生島 遼一(いくしま りょういち、1904年9月2日 - 1… 生島 遼一(いくしま りょういち、1904年9月2日 - 1991年8月23日)は、日本のフランス文学者、文芸評論家、翻訳家。京都大学名誉教授。 大阪市生まれ。旧制松江高等学校を経て1929年京都帝国大学文学部仏文科卒、神戸商業大学予科講師、教授、戦後1947年第三高等学校教授、1949年京都大学教養部教授、1964年京都大学文学部教授を務め、1968年定年退官。 若くしてスタンダールの『赤と黒』を翻訳。以後バルザック、フローベール、プルーストら19世紀フランス文学の作家を紹介し、ラファイエット夫人の「クレーブの奥方」、フローベールの「感情教育」では文章の美しさで翻訳の世界に新境地を開いた。また、1953年に日本国内で出版されたボーヴォワール『第二の性』の訳でも知られ、桑原武夫、伊吹武彦とともに京大フランス学を形成した。
大山 定一(おおやま ていいち、1904年4月30日 - 1… 大山 定一(おおやま ていいち、1904年4月30日 - 1974年7月1日)は、昭和期日本のドイツ文学者。京都大学名誉教授。 香川県出身。旧制第六高等学校から京都帝国大学文学部独文科に進み1928年に卒業。学生時代は土井虎賀寿と下宿が同じで、親友であった。旧制第三高等学校講師、京都帝国大学文学部講師、法政大学予科講師などを経て、1946年に京都大学文学部助教授、1950年に同教授となり、1968年に京大を定年退官してからは関西学院大学教授を務めた。 文人気質の外国文学者としてゲーテやリルケをはじめとする多数の翻訳を著した。戦後まもなく出版された『洛中書問』は、中国文学者の吉川幸次郎との往復書簡で、東西古典の翻訳のあり方をめぐる論議である。
吉川 幸次郎(よしかわ こうじろう、1904年3月18日 -… 吉川 幸次郎(よしかわ こうじろう、1904年3月18日 - 1980年4月8日)は、日本の中国文学者。文学博士(京都大学)。芸術院会員、文化功労者、京都大学名誉教授。
吉村 正一郎(よしむら しょういちろう、1904年2月17日… 吉村 正一郎(よしむら しょういちろう、1904年2月17日 - 1977年12月9日)は、日本のフランス文学者・文芸評論家・翻訳家。 滋賀県甲賀郡水口町(現・甲賀市)に、のち広島市長の吉村平造(吉村胆南)の長男として生まれる。弟に映画監督の吉村公三郎がいる。1925年京都帝国大学文学部仏文科入学、1928年同卒業、朝日新聞社に入社、京都支局長、パリ特派員、論説委員を歴任し、「天声人語」を書く。生島遼一の妹悦子と結婚するが先立たれた。戦後1959年に京都市助役、1968年に奈良県教育委員長となる。1976年に帝塚山学園長となり、在職中にガン性腹膜炎のため自宅で死去した。 逝去時には、東大寺信徒総代、大仏奉讃会副理事長を務めていた。
和田 洋一(わだ よういち、1903年9月22日 - 199… 和田 洋一(わだ よういち、1903年9月22日 - 1993年12月20日)は、ドイツ文学者。新聞学者(ジャーナリズム/マス・コミュニケーション研究者)。同志社大学名誉教授。同大学長・和田琳熊の子。 1903年、京都府京都市で同志社大学元学長・和田琳熊の子として生まれた。同年、日本基督教団室町教会で受洗。第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部独文学科へ進んだ。1930年に卒業。 卒業後の同年、同志社大学予科講師に就いた。1931年、予科教授に昇格。1932年、内村鑑三の姪・内村秋子と結婚。1935年、中井正一、新村猛、久野収らと共に月刊誌『世界文化』を刊行。雑誌『世界文化』を通してファシズムに対抗する論陣を張り、人間の自由と尊厳を援護し続ける人物として知られるようになった。
浅見 篤(あさみ あつし、1903年9月15日 - 1975… 浅見 篤(あさみ あつし、1903年9月15日 - 1975年)は、日本のフランス文学者。浅見淵の実弟。 梶井基次郎らの『青空』に参加した。梶井の『ある心の風景』の"病気の話"や"朝鮮の鈴の話"は浅見からきいた話によるものと、中谷孝雄は述べている。『新青年』にアガサ・クリスティーの『通りすがりの男』や、ダシール・ハメットの『緑色のネクタイ』の邦訳を掲載したこともある。 1930年に京都帝国大学文学部仏文科を卒業。 その後、天理大学、関西大学、京都外国語大学で教授を務めた。 酒好きで、贅沢屋で、異国趣味のところが梶井基次郎と気が合い、毎晩のように祇園石段下のカフェ『レーヴン』で飲んでいた[要出典]。
中西 信太郎(なかにし のぶたろう、1903年4月26日 -… 中西 信太郎(なかにし のぶたろう、1903年4月26日 - 1976年6月3日)は、日本の英文学者、京都大学名誉教授。 京都府生まれ。京都帝国大学英文科卒業。京都女子高等専門学校教授などを経て1934年京都帝大文学部助教授、1949年京大教授。1967年定年退官、名誉教授、関西大学教授、甲南女子大学教授。 シェイクスピアの「ソネット集」を完訳した。 園部高等学校の校歌の作詞も手がけた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
橋 閒石(はし かんせき、1903年2月3日 - 1992年… 橋 閒石(はし かんせき、1903年2月3日 - 1992年11月26日)は、石川県出身の俳人、英文学者。神戸商科大学名誉教授。俳誌「白燕」(びゃくえん)創刊・代表。本名泰来(やすき)。 金沢市十三間町に生まれる。本名の泰来は、石圃または閒遊と号した書家であった祖父・往來(ゆきき)の名からとっており、のちの俳号閒石もこの祖父の号に由来する。金沢二中(現・石川県立金沢錦丘中学校・高等学校)、四高を経て京都帝国大学英文科卒。中学の後半からたびたび病に臥せるようになり、病床で俳書を読んだことから独学で俳句を学ぶ。 1928年、京大卒業し和歌山県立和歌山中学校(現・和歌山県立桐蔭高等学校)教諭に赴任。1931年、新設された兵庫県立神戸高等商業学校(兵庫県立神戸商科大学を経て、現・兵庫県立大学)教授となり神戸に移住。
河盛 好蔵(かわもり よしぞう、1902年10月4日 - 2… 河盛 好蔵(かわもり よしぞう、1902年10月4日 - 2000年3月27日)は、日本のフランス文学者、評論家、翻訳家。仏文学者としてはモラリストの著作を日本に紹介した。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 大阪府堺市出身。1920年に旧制大阪府立堺中学校から第三高等学校へ入学し、1923年に同校を卒業。京都帝国大学文学部仏文科で落合太郎・河野与一に師事。1926年、京都帝国大学仏文科を卒業して関西大学に赴任し、フランス語を教える。 1928年学校騒動で関西大学を辞職して渡仏し、ソルボンヌ大学に学ぶ。1930年に帰国。堺の生家でジャン・コクトー『山師トマ』を翻訳。 上京後、ファーブル『昆虫記』を三好達治と共訳。
土井 虎賀壽(どい とらかず、1902年2月19日 - 19… 土井 虎賀壽(どい とらかず、1902年2月19日 - 1971年3月10日)は、哲学者・文学者。香川県出身。 香川県木田郡の医師の家に生まれる。旧姓久保。第三高等学校理科乙類(ドイツ語クラス)から京都帝国大学理学部(物理)へ進むが、哲学科へ再入学、1926年卒業。学生時代は大山定一と下宿が同じで、親友であった。卒業後いったん実家に帰り女学校に勤め結婚する。しかし、二年で妻に先立たれ京都へ戻って大学院に進む。1929年、三高講師となる。1941年、三高教授、京都帝国大学講師となる。1948年、三高、京大を辞職、東京大学仏文科大学院に入学して二年間学ぶ。1953年、相模女子大学教授、学習院大学講師となる。
山崎 敏夫(やまざき としお、1901年〈明治34年〉7月3… 山崎 敏夫(やまざき としお、1901年〈明治34年〉7月30日 - 1978年〈昭和53年〉4月3日)は、日本の歌人・国文学者。愛知県立大学元学長、同大名誉教授。位階は従三位。勲二等瑞宝章受章。 東京出身。第八高等学校卒、1926年京都帝国大学文学部国文科卒。八高時代石井直三郎に師事し、歌誌「青樹」を経て「水甕」(尾上柴舟)所属。愛知県立第一高等女学校(愛知県立明和高等学校の前身の一つ)校長などを経て、愛知県立女子大学教授、1964年学長、1966年愛知県立大学学長を務めた。1969年定年退官、名誉教授となり、椙山女学園大学短期大学部教授を務め、1977年退職。1972年勲二等瑞宝章受章。1978年死去。
佐藤 通次(さとう つうじ、1901年5月26日 - 199… 佐藤 通次(さとう つうじ、1901年5月26日 - 1990年7月3日)は、日本の独文学者、哲学者。学位は文学博士(九州帝国大学・1944年)。皇學館大学学長。皇學館大学名誉教授。 山形県川西町生まれ。旧制山形高等学校を経て、1926年に京都帝国大学文学部独文科卒。九州帝国大学法文学部助教授、文部省教学錬成所員、大日本言論報国会理事。1944年に「ゲーテノ生命体験」で九州帝国大学より文学博士の学位を取得。 戦後は、『皇道哲学』を著したことから公職適否審査会の調査対象となり、言論報国会理事であったことで公職追放となり、追放解除後の1955年に亜細亜大学教授、1965年に皇學館大學教授、1973年から1980年まで同学長、名誉教授。
小島 吉雄(こじま よしお、1901年(明治34年)1月24… 小島 吉雄(こじま よしお、1901年(明治34年)1月24日 - 1989年(平成元年)10月21日)は、日本の国文学者。 学位は、文学博士(九州帝国大学・論文博士・1945年)(学位論文「後鳥羽上皇と新古今和歌集」)。大阪大学名誉教授。 大阪府出身。1924年京都帝国大学文学部国文科卒。九州帝国大学助教授、教授、1945年「後鳥羽上皇と新古今和歌集」で九州帝国大学より文学博士の学位を取得。1950年大阪大学文学部教授、1965年定年退官、名誉教授。 「新古今和歌集の研究」をはじめ、中世歌論、連歌、俳諧、浄瑠璃を研究した。 1982年(昭和57年)には各種の古典講座を開催し、一般市民に古典文学への興味と理解を深めさせ、古典文学の普及に尽力してきたとして、大阪文化賞を受賞する。
冨倉 徳次郎(とみくら とくじろう、1900年3月8日 - … 冨倉 徳次郎(とみくら とくじろう、1900年3月8日 - 1986年5月26日)は、日本の国文学者、博士。駒澤大学名誉教授。専門は中世文学。 東京生まれ。第二高等学校理科から東京帝国大学理学部を経て、1926年(大正15年)3月に京都帝国大学文学部国文科を卒業。京都女子専門学校教授を命ぜられるが、軍隊に服する。 京大時代は講師として立命館中学に赴任。生徒の一人に中原中也がいた。あるとき、中也が答案の代わりに詩を書いて提出したことがきっかけで彼との交友が始まった。友人富永太郎を中也に引き合わせたことでも知られる。 1952年、駒澤大学に着任し教授。のち国文学科主任、大学院国文専攻主任をつとめる。
三木 克己(みき かつみ、1900年 - 1972年)は日本… 三木 克己(みき かつみ、1900年 - 1972年)は日本の中国文学者。 1900年兵庫県生まれ。1972年死去。京都大学中国文学科卒。大谷大学教授を務める。三木清の弟。 古今東西の文学、特に小説を耽読する。中国の史書が時に小説よりも小説的であることを、いち早く見抜いていた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
後藤 丹治(ごとう たんじ、1897年3月28日 - 196… 後藤 丹治(ごとう たんじ、1897年3月28日 - 1963年5月1日)は、日本の国文学者。 三重県出身。京都帝国大学卒。 東京帝国大学史料編纂官補、立命館大学教授、1954年に大阪学芸大学教授。1957年に定年退官。 中世の戦記物語や近世の読本を研究した。
荒木 俊馬(あらき としま、1897年〈明治30年〉3月20… 荒木 俊馬(あらき としま、1897年〈明治30年〉3月20日 - 1978年〈昭和53年〉7月10日)は、日本の天文学者、物理学者。専門は天体物理学、理論物理学、宇宙論。学位は、理学博士(京都大学・1929年)。京都大学名誉教授、京都産業大学初代総長。 1897年、荒木竹次郎・記寿の長男として熊本県鹿本郡来民町(後の鹿本町、現在の山鹿市)に生まれた。1903年、来民尋常小学校に入学。1906年、熊本市立碩臺尋常小学校に転校し、翌1907年に卒業した。1910年、熊本県立中学済々黌(現:熊本県立済々黌高等学校)に入学。1915年に済々黌を卒業し、広島高等師範学校理科一部に入学。1919年に同校を卒業。
谷 鼎(たに かなえ、1896年〈明治29年〉9月16日 -… 谷 鼎(たに かなえ、1896年〈明治29年〉9月16日 - 1960年〈昭和35年〉7月15日)は、日本の歌人・国文学者。元大東文化大学教授。 父・谷鼎次郎、母・タツの長男として、小田原市にて出生。4歳まで小田原市で過ごし、中郡西秦野村千村(現在秦野市)の実家に戻り、幼少年期を過ごす。実家は大地主であり、鼎次郎は中郡の代議士を務め、白山神社の宮司も引き受けるなど地元の名士でもあった。 中郡西秦野村立尋常高等渋沢小学校に在学中、県下の作文コンクールにて「父母の恩」という題で入選。 少年時代より、文筆に優れ、神奈川師範学校(鎌倉師範)に進学した頃より、作歌を試む。鎌倉師範の同学年に詩人の八木重吉がいる。
石田 幸太郎(いしだ こうたろう、1894年8月15日 - … 石田 幸太郎(いしだ こうたろう、1894年8月15日 - 1987年6月6日)は、日本の英文学者、ノートルダム女子大学名誉教授。 京都府出身。1919年(大正8年)京都帝国大学英文学科を卒業後、万朝報の記者を務める。その後、梅花女子専門学校教授、国民社編集長を経て立命館大学教授。さらにノートルダム女子大学教授を務めた。英文学、比較文学の研究を行った。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
益田 道三(ますだ みちぞう、1894年5月17日 - 19… 益田 道三(ますだ みちぞう、1894年5月17日 - 1965年10月12日)は、英文学者・比較文学者。 大阪市北区生まれ。1916年東京高等師範学校英語科卒、地方公務員の教師となり、鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)教諭、1917年佐賀県立鹿島中学校(現佐賀県立鹿島高等学校)教諭、1925年京都帝国大学文学部英文科卒、1926年兵庫県立第一神戸高等女学校(現兵庫県立神戸高等学校)教授、1929年大阪商科大学教授、1940年勲六等瑞宝章受勲。1949年校名変更で大阪市立大学法文学部教授、57年定年退官、神戸山手女子短期大学教授。
能勢 朝次(のせ あさじ、1894年〈明治27年〉4月1日 … 能勢 朝次(のせ あさじ、1894年〈明治27年〉4月1日 - 1955年〈昭和30年〉2月25日)は、日本の能楽研究者・日本文学者。専門は、中世・近世文学。奈良学芸大学学長等を歴任。能楽研究の分野では、膨大な史料を分析的に使う手法と卓抜した創見で斯界に一時代を画した。 1894年、京都府北桑田郡山国村(現京都市)に生まれた。1923年、京都帝国大学文学部国文科を卒業。 卒業後は、1924年より大谷大学教授となった。以降、京都帝国大学、東京高等師範学校、東京文理科大学(1949年に新制移行後東京教育大学、後筑波大学)などでも教鞭をとった。1947年に学位論文『能楽源流考』を東京文理科大学に提出して文学博士の学位を取得。
潁原 退蔵(えばら たいぞう、1894年〈明治27年〉2月1… 潁原 退蔵(えばら たいぞう、1894年〈明治27年〉2月1日 - 1948年〈昭和23年〉8月30日)は、日本の国文学者。専門は近世文学、とくに俳諧史研究に業績を残す。学位は、文学博士(1947年)。病によりかつて依願免官した京都大学助教授に1948年8月再び着任するが、同月30日に逝去、死去日を以て、京都大学教授。 1894年、長崎県南松浦郡北魚目村(現長崎県南松浦郡新上五島町)生まれ。1917年3月、東京高等師範学校国語漢文学卒業。1921年3月、京都帝国大学文学部卒業後、京都帝国大学大学院入学。1928年3月、京都帝国大学大学院退学。 1931年4月、京都帝国大学助教授に着任するも、1936年4月に病気により依願免官。
山本 修二(やまもと しゅうじ、1894年1月29日 - 1… 山本 修二(やまもと しゅうじ、1894年1月29日 - 1976年1月22日)は、日本の英文学者、演劇研究者。 京都生まれ。探墓家として知られた小学校教員山本臨乗の次男。1919年京都帝国大学文学部英文科卒、1921年龍谷大学教授、1925年第三高等学校教授、1949年京都大学教養部教授、1954年定年退官、名誉教授、立命館大学教授、1967年龍谷大学教授。アイルランド演劇の研究などをおこなうほか歌舞伎評論もした。森本薫と親しく、田宮虎彦は門下生(三高時代の教え子)。
清水 泰(しみず ゆたか、1894年〈明治27年〉1月28日… 清水 泰(しみず ゆたか、1894年〈明治27年〉1月28日 - 1969年〈昭和44年〉9月13日)は、国文学者。 山梨県北巨摩郡安都那村(現・北杜市)生まれ。水上勘三郎の次男として生まれ、清水有文の養子となった。1925年京都帝国大学(現・京都大学)文学部国文科卒。龍谷大学教授、1941年立命館大学教授。1964年退任、名誉教授。1962年「継子物語の研究」で京都大学文学博士。 弟に水上達三がいる。
岡田 利兵衞(おかだ りへえ、1892年(明治25年)8月2… 岡田 利兵衞(おかだ りへえ、1892年(明治25年)8月27日 - 1982年(昭和57年)6月5日)は、国文学者。号は柿衞。聖心女子大学名誉教授。伊丹市長、伊丹市名誉市民。柿衞文庫設立者。逸翁美術館元館長。位階は従五位。 1892年、兵庫県伊丹市生まれ。生家は江戸時代より続く酒造業を営む岡田家であり、22代目当主として利兵衛を襲名。1918年、京都帝国大学文科大学国文科を卒業。 卒業後は梅花女子専門学校で教鞭をとる。1937年10月から1939年7月まで伊丹町長をつとめた。戦後の1945年12月17日、第4代伊丹市市長に就任。1946年11月26日に退任するまで、戦後復興に尽力した。市長退任後は公職追放となった。
澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890年〈明治23年〉7月… 澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890年〈明治23年〉7月12日 - 1968年〈昭和43年〉10月14日)は、日本の国文学者、万葉学者。京都大学名誉教授。学位は、文学博士。 1890年(明治23年)、三重県度会郡宇治山田町(現:三重県伊勢市)で生まれた。三重県立第四中学校(現:三重県立宇治山田高等学校)・第三高等学校を経て、京都帝国大学文科大学に進学。文学科国文学専攻で学び、1915年に卒業。 第五高等学校教授を経て、1922年に京都帝国大学文学部助教授に就いた。1935年、学位論文『上代歌謡ノ作者及ビ時代考』を京都帝国大学に提出して文学博士の学位を取得。翌1936年に教授昇格。1951年、京都大学教授を辞職し、京都大学名誉教授となった。
石田 憲次(いしだ けんじ、1890年〈明治23年〉6月7日… 石田 憲次(いしだ けんじ、1890年〈明治23年〉6月7日 - 1979年〈昭和54年〉6月30日)は、日本の英米文学者。 山口県出身。東京外国語学校英語科を経て、1916年京都帝国大学英文科卒。同志社大学教授、1924年京都帝大文学部助教授、1934年教授、京都大学教授、1951年定年退官、大阪市立大学教授、1958年京都女子大学教授を務めた。18世紀およびヴィクトリア朝の英文学研究、またフランクリンなど初期アメリカ文学の研究を行い多数の著作を著した。特にキリスト教的傾向が強い。 1979年6月30日、脳溢血のため京都市北区の鞍馬口病院で死去。89歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
橋本 循(はしもと じゅん、1890年(明治23年)6月2日… 橋本 循(はしもと じゅん、1890年(明治23年)6月2日 - 1988年(昭和63年)5月27日)は、日本の中国文学者。 現在の福井県越前市生まれ。雅号・蘆北。京都帝国大学文科大学文学科修了。1928年立命館大学予科教授。1946年立大法文学部文学科部長。1949年「漢魏六朝文学思想論」で京大文学博士。立大文学部長・文学研究科長を数次務める。立命館理事。1959年特別任用教授。1969年名誉教授。白川静の師匠。記念して蘆北賞が設けられた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐成 謙太郎(さなり けんたろう、1890年5月23日 - … 佐成 謙太郎(さなり けんたろう、1890年5月23日 - 1966年3月4日)は、国文学者。 滋賀県出身。京都帝国大学文学部を卒業した。1924年、女子学習院教授に就任した。戦後は大東文化大学教授、学校法人鎌倉女学院理事長を務めた。中古・中世文学を専門とし『謡曲大観』全7巻、『対訳源氏物語』の業績がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
太宰 施門(だざい せもん、1889年〈明治22年〉4月1日… 太宰 施門(だざい せもん、1889年〈明治22年〉4月1日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は、日本のフランス文学者。京都大学名誉教授。名前の読み方は「しもん」あるいは「よしかど」とされることもある。 岡山県倉敷市児島出身。旧制岡山県立岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、1907年に旧制第一高等学校へ進学、1910年、同校を卒業する。1913年東京帝国大学文学部卒。1919年第一高等学校教授在職中にフランス留学を命ぜられ、1920年出発、1921年京都帝国大学文学部助教授に任ぜられ、1923年帰国し着任、京都帝大に仏文研究室を開設。1931年オノレ・ド・バルザック「人間喜劇」の研究で文学博士、論文の題は「ラ、コメヂ、ユメーヌの研究」。
藤林 広超(ふじばやし こうちょう、1888年(明治21年)… 藤林 広超(ふじばやし こうちょう、1888年(明治21年)12月25日 - 1984年(昭和59年)3月12日)は、日本の中国文学者、真宗大谷派僧侶。 1911年、第三高等学校を卒業。1914年、京都帝国大学中国文学科を卒業。同志社大学教授、同志社女専講師を歴任。僧侶としては西宗寺(京都府京都市下京区)の住職を務めていた。 大正のおわりごろ現地で購入して以来、長年親しんできた中国の李汝珍の小説『鏡花縁』の翻訳を、大学を退官した70歳のとき(1968年)に決意、以後20年以上の歳月を掛けてこれを翻訳し、92歳のとき(1980年)これを出版した。
奥里 将建(おくざと しょうけん、1888年(明治21年)5… 奥里 将建(おくざと しょうけん、1888年(明治21年)5月18日 - 1963年(昭和38年)12月29日)は、日本の教育者、国語学者、国文学者、方言学者。 1888年(明治21)5月18日沖縄県宜野湾村生まれ(本籍は首里市寒川町)。 宜野湾小学校をはじめとして教員勤務の傍ら、日本古典文学や方言の研究を進め、1926年(大正15)『琉球人の見た古事記と万葉』を出版。1927年(昭和2)京都御所内東山文庫で源氏物語の校合に従事、1928年(昭和3)4月京都帝国大学国文学部に入学、1929年(昭和4)7月高等教員検定試験(国語科)合格、同年9月兵庫県立神戸第一中学校教諭に任じられ、1942年(昭和17)まで勤務。
青木 正児(あおき まさる、旧字体: 靑木 正兒、1887年… 青木 正児(あおき まさる、旧字体: 靑木 正兒、1887年(明治20年)2月14日 - 1964年(昭和39年)12月2日)は、大正から昭和中期の中国学者・中国文学者。日本学士院会員。山口県下関市出身。字は「君雅」。号に「迷陽」があり、「迷陽先生」とも呼ばれた。 年譜は『青木正児全集』最終10巻末ほかに収録されている。 1887年(明治20年)2月14日、山口県下関市で漢方医・青木坦平の次男として生まれた。父・坦平には支那趣味があり、南画家を自宅に招いたり、妻や娘に琵琶など中国の楽器を習わせるなどしており、青木正児も幼少期より文学や美術を好んだ。1905年、山口県立豊浦中学校を卒業し、同年9月に第五高等学校第一部(現:熊本大学)に入学。
落合 太郎(おちあい たろう、1886年8月13日 - 19… 落合 太郎(おちあい たろう、1886年8月13日 - 1969年9月24日)は、日本のフランス文学者。位階は正三位。奈良女子大学名誉教授。 1886年、東京神田駿河台で生まれた。1892年、泰明小学校に入学。御田小学校では吉井勇と同級であった。1989年、東京府立第一中学校に入学したが、翌年肺炎を患ったことにより退学。また、翌1899年には母も死去。2年間の療養を経て明治学院普通部に入学し、卒業。1903年に第一高等学校予科第一部に入学。1908年に卒業し、東京帝国大学法科大学に入学したが、休学。新渡戸稲造に勧められ、京都帝国大学法科大学に転学した。1912年、赤塚季と結婚、また家督を相続した。
銭谷 誠司(ぜにたに せいじ)は、日本の天文学者。京都大学生… 銭谷 誠司(ぜにたに せいじ)は、日本の天文学者。京都大学生存圏研究所研究員。専門は、宇宙プラズマ、磁気リコネクション。宇宙ジェット、相対論的天体物理学、運動プラズマ不安定性、Particle-in-cell法 (PIC)シミュレーション、磁気流体シミュレーションの研究を行う。
大石 雅寿(おおいし まさとし、英語: Masatoshi … 大石 雅寿(おおいし まさとし、英語: Masatoshi Ohishi)は、日本の天文学者。専門は電波天文学、アストロバイオロジー、星間化学、天文データベース。元国立天文台特任教授。 青森県八戸市生まれ。八戸高等学校を経て、京都大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻にて理学博士を取得。 1990年から国立天文台に勤務。電波天文学研究系助手、天文学データ解析計算センター助教授、天文データセンター准教授(2007年 - 2019年)、同センター長(2011年 - 2016年)を経て、2019年から2023年まで天文情報センター特任教授を務めた。 国際的には、国際電気通信連合(ITU)第7研究委員会電波天文作業部会(WP7D)議長(2000年 - 2010年)、国際天文学連合(IAU)委員会F3(Astrobiology)元会長、同委員会B5(Astronomical Data)元会長などを歴任した。
福山 薫(ふくやま かおる)は、日本の気象学者・天文学者。学… 福山 薫(ふくやま かおる)は、日本の気象学者・天文学者。学位は、理学博士(京都大学)。国立大学法人三重大学名誉教授。 子供は一男(なぎさ・ナギサ・ さんずい 者 日の上横棒に左上から右下に丶)一女。 阪神タイガースのファンで、後年は年間シートを購入して観戦した。 地理情報システム学会 理事
富田 賢吾(とみだ けんご)は、日本の天文学者。東北大学大学… 富田 賢吾(とみだ けんご)は、日本の天文学者。東北大学大学院理学研究科准教授。 灘高等学校、京都大学理学部卒業。総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻修了。日本学術振興会特別研究員、大阪大学理学研究科宇宙地球科学専攻宇宙進化グループ助教などを歴任。現在は、東北大学大学院理学研究科准教授。
横田 悠矢(よこた ゆうや)は、日本のフランス文学者。三重大… 横田 悠矢(よこた ゆうや)は、日本のフランス文学者。三重大学人文学部准教授。 灘高等学校、京都大学教育学部卒業。 京都大学大学院文学研究科修士課程修了。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。パリ・シテ大学博士課程修了。京都市立芸術大学非常勤講師、同志社大学嘱託講師、京都芸術大学非常勤講師を経て、三重大学人文学部准教授。