三木 毅(みき たけし、1922年〈大正11年〉 - 202… 三木 毅(みき たけし、1922年〈大正11年〉 - 2023年〈令和5年〉12月2日)は、日本の経済学者。経済学博士(北海道大学)・医学博士(札幌医科大学)。専門は医療経済学・中国経済論・環境衛生論。札幌医科大学名誉教授・元旭川大学及び旭川大学女子短期大学部学長。北海道厚田村出身。 『北海道人物・人材リスト 2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
三木 良一(みき りょういち、1921年12月23日 - 1… 三木 良一(みき りょういち、1921年12月23日 - 1991年7月8日)は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1946年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社。1967年に取締役に就任し、1975年に常務、1981年に専務を経て、1982年12月に社長に就任。 1987年2月から1990年2月までに会長を務め、デイリースポーツ社社長も務めた。 1991年7月8日、膵臓癌のために死去。69歳没。
森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 198… 森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は、日本の実業家、政治家。森下仁丹社長、参議院議員(3期)。 大阪府大阪市出身。森下仁丹創業者森下博の孫。旧制甲南高校から京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。同年9月には戦争の激化に伴い大学を繰り上げ卒業し、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍艦政本部出仕兼海軍航空本部出仕となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。東京監督官事務所監査官付を経て、監督会計官付で終戦を迎えた。
海野 一隆(うんの かずたか、1921年12月19日 - 2… 海野 一隆(うんの かずたか、1921年12月19日 - 2006年5月4日)は、日本の地理学者(東洋地理学史)。大阪大学名誉教授。 1921年、静岡県浜松市生まれ。第七高等学校造士館を経て、京都帝国大学文学部に進学。史学科地理学専攻で小牧実繁、室賀信夫に師事した。1945年に同大学文学部を卒業。卒業後は岐阜県の中学校教員となった。 1948年、大阪第二師範学校の教員となった。その後、大阪学芸大学講師、後に助教授昇格。1963年、大阪大学教養部教授となり、人文地理学講座を担当した。1985年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、大阪清浄女子短期大学で教鞭をとり、1991年に退任した。
西川 建三(にしかわ けんぞう、1921年12月1日 - 2… 西川 建三(にしかわ けんぞう、1921年12月1日 - 2014年4月20日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長、会長を務めた。 滋賀県出身。1945年11月に大阪商船に入社し、1946年に京都帝国大学法学部法律学科を卒業。1974年1月に大阪商船三井船舶取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月には大阪建物社長に就任。1986年6月に会長に就任し、1991年6月に相談役を経て、1998年6月には特別顧問に就任。 2014年4月20日肺炎のために死去。92歳没。
中島 爾(なかじま みつる、1921年11月29日 - 20… 中島 爾(なかじま みつる、1921年11月29日 - 2004年9月1日 )は、日本の経営者。日本触媒社長を務めた。 京都府出身。1944年に京都帝国大学工学部を卒業し、1949年に日本触媒化学工業(のちの日本触媒)に入社。1967年7月に取締役に就任し、1973年8月に常務、1979年2月に専務を経て、1984年2月には副社長に就任し、1986年2月には社長に昇格。1990年2月には会長に就任。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年9月1日肺炎のために死去。82歳没。
坪井 清足(つぼい きよたり、1921年〈大正10年〉11月… 坪井 清足(つぼい きよたり、1921年〈大正10年〉11月26日 - 2016年〈平成28年〉5月7日)は、日本の考古学者。勲三等旭日中綬章、文化功労者。 奈良国立文化財研究所所長、元興寺文化財研究所所長。奈良国立文化財研究所では、事前の発掘調査の義務付け、発掘調査費用の原因者負担の原則の確立など、埋蔵文化財行政の枠組み構築に努めた。 1921年(大正10年)11月26日、大阪府大阪市に生まれた。父親は在野の考古学者である坪井良平であり、日立造船に勤務しながら梵鐘の研究などを行っていた。父親の勤務先の関係で東京市牛込区で育った。1934年(昭和9年)4月、父の母校でもある大阪大倉商業学校に入学した。
岸 信和(きし のぶかず、1921年〈大正10年〉11月26… 岸 信和(きし のぶかず、1921年〈大正10年〉11月26日 - 2017年〈平成29年〉10月7日)は、日本の実業家。元内閣総理大臣秘書官。元西部石油会長。 1921年、当時農商務省の官僚だった岸信介(後の第56・57代内閣総理大臣)の長男として生まれる。3歳の時に小児麻痺を患い、生涯足を引きずって歩く。 京都帝国大学在学中に、戦犯として収監されていた岸信介が接見に来た福家俊一に「信和が、難波大助になってもらっちゃ困る」と伝えたため、卒業後の1948年に信介の同級生が専務だった宇部興産 (現・UBE)に入社する。 信介が総理大臣を務めていた一時期に、総理秘書官を務めていた義弟の安倍晋太郎が衆院選出馬で辞めたため、代役で内閣総理大臣秘書官を務め、信介の総理辞任後は西部石油に入社し、後に会長に就任した。
佐々木 倫生(ささき りんしょう、1921年11月22日 -… 佐々木 倫生(ささき りんしょう、1921年11月22日 - 1996年5月28日)は、日本の哲学者。京都女子大学名誉教授。元京都女子大学学長、鳥取女子短期大学学長。 福岡県築上郡吉富町出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三野 博(みの ひろし、1921年11月21日 - 1994… 三野 博(みの ひろし、1921年11月21日 - 1994年4月8日 )は、日本の銀行家。百十四銀行頭取を務めた。 香川県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1946年に百十四銀行に入行した。1966年に取締役に就任し、1969年11月に常務、1975年12月に専務を経て、1979年12月には頭取に就任。1989年6月には会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 1994年4月8日、腹部大動脈瘤破裂のために死去。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白川 宏(しらかわ ひろし、1921年11月20日 - 19… 白川 宏(しらかわ ひろし、1921年11月20日 - 1991年8月16日)は、日本の経営者。東陶機器社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1946年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に東洋陶器に入社。 1965年1月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1985年2月から1987年2月までに社長を務めた。 1985年に藍綬褒章を受章。
妹尾 親尚(せのお ちかひさ、1921年〈大正10年〉11月… 妹尾 親尚(せのお ちかひさ、1921年〈大正10年〉11月16日 - 2012年〈平成24年〉1月7日)は、日本の実業家。富士銀行専務取締役、オカモト社長。 福岡県に生まれる。1939年福岡県中学修猷館、1942年旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1944年、京都帝国大学法学部政治学科を卒業し陸軍主計少尉となる。在学中の1943年12月には学徒出陣をしている。 1946年5月、安田銀行(1948年富士銀行と改称し現みずほ銀行)に入行。1970年5月取締役となり名古屋支店長、1973年4月取締役大阪支店長、同年5月常務取締役、1975年5月専務取締役となる。1978年6月、富士銀行を退任し、岡本理研ゴム(現・オカモト)取締役副社長、1979年6月同社取締役社長に就任する。
角山 栄(角山 榮、つのやま さかえ、1921年11月7日 … 角山 栄(角山 榮、つのやま さかえ、1921年11月7日 - 2014年10月15日)は、日本の経済史家。和歌山大学学長や堺市博物館館長を務めた。専攻はイギリス近代経済史。 大阪府大阪市出身で、幼少期は堺市で育った。市岡中学校(旧制)、旧制大阪高等学校を経て、1945年(昭和20年)に京都帝国大学経済学部卒業。1950年(昭和25年)和歌山大学経済学部助教授。1961年(昭和36年)「イギリス毛織物工業史論」で経済学博士(京都大学)。和歌山大学経済学部教授、1967年(昭和42年)-1968年(昭和43年)経済学部長、1975年(昭和50年)4-7月学長、1986年(昭和61年)定年退官、名誉教授。
梶原 清(かじわら きよし、1921年11月2日 - 201… 梶原 清(かじわら きよし、1921年11月2日 - 2012年2月9日)は、日本の政治家、運輸官僚。参議院議員(2期)。 民主党前衆議院議員の梶原康弘は息子。 兵庫県出身。京都帝国大学法学部卒業。1950年、運輸省に入省する。1978年に自動車局長などを歴任。1979年に退官し、1980年の第12回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補し初当選。1992年に引退し、日本自動車ターミナル代表取締役社長に就任。2000年秋の叙勲で、勲二等旭日重光章受章。 2012年2月9日、肺炎のため東京都の病院で死去、90歳。死没日をもって正四位に叙される。
川井 直人(かわい なおと、1921年10月31日 - 19… 川井 直人(かわい なおと、1921年10月31日 - 1979年7月3日)は、日本の物理学者・地球科学者。専門は古地磁気学。1945年に京都帝国大学理学部地質学鉱物学科を卒業。大阪大学名誉教授。 大阪府生まれ。京都大学で松山基範の薫陶を受け、初めは古地磁気学者として、京都大学講師として教鞭を執った。岩石の微弱な磁化の測定で業績を上げ、松山期よりも新しい年代における逆磁極期の発見に貢献した。 1960年3月、京都大学より理学博士の学位を取得(論文は「地殻の磁気」)。その後、1962年に新設の大阪大学基礎工学部に教授として転任し、地球内部の状態を実験室で再現するための高圧物理の研究を始めた。そして、川井式マルチアンビルセルと呼ばれる高圧発生装置の開発に成功し、高圧条件下における岩石の相変化と地震波速度の不連続面とを関連付ける業績を上げた。
尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )… 尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )は、日本のアメリカ文学者、京都大学名誉教授。 東京出身。(旧制)東京高等学校卒、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、徴兵で従軍し中国大陸に転戦、復員ののち僧籍をもち1947年卒業、大学院在籍、1948年京大附属医学専門部教授、1951年大阪女子大学助教授、1965年京大教養部助教授、教授、1982年名誉教授、奈良女子大学教授、1984年佛教大学教授、92年退職。弟の尾形克彦 (1924 - ) は工学者、米国ミネソタ大学教授。長男・尾形充彦(あつひこ、1954 - )は宮内庁技官正倉院勤務。
梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2… 梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2002年9月13日)は、日本の教育心理学者、京都大学名誉教授。 旧制第三高等学校文科乙類を経て、1948年に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1966年、「音楽心理学の体系的研究」で京都大学より教育学博士の学位を取得。京都大学助教授、教授、1985年、定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1996年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年9月13日、心筋梗塞のため死去。
沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6… 沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6日 - 2016年3月4日)は、日本の政治家。熊本県知事(公選第7 - 9代)、参議院議員(4期)。 熊本県下益城郡小川町(後の宇城市)出身。熊本中学校(後の熊本県立熊本高等学校)、旧制第七高校を経て京都大学を卒業し、経済企画庁に入庁。熊本県の総務部長や副知事を務めた後、松野鶴平の死去を受けた1962年の第6回参議院議員通常選挙に熊本県選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。再選後の1968年には大蔵政務次官に就任した。 その後、前任の寺本広作に代わり自民党の公認を得て1971年から熊本県知事に転身し、水俣病の患者認定問題などに取り組んだほか、熊本県民テレビの開局にも尽力した。
広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> … 広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> 10月4日 - 2006年 <平成18年> 5月19日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 滋賀県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業。日本銀行での勤務を経て、1954年10月に滋賀銀行取締役に就任し、1959年10月に常務、1963年10月に専務、1967年11月に副頭取を経て、1971年11月に頭取に就任。1979年6月に会長に就任し、1997年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年5月19日肺炎のために死去。84歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
阪本 龍児(さかもと りゅうじ、1921年8月31日 - 2… 阪本 龍児(さかもと りゅうじ、1921年8月31日 - 2003年10月21日 )は、日本の経営者。南都銀行頭取を務めた。 奈良県出身。1949年に京都大学農学部を卒業し、1950年に南都銀行に入行。1968年に取締役に就任し、1972年11月に常務、1976年1月に専務を経て、1979年2月に頭取に就任。1990年6月に会長に就任し、1997年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。1985年6月から1997年6月までに近畿日本鉄道取締役も務めた 1981年2月に紺綬褒章を受章し、1984年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2003年10月21日心筋梗塞のために死去。
溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 20… 溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 2014年10月16日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1987年)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。京都大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1942年、第三高等学校 (旧制)卒業。1946年、京都帝国大学法学部卒業。1946年、京都帝国大学法学部助手(指導教授:齋藤武夫)。1952年、京都大学法学部助教授。1961年、京都大学法学部教授。1966年、京都大学評議員。1987年、法学博士(京都大学)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。1985年、京都大学停年退官、同名誉教授。1985年龍谷大学法学部教授を歴任。
明田 鉄男(あけた てつお、1921年8月18日 - )は、… 明田 鉄男(あけた てつお、1921年8月18日 - )は、日本の歴史家、文筆家。 愛媛県出身。京都大学法学部卒。読売新聞大阪本社記者、論説委員。1964年小説「月明に飛ぶ」でオール読物新人賞受賞。のち、霊山歴史館主任研究員、滋賀女子短期大学教授。 1993年、著書『日本花街史』で、島原の揚屋として寛永以来使われ、国の重文にも指定されている「角屋(すみや)」の中川徳右衛門・十三代当主と、財団法人「角屋保存会」が、明田と雄山閣出版を相手に「内部の写真を無断で掲載、角屋が女性の自由を奪ったような表現で名誉を傷つけられた」などとして全国紙への謝罪広告と保存会、中川当主に各250万円の損害賠償を求める訴えを京都地裁に起こした。
若林 法雄(わかばやし のりお、1921年8月5日 - 20… 若林 法雄(わかばやし のりお、1921年8月5日 - 2006年4月14日)は、日本の経営者。野村不動産社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業。野村建設工業、安井建築設計事務所での勤務を経て、1961年1月に野村不動産に転じ、取締役に就任し、1963年1月に常務、1967年1月に専務を経て、1972年11月に副社長に就任し、1978年10月には社長に昇格。1981年12月に会長に就任し、1983年11月から1987年12月までに監査役を務めた。 2006年4月14日胆嚢癌のために死去。84歳没。
北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9… 北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9月15日)は日本の探偵小説家、原子物理学者。作品に「写真解読者」『アトム君の冒険』など。本名は鈴木 坦(すずき ひろし)。 東京府東京市王子区(現:東京都北区)出身。京都帝国大学理学部卒。 1946年、探偵小説誌『ロック』に「写真解読者」を発表しデビュー。以降も『ロック』を中心に短編を発表した。また、同時期には本名で『アトム君の冒険』などの科学解説書も著している。 物理学者としては湯川秀樹門下であり、横浜国立大学の助教授も務めた。 1951年9月15日、持病であった喘息の発作から死去。30歳。
片岡 明(かたおか あきら、1921年7月20日 - 199… 片岡 明(かたおか あきら、1921年7月20日 - 1997年8月14日)は、日本の経営者。ヒガシマル醬油社長を務めた。兵庫県出身。 1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、1952年4月にヒガシマル醬油に入社。1966年に取締役に就任し、1971年5月に常務、1978年3月に専務を経て、1986年3月に副社長に就任し、1990年3月には社長に昇格。1996年3月には副会長に就任。 1997年8月14日急性呼吸不全のために死去。76歳没。
富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1… 富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1月)は、日本の国文学者。 三重県津市生まれ。京都帝国大学文学部国文科卒。高野山大学教授、皇學館大學教授、四天王寺女子大学教授、四天王寺国際仏教大学教授、副学長。1971年「伊賀蕉門の研究と資料」で大谷大学文学博士。71年同著で芭蕉祭文部大臣賞受賞。1989年中村元東方学術賞・東方文化賞受賞。近世俳諧、特に芭蕉が専門。
荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9… 荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9日 - 1989年(平成元年)6月3日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長、全国銀行協会連合会会長、経済同友会副代表幹事を歴任した。 東京生まれ。府立高等学校を経て京都帝国大学法学部を卒業。学徒出陣し陸軍経理学校で終戦を迎える。 1945年(昭和20年)秋に安田銀行(後の富士銀行)に入行。本店の貸付審査部門を長く担当し、本所、広島の支店長を歴任した。 1970年(昭和45年)取締役に選任され、73年に常務、75年に副頭取、81年から頭取を務め、87年に会長に退く。この間、全銀協会長を2度務め、経済同友会副代表幹事を6年間にわたり担った。
藤本 勝次(ふじもと かつじ、1921年7月4日 - 200… 藤本 勝次(ふじもと かつじ、1921年7月4日 - 2000年2月18日)は、日本の中東イスラーム学者、専攻は中世イスラム文化史。 大阪府大阪市生まれ。京都帝国大学東洋史学科でアラビア語を学ぶ。 関西大学文学部教授を兼ね、1975年4月から1982年9月までの間、関西大学東西学術研究所の所長をつとめた。 2000年2月18日、脳梗塞のため死去。
青砥 昇(あおと のぼる、1921年(大正10年)6月28日… 青砥 昇(あおと のぼる、1921年(大正10年)6月28日 - 1986年(昭和61年)5月4日)は日本の実業家。元山陰放送社長。 父は元米子信用金庫会長青砥喜三郎、弟は元米子信用金庫会長青砥順。 鳥取県米子市出身。旧制鳥取県立米子中学校、旧制広島高等学校を経て、1945年(昭和20年)京都帝国大学工学部卒業。1948年(昭和23年)米子大栄社長、昭和28年(1953年)ラジオ山陰(現:山陰放送)創設と同時に取締役に就任。1955年(昭和30年)常務取締役を経て昭和49年(1974年)山陰放送社長に就任。 1980年(昭和55年)~昭和61年(1986年)米子商工会議所副会頭のほか鳥取県経営者協会副会長、米子市監査委員、米子ライオンズクラブ会長、日本民間放送連盟理事、ビーエスエス企画・山陰興発・米子空港ビル各取締役などを歴任した。
荻野 恒一(おぎの こういち、1921年6月19日 - 19… 荻野 恒一(おぎの こういち、1921年6月19日 - 1991年10月15日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。南山大学文学部教授、金沢大学教育学部教授、慶應義塾大学客員教授を務めた。 1921年、大阪で生まれた。旧制山口高等学校を経て、京都帝国大学医学部医学科に進学。1944年9月に同大学を卒業。 1944年10月、京都帝国大学医学部精神医学教室副手に採用され、実施修練に入った。後に助手、講師昇格。1952年、学位論文『易感性関係妄想の成立機転』で京都大学より医学博士の学位を取得。1953年3月から1955年12月まで、パリ大学医学部精神医学教室にに研究留学。 1956年1月、南山大学文学部教育家助教授に就任、のち教授に昇格。
森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 19… 森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 1993年3月18日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。ヨーロッパの哲学を研究。 フランス・パリ生まれ。1939年京都府立京都第一中学校卒、1942年第一高等学校(文科甲類)卒、1947年京都帝国大学文学部哲学科卒、1949年京都帝国大学大学院修了。1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年同講師、1957年大阪市立大学文学部助教授、1965年京都大学文学部倫理学科助教授、1967年同教授、1985年定年退官、名誉教授。
吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 199… 吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 1991年7月30日)は、日本の科学史家。京都大学名誉教授。専門は科学技術史。
渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 20… 渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 2008年11月19日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1942年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1945年に山陽電気鉄道に入社。1966年11月に取締役に就任し、1973年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1986年6月に会長を経て、1991年6月から相談役を務めた。 2008年11月19日に死去。87歳没。
万井 正人(まんい まさんど、1921年4月3日 - 200… 万井 正人(まんい まさんど、1921年4月3日 - 2006年1月4日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授、医学博士。専門は運動生理学。抗老化医学、作業能率や安全性、疲労の予防・回復などにかかわる研究を行う。1997年には、誰でもどこでも簡単にでき高齢者から子どもまで楽しめるスポーツとして、スカイクロスを考案。 1944年、京都帝国大学医学部医学科を卒業し、同大学医学部副手、大阪医科大学講師、龍谷大学講師、皇學館大学講師・助教授、京都大学助教授・教授を歴任。1984年に京都大学を退官後、名誉教授。また大阪産業大学教授をつとめた。1994年、勲三等瑞宝章受章。 2006年1月4日、京都市内の自宅で心不全のため85歳で死去した。
村田 昭(むらた あきら、1921年(大正10年)3月25日… 村田 昭(むらた あきら、1921年(大正10年)3月25日 - 2006年(平成18年)2月3日)は、実業家である。村田製作所創業者・名誉会長・元会長・社長。 京都府京都市東山区泉涌寺生まれ。父親が陶器店を営む。 幼少期の頃は「病気のデパート」と呼ばれるほど病弱で、病床で文学書、子供向けの科学誌「子供の科学」などを読んで過ごしていた。 1936年(昭和11年)、京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)を肺結核のため中退後、家業に専念。特殊陶器、精密特殊磁器に注目し、製品化することにより事業を拡大。1944年(昭和19年)10月、村田製作所を創業する。 1950年(昭和25年)、法人化の後、京都大学との「産学協同」で酸化チタンコンデンサの開発に成功。
荒井 政雄(あらい まさお、1921年〈大正10年〉3月12… 荒井 政雄(あらい まさお、1921年〈大正10年〉3月12日 - 没年不明)は、日本の銀行家(群馬銀行頭取)、群馬県副知事。 群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)出身。旧制小泉農業学校(現・群馬県立大泉高等学校)、千葉高等園芸学校(現・千葉大学)に学ぶ。1943年に京都帝国大学農学部農林経済学科を卒業。同年高等試験行政科に合格。1944年東部38部隊に入営し1945年召集解除。 内務省、神奈川県庁での勤務を経て、群馬県庁総務部長、出納長を歴任。1966年に司法試験二次試験に合格。1970年に群馬県副知事に就任。1974年4月には群馬銀行専務に就任し、1977年11月に副頭取を経て、1984年6月に副は頭取に就任。
角田 寛(すみた ひろし、1921年 <大正10年> 2月2… 角田 寛(すみた ひろし、1921年 <大正10年> 2月25日 - 2001年 <平成13年> 5月22日)は、日本の実業家。京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。位階は正四位。 大阪府出身。1943年9月京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。 第四陸軍航空技術研究所、鉄道省での勤務を経て、1947年10月、京阪神急行電鉄に入社。1949年の京阪神急行電鉄からの再分離で京阪電気鉄道に移籍。 1967年11月に取締役に就任し、1972年7月に常務、1977年6月に専務、1979年6月に副社長を経て、1985年3月には社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月には取締役相談役に就任。 1981年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲二等瑞宝章を受章。
内藤 一郎(ないとう いちろう、1921年2月24日 - )… 内藤 一郎(ないとう いちろう、1921年2月24日 - )は、日本の軍事航空評論家、翻訳家。筆名に嵯峨 浩一。 滋賀県伊香郡高月町(現長浜市)生まれ。1944年京都帝国大学工学部航空工学科卒。同年海軍技術中尉。 1951年事業用操縦士。1954年航空大学校教授。1959年防衛庁技術研究本部勤務、1981年定年退官。航空医学実験隊技術顧問、東海大学講師など。著述のほか翻訳も行う。
三鬼 彰(みき あきら、1921年2月16日 - 2000年… 三鬼 彰(みき あきら、1921年2月16日 - 2000年6月22日)は、日本の実業家。八幡製鐵の初代社長を務めた三鬼隆の長男で、後身会社である新日本製鐵の会長や、日本経済団体連合会副会長を務めた。また、タレントの出川哲朗の外従父に当たる。 岩手県釜石市出身。官立新潟高等学校、京都帝国大学法学部を経て、戦時中の1943年に日本製鐵へ入社。過度経済力集中排除法による日本製鐵解体後は富士製鐵で秘書室長、総務部長など主に管理畑を経験した。 新日本製鐵発足後は、父・隆が八幡製鐵社長だった人脈を通じて社内融和に尽力。専務、副社長就任以降はプラザ合意による円高不況対策などに努め、高炉休止など合理化を推進した。
菅原 努(すがはら つとむ、1921年2月5日 - 2010… 菅原 努(すがはら つとむ、1921年2月5日 - 2010年10月1日)は、日本の医学者・医師。京都大学名誉教授。専門は放射線基礎医学。 旧制浪速高等学校を経て、1944年京都帝国大学医学部卒業。1950年大阪大学理学部卒業。三重大学医学部助教授、1960年国立遺伝学研究所変異遺伝部副部長、1961年放射線医学総合研究所室長、京都大学医学部放射能基礎医学教室初代教授。同放射線生物研究センター長、医学部長、1985年定年退官、名誉教授、国立京都病院院長。財団法人慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団理事長。 1995年、勲二等瑞宝章を受章。2010年10月1日、慢性腎不全のため死去。
粟山 明(もみやま あきら、1921年1月23日 - 200… 粟山 明(もみやま あきら、1921年1月23日 - 2006年9月21日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。衆議院議員を務めた粟山博は義父、同じく衆議院議員を務めた粟山秀は姉。
梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日… 梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日 - 2016年2月18日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本近代史・軍事史。文学博士(大阪大学・1962年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 19… 羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 1994年11月23日)は、日本の鳥類学者。
上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - … 上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - 2012年8月3日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。従三位。紫綬褒章受章者、文化功労者、勲二等授旭日重光章受章。 1921年、台湾で生まれた。台北高等学校で学び、高校時代から哲学や宗教に関心を持った。京都帝国大学文学部哲学科に進んだが、太平洋戦争の戦局悪化により徴兵され、1943年に卒業。その後は海軍に入隊した。人間魚雷「回天」での出撃経験を持つが、死を免れた。 戦後は1948年に和歌山県立田辺高等学校教諭となった。同年、愛知第二師範学校助教授に就いた。1954年、京都大学人文科学研究所助教授に転じた。1968年に教授昇格。1982年、第11代京都大学人文科学研究所所長に就任。
村上 一平(むらかみ いっぺい、大正10年(1922年)1月… 村上 一平(むらかみ いっぺい、大正10年(1922年)1月8日 - )は、日本の実業家。医療法人 同愛会 博愛病院理事長。ハクアイ社長。裁判所調停委員。 元米子市長野坂寛治は、父常三のいとこにあたる 鳥取県米子市尾高町出身。 啓成小学校、米子中学校(現在の米子東高校)を経て昭和19年(1944年)京都帝国大学経済学部卒業。昭和21年(1946年)米子市国民健康保険組合常務理事。昭和23年(1948年)米子信用金庫勤務、昭和29年(1954年)米子駅前支店長(初代)、昭和33年(1958年)米子西支店長。 昭和36年(1961年)市長である野坂が大山観光開発の社長になったので手伝うために入社する。
山村 謙一(やまむら けんいち、1921年 - 2007年8… 山村 謙一(やまむら けんいち、1921年 - 2007年8月22日)は、東京都出身の映画評論家である。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中村 正秀(なかむら まさひで、1920年12月10日 - … 中村 正秀(なかむら まさひで、1920年12月10日 - 没年不明)は、日本の経営者。第四銀行頭取、会長を務めた。新潟県出身。 1946年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、1947年1月に第四銀行に入行した。1974年11月に取締役に就任し、1976年11月に常務、1978年11月に専務を経て、1983年3月に頭取に就任した。1990年3月に会長に就任し、1996年6月から1998年6月までに取締役を務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲三等瑞宝章を受章した。
宮崎 啓一(みやざき けいいち、1920年10月7日 - 2… 宮崎 啓一(みやざき けいいち、1920年10月7日 - 2006年6月13日)は、日本の裁判官。徳島市生まれ。第二水俣病裁判の裁判長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年〈大正9年〉9月25… 高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年〈大正9年〉9月25日 - 1995年〈平成7年〉9月9日)は、日本の推理作家。本名は高木 誠一(たかぎ せいいち)。津軽方言詩人・医師の高木恭造の甥に当たる。 青森県青森市生まれ。4代続いた医者の家系だった。幼少時に母親と死別。 旧制青森中学校(現:青森県立青森高等学校)から四修で第一高等学校理科乙類に入学。東京帝国大学理学部化学科の受験に失敗し、京都帝国大学薬学部に進んだが1年で中退、京都帝国大学工学部冶金学科卒。 非嫡出子として生まれ、一高入学の年に父親が亡くなり、家は破産して一家は離散し、親族からの援助で学業を続けた。その暗い生い立ちのせいもあってか、「出身地・青森」には生涯思い入れを見せなかった。
奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9… 奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9月23日 - 2009年 <平成21年> 5月11日 )は、日本の経営者。太陽神戸銀行頭取を務めた。位階は正四位。 大阪府大阪市出身。1941年に高文行政科に合格し、1942年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1972年11月に神戸銀行(のちの太陽神戸銀行)常務に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1983年6月には頭取に昇格した。1987年6月に会長に就任し、1990年4月に太陽神戸三井銀行(のちのさくら銀行)会長に就任し、1991年6月に相談役、1998年7月に常任顧問、2000年4月に名誉顧問を歴任した。 関西テレビ放送監査役、兵庫県公安委員会委員長も務めた。