園設計事務所連合の活動に参加。
河内 紘一(こうち こういち、1941年(昭和16年)11月… 河内 紘一(こうち こういち、1941年(昭和16年)11月12日 - )は、元愛媛県喜多郡内子町長。 喜多郡内子町生まれ。1959年(昭和34年)愛媛県立内子高等学校卒業、1963年(昭和38年)東京農業大学農業経済学部卒業、家業の農業に就く。1979年(昭和54年)より2009年(平成21年)まで旧内子町長を連続7期、平成の町村合併後の新・内子町長を1期務めた。 内子町長在職当時、最初は町並み保存を手かがりに、やがて「町並みから村並みへ」、「エコロジータウン内子」を掲げ、町政を進めてきた。具体的には、町長就任後の昭和50年代には町中心部の旧街道沿道に保存されていた八日町・護国地区において町並み保存を手がけ、同地区は昭和61年に重要伝統的建造物保存群に選定された。
高家 博成(たかいえ ひろしげ、1941年10月31日 - … 高家 博成(たかいえ ひろしげ、1941年10月31日 - )は、日本の昆虫学者、絵本作家。 京都府生まれ。1969年東京農業大学大学院農学研究科農学専攻博士課程修了。1978年農学博士(境博成)。多摩動物公園昆虫飼育係長を務めた。昆虫に関する書籍やテレビ番組の監修、ラジオ番組への出演など幅広く活躍し、子どもたちに昆虫や生き物の魅力を伝え続けている。生き物の生態をおさえた絵本や紙芝居作品の人気も高い。92年『あめんぼがとんだ』で日本科学読物賞受賞。
土屋 公幸(つちや きみゆき、1941年2月1日 - 201… 土屋 公幸(つちや きみゆき、1941年2月1日 - 2018年6月5日)は、日本の哺乳類学者。学位は、農学博士(東京農業大学・論文博士・1975年)。東京農業大学名誉教授。 1941年、東京都生まれ。1964年、東京農業大学農学部卒業。 元東京農業大学野生動物学研究室教授、元太美生物研究所所長、元株式会社応用生物生物資源研究室特任研究員。ネズミやモグラを中心とした幅広い研究を行う。 1975年、「日本産アカネズミ類の種分化に関する核形態学的および生化学的研究」で、東京農業大学より農学博士の学位を取得。 学芸員資格をもち、宮崎県および山梨県のレッドデータ哺乳動物部門の調査・執筆を担当する。 2010年、野生小哺乳類の染色体・系統分類と実験動物化に関する長年の研究業績を認められ、平成22年度(第3回)日本哺乳類学会賞を受賞した。
藤澤 順一(ふじさわ まさかず、1940年(昭和15年)8月… 藤澤 順一(ふじさわ まさかず、1940年(昭和15年)8月24日 - )は、日本の政治家。元茨城県つくば市長(2期)、元茨城県議会議員(5期)。 1940年、旧新治郡桜村の生まれ。東京農業大学農学部卒業後、筑波学園病院理事長や茨城県レクリエーション協会会長、茨城県少年軟式野球連盟会長を務め、茨城県議連続5期。 1996年の市長選でつくば市長に就任し、2000年の市長選に於いて再選。3期目をめざした2004年の市長選で、自民県議から転身した市原健一に敗れる。 2008年の市長選にて再出馬するも、つくば市内の100以上の団体の推薦を受けた、現職の市原に再び敗れた。 2015年11月、旭日小綬章受章。
磯 良史(いそ よしふみ、1940年(昭和15年)6月26日… 磯 良史(いそ よしふみ、1940年(昭和15年)6月26日 - )は、日本の政治家。実業家。元茨城県笠間市長((3期)。 東京農業大学農学部卒業。 会社社長、茨城県醸造組合理事、小中学校PTA会長、笠間市教育委員を経て、1994年(平成6年)笠間市長に当選した。 笠間市長を2006年まで3期務め、合併後の笠間市長選挙に立候補しなかった。
大沢一彦(おおざわ かずひこ、1940年5月10日 - )は… 大沢一彦(おおざわ かずひこ、1940年5月10日 - )は、日本の実業家。日本食研創業者・会長で、同社を含む日本食研グループ16社の最高経営責任者。 1940年、愛媛県今治市出身。愛媛県立今治南高等学校を経て、1963年東京農業大学卒業。 1971年10月、大沢一彦ら6名で、高松市にて畜産加工研究所として創業。1973年2月13日、株式会社畜産加工研究所設立。1975年2月、日本食研株式会社に商号変更。 異業種交流等も主宰。焼肉のたれ 宮殿のCMに出演。 2010年4月、藍綬褒章を受章。 2020年4月、今治市名誉市民の称号を授与される。 2023年4月、旭日小綬章受章。同年5月、食料産業特別貢献大賞受賞。
魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月… 魚住 汎英(うおずみ ひろひで、1940年〈昭和15年〉2月11日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(2期)、防衛政務次官、熊本県議会議員(3期)、菊池市議会議員(4期)を歴任。父は元熊本県議会議員の魚住一海。 熊本県立熊本高等学校・成城大学経済学部・東京農業大学(通信)畜産学科卒業。菊池市議会議員、熊本県議会議員を経て1986年の第38回衆議院議員総選挙にて初当選。自由民主党所属。 1993年の第40回衆議院議員総選挙において自民党を離党した新生党議員で唯一の前職落選者。 2007年の、第21回参議院議員通常選挙に、郵政民営化法案に反対したことを理由に公認が得られず、無所属で熊本県選挙区から立候補することを模索も断念し、引退。
山本 紀久(やまもと のりひさ、1940年 - )は、日本の… 山本 紀久(やまもと のりひさ、1940年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。社団法人 ランドスケープコンサルタンツ協会 参与、株式会社愛植物設計事務所 会長。栃木県生まれ。 1963年、東京農業大学農学部造園学科卒業。卒業後は、第一園芸株式会社造園部に、1970年からは東洋造園土木部に勤務し、個人庭園、別荘地、超高層ビル周り、工場緑化、埋立地緑化など現場を体験。1973年、愛植物設計事務所設立、代表として経営にあたる傍ら、1987年東京理科大学工学部建築学科非常勤講師、1990年東京農業大学非常勤講師、同客員教授、日本工業大学非常勤講師などを歴任。 主な作品は、東京ディズニーランド、ダイキン工業アレス青谷、沖縄海洋博ドリームセンター、らんの里堂ヶ島及び沖縄ビオスの丘、八景島シーパラダイス、国営ひたち海浜公園砂丘ガーデン、多摩昆虫生態園、立川根川緑道、国営滝野すずらん丘陵公園、広島西部丘陵都市開発法面緑化沖縄県総合運動公園植栽設計と管理マニュアル作成(1977、1990年)、沖縄県観光修景緑化計画、赤城自然観察園基本設計と監理(1984から1986年)、日本住宅公団花と香りの植栽シート作成、パークシティ浜田山植栽設計・監理、アサヒビール茨城工場造園設計、東京ベイヒルトン・インターナショナル、アーベインビオ川崎他、数多くの植栽設計を手がける。
横田 尚武(よこた なおたけ、1940年 - )は、日本の篤… 横田 尚武(よこた なおたけ、1940年 - )は、日本の篤農家。 長野県飯田市出身。長野県飯田長姫高等学校を卒業後、単身ブラジルに渡り日系農場での農業研修を経て独立、サンパウロ近郊でジャガイモやダイズを生産する農場主となる。また、かつてはバイア州において「不毛の大地」と呼ばれてきたセラード地帯の農業開拓に関わる。 かつては東京農業大学などで講演をしたこともある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 202… 宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 2022年9月3日)は、日本の河川工学者、関東学院大学工学部名誉教授。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)生まれ。1966年東京農業大学大学院修士課程修了。1975年「水害と土地利用に関する実証的研究」で東京大学工学博士。関東学院大学工学部助教授、1985年教授。2010年名誉教授。横浜歴史資産調査会代表、NPO法人本所深川代表。宮村河川塾を開いた。2019年、個人として初めて水防功労者国土交通大臣表彰を受けた。2022年9月3日、菌血症のため死去。83歳没。 1987年、当時関東学院大学の工学部の教授であった宮村らが中心となって、工学部土木工学科の中に全国初の「女子クラス」が誕生した。
鈴木 進悦(すずき しんえつ、1939年(昭和14年)5月1… 鈴木 進悦(すずき しんえつ、1939年(昭和14年)5月10日 - )は、日本のボクサー。 東京農業大学在学中に、1960年ローマオリンピックに男子フェザー級で出場し、2回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
内野宮 正英(うちのみや まさよし、1938年11月29日 … 内野宮 正英(うちのみや まさよし、1938年11月29日 - 2019年2月)は、日本の政治家。宮崎県児湯郡川南町長(2期)。 東京農業大学卒業。JA尾鈴参事などを経て、1999年に川南町議会議員に初当選。2001年5月1日から2002年9月24日まで第32代議長を務めた。2003年4月の川南町長選挙で初当選を果たした。同月27日に就任した。2007年の町長選挙では無投票で再選を果たした。 2007年とは一転して、選挙戦となり新人3人との争いとなったが、日高昭彦に敗れて落選した。 ※当日有権者数:13,596人 最終投票率:73.76%(前回比:-pts) 在任中は口蹄疫と鳥インフルエンザに見舞われた。
青木 太一郎(あおき たいちろう、1938年〈昭和13年〉7… 青木 太一郎(あおき たいちろう、1938年〈昭和13年〉7月2日 - )は、新潟県新潟市西区出身の政治家。新潟県立新潟南高等学校卒業、東京農業大学修了。新潟県議会議員(7期)、黒埼町長(1期)、黒埼町議会議員を歴任した。勲等は旭日中綬章。 新潟県立新潟南高等学校を卒業後、家業の農業に従事する傍ら、村の青年団に入り、後に団長を務める。1958年(昭和33年)に東京農業大学農学部を通信制で修了。1971年(昭和46年)から黒埼町議会議員を務め、3期目途中で辞任し、1981年(昭和56年)に行われた黒埼町長選に出馬。当時の浅妻茂一郎町長に挑んだが、落選。4年後の町長選では同じ顔合わせになり、7443票を集めて当選する。