和太 守卑良(わだ もりひろ、1944年7月26日 - 20… 和太 守卑良(わだ もりひろ、1944年7月26日 - 2008年9月7日)は日本の陶芸家。兵庫県西宮市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
京都市立芸術大学:258人
和太 守卑良(わだ もりひろ、1944年7月26日 - 20… 和太 守卑良(わだ もりひろ、1944年7月26日 - 2008年9月7日)は日本の陶芸家。兵庫県西宮市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
村山 明(むらやま あきら 1944年3月25日 - )は日… 村山 明(むらやま あきら 1944年3月25日 - )は日本の木工芸家、重要無形文化財「木工芸」保持者(人間国宝)。 木工芸の人間国宝では8人目の認定者である。日本工芸会理事、京都工芸美術作家協会副理事長、京都市芸術文化協会評議員。京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)美術科彫刻専攻出身。 兵庫県尼崎市出身。学生時代から油絵を好み京都市立美術大学(現、京都市立芸術大学)に進むも大学では彫刻を専攻した。木工芸家黒田辰秋の長男が同大にいたことが縁で1966年大学卒業とともに黒田辰秋に師事(黒田は1970年に人間国宝に認定)。1970年、第17回日本伝統工芸展入賞をきっかけに本格的な木工芸家となり、その後、宇治市に工房を構える。
夢童 由里子(むどう ゆりこ、1944年3月14日 - 20… 夢童 由里子(むどう ゆりこ、1944年3月14日 - 2015年3月21日)は、日本の人形作家、造形作家、アートプロデューサー、コラムニスト。京都市出身。京都市立芸術大学卒業。 西陣織を使った衣装と、大陸的な和洋折衷の作風が特徴である。人形以外にも石像、ブロンズ像、金属・コンクリートを使った屋外彫刻などの作品も手がけ、造形作家としても幅が広い。企業顧問、アドバイザー、客員教授などを務め、講演回数も多数に上った。
小嶋 悠司(こじま ゆうじ、1944年〈昭和19年〉3月12… 小嶋 悠司(こじま ゆうじ、1944年〈昭和19年〉3月12日 - 2016年6月7日)は京都府出身の日本画家。元京都市立芸術大学名誉教授。 石工であった祖父の影響を受け、幼少期から彫刻に関心を持っていた。また、実家から近距離にあった東寺(主に境内)を遊び場としており、そこで平安時代の密教美術を嗜んでいた。 中学・高校在学中にパブロ・ピカソや須田国太郎を知ったという。 京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)に入学し、秋野不矩や石本正に学んだ。1969年に専攻科を修了した。在学中に「花鳥画は保守的」と判断し、人物画を描くことを決意した。また、同時期の1967年9月に第32回新制作協会展で新作家賞を受章している。
栗木 達介(くりき たつすけ、1943年11月20日 - 2… 栗木 達介(くりき たつすけ、1943年11月20日 - 2013年10月12日)は日本の陶芸家。 愛知県瀬戸市出身。京都市立美術大学卒業。大学卒業後は瀬戸で作陶を続けていたが、1983年京都市立芸術大学美術部専任講師となり、京都に移転。1986年に助教授、1993年に教授。2007年退官。朝日陶芸展大賞受賞3回。「現代陶芸の鬼才」と呼ばれた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
ヨシ・ワダ(Yoshi Wada、本名:和田 義正(わだ よ… ヨシ・ワダ(Yoshi Wada、本名:和田 義正(わだ よしまさ)、1943年11月11日 - 2021年5月18日)は、日本で出まれ、アメリカ合衆国在住で活動を続けたサウンド・アーティスト。長年サンフランシスコに住んだ。 ミニマル・ミュージック、というよりはドローン・ミュージックの開祖的存在と言われている。 京都市立芸術大学卒業後、活動当初はジョージ・マチューナスとともに歩んだフルクサスの残党であった。ラ・モンテ・ヤングとともに「止まったミニマリズム」の趣旨に共鳴してプラン・ナートにインド声楽を師事した後、1980年代から一つの音を長く引き伸ばす活動を始めた。 ラ・モンテ・ヤングの後継のように思われているものの、ヤングと決定的に異なるのは自身の音楽のための創作音具の開発を怠らないことである。
木村 英輝(きむら ひでき、1942年 - )は、大阪府泉大… 木村 英輝(きむら ひでき、1942年 - )は、大阪府泉大津市出身の画家。元音楽プロデューサー。京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)卒業。 大学卒業後、ロック音楽プロデューサーとなる。1970年代後半から1980年代は、広告やポスターのデザインも含めたコンセプチュアルデザイナーとして活躍する。60歳から画家になることを宣言した。 大阪府泉大津市に生まれる。1965年(昭和40年) 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)工芸科デザイン専攻卒業。非常勤講師として大学に残る。その後、ロックプロデューサー・コンセプチュアルデザイナーとして活躍する。 2001年(平成13年) 画家宣言。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
井田 照一(いだ しょういち、Shoichi Ida、194… 井田 照一(いだ しょういち、Shoichi Ida、1941年9月13日 - 2006年6月5日)は、日本の京都市出身の現代美術家。 「Surface is the Betweenー表面は間である」というコンセプトを掲げ、版画を中心に油彩、ペーパーワーク、陶、ブロンズなど様々なメディアへと作品を制作している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
森口 邦彦(もりぐち くにひこ、1941年2月18日 - )… 森口 邦彦(もりぐち くにひこ、1941年2月18日 - )は、日本の染織家。勲等は旭日中綬章。京都工芸美術作家協会顧問、公益社団法人日本工芸会会員、文化功労者。社団法人日本工芸会副理事長などを歴任した。 1941年2月18日、京都府京都市にて生まれた。父は同じく「友禅」の人間国宝である森口華弘である。京都市立美術大学の日本画科を経て、パリ国立高等装飾美術学校のグラフィックデザイン科を卒業した。フランスでは、ガエタン・ピコンやバルテュスの知己を得た。バルテュスからのアドバイスもあり、友禅に取り組むことを決意する。 日本に帰国すると、父の下で友禅を技術を学んだ。のちに「友禅」の人間国宝となり、文化功労者として顕彰された。
西牧 秀夫(にしまき ひでお、1940年7月25日 - )は… 西牧 秀夫(にしまき ひでお、1940年7月25日 - )は、日本のアニメーション監督、演出家。兵庫県尼崎市出身。京都市立芸術大学卒。 シバ・プロ、虫プロダクション、タツノコプロ、スタジオ古留美などに在籍。スタジオ古留美時代は椛島義夫とのコンビで上記の作品を多く担当した。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
井上 隆雄(いのうえ たかお、1940年(昭和15年)7月2… 井上 隆雄(いのうえ たかお、1940年(昭和15年)7月21日 - 2016年(平成28年)7月21日)は、日本の写真家。日本写真家協会・日本ペンクラブ・民族芸術学会・日本写真学会、各会員。滋賀県大津市出身。 1965年(昭和40年)京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)卒業、1973年(昭和48年)写真家として独立。 2016年(平成28年)7月21日、肺炎のため京都市内の病院で死去、享年76歳。 主に民族芸術・仏教美術・生活などを企画撮影し、アジアを中心に世界各地を撮影した後、京都を中心に取材を重ねた。自然の撮影もライフワークの一つだった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
田島 征彦(たじま ゆきひこ、1940年1月9日 -)は日本… 田島 征彦(たじま ゆきひこ、1940年1月9日 -)は日本の絵本作家。同じく絵本作家の田島征三とは同年生まれの双子の兄弟だが、苗字の読み方は征彦が「たじま」、征三が「たしま」を名乗っている。本来の読み方は「たしま」だが、征三が先に「たしま」で世に出たため、征彦はそれと区別する意味で「たじま」と改めた。 現在、日本版画家協会会員。 兵庫県淡路市に在住。
馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日… 馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日 - )は日本のタレント、ラジオパーソナリティ、探検家。滋賀県高島郡高島町(現在の高島市)出身。既婚。 中学2年時まで滋賀県高島町で生活した後に、岡崎中学校の3年に編入。左京区北白川別当町に居住。高校3年時に大学を受験したが、1校も合格に至らず、1年間の浪人生活を経て京都市立芸術大学へ入学した。4人兄弟。8歳上の兄、姉がいる。 京都市立芸術大学への在学中に、探検部を創設。大学を6年がかりで卒業した後に、アフリカやミクロネシアを探検しては、その成果を新聞や雑誌に発表していた。本人によれば、日本人で初めて「プロ探検家」の肩書を名乗ったとされる。
三橋 節子(みつはし せつこ、1939年3月3日 - 197… 三橋 節子(みつはし せつこ、1939年3月3日 - 1975年2月24日)は大阪府に生まれ、京都府京都市で育った画家。京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)美術学部出身。夫は日本画家の鈴木靖将。長男は元バドミントン選手の鈴木草麻生。姪はチェンバロ奏者の三橋桜子。 1973年に利き手の右手を鎖骨の癌により手術で切断。その後は左手で創作を続けたが、35歳で癌の転移により他界した。 晩年には地元近江の昔話を基にした作品を多く手がけた。 没後50年を迎えた2025年(令和7年)、三橋節子をしのぶ展覧会「没後50年 三橋節子回顧展 野草から家族への想いを描いて」が、1月7日から5月25日まで大津市の三橋節子美術館で開催された。
藤原 信(ふじわら まこと、1938年4月8日 - 2019… 藤原 信(ふじわら まこと、1938年4月8日 - 2019年6月3日)は、ドイツ(ハノーファー)とノルウェー(ラルヴィク)を拠点とする日本の彫刻家。岐阜県出身。 出典: 石の彫刻家として、1967年より数々の国際彫刻シンポジウムに参加。
ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記。本名:… ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記。本名:和田 恵美子、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉11月13日)は、日本の衣裳デザイナー。映画と舞台の双方で世界各地で数多くの作品を手がけ、日本人としてはこの分野で初めて世界的に広く知られる存在となった。 京都府出身。同志社女子中学校・高等学校を経て、1959年に京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)西洋画科を卒業した。大学在学中の20歳の時、NHKのドラマ制作部にいた演出家の和田勉(2011年に死別)と結婚した。1957年、夫が演出する舞台『青い火』の衣裳を手がけたのを機に衣装デザイナーとなる。 以後、日本映画の衣装デザインを数多く手がけ、とくに『乱』(1985年・黒澤明)の衣裳デザインにより日本人女性初となるアカデミー賞(衣裳デザイン賞)を受賞したことで世界的に知られるようになった。
佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - … 佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - 2000年2月13日)は日本の画家、洋画家。油彩で静物画や欧州の古都の風景などを、温かく柔らかな作風で描き出すことに特徴。本名は佐々木弘安。 1936年(昭和11年)大阪府に生まれる。大阪明星学園と京都市立美術大学を卒業し、大石七凰に師事。関西地方で活動して出品を重ねた。主な受賞歴はシェル美術展で一等など。その後は居を神奈川県藤沢市に移し活動を続けた。 1977年(昭和52年)ユーゴスラビア国際美術展選抜出品、1983年(昭和58年)第1回上野の森美術館絵画大賞展特別優秀賞、1991年(平成3年)サロン・ドートンヌに出品、1993年(平成5年)雪梁舎美術館フィレンツェ賞展顧問。
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 201… 岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 2018年10月11日)は、日本画家。元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了。 風景や花鳥などの題材を淡い色彩で描く。京都市立美術大学在学中に日展への初入選を果たす。1959年(昭和34年)同大学卒業後、晨鳥社に入り、山口華楊に師事。日展を中心に活躍する一方、大学に残り、後進の指導に当たってきた。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。1962年(昭和37年)同大学教授に就任。
木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は 日本の版画家・彫刻家・作家・画家。京都工芸繊維大学名誉教授(第9代学長)。 大阪府大阪市生まれ。日本経済の高度成長と同時に美術の大衆化が顕著となる中、木村光佑は30歳を超えた1968年に作家としてデビューを果たした。シルクスクリーンや写真製版をはじめ多様な製版・印刷の最新技術を駆使し、現在社会の虚像と実像入り交じる様々なイメージを重ね合わせることで、情報過剰な同時代人の視覚的経験を作品化し、デビューと同時に「時代の申し子」として立て続けに国際コンクールでの受賞を重ねていく。一方で、自由な版表現への挑戦は、当時の日本版画界においては異色であり、版画の範疇や概念に対する議論を巻き起こした。
切畑 健(きりはた けん、1936年5月7日- )は、日本の… 切畑 健(きりはた けん、1936年5月7日- )は、日本の伝統服飾の研究者、京都国立博物館名誉館員。 大阪市生まれ。京都市立美術大学日本画科卒業。京都国立博物館に入り、京都文化資料研究センター調査資料室長、普及室長を経て、大手前女子大学文学部教授。2007年退職。
福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日 - 202… 福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日 - 2023年11月15日)は、日本の彫刻家。晩年は「つくらない彫刻家」を名乗っていた。 1936年、大阪府堺市に生まれる。幼少時に中華民国北平市(現:北京市)に渡り、終戦後に帰国。中学2年まで滋賀県高島郡(現高島市)海津で過ごした。建築家を志し堺市立工業高等学校建築科に入学。京都市立芸術大学の彫刻科を受験するが失敗したことから、デッサンをやり直すために、1955年に堺市立工業高等学校を卒業後、大阪市立美術研究所に入所した。デッサンを学ぶために入所したものの、誤って彫刻室に入る。大阪市立美術研究所では、今村輝久、保田龍門に師事。 1958年の自身初の個展では、砂浜に石膏を流し込む技法を用いた独自の抽象彫刻を発表した。
清水 信治(しみず しんじ、1935年 - )は、日本のアコ… 清水 信治(しみず しんじ、1935年 - )は、日本のアコーディオン奏者。息子はピアニストの清水和音。
ヨシダ ミノル(本名: 吉田 稔(よしだ みのる)、1935… ヨシダ ミノル(本名: 吉田 稔(よしだ みのる)、1935年〈昭和10年〉 - 2010年〈平成22年〉10月23日)は、京都市を拠点に活動した日本の芸術家。日本の前衛美術界を代表する芸術家の1人である。 初期のメディアアート、「テクノロジー・アートの先駆者」と呼ばれ、「宇宙人」「現代美術の奇人」などの異名をとるパフォーマンス・アーティスト。生きることそのものを芸術ととらえたパフォーマンス・アーティストであり、日本にパフォーマンスアートというジャンルを定着させた中心人物のひとりと目される。 1965年(昭和40年)、具体美術協会に加入。素材にプラスチックや電気などを用いる動く芸術、日常生活そのものをパフォーマンスととらえた美術劇場で注目を集めた。
森野 泰明(もりの たいめい、1934年2月8日 - )は、… 森野 泰明(もりの たいめい、1934年2月8日 - )は、日本の陶芸家。社団法人日展理事などを歴任した。公益社団法人日展顧問、京都工芸美術作家協会顧問、日本芸術院会員、文化功労者。勲等は旭日中綬章。本名は森野 泰明(もりの ひろあき)。 京焼きの陶芸家の森野嘉光の子として誕生し京都府で育つ。 京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)陶磁器科、同大学専攻科卒。 1957年日展初入選。1960年日展特選・北斗賞受賞。1962年よりシカゴ大学で陶芸を講じる。1968年日本現代工芸美術展会員賞外務大臣賞受賞。1969年日展会員。1983年日本新工芸展で文部大臣賞受賞。1996年京都府文化賞功労賞受賞。
加守田 章二(かもだ しょうじ、1933年(昭和8年)4月1… 加守田 章二(かもだ しょうじ、1933年(昭和8年)4月16日 - 1983年(昭和58年)2月26日)は、日本の陶芸家。 伝統にとらわれないモダンなデザインを研究し独創的な器の形を創作し様々な形で広く展開した加守田の作品は、従来の陶芸の概念を超え多くの人を引きつけるとともに高い評価を受け、現在も多くの陶芸家たちに影響を与えている。 1933年(昭和8年)4月16日、大阪府岸和田市に加守田貞臣、八重子の長男として生まれる。 大阪府立岸和田高等学校在学中に油絵に興味を抱き、卒業後上京して学ぼうとしたがこれを断念し、1952年(昭和27年)に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)工芸科陶磁器専攻に入学。
上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12… 上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12日 - 2024年〈令和6年〉11月1日)は、日本の日本画家。特に花鳥画を能くした。本名は上村 淳(読み同じ)。位階は従三位。画業で日本芸術院会員に選ばれ、文化勲章を受章したほか、大学で美術教育にも努め、京都市立芸術大学教授(のちに名誉教授)、京都市立美術大学教授・副学長を務めた。愛鳥家であり、作画の参考を兼ねて自宅で数百種類の鳥を飼っていた。日本鳥類保護連盟奈良研究所所長。 美人画の巨匠である上村松園(しょうえん)を祖母に、花鳥画の名手上村松篁(しょうこう)を父とする画家の家系で京都市に生まれ、自らは晩年にかけて奈良市に暮らした。 京都市に生まれ、京都小学校特別科学学級での同級に伊丹十三がいた。
齋藤 英美(さいとう ひでみ、1933年(昭和8年)3月7日… 齋藤 英美(さいとう ひでみ、1933年(昭和8年)3月7日 - 2008年(平成20年))は、日本の電子オルガン奏者。エレクトーン奏者、作曲家。徳島文理大学名誉教授。上海音楽学院特別顧問教授。 同志社大学卒業。京都市立芸術大学音楽学部卒業。京都府京都市出身。 京都府京都市出身。同志社大学を卒業後、京都市立芸術大学音楽学部音楽学科作曲専攻に進学し卒業。 1957年(昭和32年)にプロデビューする。世界44ヵ国での演奏活動、伝統芸能・民族楽器との共演など、日本の電子オルガン奏者の第一人者として国内外で活動していた。徳島文理大学音楽学部で教授を務めたほか、中国・北京の上海音楽学院で特別顧問教授も務めた。
佐々木 侃司(ささき かんじ、1933年1月23日 - 20… 佐々木 侃司(ささき かんじ、1933年1月23日 - 2005年1月24日)は、日本のイラストレーター。 1957年、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)卒業。株式会社寿屋(現サントリー株式会社)宣伝部宣伝技術課からデザイン室に移り、PR雑誌『洋酒天国』や「トリスコンク」などパッケージデザインを手がけ、イラストレーターとしての頭角を現す。北杜夫「どくとるマンボウ」シリーズ、かんべむさしの著書などのイラストで知られる。 元大阪芸術大学映像学科教授(学科長)。2005年1月24日、間質性肺炎のため死去。
浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 … 浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 - )は愛媛県宇和島市出身の画家。 1985年(昭和60年) ART GRAPH 9月号に巻頭特集
中井 貞次(なかい ていじ、1932年1月4日 - )は、京… 中井 貞次(なかい ていじ、1932年1月4日 - )は、京都市出身の日本の染織家。日本芸術院会員。京都市立芸術大学名誉教授。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 -… 柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 - 2015年8月17日)は、日本のイラストレーター、漫画家、アニメーション作家、エッセイスト。東京都出身。神奈川県横浜市中区在住。「アンクルトリス」の産みの親として、また無類の船好きとしても知られる。過去には「帆船日本丸記念財団」の理事も務めていた。西村捨三のひ孫。
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 200… 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家・編曲家・ピアニスト・タレントである。
吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日… 吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日 - 2007年(平成19年)1月13日)は、日本の画家、版画家。 広島県因島市出身。大阪府立天王寺高等学校卒業。京都市立芸術大学名誉教授。2007年に膵臓癌のため死去。 初期にはリトグラフの制作を行なうが、後にリトグラフと銅版を併用した。女性や静物などをモチーフとし、臨場感のある虚構空間を描き出すことで知られる。作品は現代人の不安や心理的真空感を反映したものと評される。
富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 -… 富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 - 2020年11月25日)は、日本の彫刻家。成安造形大学名誉教授、櫛引町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。第47代横綱柏戸剛は再従兄弟にあたる。
川尻 一寛(かわじり いっかん、1930年(昭和5年)12月… 川尻 一寛(かわじり いっかん、1930年(昭和5年)12月25日 - 2008年(平成20年)12月29日)は、京都府京都市日吉出身の日本の陶芸家。本名は宗裕。 作風は伝統的な京焼き磁器を守りつつも大胆な形態の作品を発表した。 1930年(昭和5年)12月25日、京都府京都市日吉に生まれる。物心ついた頃から近所に製陶関連業の多い環境で育った。陶芸家クラブで清水六兵衛に師事する。 生前は現代工芸美術家協会評議員、日展理事などを務めた。 日本芸術院の工芸美術部門で1984年(昭和59年)第16回日展、1988年(昭和63年)第20回日展の2回で特選受賞している。 2001年、「豊穰」が日本芸術院賞を受賞。
山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月1… 山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月14日 - 2000年 <平成12年> 12月17日)は、日本画家、日本芸術院会員。位階は正四位。 京都市生まれ。1953年京都市立美術大学日本画科卒。1955年同研究科修了、徳岡神泉に師事。1955年日展初入選。1961年日展特選・白寿賞。1966年日展菊花賞。1974年京都市立美術大学助教授、日展評議員。1975年日展文部大臣賞、京都市立芸術大学教授。1990年京都府文化賞功労賞受賞。1992年日本芸術院賞受賞。1993年日展理事。1996年京都市立芸術大学を退職、名誉教授、京都市文化功労者。1997年名古屋芸術大学教授。1999年日本芸術院会員。
伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023… 伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023年7月6日)は、日本の漆芸家、日本藝術院会員。 京都市出身。本名は裕允(ひろのぶ)。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。山崎覚太郎に師事。1953年「山海譜」で日展初入選。1964年「触」で日本現代工芸美術展初入選。京蒔絵を習び色漆を主な素材にした作品を発表している。2004年「スサノオ聚抄」で日本芸術院賞受賞。2011年芸術院会員。2018年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。 1953京都市立美術工芸学校漆芸科卒業山崎覚太郞(東京)に師事、色漆技法を修得する(~‘57)第9回日展初入選('66,'68特選,'83会員賞、審査員4回)1962第3回日本現代工芸美術展初入選('66大賞、'97文部大臣賞)1970漆芸作家集団〔フォルメ〕創設同志とともに前衛活動'79まで1978第8回世界クラフト会議・京都国際会議漆分科会コーディネーター1985紺綬褒章受章(以降四度受章)1990京都府文化賞功労賞受賞1995京都市芸術功労賞2000文化庁長官表彰―漆芸功労により表彰を受ける2002林野庁長官賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」2004農林水産大臣賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」、日本藝術院賞受賞2011日本漆工協会(総裁・桂宮宣仁親王)漆工功労賞表彰、日本藝術院会員に就任2018旭日中綬章受章コレクション日本藝術院、東京国立近代美術館工芸館、京都国立近代美術館京都府京都文化博物館、京都市美術館、伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮 他現在日本藝術院会員、公益社団法人日展顧問、現代工芸美術家協会常務理事
田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 20… 田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 2002年1月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。奈良県奈良市出身。本名は同じ表記で、読みは「たなか かずあき」。 昭和期を代表するグラフィックデザイナーの一人として活躍した。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界、デザイナーたちに大きな影響を与えた。特にセゾングループのクリエイティブディレクターとして、セゾン文化の裏方を担った。 自身の作風は琳派に大きな影響を受けており、間接的ながら琳派の作風を現代(1970年代以降2020年現在に至るまで)に広め紹介することとなった。
野々内 良樹(ののうち よしき、1930年 - 2009年)… 野々内 良樹(ののうち よしき、1930年 - 2009年)は、京都府出身の日本画家。日展会員。 父親は、日本画家の野々内保太郎。 この項目は、日本の文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 日本・ウィキプロジェクト 日本文化)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 199… 木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 1996年9月10日 京都市)は、日本の漫画家。のちに剪紙作家となり木村 祥刀(きむら しょうとう)を名乗る。本名:木村 祥一(きむら しょういち)、漫画家としてのペンネームはほかに木村 ただし(きむら ただし)、京 さゆり(きょう さゆり)などがあり、近年再評価の気運にある劇画作家木村 仁(きむら じん)と同一人物である。 以下に筆名を整理する。 1930年(昭和5年)、京都市東山区五条坂に生まれる。祖父は陶芸家6代目木村清山(木村仙之助)、父は同7代目木村清山であり歌人の木村二瓶子、母は華道家であり茶道家の木村宗良、同志社大学教授の稲本健二は従弟、映画プロデューサーでエッセイストの木村立哉は甥である。
粟辻 博(あわつじ ひろし、1929年〈昭和4年〉7月20日… 粟辻 博(あわつじ ひろし、1929年〈昭和4年〉7月20日 - 1995年〈平成7年〉5月5日)は、日本のテキスタイルデザイナーである。京都府京都市出身。 京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)卒業後、鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に勤務する傍ら、テキスタイルや油絵の制作を手掛ける。1955年(昭和30年)に上京した後に、フリーランスとしての活動を開始した。 その後は粟辻の作品が二科展や読売アンデパンダン展等に出品されたり、個展を開いたことにより数多くの賞を受賞する。1966年(昭和41年)にはフジエテキスタイルのデザイン主任に就任し、1988年(昭和63年)には多摩美術大学の教授となった。
大政 穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日 - 20… 大政 穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日 - 2007年9月19日)は、日展会友として京都、奈良、愛媛県の神社仏閣、鎧、風景等を画き続けた京都市在住の日本画家である。特に人物画は妻と幼子を描いた1点のみであり、今も大政邸に保管されている。 1929年愛媛県松山市に生れる。小野竹喬に師事し、1952年京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)日本画科を経て制作活動を続ける。1959年京展 市長賞受賞を受賞し、福田平八郎に認められる。翌年以降は1960年京展 NHK賞受賞、1961年京展 紅賞受賞、1962年朝日新人展 招待出品をし、1963年に日展初入選する。以降入選回数25回。また、同年からの3年間の第1回京都秀作展、第2回京都秀作展、第3回京都秀作展推薦出品をする。
井川 徳道(いかわ のりみち、1929年3月20日 - 20… 井川 徳道(いかわ のりみち、1929年3月20日 - 2024年5月16日)は、日本の映画美術監督。京都府京都市出身。 京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)デザイン科を卒業後、52年に綜芸プロ、近代映画協会美術の美術助手を経て、54年に東映京都撮影所と契約。58年に沢島忠監督の『江戸の名物男 一心太助』で初めて美術監督となる。以来、東映を中心に約135本の劇場用映画に携わった。後に東映美術センターに所属。さらに 大阪芸術大学映像学科非常勤講師、客員教授など後進の指導に従事してきた。 2003年に旭日小綬章受賞、2011年に京都府文化功労章受賞。 2024年5月16日、老衰のため死去。
梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5… 梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5日 - 2008年6月30日)は、日本の刺青師、画家、劇画家、デザイナー、漫画家。 凡天 太郎と表記する場合もある。少女漫画を描く時は石井 きよみ(いしい きよみ、まれに清美とも表記)のペンネームを使用。刺青師としては彫清(ほりきよ)を名乗った時期もある。本名は田中 清美(たなか きよみ)。 「刺青=極道者」というマイナスイメージを払拭し、絵で肌を飾るという「最も原始的なファッション」としての刺青を世に認知させるために尽力した。刺青のファッション性を向上させるために、刺青を「肌絵」「スキン・イラストレーション」と呼び、刑罰としての「入れ墨」と、装飾としての「刺青・文身」の歴史的区別を説いた。
緒方 規矩子(おがた きくこ、1928年(昭和3年)10月4… 緒方 規矩子(おがた きくこ、1928年(昭和3年)10月4日 - 2025年(令和7年)2月7日)は、日本の舞台衣裳デザイナー。 東京府日本橋生まれ。京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)図案科に学ぶ。在学中から演劇に傾倒し、クラスメートの田中一光や橋本潔等と「アトリエ座」という劇団を作り、美大卒業と同時に新たな劇団「喜劇座」を起こす。 鐘紡勤務をへて、舞台衣裳デザイナーとしては1952年(昭和27年)関西歌劇団の『椿姫』でデビュー。以後、妹尾河童に招かれ上京。1955年(昭和30年)栗山昌良演出の『道化師』と『カヴァレリア・ルスティカーナ』の衣裳デザインで東京デビュー。1957年(昭和32年)外山雄三、岩城宏之、林光、妹尾河童、栗山昌良、佐々木忠次と“スタッフ・クラブ”を結成。
麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 … 麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 - 1987年(昭和62年)7月1日)は、昭和時代の日本画家。父は日本画家の麻田辨自、弟は洋画家の麻田浩。義弟は、国文学者・万葉学者の佐竹昭広、本名は麻田 昂(読み同じ)。風景画を描き、晩年には出身地の京都を主に描く。
堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日… 堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日 - 2013年〈平成25年〉10月4日)は、京都市出身の洋画家、文化功労者。東京都在住。 日本画家・堂本印象の甥。父は堂本四郎。妻は洋画家の洋画家の毛利眞美。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
不動 茂弥(ふどう しげや、1928年1月11日 - 201… 不動 茂弥(ふどう しげや、1928年1月11日 - 2016年12月15日)は、戦後活躍した日本画家である。 1928年1月11日兵庫県三原郡賀集福井(現・南あわじ市)に生まれ、京都市で育つ。1944年京都市立絵画専門学校(45年に京都市立美術専門学校と改称。現・京都市立芸術大学)入学。戦中、東京近辺の陸軍の諸学校へ教材用掛図の作成に学生の勤労動員として派遣される。戦後1947年学内で行なわれた作品展への出品をきっかけに、同校の三上誠や山崎隆、星野眞吾らと親交を深める。1948年同校日本画科を卒業。 同1948年3月同校卒業生の日本画家・洋画家・陶芸家によってパンリアルを結成。翌1949年陶芸家たちの脱退に伴い、日本画家たちによってパンリアル美術協会を結成。
真野 岩夫(まの いわお、1927年(昭和2年)11月28日… 真野 岩夫(まの いわお、1927年(昭和2年)11月28日 - 2014年5月27日)は日本の画家。京都市立芸術大学名誉教授、国画会会員。抽象絵画を得意とした。正四位。 京都府出身、京都市立美術大学卒業。1953年より京都市立芸術大学で教鞭をとり1988年(昭和63年)から1992年(平成4年)までの4年間、大学院美術研究科長を務めロイヤル・カレッジ・オブ・アートとの間の交流協定締結に力を尽くした。1993年(平成5年)3月に退職。同年4月から同大名誉教授。2007年(平成19年)に瑞宝中綬章を受章した。 2009年(平成21年)、京都市在住の長男より滋賀県長浜市に抽象画14点が寄贈された。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11… 岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11月25日 - 2009年 <平成21年> 11月7日)は、日本の画家、日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。旭日重光章。 大分県日田市出身。京都府京都市に在住していた。大分県立日田中学校、京都市立美術専門学校卒。 1927年に現在の大分県日田市豆田町に生まれる。幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年だった。晩年水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作したが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいている。14歳の時に真珠湾攻撃が勃発、父親の勧めで17歳にして自ら入隊を志願。終戦までの1年5ヶ月の間に滋賀県で訓練を受けた後、盛岡、福生、万世、横田と日本各地を転々と移動。