小川 修三(おがわ しゅうぞう、1924年5月8日 - 20… 小川 修三(おがわ しゅうぞう、1924年5月8日 - 2005年1月9日)は、日本の物理学者(素粒子物理学)。名古屋大学名誉教授、広島大学名誉教授。 1924年、山口県都濃郡徳山で生まれた。徳山で育つが、1940年3月に三重県四日市市に転居したことに伴い、徳山中学校から富田中学校に移った。第八高等学校理科で学び、1944年9月に卒業。名古屋帝国大学理学部物理学科へ進学し、1947年に卒業。 卒業後は、同年12月より同大学の幅助手となった。1949年に理学部の文部教官となり、翌1950年に助手となった。1955年に学位論文『相互作用の普遍性に関する研究』を名古屋大学に提出して理学博士号を取得。同年4月より、広島大学理学部講師となった。
山寺 秀雄(やまてら ひでお、1924年 - )は、日本の化… 山寺 秀雄(やまてら ひでお、1924年 - )は、日本の化学者。理学博士。専門は、無機化学で、名古屋大学名誉教授、大同工業大学名誉教授。京都府出身。
白尾 恒吉(しらお つねきち、1924年 - 2017年2月… 白尾 恒吉(しらお つねきち、1924年 - 2017年2月21日)は、日本の数学者、都留文科大学名誉教授。 名古屋大学理学部卒業。理学博士。名古屋大学教養部教授、東京都立大学 (1949-2011)理学部教授、青山学院大学理工学部教授などを歴任。1990年都留文科大学学長、1996年退任、同大学名誉教授。2017年死去。2001年、勲三等旭日中綬章受章。叙従四位。
有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 20… 有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 2007年12月10日)は、日本の生理学者。医学博士。チューレーン大学名誉教授。慶應義塾大学医学部客員教授。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校および第七高等学校卒業。1951年名古屋大学医学部卒業後、イェール大学での研究生活を経て、1965年からチューレーン大学でアンドリュー・ウィクター・シャリー博士の下で、視床下部ホルモンの研究に従事した。ノーベル生理学医学賞(1997年)を受賞したシャリー博士の研究には、3人の日本人(有村章、馬場義彦、松尾寿之)が直接的に貢献したと言われているが、有村博士は、そのうちの1人。その後、有村博士は、1985年日本の財界の協力を得てチューレーン大学・日米協力生物医学研究所(U.S.-Japan Biomedical Research Laboratories)を設立、同研究所長となり、そこを拠点として、神経科学の発展に貢献した。
河合 邦人(かわい くにと、1923年(大正12年)12月5… 河合 邦人(かわい くにと、1923年(大正12年)12月5日 - 1983年(昭和58年)10月13日)は、日本の実業家、教育者、政治家。河合塾創始者である河合逸治の二男。 広島県世羅郡世羅町出身。1943年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。高校教師を経て、戦後間も無く父・逸治を助け河合塾の経営に参画。また広島県東広島市の喜久牡丹酒造専務を兼任、のち社長も歴任した。さらに1963年4月に広島県議会議員に初当選(通算4期務めた後、5期目の任期中に病死)。翌1964年、父の後を継ぎ河合塾理事長に就任。当時、名古屋市内に2つだけだった塾を予備校の他、外国語専門学校など積極経営で拡張、のちに河合塾経営に参画した兄・河合斌人と共に1977年、駒場校開校を皮切りに同塾の全国展開を図り三大予備校の1つに育てあげた。
早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月… 早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月16日 - 1992年〈平成4年〉2月5日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)、素粒子物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は、高エネルギー天体物理学、宇宙論、赤外線天文学。愛媛県新居郡新居浜町(現・愛媛県新居浜市)出身。二男は同じく物理学者の早川尚男。 卒業研究に朝永ゼミに入ったことをきっかけに素粒子、宇宙線の研究を始める。卒業後友人の碓井恒丸(名古屋大学名誉教授)の紹介で気象台に勤めて素粒子論的宇宙線の研究を始める。初期の論文は素粒子論の応用の色彩が強かったが渡米後、本格的な宇宙線研究者になる。1953年にはγ線天文学の提唱、1955年には宇宙線の超新星起源説等を唱えた。
福井 崇時(ふくい しゅうじ、1923年(大正12年)8月1… 福井 崇時(ふくい しゅうじ、1923年(大正12年)8月19日 - 2018年(平成30年)5月4日)は、日本の物理学者。名古屋大学名誉教授。1957年、高エネルギー荷電粒子の飛跡を観測する「放電箱」(ディスチャージチェンバー、後のスパークチェンバー)を開発、1961年仁科記念賞、1962年朝日賞(文化賞部門)を、いずれも宮本重徳とともに受賞。1985年紫綬褒章、1993年勲三等旭日中綬章、2001年イタリア共和国功労賞コメンダトーレ三等騎士勲章。著書に『身近な物理の世界』(1991年)、『粒子物理計測学入門』(1992年)がある。 また1966年のノーベル物理学賞の候補に挙がっていたことが判明している 。
森 幹郎(もり みきお、1923年5月29日 - )は、日本… 森 幹郎(もり みきお、1923年5月29日 - )は、日本の老年学・ハンセン病史学者。専門は老年学(比較老年学及び政策老年学)。 名古屋大学経済学部卒業。邑久光明園(国立ハンセン病療養所)、国立東京光明寮(視力障害者リハビリテーションセンター。現・国立身体障害者リハビリテーションセンター)、厚生省社会局(老人福祉専門官)勤務、長野大学産業社会学部教授、奈良女子大学生活環境学部教授、花園大学社会福祉学部教授。1991年退職。
丹羽 義信(にわ よしのぶ、1923年4月12日 - 201… 丹羽 義信(にわ よしのぶ、1923年4月12日 - 2019年12月23日)は、日本の英語学者、名古屋大学名誉教授。 愛知県生まれ。名古屋大学文学部言語学科卒、同大学院修士課程修了。1975年「古代英語動詞接頭辞Ge-の研究」で名大文学博士。名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校教諭、名古屋大学教養部助教授、同言語文化部教授、1987年定年退官、名誉教授、中部大学教授、名古屋女子大学教授。1988-94年外国語教育メディア学会会長。2000年勲三等旭日中綬章受勲。 2019年12月23日、老衰のため、愛知県岩倉市の病院で死去。96歳没。死没日をもって正四位に叙される。
大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 19… 大武 幸夫(おおたけ ゆきお、1923年3月24日 - 1994年1月28日)は、日本の政治家。元福井市長。福井市名誉市民。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 福井県福井市出身。1946年、名古屋帝国大学医学部卒業後、福井市に勤務し、厚生部長、総務部長等を歴任。1974年、前市長死去に伴い行われた福井市長選挙で立候補し、初当選。以後連続5期20年に亘り市長を務めた。 在任中は、30万人都市実現を目標とし、都市開発、教育文化、国際交流等を推進し、福井市の発展に寄与。また、特に、治水・利水対策には、「百年の計」との思い入れがあって注力し、九頭竜川鳴鹿大堰の建設推進等に努力した。 在任中の1994年1月28日、肝不全のため死去。
大澤 文夫(おおさわ ふみお、1922年12月10日 - 2… 大澤 文夫(おおさわ ふみお、1922年12月10日 - 2019年3月4日)は、日本の物理学者(生物物理学)。理学博士(名古屋大学・1958年)。名古屋大学名誉教授、大阪大学名誉教授、日本学士院会員。勲等は勲二等。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、新字体で大沢 文夫(おおさわ ふみお)とも表記される。ラテン文字転写ではFumio Oosawaとも表記される。 名古屋帝国大学理学部助手、名古屋大学理学部教授、名古屋大学理学部分子生物学研究施設施設長、愛知工業大学教授などを歴任。 1922年(大正11年)12月10日に大阪府で生まれた物理学者。日本の生物物理学の創設・開拓・牽引者として知られる。戦後、学問研究では異端とも思える状況の中で、物理学者の立場から生物の研究を開始した。
飯島 宗一(いいじま そういち、1922年11月28日 - … 飯島 宗一(いいじま そういち、1922年11月28日 - 2004年3月1日)は、日本の医学者(病理学者)である。医学博士。広島大学第4代学長、名古屋大学第8代総長。 長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)、旧制松本高校理科乙類を経て、1946年名古屋帝国大学医学部卒業。1955年西ドイツのフライブルク大学に留学。1958年名古屋大助教授を経て、1961年から広島大学医学部で原爆症を研究。同大学教授を歴任、大学紛争の中、46歳で広島大学学長となり、紛争収束後の大学再建を指揮した。広大学長を辞した後、1978年に母校の名古屋大学に移り、同大学医学部病理学科教授、同大学学長を歴任した。
竹下 重人(たけした しげと、1922年(大正11年)9月2… 竹下 重人(たけした しげと、1922年(大正11年)9月26日 - 2005年(平成17年)2月6日)は、日本の弁護士。専門は税務訴訟。女優の竹下景子は娘。 長崎県佐世保市 針尾出身。ソ連によるシベリア抑留後、帰国。国税局勤務を経て、司法試験に合格。名古屋弁護士会副会長などを歴任。 長崎県針尾島に4人兄弟の次男として生まれた。家は貧しく父は国鉄の貨物列車の機関士だった。国のために役立つ人間になりたいと勉学に励んでいたため、小学校時代の成績は全て甲だった。「島の神童」だった。読書が好きで特に釘付けになっていたのは満州のことが書かれた『少年倶楽部』だった。旧制大村中学校(現:長崎県立大村高等学校)に入学した。
角 五郎(かど ごろう、1922年8月26日 - 1990年… 角 五郎(かど ごろう、1922年8月26日 - 1990年7月24日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。 北海道室蘭市出身。1942年に名古屋高等商業学校を卒業し、1945年10月に北海道新聞社に入社。1977年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1982年に道新通信社社長に就任。1984年に北海道文化放送社長に就任し、1988年6月には会長に就任。 1990年7月24日に肝不全のために死去。67歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月… 阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉8月)は、日本の医学者。医学博士(名古屋大学)。ミシシッピ州立大学(英語版)医学部教授。テキサス・ハート・インスティテュート教授。国立循環器病センター研究所副所長。テルモ社長。日本人工臓器学会名誉会長。世界で初めて人工心臓を開発し、人工心臓の父と呼ばれる。 1957年、クリーブランド・クリニック(アメリカ・オハイオ州)に留学。そこで、人工心臓の開発に取り組み、1958年、ウィレム・コルフ博士とともに、世界で初めて開発した人工心臓を使って、イヌを約1.5時間生存させることに成功した。その後、ニューヨーク州立大学、ミシシッピ州立大学、テキサス・ハート・インスティテュートで研究開発、改良を進め、動物実験での生存記録更新等成果を出した。
渡邊 進(わたなべ すすむ、1922年〈大正11年〉6月15… 渡邊 進(わたなべ すすむ、1922年〈大正11年〉6月15日 - 2003年〈平成15年〉12月22日)は、日本の医師・医学者・教育者・元地方公務員・医学博士(北海道大学)。北海道女子大学名誉学長・北海道女子短期大学名誉教授である。北海道出身で「渡辺進」とも表記される。 ただし、北海道女子短期大学記念誌では、「渡邉進」と表記されている。 1946年(昭和21年)、名古屋帝国大学医学部公衆衛生科を卒業する。同医学部助手を務める。翌年の1947年(昭和22年)に医師免許を取得する。 1948年(昭和23年)、札幌市役所教育部技師として入所する。 1949年(昭和24年)、札幌市保健所に入所する。1956年(昭和31年)、同所長となる。
林 政義(はやし まさよし、1922年5月12日 - 201… 林 政義(はやし まさよし、1922年5月12日 - 2014年4月26日)は、日本の電気技術者。中部電力代表取締役副社長や、動力炉・核燃料開発事業団理事長、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長、日本原子力学会会長等を歴任した。 1946年名古屋帝国大学工学部卒業、中部配電入社。1961年中部電力本店東名古屋送変電建設所次長。1969年中部電力名古屋支店次長。1972年中部電力支配人本店系統運用部長。1977年中部電力取締役長野支店長。1979年中部電力常務取締役。1981年中部電力取締役副社長。1983年中部電力代表取締役副社長。1984年動力炉・核燃料開発事業団理事。1986年動力炉・核燃料開発事業団理事長、中部電力顧問。
伊東 泰治(いとう やすはる、1922年4月18日 - 20… 伊東 泰治(いとう やすはる、1922年4月18日 - 2013年4月2日)は、日本のドイツ文学者。名古屋大学名誉教授。 1922年、山口県萩市で生まれた。1940年に山口県立山口中学校を卒業し、東京高等学校文科乙類に進んだ。1942年に卒業。京都帝国大学文学部ドイツ文学専攻に進み、1946年に卒業。 修了後は、三重県立医科大学予科教授に就いた。三重県立大学助教授、金沢大学法文学部助教授を経て、名古屋大学分校助教授に就いた。その後教養部助教授に配置換えとなり、教養部教授昇格。名古屋大学総合言語センター教授に配置換えとなり、同センター長を併任した。名古屋大学在職中、西ドイツ・アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生として渡独し、ミュンヘン大学、ハイデルベルク大学、フライブルク大学に滞在して在外研究。
上崎 暮潮(うえさき ぼちょう、本名:上崎 孝一、1922年… 上崎 暮潮(うえさき ぼちょう、本名:上崎 孝一、1922年(大正11年)3月19日 - 2013年(平成25年)11月6日)は、日本の俳人。日本伝統俳句協会四国支部長名誉理事。徳島県出身。 1947年、名古屋帝国大学(現在の名古屋大学)卒業。高浜虚子等に師事し、第二次世界大戦前より俳誌「ホトトギス」に作品を発表してきた。1946年に徳島県内俳誌の草分けの一つである「祖谷」創刊に携わり、1987年から主宰を務める。 1995年に句集「花鳥阿波」で徳島県出版文化賞、2002年に芦屋国際俳句祭で文部科学大臣賞、2007年に徳島新聞賞(文化賞)を受賞した。 日本伝統俳句協会四国支部長や理事を務めた後、2008年より名誉理事となる。
末廣 重二(すえひろ しげじ、1921年10月13日 - 2… 末廣 重二(すえひろ しげじ、1921年10月13日 - 2003年12月8日)は、日本の国土交通技官、理学博士。気象庁長官を務めた。 東京都出身。1946年に名古屋帝国大学理学部を卒業し、同年に気象庁に入庁。1979年に観測部長を経て、1983年4月から1985年3月までに長官を務めた。 1994年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年12月8日に肺炎のために死去。82歳没。
瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4… 瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4月2日)は、日本のアマチュア野球指導者、元アマチュア野球選手、体育学者。長男は野外活動、レクリエーション活動研究を専門とする中京大学スポーツ科学部スポーツ健康科学科教授の瀧克己。 愛知県一宮市出身。1936年に中京商業学校に入学し野球部に入り、5回甲子園大会に出場。1937年夏の第23回全国中等学校優勝野球大会及び1938年春の第15回選抜中等学校野球大会で捕手として優勝を経験している。バッテリーを組んだのは野口二郎であった。 中京商業を卒業後に名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学経済学部)に進学した後、軍隊に入りマレーシアへ出征。終戦後のマレーシアでの捕虜生活を経て1947年に内地復員を果たす。
祖父江 逸郎(そぶえ いつろう、1921年3月19日 - 2… 祖父江 逸郎(そぶえ いつろう、1921年3月19日 - 2021年3月29日)は、日本の医師(神経内科)、軍医。 公益財団法人 長寿科学振興財団名誉理事長および名古屋大学名誉教授、愛知医科大学名誉教授。息子に学校法人愛知医科大学理事長・愛知医科大学学長の祖父江元。愛知県名古屋市出身。 愛知一中を経て、1943年に名古屋帝国大学医学部卒業。海軍軍医学校での訓練を経て軍医中尉となり、戦艦大和に乗艦。乗組軍医としてマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に従軍した。1945年1月に広島県江田島の海軍兵学校大原分校に転勤(乗艦していた大和は1945年4月沈没)。8月6日の広島原爆投下の3日後に現地調査を行った。 戦後は1950年代から多発した「薬害スモン」のほか、筋萎縮性側索硬化症(ALS)やパーキンソン病など難病の原因究明や治療法の開発に貢献。
江崎 誠三 (えさき せいぞう、1921年3月1日 - 20… 江崎 誠三 (えさき せいぞう、1921年3月1日 - 2002年5月27日)は、元豊田通商代表取締役社長、会長。他に、第7代東海日中貿易センター会長、中国青島市経済顧問等を務めた。 三重県津市出身。1941年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。 1982年に藍綬褒章、1992年に勲三等旭日中綬章を受章。2002年5月27日、すい臓がんのため81歳で逝去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1… 御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1月5日 - 2015年〈平成27年〉6月28日)は、日本の医学者。名古屋大学名誉教授。宇宙医学と視覚生理学の分野での功績で知られている。1995年(平成7年)、勲三等旭日中綬章受章。大分県佐伯市出身。 私生活では俳句と書道を嗜んだ。肺炎療養中であった俳人の山口誓子と知り合い、俳句を学んだ。 伯父はキヤノン創設者の御手洗毅。弟の御手洗冨士夫はキヤノン会長兼社長を務める。元キヤノン社長の御手洗肇は従兄にあたる。
加藤 隆一(かとう りゅういち、1920年6月21日 - 2… 加藤 隆一(かとう りゅういち、1920年6月21日 - 2011年10月3日)は、元東海銀行頭取、会長。名古屋商工会議所会頭、名古屋銀行協会会長、中経連副会長等を歴任。1996年、英国より大英帝国勲章(司令官CBE)を受勲。愛知県出身。
八木 国夫 (やぎ くにお、1919年6月24日 - 200… 八木 国夫 (やぎ くにお、1919年6月24日 - 2003年10月16日)は、日本の生化学者。医学博士(名古屋大学)。名古屋大学名誉教授。神奈川県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
和田 農夫也(わだ のぶや、1919年5月5日- 2005年… 和田 農夫也(わだ のぶや、1919年5月5日- 2005年1月10日 )は、日本の経営者。興亜火災海上保険社長、会長を務めた。 秋田県出身。1940年に名古屋高等商業学校を卒業し、同年に満鉄に入社した。1952年4月に興亜火災海上保険に転じ、1970年6月に取締役に就任し、1974年3月に常務、1978年7月に専務を経て、1982年7月には社長に就任。1983年6月までに務め、1984年7月には相談役に就任。 2005年1月10日、胆管癌のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
重松 明久(しげまつ あきひさ、1919年4月26日 - 1… 重松 明久(しげまつ あきひさ、1919年4月26日 - 1989年4月4日)は、日本文化史の研究者。 大分県出身。1943年広島文理科大学国史学専攻卒業、1962年名古屋大学大学院博士課程修了、「日本浄土教成立過程の研究」で名大文学博士。福井大学教授、広島大学教授を経て、福山市立女子短期大学学長。主として浄土真宗の歴史を研究した。 1972年、丹羽文雄が連載中の『蓮如』に、重松の『覚如』からの盗用があるとして問題になったが、和解した。 息子はウォシュレット開発者の重松俊文。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日 - 20… 矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日 - 2016年10月6日)は、昭和期の実業家。元揖斐川電気工業(現・イビデン)社長。愛知県名古屋市出身。旧制名古屋高等商業学校卒。 旧姓は亀山。父・亀山恭平、母・正子の三男。時期は不明だが、矢橋家(大垣市赤坂町の県内屈指の旧家)に婿入りしている。 在任中はプリント配線板、セラミックスといった事業を育て、今日のイビデンの主力事業の礎を築いた。その一方、オイルショック等の影響で業績が悪化したため、1976年に緊急合理化対策を発表し、大量の人員整理等を行った。さらに事業の分社化を行い、イビデン電子工業、イビデングラファイト、イビデン計算センター(現・タック)、イビデン興産)などを設立した。
柴田 泰男(しばた やすお、1919年〈大正8年〉3月3日 … 柴田 泰男(しばた やすお、1919年〈大正8年〉3月3日 - 2014年〈平成26年〉4月16日)は日本の実業家、元豊田通商社長。元トヨタ自動車・元愛知陸運各監査役。元豊田理化学研究所監事。愛知県瀬戸市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡辺 栄一(本姓:渡邉 榮一、わたなべ えいいち、1918年… 渡辺 栄一(本姓:渡邉 榮一、わたなべ えいいち、1918年(大正7年)10月11日 - 1997年(平成9年)6月16日)は、日本の政治家、酒造家。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、建設大臣(第34代)、岐阜県美濃加茂市長などを歴任した。 岐阜県美濃加茂市出身。御代桜醸造社長・渡辺栄三郎の息子として生まれた。1938年(昭和13年)名古屋高等商業学校(現・名古屋大学)卒業。卒業後は家業の酒造業・御代桜に従事。徴兵され陸軍主計大尉に進み除隊した。 岐阜県太田町長を2期務め、1954年からは新たに誕生した美濃加茂市の初代市長を3期務めた。市長在任中の1963年(昭和38年)第30回衆議院議員総選挙に旧岐阜2区から自民党公認で出馬し初当選(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
石岡 繁雄(いしおか しげお、1918年1月25日 - 20… 石岡 繁雄(いしおか しげお、1918年1月25日 - 2006年8月15日)は、日本の応用物理学者、登山家。ナイロンザイル事件の追究を通じ登山用品の安全性向上に貢献した。三重県鈴鹿市の山岳会、岩稜会会長を歴任した。日本山岳会東海支部名誉会員。鈴鹿工業高等専門学校教授。日本山岳会会員(1953−1996年)。 父の移民先である、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメントにて生まれる。3歳で父の故郷である愛知県愛西市に父とともに帰国する。 愛知県立旧制津島中学校(現・愛知県立津島高等学校)、旧制第八高等学校をへて、1940年(昭和15年) 名古屋帝国大学工学部電気学科卒業。 旧制三重県立神戸中学校(現・三重県立神戸高等学校)教員、名古屋大学職員をへて、1964年(昭和39年)に豊田工業高等専門学校の助教授となる。
谷 信一(たに しんいち、1917年3月14日 - 1980… 谷 信一(たに しんいち、1917年3月14日 - 1980年9月6日)は、日本の銀行家。生え抜き初の東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取を務めたが、病気で退任した。正四位勲二等瑞宝章。藍綬褒章受章。 岐阜県出身。1937年に名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業し、同年に愛知銀行に入行。歴代頭取が日本銀行出向者に占められる中、1975年5月から生え抜きの初の東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取を務めたが、1980年に急病で頭取職を同窓たる加藤隆一に譲り退任した。1979年藍綬褒章受章。1980年正四位勲二等瑞宝章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
太田 文平(おおた ぶんぺい、1916年4月24日 - 19… 太田 文平(おおた ぶんぺい、1916年4月24日 - 1999年7月6日)は、経営学者、寺田寅彦研究者。 静岡県生まれ。1938年名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)卒業。日立製作所に入社。1976年退社、日本大学経済学部教授。1986年定年、名古屋商科大学教授。1989年退任。1999年、くも膜下出血のため死去。 本業で多くの著書を著すかたわら、寺田寅彦などの科学者文学者の研究もおこなった。
江﨑 真澄(えさき ますみ、1915年〈大正4年〉11月23… 江﨑 真澄(えさき ますみ、1915年〈大正4年〉11月23日 - 1996年〈平成8年〉12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(17期)、総務庁長官、通商産業大臣、自治大臣、防衛庁長官などを歴任した。位階は正三位。 愛知県一宮市出身。旧制私立東邦商業学校から旧制第八高等学校(現・名古屋大学)に入学。八高に入ってすぐに肺結核にかかり、闘病生活中に小説を書き始める。1934年、雑誌『改造』の懸賞小説に、恋愛小説『長良』を応募し佳作となる。また、禅寺で修行するなどし、八高を中退する。その後、日本大学経済学部に進学する。作家を目指し、横光利一や菊池寛に紹介されるが、結局母校である東邦商業学校で教師となった。
岡谷 康治(おかや やすはる、1915年9月9日 - 199… 岡谷 康治(おかや やすはる、1915年9月9日 - 1996年3月21日)は、日本の実業家。岡谷鋼機創業家十二代目当主で、同社代表取締役社長や、中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭等を務めた。 愛知県名古屋市出身。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。1941年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後、鉄鋼統制会に入る。 1945年鉄鋼統制会を退職し、岡谷鋼機取締役に就任。1948年常務。1958年社長。1982年からはキタン会会長も務め、1990年から岡谷鋼機会長となった。 中部経済同友会代表幹事、名古屋商工会議所副会頭、愛知県日韓協会副会長などを歴任し、大隈鐵工所取締役、中部日本放送取締役、旭精機工業監査役、愛知時計電機監査役、名古屋鉄道監査役、東邦瓦斯監査役を兼務した。
前田 新太郎(まえだ しんたろう、1914年4月25日 - … 前田 新太郎(まえだ しんたろう、1914年4月25日 - 没年不明)は、日本の経済学者。財政学専攻。北海道大学経済学部長、千葉大学人文学部教授、福島大学経済学部教授などを務めた。 愛知県出身。名古屋市立名古屋商業学校(現名古屋市立名古屋商業高等学校)を経て、1936年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。1939年東京商科大学(現一橋大学)卒業。中山伊知郎門下。 横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)助教授を経て、1943年同教授。1951年文部教官任官、北海道大学法経学部経済学科助教授(財政学)。 1962年北海道大学経済学博士。北海道大学経済学部教授を経て、1963年から北海道大学経済学部長を併任し、学部創立十周年記念事業の構想を発表し、クラーク会館で記念祝賀会を行った。
高松 俊夫(たかまつ としお、1913年 <大正2年> 12… 高松 俊夫(たかまつ としお、1913年 <大正2年> 12月14日 - 2004年 <平成16年> 4月28日)は、日本の経営者。不二越社長を務めた。 静岡県出身。1934年に名古屋高等商業学校を卒業し、同年に日本銀行に入行。1967年11月に監事に就任し、1969年7月に不二越副社長に就任し、1972年1月には社長に昇格。1979年5月に会長を経て、1985年2月から相談役を務めた。 1984年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2004年4月28日心不全のために死去。90歳没。
小川 修次(おがわ しゅうじ、1913年9月18日 - 20… 小川 修次(おがわ しゅうじ、1913年9月18日 - 2008年1月16日)は、日本の実業家。日本特殊陶業取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 三重県伊勢市出身。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校)を経て、1935年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業、日本碍子入社。1936年日本特殊陶業に転勤。1961年日本特殊陶業取締役。1965年日本特殊陶業常務取締役。1971年日本特殊陶業専務取締役。1972年日本特殊陶業取締役副社長。1973年日本特殊陶業取締役社長。1977年森村商事取締役。1978年藍綬褒章受章。1979年昭和法人会会長。同年ブラジル連邦共和国サンフランシスコ勲章グラン・クルース章受章。
権田 銈次(ごんだ けいじ、1913年8月17日 - 197… 権田 銈次(ごんだ けいじ、1913年8月17日 - 1978年1月26日) は、日本の実業家。第3代株式会社豊田自動織機製作所(現在の株式会社豊田自動織機)代表取締役社長。 勲章は勲三等旭日中綬章(旭日章)、藍綬褒章(褒章)、チェコスロバキア功労銀章。繊維不況の中、繊維機械一筋できて苦境にあった豊田自動織機を経営の多角化により建て直し現在の豊田自動織機の礎を築いた。 1913年(大正2年)8月17日、愛知県碧海郡小垣江(現在の刈谷市)生まれ。1932年3月 愛知県岡崎市立商業学校(現在の愛知県立岡崎商業高等学校)卒業。家は米屋で、9人兄妹の次男。曾祖父は、名古屋医学校(現在の名古屋大学医学部)創立に中心的に携わった権田錘 御用医師。
水谷 豊(みずたに ゆたか、1913年(大正2年)6月8日 … 水谷 豊(みずたに ゆたか、1913年(大正2年)6月8日 - 1991年(平成3年)11月25日)は、日本の眼科医。日本で初めてコンタクトレンズを作り、臨床応用を実施。後にコンタクトレンズメーカー「日本コンタクトレンズ(ニチコン)」を創業。コンタクトレンズの発展に貢献し、「日本のコンタクトレンズの父」と呼ばれる。1975年日本医師会最高優功賞受賞、1987年勲五等双光旭日章受章。日本コンタクトレンズ学会名誉会員(1986年~1991年)。愛知県名古屋市出身。孫は水谷 武史(みずたに たけし)で、名古屋市天白区で「みずたに眼科」を開業中。 水谷は、1913年名古屋市熱田区で眼科医院を営む加藤家に生まれたが、三男の末っ子で、後に水谷家の養子となり、水谷姓となった。
鈴木 永二(すずき えいじ、1913年5月29日 - 199… 鈴木 永二(すずき えいじ、1913年5月29日 - 1994年10月11日)は日本の経営者。位階は正三位。三菱化成元・社長。第6代日経連会長。
久米 常民(くめ つねたみ、1913年5月5日 - 1977… 久米 常民(くめ つねたみ、1913年5月5日 - 1977年2月10日)は、日本の国文学者。専門は万葉集であり、中部地方における万葉研究の中心的な役割を果たした。学位は、博士(文学)(名古屋大学)。愛知県知多郡東浦村(現・東浦町)出身。 1913年(大正2年)5月5日、愛知県知多郡東浦村(現・東浦町)藤江に生まれた。1920年(大正9年)4月に藤江尋常小学校に入学し、1926年(大正15年)3月に藤江尋常小学校を卒業した。1926年(大正15年)4月に旧制愛知県立半田中学校に入学し、1931年(昭和6年)3月に愛知県立半田中学校を卒業した。半田中学校時代の友人として、後に児童文学作家となる新美南吉(本名は新美正八)がおり、南吉と久米は互いが書いた文学作品を交換して読み合うなどしていた。
木村 定三(きむら ていぞう、1913年〈大正2年〉3月1日… 木村 定三(きむら ていぞう、1913年〈大正2年〉3月1日 - 2003年〈平成14年〉1月21日)は、愛知県名古屋市出身の実業家・美術品収集家。 特に熊谷守一の収集家として知られていた。晩年や没後にはコレクションが愛知県美術館に寄贈されており、愛知県美術館は3309点の木村定三コレクションを有している。 1913年(大正2年)3月1日、木村定治郎ととくの三男として、愛知県名古屋市に生まれた。定治郎は名古屋市中区で肥料米穀仲買を商い、名古屋市内に多数の土地や家屋を所有する大地主でもあった。定治郎は大正初期に米穀肥料商を廃業し、土地や家屋の管理に専念していた。 1929年(昭和4年)に旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を卒業し、第八高等学校(現・名古屋大学)文科甲類に入学した。
大岩 和雄(おおいわ かずお、1912年12月2日 - 20… 大岩 和雄(おおいわ かずお、1912年12月2日 - 2001年2月14日 )は、日本の経営者。伊奈製陶(INAXを経て、現在のLIXIL)社長を務めた。 愛知県常滑市出身。1933年に名古屋高等商業学校を卒業した。佐藤商会での勤務を経て、1935年10月に伊奈製陶に入社した。1958年12月に取締役に就任し、1963年12月に常務、1967年12月に専務を経て、1971年12月に副社長に就任し、1976年1月に社長に就任した。1980年1月に会長に就任し、1984年6月からは相談役を務めた。 1976年10月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲三等瑞宝章を受賞した。 2001年2月14日、肺炎により死去した。
岡田 博(おかだ ひろし、1912年(明治45年)3月21日… 岡田 博(おかだ ひろし、1912年(明治45年)3月21日 - 2001年(平成13年)9月29日)は、日本の医師。医学博士。名古屋大学医学部名誉教授、愛知医科大学学長を務め、公衆衛生・予防医学発展に寄与した。京都府出身。 1912年(明治45年)3月21日、岡田吉相(おかだよしすけ)の長男として誕生した。父吉相は滋賀県野洲郡守山村吉身(現守山市)で生まれ、後に京都市東山区東山松原にて医院を開業した。祖父は滋賀県議会議長・衆議院議員を務めた岡田逸治郎。博は父と共によく守山を訪れ、博の息女一人は守山で誕生した。 1933年(昭和8年)入学者80名中席次13番の成績で名古屋医科大学(現名古屋大学医学部)に入り、1937年(昭和12年)3月席次5番で卒業した。
伊藤 眞次(いとう しんじ、1912年2月16日 - 200… 伊藤 眞次(いとう しんじ、1912年2月16日 - 2003年12月10日)は、三重県宇治山田市(現伊勢市)出身の北海道大学名誉教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柏木 千秋(かしわぎ ちあき、1911年〈明治44年〉10月… 柏木 千秋(かしわぎ ちあき、1911年〈明治44年〉10月22日 - 2003年〈平成15年〉2月21日)は、日本の法学者、弁護士、元判事。法学博士。専門は刑法。名古屋大学名誉教授。司法省事務官として内藤文質、森田宗一とともに1948年少年法の立法に携わった。 東京出身。三重県士族・柏木五百次郎の三男。静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1937年、東京帝国大学法学部卒業。東大在学中に司法試験に合格。 判事司法事務官などを経て、1949年、東京地方裁判所判事から、1949年、名古屋大学に転じ、名古屋大学法学部教授。1975年、名古屋大学を定年退官。 その後、筑波大学、慶應大学教授などを経て、1993年、創価大学教授を退職。
高橋 静之助(たかはし せいのすけ、1911年6月19日 -… 高橋 静之助(たかはし せいのすけ、1911年6月19日 - 1991年6月26日 )は、日本の経営者。北越銀行頭取を務めた。 新潟県長岡市出身。1932年に名古屋高等商業学校を卒業し、1933年4月に六十九銀行(のちの北越銀行)に入行。1963年5月に取締役に就任し、1965年11月に常務、1970年11月に専務を経て、1972年11月には頭取に就任。1977年6月から1981年6月までに取締役相談役を務めた。長岡商工会議所会頭、長岡市教育委員長なども歴任。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲四等瑞宝章を受章。 1991年6月26日、心不全のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中井 春雄(なかい はるお、1911年 <明治44年> 5月… 中井 春雄(なかい はるお、1911年 <明治44年> 5月18日 - 1991年 <平成3年> 4月4日)は、日本の経営者。日本水産社長を務めた。位階は従四位。 三重県出身。1933年に名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)を卒業し、共同漁業での勤務を経て、1940年に日本水産に入社。1951年に取締役に就任し、1958年に専務を経て、1961年に副社長に就任し、1963年6月には社長に昇格。1973年11月に会長に就任し、1974年11月から1978年6月までに取締役相談役を務めた。 1983年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1991年4月4日心不全のために死去。79歳没。死没日付をもって従四位に叙された。